(独語)
部屋を出るとバルクホルンさんがいた。
「あ、ああ、なんだ宮藤か。たまたまそこを通りかかったんだ。奇遇だな」
なにも訊いていないのにバルクホルンさんがそう言った。
今日に限らず最近よくバルクホルンさんと出くわす。
「そんなことより宮藤、もしかして今日は訓練が休みだったりしないのか?」
「はい、そうですけど。ご存じだったんですか?」
バルクホルンさんはぶんぶんと首を横に振った。
「また奇遇だな。実は私も今日は暇なんだ」
あれ? 今日はミーナ隊長と用事があるって聞いた気がするんだけどな。
「もうここには慣れたか? みんなと仲良くやってるか? いじめられたりしてないか?
誰だ? ペリーヌか? ペリーヌだな?」
「そんなことされてないです。みんな仲良しです」
ペリーヌさんとは微妙だけど。
「そうか、困ったことがあったらいつでも私に言うんだぞ。
なにせここはいろんな国の人間が集まっている。それぞれ食べ物も、習慣も、言葉も……」
バルクホルンさんが急に口ごもった……かと思ったら「言葉」というフレーズを反芻する。
「はい、いろんな人がいますよね」
とても間が持たなかったので私は口を開いた。
「そう、そうなんだ。私たちはお互いのことをもっと知っていかないといけない。
でも言葉だけですべてを伝えることは難しい。語り得ぬものについては沈黙しなければならない。
だからといって知らないままでいるより、たとえ少しでも知る努力をするべきだ。私はそう思う。
そこで提案なんだが、お互いの国の言葉を教えあうというのはどうだ。
まず私がカールスラントの言葉を教えてあげよう。今から私の部屋に来ないか?」
と、バルクホルンさんは一息でそう言った。
「……そうだった、とってもおいしいお菓子があるんだ」
私が戸惑っていると、バルクホルンさんはさらにそう付け加えた。
「えっと、よろしくおねがいします」
バルクホルンさんがあまりにしつこいので、私はお願いすることにした。
「まずはじめは相手の呼び方から。親愛な年上の女の人に対して使うんだ。
『おねえちゃん』、そう言ってみてくれ」
「えっと、こうですか? 『おねえちゃん』」
「いい! いい感じだ!」
「そうですか?」
「ただもう少し感情を込めてな。
それと発音は『おねえ』と『ちゃん』の間を少し空けて言うんだ。
『おねえ ちゃん』――こういう感じに」
「ええっと……『おねえ ちゃん』」
「素晴らしい!」
バルクホルンさんはグッと親指を突き立てた。
「じゃあ次は相手を見上げて小首をかしげながら『おねえちゃん?』 目をウルウルさせると尚良しだ」
「『おねえちゃん?』」
「むぅーと膨れながら『おねえちゃん!』 ただしくれぐれも強く言い過ぎないように」
「『おねえちゃん!』」
「あとで食べようと思っていたプリンがなくなっていたときに訊く感じに『おねえちゃん!?』
あ、食べたのは私じゃないからな」
「『おねえちゃん!?』」
「いっしょにデパートの屋上にいって自分だけ一人で走っていっちゃうんだけど、
振り返ってこっちに手を振りながら『おねえちゃーん♪』」
「『おねえちゃーん♪』」
「とそこで迷子になってしまった。探してみるけど見つからない 『おねえちゃああああああん!!』」
「『おねえちゃああああああん!!』」
「でも大丈夫。すぐに見つけてあげたよ。安堵とそれにたっぷりと愛情をこめて『おねえ ちゃん……!』
「『おねえ ちゃん……!』」
「最高だ………………!!」
どうしたんだろ、バルクホルンさんの息がとっても荒い。怖い。
「あの、他の言葉は教えてくれないんですか?」
「ああ、そうだな……よし、次は『おねえちゃん、だいすき!』って言ってみてくれ」
「『おねえちゃん、だいすき!』」
「私もだいすきだよ!!!!(独語)」
バルクホルンさんは突然大声をあげた。
「どうかしたんですか? バルクホルンさん」
「な、なんでもない」
「でも、今日のバルクホルンさん、なんだか変ですよ」
「私はいつもこうだ」
自嘲気味にそういうバルクホルンさん。そうかなぁ? やっぱり変だよ。
「そんなことより次だ。こう言ってくれないか。その……『あ××××』」
「『あ××××』? すみません、声がちっさくてよく聞き取れなくって」
「仕方ないな、もう一度言うぞ……『あい×××』」
「やっぱり聞き取れないです。それにどうしてそんなに恥ずかしそうに言うんですか?」
「どうやらこの言葉は今の私には刺激が強すぎたらしい」
「刺激……? いったいどういう意味の言葉なんですか?」
「いいんだ、今は何もわからなくて」
バルクホルンさん、それじゃ勉強にならないよ。
「あと宮藤、さっきの言葉はくれぐれも私以外の人間には言っちゃダメだからな」
そもそもなんて言ったかわからなかったんだけどなぁ。
「そんなことより宮藤、聞き取れないのは二人の距離が遠いからじゃないか?」
「そうですか? 大丈夫ですけど。今、普通に会話してますし」
「なにを言ってるか聞こえない。ほら、こっちに来い」
「あっ、はい」
私は座っていたバルクホルンさんの向かいの席を立って、隣の席に移った。
「そこじゃない」
「え? じゃあどこに……?」
バルクホルンさんは太ももを両手でパンパンと叩く。
え? 膝の上に座れってこと?
「さぁ」
パンパンパンパン。
「でも……」
「ほら、早く」
パンパンパンパンパンパンパンパン。
「私、重いかもしれないし」
「問題ない」
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン。
「………………無理です! やっぱりできません! そんなこと!」
私は強く拒否した。
するとバルクホルンさんは太ももを叩くのをやめ、力なくうつむいてしまった。
まるで魂が抜けてしまったみたいにバルクホルンさんは真っ白に燃え尽きてしまった。
静かな、ただただ重たい時間が流れた。
「あっ、あのっ、やっぱり座らせてください」
意を決して私は言った。
バルクホルンさんが顔を上げる。
厚い雲の隙間から差し込んだ光を見るような、なんともいえない表情。
バルクホルンさんの魂が帰ってきた。おかえりなさい。
「いいの……?」
「はい」
「イヤなんだろ?」
「そんなことないです」
「私のこと嫌いになったんだろ?」
「なってません」
私は嘘をついた。
「それじゃあ失礼します」
そう言って私はバルクホルンさんの太ももにお尻をつけた。
その太ももは座っただけで鍛えられていることがわかった。
私の肩胛骨のあたりにバルクホルンさんの胸があたってドキドキする。
左耳にバルクホルンさんの生暖かい息が直にかかる。
バルクホルンさんの腕は私をしっかりと抱き抱えて、その指が私の体を撫でる。くすぐったい。
「芳佳は恥ずかしがり屋さんなんだから(独語)」
息を荒げたバルクホルンさんがなにか言ったけど、私にはわからない。
ずいぶん長い間そうしていた。
「あのーバルクホルンさん」
「お菓子か? ジュースもあるぞ。でも、食べたあとはちゃんと歯磨きしないとダメだからな」
「そうじゃなくて。カールスラント語の勉強の方は?」
長い沈黙があった。
「ああ、うん。そうだった、そうだったな」
もしかしてすっかり忘れてた?
「じゃあ私の言う言葉に続けて」
「はい、がんばります」
「『おねえちゃん、トイレ行きたい……』」
「『おねえちゃん、トイレ行きたい……』」
「私のベッドだから気にしなくていいのに(独語)」
「『みてみて、おねえちゃんの似顔絵を描いたんだよ!』」
「『みてみて、おねえちゃんの似顔絵を描いたんだよ!』」
「上手だね、芳佳は将来画家になれるよ(独語)」
「『おねえちゃん、空がゴロゴロ鳴ってこわいよぉ~』」
「『おねえちゃん、空がゴロゴロ鳴ってこわいよぉ~』」
「大丈夫、芳佳のおへそは私がちゃんと守ってあげるから(独語)」
「『おねえちゃんのバカっ!! もう知らない!!』」
「『おねえちゃんのバカっ!! もう知らない!!』」
心なしか悲しそうな顔をするバルクホルンさん。
「『ウソ。だいすきだよ、おねえちゃん』」
「『ウソ。だいすきだよ、おねえちゃん』」
「おねえちゃんの方がずっとずーっと芳佳のことだいすきだよ!!!!(独語)」
どうやら気のせいだったらしい。
「あのー」
「じゃあ次は『芳佳ね、おおきくなったらおねえちゃんとけっこんする!』って言ってくれ」
「あの、バルクホルンさん」
「どうした? 言ってくれないのか?」
「そろそろ晩ごはんの時間ですけど」
というか遅刻気味だ。
電気をつけていない部屋はもう、本が読めないほどの暗さになっている。
「私いかなくちゃ」
私はバルクホルンさんから離れようとした。
けれど、がっちり締め付けられたその両腕は私の力では外れそうにない。
「食事などいらない!」
「いや、みんなの分もあるし、ミーナ隊長たちも心配するでしょうし」
と言うと、バルクホルンさんの両腕から力が抜けていった。
「ミーナの名前は口にするな!!(独語)」
「え? なんて言ってるかわからないんですけど……まあいいや」
捕らえていた両腕をほどき、私はバルクホルンさんの膝の上からお尻をあげた。
「今日はいろいろとありがとうございました」
私はおじぎして言った。
「また今度、時間ができたときにいろいろ教えてください」
「絶対だからな」
「あと、ごはんはどうしますか?」
「……ああ、もう少ししたら行くよ」
私はぐったりと椅子に座りこんだバルクホルンさんに背を向けた。
すっかり脱力しきったバルクホルンさんがなにかつぶやいた。
「ああ、こんなところミーナやエーリカには見せられないなぁ(独語)」
しつこく食い下がるバルクホルンさんを引き剥がして私は部屋から出て行った。
今日のバルクホルンさん、なんだか変だったなぁ。
あとで隊長に相談しよっと。
翌日。
部屋を出るとバルクホルンさんがいた。
「あ、ああ、なんだ宮藤か。たまたまそこを通りかかったんだ。奇遇だな」
なにも訊いていないのにバルクホルンさんがそう言った。
今日に限らず最近よくバルクホルンさんと出くわす。
「それより、今日はたまたまなにも予定が入ってなくて暇なんだ。昨日の続きをしないか?」
「でも、今日は訓練があるし……」
「ちッ!」
バルクホルンさんは露骨に舌打ちした。そのあまりの迫力に、私は思わず足を引いてしまった。
「あ、そういえば、昨日隊長からバルクホルンさんに伝言を頼まれてたんです。
と言っても、どういう意味なのか私にはわからないんですけど。えっと、いきますね。
『トゥルーデ、昨日は宮藤さんとずいぶん楽しい時間を過ごしたようね。
私との約束をドタキャンしていったいなにをしているのかと思えば……
いや別に、根に持つとかそんなことこれっぽっちもないのよ。
でも最近のあなたの行動は あ ま り に も 目に余るわ。
相手がなにを言ってるかわからないのをいいことにキモいセリフを言わせて
ハァハァするなんてどこまでヘタレなの!? ネクラなの!?
挙句の果てに膝の上に座らせたですって。私だってしてもらったことないのに。
これがカールスラントの軍人の、ウィッチーズのエースがすることなのかしら?
そうじゃないわよね。そう思うでしょ? ゲルトルート・バルクホルン大尉。
もしこのまま、あまりおふざけが続くようだと、
私はあなたに隊長としてなにかなくちゃいけないことになるかもしれないわ。
それに妹さんもあなたの身を案じていることでしょうし、
このままなら手紙を書かないといけないかも――』
あれっ、どうしたんですか、バルクホルンさんっ! 顔が
真っ青じゃないですか!?
バルクホルンさんっ! バルクホルンさんっ!」