夢のまた夢
宮藤はベッドに正座して向かいのサーニャに手をのばした。
「ほ、ほほ、ほんとに、いいんだね、サーニャちゃん?」
「うん。宮藤さん、わたしのともだち……でしょう?」
「も、もちろん」
「それなら……、いいよ……」
サーニャの肩におかれた宮藤の手を、そっと自身の胸もとに下ろしていく。
指が小高い丘のふもとにさしかかると、宮藤が確認するように問いかけた。
「あ、あのね、でもサーニャちゃんはエイラさんのこと、好きだよね? なのに、いやすっごくうれしいんだけど、やっぱり、その……エイラさんに悪いかな、なんて、思ったり……」
うれしいくせに困ったような顔でサーニャの気持ちをうかがう。
遠慮しているようにみえて、そのじつ、さわりたくてたまらないのが宮藤の本性だ。
でもサーニャはなぜか優しくほほえんで、
「宮藤さん、いまはエイラのことは抜きにして、さわってほしいの……」
「さささ、さわってほしいの?」
宮藤の指がぷるぷると震えている。
目のまえに干し肉をつるされた野獣のような瞳をしていた。
こんなこと、許されていいはずがないのに。
サーニャは宮藤にかぎらず、こんなことをしちゃいけないのに。
「宮藤さんの好きなように、わたしの、さわって……」
サーニャの手が、宮藤の指をさそって、そのやわらかそうで、ふれてはならない胸に近づいて――――
「サーニャっ!」
わたしは大声をあげて飛び起きた。
どくんどくんと心臓がうるさい。
全身にびっしょりと汗をかいていて、まっくらな部屋にひとりぼっちのベッドを確認すると、わたしはそれが夢だったのだと悟った。
「サーニャ……」
呼吸の乱れが少しずつ落ちついていく。
大きく息を吐くことで、こんがらがった心の線が一本また一本と整列されていく。
わたしはなんて夢を見てしまったのだろう。
先日の夜間哨戒でちょっとだけ、あくまで"ほんのちょっとだけ"なかよくなった宮藤がなぜサーニャとあんなことをしている夢を見たのだろう。
宮藤はまだしも、サーニャはけっしてあんなことを言ったりしないし、そんな気持ちを抱くこと自体、ぜったいにありえないというのに。
さきほどの信じられない光景が脳裏によみがえってきた。
かってに登場させておいて悪いけど、宮藤も宮藤だ。
あんな簡単にサーニャの、む、む…………に、さわろうとするなんて、信じられない。
サーニャはそういう下品な目でみていい子じゃない。
あの子はおとなしすぎるけど、本当はすごくけなげで、優しくて。
いつかぜったい報われないといけない子なのだ。
なのに宮藤ときたら、このまえだっていきなりサーニャの手をにぎったりして。
べつにそれだけなのだけど、どこかくやしくて、やるせない。
「は~あ、わたしもなんなんだろうナ……」
ベッドに仰向けに倒れこんだ。
視界のすみに月の光がさしこむのが見える。
まだ夜も明けていない。
「わたしは、サーニャのこと……」
どう思っているのだろう。
女の子どうしで手をつなぐのって、ふつうに考えればぜんぜん変なことじゃない。
なかよしの友だちならなおさらだ。
だけどわたしはサーニャの……、それはおろか、手をにぎることもままならない。
そういう友だちのあり方だってアリだとは思う。
でも、わたしはサーニャと手をつなぐことに、ちょっとだけ抵抗を感じている。
つなぎたいと思う気持ちがある一方で、どこかそれを避けたいと思う気持ちもあって。
「ほんとに、なんなんだろうナ……」
自分がわからなかった。
きらいなはずはなくて、むしろ大好きでいつもそばにいたいけどあんまり近寄りすぎるとなんだかそわそわして落ちつかない。
親友だと思うし、サーニャのためならなんでもしてあげたいのに、ときどき胸がくるしくなる。
好きなのにくるしくなるなんて、この気持ちはいったいなんなのだろう。
そこまで考えたところで、わたしの部屋のドアが開いた。
こんな夜中にノックもなしで、いったい誰がなんの用で入ってくるのか。
身を起こし、誰何の声を飛ばそうとして、わたしはその訪問者の姿に固まった。
「サーニャ……」
今夜はたしか夜間哨戒のない日だったからもうとっくに寝ているものだと思ったのに。
ふらふらと頼りない足どりでサーニャが近づいてくる。
ベッドのわきまでくると窓からさしこむ月明かりがただでさえ白いサーニャの肌をいっそう白く照らしあげた。
「えい、ら……」
小さな声がした。
いや、ふだんからあまりはっきりと大きな声は出さないけれど、それとはちょっとちがう。
よくよく見ると衣服のところどころが乱れていて、ほっぺたもほんのりと赤かった。
「え、サーニャ、まさかお酒かなにか飲んでるのカ?」
「えいら……」
ベッドに乗っかると四つ足でのそのそとわたしに近づいてきて、吐息がかかるところまで顔を寄せてきた。
「う、酒くさい……」
リベリオン製の酒にこんなにおいのものがあったはずだ。
容疑者二人のあっけらかんと笑う顔が浮かんできた。
あの二人にはいずれお返しをしないといけない。
まったく、ウィッチとはいえ仮にも未成年のサーニャにこんなこと――――
「えいら」
視界いっぱいにサーニャの顔があった。
いつの間にかわたしの両脚をまたいでサーニャが座っている。
「え?」
「えいら、すき」
さらりと髪が揺れて、目を閉じたサーニャが近づいてきて、ちょんと突きだした小さな唇がわたしのそれに重なった。
「んむっ!」
なにがなんだかわからなくて、サーニャを引き剥がそうとしたくてもサーニャの肩に触れないといけなくて、でもそんなことするのはなにかいけない気がするから事態はいっそうひどくなっていくばかり。
慣れない口づけは強引で、ただ唇を押しつけるだけの雑なものだったけれど、わたしには天と地がひっくりかえるようなできごとだった。
「あつい……」
ぶっきらぼうな、それゆえに一途なキスを終えると、馬乗りになったサーニャは洋服のボタンをひとつずつ外しはじめた。
目のまえでじょじょに白い肌が広がっていく。
首もとから鎖骨、わきにかけての綺麗なラインについうっとりと見惚れてしまう。
「あ、さ、サーニャ、なな、なにやってるんだヨ!」
わたしがなけなしの理性を総動員して抗議しているのに、サーニャの耳には届かないらしい。
これだからよっぱらいはイヤなんだ。
「サーニャ、まって、ダメだってい――――」
「わたし、えいらのことがすき。えいらは、わたしのこと……きらい?」
「そんなこと、あるわけないにきまってるダロ!」
とっさに言い返していた。
考えるまでもない。
わたしはサーニャのことが好きだから。
きらいになるなんてありえないから、すぐ言葉に出せる。
「わたしは、サーニャのこと好きだヨ!」
自分の耳が熱くなっていくのがわかった。
面とむかってこんなこというのはさすがに恥ずかしい。
目のまえのほっぺたの赤い、いつもと雰囲気のちがうサーニャはうれしそうにほほえんだ。
「うれしい……。わたしも、えいらのことすきだから……」
ボタンをはずす手がとまらない。
上着も白シャツもすでにはだけて、両手のひじにぶらさがっていた。
その無防備なだけでなく、どこか背徳的な姿に色っぽさを感じてしまって、わたしは自分を責めた。
サーニャをそんな目で見てはいけない、そんなことを考えてはいけない、
穢してはならないのだ。
「えいら、もっとわたしを、みてほしいの……」
月の光がサーニャの笑顔を極上の笑みに変えた。
ヴィーナスだかアフロディーテだか忘れたけれど、美の女神もいまのサーニャのまえでは裸足で逃げ出すにちがいない。
でも、ダメなのだ。
理由ははっきりとわからないけど、たぶんダメなのだ。
「サーニャ、ごめん。服を、着てほしいナ……」
「どうして……?」
「サーニャのこと、好きだから……」
好きだけど、好きだからこそ、軽はずみにそういうことはぜったいしちゃいけない。
気持ちが強ければ強いほど、あとになってぜったい後悔するから。
わたしは自分のなかでふつふつと煮立っていた正体のわからない気持ちを無理やり抑えこんだ。
サーニャはふと寂しそうな顔をして、すぐに笑顔にもどり、酔いの抜けたいつもの口調でささやいた。
「エイラ、わすれないで。わたしはあなたのこと、すき、だから」
ちゅ、とわたしのおでこに簡単なキスをすると、細い腕がわたしの頭に巻きついた。
そのまま優しく抱き寄せられ、わたしは猛烈な眠気に襲われて目を閉じることにした。
ちからもなく、線も細くて頼りないはずなのになぜか遠い記憶にしずむ母のように優しくて。
わたしはただただやすらかな心地に包まれて、深い眠りに落ちていった。
目を覚ますと朝になっていた。
窓からうっすらとさしこむ朝日がまぶしい。
体を起こしてぼんやり横に目をやると、そこにはまた部屋をまちがえたらしいサーニャが静かな寝息を立てていた。
きのうの夜のできごとが思い返されて、わたしは首をかしげる。
あれは本当にサーニャだったのだろうか。
サーニャがあんなこと言うはずがないし、いくらいたずら二人組とはいえ無理やりお酒を飲ませたというのはさすがにやりすぎだし。
わたしはそっと、寝ているサーニャに気づかれないようにそっと、サーニャの髪の毛に顔を近づけた。
……アルコールのにおい、なし。
いつもとおなじサーニャのにおいだった。
宮藤が出てきたのはどう考えても夢だったけど、そのあとのアレはいったい……。
あんなサーニャは夢だったと思いたいけれど、決定的な証拠も記憶もないのでどうしようもできない。
わたしがうんうんうなっていると、
「エイラ……」
眠たそうな目をぱちぱちさせながら、サーニャがわたしの手に自分のそれを重ねてきた。
いつの間に目を覚ましたのだろう。
まさか、わたしがサーニャの髪のにおいを嗅いでいたときには、すでに……。
「おはようサーニャ。……て、いつから起きてたんダ?」
「いま、起きたよ。エイラが、なにか考えていたから」
「ああ、ごめん、起こしちまったかナ?」
「ううん、気にしないで」
わたしはとりあえず髪の毛くんくんがバレていないことにホッとしつつ、けれど重ねられたサーニャの手がやわらかくてそのことばかり気になっていた。
逃げたりはしないけど、自分から近づいてくることなんてめったにしないのに。
やっぱりこのサーニャは、きのうの夜の"あのサーニャ"とおなじなのだろうか。
そんなことはないと思いたい。
だけど夢なら夢でそんな夢を見てしまった自分が許せない。
でもいまはそんなことより重ねられた手がどうしようもなくあたたかくて、不思議と胸が高鳴っていくのをとめられなかった。
けっしていやらしく、汚らわしい気持ちなど抱いていないというのに、サーニャの手のぬくもりがわたしのこころを掻き乱していく。
好きだという気持ちに変わりはない。
守ってあげたい、優しくしてあげたい、いつか家族に会わせてあげたい。
一番の親友でありたいし、できればみんなともなかよくなってもらいたい。
サーニャに幸せでいてほしいと願う気持ちはなにひとつ変わらないのに、わたしのこころは嵐の海のように荒れていく。
友だちなら手をつなぐことくらい、なんてことないはずなのに。
重なりあった手を通して、このうるさい鼓動が伝わってしまうのではないかと心配になった。
「エイラ」
重ねられた手に少しだけちからが込められ、包みこむようににぎられた。
ただそれだけのことで、なぜだろう。
こころが凪いでいく。
水平線にむかって風が吹いていくように、こころの波が静まっていく。
横になったままのサーニャを見ると眠たそうな瞳でじっと見つめ返され、
「いっしょだよ」
含みのない、サーニャの本心だった。
それ以上の言葉はなかった。
サーニャにとって、その言葉が気持ちのすべてなのだろう。
ただ、いっしょにいたい。
とても簡単な、それだけのこと。
わたしは痛くならないようにサーニャの手をにぎりかえした。
「うん、いっしょだナ」
きのうのことが夢だったかどうかはわからない。
まずまちがいなく夢だったと思うし、万が一にそうじゃなかったとしてもどうでもいい。
サーニャが望むのなら、そしてそのときわたしの気持ちに整理がついているのなら、受け入れればいいだけのことなのだから。
いまはまだ、わからない。
わたしのなかで小さな芽を出しているこの気持ち。
こいつがどんな花を咲かせるのか、いったいなんていう名前の気持ちに成長するのか。
それがわかるのはたぶん、もうちょっとさきの話。
いまはただ、つないだ手から伝わるぬくもりだけで充分だった。
おしまい