薔薇
「・・・なぁ、ペリーヌ、どうしてさっきから怒っているんだ?」
「別に怒ってません・・・」
どう見たって怒ってるじゃないか・・・。
そんな事を思いながら、私は乾かし終わった髪をまとめた。
一緒に大浴場で風呂に浸かった時から、彼女はこんな調子だった。
彼女はよく感情を露にする。
宮藤やリーネなど他の隊員に彼女が噛み付く光景は日常茶飯事といっていい。
集団生活の観点から見れば、あまり褒められた事ではない。
だけど、私は知っている。
他人に噛み付くのは不器用な彼女なりの親愛を表す表現方法なのだという事を・・・。
彼女が本当は優しい人間だという事を・・・。
それに、自分の気持ちを偽らない、彼女の真っ直ぐなところが私は凄く好きだ。
あなたが好きです・・・、と真っ直ぐに気持ちを伝えてくれた彼女を、私も真っ直ぐ受け止めようと思ったから、私達は今のような関係になった。
しかし、こんな風に『怒り』をぶつけられたのは始めてのことだ。
一体、どうすればいいのか。皆目、検討もつかない・・・。
「何か言いたい事があるならハッキリと言ってくれ。私達は恋人同士じゃないか。もし、私がペリーヌの事を傷つけてしまったのなら、謝らせて欲しい・・・」
「ですから、何でもありませんと言っているじゃないですか!」
聞く耳持たずといった感じで彼女はぷいっとそっぽを向いた。
やれやれという言葉をぐいと呑み込んで、仕方なく通い慣れた彼女の部屋の中を見回す。
大きな天蓋付きのベッド。
煌びやかなカーテン。
装飾された家具の数々。
貴族の出身とだけ合って、部屋の内装もどこか気高く気品を感じる。
相変わらず、落ち着かない部屋だなと思って眺めていると、ひっそりと窓際に置かれていたモノに目が留まる。
いつの間に飾ったのだろうか。
そこに合ったのは、汚れの無い真っ白な白磁の花瓶とそこに活けられた一輪の真っ赤な薔薇だった。
「ほう、これは綺麗だな・・・」
ふと、子供の頃の事を思い出す。
母が華道を嗜んでいて、扶桑の実家では、居間や客間など家中に花が活けられていた。
私も母と一緒に活ける花を選定したり、父と一緒に花を愛でながら色んな話をしたものだ。
何だか懐かしくなって、可憐に咲き誇る薔薇に手を伸ばす。
鮮やかな花を視覚と感触で楽しんでいると、指先がチクリと痛んだ。
「むやみに触ると怪我をいたしますわよ。薔薇には棘があるんですから」
「あ、あぁ・・・」
私は慌てて手を引っ込める。
茎の部分を見ると、見るからに痛そうなするどい棘がこちらを睨んでいた。
「まったく・・・少佐は意外と鈍いんですのね。普段はウットリしてしまう程に凛々しくて勇ましいのに」
「ははは。面目ないな」
「ホントですわ・・・今日だって、私の気持ちも知らずに訓練のときに宮藤さんとあんなに仲良くして・・・」
「えっ?」
寂しそうな声の方に視線を向けると、彼女はぎゅっと唇を噛みながら俯いていた。
今にも泣き出しそうな彼女の雰囲気に頭が混乱しそうになる。
「ま、待ってくれ!あれは違う。ただ、宮藤の成長が嬉しかったから、ただ単に褒めただけで・・・」
今日は訓練で久々に宮藤と模擬戦を行った。
しっかりとストライカーを使いこなしている宮藤を見て、上官として嬉しかったから少し褒めてやっただけだ。
「訓練の時だけじゃありませんわ。夕食の時は二人で扶桑の食事のことばかり話して・・・少佐は私が会話に着いて行けなくて、一人ぼっちになっても全然、平気ですのね・・・」
「あれも、宮藤とちょっと話しただけじゃないか。別にペリーヌを無視していたわけじゃ・・・」
今日の夕食はパスタだった。
"トマトソースの絡まったパスタもいいですけど、うどんも美味しいですよね"。
なんて、宮藤が言うから、"いや、私は蕎麦の方が好きだな。薬味にネギと山葵と梅干を添えたざる蕎麦が特に美味いな"と返しただけだ。
それに食事中のマナーがどうこうといって、私と話さないのはペリーヌの方じゃないか。
思わず、そんな風に言い返しそうになったが、それも大人気ないなと思い、私はぐっと堪えた。
「えぇ、分かっていますわ。ですから、私は嫉妬もしていませんし、怒ってなんかいませんでしてよ・・・」
そう言いながら、彼女はぐっと拳を握った。
その小さくて細い指の先に、痛々しく沢山の絆創膏が貼られている事に私は始めて気が付いた。
「ペリーヌ、その指は?」
「っ?!
別に何でもありません・・・」
傷だらけの手先を彼女はさっと隠した。
「何でも無いということはないだろう。一体、どうして?」
そこでふと、さっきの彼女の言葉を思い出す。
むやみに触ると怪我をいたしますわよ。薔薇には棘があるんですから・・・。
「・・・もしかして、あの薔薇を活ける時にやったのか?」
「別に大した事ではありませんわ。少佐の喜ぶ顔が見たくて、私が勝手に怪我しただけですから・・・」
「しかし・・・」
私は彼女の傷ついた手をそっと包み込む。
「私のせいで痛い思いをさせてしまったな・・・」
「・・・少佐に喜んで貰いたくて・・・褒めてもらいたくて・・・初めて自分の手で花を飾りましたの」
指先が触れ合うとお互いを求めるように静かに絡み合った。
柄にも無く、恥ずかしいような嬉しいような気持ちになる。
「なのに、少佐は宮藤さんにばかり優しくして・・・酷いですわ」
「すまないな・・・寂しい思いをさせてしまって」
華奢な身体をぎゅっと抱き寄せると、白くて美しい肌が仄かに紅く染まった。
・・・そういえば、こんな話を聞いた事がある。
薔薇は寂しがり屋で恥ずかしがり屋な不器用な花だと。
誰かに愛して欲しいから綺麗な花を咲かす。
だけれど、じっと見られるのが・・・優しく触れられるのが恥ずかしいから、鋭い棘を持っている。
愛されれば愛されるほど、相手を傷つけてしまう、悲しいまでに不器用な花。
そんな不器用な美しさが堪らないほどに愛しい・・・。
「少佐・・・」
「こんな時ぐらいは名前で呼んで欲しいな・・・ん、うぅ、ん・・・」
どちらからとも無く、口付けを交わして舌を絡めあう。
とろりとした唾液で喉を潤して、口唇を離すと、透明な糸が名残惜しそうに私達を繋いだ。
「寂しい思いをさせた代わりに、今夜は一杯、可愛がってやろう・・・」
「美緒さん・・・」
とさりと、柔らかいベッドに彼女の身体を横たえる。
首筋に顔を埋めると、ほんのりと薔薇の香りがした。
甘く官能的な匂いに包まれながら、私は紅く染まった彼女の身体に愛を刻んでいった・・・。