すべてを捧げて


 ネウロイの放った閃光がMG42を両断し、弾装内の弾が誘爆する。
 破壊されたMG42本体の破片が胸部に突き刺さり、鋭い痛みと猛烈な虚脱感で意識が飛んでいく。

 ブリタニアへ向けて走る車内の中でゲルトルート・バルクホルンは目を覚ます。
 数日前に死にかけた事実が、額に汗を浮かばせる。

 クリスの居る病院にたどり着いたゲルトルートは、医師に経過を聞き、さっそく病室へ向う。依然意識不明の状態は続いているが、是非話しかけてあげてほしいというのが担当医の言葉だった。
 彼女の給料のほとんどを当て込んでいたためか、病室は広かった。
静謐な空気の中に消毒液の匂いが漂う。
突き当たりの窓のそばに置かれたベッドには、クリスが横たわっていた。
 ゲルトルートはかたくなっていた表情を努めるように緩ませて、クリスの手を静かに握る。
 クリスは自発呼吸こそ行っているものの、そのまぶたは固く閉じられている。
 体は幾分か細り、魔力なしのゲルトルートでもやすやすと持ち上げられそうな程だが、看護士がよく世話をしてくれているおかげか、髪や爪は綺麗に手入れされており、今にも目を開けだしそうな雰囲気だった。
「長らく来られなくて、すまなかった……」
 ゲルトルートはクリスの前髪をそっと撫でる。体は細っていても、指先に触れるその肌からは確かな体温が感じられた。すぅすぅと安らかな寝息が病室に響く。しばらく、その寝息に耳を傾けつつ、つぶやいた。「外へ、行こう」

 ゲルトルートはクリスを車椅子に乗せると、病院の敷地内に設えられた庭園を進んでいき、ベンチを見つけると、端にクリスの車椅子をつけて、隣に座り、手を握る。
何から話せばいいのか。
戦いに関する事以外で、何か話しをすると言うことに対する己の不得手さを呪いつつ、何とか話題を探し出して話し出す。
 基地内での隊員達との日常話から始まって、坂本少佐からの受け売りの扶桑の話、最近入った芳佳のこと、ハルトマンやミーナの近況。
 軍事に関連しないものでの持てる限りの話題を搾り出して話しつくす。
 少しでも、クリスに届くように。
 
 ゲルトルートは病室にクリスを戻すと、電話を借りに行く。
ミーナからは数日の休日を薦められていたが、ネウロイ襲来の予測が続けざまに外れていることもあり、歯がゆくはあるが、一刻も早く基地へ戻りたいという気持ちも止まらない。
「ミーナか? ああ、今は病院にいる。いや、目覚めてはいない……。予定通り、明日には基地に戻れるように帰るから、明後日のシフトに加えてくれ。忙しいところ、すまなかった。じゃあ」
 ゲルトルートは、なかば一方的に、事務的な報告だけをして、すばやく受話器を置くと、踵を返して、クリスの病室へ戻っていった。
重い足音が廊下に響く。

 ミーナは、持っていた受話器を静かに下ろし、寂しげな表情で窓の向こうのブリタニアの大地に視線を向ける。

 その日の夜、ゲルトルートは一睡もせず、ただ、クリスのそばに居た。
 月明かりが照らすクリスの寝顔を眺めながら、彼女の手を静かに握り続ける。
 時たま、クリスの指がかすかに動くことに、小さな希望を感じながら。

 翌日の夜、ゲルトルートは、基地に帰還した。
 すでに9時を回っており、ほとんどの隊員は自室にこもったのか、基地内は静まり返っている。
 そのまま、自室へ戻り、上着を脱ぎ捨て、明かりは点けず、ベッドに寝転ぶが、睡魔は近寄る気配も見せない。
 腰にぶつかるワルサーPPKを抜いて、枕元で分解を始める。
 軍に入り、初めて銃を持たされ、飽きるほど繰り返した行為。
 分解。
 組み立て。
 分解。
 組み立て……。

 幾度か繰り返した後、部屋のドアがノックされる。
 ゲルトルートは手を止め、ノックの主を察知したかのように、ベッドから起き上がり、少し、身を固くする。
 しばらくして、ドアが静かに開き、廊下からの細長い光線がベッドに伸びてくる。
 ドアの向こうのミーナと、ゲルトルートの視線が交わると、ミーナは静かに微笑む。
「いたなら返事をしてほしいわ」
「すまない。少しぼぅっとしていた」
 ミーナは、ゲルトルートの浮かない表情と手元の銃に気づくと、笑顔が消え、そのまま体を部屋に滑り込ませ、後ろ手にドアを閉める。
 部屋が闇に戻る。
「明かり、つけないの?」少し作ったような高い声が響く。
「ああ。もう眠るつもりだったから。明日のシフトには加えてくれているか?」
「……ええ」
 闇に目が慣れると、ミーナはベッドに座るゲルトルートに歩み寄る。
「病院で、なにかあったの?」
「いや。電話で話したとおりさ。何も問題はない」
「そう……」 
 ミーナは、ゲルトルートの右側に座り、銃を持った彼女の手に自分の手を重ねる。ゲルトルートはその行動の意味に気づいたように、ふっと笑う。
「私が自分を撃つとでも思ったか?」
 ミーナは、答えない。
「安心しろ。そこまで馬鹿じゃない。クリスはきっとよくなるさ、そう言ってくれただろ?」
 ゲルトルートはミーナを見つめながら、顔を近づける。
 吐息がかかる距離。
 ミーナは軽くつばを飲む。
「ええ」
「私たちは、"家族"だとも」
「ええ」

 ゲルトルートは、ミーナの手から自分の手を外すと、静かに立ち上がり、ミーナを上から見下ろす。
「それならば、私の願いを聞いてくれ」
 ミーナは、じっとゲルトルートを見据える。
「私が死んだときは、クリスを頼む」
 ミーナは、顔を伏せ、黙りこくってしまう。ゲルトルートは、言葉を接ぐ。
「誤解はしないでくれ。死に急ぐ気はさらさらないさ。ただ……、どうしても、万が一ということもあるからな。
この間の戦闘だって、宮藤がいなければ、私はここにはいなかった。それに、あと数年もすれば、魔力も衰え…」
 ミーナは、立ち上がり、語気強く言った。「私が先に死んだら?」
 ゲルトルートは目を見張り、そして、ミーナに満面の笑みを向ける。
「それはないさ。命に代えても守るから……。絶対に死なせない」
 ミーナは、涙を必死に抑え、つられたように笑顔を見せ、ゲルトルートを抱きしめる。
 ゲルトルートも、ミーナの腰に手を回し、抱きとめる。
 ミーナがゲルトルートの肩もとでつぶやく。
「なぜ、急にこんな話を?」
「久々に、休暇をもらって、クリスと会って……、色々考えてしまってな。嫌な気持ちにさせて、悪かった」
 ゲルトルートは、体を離すと、ミーナの肩に手を置いて、じっと見つめる。
「だが、私は軍人だ。それに、最前線で戦っている以上、どうしても不安は残る。
 だから、話しておきたかったんだ。現に、死にかけたしな…」
 と、言いながら、体を前傾し、ミーナの胸に顔を沈める。
「すまない。昨夜は一睡もしていなかったから…」
 ゲルトルートはそのままミーナに体を預け、目をつぶる。

 ミーナは、ベッドに横たえたゲルトルートの手を握り、彼女の寝顔を見つめる。

 ――クリスが知っている姉はあの日死んだ

 数日前のゲルトルートの言葉が頭を掠める。
 「トゥルーデ、あなたは今でも昔のままよ。誰よりも強く、優しい。そして、私の大切な人……」
 ミーナは、母が子にするように、そっと前髪の上からゲルトルートの額に口付けると、静かに部屋を後にした。


 シャーリーが音速超えを果たし、あられもない姿で、二人の軍曹に抱えられて基地に帰還する。
 大騒ぎしながら、基地に戻っていく隊員達を見送り、一人になると、ミーナはため息をつく。
 「どう報告書をまとめようかしら……」
 無論、虚偽報告などはしようとは毛頭考えていないが、下手な報告をするとマロニー大将の格好の餌になりかねない。
 隊員達を理不尽な糾弾から避け、守るという事も、隊長としてのミーナの役目のひとつでもあるし、ミーナ個人としての大義でもあるのだ。

 ミーナは、滑走路をぺたぺたと歩きながら、頭の中で報告書をまとめ始める。
 さきほどの騒動などなにもなかったかのように、波が静かに揺れ、音を立てている。
 空が茜色に染まる時間が近づく。
 ふいに色々思い出し、表情に、哀愁が混ざる。

「ミーナ」
 呼ばれた声に振り返ると、水着姿のゲルトルートが片方の手を腰に当てて、きりりとした表情で立っていた。
 ミーナの表情に、やわらかさが戻る。
 ゲルトルートは、特に表情を変えず、ミーナの横に並ぶ。
「考え事か?」
「いえ、少し昔を思い出していたの……」
「……そうか」
 ゲルトルートは、何か察したように、話題を変える。
「泳ぐか?」
 潮風が二人の髪を揺らす。
「え?」
「今日、泳いでなかったろ。宮藤たちにつきっきりで」
「でも…」
「今日に限らず、最近デスクワークばかりだ。たまには体を動かせ、なまるぞ」
「あ、ちょっと?!」
 ゲルトルートはミーナの手を握ると、ずんずんと砂浜に向って歩き出していった。
 ミーナはつんのめりながらも、ゲルトルートのぶきっちょな気遣いのようなものに目を細める。

 砂浜に着いた二人は軽く準備運動を始める。
「さ、泳ぐか。とりあえず、あのブイ(灯浮標)まで競争だ」
 と、ゲルトルートは距離にして1kmほど遠くにあるブイを指差す。
「ええ、いいわ」
 ミーナは臆するでもなく、着ていたオリーブ色のパーカーを脱ぎ捨て、普段は重苦しい軍服に覆われている、一部豊満でありながらも、均整の取れた体をあらわにする。
 ゲルトルートはその迫力に圧されてか思わずつぶやく。
「ミーナ、その水着、少し大胆過ぎやしないか?」
「でも、他の子たちも結構着ていたわよ、ビキニ」
「む。そういえば、そうか……」
「あなたはスタイルいいんだから、きっと似合うわよ」
「ビ、ビキニなんて、戦いに関係ない。私は機能性重視だ!」
 ゲルトルートは少しだけ顔を赤らめて海へ向う。ミーナはその背中を見つめながらくすりと笑い、後についていく。

 腰まで海につかる二人。
「何を賭けましょうか?」
「……なんだって?」
「あら、勝負をするからには何かを賭けなきゃつまらないでしょ」
 ミーナはいたずらぽく言いながら、ゲルトルートへ視線を向ける。ゲルトルートはしばし眉間にしわを寄せ、考えるも、根をあげた様に言葉を返す。
「ええい、面倒だ。もし、ミーナが勝ったなら何でも言うことを聞く。私が勝ったら…」
「勝ったら?」
「……勝ってから考える。別に、私はなにか欲しくて競争するわけじゃないからな」
 ゲルトルートはミーナの視線から逃れるように顔を背け、目標のブイを見据える。
「いつもこうだ…」気がつけばミーナのペースにはまっている。ゲルトルートはその事実に思わず唇を噛む。
「何か言った?」
「いや、なんでもない。いくぞ!」
 二人は海に飛び込む。
 規則正しい息継ぎ。
 無駄のないフォーム。
 カールスラントの誇る、二人の魔女は、ただ、目標に向かい、泳ぎ続ける。
 ゲルトルートは最初こそミーナをリードしていたものの、徐々にスピードが落ち始める。
 ミーナはそれを見逃さんといわないばかりにスパートをかけ、距離を詰めたかと思うと、一気にゲルトルートを抜き去り、ブイにたどり着く。

「さすがだな、中佐」
 ゲルトルートは肩で息をしながら、ブイにつかまる。
 ミーナも少し早く呼吸しながら、「でも、この勝利、少し納得しがたいわね」
「なぜだ?」
「だって、あなたは昼間も相当泳いでいたから」
「あ、あれぐらい、私にとっては大した消耗には…」
 言いかけたゲルトルートのお腹からキュルルという音が鳴り、彼女の顔が一瞬で朱に染まる。
 エースの動揺ぷりに吹き出すミーナ。
「と、とにかく、勝ったのは君だ! 約束どおり、何でも言うことを聞くぞ」
 ゲルトルートは照れ隠しをするように声を張り上げる。
 ミーナは濡れた髪を耳にかけながら、少し考え込み、ゲルトルートを見つめる。
 ゲルトルートもミーナを見つめ返す。ミーナの顔つきは真剣そのものだった。
 ミーナは脳裏に浮かんだ言葉を言いかけ、飲み込み、言い直す。
「……今度、一緒に買い物に付き合ってもらおうかしら」
 にっこりと笑うミーナ。さきほどまでの真剣な表情とは裏腹な、隊長ではなく、ただの一人の少女らしい願い事だったので、ゲルトルートは拍子抜けしつつも、ほっとするが、何か言いかけた様なミーナに引っかかりを覚える。
 
 二人が海から基地の滑走路に戻る頃には、空は暁色に染まっていた。
 ミーナの後に続いて歩いていたゲルトルートが立ち止まる。
「ミーナ。本当に、一緒に買い物するという事でいいのか?」
「ええ。どうして?」
「いや、何か言いかけたように思えたから……。私に気を遣って、難易度が低い事柄にしたのか?」
 ゲルトルートは、自分の言葉にはっとして、うつむく。
「すまない。自惚れが過ぎたな。忘れてくれ」
 ミーナを横切り、足早に基地へ戻っていくゲルトルート。
 
 ミーナは、ゲルトルートを追うこともできず、ただ後姿を見送り、着ていたパーカーの胸元をぎゅっと握り締めた。
「これ以上、あなたへの想いを大きくさせないで――なんて無理な願いだもの」
 
 潮風が強く吹き込んで、ミーナの背中を冷やす。


 ウィッチーズたちが戦いの末、パ・ド・カレーにたどり着き、ミーナが、過去からの贈り物を受け入れた日――

 ゲルトルートは、ミーナの部屋をノックする。
 開くドアの向こうの軍服姿のミーナを確認し、驚きの表情を向ける。
「まだ着替えていなかったのか?」
「ええ。ごめんなさい……」
 ミーナはゲルトルートを招き入れるように、部屋の奥へ行く。
「美緒たちは?」
「さっきハンガーに向った。あと十分ぐらいで赤城に向け飛び立つはずだ。頼まれていた機材の準備ももう済んでいる」
「そう……」
 ミーナは窓の向こうを眺めながら、ぽんやりと答える。
 ゲルトルートは、ベッドに置かれた赤いドレスと手紙を見つめる。
手紙の封筒は、少し濡れたのか、皺が寄っている。
 しばし、ミーナとドレスへ視線を配ることを繰り返し、つぶやく。
「……つらいようなら、取りやめるか?」
「いいえ、大丈夫よ」
 ミーナは振り返ると、首もとのリボンを解き、軍服のボタンを外し、脱ぎ捨て、シャツのボタンも外していく。
 ゲルトルートはあわててミーナに背を向ける。
 シルクのドレスが肌にこすれる音。
「トゥルーデ」
 呼ばれたゲルトルートは静かにミーナのほうへ振り向く。ミーナは背を向ける形になりながらも、顔をゲルトルートへ向けている。
「結ってもらえるかしら?」
 ミーナはドレスの後ろにあるリボンに手をこまねいている。
 ゲルトルートはうなづき、リボンを握る。
 ミーナの白い背中がゲルトルートの視界に広がり、手元を狂わせる。
「……ねえ、トゥルーデ」
「なんだ?」ゲルトルートは手を止める。
「自分の心を思いのままに縛れたら――想いをコントロールできたら、強くなれるのかしら?」
「どうしたんだ、急に」
 ミーナは口をつぐむ。ゲルトルートは無表情に、考えをめぐらせる。
「……私は、心を自由に縛れても強くはなれないと思う。
 迷いはなくなるかもしれないがな。だが、それは……戦場においては無軌道の発端になって、自分をみすみす死に追いかねない。
 おまえがもっとも嫌うことだろ?」
 ミーナの体がぴくりと動く。
「大切な――大切な人を失うのは確かに怖い。
 でも、失うことを恐れて想いを封じたって、なんにもならないさ。
 私たち魔女(ウィッチ)は、"想い"も力のうちなんだからな。だからこそ……、絶対に失いたくないからこそ、努力する。それだけだ」
 ゲルトルートは、言い終わると、リボンを結ぶ。
「きつくないか?」
「ええ、ちょうどいいわ。ありがとう」
 ミーナは、悲しみと迷いで張り裂けそうになっている表情を努めるように緩めて、ドレスを翻し、振り返る。
 ゲルトルートは、じっとミーナを見つめ返し、意を決したようにそっと頬に触れる。
「……私は、幸いにして、まだ大切な人を失っていない。失いかけもしたし、落ち込んだが、ミーナがいてくれた。だから、これからは私も支えられるよう、努力したいんだ」
 ミーナの頬が微かに熱くなるが、不安ごとを思い出したかのように、また少し表情が固くなる。
 ゲルトルートの手が静かに離れる。
「そのドレス、とても似合っていると思う。君の事をよく知っている証拠だな。少し、悔しいぐらいだ…」
 ミーナは目を見張る。ゲルトルートも自分自身の言葉に驚いたような顔つきになって、急いでドアのほうに向かう。
「先に行ってる…」
 私は、何を言っているんだ。ゲルトルートは廊下を歩きながら、自分自身の言葉にただ戸惑う。
 ミーナは、ゲルトルートの言葉を反芻し、胸が高鳴るが、まるで押さえ込むかのように、かたく目を瞑る。

 黄昏に染まる基地。
 基地、そして、戦艦に響くミーナの歌声。
 ゲルトルートは、カメラを操り、ミーナを撮影する。
 
 その日の夜、ゲルトルートは、一人暗室にこもり、夕方の写真を現像していた。
 正装したミーナを囲む隊員たちの写真を除いてはほとんどがミーナを撮影したものである。
 乾燥のため、吊るした写真を眺め、自問自答する。

 私にとって、ミーナは何だ?
 隊長で、友人で、守るべき人。
 でも、同じ守るべき人――クリスや他の隊員たちとは何か違う。
 それに、なぜ、夕方、私は嫉妬めいた言葉を吐いたのだろう。
 なぜ? いや、もうとっくに気づいているはずだ。そうだろう?

 ゲルトルートは吊るしていた写真の一枚を手に取る。
 映っているのは赤毛の、赤いドレスに実を包む少女。
「ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ……。私は君が…」

「あの人を失ったとき、本当につらかったわ。こんな思いをするなら、好きになんてならなければよかったってね。でも、そうじゃなかった。でも失うのは今でも恐ろしいの。それなら、失わない努力をすべきなの」
 ミーナの部屋では、少佐が冷たく光る銃口を、そして、その先のミーナを見つめていた。
「約束して、もうストライカーははかないって」
「それは、命令か?」
 悲痛の面持ちのミーナに、少佐は微笑する。
「そんな格好で命令されても、説得力が無いな」
「私は本気よ。今度戦いに出たら、きっと、あなたは帰ってこない」
「だったらいっそ自分の手で――というわけか? 矛盾だらけだな、お前らしくも無い」

 ――君がもっとも嫌うことだろ?

 唐突に、ゲルトルートの言葉がよぎる。
「違う、違うわ!」
「私は、まだ飛ばねばならないんだ」
 少佐は、状況の異常さとはそぐわない冷静さで言い放つと、すたすたとミーナの部屋から出て行こうとする。
 ミーナは、震えながら、彼女の背中へ銃口を向ける。

 ――絶対に失いたくないからこそ、努力する。それだけだ

 少佐は、部屋を出て行く。
 ミーナは銃を下ろし、大きく息を吐く。
 
 ――これからは私も支えられるよう、努力したいんだ

「今は……今は駄目。私は、あなたを受け止めることが…」

 ミーナの赤いドレスに涙が落ち、血痕のようなしみを作り、広がる。
 だだ広い個室にすすり泣きがこだまする。

 暗室から出たゲルトルートはあくびをこらえ、自室へ足を向けたところ、ミーナの部屋から出てくる坂本少佐を見つけるが、眠気が勝ったので、特に意に介すでもなく、部屋に入るとそのままベッドに倒れこんだ。

「これが、恋か……」

 ゲルトルートは枕に顔を埋め、自分の気持ちを、改めて彫り出すかのようにつぶやいた。


 クリスが目覚めたという。
 日が昇りきらないうちに、届いた連絡に、ゲルトルートは飛び起きて、思わずストライカーを履いて飛び出そうとして、基地でひと騒動を起こす。
 ゲルトルートは、隊員たちに諌められながら、珍しく早起きしていたエーリカに車に押し込められ、ロンドンへ向った。
 はやる気持ちが、ゲルトルートの胸を打つ。
 
 病院に着いたゲルトルートは、目覚めたクリスを強く抱きしめ、再会を噛み締める。
 エーリカに茶々を入れられながら。

 エーリカが所用のため病室を空けた時、クリスが話題を変えた。
「そういえば、ハルトマンさんのほかにも親友がいなかったっけ?」
「ああ、ミーナか。あいつは隊長だから、忙しくてな」
「そっかあ。早く会ってみたいな。なんか、眠っていたときに"ミーナ"ってたくさん聞いた気がする」
 にひひと言わんばかりの無邪気な笑顔を見せるクリスに、ゲルトルートは頬を緩めるが、心の中は引き締まっていた。
 今度こそ、守る――

 目覚めたクリスとの別れを惜しみつつ、ゲルトルートはロンドンから基地へ戻っていた。
 隣でハンドルを操るエーリカが、ゲルトルートの手元の手紙をちらりと見る。
 駐車中に差し込まれたと思われる、ミーナ宛の手紙、というよりは脅迫文。
「中佐、うちらに内緒でなにしてるんだろうね」
「……そうだな」
 ゲルトルートは少し落胆したようにつぶやく。

 基地に戻ったゲルトルートとエーリカはさっそくミーナが待つ部屋に向かう。
 ミーナの隣には少佐が立っていた。
 手紙を突きつけると、ミーナはまるで聞こえていないかのような面持ちを見せる。
 少佐が、脅迫文が空軍大将マロニーの差し金であろう事を話す。
 ミーナと少佐がネウロイの"核心"に迫ったためだ。
 
 ひとまず、事情を聞いたゲルトルートとエーリカは部屋を後にし、廊下を歩いていた。
「マロニーの奴、前から思ってたけどそうとうウチらの事毛嫌いしてるんだね、やっぱ」
 ゲルトルートは押し黙ったまま、ずんずんと進んだかと思うと、立ち止まり、もう一度ミーナの部屋に向かう。
「ははは、あれは相当ご機嫌斜めだね」
 エーリカは頭をかきながら、苦笑いをした。

「ミーナ、入るぞ」
 ゲルトルートは言葉と同時に入室する。
 少佐はすでに退室したようで、ミーナは手にしていた脅迫文から顔を上げる。
 どことなく、力ない笑顔を向けるミーナ。
「どうしたの、トゥルーデ?」
「他に隠し事は?」
 ミーナは顔を伏せてしまう。
ゲルトルートは、机に乗り出さんばかりの勢いでにじり寄る。
「私の目を見ろ、ミーナ!」
 ミーナは静かに顔を上げる。わずかに瞳が潤んでいる。
 ゲルトルートはその瞳に我に返り、ひと呼吸し、乗り出していた体を起こす。
「私は、守りたいんだ。家族を、仲間を、君を…」
「……私もよ」
 ゲルトルートもミーナも、お互いの、悲哀を含んだ表情を見つめあう。
 サイレン。
 ネウロイの襲撃だ。
 ゲルトルートはハンガーへと向かいながら、叫ぶ。
「ミーナ、少佐を呼んできてくれ!」
 ミーナは立ち止まってしまうが、ゲルトルートは、その様子に気づかずに走り去っていく。
 
 管制室。
 ミーナは少佐を引き止めていた。
「やっぱり飛ぶのね……。見たのよ、この前の戦いのとき。あなたのシールドは機能していなかった」
「自分でも気づいている。私ももう二十歳だ。魔法力のピークはとっくに過ぎた。日ごろの訓練もウィッチの宿命からは逃れられなかったようだ」
「だったらなぜ?」
「私の戦士としての寿命は限界を迎えている。だが、それでも私は飛ばなくてはならないんだ」
「宮藤さんのこと? でもあの子だって、じき一人前になるわ。あなたはもう十分…」
「私はあいつがもっと、もっと高く飛べると信じている。そしていつかみんなの後ろではなく、みんなの前を飛ぶあいつの姿を見てみたいんだ」
 少佐は顔を上げ、すがすがしさすら覚える笑顔をミーナに向ける。
「心配するな。それを見届けるまで、私は――」
「美緒……」
 エレベーターのドアが閉まり、少佐は去っていく。
 ミーナは、少佐を止めたい気持ちと、少佐の意思を尊重したい気持ちが競り合うばかりで、追うこともできず、立ちすくむ。

 ハンガーに遅れてやってきた少佐が隊員たちを先導する。
「すまない。遅くなった。行くぞ!」
 ゲルトルートは、幾分か冷静さを取り戻し、ひとまずは、目の前の任務に集中する。
 皆を守るために。

 途中、ペリーヌと合流する。
 芳佳が独断専行しているらしいが、状況はつかめない。
 どいつもこいつも……。
 ゲルトルートは心の中で目いっぱい悪態をつく。

 少佐が魔眼で芳佳を発見したのか、スピードを上げる。
 ゲルトルートたちもそれに合わせる。
 ようやく少佐以外の一行も芳佳が視認できる距離に近づくと、少佐はネウロイに向け発砲を開始していた。
 が、人の形をしたネウロイが放った一閃にシールドを貫かれ、破壊された自らの武器に傷を負わされた少佐は堕ちていく。
 インカムなしでも届きそうなほど、空に響く少佐の悲鳴。
 芳佳とペリーヌが受け止めるために飛び出す。
 
 ゲルトルートは恐れていた出来事が目の前で現実になってしまい、この一瞬の出来事に唖然とする。
「シールドは張ったのに……。まさか?!」
《……バルクホルン大尉、ネウロイを追いなさい》
「しかし、少佐が…」
《追って、命令よ!》
「わかった…」
 冷静さを欠いた、インカムの向こうのミーナの声に、ゲルトルートは従う。
「ハルトマン、追うぞ」
「了解」

 その後、ゲルトルートとエーリカの二人はネウロイを追ったが、数秒の遅れがあったためか、ネウロイはすでに姿を消していた。
 眼下には、少佐を治癒する芳佳と、そのそばで崩れるペリーヌがいた。
「トゥルーデ、ひとまず帰ったほうが…」
「そうだな……」
 ゲルトルートは、奥歯を噛み締め、叫ぶ。「全機、帰投するぞ!」
 ミーナからの返答は無い。承認ということか、それとも――
 
 基地の管制室ではミーナが泣き崩れていた。
 背後にいるエイラとサーニャは、何もできずに顔を見合わせ、エイラが口を開く。
「あの、うちら着替えて、待機しています……」
 ミーナは、我に返ったように、必死で涙をこらえ、背を向けたままではあるが、なんとか返事をする。
「……ええ、そうしてちょうだい」
 エイラとサーニャを乗せたエレベーターは降りていく。
 ミーナは隊員たちの前で取り乱したことや、不可抗力とはいえ、ゲルトルートに怒声交じりの命令を与えたことを恥じる。
 静まり返った部屋で、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭い、落ち着きを取り戻し、表情を引き締め、顔を上げた。
 
「私は、もう後悔はしたくない……」


 全機が基地に戻り、ストレッチャーに載せられた少佐に、引き続き、芳佳が治癒魔法をかけていた。
 ゲルトルートは見守る以外はできないでいる。
 ただ、今は、彼女を信じて、すべてを預けるしかできない。
 後悔はさせたくない。
 芳佳が徐々に力を使い果たし、ゲルトルートに倒れこむ。
 ゲルトルートはとっさに受け止めるが、芳佳は取り乱し始める。
「落ち着きなさい、宮藤さん」現れたミーナが一喝する。
「ミーナ…」

 駆け込む医師たちが少佐を運び、芳佳はそのまま気絶する。
「リーネさん、宮藤さんを部屋に」
「は、はい!」
 ゲルトルートはミーナを見つめる。
 ミーナが気づいたように視線を向ける。
 ゲルトルートには、その視線には悲しみと怒りが入り混じっているように思えた。
 何か、ミーナに対する言葉を探すが、見つからない。それにこの状況では、どんな言葉も見え透いたものにしかなりえない気がして、彼女は、その場を去った。
 ミーナは、ゲルトルートが通り過ぎると、しゅんとした顔をし、表情を引き締め、意気消沈したペリーヌを椅子に座らせる。
「……今は、待ちましょう」

 徐々に日が落ち、夕方となっていた。
 少佐は依然目覚めず、ミーナは、ペリーヌにその場を預け、病室を後にし、自室へ向った。
 廊下を歩き、顔を上げ、目を見張る。
 部屋の前には、ゲルトルートとエーリカが立っていた。ゲルトルートが前へ出る。
「話がある」
「……入って」
 ミーナは、疲れ切ったかのように、椅子に腰掛け、ひじを突く。
 話題は芳佳の今後のことであったが、視線を彼女たちに合わせようとはしない。
 ゲルトルートは、苛立ちを覚えながらも、エーリカの軽口にツッコミを入れつつ、話を進める。
 しかしながら、ミーナは立ち上がると、
「判断は、坂本少佐が目覚めてからにします」
「はーい」
「……甘いぞ、ミーナ」
 ゲルトルートは部下を守りたいというミーナの気持ちを汲みつつも、軍人としての自分の意見も敢えて伝えた。
 ミーナはゲルトルートの視線から逃れるように瞳を伏せる。

 その日の夜。
 少佐は芳佳の魔法のおかげで峠を越え、目を覚ます。
 ミーナは、少佐に寄り添う芳佳を安堵の表情で見守りながら、少佐へ視線を移す。
「美緒……」
 少佐は、目を覚まし、両目でしっかりとミーナを見据える。
 そのまっすぐな瞳に、ミーナは少佐の意思を感じ取った。
 その意思を、決意を、咎める気はすでに失せている。
 後悔はさせたくないから。
「それでも飛ぶのね……」
 
 病室を出たミーナは、意を決したかのような面持ちで、ゲルトルートの部屋に向かう。

 ゲルトルートの部屋のドアがノックされる。
 軍服を脱ぎ、シャツのボタンを外そうとしていた手を止め、ドアを小さく開ける。
「……入ってもいいかしら?」
「ああ……」
 ゲルトルートは、外していたシャツのボタンをまた閉めながら、ミーナを迎え入れ、ベッドに腰掛ける。
「少佐は?」
「ええ、あの様子なら、数日で回復は出来ると思うわ。ウィッチの回復力であればね」
「そうか」
 ゲルトルートはほっとしたように、両手をついて、天井を仰ぎ、体を起こすと、上目遣いにミーナを見る。
 ミーナは、凛々しい顔つきでゲルトルートを見つめている。
 ゲルトルートは、ミーナに言おうと溜め込んでいた――主に非難を含んだ――言葉を選んでいたが、それらをすべて押し込めた。
 自分が何かを叱責をする必要はもう無い。
 すべて、ミーナの表情が物語っている。

 ――甘いぞ、ミーナ
 
 昼間の自分の言葉をそのまま己に返すべきだと、自嘲しながら、ゲルトルートは立ち上がる。
 不意に鼓動が高鳴る。
「吹っ切れたか?」
 ミーナは、ひと呼吸おいて、静かにうなづく。
「そうか。それならいい。ただ、今後、できる限り隠し事はしないでほしいところだな」
「……ごめんなさい」
「私も、隠し事はしないでいくつもりだ。後悔はしたくないからな…」
 ゲルトルートは秘めた想いを伝えようとするが、勇気が出せずにいた。
 タイミングを失い、ミーナが話し出す。
「ええ。私もよ。もう、後悔はしたくない。失う恐怖におびえて、背をそむけたたくない。
 だから言うわ。私は……、あなたが好き」
 ゲルトルートの言葉が止まる。
 思いがけない言葉。
 心の奥底では強く望んでいたかもしれない言葉。
 それが、今、ミーナ本人の口から。
 ゲルトルートの頬が一気に熱くなり、その熱が、頭部全体を覆った。
 口を動かすが、水面で口をばたつかせる魚のような有様になってしまう。
 ゲルトルートは静かに手を上げ、ミーナの頬に触れる。指先に赤い、柔らかな毛が絡む。
「ひ、ひとつだけ確認するが……その好きは、その……」
 ミーナは、頬に触れていたゲルトルートの手を取ると、そっと手のひらに口づけ、彼女に静かに抱きつく。
 ゲルトルートは目頭を熱くするが、ぐっとこらえ、ミーナを抱き返す。
 不意にミーナと初めて出会った頃の記憶が蘇る。

 とても軍人など似合いそうにない、いかにも良家のお嬢様という佇まいだった。
 それでいて、朗らかな少女。
 赤い瞳も髪の毛もゲルトルートにとっては妙に神秘的に思えて。
 たぶん、あの頃から――
「好きだったんだ…」
「……トゥルーデ?」ミーナが体を離し、ゲルトルートと顔を向き合わせる。
 ゲルトルートは真摯な瞳で見つめ返した。「ミーナ、私も好きだ」
 言い切ると、そのままベッドに腰を落としてしまう。
「トゥルーデ?!」
「情けない話だ。カールスラント軍人たるものが……嬉しすぎて、腰を…抜かすなんて…」
 ゲルトルートは声を震わせ、顔を伏せる。
 ミーナは、嬉しさを顔いっぱいに出して、ゲルトルートの隣に座ると、また抱きしめる。
 瞬間、たまっていた眠気が力を奪っていく。
「トゥルーデ、今夜は、このままここに眠らせてもらっていいかしら…」
「ああ」
 ミーナは、ゲルトルート同様、軍服を脱ぎ捨て、枕に頭を乗せる。ゲルトルートも明かりを消すと、ミーナと向かい合って、枕に頭を乗せ、ミーナの腰に手を回す。
 ミーナは、ゲルトルートの髪を結っているリボンを解きながら、ささやく。
「……そういえば、クリスのことを聞いていなかったわね」
「すぐ退院とは行かないが、本人もリハビリには積極的だし、いずれは元の生活に戻るはずさ」
「さすがトゥルーデの妹ね」
「そういえば、君にも会いたがっていたよ」
「私もよ。次は私も連れて行ってね」
「ああ、買い物にも行こう」
「覚えていてくれたのね」
「当たり前だろう…」
 二人は、目の前に控えている雑事をいったん忘れて、久々に、普通の話に花を咲かせる。
 
 翌朝、二人はまったく同じタイミングで目を覚ますと、顔を見合わせて笑った。
 先に起き上がったゲルトルートは髪を結い、軍服を着込み、リボンを締め、ブーツをはく。
 ミーナも、ベッドに腰掛けながら、シューズをはき、軍服を着ると、床に落ちたリボンに手を伸ばすが、ゲルトルートが先に拾い上げる。
「今日は、宮藤への処分を決めなければな……」
「ええ」
 昨夜とは一転して、二人は軍人然とした表情で語り合う。
 ゲルトルートが、ミーナの襟にリボンを通し、締める。
「行こう」
 手を伸ばし、ミーナを立ち上がらせる。
 二人は、手を取り合ったまま、微笑み合うと、一緒に部屋を後にした。


 ミーナから芳佳へ処分が下され、ほぼすべての隊員で風呂を一緒にした後、ゲルトルートは芳佳を彼女の部屋に入れる。
「あの、バルクホルンさん、さっきの話……」
「私の意見は変わらない」
 ゲルトルートは振り返り、勢い余って芳佳を睨み返す。
 芳佳は酷くおびえるでもなかったが、うつむいて、口を閉じる。
 ゲルトルートは胸にちくりと痛みを感じながらも、部屋を後にする。 
「いいな、宮藤軍曹。必要な時以外は外出禁止だ」
 廊下に、施錠の音が響く。

 並ぶ窓の向こうは、昼間だというのに、夜のように真っ暗な空が広がり、風に飛ばされた雨が窓一面を濡らしている。いつ落雷してもおかしくはない。

 ――今回のネウロイは、他と違います!
 ――お前は、違いが分かるほど戦ったのか?

 ゲルトルートは、ばつの悪そうな面持ちで、廊下を歩き、ミーナの執務室の前で立ち止まる。
 
 ミーナの笑顔が恋しい。
 だが、今は勤務中だ。
 いくら気持ちを通じ合わせたとはいえ、カールスラント軍人たるもの、むやみやたらに接触をするのは憚られるべきだ。
 だが――

 手元の鍵に目を移し、たんたんとブーツのつま先で廊下を足踏みし、意を決したように前進し、ノックをすると、中に入る。
 ミーナが書類から顔を上げて、微笑む。ゲルトルートも、一瞬だけ、微笑み返すと、すぐに表情を引き締め、机に歩み寄る。
「宮藤を部屋に入れてきた。鍵も…」
 ゲルトルートは鍵を差し出す。ミーナの反応が無いため、ふと顔を上げると、彼女は、恐ろしいほどにまっすぐに赤い瞳を向けている。
「隠し事は、極力はなしでしょう?」
 お見通しか。ゲルトルートはどことなくほっとしたような表情で息を吐くと、口を開いた。
「……宮藤が言っていたネウロイの話さ」
「ヒト型のこと?」
「ああ。宮藤は戦いを好まないから、ネウロイと話し合いができるのかと期待をしているのかもしれない。仮に、万が一でもそうだったとしても、あいつらはもう引き返すことができないぐらいの被害をもたらしている。宮藤は大切な仲間の一人だ。力になってやりたい。だが……」
 ミーナは、椅子から立ち上がると、話に熱中するゲルトルートを後ろから抱きしめる。
 窓を叩く雨粒の音が響く。
「トゥルーデ……、あせらないで。ネウロイについては、完全に分かっている人なんていないはずよ。上層部でさえね。だから今は、様子を伺って、判断をするしかないわ」
 ゲルトルートは、ミーナの体温を背に感じながら、向けられた言葉を噛み締めるように反芻させて、静かに振り返る。

「頭では、わかっているんだ……」
「そう。それなら…」
 ミーナは人差し指でゲルトルートの唇に触れる。
ゲルトルートはミーナの手を握り、指を外す。
「ミーナ、今は冗談を…」
「今、あなたの目に映っているのは誰?」
「……ミーナ」
「目を離さないで」
「しかし…」
「今は、私だけを見て」
 ゲルトルートは言葉を接ごうとしたが、近づいたミーナの顔に動きを奪われ、重なった唇の感触に、頭が真っ白になる。
一瞬だったのか、一分だったのか、一時間だったのか。
 時間の感覚を失う。
 気がついたときには、ミーナの顔が静かに離れていた。頬をわずかに赤らめながらも、ゲルトルートからの視線は離さない。
 ゲルトルートの中で、もやついていたものが、消散し始める。
「……わかった」
 と、言いながら、ゲルトルートはミーナを引き寄せ、抱きしめた。少し痛いぐらいに。だが、ミーナは拒まない。その痛みすら受け止めるように、ゲルトルートの背中にしがみつく。
 ゲルトルートは、わずかに手を緩めると、ミーナの髪に指を通し、顔を見合わせる。
「いつも先手を取られてばかりだ」
「あら。気に障ったかしら」
 ミーナがくすりと笑う。ゲルトルートは、ずいと顔を引き寄せ、つぶやく。
「取られたら取り返す、それだけだ」
 さきほどよりも、深く、互いの唇を沈ませて、二人は体を寄せる。
 ミーナは、机にかけ、ゲルトルートの首に手を回した。
 軍服がこすれる。
 窓に雨粒がぶつかる。
 しばらくして、二人は静かに顔を離す。
 ゲルトルートは照れを隠すかのように、ミーナの手を握り、机から下ろす。
「ぎょ、行儀が悪いぞ、ミーナ中佐」
「ご忠告感謝するわ、バルクホルン大尉」
 ミーナが上目遣いにゲルトルートを見つめ、にこりと微笑む。
 ゲルトルートも、顔を赤らめながらも、その微笑みに応えるように笑顔を返す。
 
 ゲルトルートは、執務室を出ると、ドアにもたれかかった。外は相変わらずの空模様。

 ミーナは、執務室の窓から外を眺める。雨は相変わらず降り続け、海は荒れている。

 これからは、雨の日が来るたびに――
「今日の事を思い出しそうだ…」
「今日の事を思いすのね」


坂本少佐の負傷、芳佳の脱走、マロニー大将によるウォーロックの投入、そして、ウォーロックを逆に取り込んで、さらには赤城までも取り込み、空を揺るがしたネウロイ。
 たった数日で様々な脅威に晒された501統合戦闘航空団ではあったが、彼女たち、11人のチームワークにより、ひとまずの危機は去り、そして、ネウロイの巣を消し去ったことにより、ガリアが解放された。
 
 その日の夜、マロニー大将一行が撤退し、501統合戦闘航空団の基地は平穏を取り戻していた。

ミーナは閑散とした司令室を見回し、一息吐くと、ハンガーに向かう。

 照明の落ちたハンガーに気配を感じ、目を凝らすと、少佐が膝をついて自身のストライカーを撫でていた。
どことなく、思い出に浸るように。
「ミーナか?」
「……ええ」
 ミーナは少佐の隣に歩み寄り、目線を合わせるようにしゃがみ、少佐と同じように、ストライカーを撫でる。
「長かったわね」
「ああ。欧州で戦い続けてきて、ようやく前進できた気がする。大きな前進だ……」
 少佐は、目をつむり、言葉を噛み締めるように言い切ると、立ち上がる。ミーナも続く。
「ミーナ、お前にはまだ時間が――力が残されている。お前は、進み続けてくれ」
 少佐は手を差し出す。
 二人が初めて出会った時の、清々しい笑顔を見せながら。
 ミーナは、少しばかり目を潤ませながらも、こらえて、笑顔を見せ、少佐の手を握り返し、二人は固く握手する。
 ハンガーに向ってくる軽快な足音。
「少佐? ここにいらっしゃいますの?」
 やってきたペリーヌに、二人は笑顔を向ける。
「さて。それでは食堂に行くとするか」
「そうね」

 食堂では、少佐、ミーナ、ペリーヌ以外の隊員がありったけの酒瓶とジュース瓶を開け、今か今かと待ち構えていた。
 食事メニューは、じゃがいも、SPEM缶と、予算縮小のあおりをいまだに受けっぱなしの粗末なものではあったが。とりあえずの空腹を満たすためには十分だった。
 ゲルトルートはミーナに気づくと、小さく笑って見せる。ミーナも微笑み返すと、グラスを持ち、乾杯の音頭をとる。
「ガリア奪還を祝して、乾杯」
「「「乾杯!」」」
  
 数時間後、食堂には空き瓶がならび、食事についても綺麗に食べつくされていた。
 芳佳とリーネが片付けを開始する。
 エイラとサーニャ、シャーリーとルッキーニはちゃっかり食堂から消えていた。
 エーリカは、酔いのせいなのか、ゲルトルートの背中に赤ん坊のようにしがみつき、自分の部屋に行くようにもつれた口調で命令する。
 ペリーヌは、恐る恐る、少佐をバルコニーに誘うと、食堂を出て行く。
 ミーナは、グラスを傾け、中身を飲み干すと、手持ち無沙汰で、空き瓶を運ぼうとするが、芳佳とリーネがあわてて止める。


 ゲルトルートは、エーリカの部屋にたどり着くと、彼女をベッドに横たえた。
「服は自分で脱げよ、ハルトマン」
「あ~、うん…」
 ゲルトルートは部屋を出ようとドアに手をかける。
「ねえ、トゥルーデ」
「なんだ?」
「うちら……ごぉまるいち統合戦闘航空団は、解散するんだよね…」
「ああ。目標は達したからな。お役御免だ」
「さびしいね…」
「……そうだな」
 ゲルトルートは部屋を後にすると、静まり返った廊下を歩き、自室のドアノブに手をかけるが、思い直したように、手を離し、この基地で一番高いところへ向かう。

 何もすることがなくなってしまったミーナは、エーリカの部屋のドアをノックし、小さく開ける。
 部屋のつきたりのベッドにはエーリカがいたが、すでに寝込んでいるようで、ミーナにもまったく気づいていない。
 ミーナは、ゲルトルートの部屋にも向かうが、彼女の姿は無かった。
 ふらついて、廊下の壁に手をつく。
「少し飲みすぎたかしら…」とつぶやくと、ミーナは天井を仰いだ。この基地で一番高いところへ――

 基地で一番高いところにたどり着いたゲルトルートは、手すりに手をつき、夜風を浴びる。
 アルコールで少し汗ばんだ額が冷えていく。
 輝く星、暗いが、穏やかな海、そして、その向こうのヨーロッパ大陸。
「ここから見る光景も、これで最後か……」
 ゲルトルートは手すりに伏せて、この基地での色々な想い出を振り返った。
 国も妹もろくに守れず、絶望的な気持ちで配属されたあの頃。
 他の、ひとくせもふたくせもある隊員たちとの訓練、戦い、憩いの日々。
 それでも、なかなか消えてくれない傷。
 気がつけば、死に急いでいたように思う。
 そんな最中、戦闘中に周囲への気を配り損ねるというミスを犯し、芳佳に命を救われ、ミーナにもきつい一発を食らった。
 しかし、そのおかげで前に進めた気がする。
 ミーナとも秘めていた想いを通じ合わせた。まだ日は浅いけれども――
 
 足音を感じて、ゲルトルートは振り返る。
「……ミーナ」
「お邪魔だったかしら」
「まさか…」
 ふらつくミーナの足取り。
「酔っているのか?」
「ほんの少し」
 ミーナはゲルトルートの隣に立って、さきほどのゲルトルート同様、風景を愉しむ。
 ゲルトルートはミーナの横顔を見守りながら、語りかける。
「エーリカが、解散を寂しがっていたよ。今週中には、正式に?」
「ええ。休暇でもとりたいところだけど、今はすぐにでも別の戦線に向かいたいわ。勢いを失わないように」
「そうか…」
 ゲルトルートが少しばかり顔を伏せる。ミーナが手すりに指を滑らせ、ゲルトルートの手に重ねる。
「……寂しい?」
「寂しくないといえば、嘘になるな。だが、みんなもわざわざ口には出していなかったから、湿っぽい解散にはならなそうだ」
「でも、宮藤さんを見守れなくなるわね」ミーナがいたずらぽく笑う。ゲルトルートは頬を染めながら、
「お、お前だって、少佐と離れるのは、寂しいだろう?」
「ええ。けど、もう大丈夫。美緒は美緒なりの区切りをつけたはずよ」
 凛々しく返すミーナに、ゲルトルートは安堵の表情を向ける。軍人ではない、ただ一人の少女としての。
 ミーナはゲルトルートの琥珀色の瞳に見とれる。

「トゥルーデ」
「なんだ?」
「少し、寒いわ」
 ゲルトルートは無表情のままミーナの背後に回ると、手を回す。
「これでどうだ?」
「ありがとう」
 二人は空を見上げ、星を眺める。ゲルトルートは、ミーナの赤毛にそっと頬を預けた。
「……さっきのミーナの意見は尊重したいが、休暇をとらないのは、決定事項か?」
「そうだったわ。クリスが…」
 ミーナは体をずらして、ゲルトルートに顔を向ける。
「いや、クリスの見舞いもしてはおきたいが、ミーナとの買い物の約束が……。わ、我々は軍人だから、もちろん戦闘を優先すべきだが、その……、ひと区切りついたところだし、数日…いや…1日でもいい。お互い、ただの18歳の女の子に戻ってだな…」
「あら、私はあなたと二人きりのときは、ただの女の子のつもりよ。今のあなたは、どっち? バルクホルン大尉? それとも、カールスラント出身の女の子、ゲルトルート・バルクホルン?」
 ミーナはゲルトルートの両肩に手を置く。
 一瞬の間を置いて、ゲルトルートは、ミーナの片方の腕を握って、肩から外し、彼女の腰に手を回すと、引き寄せた。
「今は、ただのゲルトルート・バルクホルンだ……」
 ミーナは、近づいたゲルトルートの頬に唇で触れたかと思うと、そのまま唇を重ねる。
 ゲルトルートはアルコールの香りがわずかに残るミーナの唇を味わうように、小さく口を開けて、唇を沈ませ、離す。
『愛している』ゲルトルートは、しばらくの間使っていなかった、故郷の言葉で気持ちを表す。
『私もよ』
 ミーナは、ゲルトルートの手を握ると、階下へ導くように手を引く。
 そこからミーナの部屋にたどり着くまで二人は一言も交わさなかったが、外側の静けさとは裏腹に、内には互いに燃え上がる想いを平静に保つことに忙しかった。

 ミーナの部屋のドアが閉まる音を合図にするかのように、二人は、互いの軍服に手をかけて、脱がせながら、ベッドに倒れこむ。
 ゲルトルートは、シャツのはだけたミーナの胸元に恐る恐る顔をうずませる。
 ミーナは小さく息を吐き、ゲルトルートの髪を結うリボンを外した。
 ゲルトルートは顔を上げて、少し体を起こし、ミーナと見つめあうと、口付けて、彼女の太ももを撫で、もう一方の手で胸に触れる。
 ミーナは、声を押し殺しながらも、ゲルトルートの背中にしがみついて、シャツを握った。

 二人は次第にシャツを、ズボンを脱ぎ捨て、あらわになった汗ばんだ肌を密着させ、全身全霊で互いを求め、感じあい、夜を明かした。

 朝日が昇ろうと待ち構えている、まだ薄暗さの残る時間帯に、ミーナは目を覚ます。
 目の前には、じっと目をつぶって寝入っているゲルトルート。
 ミーナは、昨夜の二人の情交を思い出し、頬を熱くするが、同時に、喜びが胸に広がり、ゲルトルートの額に唇を触れる。
「ミーナ……?」
「ごめんなさい。起こしてしまったわね…」
「いや……。夢でなくて、よかった」
 と言って、ゲルトルートは体を起こす。
「夢?」
「まるで夢みたいに、なにもかも、私にとっては怖いぐらい順調すぎてな」
 ミーナがゲルトルートの背に頬をぴったりとつける。ゲルトルートの鼓動が耳に響く。
「夢じゃないでしょう?」
「ああ。確かに君を感じる。夢じゃない」
 ゲルトルートは、しばらくミーナの体温を感じた後に、体をひねって、ミーナの肩を抱き、向き合う。
「いつだったか、ウィッチーズに命を捧げたと言ったが、覚えているか?」
 ミーナはこくりとうなづく。
「あの時の言葉も決して嘘というわけではないが……、今は、そしてこれからは、ミーナにすべてを捧げたい」
 言い切ったゲルトルートの顔が耳まで赤く染まり、徐々に顔がうつむき始める。
 ミーナは、呆然とその様子を眺めていたが、嫌悪とかそういった類の感情ゆえではなく、ただ、彼女の言葉に、胸がいっぱいになっていた。
 普段はすぐに出てくるはずの言葉が浮かばない。それほど、彼女にとっては響いた言葉、想いだった。
 ミーナは、ゲルトルートの顔を持ち上げ、キスをすると、額と額をくっつけ、目を閉じる。
「……ミーナ?」
「トゥルーデ、私も同じ気持ちよ。何よりも、誰よりもあなたが好き。私も、あなたにすべてを捧げたい」
 ミーナは、静かに、目を開け、笑顔を見せた。
 ゲルトルートも、波が打ち寄せるように笑顔が浮かばせ、ミーナの肩を抱く。
 次第に部屋が明るくなっていく。
「夜明けだ……」
 二人は、誓いを結ぶかのように、手と手を固く握り、新しい朝を迎えた。


番外編1:0262
番外編:20620

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