リベラルな騎士さま
王女さまは手をさしのべました。
騎士の誓いは手の甲にほどこすものだからです。
「わが忠誠は姫君の御心に、わが身は剣となり盾となりて姫君をお守りすることを誓います」
騎士はそっと口づけして離れました。
ですが王女さまはさらにもうひとつの誓いを求めました。
それは愛の誓いでした。
身分も人種もこえて好きになった人に、それだけは答えてほしかったのです。
騎士は両手で王女さまの頬をつつみこみ、優しく誓いをほどこしました。
「う~、むむむぅ……」
リーネになにかおもしろい本はないか、とたずねて借りてきた本はとっても甘々で、大声でわめきたくなるほどむずがゆかった。
つまらなくはなかったけど、むしろかなりおもしろかったけど、あたしには合わない本だった。
国籍の異なる騎士がさらわれたお姫様を助けだし、身分その他のちがいを乗り越えて結ばれる、ありがちなファンタジー。
リーネの好きそうな本だから彼女にたずねたあたしが悪いのだけど、これはちょっと胸焼けがしそうだ。
「キライじゃ、ないけどさ……」
最後の誓いを立てるシーンを思い出すとなぜか恥ずかしさが込み上げてくる。
愛の誓いで顔を近づけたのなら、きっとそういう誓いだったはず。
好きな人と愛を誓い合うというのは、どういう感覚なのだろう。
あたしは枕に顔をうずめた。
火照って熱くなった顔を隠したかった。
部屋にはあたし一人しかいないけど、誰にも見られていないけれども、なんだか無性に恥ずかしかった。
シャーリーの部屋、シャーリーのベッドを借りて、これまた借りた本を読んでいた。
ここのところネウロイの襲撃も小規模なものが続き、あたしがもっともキライな"退屈"が芽生えてきたので柄にもなく本を読んでみることにしたのだ。
ふだんは活字なんて読む気も起きないのだけれど、おなじことのくり返しな毎日にはさすがにうんざりしてくる。
習慣化された日常にちょっとした変化を取り込みたくて読んだ本がこれだった。
「悪の魔王が弱っちいのも納得いかないけど、騎士をあんなに簡単に認めちゃう王様もなぁ……」
枕にうずめていた顔をあげ、仰向けになった。
単純なストーリーに予定されたハッピーエンド。
子ども向けだからしょうがない、と言われればそれまでだけど、できすぎた話にいまいちあたしは共感できない。
もしあたしが魔王だったら罠をふんだんに仕掛けるだろうし、もし王様だったらもっと過酷な試練を課して騎士の人となりを知ろうと……、とか考えながら本のページをぱらぱらめくっていると廊下から足音が聞こえてきた。
聞き慣れた重みのある足音。
彼女は部屋の前で立ち止まると、当然のごとくノックもなしに入ってきた。
「おやつのプリンだぞー」
この部屋の主、シャーリーだ。
両手に小皿を乗せた状態でドアを開けてきたらしい。
みんなには大雑把に思われているけど、ストライカーユニットの整備もきっちりこなすシャーリーはなかなかに器用なのだ。
「わーい、おっやつ、おっやつー」
シャーリーから片方を受け取ると付属のスプーンで黄色いプリンをすくいあげた。
こげ茶のカラメルがたっぷりかかった、見るからにおいしそうなプリンだった。
「いっただっきまーす!」
ぱく、もぐもぐ、ごっくん、ぺろり。
口のなかいっぱいに広がるぷるるんとした感触がたまらない。
「ごちそうさまー!」
「ルッキーニ……、もうちょっと味わって食べないとリーネが浮かばれないぞ」
「ちゃんと味わってるよぉ……。プリプリつるつるしててとってもおいしかったもん」
あたしは食べ終えた小皿をサイドテーブルに片して、ひざの上で甘々な本を開いた。
甘さも絶妙なんだよなー、とシャーリーがスプーン片手に舌なめずりをする。
そのときなんとなく、あたしは思った。
シャーリーはこの本を読んで、どう感じるのだろう、と。
やっぱりあたしとおなじようにできすぎた話だと思うだろうか。
たぶんからかったりはしない。
シャーリーのおおらかな性格からして自分に合わないものをあざわらうようなことはしないはず。
だからといって子ども向けのおとぎ話と割りきって楽しめるのだろうか。
とくに最後のワンシーンは、あのキザったらしい締めくくりに関しては甘ったるいな、と苦笑いしちゃうのだろうか。
なんか、イヤだな……。
あたしが楽しめたものをシャーリーが楽しめなくたってぜんぜんおかしいことじゃない。
あたしたちは別人なのだから感性はちがって当然だ。
べつにすべてがおんなじである必要もないし、それはわがままというものだ。
ちがうからこそ噛みあう部分もあるし、ぜんぶおなじなんて気色悪い。
ううん、楽しめないだけならそれでいいのだ。
ただ、子どもに合わせて笑うシャーリーだけは、なんだか想像したくなかった。
ましてやその笑顔があたしに向けられたりしたら、あたしは明日からどんな顔でシャーリーに向き合えばいいかわからなくなる。
それだけはぜったいイヤだから、訊いてみたい気持ちはあるけれど実行することはできなかった。
「あー、この食感だー。さすがリーネだね。今度あたしがなんか作ってあげよ」
ちょうどいい甘さのプリンに舌鼓を打つシャーリー。
意識したわけではない。
にもかかわらず、黄色いおやつが吸い込まれたその入り口に、つい目がいってしまった。
シャーリーの唇はやや肉厚で、プリンを咀嚼するごとにむにっと潰れてとてもやわらかそうに形をゆがませる。
普段はなんてことないのに、いまにかぎってカラメルソースを舐めとる仕草がやけに色っぽく感じる。
肉感があって、あたしにはない大人っぽさがただよっていた。
たったそれだけのことで、シャーリーがあたしより何歳も年上である事実をまざまざと思い出させられた。
歳の差なんて関係ない。
実力と信頼によって築き上げてきたシャーリーとの関係は確固たるものなのに、こんな些細なことで妙なへだたりを感じてしまう。
疑っていないけれど、ぐらつく心は隠せない。
あたしを子どもあつかいしないシャーリーと、どんなに努力してもあたしは子どもに過ぎないという現実。
彼女はあたしのことをどう思っているのだろう。
表面上だけでなく、心の底からあたしのことを一人前として認めてくれているのだろうか。
こんなこと、思うだけでも失礼なのにあたしは惑ってしまう。
ゆえに子どもなのか。
はたまた、子どもだから揺らぐのか。
答えの出ない堂々巡り、大キライだ。
「ん、ルッキーニ?」
大事なのはあたしがシャーリーを信頼していること。
そしてシャーリーもあたしを信頼してくれていること。
子どもであることを気にもかけていないなら、あたしのことを一人前のパートナーとして信じてくれているはずだ。
そう、きっとそのはず。
たぶん、信じてくれているはず。
……ホントに、そうなのかな?
「おーい、ルッキーニ?」
「え、あ、うん聞いてるよ」
「いや、べつになにも言ってないけどさ……。なにか空想でもしてたのか?」
プリンを食べ終えたシャーリーはことのほか上機嫌だった。
いつも以上にニッコリと優しい笑顔を向けてくれる。
疑うだけでもひどいことなのに、うしろめたさよりも大きな不安感がはやく安堵を覚えたいがために少しだけなら、とあたしにささやいた。
「あ、あのね、空想とかじゃないんだけど、そのぉ……、シャーリーはあたしの頼みとかなら、聞いてくれる、よね……?」
とても遠回しになった。
さすがに直球で「あたしを信頼してる?」「一人前だと思ってる?」なんて訊けるはずがない。
それでもシャーリーはいぶかる素振りもなく、
「ん? まあ、たいていのことなら。あ、でも当番とかの代わりはヤだよ?」
「ううん、そうじゃないんだけど……」
表紙を閉じた本に視線を落とす。
こげ茶色のしっかりした装丁で、やや低年齢向けのおとぎ話。
王女さまの騎士は忠誠をもって求めに応えてくれた。
あたしの騎士は――――
「あのね、ちょっとこの本で読んだんだけど……」
「その本、リーネのか?」
本を一瞥して持ち主を当ててみせる。
さすがはシャーリー。
「うん、ちょっとまあ試してみたいなぁ、というか、べつに変な意味はないんだけどさ……」
「なにさ、歯切れが悪いね」
なるべく自然に、さりげなく切り出した。
「あ、あ、あたしの手の甲に……、誓いを立ててくださらない?」
言ってみるとけっこう恥ずかしいセリフだった。
どこかペリーヌっぽい口調なのも気になる。
顔がじょじょに赤くなっていくのがわかった。
もしかしたら、耳たぶまで真っ赤かもしれない。
当のシャーリーはきょとんとした表情で、あたしの言葉が理解できていないようだった。
「だ、だからさ、その、手の甲にね……」
「あー、はいはいはい、なるほど、わかった」
あたしの意図するところに気がついてシャーリーはにんまりと笑った。
ちょっとだけからかうような、でもどこかほほえましそうに。
差し出した指先をそっと引き寄せ、ちょうどベッドに座るあたしに対して床にひざまずく格好でシャーリーが見上げてくる。
背の高いシャーリーが下から仰ぎ見てくるのは新鮮だった。
「美しき姫君よ、わたくしの永劫に朽ちることなき忠心を、ここに……」
一瞬で緊張感をまとい、真剣な面差しを作って低く重みのある声を発した。
おおらかでニヒヒ、と笑うシャーリーも好きだけど、こういう凛々しい顔つきもまた魅力的かもしれない。
透明感のある蒼い瞳があたしを見据え、その眼差しにおなじ女性だというのにドキリとしてしまう。
引き寄せられた手の甲にかるいキスが乗せられる。
まじめぶったあたしの騎士の、まじめぶった忠誠の証。
どれだけ心が込められているか、あたしにはわからない。
お遊びに応えた形だけのキスかもしれない。
とはいえ、あたしのわがままに付き合ってくれるくらいにはあたしのことを……、と考えたとき、顔を上げた騎士さまはキスされて呆けている王女のあたしに向かって思ってもみないことを口にした。
「姫君よ、もうひとつの誓いはいらぬのかな?」
「ふぇ……?」
あたしは一瞬なにを言われたのか理解できなくて、すぐにあの本のラストシーンを思い出した。
でもなんで、どうしてそんなことをシャーリーが知っているのか。
疑問符が浮かび上がっては次から次へと泡のように弾けているうちに、シャーリーがあたしの脚のあいだに体を割り込ませてきた。
そしてそのまま、わけのわからないあたしをベッドに押し倒したのだ。
「え、え……?」
「その可憐な唇に、いま誓いを刻もう」
勢いづいた騎士さまを止める暇もあらばこそ、気づけばすでにシャーリーの唇があたしのそれに重なっていた。
シャーリーの髪がカーテンを作り、二人だけの空間に閉じ込められた。
ほのかに香るシャンプーのいいにおい、至近で一直線に見つめあう綺麗な瞳。
つながった部分から入り込んでくる、生温かいもの。
それは肉厚で、ねっとりと甘い粘液を大量に運んできた。
あたしの口内は二人分の唾液であふれそうになり、こくんと飲み込む。
カラメルの味がした。
「んむ、ぅ……」
舌と舌でワルツを踊り、螺旋に絡みあった自分たちがひどくいとおしい。
あたしの右手にはシャーリーの左手が、左手には右手がそれぞれ指を交互にして噛み合わせられていた。
密着した体は重みがあるものの、それは逆にシャーリーを感じている証拠であってイヤな気持ちなど欠片もなかった。
彼女の鼓動が直に聞こえてくるようで、彼女のことを完全に理解できるような気がしてうれしかった。
あまりに近すぎる濃密な誓いだけど、あたしは満足していた。
これはたぶん手の甲とはちがって、演じられた"誓い"なんかじゃない。
形は違えど、シャーリーはちゃんとあたしのことを想ってくれている。
それは信頼を含んでなおも上回るつよい気持ちなのだから。
あたしはそれを感じることができただけで充分だった。
「えー! シャーリーあの本読んだことあったのー!?」
「ごめんごめん、前にリーネに借りて読んだことがあってさ。まさかルッキーニまで借りるとは思わなかったよ。普段あんまり本とか読まないし、さ」
愛の誓いから解放されて一番にたずねた答えがこれだった。
これならシャーリーが"もうひとつの誓い"だなんて言葉を口にした理由も納得がいく。
あのときはまさかとは思ったけれど、ひそかに運命的なものを感じずにはいられなかった自分もいて。
ある意味、あたしの純情をもてあそんだことになる。
「シャーリーのバカー! バカバカバカー!」
ぶんぶんと両手でつくった拳を振りまわす。
だけど上背のあるシャーリーは難なくそれを受け止め、
「だからごめんってば。悪かったよ、ルッキーニ」
あたしの頭を子どもにするように撫でてくるのだ。
子どもみたいなあつかいはイヤだけど、シャーリーに頭を撫でられるのはキライじゃないから複雑な気分だった。
あたしがほっぺたをぷーっとふくらませていると、シャーリーがふと真顔になって言った。
「それとさ、なにを心配していたのか知らないけど……」
シャーリーはあたしの頭をぐっと抱き寄せて、その自慢のバストに押しつけた。
頭の上から優しい声が降ってくる。
「あたしはいつでもそばにいるんだから、なにかあったらあたしの胸に飛び込んできなよ。ぜったい受け止めてあげるから。かならず、味方になってあげるから……ね?」
あたしはハッとなった。
本のことはべつとして、シャーリーはあたしに心配ごとがあることを察していたようだ。
それってあたしのことをしっかり見ていてくれたからこそ、気がつけたはずで。
そこから導きだされる答えに、あたしは心にぬくもりが広がっていくのを感じた。
おっきな胸はやわらかくて、あたたかい言葉に涙腺がゆるんでいくのを止められなかった。
あたしはなにも心配する必要なんてなかったのだ。
これっぽっちも疑う必要なんてなかった。
シャーリーはあたしを愛してくれているし、こんなちっぽけな不安にも目ざとく気づいてくれた。
そんなシャーリーに試すようなマネをした自分がすごくイヤだった。
でも誰よりもあたしを想ってくれるシャーリーのために、自分を嫌いになってはいけない気がした。
「ぐしゅ、ごめんね、しゃーりぃ…………、だいしゅき」
「ははっ、あたしもだよ。かわいいかわいいお姫様」
壊れものをあつかうように優しく、ゆっくりと頭を撫でてくれる。
ぎゅっと力強く抱きしめてくれるシャーリーは頼もしくて。
シャーリーのにおいを嗅ぐと自然と心が落ちついて。
安心して身と心をあずけられる騎士さま。
これからもずっとずっと、あたしのそばにいてね。
おしまい