純情理性批判
風呂場での一件以来、私に悩みの種が一つ増えた。
エーリカのことだ。
エーリカの胸は、実はペリーヌより小さかったりするんだが、
本人としては「自然体です」と、あまり気にしていない様子だった。
それは、ペリーヌのようなみすぼらしい虚栄心を持つより良いことだと私は思う。
そもそもエーリカは、他のみんなと違って、そういうことにはあまり関心がないらしい。
しかし――
私は自分の部屋に帰ろうと、廊下を歩いていた。
と、その背後に、何者かの影が立つ。
私がそれに気づいた時にはもう遅かった。
その影の両腕が私の両脇を通り抜けると、そのまま後ろから私をぎゅっと抱き締めた。
――そして、胸を揉む。
「トゥルーデ、おっぱい揉ませて」
その影は私にそう言った。
聞きなれた声、よく知った手の感触。
「な、なにをするんだ! ハルトマン!」
どうにもエーリカは、そういうことに興味を持ってしまったらしい。
「さっ、触るな! 揉むな!」
「え、ダメなの?」
「ダメだ!」
私はエーリカの両腕を振りほどき、くるっと半回転してエーリカと向き合った。
「どうしてそう、私の胸を揉もうとするんだ!?」
「減るもんじゃないし別にいいじゃん。シャーリーもそう言ってたよ」
まったく、リベリアンのヤツ……。
「――いいかハルトマン。こういうことは好きな相手同士がするものだろ。わかるか?」
「うん、なんとなく」
エーリカがうなずいたので、私はホッとした。
――が、エーリカは再び私の胸へと手を伸ばすと、掴み、揉む。
「だから揉むんじゃない、エーリカ!」
「なんで?」
「人の話を聞いてなかったのか? こういうことは好きな相手と――」
「私はトゥルーデのこと、好きだよ」
照れるでもなく、さらっとエーリカは言う。
まるでそれは、「私は茹でたじゃがいもが好きだよ」と言うのと同じような感じで。
なんでそんなことを、そんな簡単に言えるんだ!?
私はその憤りをぶつけるように、エーリカの手を振りほどいた。
エーリカの言う「好き」は、私の言いたい一般的なそういう「好き」とは違うんだ。たぶん。
しかしそんなこと、こいつに言っても通じるとは思えない。
「じゃあいいよね」
「よ、よくない!」
「よ、よくない!」
「なんで?」
必死で拒否する私と、不思議そうに首をかしげるエーリカ。
「トゥルーデは私のこと、キライ?」
その問いかけに私が答えあぐねていると、エーリカは私の顔を下から覗き込むように見てくる。
そのしぐさに私は、不安に怯える小動物を思い浮かべた。
その視線がじり、じり、と私を急かす。
なんて答えれば……いや、何を考え込んでいるんだ、私は。
だいたい、なんでそんなことを私が答えなきゃいけない。
世の中には答えなくてもいい質問というのがあるんだ。
「――言い方を変えよう。こういうことは恋人同士がするものだろ」
「そうなの?」
「そうなんだ。私とお前は恋人か?」
「違うね」
「そうだな。じゃあもう、胸を揉むのはやめてくれるか?」
「じゃあ今から私をトゥルーデの恋人にして」
なんでそうなるんだよ……。
「ダメ?」
エーリカはまた、私の顔を覗き込むように見る。
だからそんな目で私を見るな!
「――いいか、エーリカ。たとえ恋人になっても、すぐに胸を揉めるわけじゃないんだ」
「そうなの?」
「当たり前だろ。胸を揉むのはキスよりもあとだ。付き合いはじめて何ヵ月か経ってから……」
「じゃあそれまではなにするの?」
「そ、それは……手をつないでドキドキしたり、休みの日に二人で映画を見に行ったり、
夜、なんでもないことで電話してみたり、交換日記をしたり……」
なぜだか、そういうことを口にするだけで、自分の顔が赤くなってくる。
エーリカはなにそれ?といでも言いたげな表情を浮かべた。
「トゥルーデってば、じゅんじょー」
にやにやとした笑みを見せるエーリカ。それはまるで私のことを嘲りでもしているように。
「そ、そんなことはない! こ、これはあくまで一般論を言ってるだけで……」
「おくて、へたれ、意外とおんなのこ、でも実はむっつりすけべ」
「だから私はそんな――」
「でも、トゥルーデのそういうところ、私は好きだよ」
エーリカは私の顔を再び覗き込み、笑う。
「な、なにを言ってるんだ!」
「手をつなぐ、映画を見る、電話で話す、交換日記をする……」
エーリカは一つずつ指を折りながらつぶやいていく。
「そういうのもいいかもね。うん、トゥルーデとならきっと楽しいよ」
だからどうしてこいつは、こういうことをさらっと言えるんだ?
これじゃ、いちいち照れてる私の方が恥ずかしくなるじゃないか。
……もういい。
そういうことにしておいてやるか。
「それで、私のこと恋人にしてくれるの?」
「か……」
世の中には答えなくてもいい質問というのがあるんだ。
「考えておく」