晩夏の幻影
目の前に、この数週間で見慣れてしまった景色が広がる。無数の銃弾に貫かれ、軍刀を突き立
てられ、蒼穹に紅い華を咲かせて落ちていく少女たち。そんな戦場で、わたしは、一人の少女を、
そう敵軍のウィッチを追い回していた。
ソビエト軍が国境を越え侵攻を開始してからというもの、わたしたちフィンランド空軍所属のウィッチ
隊は、善戦する地上部隊のため制空権を維持すべく、連日出撃した。祖国と同胞を守るため、それ
だけが拠り所の、今のわたしは、ただの戦闘機械にすぎなかった。
圧倒的な兵力差。それを補うために、わたしたちは奇襲戦を余儀なくされた。雪雲の中に潜み、
ある時は、仲間を囮にする陽動作戦。正直、気が滅入ったりもしたが、それでもわたしたちは、ドイツ
から配備されたメルスを駆り、飛び続けた。
その日は、身を隠すべき雲もない、この時期にしては珍しいくらいの快晴だった。だから敵軍来襲
の報を受け、飛び立ったわたしたちの取るべき戦術は、木々の間を抜けるくらいの超低空を、敵編隊
の後ろへ回り込むことくらいだった。
重火器で構成された敵ウィッチ編隊に、不意の一撃を加えて近接戦に持ち込む。小回りの効かない
重装備の敵軍を、わたしたちは次々に落としていった。
「逃げ遅れか。運が悪かったな」
9連のロケット砲を装備した黒い飛行脚。使い魔は…、黒猫か?わたしは、右ロールしながら降下
してぴったりと追尾した。機銃掃射の寸前に気付かれて、そいつは左へと旋回。無駄弾を撃たされ
てしまった。なかなか勘がいいようだ。でも、逃がしはしない。
「黒狐の狩、見せてやるよ」
わたしは、僅かに射線をずらして、そいつの右、そして上に機銃を掃射し続けた。眼下に、断崖
が切り立つ渓谷が見えた。そこはわたしたち空軍の飛行訓練に使われてる場所だ。目論見どおり
黒いウィッチは、渓谷に逃げ込んだが、こちらも弾切れになってしまった。まあ、仕方ないか。
背中に手を回してベルトに携帯していた銃剣を抜く。サーベルは手に馴染まなかったが、これは
何故だかしっくりと来た。銃剣の側部をぺろりと舐めて、わたしは、彼女を猛追した。
左右の断崖を縫うように飛ぶその姿は、まるでワルツを踊ってるかのようだった。近付いてみて
分かったが、どうやら歳は2,3下といったところだろう。光の反射で様々な色を放つその銀髪は
少し短めだ。さらに速度を上げて近付くと、振り向いた彼女と目が合った。翡翠色の瞳に驚きの
色を乗せ、動かした唇から発せられたものは、…歌だった。
「…ふざけんな…、ふざけんな!!」
祖国を蹂躙しておいて、同胞をその手にかけておいて、そんな綺麗な声で歌うんじゃない!
そんな感情の起伏がどこにあったのか不思議なくらい、わたしは猛っていた。歌い続けるそいつ
に銃剣を振りかざし、肉迫した。
ガキンっと音を立てて弾かれる銃剣。ロケット砲を盾にわたしの斬撃をかわすと、そいつはその
まま砲を投棄した。賢明だ。速度を上げて振り切ろうとする彼女に、喰らい付こうとするわたしの頬に
…雨?いや、あいつの涙か…。同情なんてしないからな…。
前方、そして左右。切り立つ断崖に阻まれて彼女は立ち往生していた。そんな憐れな子猫ちゃん
を見下ろしたまま、ゆっくりと近付く。崖を背にし、涙を流しながら私を見詰める彼女は、それでも
歌う事を止めなかった。わたしは目の前に立ち、銃剣を逆手に持ち直し、右手を振り上げた。
「なっ!」
なんで、両手を広げる?どうして逃げようとしない?迷い無くわたしを見詰めるな、歌うのを止めろ!
お前の歌を聞いてると…、お前の声を聞いてると…。この…声…、お前の声は、…綺麗だナ。
お前の瞳、私はとても好きなんダ。…あれ?何でわたしはこの子を殺そうとしてるんダ?何で銃剣
振り上げてんダ?違うダロ…、この子は、守ってあげたい子だったダロ!いつも一緒にいたいって
想ってた子だったダロ!!
「サァァニャァァアア!!」
気が付くと自室のベッドの上だった。鼓動が激しくて、今にも心臓が飛び出してきそうだ。
「ぐぅ、…うぅ。何で…、えっく…」
嗚咽が止まらないヨ…、なに馬鹿な夢…見てんダヨ。
「…エイラ、大丈夫?」
思わず肩がビクっと反応した。サーニャ…、また寝ぼけてここに転がり込んだらしい…。座り込ん
でる私の隣に膝で立ったまま、心配そうに覗き込んでくる。
「何でも、グス…、ねーヨ」
「嘘…、こんなに震えてる」
「サ、サササ、サーニャ!」
いきなりだった。サーニャの腕に頭を包まれたと思った刹那、胸元に顔を押し付けられる形で抱き
締められてしまった。待ってくれサーニャ、違う意味で心臓飛び出してきそうだゾ!
「エイラ、どうしたのか話して?」
「そ、それは…だめダ…」
「私では、エイラの役に立てない?」
「そ、そんなこと…」
反則だゾ、サーニャ。そんな優しく頭を撫でんなヨ。おまけにサーニャ、…いい香りするナ…。
とても落ち着く。あぁ、でも格好悪いとこ見られたナァ。
「変な夢見た…、それだけダ」
「どんな夢?」
「は、話さないと駄目カ?」
「エイラ?」
「ちぇ、わかったヨ。あのな、…サーニャの国と戦争になって、…ウィッチ同士で戦いあう夢ダ…」
「うん」
「それで、戦闘の最中に、サーニャを…、っぐ、くぅ…わたし、殺そうと…グス、…大馬鹿だった…」
夢の事思い出したら、また涙が溢れ出した。何ですぐにサーニャだって、気付かないんダヨ!
「サーニャ離してクレ!」
「エイラ?」
「わたしとなんか、グス…、一緒にいたら駄目ダ」
「エイラ、聞いて?」
「離してくれサーニャ!」
「エイラ!!」
声を荒げるサーニャなんて、初めてダ…。驚きのあまり動きが止まってしまった。
「あのね、エイラ。わたしが見た夢のことも聞いてくれる?」
「…ゆめ?」
「うん、夢。わたし、白金の髪が綺麗なウィッチに追いかけられてたの。その人の国と不幸にも戦争
になってしまったけれど、その人とは戦いたくなくて、こんなこと止めよう、違うよって伝えたくて
言葉にしようとするんだけど…。わたしの口からは歌しか出てこないの」
「な、そんな…」
サーニャ、まさか、わたしたちは同じ夢にいたのカ?聞いたことも無い国の軍人として、戦って…。
そんなこと、そんことって…あるのカ?
「わたし渓谷に追い詰められて、…目の前まで来たその人は、銃剣を振りかざしたの」
「止めてクレ、サーニャ!もう聞きたくない。もう許してくれヨ!」
腕の中で暴れるわたしを、だけどサーニャは離してはくれなかった。
「エイラ!その人は、その人はね。銃剣を振り下ろしたりしなかったよ!」
「な…何だっテ…?本当…カ?」
「本当だよ。」
サーニャを見上げると、優しい瞳が、可愛らしい微笑が、わたしに降り注いでいた。そうカ、嘘じゃ
ないんダナ。わたしはサーニャを傷つけてないんダナ。良かった、良かったヨ…。
「…そっカ…。安心した…」
「うん」
ほっとしたら嬉し涙が止まらなくなってしまった。今日はサーニャの前でみっともない姿を見せて
ばかりだ。ん?でも、その後どうなったんダ?何か気になるナ。
「なぁ、サーニャ。その後どうなったんダ?その人って」
「え?…えっと」
「その人は…」
「その人は?」
「わたしのこと抱き締めて、…好きって言ってくれた…よ」
「サーニャ///、ほ、本当カ?」
「う、うん」
「?…サーニャ?」
何でそんなに歯切れが悪いんダ?こら、何で目を逸らすんダ?嘘なのカ、糠喜びなのカ?
「…ごめん」
糠喜び確定!ひどいじゃないカ、サーニャ。
「エイラ、嘘つく子は嫌い?」
「嫌いダ」
「…(しゅん)…」
「で、でもナ、サーニャは嘘つきな子じゃないダロ」
「え?」
「だ、だって、今からそれが、真実になるからナ!」
サーニャと同じく膝立ちしたわたしは、サーニャとおでこをくっ付けて、その綺麗な瞳を見つめた。
いいカ、サーニャ。い、一度しか言わないからナ。い、いや、何度も言うかもだけど、よく聞いてクレ!
「大好きだサーニャ。ずっと、ずっと一緒だゾ!」
結局のところ、あの夢は何だったんダロ?妙に現実味を帯びた夢。夏の終わりに見たまぼろしだった
のカ?
それが夢だったのか、幻だったのかはともかく、現在のわたしは、如何ともし難い現実に直面せざるを
得なかった。
それは、このままじゃ、いたるところをサーニャの白い指先に、可愛い唇に、熱っぽい舌に、蹂躙されて
しまうということダ。
もっと手加減してくれヨナ、サーニャ///