シャルトリューの魔王


 1944年9月、ガリア地方のネウロイの完全消滅が確認され、ストライクウィッチーズは解散する。
 隊員11人はひとまずお役御免の身になった。
 そしてわたくしは、まっさきにガリアへ戻ることに決めた。
 心残りがなかったわけでは決してない。別れを名残惜しいとも思う。
 しかし、わたくしには使命があるのだ。
 ネウロイに侵された祖国ガリアの復興。
 それがガリア貴族クロステルマン家の人間であり、ガリア空軍の中尉であるわたくしの使命である。
 ――そしてそんなわたくしに、なぜかリーネさんはついてきてしまったのだった。
 彼女の故郷はブリタニアだ。そこには彼女の帰りを待つ家族もいるというのに。
 どうしてわたくしについてきたの?
 彼女からはなにも話してはくれなかった。
 そしてその疑問を、わたくしはずっと訊けずにいた。

 リーネさんは瓦礫に腰を下してうとうととしていると、やがて船を漕ぎだした。
 無理もない。彼女だって疲れているのだろう。
 なにもないところからまた新しくなにかをつくるというのは、とてつもない労力がいるものだ。
 連日の忙しさに追われる日々、ゆっくりと眠る時間だってないのだから。
 わたくしもリーネさんの隣に座り、少し休憩をとることにした。
 いったいどうしてあなたはわたくしについてきたの?
 この質問を、今日もできそうにない。 
 わたくしは傍らに座るリーネさんに視線を向けた。
 ――と、わたくしの目にそれが入った。
 彼女の持っている鞄の口から、本が一冊、顔を覗かせていたのだ。
 わたくしの手は無意識に、鞄のなかの本へと伸びていた。
 装丁のしっかりした、少し大きめの手帳だ。
 ガリアヘ向かう船の中で、あるいは休憩時間や眠る前のちょっとした時間に、
 彼女がこれになにかを書いているのをわたくしは何度か目撃している。
 それにどうやら、それはわたくしの目を忍んでのことらしい。
 ここにはいったいなにが書かれているのだろうか。
 日記だろうか。あるいはポエムかもしれないわ。
 わたくしは自分の膝の上に本を置いた。
 さっそく本を開いてみようとした――が、そこでわたくしの手が止まる。
 わたくしは手をいったん本から放し、逡巡する。
 それは人の持ち物を勝手に覗き見るという罪悪感が一つ、
 そしてもう一つは、彼女のプライベートな領域に、わたくしが入り込んでよいのかというもの。
 なんだかその膝の上に置かれた本が、わたくしにはずっと遠くにあるものに感じられた。
 鞄のなかに戻そうか、そんな考えがよぎった。
 今ならまだ大丈夫。彼女は眠っているのだから、気づかれることはないだろう。
 しかし、わたくしはそうしなかった。
 リーネさんのことを知りたい、その衝動はけして抑えられないものだったから。
 わたくしは再び本に手を置く。
 重い扉を開くようにゆっくりと、本のページを開いてみた。

 そこにはびっしりと丁寧な、可愛らしい文字が埋めつくされていた。
 きっと彼女は、ゆっくりと文字を書くのだろうな、ということをわたくしは思った。
 わたくしは最初のページに目を落とした。

  むかしむかしあるところに、豆柴のお姫さまがいました。
  そのお姫さまは、スコティッシュホールドという猫の騎士ととっても仲良しでした。


 ……これはなにかしら?
 わたくしは思わず首をかしげた。
 どうやらこれは、日記やポエムといった類いのものではないらしい。
 というより、どう見てもこれは物語だろう。
 しかしこんな書き出しの話を、わたくしは見聞きしたことがない。
 いや、あまり深く考え込んでいても仕方がない。
 わたくしは続きを読み進めることにした。

  あるときお城に、シャルトリューという、青い毛色の猫の魔王があらわれました。
  シャルトリューの魔王は、豆柴のお姫さまをさらいにきたのでした。
  スコティッシュホールドの騎士はそうはさせまいと、魔王に戦いをいどみました。
  しかし、剣の未熟なスコティッシュホールドの騎士は、その戦いにやぶれてしまいます。
  そしてシャルトリューの魔王は、豆柴のお姫さまを連れ去ってしましました。

  スコティッシュホールドの騎士はお姫さまを助けにいこうと思いたちます。
  しかし、剣の未熟なスコティッシュホールドの騎士は思います。
  私一人では心もとない。
  だって、騎士一人では、お姫さまを守ることができなかったからです。
  そこで騎士はあることを思いつきました。
  あの方についてきてもらおう、と。

  スコティッシュホールドの騎士は、その犬の住む家に向かいました。
  その犬はドーベルマンで、スコティッシュホールドの騎士の剣の師匠でした。
  この方についてきてもらえれば百人力だ、とスコティッシュホールドの騎士は思ったのです。
  スコティッシュホールドの騎士は事情を説明し、お願いしました。
  「わかった。私も行こう」
  ドーベルマンの剣の師匠はこころよく引きうけてくれました。
  こうして二匹は、魔王のもとへ旅立ちました。

 わたくしはピンときた。
 この物語の主人公らしいスコティッシュホールドの騎士というのは、
 つまりリーネさんのことではないかしら、と。
 豆柴のお姫さまというのは宮藤さん、剣の師匠というドーベルマンは坂本少佐のことだろう。
 それぞれの使い魔に対応しているのが安直といえば安直だ。
 そして……シャルトリューの魔王は……わたくしのことなのだろう。

 それともう一つ、わかったことがある。
 どうやらこの物語は、リーネさんが考えた創作であるらしい。
 そうでなければ、こんなに都合よくキャラクターがあてはまるはずはない。
 創作といっても見たところありがちなファンタジーだし、まあ素人だからこんなものだろう。
 しかしこれは……あまりにキャスティングセンスが無さすぎるわ。
「何を考えているのよ、この子は……」
 わたくしは一人ごちた。

 たとえばわたくしならば、こうキャスティングする。
 もちろんお姫さまはわたくし――と言いたいところだけど、意外と坂本少佐なんていいんじゃないか。
 そしてそのお姫さまを守る騎士がわたくし、ペリーヌ・クロステルマン。
 少佐を連れ去る魔王の役にはあの豆狸、もとい宮藤さん。
 そしてその子分にはシャーリーさんとルッキーニなんてどうだろうか。
 いやでも、宮藤さんが魔王の器とは思えない。
 恐ろしさという意味では魔王はミーナ中佐の方が(以下自粛)
 それでリーネさんは…………メイドなんていいんじゃないかしら。
 でもそれだと、あまり話にはからんできそうにないわね……。

 まあとにかく、このキャスティングはあまりに酷い。
 とりあえず、少佐を剣の師匠としたところはなかなかだとわたくしは思う。
 リーネさんが騎士というのはちょっと意外だけど、
 こういうものに書いた本人を出してしまったら、得てしてそうなるものだろう。
 少佐と師弟関係だというのも、まあ納得ではある。
 とりあえずここまでは良しとしよう。
 しかし、宮藤さんをお姫さまにするというのは、ない。ありえない。
 リーネさんが宮藤さんのことをどう思っているか、薄々わたくしも気づいてはいる。
 ――だけど、それでもさすがにこれはない。
 いったいどこの国の姫が、音を出して紅茶を飲むというの?
 そしてなにより気に入らないのは、このわたくしのを魔王にしてしまったことだ。
 これは酷い。酷すぎる。
 たしかにわたくしは彼女にきつい物言いをしたこともあるし、ちょっとケンカになってしまったことある。
 でも、だからって、こんな仕打ちはないだろう。
 もっとまともな役をくれたっていいじゃないの。

「もしかして、わたくしって嫌われてる?」
 わたくしの胸のなかに、暗いもやもやしたものが広がっていく。
 別にわたくしは、彼女に好かれたいとか、そういうことを思っているわけではない。
 でもだからって、積極的に嫌われたいとか、そんな風に思っているわけでもないのだ。
 もやもやした感情はやがて全身に広がり、わたくしの体を重たくする。
「じゃあどうして、あなたはわたくしについてきたの」
 わたくしはつい、傍らで眠る彼女に訊ねてしまう。
 もちろん、眠っている彼女からの答えはない。
 彼女のことを知りたいと思ったのに、ますます彼女のことがわからなくなってゆく。

 それに腑に落ちないところがもう一つある。
 なぜわたくしが、宮藤さんをさらわなければならないのかしら。
 思い浮かぶ理由を胸のなかで探ってみるが、それらはすぐ否定される。
 わたくしが宮藤さんをさらう理由なんて、ない。
 じゃあどうして?
 ……もしかして、わたくしが彼女のことが好きだとでも?
 それこそありえない話だわ。
 きっと彼女はただ、騎士を自分に、助けを求めるお姫さまを宮藤さんに、
 そして敵役をわたくしに割り振っただけなのだろう。
 そう思うと馬鹿らしくなって、本を投げ出してしまいそうになった。
 ――でも、とわたくしは思う。
 でも、そうしてしまったら、この暗いもやもやとした感情はきっと治まらないまま。
 これは確信ではない。ただの予感でしかないけれど、そんな気がするのだ。
 わたくしは気を取り直して本と向き合うことにした。
 だってやめることはいつでもできる。
 だからもう少しだけ、続きを読んでみよう。
 深く息を吸い込むと、わたくしは再び視線を本へと戻した。


 物語は進み、お姫さまを助けにゆく旅がはじまる。
 二匹は、海を渡り、いくつもの山を越えてゆく。
 そしてその道行きには、数々の困難が待ち構えていた。
 魔王の放った刺客と戦ったり、病にかかったり、嵐にあったり……
 よくもまあ、こうもいろいろと思いつくものだわ。
 わたくしは思わず感心せずにはいられなかった。

  あるとき2匹は、草原で魔王の手下と戦いました。
  ドーベルマンの剣の師匠は、その手下をかるくあしらいます。
  しかし、剣の未熟なスコティッシュホールドの騎士は、その戦いで足をひっぱってしまいます。
  私にもっと力があれば、とスコティッシュホールドの騎士は思いました。
  これから先の戦いのことを考えると、とても不安な気持ちになりました。

  するとそこで1匹の、赤いたてがみの灰色狼に出会いました。
  そのうしろには、ジャーマンポインターとダックスフントという2匹の犬もいます。
  「どうかしたのか?」
  ジャーマンポインターは問いかけました。
  「実はシャルトリューの魔王にさらわれた、豆柴のお姫さまを助けにいくところなんです」
  スコティッシュホールドの騎士は答えました。
  「でも2匹だけじゃ大変でしょ。私たちもついていってあげる」
  ダックスフントはそう言いました。
  「そうね。悪い魔王にはきついお仕置きをしてあげなくちゃ」
  灰色狼はそう付け加えました。
  騎士と剣の師匠はふたつ返事でその申し出をうけいれました。

  ずっと心ぼそい旅を続けていた2匹に、心づよい仲間が加わりました。
  灰色狼は普段はやさしいけれど、怒るととっても怖い、みんなのリーダーです。
  ジャーマンポインターは一見気むずかしそうだけど、実は照れ屋さんです。
  ダックスフントはいつも天真爛漫で、仲間思いな犬でした。

  灰色狼はたたかいになると、みんなに的確な指示を出しました。
  ジャーマンポインターとダックスフントはとっても強く、せまりくる魔王の手下をどんどんたおします。

 どうやら登場人物――いや登場動物が増えたらしい。
 灰色狼がミーナ中佐、ジャーマンポインターがバルクホルン大尉、ダックスフントがハルトマン中尉のことだろう。
 いくら坂本少佐がいるとはいえ、この波乱万丈の物語だ。
 この3人が加わるのならば、たしかに心強い。

 ――しかし、2匹が5匹になったところで、その先の旅がけっして楽なものではなかった。
 ある時、魔王の手下との戦いのなかで、ドーベルマンの剣の師匠は重い怪我を負ってしまう。
 そのあんまりな展開に、わたくしは思わず息をのんだ。

  一行は砂漠の真ん中で休憩とることにしました。
  おたがい、顔を見合わせました。
  みんな口にこそ出しませんが、その表情には諦めの色がうかんでいました。

  そこに大きな体の白いウサギと、小さな体の黒ヒョウが通りかかりました。
  「なんかあったの?」
  ウサギは問いかけました。
  「実はシャルトリューの魔王にさらわれた、豆柴のお姫さまを探しているのです」
  スコティッシュホールドの騎士はいきさつを話しました。
  「なんかおもしろそう。あたしたちも連れてって」
  黒ヒョウが笑ってそう言いました。
  旅は道づれです。みんなはよろこんでそれを受けいれました。

  一行にあたらしい仲間が加わりました。
  ウサギはとっても足が速く、おおらかな性格をしていました。
  まだこどもの黒ヒョウは、わんぱくでいたずら好きです。

  ウサギと黒ヒョウは、落ち込む一行に笑顔をもたらしました。

 また登場動物が増えた。
 ウサギはシャーリーさん、黒ヒョウはルッキーニのことだろう。
 読み進めていくとこのウサギと黒ヒョウは、役に立つよりも問題を起こすことの方が多い。
 まあ、あの二人らしいといえばらしいけど。

 ともかく、今は猫の手も借りたい状況だ。
 5匹が7匹になり、これでさらに心強い。
 その旅路は相変わらず楽なものではないけれど、それでも7匹は、もう悲しい顔をすることはなかった。

  ついに一行は魔王の城のすぐ近くの森までやってきました。
  しかしその森は、昼間でも月のない夜のようにくらく、みんなは道に迷ってしまいます。

  するとそこで、泉で水浴びをしている黒狐と黒猫に出会いました。
  どちらも「黒」とつくけれど、雪国生まれなためでしょうか、その毛色は2匹とも雪のように真っ白でした。
  「どうかしたのカ?」
  黒狐が問いかけました。
  「魔王の城にさらわれたお姫さまを助けにいきたいのですが、道に迷ってしまったんです」
  スコティッシュホールドの騎士はこれまでのことを話しました。
  「わたしたちが案内する」
  黒猫が言いました。
  その申し出に、みんなはよろこびました。

  一行にあたらしい仲間が加わりました。
  黒狐は占いが得意で、みんなのことをよく占ってあげました。
  黒猫はちょっと恥ずかしがり屋さんだけど、とってもかわいい女の子です。

  黒狐は占いをして、みんなをただしい道へとみちびきました。
  夜目のきく黒猫は、暗い森のなかをみんなの前に立って案内しました。

 さらに登場動物が増えた。
 黒狐はエイラさん、黒猫はサーニャさんのことだろう。
 二人の固有魔法をこういう風にアレンジしたわけね。なかなかうまく考えたものだ。
 知らぬうちにわたくしは物語に熱中していた。
 ページをめくる手がとまらない。本を握る手についつい力が入ってしまう。

 7匹が9匹になり、さすがにもう大丈夫だろう。
 この9匹ならばなにが起ころうときっと乗り越えられる。
 わたくしは自信をもってそう断言できる。
 9匹は暗い森を抜けて――そしてついに、魔王の城に到着する。

  スコティッシュホールドの騎士は、城の重い扉を開きました。
  するとそこでは、お姫さまと魔王が、とても楽しそうに遊んでいました。


 この展開はなんですの?
 これはなにかの間違いだろうと、わたくしはその箇所を何度も読み返した。
 でもたしかにそこには「お姫さまと魔王が、とても楽しそうに遊んでいました」と書かれてある。
 これはおかしい。
 だってここからは、魔王との最終決戦なのだから。
 これを書いたリーネさんは、いったいなにを考えているのかしら。
 これでは今までの緊迫感が台無しだわ。あまりに拍子抜けな展開だ。

  「なにをしているんだ、おまえたち?」
  ドーベルマンの剣の師匠は、いっしょになかよく遊んでいる2匹にたずねました。
  笑顔を浮かべていた魔王の表情がいっぺん、けわしいものに変わります。
  しかし、さすがの魔王といえど、9匹に囲まれてしまってはなすすべがありません。
  すると魔王と9匹のあいだに、豆柴のお姫さまが立ちました。
  「待ってください。これには深いわけがあるんです」
  豆柴のお姫さまは言いました。
  「わけだと?」
  ドーベルマンの剣の師匠は、剣をおろして言いました。
  「おい、どうしてこんなことをしたんだ」
  ドーベルマンの剣の師匠は、シャルトリューの魔王にたずねました。

 そのページはそこで終わっていた。
 気を落ち着かせるように一度、わたくしは深呼吸した。
 ここから先は、ついに物語はクライマックスを迎え、核心が語られるのだろう。
 豆柴のお姫さまは宮藤さん、シャルトリューの魔王はわたくしのことだ。
 ねぇ、どうしてわたくしは、宮藤さんをさらったりしたの?
 ねぇ、どうしてわたくしは、宮藤さんと仲良く遊んでいるの?
 このページの向こう側に、きっとその答えが書かれているのだろう。
 さあ白状なさい、シャルトリューの魔王。
 わたくしは次のページを開いた。

  「だってわたくし、おともだちがほしかったんだもの」
  シャルトリューの魔王はよわよわしい声で言いました。

 その一文に、わたくしの息がはっと止まる。
 もちろんこれはただの創作だ。リーネさんが勝手に書いたものにすぎない。
 くだらないと吐き捨てて、本を閉じてしまえばいい。
 それで気が治まらなければ、そのあとリーネさんに文句のひとつも言ってやればいい。
 なに人を勝手にモデルにして、こんなものを書いているの、
 あなたもしかして、わたくしのことをわかった気にでもなっているつもり、と。
 ――でもそんなことできるはずないじゃない。
 わかった気、ではない。彼女はわたくしのことがわかっている。
 だってこれはまぎれもない、わたくしの秘めた思いであり、口に出せない言葉であるのだから。
 上か下か、敵か味方かではない、ただそばにいてくれることを切に願う気持ち。
 それはわたくしが坂本少佐を恋い慕う感情とは違うものだ。
 この感情の呼ぶ名前を、わたくしは知らないけれど――たしかにそれは、わたくしの胸のなかにある。
 ねぇ、リーネさん。
 どうしてあなたは、わたくしのことがわかるの?
 わたくしは本から顔をあげ、隣に座るリーネさんを見た。
 すやすやとした安らかな寝顔が、そこにはあった。

 シャルトリューの魔王はそれだけ言うと、もうなにも口にできなかった。
 豆柴のお姫さまが代わりに、みんなに事情を説明した。
 なんでもシャルトリューの魔王は、もともとはとある国のお姫さまだったという。
 しかし、長く続いた戦争のせいで、国を失い、家族を失う。
 広大な城にただ1匹取り残されたそのお姫さまは、窓の外の世界に思いを馳せる。
 物置に置いてあった望遠鏡を持ってきて、窓のすぐそばに置くお姫さま。
 そして朝から晩まで、それを覗いているのだ。
 ある時、そのお姫さまは遠くでとても楽しそうに遊んでいる2匹の子供たちを見つける。
 それを見ていると、ずっと寂しかった気持ちが少し和らいだ気がしたのだ。
 来る日も来る日もお姫さまは、その2匹を見続ける。
 そしてだんだん、そのお姫さまは、自分もそのなかに混じりたいと思うようになる。

  ただ一言、「いっしょに遊んでいい?」と言えばすむ話です。
  しかし、そのかつてお姫さまであった猫は、とんでもないひねくれものでした。
  とても自分の口からは、そんなことを言えませんでした。
  せいぜい、誰かから遊びにさそわれたら、
  「あなたがそんなにさそうのなら、遊んであげてもいいけど」
  と減らず口の一つでも言って、ようやく遊びに加われるくらいです。

  どこまでひねくれものの猫なのでしょう。
  ひねくれて、ひねくれて、とうとうただの猫だったお姫さまを魔王に変えてしまったのです。

 なによ、これは。
 あまりに酷い言い草じゃないこと?
 そう思わない? シャルトリューの魔王。
 わたくしはリーネさんの本を勝手に盗み見たけれど、きっとリーネさんはわたくしの心を盗み見ているのだわ。
 まったくこの子は、どこまで人の心を盗み見できるのかしらね。
 わたくしはそれが憎らしいと思う反面、なぜだか嬉しくもあった。

 事情を聞かされた9匹は、そこでもう、魔王のことを怒るに怒れなくなってしまった。
 ――だが、とドーベルマンの剣の師匠は言う。
 だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。私たちは国に帰らねばならない。
 なぜなら豆柴のお姫さまには国をつぐという役目があるから。
 それに戦いで傷を負ったドーベルマンの剣の師匠も、国に帰って治療をしないといけないという。
 いつまでもこうして遊んでいたい。
 豆柴のお姫さまがそう思っても、その願いはかなわない。
 ――でも、と豆柴のお姫さまは言う。
 でも、もう日は暮れてしまったから、旅立つのは明日でいいでしょう?
 ドーベルマンの剣の師匠はそれにうなずく。
 豆柴のお姫さまはシャルトリューの魔王のすぐそばまで近づく。

  「もう一晩だけ、一緒に遊んでくれる?」
  豆柴のお姫さまの問いかけに、シャルトリューの魔王はこくり、とうなずきました。
  「……あ……りが……とう」
  シャルトリューの魔王は、小さな声でそれだけ言いました。
  そしてシャルトリューの魔王は、声を出して泣きだしてしまいます。
  みんなはシャルトリューの魔王をなぐさめました。
  しかし、10匹がかりでなぐさめても、なかなか泣きやんでくれません。
  けっきょくシャルトリューの魔王は、涙が枯れるまで泣きつづけました。

  そうしたら、シャルトリューの魔王は、ちっぽけなただの猫にもどってしまいました。
  もう魔王はどこにもいません。
  そこにいるのは、ただのシャルトリューです。

 そして11匹は遊びはじめた。
 なわとびや、かくれんぼや、ままごとや、なんともたわいない遊びを時間を忘れて夢中になる。
 さっきまであれだけ泣いていた、ただのシャルトリューの顔に、だんだんと笑顔が戻っていった。
 しかしわたくしは知っている。
 時間は流れている。止まらない。
 この夜は、いつか明けてしまうのだ。

  「そろそろ私は行かなければならない」
  ジャーマンポインターは言いました。
  「実は私には、病気の妹がいるんだ」
  ジャーマンポインターはさらにそう付け加えます。
  なんでもジャーマンポインターには病気の妹の看病をしなければならないといいます。
  灰色狼とダックスフントも、それについていかなければならないと言いました。
  3匹はみんなにお別れを言うと、行ってしまいました。

  「そろそろあたしも行かなきゃ」
  ウサギは言いました。
  「実はあたしには、とてもたいせつな夢があるんだ」
  ウサギはさらにそう付け加えます。
  なんでもウサギの夢は、誰よりも速く跳び回ることだといいます。
  黒ヒョウも、それを支えるためについていくのだと言いました。
  ウサギと黒ヒョウはみんなにお別れを言うと、行ってしまいました。

  「そろそろわたしも行かなくちゃ」
  黒猫は言いました。
  「実はわたしには、探さなきゃいけない家族がいるから」
  黒猫はさらにそう付け加えました。
  なんでも黒猫は、長く続いたいくさのせいで、家族と離ればなれになってしまったのだと言います。
  黒狐も、その旅についていかなければならないと言いました。
  黒猫と黒狐はみんなにお別れを言うと、行ってしまいました。

  みんなにはみんなのわけがあるのだと、ただのシャルトリューは知りました。
  ただのシャルトリューは寂しさを見せないように気をつけて、笑顔でお別れしていきました。
  それでも、ほんのすこしの時間でも、自分と遊んでくれたのが嬉しかったのです。

 11匹いた動物たちが、それぞれの理由でどんどん抜けていってしまう。
 そしてついに、4匹だけが残される。
 ただのシャルトリューと、豆柴のお姫さまと、スコティッシュホールドの騎士と、ドーベルマンの剣の師匠。
 残された4匹は円になって座り、笑い話をはじめた。
 しかしそれも、いずれ終わりを迎えてしまう――
  そしてついに、日が昇りました。

  「私たちもそろそろいかないとな」
  ドーベルマンの剣の師匠は、そう言うと立ち上がりました。
  豆柴のお姫さまは、なごりおしそうでしたけれど、それにしたがって立ち上がります。

  ただのシャルトリューは、みんながいなくなってしまうことをさびしく思いました。
  そしてまたひとりぼっちになってしまうことをさびしく思いました。
  でも、ただのシャルトリューは、いかないでとは言いませんでした。
  それはこれが、とってもたいせつな約束だからです。

  しかし、スコティッシュホールドの騎士だけは、立ち上がろうとはしませんでした。
  どうかしたのかとみんなは不思議がりました。
  ただのシャルトリューの青い目は、スコティッシュホールドの騎士に向けられます。

  「私はここに残ります」
  スコティッシュホールドの騎士は、座ったまま言いました。

 どうして? とただのシャルトリューはびっくりして聞き返す。
 だって、他の2匹は帰ってしまうから。
 だって、スコティッシュホールドの騎士には帰る国があるから。帰りを待つ家族がいるから。
 だって、それでは、とってもとってもたいせつな、豆柴のお姫さまと離ればなれになってしまうから。
 スコティッシュホールドの騎士は、ただのシャルトリューに向き合う。

  「たしかに豆柴のお姫さまのことはたいせつに思っています」
  スコティッシュホールドの騎士がそう言うと、魔王はうなずきました。
  「でも、今のあなたをこのままひとりぼっちにさせるなんて、私にはできません」
  スコティッシュホールドの騎士は言いました。

 ――ふと、わたくしの左肩に重いものがのしかかった。
 わたくしは視線を本から外し、それに顔を向けた。
 傍らで眠るリーネさんが、わたくしにもたれかかってきたのだ。
 それでも、リーネさんはすやすやと眠ったままだった。
 私はここにいます、となんだかそう言っているように思えた。
 わたくしはその重さをたしかに感じると、
 そのやさしい安らぎにつつまれて、穏やかな気持ちになった。

 本当にいいの、とただのシャルトリューは何度も何度もたずねた。
 その度に、スコティッシュホールドの騎士はうなずいた。
 ――だって、とスコティッシュホールドの騎士は言う。
 だって、あなたをひとりぼっちにしてしまったら、あなたはきっとまた魔王に戻ってしまう。
 ――それに、とスコティッシュホールドの騎士は言う。
 それに、私はこの旅で、みんなのようになにかをしたわけではありません。
 ――でも、とスコティッシュホールドの騎士は言う。
 でも、ようやく私にも、私のできることを見つけました。
 それは滅んでしまった国を、もう一度よみがえらせること。
 そうしたら、きっともうあなたは魔王になることはないから、と。
 この猫の考えることはわからないわ、とただのシャルトリューは思う。
 なぜならただのシャルトリューは、知っていたから。
 スコティッシュホールドの騎士がどれほど豆柴のお姫さまのことを思っているのかを。
 この猫が豆柴のお姫さまととても楽しそうに遊ぶのを、いつも望遠鏡見ていたのだ。
 ただのシャルトリューはスコティッシュホールドの騎士に訊ねる。
 ねぇ、どうしてあなたはわたくしのためにそんなことをしてくれるの?

  「それは、今の私には、あなたのこともたいせつだから」
  スコティッシュホールドの騎士は言いました。
  「だって、あなたはもう、私のたいせつなおともだちだから」

  スコティッシュホールドの騎士は、さらにそう付け加えました。
 ぽとり、と本のページに水滴が落ちた。
 水滴はひろがり、紙にしわをつくった。
 ぽとり、ぽとり、といくつもの水滴が次々にページに落ちてくる。
 どうして? 雨なんて降っていないのに。
 やがて視界はぼやけて、本のページがよく見えなくなった。
 わたくしは自分でも気づかぬうちに、涙を流していたのだった。

 わたくしは涙をぬぐって、本を読み進めた。
 豆柴のお姫さまは、寂しそうな顔で騎士を見てくる。
 しかしそれでも、スコティッシュホールドの騎士の決心が揺らぐことはなかった。
 ドーベルマンの剣の師匠は、それは騎士が決めたことだからと、それを受け入れた。 
 旅立つ2匹をスコティッシュホールドの騎士と、ただのシャルトリューは見送ることになる。
 ――ちゃんと国をよみがえらせたら、とスコティッシュホールドの騎士は豆柴のお姫さまに言う。

  「そのときになったら、胸を張って会いにいきます」
  スコティッシュホールドの騎士は言いました。
  「私、せいいっぱいがんばります。またあなたに会うために」
  スコティッシュホールドの騎士は、豆柴のお姫さまにお別れを言います。

 魔王と騎士は行ってしまった二匹の姿が見えなくなっても、ずっとずっと手を振る。
 わたくしはふいに、あの時のことを思い出した。
 あの二人は今、どうしているだろうか。
 遠い遠い、扶桑という名の国に帰っていった二人に思いを馳せた。
 部隊が解散し、扶桑へ帰る船に乗り込む坂本少佐と宮藤さん。
 そしてその見送りにいった、わたくしとリーネさん。
 二人を乗せた船が水平線の向こうに消えても、わたくしたちは手を振り続けた。
 リーネさんもまた、あの時のことをちゃんと覚えている――

  「会いにいくとあなたは言ったけれど」
  ただのシャルトリューはスコティッシュホールドの騎士に語りかけました。
  「それだけじゃなくてわたくしは、またみんなに来てほしいわ」
  かつて魔王であった猫がそう言うと、騎士はうんうん、とうなずきました。
  「素敵な国にしようね」
  騎士がそう言うと、かつて魔王であった猫はうんうん、とうなずきました。
  「またみんなで、楽しく遊べるように」
  2匹の猫は、声をそろえて言いました。

 とっても綺麗な国にしよう、と2匹の猫は誓い合う。
 それには花を植えたらいいんじゃないかとスコティッシュホールドの騎士は言う。
 ただのシャルトリューは喜んでそれに賛成する。
 どんな花を植えようかと2匹は相談する。

 ――そこから先で文章は途切れ、あとは真っ白なページが続いていた。

 わたくしはその空白を、しばらくのあいだ見つめていた。
 もう本を読みはじめてずいぶんと経つ。そろそろリーネさんの目が覚めるかもしれない。
 そう思ってわたくしは、しおりを手に取った。
 しおりを挟んで本を閉じると、また彼女の鞄に戻しておいた。
 そして、この泣きはらした顔を目覚めた彼女に見られたくなくって、顔を洗いに行くことにした。

 そしてそれから数日が経った。
 あれ以来、わたくしはあの物語の続きをずっと考えていた。
 まさかあそこで終わりということはないだろう。
 物語はまだまだ続くはずだ。
 2匹の猫は、ちゃんと国を復興することができただろうか。
 スコティッシュホールドの騎士はちゃんと胸を張って、豆柴のお姫さまに会いに行けただろうか。
 そしてまた11匹が集まって、かつて魔王の城であった場所で、いっしょに遊べる日が来るだろうか。
 わたくしはあの物語の続きを読みたいと思った。

 それともう一つ、わたくしに変化があった。
 あれ以来、どうしてもリーネさんの顔を見ることができない。
 それは泣きはらした顔が元に戻ったあとも、やっぱりダメだった。
 勝手に本を覗き見た後ろめたさもある。
 それを読んで泣いてしまったという気恥ずかしさもある。
 彼女がわたくしをどう思ってくれているか知って、そのせいでの照れもある。
 どんな顔で彼女に会えばいいのか、わたくしにはわからない。
 彼女になにか言うべきだろうか。
 詫びるべきだろうか、感謝の言葉を言うべきだろうか。
 このことを秘めたままにはしておけないと思いながらも、わたくしはそれが出来ずにいた。
 まったく、自分で自分に心底嫌気がさす。
 物語のなかでは、シャルトリューの魔王は、ただのシャルトリューに戻った。
 しかし現実のわたくしはそうではない。
 わたくしの心のなかの魔王は、まだ消えてはいないのだ。

 そんな日が続いたある朝のことだ。
 わたくしが目を覚ますと、枕元にあの本が置かれていた。
 どうして、という疑問のあとに、もしかして、という期待が湧いてきた。
 わたくしは後ろめたさから、本を閉じる時にしおりを別のページに挟んでおいたのだった。
 リーネさんはそのことに気づいたのだろうか。
 もしかしたら――涙のあとにも気づかれたかもしれない。
 本の表紙の上に、メモが1枚添えられていた。
 わたくしは本とともに、そのメモを手に取った。
 メモにはあの物語をつづるのと同じ、丁寧で可愛らしい文字で書かれていた。

  ペリーヌさんへ

  本が読まれたことには気づいていました。
  でも、私の口からはそのことをなかなか言い出しづらくて、
  (それにペリーヌさんは私に会うとすぐどこかへ行ってしまうので)
  こうやって夜にこっそり忍び込んで、メモを残すことにしました。

  本を読まれたことについて、私は別に怒ってはいません。
  だからもし気にしているのであれば、もうそんなことはやめてください。
  だってこの物語は、ペリーヌさんに読んでもらいたくて書いたものだからです。
  本当ならちゃんと書きあがったら読んでもらおうと思ってたんですけどね。

  私の書いた物語はどうでしたか?
  少しでも楽しんでもらえたのなら、とっても嬉しいです。

  あと少しですが、続きを書きました。
  よかったら読んでみてください。
  まだ完成までには時間がかかりそうですが、頑張って書いていきます。

  それと、もしよかったら、感想を聞かせてください。

                                  リーネ


 それを読み終えると、わたくしは本をぎゅっと抱きしめた。
 ありがとう、嬉しい、大好き。
 たくさんの気持ちが胸のなかにあふれてきて、わたくしのこの胸ではもう抑えきれない。
 読み終わったら、まっさきにリーネさんに会いにいこう。
 そしてちゃんと彼女の顔を見て、この思いを伝えよう。
 わたくしはベッドに腰を下ろすと――そっと本のページを開いた。

 いったいこの先には、どんな物語が待っているのだろうか。


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