学園ウィッチーズ 第1話「はじめまして」
世界のどこかにあるという、女子高――ストライク学園。
世界各地から、優秀なウィッチの卵やウィッチではないもののウィッチにあこがれる、少女たちが集っていた。
ストライク学園高等部一年、エイラ・イルマタル・ユーティライネンは屋上で一人、大の字に寝そべって、流れる雲を瞳に映している。
彼女は高等部から、この学園にやって来た。
まだ、この学園に来てからひと月も経っていない。
準備される寮に入るのも、今日からだ。
ゆえに今のところ、友達らしきものはいない。
無論、いじめられているというわけでもないが、どちらかというと、ウィッチではない者の比率が多いこの学園では、ウィッチである彼女は浮きがちだし、他の生徒たちも声をかけることに躊躇していた。
基本的には。
「あの…」
ふいに聞こえてきた少女の声に、エイラは起き上がり、顔を振り向ける。
見ると、顔を真っ赤にした少女が手紙を握り締め、立っている。
おかっぱの黒髪に黒目、典型的な扶桑の少女。
ふと目に入った校章の色を見る限り、中等部の子ダナ、と考えるエイラの眼前に手紙が突きつけられた。
「これ、読んでください」
「え? でも…」
エイラが返事を返す間もなく、生徒は脱兎のごとく屋上をあとにする。
友達でも同行していたのか、きゃあきゃあ騒ぐ黄色い声が階段を下りていく音とともに薄れていく。
エイラは頭をかきながら、手紙を開く。
幼さの残った字で、エイラへの想いが書き連ねられているが、エイラは読み終えると、静かに手紙をたたみ封筒に戻し、上着のポケットに押し込む。
「好きだ……って言われても、今会ったばっかじゃわかんネーヨ…」
手紙をもらったこと自体はまんざらではないものの、唐突な告白にエイラは唇を尖らせ、また寝そべる。
花の匂いが香る風に前髪が吹き乱される。
澄ました耳の奥に、かすかにピアノの音が響く。
エイラは起き上がって、屋上を歩き回り、足を止め、転落防止用の金網に指を通す。
中等部校舎の音楽室の窓が開いていた。
真白い指先が軽やかに鍵盤を叩いている。
銀髪に隠れた横顔。
エイラは、しばし演奏に聞き入る。
ふいに、音がやみ、ピアノを弾いていた少女がエイラのほうに気づいたかのように顔を向ける。
視力の良いエイラは少女の顔を見つめる。
少女もエイラに気づいているのか、視線を外さない。
大きな、みどり色のあどけない瞳。
その表情はどことなく悲しげで。
気がつけば、エイラは少女に見入っていた。
昼休みの終了を告げるベルの音。
エイラははっとして少女から視線を外す。
少女は、立ち上がると、校舎の奥へ消えていった。
エイラはいつのまにやら力強くぎゅっと握り締めていた金網から指を外す。
胸の鼓動は、なぜだか少し早くなっていた。
「すごい綺麗なピアノの音だったんだヨ」
その日の放課後、興奮冷めやらぬといった様子のエイラは、同郷の教師であるエルマ・レイヴォネンのいる準備室に押しかけていた。回転椅子に座り、回りながら、熱く語るエイラに、エルマは書類にサインしながら、笑顔を向ける。
「よかった」
「え?」
「お友達になれそうな子を見つけたのね」
エイラはなぜか耳まで真っ赤にして、立ち上がる。
「ソ、ソンナンジャネーヨ!」
「あら、何がそうじゃないのかしら~」
と言う言葉とともに、エイラの首に腕が回され、エイラの視界に金髪の縦ロールが揺れる。エルマの同僚のミカ・アホネンだ。彼女はエルマの同郷。つまり、エイラの同郷でもある。
「は、離せヨ。この色魔教師!」
「まあ、心外ですこと。これでも"ある程度"の節度は保っててよ? 時にエイラさん、あなた、恋をしたのね」
アホネンは片腕でエイラをがっちり固めたまま、空いたほうの手で縦ロールの髪をさらりと優雅にかきあげる。
「だから、ソンナンジャナイッテ…」
「だってあなたがここに来てあんなに瞳を輝かせていたのなんて久しぶりですもの。ねえ、エルマさん」
エルマは、アホネンに圧倒されつつも、こくりこくりとうなづく。
「てか、いつから居たんだヨ…」
「ここのドアを開けて"ナアナア、キイテクレヨ~"ってところからよ」
高笑いするアホネンから、隙を見てエイラは逃れると、かばんを引っつかんで準備室を後にする。
「と、とにかく、ソンナンジャネーかんな!」
「おっ~ほっほ。時には素直になりなさい~」
エイラが去った後、エルマがぽつりとつぶやく。「私、"お友達"になれそうな子って言ったのだけれど…」
顔を真っ赤にし、ずんずんと廊下を進むエイラ。
掃除の時間も終わったためか、人はまばらにしかいない。
気がつけば、中等部と高等部をつなぐ渡り廊下の手前まで来ていた。
ソンナンジャネー、とまるでお経のように小さくつぶやき、エイラは踵を返しかけるが、意を決したかのように、渡り廊下に足を踏み入れる。
渡り廊下を半分まで進んだところで、気配を感じて、ふと木を見上げると、ロマーニャの国旗を敷いて木の上で寝そべる少女と目が合う。ブルネットの髪をツインテールにした、褐色の肌の少女。
「なんか用?」
「ナ、ナンデモネーヨ。ていうか、そんなところで寝そべってたらあぶねーヨ」
「大丈夫だも~ん」
少女はひょいっと身を翻して、軽やかに着地する。黒豹のように。
エイラは目を見張り、感心しながら、本来の目的を思い出し、中等部へ向かった。
「お~い、ルッキーニ~」
校庭から響く声。
エイラが視線を移すと、オレンジ色の髪に豊満な体の少女が褐色の肌の少女に手を振っている。
「シャーリー、おっそ~いぃ~」ルッキーニと呼ばれた少女は母親が迎えにやって来た子供のように駆け出していった。
エイラは、二人の様子をしばし眺めた後、ようやく中等部校舎にたどり着く。
エイラは、なぜか深呼吸をして、中等部の校舎を進む。
構造は高等部と瓜二つなので、迷わず、音楽室へ向けて、階段を登る。
途中、見知った顔と出くわす。同じクラスの、ブリタニア出身の少女である。
「リーネ?」
「エ、エイラさん?!」
リーネはひどく驚いた顔をして、なぜか反射的に手をつないでいた少女を自分の後ろに隠す。
「どうして中等部に?」
「いや……その……や、野暮用だヨ。お、お前こそ…」
「わ、私は中等部にお友達がいて…」
リーネはわずかに頬を染めて瞳を横にそらす。
彼女の後ろに隠れていた少女が、リーネの肩から顔を出して、頭を軽く下げる。
「は、はじめまして。中等部三年の宮藤芳佳です!」
突然に挨拶に戸惑いながらも、エイラもとりあえず自分の学年と名前を告げた。
三人の間に微妙な空気が流れる。
わずかに苛立ち始めたエイラは半ば強引に、二人を通り過ぎて、音楽室へ向う。
「じゃ、じゃあナ!」
エイラの背中を見送る二人は顔を向き合わせる。
「リーネちゃん、エイラさんって…」
「うん。今日から…」
エイラは、ようやく音楽室へたどり着き、ドアに開けられたガラス窓を除くが、もぬけの殻だった。
がっくりと肩を落とし、ドアに背をくっつけ、そのままずるずると床に座り、顔を伏せた。
「なに期待してたんダロ…」
みどり色の瞳が頭の中に鮮明に浮かぶ。
――時には素直になりなさい~
同郷教師の騒がしい忠告を思い出し、エイラは確かめるように、小さく、つぶやく。呪文のように。
「もう一度、会いたいナ……」
静まり返った廊下に、足音が響く。
エイラは、恐る恐る顔を上げると、階段を登ってくる人の気配。
銀髪。
みどり色の瞳。
昼間、ピアノを弾いていた少女が、階段を登り、エイラの前に現れる。
二人は互いに目を丸くして、見つめあう。
エイラは、恐怖にも似たような感情に襲われ、頭が真っ白になるが、なんとか立ち上がり、思わず頭をかきあげて、考え込む。
少女は、そんな彼女をまばたきしながら、見据える。
エイラは、手を下ろし、勇気を振り絞るかのように、少女をまっすぐ見つめ、問いかけた。
「……ピアノ、もう一度聞かせてくれないカ?」
少女は、その言葉に驚きながらも、小さく微笑み、うなづく。
夕暮れに染まった音楽室に入った二人は、並んで椅子にかけ、ピアノに向き合う。
エイラは、ちらりと少女を見て、ピアノの鍵盤を見つめた。
「わ、私の名前はエイラ・イルマタル・ユーティライネン。高等部二年。出身は……スオムスだ」
「……サーニャ・V・リトヴャク、中等部二年。オラーシャ出身。この間ここに来たばかりなの。よろしくね、エイラ」
いきなりの呼び捨てに、エイラは顔を上げてサーニャを見る。
昼間の、悲しげな瞳はそこにはなかった。
「こっちこそ、よろしくナ。サーニャ…」
サーニャの細く、白い指が、ピアノの鍵盤の上を踊り始める。
エイラは、目を瞑り、奏でられる音色に聞き入った。
二人が校舎を出る頃には、空には星空が見え始めていた。
エイラとサーニャは並んで歩く。
「転校早々学級委員ってひどくないカ……?」
「でも、クラスのみんなの役にも立ってみたいし…」
「気持ちは分かるけど、色々押し付けられるかもしれないゾ」
「うん。けど……頑張る」
にっこりと微笑むサーニャに、エイラは何も言い出せなくなって話題を変える。
「サーニャは、寮か?」
「うん」
「じゃあ、送るよ」
「エイラは?」
「私も、今日から寮だ」
「今の時期に?」
「最初は一人でいいやって思ってたんだけど、なんかナ…」
そうして、二人は寮が立ち並ぶ敷地にたどり着く。
目を凝らしてみると、9つの人影が並んでいた。
竹刀を片手に持った眼帯姿の扶桑人。
赤毛の少女。
髪を黒いリボンで2つに結った少女。
金髪の幼い顔立ちの少女。
長く、ウェーブのかかった金髪のメガネの少女。
そして、昼間エイラが会った、リーネ、芳佳、ルッキーニ、シャーリー。
赤毛の少女が一歩前に出る。
「はじめまして、エイラさん。501号館寮長のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケよ。今日からよろしくね」
ぼうっとしているエイラの手をサーニャが握り、笑顔を向けた。
「今日から一緒だよ」
つづく