ぺトルーシュカ


夕暮れ。ブリタニアの夕暮れは少し物悲しくて、こんな時、私はきまって少し寂しい気持ちになる。
ネウロイの襲撃が予測されていない今日のような日は、この時間みんな集まって
おしゃべりしたり、遊んだり。思い思いの時間を過ごす。私は、と言えばいつも決まってピアノの前。
本当はみんなと話してたりもしてみたいけれど、きっとそれは上手く出来ない。

私は、サーニャ・V・リトヴャク。故郷オラーシャからこの501部隊に派遣されてもう1年。
1年も経つのに言葉をちゃんと交わせた人なんてほとんどいない。夜間哨戒の多いスケジュールのせいにして、
ほんとは自分の嫌になるほどの内向き性格が原因だってことも分かってる。

エイラ、楽しそう……。

一人の少女が隊の仲間と楽しく談笑している姿が目に映る。
その少女エイラ――エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉は数少ない私がちゃんと話せるヒトだ。
すごく可愛くて、すごく強くて、すごく優しいヒト。
この隊に私が来た時から、ずっと私のことを気遣ってくれていて、
もう、彼女と一緒にいない時間の方が不思議に感じられるような気さえする。

でも……

でも、だからこそ、こんな時に私の心は少しさいなまれるのだ。エイラは私といる時はいつも優しくて、
包み込むようにわらってくれるけど、今のように年相応な楽しそうな顔は、ほとんど見せてくれなかった。
そのことを思うと、自分の心に不協和音が刻まれていく。なんだか、ここにいたくない。
暗い感情が胸を覆い、演奏を終えると私は立ち上がった。

「ミーナ中佐、……少し部屋で休んできます」
「あら、疲れちゃったかしら。そうね、しばらくゆっくりしていらっしゃい」
「……はい」

「あ、サーニャ私も」

会話を弾ませてたエイラが、あわてた様に立ち上がった。いつもなら一緒に……だけど、

「いいよ、エイラ。少し横になるだけだから」

さっきから折り重なった不協和音が言葉の端を狂わせる。

「でも、」
「いいからっ」

私はハッと口を手で押さえた。自分でもビックリするほどの声で、
目の前のエイラが茫然としているのが見えた。私はなんとか声を落ち着けると

「ごめんね、……一人に、なりたいの」

やっとそれだけを言って、私は自分の部屋へと逃げた。そう、逃げたのだ。

カーテンを閉め切った暗い自分の部屋。
陽の光は苦手だ。まるで自分のこの嫌な心の中まで透かされているようで。
感情が蜘蛛の糸に絡め取られるようにほどけない。

優しいだけで十分なのに。あのくすぐったくなるような柔らかい視線だけで十分すぎるのに。
まだ、それ以上のなにかをエイラに私は求めているのだろうか。
他の人と楽しそうに話すのが嫌だなんて。その楽しそうな顔を自分に見せてくれないのが嫌だなんて。
あんな態度を取れば、エイラの気を少しでも惹けるとでも思ったのだろうか。
自分の考えがあまりにもあさましく感じられて、惨めな気持ちだけが心を占めていった。



トントン、トントン。

ドアをノックする音。すっかり眠ってたみたいで、時計の針はもう夜の8時を指していた。

「サーニャ、起きてル?」

声の主はエイラだった。いつもの優しい声が少しだけ震えてるようで、何を答えていいのか分からなくなる。

「サーニャ、どっか、具合……わるいノカ? 夕食にも来なかったカラ、みんな、心配して、」

途切れ途切れの言葉。扉の向こうに感じるエイラの気配が沈んでいた。

「あの、サーニャ。私、いつもサーニャにくっついて……その、上手く言えナイけど」
「……大丈夫。ちょっと食欲、ないだけだから」

出たのは驚くほど硬い声だった。エイラの気配の輪郭が微かに揺れる。

「そ、そっカ。なら、後で食べれるようにあっためればいいだけノ用意しとくカラ」

パタパタとエイラが駆けていく足音が聞こえた。子供じみた我侭な感情で、エイラばかり傷つけて。

私……最低だ。

灼け付いた思考回路と喉、全身がカラカラになったような気がする。
食欲はなかったけど、水だけ飲みたくて。後で食堂に行こう、そうとだけ私は思った。

結局、私が食堂に行ったのは9時も回ってからからだった。もう、とっくに夕食を終えたそこには
誰もいないと思っていたけど、白い灯りのなかに一つのシルエットがあった。

「あれ、サーニャちゃん? 具合どう? 食欲ないって聞いたけど」
「芳佳ちゃん……」

食堂に残っていたのは扶桑から来た部隊のニューフェイス、宮藤芳佳軍曹だった。
明るくて、自信家で、自分とは正反対の少女。誰とでもすぐ打ち解けられるのはうらやましい位で。
私がなんとか彼女と話せるようになったのも彼女のその性格のおかげだった。

「大丈夫……なんでも、ないよ」
「そう、かな? サーニャちゃん、あんまりなんでもない顔には見えないよ?」

ごまかす様にやっと言ったセリフも、芳佳ちゃんにはあっさり見透かされていたみたいだった。

「なにか、あった?」
「……そんなこと、芳佳ちゃんはなにをしてたの?」
「えっ、私? ちょっとお茶が飲みたくなって。サーニャちゃんもどう? みるくてぃーでいい?」
「うん」

なんだか少し慣れない手つきでお茶を淹れてくれた。オラーシャほどではないけれど、
夏でも少しひんやりするブリタニアの夜にあったかいミルクティーが染み渡っていく。

「気にしてるの、夕方のこと?」
「……それも、あるけど」
「じゃあ……エイラさん?」

平静を装ったつもりで、多分肩が少しピクンと跳ねていた。

「なんか、当たり……みたいだね」
「……ちが、」
「なにか悩んでることあったら、なんでも言ってほしいな。私たちチームで、なにより友達なんだから」

もう、逃げられそうになかった。

「私、きっとエイラに迷惑……かけてる。そう、思って」
「へっ!? 迷惑!?」

(エイラさんを見る限り、迷惑どころか狂喜しているようにしか見えないんですけど!)

「ど、どうして、そう思うの?」
「私の性格がこんなだから。エイラは優しくていつも私と一緒にいてくれるけど、
 みんなと喋ってる時の表情とか、私と一緒にいなければエイラはもっと楽しいんじゃないかって」
「そ、そうなの? でも、エイラさんはそうしたくてやってるみたいだよ?」
「……きっと、私みたいのが放って置けないんだと思う」
「えっと……それだけで、多分あんなにいつも一緒にはいられないよ、サーニャちゃん」
「……そう、なのかな……」
「サーニャちゃん。サーニャちゃんが引っかかってるのはもっと、別のことじゃない?」
「……私」
「サーニャちゃんが思ってること、きっと全然変でもなんでもないよ。多分、みんなそうだよ」
「芳佳ちゃん……。私、エイラがずっと優しくしてくれるの、すごく嬉しかった。今でも、嬉しい、けど」
「けど?」
「……時々、それがすごく残酷に思えるの。優しくして、でも、触れてはくれない。心にも、身体にも」
「うー、それは」
「私はずっとエイラのこと見てる。自分でも気づかない位いつも視線がエイラを追ってる」
「うん……多分、エイラさん以外はみんな知ってるけど」
「そのこと、エイラに気づいてほしい。もっと、エイラのいろんな笑顔も気持ちも、見せて、ほしい……」
「……そっか。サーニャちゃん、好きなんだ。エイラさんのこと」

そう言われて、私ははっと我に返った。なんか、とんでもないことを言ったような気がする。

「違う? サーニャちゃん?」

「……ううん、きっと違わない。私は……」
「……なんかそこまで想われてるなんて、こっちが妬けちゃうよ」

芳佳ちゃんの手が伸びて、私の頭をゆっくり撫でた。

「少し、落ち着いた?」

私は無言で小さく頷く。身体全体が熱を帯びていたみたいで、微かに汗がにじんでいた。

「もう、いいかな。サーニャちゃん、今日はゆっくり休んで。
 また、なにかあったら相談してね。大切な友達が塞ぎ込んでるの、私、見たくないよ」
「うん……ありがとう、芳佳ちゃん」

急に疲れが押し寄せる。私は部屋に戻ろう、そう思った。
芳佳ちゃんが手を振って見送ってくれてる。明るい笑顔。あんな風になれたらいいのに。
そんなことを思いながら、私は食堂を後にした。

「だ、そうですよ。そこの木箱の中でじゃがいもまみれになってるエイラさん」

「う、うるさいナー。ナニが言いたいんダヨ?」
「エイラさん、あんな熱烈な告白聞いてなんとも思わないんですか?」
「そっソレは、でも直接、イワレタわけじゃナイし……」
「あー。じゃあ、直接聞いてきたらどうですか? ほら、サーニャちゃん行っちゃいますよ?」
「うえあっ、サーニャ、まっっ……」

「エイラさん、走っていっちゃったよ……。まっいいか! さって、じゃあ私も寝よっと」

(気持ち、伝わるといいね。サーニャちゃん)



「サーニャ!」

後ろから来る気配とあわただしい足音。その気配と声が確かにエイラのもので、
今まであんなことを話してたからだろうか、私は自分の心が波立つのを感じずにはいられなかった。
エイラの声もどこか焦ったような声のような、そんな気がするけれど。

「サーニャ、もう具合いいノカ? 食欲は」
「……大丈夫、だよ。ごめんね、心配かけて」
「あの、サ。やっぱり、私がいつもいるの、よくないッテことだよナ……」
「そんなこと……私、もう、寝るね」

言葉が途切れていた。部屋へと帰る私の後ろで、エイラはほとんど身じろぎもしていないようだった。
傷つけるだけ傷つけて、それなのに気持ちに気づいてほしいだなんて。身勝手にも程がある、そう思った。


「……サーニャ!私もサーニャのコトが好きなんダ!」

―――――――!
何を言われたのか、一瞬、まるで分からなかった。感情を制御する中枢が沸騰したみたいで。
好き、そのフレーズが頭の中でリフレインする。信じられない気持ちがくるくるまわる。

……あれ、私“も”? ……“も”?

「エイラ、『私“も”』、ってなに?」
「えっ……ア……。ソレ、は……」
「もしかして、さっきの話聞いてたの?」
「……聞いてタ」
「どっから?」
「……最初カラ、全部」

それを聞いて、私は全身がどっと脱力するのを感じた。そうなんだ、全部聞かれてた……。

「私は、自分のしてるコトがそんなにサーニャを傷つけてルなんて思いもしなかっタ。
 だから、私に本当は好きとか表明する資格なんてナイんだと思う。
 サーニャは私が他のみんなといる時に楽しそうに見えるって言ったよナ」

私は無言のまま頷いた。

「確かに、みんなといるのは楽しいヨ。けど、サーニャは違う。
 サーニャというときは、もっと、こう……心があったかくなるンダ。いつも、落ち込んだ時も
 なにもかもが辛かったばかりの時も。だから、サーニャだけは特別、ナンダ……」

逆光であまりよく見えなかったけど、きっとエイラの頬はいつもより紅く染まっていたと思う。
エイラから紡がれる一生懸命なその言葉が嬉しくてたまらない。
こんな嬉しいこと、あるのかな? あっても、いいのかな?

そして、私は大事なあることに気づくのだ。

「ありがとう……まだ私、エイラにちゃんと言ってなかったね」
「ナニ……?」

「エイラ、大好き……!」


月明かりが見つめる二つのシルエットは、その時一つに融けていたに違いなかった。    fin.


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