無題
音速を越えた。
嬉しかった。言葉では言い表せないくらいに。
音速を越えた。
目標が達成された。ずっと機嫌がよかった。
音速を越えた。
でも、今は――。
音速を越えた。
その日から、あたしの何かが変わった。
願い続けて夢は叶った。どの機械よりも、どのネウロイよりも、どのウィッチよりも速く飛ぶ夢。
頭の中の設計図を描いては破り、描いては破りの繰り返し。ストライカーの調整をしては飛び、調整しては飛ぶ。その繰り返し。
夢に近づく過程は思い通りにいかずイライラしたことはあったけど、それが一番楽しかったんだろうな。
だけどあの日、音の壁を越えたことで、どこかのネジが外れた。
現に今ストライカーを弄っているあたしは、ちっともワクワクしない。面白くもなんともない。
さっきルッキーニが来た。遊んでほしかったんだろうな。いつもの幼い声だった。
あたしはそれを突き返した。
『もうここに来るな』の一言で。
ルッキーニは何も言わずにハンガーから出ていった。
通路を走っているらしい足音と、あたしの放った言葉がいつまでも耳に張り付いていた。
あれから何分経ったんだろ。もう物音一つ聞こえない。
スパナを持っても、ドライバーを持っても何をしたらいいか分からない。
改造による調整なんかじゃなくて、ストライカーそのものを作り替えないとダメなのかもしれない。
そうすれば、何かが掴めるかもしれない。
それよりあたしは何をしたいんだろう。
なんだか・・・白けちゃったな。
ハンガーには誰も来ないよな。
ならもう、ふて寝でもしてやろう。
神様の、ばか。
カチン。カラン、カラカラ・・・コトン。
誰だよ、整備の時間じゃないだろ?目ぇ覚めちゃったじゃん・・・
うん?あの髪の色は・・・大尉?なんでこんな時に整備してんだよ。
もう最悪だ。
「うるっさいなあ・・・」
「起きたのか。」
「どっかの誰かが機械弄り始めたら誰だって起きるだろ。」「
お前がこの程度で起きるとは予想外だった。」
「へぇそうかい・・・」
カチャ、カチャと耳障りな金属音が響く。
静かにしてくれと言いたいとこだけど、こいつには理屈並べられて何か言われるだけだ。
汗かいたし、お風呂入って腹ごしらえしたら寝よう・・・。
「イェーガー少尉。」
「ん。」
「個人的な感情を振りかざしては、隊の士気に関わる。今後控えることだな。」
「はぁ?あたしは心当たりないけど?」
「・・・ルッキーニ少尉がひどく落ち込んでいる。」
「ルッキーニが?あぁなるほどね、拗ねちゃったかぁ。あいつもまだまだ子供だな。」
「子供なのはお前も同じだ。いいか、この状況が長引けば戦闘に影響が――」
もう、何もかもうっとおしい。
静かにしてくれ。
うるさいよ、あんた。
「戦闘、戦闘、戦闘ってか。カールスラント軍人様は好戦的だなぁ。泣く子も黙る戦争屋ってやつ?」
「貴様!今何と言った!」
「撃墜数250機のエースは戦争中毒だって言ったんだよ!あんたの口から、規則と戦闘以外の話を聞いたことがないしな!」
「なら貴様は何故ここにいる!仲間と共にネウロイを撃退する為にここへ来たのだろう!」
「ネウロイ?はっ!そんなの二の次さ!あたしはスピードに命を賭けてる。何よりも速くあればそれでいいんだ!あんたらなんてどうでもいいんだよ!」
パシンッ!
――え・・・?あたし・・・今、何されて・・・
頬、張られた・・・?
「見損なったぞリベリアン・・・・・・貴様のような腑抜けにもう用はない!今すぐ荷物をまとめて原隊に帰れ!国でエアレースでもしていろ!」
なんだよ。言いたいことだけ言って逃げるのかよ。
最後は声、変になってたくせに。
工具、出しっぱなしじゃんか。片付けやっとけってことかよ。
――あれ、あいつのストライカーのカバーかかったまんま・・・
何を、いじってたんだよ。なんだよ。
何しに来てたんだよ。
なんなんだよ。
畜生・・・
外はまだまだ暗い。夜明けの気配もない。
今は3時くらいかな。
昼寝して、風呂入って、飯も食わずにまた寝て・・・流石にもう寝られないなぁ。
起きてると色々考えちゃうから寝ちゃいたいんだけど・・・。
それより今は、お腹すいた。
ドアの下に誰かの下手な字で『鍋の中にスープあり』って書かれた紙が入ってたし、お言葉に甘えるとしようかな。
今は、誰とも会いたくないし。
期待は裏切られて、食堂には一番会いたくない奴がいた。
半日前、あたしをはたいたあいつが、明かりもつけずに椅子に座っていた。
電灯をつけてもテーブルの一点を見据えたまま、湯気のたっていないコーヒーをすすって。
最悪だ・・・。
食堂に漂うコーヒーの香りが、あたしの嫌な気分を少しだけ和らげてくれたのが気休めになったけど。
言葉を交わさず、誰が作ったかわからないコーンポタージュをすすって、リーネお手製のライ麦パンをかじる。
それを食べ終えても、あいつは何も言わない。ただただ目線を落としているだけ。
きれいになった食器と鍋を手洗いして、あたしもコーヒーを煎れる。
空になったはずのカップを両手で包んでいる大尉の向かい側に座ってみた。
誰にも会いたくなかったはずなのに。
虚ろな顔のこいつに、なんとなく声をかけたくなった。
「起きてたのかよ。」
「・・・眠れなくてな。」
「コーヒーなんて飲んだら余計寝れなくなるだろ?」
「・・・・・・。」
「・・・なんとか言えよ。」
「・・・・・・。」
「はぁ・・・昼の哨戒あるんだから早く寝なよ。あたしはこれ飲んだら部屋戻るから。」
「・・・・・・。」
なんだよこいつ、だんまりかよ。
人のことを腑抜けとか言っておいて、そっちの方がもっと腑抜けじゃないか。
安らげない沈黙だった。
コーヒーは、いつもより濃くておいしくなかった。
「私は・・・」
大尉がやっと口を開いた。
消え入るような声、だった。
「私はお前の言う通り、戦いと規律しか知らない。20を越えるとウィッチでなくなるあの噂が本当なら、私はあと2年で役目を終える。
そうなれば・・・私は妹だけが支えになってくれると思っていた。」
「・・・・・・。」
「だが・・・今はまだ小さくても、いつかは家を出て誰かの妻となる。その時私は――私には何も残らない・・・
おかしいな、私は妹の幸せを願っているはずなのに。」
なんだ、こいつも一応人間なんだな。
自分と誰かを秤にかけてるうちに、迷いが生まれたってわけね。
こんな堅物でも悩んだりするんだな・・・。
「そんな事を部屋で考えていたら、ルッキーニ少尉のすすり泣く声が聞こえて・・・事情を聞いて、お前の所へ行った。」
また嫌な沈黙が流れた。
お互いに目を逸らし、何も言えなかった。
最初から整備するつもりなんてなかったのか・・・。
悪いことしちゃったな、ルッキーニに・・・。
空ではいっちょ前だけど、まだ12歳だもんな・・・。
「なんだ、その・・・・・・さっきはやり過ぎた・・・すまない・・・」
驚いて正面を向き直すと、電灯に照らされた大尉の顔はさっきより下を見ていて、髪の隙間からのぞいた耳が赤く染まっていた。
たまに見せる照れ屋の一面は、いつにも増して魅力的だった。
ぼーっと見つめているのが分かると、大尉はばつの悪そうな顔でコーヒーをぐいと飲み干した。
わざとらしく喉を鳴らして。
なんだか目の前にいる子犬がやたら可愛く見えてきて、吹き出すのを堪え切れなかった。
「ぷっ・・・あっはっはっは!」
「わ、笑うことがあるか!」
「だってさぁ・・・そうだ、ちょっと魔力開放してみてよ。」
「魔力を?何故だ?」
「いーからいーから。」
あたしは席を立って、渋る大尉の横に座った。
一瞬顔が引きってたけど、目で促したら不承不承ながら使い魔の耳と尻尾を出してくれた。
「これがどうしたんだ・・・いつも見ているだろう。」
「いやぁやっぱりさ、あんた可愛いよ。すごく可愛い。」
「っ!?」
椅子の上でたじろいだまま固まっている子犬に、あたしは手を回し、頬に口付けた。電撃戦だ。
顔を離すとすぐ、席を立って出口に向かった。
今度はこっちが好き勝手やる番だ。
「なななななにをして・・・」
「さっき、いつか一人になるって言ってたけどさ・・・暇になったらいつでもあたしの所へ来なよ。
力仕事なんて腐るほどあるしさ。あたしらきっといいコンビになれるよ。5年でも、10年でも、ずっと待つから・・・。」
返事はない。廊下を向いているから、顔も見えない。
でも・・・それでもいいや。
「さっきはごめん。あたし、どうかしてた。おやすみ。」
真似して言い逃げしてやった。うまくいった。
どんな顔してたんだろう、まだ固まってたのかな。
真っ暗な部屋に戻ってすぐカーテンを開けた。
空がうっすら白っぽくなっている。
久しぶりに朝日を見られそうだから、散歩にでも行こうかな。
今日は訓練サボって、ルッキーニと遊ぼう。
夕方に堅物が寝不足でフラついて帰ってきたら、おもいっきりからかってやろう。
それから二人きりになって、さっきと同じようにキスしてやろう。
なんだか、新しい目標見つかりそうかな?