Zweiter Kuß


相変わらず眩しい太陽の光が降り注ぐ8月の午後。
こんな日は空に上がって訓練機動に限る。爽やかな風、雲一つない無限の青!!

……だというのに、私は今大きなゴミ袋を持って廊下を歩いている。
ハンガーから借りてきた無骨な軍手が暑苦しいことこの上ない。

それもこれも、事の始まりは今朝の出来事にある。
例によっていつまで経っても起きてこないハルトマンに何とか朝食を食べさせるべく、
私はいつものように部屋のドアをノックしたのだった。

────────

「おい、ハルトマン。起きているか。朝食の時間だぞ。」

しばし聞き耳を立てるが、返事はない。

「入るぞ。」

ガチャッとドアを開くと、あまり見たくない光景が眼前に広がる。
だが今は細かい事を気にしている時ではない。
散らばった雑品の隙間に何とか足場を見い出し、
その奥に佇むひときわ大きな毛布の塊をゆさゆさと揺さぶる。

「起きろ、ハルトマン。朝だ。」
「ん──……」

布の隙間から手入れのいい加減な髪が覗く。
私はカーテンを開けようとしてもう一歩奥に踏み込んだ。


──次の瞬間、背筋がゾワッとした。

「お、おい、ハルトマン……起きろ……」

私は見てしまったのだ。左斜め下方、部屋の隅を通り過ぎる黒い影を。

「なあ、頼む。起きてくれ。まずいぞこれは……」

全く反応のないハルトマンを無視して、再び黒い影が移動する。
部屋が暗いせいでよく見えなかったが、あのシルエットは間違いない。
通例暖かい地方に生息し、ブリタニアでも都市部や汚染された地域に定住しているという、
体長0.8から2インチ、油ぎった茶褐色の羽を持つオゾマシイ昆虫の姿……!!

「トゥルーデ、うるさい……」
「ばっ、ばか!!いい加減にしろ!!早く逃げるぞ!!」
「はあ……?」


「ゴキブリだ────ッ!!!!」

────────

で、基地全体に繁殖するのを防ぐ為、ミーナの命令でハルトマンの部屋を掃除する事になったというわけだ。
しかも、上層部に知られては問題にされかねないというミーナ自身の判断で、
私とハルトマンの二人だけで全て片付けさせられている。
まあ部屋自体はそんなに広くないので普通ならそんなに人手は必要ない。
しかし、ハルトマンの部屋の状態は予想以上に深刻だった。

「はぁ……」

本日三度目のゴミ集積所を見て、私は激しくせつなくなった。
パンパンのゴミ袋が既に4つもあるのに、今持ってきた2つを置いたら更にもう一往復必要なのだ。

「捨てる気があるだけマシだがな……」

持っている結び目の下で何かが蠢いたような気がしたのを、私は必死で無視した。

部屋に戻ると、ゴミ袋がもう一つ追加されていた。思わず溜め息が出る。

「おい、随分作業が早いようだが、いるものはちゃんと分けてるんだろうな?」
「んー」

呆れる程モノが減っていくので一応確認しておく。
後になってゴミ袋を漁り回すことになるのは御免だ。

「多分」
「多分……って、捨てたら洒落にならないものだってあるんだぞ!?」
「ねー、トゥルーデー。」
「何だ。」
「飽きた。」

人の忠告を無視して何を言い出すかと思えば……。
ハルトマンの悪い所は、やればできるのにやらない所だ。
これではできない人間と変わりない。

「いいから早く袋にゴミを詰め込む作業に戻るんだ。」
「ねートゥルーデー。」
「何だ。」
「遊んでv」
「…………っ!!」

言うなり、袋を投げ出して立ち上がり大きく伸びをした。それからややキョロキョロし、何かを見つけて顔がぱっと明るくなる。

「トランプでいい?」
「私はまだ掃除をやめるとは言っていない!!」

途端に肩を落としてしょんぼりする。
仕草だけ見れば思わずドキッとするくらい……なのだが、
いかんせん足元がこれでは折角の可愛らしさも台無しだ。

「ほら、もう大分終わってるんだ。さっさと片付けて、全部綺麗になったら、少しは付き合ってやらん事もない。」
「ホント?」
「ああ、時間があればだが。」

ハルトマンは再び嬉しそうな顔になり、それから何故かニヤッとした。
……いや、見なかった事にしよう。まあ、訓練でもいつも付き合ってもらってるんだ。たまには私が付き合ってやってもいい。
そう思った。

────────

夕方。
ハルトマンの部屋は見違える程綺麗になっていた。

「疲れたぁ……あとよろしく。」
「おいおい、仕上げなんだから自分でやったらどうだ。」

ハルトマンはふらふらとベッドの方へ歩いていき、そのままバフッと倒れ込んだ。
無理もない。この部屋を与えられてから今日まで、大掃除などした事がないのだから。
仕方ないので、様子を見にきたミーナから受け取った殺虫餌を部屋の隅に適当に配置する。

「ふふっ、慣れない事をして大変だったんでしょう。」
「全くだ。これで少しは懲りてくれればいいんだがな。」

言いながらミーナが手伝ってくれた。
ミーナも仕事上がりだろうに。やっぱり優しいな。

「とりあえずお風呂にでも入ってきたら?汗だくでしょう。」
「ああ、そうするとしよう。」

部屋を出ようとすると、後ろからくぐもった声が聞こえた。

「私も行くー。」

────────

大浴場は貸切状態だった。
一足先に服を脱いだハルトマンが湯船に飛び込む音が聞こえる。

「おい、ちゃんと体を流してから入れ。」
「あっはは、ほら、トゥルーデも早くー!!」

浴場の隅に積んである桶を適当に掴んで、マナーに従って体を洗い流す。
最初に基地に来た時にミーナに教わったのだ。
私がお湯にゆっくりと身体を沈めると、ハルトマンは私の横に座っておとなしくなった。
今日一日の疲れを思い切り込めて、大きな溜め息を吐き出す。
目を瞑って体中の筋肉を伸ばすと、使い果たした元気がもう一度湧き上がってくるようだ。

「ねえ、トゥルーデ。」

天井を見上げてぼーっとしていると、ハルトマンが肩を寄せてきた。

「何だ?」
「ありがと」

言葉がストレート過ぎて理解するのに数秒かかった。
ハルトマンのありがとうなんて、もうどれだけぶりだろうか。
こいつはたまに突然素直になって、その度にドキッとさせられるから困る。

「仲間なんだから当たり前だろう。感謝ならわざわざ有給を寄越したミーナにしてやれ。
 それと、これに懲りたら明日からはきちんと片付ける事だ。
 出したらしまう。必ずしまう。それだけだ。」
「でも、ありがと」
「やめろ。調子が狂う。」

ええい、なんだって今日のこいつはこんなにしおらしいんだ。
そんな切ない顔で俯かれたらこっちまで妙な気分になる。
ああ、何だかのぼせてきた。

「先に上がるぞ。」

表情を読み取られる前に逃げよう。
顔の筋肉が制御できなくなってきた。

「待って」

立ち上がった私の腕をハルトマンが掴んだ。
何をする。

「…………。」

ハルトマンはしばし躊躇ったような仕草をした後、突然立ち上がって私の背中に腕を回し……って、ちょ、ちょっと待った!!
裸で抱き付いてきた。火照った肌と肌がぴったりと密着して、
考える前に視界が真っ暗になった。

「んっ……」

声を出そうとして、唇が塞がれている事に気付いた。
おい、これはまさかハルトマンの唇じゃないのか。

「んく……ちゅ……」

湯雫の滴る音が遠ざかる。
入り込んできた舌と舌が触れ合い、全身から力が抜ける。

ざぱん!と軽い音がして、私は熱い底に沈んだ。

────────

仰向けになっているのに、ゆらゆらと輝く水面はその向こうにある。
低い音だけが静かに響いている。

「…………。」

私は、ハルトマンに押し倒されたのだった。
熱い湯の中で、こいつの呼気だけが私の肺に入り込んでくる。
水中で息をしているような、奇妙な感触。
当然潜る準備などしていなかった私はすぐに苦しくなって起き上がろうとした。
だというのに、何でこいつは平気で舌を突っ込んでくるんだ!!

「……っ、……!!」
「…………。」

同じ空気を共有しているハルトマンとて苦しい筈なのに、止める気配は全くしない。
肩を掴んで、揺さぶって、足をじたばたさせて、
鼻に水が入りそうになって漸く、浮き上がる感触がした。

「っ、げほっ、げほっ」
「はあ……はあ……」

激しく咳き込む私を、ハルトマンは何故か茫然とした表情で見ていた。

「なんてコトするんだ!!」
「…………ぁ」

真っ赤な顔で息を切らせて、わけがわからないといった様子だ。
そうしたいのはこっちだってのに。
……何だかのぼせ過ぎてお腹の辺りが苦しくなってきた。
ここは多分、怒ったり、疑問をぶつけたり、色々しなきゃいけないところなんだろうが、
最早熱でとろけつつある私の脳では、湯船から上がって縁に腰掛け、
ただ無言で返答を待つのが精一杯の思考だった。

「…………。」
「……」
「…………。」
「……が、」
「ん?」
「我慢、してたの……」

ハルトマンは俯いたまま、ボソボソと喋り始めた。

「私…トゥルーデの事ずっと好きで…一緒にいたくて……
 でも、そんなのって変だよね……女の子同士で…ばかみたいで…
 叶うわけないのに……一緒にいたら我慢できなくなるから……」
「…………。」
「だから、あんまり一緒にいないようにしてたの……なのに、
 今日一日中一緒にいて…お喋りして…近くに……グス、ずっと…だから…」
「お、おい……」
「行かないで────」

気付くとハルトマンは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
いや、もしかしたら既に泣いていたのかもしれない。
最早鬱陶しさしか感じない熱を帯びた湯滴が上気した肌を伝い、
そんな事を考えている場合ではないとわかっていながら私は、
その美しい腕が再び肩に絡みつかんと伸びてきてもなお、
それを拒絶し目を離す事ができなかった。

「好きなの……」

一瞬唇が触れそうになり、ドキッとする。
しかし、ハルトマンはふいと視線を逸らすと、私の肩に顎を乗せて腕に少しだけ力を込めた。
熱い。
肌の触れ合ったところが灼けるように熱い。
ハルトマンの気持ちに気付いてやれなかった自分の胸が熱くて痛い。
それが自分の体温なのか、湯に当てられたせいなのかわからない。

「トゥルーデ……────」

ハルトマンは私の腕の中でもう一度だけぎゅっとすると、そのままぐったりしてしまった。

────────

今思えばかなり異常な状況ではあったが、それでも私は自分を責めるのをやめることはできなかった。
まさかハルトマンが私を……とは、考えてみたこともなかった。
だが言われてみれば確かに、そういうフシはあったようにも思う。
私はなんて鈍感なんだ。
そしてその鈍感さ故に、目の前にいる人間の異常にも気付いてやれなかった。

視線を上げれば、そこにはハルトマンの穏やかな寝顔がある。
医師によれば、ただの湯当たりだから少し休めば回復するとのことだ。
だが問題は程度ではなく、それを未然に防げなかったという事実だ。

「すまない……」

手を取って握ると、まだほんのりと温かい。
私はやりきれない気持ちになって、ただ俯き続けるしかできなかった。


「……何してんの?」

唐突に降ってきた声に顔を上げると、ハルトマンが目を覚ましていた。

「おい、大丈夫なのか!?」
「うん。もう平気。」
「そうか……良かった……」
「トゥルーデ、ごめんね」

「え?」
「私、ばかだから……身体小さいのに長湯して、変な事言ったりして、
 それに倒れて迷惑かけたりして……」
「いや、謝るのは私の方だ。」
「?」

全くこいつは、起きて早々何を言い出すかと思えば……。
ごめん、だと?
ふざけるな。

「悪いのは私だ。私が鈍感だから気付いてやれなかったんだ。身体のことも、それに……」
「ううん、もういいの。」

だから何で今日のこいつはこんなに……こんなに弱々しいんだ!!
やめてくれ。
おかしくなりそうだ。

「ハルトマン。」

だからこれ以上どうにかなる前に、考えていた言葉だけは吐き出しておく。

「何?」

「その、何だ。正直な話、女の子同士だからとか、そういうのはどうでもいいんだ。
 ただ、私は……私はな、ミーナのことが好きなんだ。」
「え?」
「はは、お前の言う通り、どうかしている。あいつには普通の恋人がいたのにな。
 なのに私ときたら、叶わぬと知っていて片想いしてるんだ。
 全く、情けない話さ。ばかげてる。」
「でも、止められないんでしょ。」
「…………。」
「だったら私と──」
「無理だ。」
「どうして!?」
「今お前が自分で言ってただろう。止められないんだ。
 一日中ミーナのことばかり考えてるんだ。」
「そんな……」

くだらない話だった。
救われない結末が先に見えているのに、私達はその道を選んでしまったのだから。
私ははっきりと覚えている。8月18日のあの夜、私はミーナとキスを交わし……それだけで終わった。
そしてそれ以後、その話題が二人の間に上ることはなかった。
きっとミーナにとってあの時のキスは、寂し紛れの単なる戯れだったのだろう。
それでも私にとっては、人生で一番大切な、初めてのキスだったのだ。
愛する人と交わした、大切な────

「だから、お前とはそういうことをする気にはなれない。
 お前は私の、……親友、だからだ。」
「…………。」

ハルトマンは何も言わず、そっぽを向いて布団に潜り込んでしまった。
当たり前だ。きっと呆れ返っていることだろう。
でも、それでも私は、この話をしたことは後悔していない。
片想いされていると知っていて自分の気持ちを隠し続けることよりはずっとましだと思った。

────────

イェーガーが持ってきてくれた遅い夕食を食べ、医師に礼を言ってから医務室を出る。
ハルトマンは終始無言だったが、それは私を無視するというより、
ずっと何かを考えているようだった。

窓の外はもう月明かりに満ちていた。

「ねえ、トゥルーデ」

不意にハルトマンが言った。

「何だ?」
「今朝の約束、覚えてるよね?」
「約束?」
「……何、もう忘れたの?」

うぐ、しまった。
今は精一杯フォローしてやらなければならないタイミングだというのに、
全く何のことかわからない。

「す、すまない……」
「掃除終わったら、遊んでくれるって言ったよね?」

ああ、そういえば。

「そうだったな。今思い出したぞ、うん。」
「あれ、やっぱりいいや。」
「え?」
「遊ぶならいつでもできるし。それより、別のお願いしたいなー。」

突然見せた笑顔に一瞬ドキッとする。
どうやらもういつも通りのこいつに戻ったらしい。
罪滅ぼしついでに、一日くらい付き合ってやるか。

「ああ、何でも言ってみろ。」
「じゃあさ、一緒にお風呂行こ!!」

「は?」

「さっきは入ってすぐ出ちゃったからまだ体洗ってないんだよね。髪もベトベトのままだし。
 だから、お風呂。」
「はあ……」
「それで、トゥルーデには背中流してもらうの。」

ずっこけそうになったのを何とか踏み留まった。

「んな……っ」
「ついでに頭も洗ってもらおっかな。それで全部チャラ。どお?」

どお?などと言われても、所詮私に選択肢などないのだが。
まあ、そういう話をハルトマンの方からしてくれるのは、
私にとってはありがたいことではある。

「わかった。それくらいは付き合ってやる。」
「ホント!?」
「カールスラント軍人に二言はない。それに正直、私も風呂には入りたかったんだ。」

私が言い終わる前に、ハルトマンは腕にぐいっと抱き付いてきた。

「えいっ」
「わっ!!」

ぴったりと寄り添って、歩きにくいことこの上ない。
でも今は、こいつのこういう遠回しな気遣いをありがたく受け取ることにしよう。

「まったく。今度はのぼせないでくれよ。」
「さあね。私はいつも、トゥルーデにのぼせてるんだよ。」


continue;



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