Ala-Kuunpaiste
「「「つきぃ?」」」
芳佳の言葉に、食堂にいたリーネ・ペリーヌ・エイラ全員が素っ頓狂な声を上げた。
「なんで、その言葉からそうなるんダヨ」
全く関連性がないじゃないか。机の上でかきまぜていたタロットを一まとめにして、芳佳の目の前に
座っているエイラが口を尖らせる。
「私だってよく知らないよぉ。でも、扶桑では有名な小説家なんだって、その人」
「そんな方が有名な小説家だなんて、扶桑の文学はたかが知れてますわね」
困ったように答える芳佳に更に追い討ちをかけるペリーヌ。リーネは慌ててその間に割ってはいる。
「…で、でも!綺麗じゃありませんか?意味は良く分からないけど、ロマンチック…」
「ねー?リーネちゃんもそう思う?」
「…まあ、わたくしも確かに、坂本少佐にそのような事を言われたら…ああ…」
芳佳とリーネは微笑み合って、ペリーヌは明後日の方向を見て、それぞれの思いにふける。
エイラは顔をしかめたまま、手元のタロットから数枚を引き出して机の上に並べ始めた。
何気なく窓の外を一瞥すると、抜けるように蒼い空。今夜は月が綺麗だろうな、と頭の片隅で思う。
(…全くコイツらときたら…)
今夜の月がどうだろうが、自分には関係ない。エイラは一人首を振った。だってどうせサーニャは今夜も
夜間哨戒で出掛けてしまうのだから。と、今頃部屋で眠っているのだろう同僚の事を考えた瞬間突然
気恥ずかしい気持ちに襲われた。
(…なななんでそこでサーニャのことを考えるんだ私!違うこれは心配してるだけだ、心配してるだけだ!)
そうだ、やましい気持ちなんてないし、よこしまな感情だってない。ただサーニャは自分にとってとても
大切な友人で、守ってやりたい相手だからだ。そう自分に言い聞かせてようやっと、気持ちを落ち着かせた。
「…エイラさん?」
「なななんでもないゾ!私は何にも考えてないんだからナッ!!!」
突然呼びかけられて、思わず声を上げてしまった。気がつくと、芳佳たち三人が心配そうに(ペリーヌは
ため息をついて)こちらを見ている。熱くなっていた頭がさぁっと冷えていくのを感じた。
「…なんでも、ない、ヨ?」
「大丈夫ですか?」
斜め前から覗きこんでくるリーネの視線が痛い。恥ずかしさにうつむいて「大丈夫…デス」と答える。
傍らから嫌な視線を感じて恐る恐る隣のペリーヌを見ると、珍しく勝ち誇った様子でこちらを見ていた。
そして、その表情のまま一言。
「…ヘタレですわね」
「なんだとツンツンメガネ」
「聞こえませんでしたの?どヘタレさん?」
「うるさいツンデレ!」
「ま、まあまあ二人とも落ち着いて…」
身を乗り出して、再びリーネが仲裁に入った。リーネの言葉に我に返ったのか、ペリーヌに対して使おうと
していたらしい手刀をエイラが寸止める。ペリーヌも席に座りなおして、改めて机の上の湯飲みをすすった。
そして即座に顔をしかめる。
「…何ですの、これ」
「緑茶です。扶桑ではこのお茶が普通なんですよ」
「なーんか青臭クないカア?」
「でも使っている葉っぱは紅茶と同じなんですって。面白いですよね!…ね、ね、芳佳ちゃん?」
「うん。坂本さんも大好きですよ?」
「…う、そういえばよく飲んでいらっしゃるような…」
そして話題はまた、とりとめもないものにうつる。先ほどのやり取りなどすっかり忘れたようにまた、
静かな食堂には穏やかな空気が流れる。
それにしても、暇だね。芳佳が呟いた。暇だなあ。答えるエイラにうなずくペリーヌとリーネ。
そろそろ次のネウロイが現れても良い頃合いとのことだが、こうして一応待機していてもサイレンは鳴り響かない。
「坂本さんは…ブリタニアですよね」
「そうですわ」
「バルクホルン大尉は?」
「妹さんのお見舞いだってサ。ハルトマン中尉は寝てタ」
「ははは、ハルトマンさんらしいね…」
「シャーリーさんたちは?」
「サァ?シャーリーも暇だろうからきっとストライカーいじってるんじゃないカ?」
「じゃあ、ルッキーニちゃんもその辺りでお昼寝していますね」
他の隊員の状況について尋ねても、一瞬で話題が尽きてしまう。とにかく、今はする事がない。
言い渡された掃除や炊事洗濯もすでに終え、夕食の準備にはまだ早いのだ。
「暇なんだからタロットでもヤル?」
「どうせ放っておいても用意してあるんじゃありませんの」
「うるさいナー。いいだろ別にー」
口を尖らせるエイラを横目で眺めてペリーヌは盛大にため息をついてやった。けれどその目がキラキラと
輝いているのを見てこれ以上口を出すのを止める。ペリーヌには全く分からない感覚だが、エイラは相当
この手の占いを好んでいる、と言うのは同じ隊で過ごしてきた間に散々思い知らされた。
仕方ない、坂本がいなければ自分もする事がないのには変わりない。
青臭くて苦いものとしか思えない緑茶を音を立てないように注意しながらもうひとすすりして前を見やると、
芳佳がにっこりと笑ってピースサインをする。その傍らのリーネの指は、暗にテーブルの下、芳佳の
膝の上辺りを指していて、ペリーヌは自分たちの目論見が着々と成功に向かっている事を知った。
「いいですわよ。どうせだから今夜の"天気"でも占ってくださいな」
「天気カヨ…そんなんタロット使わなくたってみりゃわかるじゃないカ」
「と、とにかく引いてみれば良いんですよね?これですか?」
リーネが手を伸ばして、エイラのすぐ目の前にあった札を引いた。そして即座に芳佳たちに見えるように出す。
「…運命の、輪ですね…」
「けれど、逆位置ですわね」
「…確か、結構悪い意味、だよね?」
それぞれの感想を述べるリーネとペリーヌと芳佳。エイラもまた、顔をしかめてそのカードを見やっている。
「予期せぬ不運、予想だにしなかった不意打ち…」
「今はこんなに平和だけど、今夜、大丈夫かなあ!」
「ネウロイはいつ襲ってくるか分かりませんわ。念には念をいれたほうがよろしいのではなくて!?」
「そ、そうだね!サーニャちゃん、一人で心配だね!」
やけに仰々しく叫ぶ3人の台詞など耳に入らないかのようにエイラはそのカードを手に取って、懸命にその
解釈をしていた。しかし、出てしまったものが覆る事はなく、手の中のカードは紛れもなくアクシデントの
可能性を示している。エイラとて別に占いをすべて鵜呑みにするつもりはない。ただ、カードを眺めれば
眺めるほど不安が湧き起こってとまらなくなるのだった。
『念には、念を』。誰かが放ったその台詞が耳に飛び込んでくる。今夜も一人でサーニャは夜間哨戒に
出掛けるはずだ。もちろん、なにかあれば自分も含めて皆即座に出動するだろうけれども、それまで
サーニャは独りぼっちでそれに対応しなければならないのだ。
むくむくと膨れ上がっていく不安。その間にも、やたらと声高な3人の会話は続いている。
「そうだ、今週はまだネウロイが現れてないよ!」
「前にネウロイが夜中に襲ってきたときは反撃してこなかったから良かったけど、そうとは限らないよね!」
「心配ですわね…誰か、一緒に行ければ良いのですけれど…」
普段は(坂本関連以外には)決ししないような心配そうな口調でペリーヌがそう言っても、それを訝しいと思う
余裕は今のエイラにはない。うーん、と唸り声を上げているエイラを見て、後一押しだ、と一同は確信した。
「じゃあ私が一緒に夜間哨戒に行くよ!!」
「!!!?」
芳佳のこの台詞だけはしっかりと耳に届いていたらしい。そしてこの一言が、予想通りエイラを陥落させた。
(いやいや、ミヤフジと一緒じゃ…いや、違うぞ、まだまだ新人のミヤフジと一緒じゃ不安なだけだ!かといって
リーネや、ツンツンメガネに任せて置くわけにも…)
頭の中でぐるぐると言い訳をしながらもはっきりとエイラは口にする。
「私ガ、今日、サーニャと一緒に哨戒に出ル」
そうだ、自分が一緒にいてやればいい。何の心配もない、サーニャは自分が守るのだ。何があったって、
守ってやるのだ。そう、固く心に誓う。タロットの結果がどうであろうと、それが嘘になろうと真になろうと
覆してやればいい。何が起こったとしても、そのあとの努力なんていくらでも出来る。
「あ、ミーナ中佐」
リーネの言葉に、食堂の外をミーナが横切ったのを一同は見た。飛び上がるようにガタリと立ち上がって
「中佐!」そう叫ぶと、エイラはタロットカードも放置して食堂の外へ消えてゆく。
その後姿を眺めながらほくそえんだり、ため息をついたり、エールを送っていたりする3人の同い年の同僚が
いることにも気付かずに。
…
「…で、もともとここには何のカードがあったんですの?」
エイラがいなくなった食堂で、エイラのいた席の目の前、並べられたタロットカードのひとつぽっかり空いた場所を
指差してペリーヌが呆れ混じりに呟いた。
それは、ペリーヌとエイラが言い合いをしている真っ最中の事。こっそりと芳佳が残ったタロットカードの山から
別のカードを取り出し、元あったカードと入れ替えるのをペリーヌとリーネは見ていたのだ。もちろん、エイラが
気付かないうちのことだけれど。
にこ、と意味ありげに笑って、芳佳は向きもそのままにカードを取り出した。
「ラヴァーズ…恋人…」
「しかも、正位置ですわね」
今夜の月はさぞやかし綺麗なことだろう。それこそ「占わなくたっていいじゃないか」と、エイラが言った通り。
「全く、本っ当に面倒な方ですわね…」
「まあ、面白いからいいんじゃないですか?」
「芳佳ちゃん、それは流石に…」
口には出さなかったが、多分考えているのは3人とも同じだと、すっかり冷えてしまった緑茶をすすりながら
全員が確信していた。
……
そして、夜。
月の光が淡く照らす夜の闇の中を、エイラはサーニャと二人夜間哨戒に出掛けていた。大丈夫か、と何度も何度も
尋ねてくるエイラに、サーニャは頭部に現れているアンテナをほんのり桃色に染めて微笑むことで答える。
どこまでも高く二人で飛び上がると、地上にいたときよりもずっと、ずっと、月が大きく、輝いて見えていた。
眼下に広がる雲の海も、水の海も、どちらも穏やかだ。とても穏やかな夜だ。
しばらく二人で飛んでいてもネウロイが現れる様子はない。サーニャが何も感じていないのだから、間違いない。
やっぱり杞憂だったか。ほ、と胸をなでおろして顔を上げたら、視界いっぱいに綺麗な満月。
息を呑んで、立ち尽くした…とは言ってもここは地上ではないのだから少し言い回しが変わるのだろうが、
そんな事はたいした問題ではない。
エイラ。
不意に、サーニャがエイラの名前を呼びかけてくる。そして重ねて、尋ねた。
「…どうして今日は、一緒に来てくれたの?」
何か不安なことでもあるの?サーニャの翠色の瞳が少しだけ、不安に揺れている。
タロットで、良くない事があるって出たから。そう口にしようとして、止めた。耳を澄ましても風の音以外は
何も聞こえない。…大丈夫。今日は何も起こらない。何よりもそんな不思議な確信が胸の中にある。
──ナツメソウセキ、って言う、有名な人が扶桑にはいて、ブリタニア語の先生だったんだけど、その人が…──
昼間、食堂で暇をもてあましている真っ最中に芳佳が口にしたその話の切り出しが、エイラの頭に浮かぶ。
ばかばかしい。聞いた瞬間はそう思った。だって教師の癖に本来の意味なんて欠片もない扶桑語訳を、
そのナツメとやらはしたと言うのだ。
(けど、)
傍らのサーニャを見やる。月に照らされて輝いて、まるで女神みたいだ、と思う。
そうだ、幽霊と間違えるなんてとんでもない。もっともっと高尚で、高貴で、神聖なものだ、彼女は。
とても大切で、守りたくて、それを言葉にしたいと思う。けれども自分にそんな度胸がない事ぐらい、エイラは
十分に分かっていた。けれど決して自分のせいではない。もともと自分の国にとってそう言う類の言葉は
とてもとても深い意味を持つのだ。そんな言い訳をしたらルッキーニやシャーリー辺りには大笑いされそうだなぁ。
そう思うけれど、エイラにとって見たらそんな二人の言い分の方がよっぽど理解出来ないものなのだ。
──ブリタニア語での『あいしてる』を、『月が綺麗ですね』って訳したんだって──
「今夜は月が、綺麗だろうなと思った、カラ」
直接的な言葉なんて自分には言えない。何だか照れくさいし、何より今の関係が壊れるのが恐ろしい。
だから今なら分かる気がした。相手に伝わらなくたって、言葉にしたい気持ちがある。
そんな時目の前に綺麗な月があって、大切な人がそこにいるのなら──
「月、綺麗ダナァ」
その気持ちを乗せるのに、この言葉は相応しい。
そうだね、綺麗だね。
答えるサーニャの声はすぐ耳元にあったけれど今日のエイラはたじろがなかった。
ぎゅうと手を握り締められてもうろたえない。ただ穏やかに笑うだけだ。
ゆっくりと目を閉じる。つながれた手から温もりが交じり合って、まるで溶け合ったような気分にさえなる。なんだか
とても、穏やかな気持ちだった。
ありがとう、芳佳ちゃん。
私も大好きだよ、エイラ。
小声とサーニャが呟いたのにも、気が付かないくらいに。