無題


どのくらいの時間が経ったろう。エイラの部屋には掛け時計がないのでわからないが、きっと朝礼はとっくのとうに
終わってしまっているはずだ。
ああ、今日もサボってしまった。そう思いながらエイラは大きくため息をついた。今週に入ってもう、何度目か分から
ない。確か次に遅刻をしたら罰を与えるとミーナに言われてはいなかったか。
トイレ掃除か、倉庫整理か。予想される罰を頭にいくつも浮かべてもう一度、はあぁぁ、と大きなため息。しかし、そう
してうつむくとそこにはサーニャの穏やかな寝顔があって、それを見ているとすべてがどうでもよくなって来る気がした。


「ずいぶんと、懐いたものね」

ノックもなく自室の扉が開かれたのを聞いて、エイラは訝しげにそちらを見やった。見ると、赤毛の上官が微笑みを
湛えながらこちらへ静かに歩いてくる。

「ミーナ、中佐」
「おそよう、エイラ少尉」
「…おはようございマス」

穏やかだけれど、浮かべられたその表情は絶対零度。これはいけない。そうアラートを鳴らすエイラの頭。けれど
逃げ場なんてない。…そもそも、逃げるような余裕がエイラにあったなら、それこそこんな事になる前に逃げ出して
いる。だってエイラの能力はそのためにある…わけではもちろんないけれど。

とにかく、今のエイラにそんな余裕はなかった。
魔力を使うために耳と尻尾を出す行為でさえもはばかられるくらい、慎重な気持ちでいたのだ。少しでも身じろぎを
したらサーニャが目を覚ましてしまうのではないか。そんな不安に駆られて仕方がなかった。

「…見たのカ」
静かにそう尋ねても、返ってくる言葉はない。ただ、うろたえる様子もない彼女の様子からエイラはそれが是である
事を知る。つまり、ミーナ自身の持つ特殊能力──聴覚による空間把握能力──を使って、エイラの居場所を
つきとめ、そして同時にそこにサーニャが共にいる事を知った上でこの部屋にやってきたのだと。

「…人の部屋覗くなんて、悪趣味ダ。」
口を尖らせて精一杯の反抗をしたら、すでにすぐ目の前までたどり着いていたミーナに帳簿で軽くぽん、と叩かれた。

「朝礼の時間になっても一向に現れなかったのはどちらかしら、少尉?この間も言ったでしょう、次に遅刻したら
罰を与えるわよ、って。」
「そんなコト…」
わかってる。答えようとしたけれど、その言葉尻はだんだんとすぼまっていってしまう。だって目を逸らそうとして
視線を落とすとそこにはすやすやと穏やかに、けれど何かを守るように体を縮めて、眠り込んでいるサーニャがいる
から。いや、それだけなら別にいい。問題はそこからで、エイラが朝礼に出席する事が出来なかった理由もそこにある。

「いつの間にそんなに仲良くなったの?」
こらえきれずについ、ミーナはふふふと声を上げて笑ってしまった。だってその手はぎゅうとエイラの寝巻きの一部を
握り締めて、離すまいと身を寄せていたから。

気付かれたくなかったのに。気恥ずかしさに「うう」とうなるエイラ。
…けれど、その手を振り解くことなんて出来るはずがなくて。

「…ゴメンナサイ……」
一切の言い訳を止めて、ぼそぼそと謝罪の言葉を述べた。理由も言わずに朝礼を何度も欠席したのだ、咎められ
ても仕方がない──それぐらい軍属の長い身であれば身に染みている。…けれども。
ここで自分に身を委ねて眠っている、女の子の形をした僚機だけは守ろう。エイラはそう固く心に誓うのだった。
夜中じゅう飛びまわって疲れ果てて、ようやく体を休める事の出来た彼女の眠りを妨げるような事は決して
するものか、と。


「…欠席したのは、サーニャさんのためね?一人にしておけなかったんでしょう」
「違う」
だから、確認するように問うたミーナにエイラは間髪いれずに答えた。
「絶対に、違う。」
もちろんどんなことを言ったってこの状態を見れば何故エイラが朝礼を欠席してまで寝巻き姿のまま部屋にいるのか
なんて一目瞭然なのだけど──それでもエイラはあえて強く否定する。それはどこか懇願にも似た気持ちだった。

「私が勝手に残る事にしたんダ。サーニャは関係ナイ」
「……そう」
そこにミーナは空のような、海のような、深い深い蒼をしたエイラの瞳の中には情熱にも似た炎が宿っているのを
見て驚いた。よく聞くといつもと同じ、平坦なスオムス特有の訛りで話しているはずのエイラの言葉には、普段見られ
ないような熱っぽさがあった。必死。とても簡単に彼女の様子を表してしまうなら、まさにそんな言葉がぴったりだろう。
…もちろんそのときのエイラの表情は、口調は、そんな短い言葉で表すことの出来るような単純なものではなかった
のだけれど。

(この子は、こんな顔をする子だったかしら)

少なくともミーナの記憶の限りでのそれとは、全く違っていた。
スオムスのトップエースであったエイラがその功績を買われてこの部隊に配属されたのは半年ほど前になる。その
口調も相まってか、ミーナはエイラを『抑揚の無い人物』だと思っていたし、実際いたずらをするとき以外は大抵
エイラは詰まらなさそうなぼんやり顔で、誰よりもチーム内を冷静に見つめていたのだった。何かに執着する様子は
あまり見られなかったし、暇さえあれば怪しげな占い道具を取り出して何かを占ったりしている彼女は一言で
評してしまうなら『不思議な子』であったろう。祖国の部隊長からの紹介状の片隅に書かれていた『とても面倒見の
いい、優しい子です』との記述だって失礼ながら信じがたいとさえ思っていたほどだ。


「──いつから?」
ふ、と息をついてミーナもまたベッドの上、エイラの傍らに座り込んだ。もちろんサーニャを起こすことのないよう
細心の注意を払って。質問の意図がつかめなかったのだろう、エイラがきょとんとした顔をして首をかしげる。

「…サーニャさんは、いつからエイラさんの部屋に来るようになったの?」
エイラ越しに見える、サーニャの寝顔。そして手馴れたエイラの対応。さらにエイラが朝礼を欠席するようになった
のがここ数週間の事であると言う事を考えると最近ではあるだろうが少なくとも今日がはじめてではないのだろう。
ミーナはそう冷静に推測した。

「それは…」
「そのぐらいの報告はしてくれてもいいんじゃない?」
なおも言いよどもうとするエイラを笑顔で制して努めて優しく語りかけると、困ったようにサーニャを見ていたエイラ
が小さく息をついて、ぼそぼそと呟いた。
「…2週間ぐらい前から、カナ。多分自分の部屋と間違えてるんだと思ウ。」
いやそれはないだろう、と内心思うも、エイラの口調の真剣さにミーナは何も言わないことにする。
「それから、いつも?」
「ちちち、違うヨ!!タマに……ときどき……よく……」
しぼむ言葉の端に、どうしても嘘を隠しきれないエイラの幼さと言うか、素直さが見え隠れする。困り果てて
うつむいては、またサーニャの寝顔を目にしてさらに弱り果てるのを先ほどから何度目にしたろう。

ふう。ため息をついて、確認のためにゆっくりと口にした。
「要するにエイラさん。あなたが朝礼を休んだり、遅刻してくるときはいつも、ね?」

返答はなかったけれど、エイラがひどくバツの悪い顔をしたのでミーナは違いない、と確信する。念を押すように「そう
なのね?」重ねて尋ねるとようやっと、観念したようにエイラはうなずいた。ごめんなさい。謝罪の言葉を重ねる
エイラの頬と耳とが気恥ずかしさに紅に染まっているのをみて、つい顔が緩んだ。
(良かったわね)
心の中で呼びかけるのは、サーニャに対して。まるで日向ぼっこをしている猫のようにすっかりと懐いて体を寄せて、
こんなにまで気を許してくつろぐサーニャを他の誰が見たことがあるだろう。少なくともミーナにはなかった。…眠た
そうにぼんやりしている姿ならいくらでも見た事がある。けれどそれでもサーニャは目を覚ましていようと懸命でいて、
その姿は痛々しいぐらいであったから。


「サーニャさんはね、とても生真面目な子なのよ。気に追いすぎてしまうというか」

知ってる。うなずくエイラ。

「故郷の街が陥落して、ご両親と離れ離れになっているのが応えているのかしら。休み方も知らないで、とにかく
 自分がやらなくてはと無理をしていたわ。」
「夜間哨戒のあとも寝ないで朝礼に出テタ。サーニャ、ほとんど寝てなかっタ」

そこまで見ていたのかと舌を巻くくらいにエイラは一月前に配属されてからのサーニャの様子を的確に捉えていた。
他の隊員は果たして気がついていただろうか?それは分からないけれど、少なくともエイラは、ミーナも知らない
うちにサーニャの事をひどく気にかけていたのは事実だ。どんな言葉をかけ、何をしてやっていたのかまでは
わからないけれど。

「サーニャ、すごい疲れてるんダ。魔力も使い果たしテル。だから中佐、サーニャをゆっくり休ませてやってくれヨ」
懇願する声もまた、サーニャを起こすことのないようにと小声になっているところにミーナはエイラの優しさを見る。
几帳面な字で書かれたエイラの上官の言葉。『優しい子です』の文字。エルマ、と言ったろうか。顔は知らない
けれど、彼女は相当エイラの事を理解しているのだな、と思う。けど、これからは、少なくともこの部隊にいる間は。

(私が、そうでなくてはいけないんだわ)

エイラにとってだけではなくて、サーニャにとっても、他の隊員にとっても。
上辺だけに惑わされない、きちんと本質を見抜ける上官に、自分はならなければ。唇をかみ締めてこちらを見ている
エイラを見やりながら、ミーナは思う。だってこの基地では、この部隊では、自分が彼女らの隊長なのだから。

「…そうね。サーニャさんは咎めないことにしましょう。」
もともとサーニャを咎めようとなどは露ほども思っていなかったミーナであるが、そう口にするこことでエイラが
ほっと胸を撫で下ろしたので満足した。けれどそんな表情を打ち崩すように「でも。」否定の言葉を重ねる。
「エイラさん、あなたには罰を与えます」
エー、と小さく抗議の声を上げるエイラに、ぴしゃり。
「当たり前でしょう。どんな理由があろうともあなたが朝礼を何度も欠席したのは事実だし、それに対する報告義務も
 怠っていたのよ?部隊の規律に関わります。……それに」
そして後ろに手を伸ばして、そこから、ぽん、と。
彼女の頭の上に手を置く。びくりと跳ねるエイラの反応に笑んで、ミーナはゆっくりとその頭を撫でた。

「みんな、心配していたのよ?サーニャさんの事についてはむしろ安心したけれども…姿が見えないと、心配するでしょう?」
ミーナの言葉に、「ゴメンナサイ」。また、謝罪の言葉を重ねるエイラ。頭部を撫で付けるその感覚に、故郷にいた頃の事を思い出す。
(エルマ隊長、元気にしてるかな)
そう言えば彼女もよく、幼い自分の頭を撫でてくれた。頼りない、と陰口を叩くものだっていたけれど、エイラは彼女の
優しさや一生懸命さをとても尊敬していたし、彼女のような人間になりたいと強く思っていた。
「それで、私は何をすればいい?トイレ掃除?洗濯?炊事カ?」
故郷への懐かしさを振り切るように尋ねる。一番最初のものだけはいやだなあ、と内心思いながら。

「エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。」
「…ハイ。」
でも、まあ。サーニャに迷惑がかからないのなら、それが一番か。そんなことを考えながら、呼びかけられた
フルネームに返事をする。いつもと同じ、微笑を浮かべながらエイラを見ているミーナの瞳に深い慈愛の念が
こめられていることにエイラは気がついていない。


「貴官に自室禁固を命じます。今日は一日、リトヴャク中尉に付き添うこと。…いいですね?」
命ぜられた処分にエイラの目が丸くなる。
「エ…イイノ?」
「これは命令です。少尉、返事は?」
「ハ、ハイッ!!」

叫んだ拍子にエイラの体が揺れて、むくり。サーニャが起き上がった。固まっているエイラをよそに眠そうにあくびを
して目をこするサーニャにミーナは微笑んで話しかける。
「おはよう、サーニャさん」
「…はい…おはようございます…」
それでも自分がエイラの服のすそを掴んで離していないことを彼女は気付いているのだろうか。…恐らくは無意識
だろうけれども。

エイラは何も言わない。ただ嬉しそうに笑って、ゆっくりと手を伸ばしてサーニャの頭を撫でるのだった。それに応える
かのように体を寄せて、サーニャも淡く笑う。
それは優しい飼い主と甘えん坊の猫のような、もしくは仲の良い恋人同士のような。
そのどちらもミーナの知らない顔で、戸惑うと同時にもっと温かい気持ちも湧きあがってくる。胸の奥に引っかかって
いたつかえが取れたような気持ちだった。

「あれ…なんで中佐がここに…」
ふと気がついたように呟くサーニャ。まだ寝ぼけているのだろう、しきりに首を傾げては、分からないといった様子で
目を細める部下をミーナはこの上なくほほえましい気持ちで見つめた。
そして同時に、少しいたずらをしてみたい、と言う気持ちも湧く。そう言えば普段の雑務に追われて特にこの二人とは
ほとんど一緒の時間を過ごしたことがない。
「サーニャさんがあまりにも気持ちよさそうに眠っているものだから、私もご一緒させてもらおうと思って」
言いながらミーナはエイラのベッドに倒れこんだ。先ほどまでのサーニャと同じように体を寄せて目を閉じる。窓際に
あるベッドには昼前の、柔らかな日の光が差し込んできて、なるほど、これはいい心地だ。「なにしてるんダー!」そう
叫ぶエイラの声なんてもはや耳に入れない。

しばらくすると、エイラもあきらめたようにベッドに倒れこんでしまった。
「…ミーナ隊長も、たまにはゆっくり休んだほうがいいと思うヨ」
つかみ所がないほどに奔放な言葉が、毛布の代わりに掛けられる。そうね。そう返答すると、満足げに立てられる笑い声。
とりあえず、あの生真面目な副官がやってくるまでこうしていようと、ミーナは思った。


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