Kukkia


一緒に、楽しいことを考えよう?
その言葉は彼女にとってはなんてことのないもので、投げかけた優しさだってただの気まぐれに近いもの
だったのだろう。
でも、それだけの言葉でだって、私はひどく救われた気持ちになったのだった。


夜が、好きで、嫌いだった。
「たまには休みなさい」と言いつけられて、私の主たる任務─夜間哨戒─のシフトを別の人に替わって
もらったその夜。なぜか、と言うべきかやはり、と言うべきか。私は悪い夢を見た。
どんな内容だったのかなんて覚えていない。けれど思い出したくもない。恐ろしさにうなされて飛び起きると
言うことは良い夢だったはずがない。…ネウロイの襲撃で燃える故郷の記憶か、今、この瞬間にもオラーシャ
のどこかでネウロイの襲撃に怯えているかも知れない家族の想像か。

目を開いて部屋を見渡しても、夜間哨戒が夜の常である私の部屋は月の光さえも入らずに真っ暗闇だ。それ
でも慣れた目は部屋の様子を薄ぼんやりと映し出すのだから、きっと私は夜に生きるべき人間なのだろう、と
自虐的に思う。明るい場所は似合わない。きっと希薄な私の存在なんて、きっと霞んで消えてしまうから。
せっかく明日丸一日貰った休日だって、食事や入浴の時間以外はこの部屋で過ごすことになる。日の光さえも
ほとんどさえぎるような、この世界に背を向けているかのような、この部屋で。
私にはまだ、この部隊に休日を一緒に過ごせるような友人がいない。この先出来るのかどうかも分からない。
作り方も知らない。溶け込み方も、わからない。
ただ役目とそれを全うするために与えられた居場所だけがここにあって、私の存在意義なんてそれぐらいしか
ないのだろうと思う。そのぐらいに思っておくほうが傷つかなくてすむのだろうと臆病に縮こまっているのだ。

外に出て、風にも当たってこよう。そんなことを考えてベッドから上がる。少し汗もかいてしまったようだ。
夜目に慣れた体は戸惑うことなく私を導き、そして私の手は迷うことなくそのノブを握り締めて回した。開くと立て
付けが悪いのかギィと音が鳴る。びくりと肩を震わせた。明るいうちは何も気にならないのに、こう暗くて静かだと
小さな物音でも気になるのはどうしてだろうか。何かいけないことをしているかのような背徳感が、常に背中を
ついて回るのだ。

テラスに出たら、眩しいくらいの光に包まれた。部屋にいるときは全く気がつかなかったけれど、今夜は良く晴れて、
月も出ていたらしい。あまりの明るさに目を細めて立ちすくむ。その光景はとても綺麗だったのに、私はむしろ
周りの星々がその明るさに霞んでいるのを見て、可哀想だ、と思った。小さな光は大きな光に負けてしまう。
どんなに精一杯輝こうとしてもそれに気付く人はきっといないのだ。そしてあまりにも小さい光は人の目に届く
ことさえなく消えてゆく。
(私も、そうなのかな)
誰の目にも止まらず、いつしか消えてゆくのだろうか。朝・昼と眠って、食事は細々と隅で食べて、誰にも気付かれ
ることなく夜間哨戒に出掛けてゆく。そしてみんなが起き上がる前に基地に帰って来て、誰とも出会うことなく
また眠る。その繰り返しを延々と続けて、いつか。
そう思うとひどく寂しくて、けれどもそのほうが楽なのかもしれない、と半ばあきらめている自分もいた。
他人とどうやって付き合うか、話すか。そんなことを鬱々といつまでも、思い悩んで過ごすよりは、と。
心地よい夜風が、火照った体を冷やしていく。今夜の風は少し強めで、目を閉じると哨戒をしているときのような
気分になれた。これではいつもと何も変わらないわ。心のどこかでそんなことを思いながら、それでもいいかと
一人自嘲する。

そうやって一人きりの世界で、そんな考えにふけっていたものだから。
私は最初、それを風の囁きか何かだと思ったのだ。

それは最初、チューイ、などと言うひとつの単語でしかなかった。しかもそれは非常に控えめなもので、だから
風のいたずらだろう、なんて思って気付かない振りをした。魔法を使って判別すれば良かったのかもしれないが、
私の能力はこんな近距離の、しかも詳細な、目標補足には向いていない。
「リトヴャク中尉」
次はそんな言葉を掛けられて。ようやく私はそれが風の呟きでもなんでもないことを知った。けれど振り向くことが
出来なかったのは、ひとえに私の恐れゆえだ。掛けられたその声は、この部隊のミーナ中佐以外とはほとんど
話すこともない(しかも私は大抵与えられた命令に返事をするくらいだ)私にとって聞きなれないものであったから。


「サーニャ・リトヴャク中尉」

三度目に呼びかけられてようやっと、私は腹を決めることにした。その背後に誰がいるのか、どんな表情をして
いるのか、そんなことに恐怖しながらも、勇気を振り絞って目を見開いて、振り返ったのだ。それはもしかしたら、
ネウロイに対峙するときよりもよっぽど恐ろしい気持ちだったかもしれなかった。

「──…」

そして、果たして。
そこに、彼女は、いた。長い髪が風に緩やかになびき、黄味がかったその白銀色が月の光にキラキラと輝いて
いる。ああ、この人は確か同じ部隊の。
瞬間的に名前を判別することが出来ずに押し黙る私をよそに、彼女は私の方に歩いてきた。そして片手に携えて
いた何かを、ぽん、と私に手渡す。

「そんなところにずっといたラ、風邪、引くヨ」

抑揚の無い発音で彼女はそう言いながら小さく笑った。平坦な口調のはずなのにそこには私に対する気遣いが
ありありと見えていて、私は戸惑いにただ彼女を見上げる。渡されたものは上着で、どうやら彼女が自分の
部屋から持ってきたものらしかった。風が吹くと、私の腕の中から、彼女の体から、同じような優しい香りが漂う
からだ。

あなたは誰?どうしてここに?
そう尋ねたいけれども驚きで言葉が出ない。言いたい言葉は吐息となってもれるばかりで一向に音になってくれない。
「うめき声が聞こえタ。悪い夢でも見た?」
ああ、それでも。
私よりも長身のその人は少しだけ体をかがめて私に視線を合わせては、そう尋ねてくるのだった。ああ、そうだ、
この人は私の隣の部屋の人だ。エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉だ。そのことを思い出して、聞かれて
いたのか、とひどく申し訳ない気持ちになる。

けれどそれと同時に思った。

気付いてくれていたんだ、と。

(どうしよう)
ダイジョウブ?首をかしげて心配そうに私を見る蒼色の瞳に、深い深い優しさが宿っているのが見えた。今すぐ
すがり付いて泣いてしまいたい。そんな衝動を理性でセーブして、私はこくり、とうなずく。
(うれしい)
いろいろな気持ちがごちゃまぜになって、ただ、それだけの答えを私の頭がはじきだした。ただただ目の前に、
私のことだけをみて、私のことを一身に心配してくれている人がいる。ただそれだけのことだったのに、その瞬間
私の世界はがらりと変わったのだ。

風が一陣、私と彼女の間を通り抜けて行く。ぶるり、と身震いをして始めて、自分が寝巻き姿のまま外に出て
しまっていたのだと気付いた。渡された衣服を一瞥して、彼女をもう一度見ると「着なきゃ風邪引くヨ」と笑われる。
それでも私が戸惑っていると、彼女は私からそれを奪い、「手、上に上げテ」と言って無理やりそれを着せてきた。
柔らかな綿のパーカーがすっかり冷えてしまった私の体を包んでいく。まるで目の前の人に抱き締められている
かのような感覚になって顔を赤くしたのを、果たして彼女は見ただろうか。知られていないといい、と思う。

ありがとう。
自分としては大きな声を出したつもりだったけれども、実際声にしてみたらそれは容易く夜風に溶けてしまう。
どうしたらよいのかわからずにただ唇を噛み締めると、「ドウイタシマシテ」と照れくさそうな言葉が返ってきた。
ほっと胸を撫で下ろす。同時に不思議な気持ちがあふれてくる。
だって彼女はひたすらに、私を見てくれているのだ。顔だってとても近くにあるものだから、その瞳に小さく映って
いるのが恥ずかしいくらいに分かってしまう。今すぐここから消えてしまいたい。そうとさえ思うほどだったけれども、
まだここにいたい。この人ともっと話したい。気恥ずかしさよりももっと強いその気持ちが、私をこの場所に押し
とどめていた。だってすごく嬉しかったのだ。私のうめきをこうして拾い上げて、そうしてここまで来てくれたことが、
とても、とても、とても。


不思議だった。つい先ほどまで私は独りぼっちでもいいと思っていたはずなのに、今はこんなにも一人になる
のが怖い。出来ることなら彼女の衣服の端を掴んで「行かないで、ここにいて」と懇願したいほどの気持ちで、
私は彼女をひたすら見つめている。
「…そんなに見られると、恥ずかしいダロ」
そう彼女に呟かれても、止めることが出来ない。むしろその恥ずかしさに赤く染まってゆく彼女の頬が嬉しかった。
私もきっと、同じ位に、それ以上に頬を染めているのだろうと思いながら。

「眠れないのカ?」
しばらくして、静かに彼女に尋ねられた。私の脳裏にあの、真っ暗な自分の部屋が浮かぶ。いつもはむしろ居心地
がいいはずのあの部屋が、今ではとても恐ろしい場所のような気がして私はうなずく。何よりあの場所では、私は
独りぼっちなのだ。
無言の私の返答に、彼女はうーん、と唸った。一体何を考えているのだろう、分からず私はただひたすらそんな
彼女を見ている。風に揺れる髪を、かすかに伏せられているまつげを、口許に当てられたほっそりとした長い指を、
見ている。きれいだなあ。そんなことを思いながら。

「今日ダケ、なら、イイヨ」

たっぷり1分ほど、悩んでいた彼女の口から出たその言葉に私が一体どれくらいびっくりしたことだろうか。その
言葉の真意が掴めずに目を丸くする私に、彼女は重ねる。

「一人で眠れないなら、私の部屋に来るとイイヨ」
今日だけ、ダケドナー。直後にそう加えるのは照れているのだろうか。
「ほ、ほら!ええと、話相手位にならなれるし、一人が怖いなら、二人なら怖くないカナ、って」
慌てて付け加える言い訳のような、補足のような、その言葉の必死さに私はつい笑ってしまった。「笑うなんて
ひどいダロー」。そう口を尖らすその仕草さえ、なんだかもう見慣れたような気分になっている自分が不思議だ。
だって何も怖くないのだ。それぐらい彼女の仕草は私に対して親しげだった。温かかった。

「行こうヨ」
遠慮がちに差し出された手を、ためらいなく握る。冷えた二つの手が重なり合うとどこからか熱がやってきて、
いつの間にか溶け合っていく。ああ、人の手って、こんなに温かかったっけ。いつの間にか忘れていた感覚が、
よみがえる。何だか涙が零れ落ちそうになったけど、そうしたらきっと彼女が心配するだろうからこらえた。

たどり着いた彼女の部屋はやっぱり私の部屋の隣で、物が多い割にひどく片付いていた。カーテンは閉め
切られているのに、窓からはいっぱいに月の光が差し込んでいる。だから暗くはない。けれど眩しくもない。
ベッドに横になると、ひどく自然な様子で彼女は毛布を掛けてくれた。そして自分もベッドに潜り込んで仰向けになる。
「リトヴャク中尉は、花、好き?」
不意に投げかけられた問いに、うん、と言う返事を返した。ソッカ、と彼女の満足げな呟きが漏れる。

「じゃあさ、明日一緒に出掛けよう?今日訓練中に、いいものを見つけたんダ」
何を、と尋ねると「花畑!」と嬉しそうに彼女は答えた。
「一緒に楽しい事を考えヨウ。『楽しい人には草も花、いじけた人には花も草』って、私の国では良く言うんダ。
雑草でしかないのかもしれないけど、すごく綺麗だったんダヨ」
二人で見たらきっともっと綺麗だろうなあと思ったんだ。そして臆面もなくそんなことを言ってのける。
いいの?尋ねたら彼女の手が伸びてきて、私の頭をゆっくりと撫でた。どうしてか胸が高鳴る。もっともっと一緒に
いたい。この人のことを、もっと知りたい。強く、思う。

「だから、もう寝ヨ、リトヴャク中尉」

私の頭を撫でるその手が、とてもとても優しくて、温かくて、柔らかかったから。彼女の最後の台詞を待たず、
私はとろとろと眠りに落ちてゆく。けれどこれだけは伝えなくちゃ。そう思って眠りに落ちる直前呟いた。
「サーニャで、いい」
だから私もあなたのこと、エイラって呼んでいいですか。
目が覚めたら一番にそう言おうと思いながら。
たぶん彼女は微笑んでイイヨと言ってくれるのに違いないという妙な確信が、私を心地よい夢の中へ引きずり込んでいった。


被参照:0403
続き:1016

コメントを書く・見る

戻る

ストライクウィッチーズ 百合SSまとめ