カールスラント1941 ブリッツクリーク・アヘッド
バルバロッサの発令から暫くたったある日。
私、ゲルトルート・バルクホルンは最前線の野戦飛行場にいた。
飛行場と言っても広めの平地を整地し、一部に鉄板を引いて補強しただけの簡易なものだったが、主に軽量なウィッチが使用する前提であるならば十分なものだった。
着任早々にネウロイの空襲と言う歓迎を受けたが、我々はこれを難なく撃退。
むしろ迎撃戦闘の快勝は味方の士気を上げるのに大いに役に立った程だ。
そして、本日これより侵攻する陸上部隊支援の為、ネウロイ防御戦線に向けて航空攻撃を開始する事となった。
「整列、傾注!」
ストライカーユニット、Fw190AとBf109Fを装備した航空機動歩兵の乙女たちが、私の目の前に整列していた。
私よりも年上の者、年下の者、同い年の物、等しく私という指揮官に付き従う部下であり、掛け替えの無い戦友達。
「出撃前に貴様らに伝えておきたい事がある」
私は静かに皆の顔を見た。
「知っての通り、今回の出撃はこの作戦の為に分派された我々分遣戦隊の初陣となる」
「また、我らカールスラントの誇る英雄、撃破王ハンナ・ルーデル大尉殿との初の共同作戦でもある」
「先日、大尉殿は私に決意を告げられた。大尉殿は全ての爆撃部隊の隊員を連れ帰ると仰られた」
「私も同じ気持ちだ。同じ思いで如何なる時も飛んでいる」
「だが、大尉殿の決意は私の想像を超えていた。味方が敵地にて落伍したなら、これを拾い上げて帰還するとまで仰ったのだ!」
「明日を担うウィッチの為、一人でも多くの経験を持ち帰る……私にもその意識は伝わった。十分すぎるほどに!」
「同時に、その意思が余りにも大きい事も悟った。大尉殿の意思は翼を並べ、共に空にあるもの全てに向けられている……」
「わかるか? それは貴様らの落伍の際にも大尉殿は分け隔てなく救いの手を差し伸べると言う事だ」
「英雄には堂々とした凱旋がよく似合う。負傷兵を抱えてヨタヨタと飛べなどと英雄に求められるか?」
「否! 断じて否だ!」
「もしも我らが英雄にその様な恥辱を与える者がこの戦隊から出ようものなら、帰還後私が直々に教育を施す!」
「そしてもう一つ、隣接する戦域ではオラーシャや扶桑の派遣軍も奮戦している。もしも連中の活躍に遅れをとる様な事があった時もまた然りだ!」
『了解です。中尉殿!』
「以上だ。祖国万歳!」
『祖国万歳!』
「総員離陸!」
私は伝統的なロマーニャ式敬礼を行って訓示を終え、出撃命令を下した。
私は基本的に力強く、抑揚をつけた訓示を好んで行う。そのやり方が私の性に合っているからだ。
ミーナの場合は静かに、言葉の一つ一つに意思を込め、浸透させるような訓示となる。
エーリカは……奴にやらせると緊張感が台無しになるので基本的には私が行う事にしている。
そんな二人とは、現在戦域が離れ離れになっていた。
司令部の戦力の均等配置という意思が働いたようだ。
本来、有力な戦力を集中かつ有機的に運用するというのがかつて我々カールスラントの研究していた戦術ではなかったのか?
現在の他国の派遣部隊との協調を優先するが故に我々の持つアドバンテージを失っては居ないだろうか。
いや、余計な事は考えるまい。
私は軍人として、ウィッチとしての結果を出せばいいのだ。
そしてBMWの魔道エンジンが与える力強い加速の後、私とFW190Aは青空に舞った。
続いてシュツーカ隊も離陸し、ルーデル大尉が話しかけてきた。
「いい演説だったぞ、バルクホルン中尉。だが少し持ち上げすぎだな。恥ずかしくて顔から火が出そうだぞ」
半ば非難めいた感想を述べるがその声と表情は笑みを湛えていた。どうやら先程の私の訓示は及第点を頂けたらしい。
それだけで就寝時間を過ぎても推敲し、練習しただけの甲斐はあったというものだ。
「カールスラント軍人としての当然の心構えを述べたまでです」
余り大尉を見つめてしまうと頬が火照りそうだったので少し視線を逸らしながら答える。
そして視線の隅に捉えた他のシュツーカと大尉の装備を見て愕然とした。
一般隊員が125kg爆弾を両手に抱え、MP40短機関銃を肩がけにしている事に対し、大尉は左腕に125kg爆弾、右手にMG42を抱え、その背には37mm対装甲ライフルを背負っていた。
それだけの重装備にもかかわらず他の隊員に遅れをとるどころかより軽やかな飛行を見せている。
みれば副官のアーデルハイト中尉も37mmライフルを背負ってはいたが、爆弾に関しては両手で保持していた。
「フ……頼もしい限りだな、バルクホルン中尉」
私から見れば頼もしいのはあなたのそのお姿です。と思ったが口に出してはまた声が上擦りそうだったのでやめた。
そして、私は言葉を飲み込んで一呼吸し、リズムを整えた上で「光栄です」と一言だけ返した。
「フム、では帰ったら先日の話の続きでもしよう……」
大尉はそれだけ言うと「え?」と思ったこちらの返事も聞かずに高度を変え、シュツーカ隊との編隊を組んだ。
先日の話。
ルーデル大尉から『トゥルーデ』への頼み事。
あの距離感、一瞬の逢瀬の記憶が蘇り、私を困惑させる。
しかし、この戦時に於いて個人的な用事など瑣末な事。
尊敬する大尉との会話とはいえ、それがバルクホルン中尉でなくトゥルーデという一人の少女に向けられたものであるならば、カールスラント軍人として意識して思考から排除せねばなるまい。
私は改めて前方を見据えると緊密な編隊を組みつつ高度を上げた。
ネウロイ前衛に一撃を与えるべく結集し、進軍する陸軍の歩行脚隊の戦列を追い越して飛ぶ。
程なくして眼下に瘴気の淀みが広がり、同時にネウロイの迎撃が始まった。
無我夢中でロールとダイブと上昇、そして牽制、照準、射撃を繰り返す。
無論一瞬たりとも警戒を怠らない。
常に1乃至は2機が上空に遷位し、近づく敵の鼻っ柱を叩き、戦意を挫き、シュツーカ隊を護る。
波状攻撃を仕掛けるネウロイ航空隊の余りの多さに内心悲鳴をあげつつも全て飲み込んで闘志の咆哮へと換えた。
指揮能力に優れた才を持つミーナが今ここに居ない事に対し、カールスラント軍人にあるまじき汚い言葉で悪態をつきながら総員の位置を把握し続けた。
無条件で皆の背中を護るエーリカの不在も同じく悪態に換え、不満の全てはネウロイにぶつけた。
そして、未だ我々護衛部隊の激戦が続く中、攻撃ポイントに到達したシュツーカの乙女達が爆撃を開始した。
攻撃を開始したのはシュツーカ隊12名の内7名だった。
ルーデル大尉とアーデルハイト中尉、そして新人5名と言う構成。
残り5名は少し離れた場所で待機している。流石の大尉達と言えども激戦の中で10人の新人の面倒を見るのは無理なのだろう。
炸裂する高射砲の衝撃波に揺さぶられながら、シュツーカ隊は何とか投弾を終える。
見れば地上を見れば、黒煙の向こうに長大な主砲を持つネウロイの大型陸戦兵器が崩れ落ち動かなくなっている。
他にも数箇所から煙が上がっていた。ある程度の戦果が上がったのは確実のようだ。
ここまでの間、脱落者は無し。我々も奮戦の甲斐があったというものだろう。
だが、低空に遷移して離脱途中の新人が一人、炸裂した至近弾によって大きくバランスを崩した。
どうやら失神したらしくその身体はあっという間に高度を失っていく。
そこに咄嗟の判断で37mmライフルを投げ捨てて身軽になったアーデルハイト中尉のフォローが入った。
中尉は意識の無い新人に呼びかけながら回避機動を行うが、そんな動きの鈍ったウィッチはネウロイ高射砲にとって格好の的でしかなかった。
再び高射砲弾が炸裂し、新人を庇った中尉は傷だらけになっていた。
次は無い。だがそこで中尉にとって最高の僚機であるルーデル大尉から最高のフォローが入った。
大尉が高射砲を鮮やかな狙撃で吹き飛ばしたのだ。
しかし、この時点で待機していた新人5人による二次攻撃は事実上破綻をきたしてしまった。
新人達の投弾には大尉と中尉の歩調を合わせた支援が不可欠だったからだ。
今回は撤退だろうと判断し、襲い来るネウロイの間隙を突いて撤退支援の為の編隊を組もうとした矢先、ルーデル大尉から驚くべき通信が入った。
「バルクホルン中尉、二次攻撃を行うからこちらに来て新人を二人まとめろ」
「なっ!? 無理です、ルーデル大尉!」
「やる前から諦めるな! 見ろ!」
大尉が指差した先では、先程爆撃によって破壊されたかに思われた大型陸戦兵器がその脚を震わせ、再び立ち上がろうとしていた。
「新人に構う余り狙いが浅くなった。奴の主砲は鈍重な地上部隊にとっては非常に脅威になる。確実につぶす」
「しかし……」
無茶だった。大体私は爆撃の訓練など最低限の座学以外受けていないのだ。
そんな爆撃に関して素人同然の私が初陣のウィッチ二人を導けるはずが無い。
「やるんだよ中尉!」
大尉は尻込みする私の胸元を掴んで左手で力強く引き寄せるとおもむろに唇を重ねた。
な、ななななな!?
突然の事に体が硬直する。
無線を通じ地いくつもの気配が息を呑み、皆の視線が集まるのを感じた。
自分のどこか冷静な部分が「キスをしているのに目を大きく見開いているのはおかしい」と見当違いな指摘を囁く。
急転直下の状況が思考を麻痺させるが、感情が羞恥へとつながって頬を染める前に大尉は唇を離す。
「気付けだ。気に入ったか? トゥルーデ」
穏やかでいて力強い瞳が、恐ろしい程至近距離にあった。
「えっ……いや……そのっ」
うう、追い討ちの様に愛称で呼ぶなんて……。
「やらんのなら更にこの先に進む用意もある。悠長な事をすればお前がやる気になる前にここで二人して墜とされ兼ねんぞ」
余裕を湛えた微笑のまま、大尉はとんでもないことを口にする。
さ、先って何だ!?
いやいやいやいや、何を期待しているトゥルーデ!
いや違う、そんな事を考えるなバルクホルン! これは……これは脅迫だぁっ!!
こうなってしまってはもう私に選択肢など一つしかないじゃないかっ。
「やります! やらせていただきますっ! ベーアイン、打ち合わせ通りに護衛の指揮を引き継げ。こちらは大尉の指揮下に入る!」
心なしか、少しからかう様なB中隊1番機ベーアインによる了解の応答の下、指揮官の思考停止によって乱れていた編隊行動は再び一体の生物のような連携を取り戻す。
そして、私は心を決めたからには徹底的に地上攻撃に集中する。
視線を走らせると先程アーデルハイト中尉が投げ捨てた37mm対装甲ライフルが目に留まった。
一気に降下して回収し、動作を確認する。
流石はボルトアクション。その単純なつくりはカールスラントの丁寧な仕事も相まって、投げ捨てられた後も動作不良の発生を拒否していた。
「よし、いける」
本来かなり重量があるものなのだろうが、私の特殊能力『怪力』の前にはその重さは無いも同然だ。
とはいえ魔道エンジンの搾り出す推力には限りがある。
重いライフルを抱えた今の私はその打撃力と引き換えに本来戦闘脚のもつ軽快さを失っていた。
慎重なストライカー裁き必要になるが、この程度なら問題はあるまい。
「いい判断だ中尉。では行くとしようか」
先程までの行為など無かったかの如く鷹揚な振る舞い。
まるでピクニックにでも向かう様な気軽さで攻撃の開始を告げる大尉。
そんな大尉の心の余裕を分け与えてもらった私を含む素人襲撃ケッテは、見事ネウロイの頭上に鉄の雨を降らせ、その義務を果たした。
帰路。
私の気のせいなのかもしれないが、皆の視線が生暖かい気がする。
二度目の攻撃時にも発生した脱落者を背負って飛んでいなければ、先程の行為に関して質問攻めにあっていただろう。
しかし、当のルーデル大尉はすまし顔で飛んでいた。
思わずその横顔に見とれそうになる自分を叱咤する。
一瞬だけ目が合うと、私の心を読み取ったのか「話は戦闘終了後だ、中尉」とだけ言ってはぐらかされてしまった。
飛行場へと帰り着くと、そこでは先に帰還した一次攻撃隊とアーデルハイト中尉達が滑走路脇の小屋の中で傷の手当をしていた。
大尉は降りるなり小屋に向かい、本日何度目かとなる驚くべき発言を行った。
「休んでいる暇はないぞアーデルハイト、出撃だ!」
私を含め護衛隊が呆気にとられて言葉を失う。
更に驚くべき事にそんな声をかけられたアーデルハイト中尉はため息一つ吐いてから「了解」の一言と共に格納庫に向かったのだ。
見れば手当てをしていた医者も力なく首を振っている。
カールスラント軍人としてあるまじき態度ではあるが、我々戦闘脚隊全員があんぐりと口を開け、呆然と事の成り行きを眺めていた。
そんな我々を見つけると大尉は大声で怒鳴った。
「何をしている! お前らが先に上がらんと安心してネウロイどもを吹っ飛ばせんだろうが!」
そして我々はやっと気付いたのだ。大尉が本気だと言う事に。
思えばあの何かを悟りきったようなアーデルハイト中尉と、諦めきっている軍医の表情が全てを物語ってたとも言えるかもしれない。
結局我々はその日だけで都合3度の地上襲撃を行い、1度の防空戦闘を行う羽目になった。
3度目の出撃ではアーデルハイト中尉が怪我と疲労でリタイアし、初めから私が地上攻撃要員としてカウントされた。
防空戦闘では蓄積した疲労で動けなくなった我が戦隊員のFw190を半ば奪うようにしてに装着したルーデル大尉も出撃し、見事戦果を上げていた。
全て終わって帰還すると地上部隊からの電報が入っていた。
勿論感謝状などでは無く、獲物を奪うなとのお叱りだった事は言うまでも無い。
夜の帳が下りた。
普段なら寝るには早すぎる時間だが、皆ストライカーを脱ぐが早いか寝所に引っ込んでしまった。
寝台に辿り付けぬ者、着替えの途中で力尽きる者等もあり寝所の小屋はエーリカの私室よりも混沌としていたが、今日ばかりはそれを咎める気になれなかった。
無理も無い。体力には自信のある私でさえ、手足も瞼も鉛のように重いのだ。
だが、私にはまだなすべき事があった。
滑走路の端までたどり着くと、月光の下に私などよりも女性を感じさせるシルエットが佇んでいた。
ルーデル大尉は待ち合わせの10分前だと言うのに既にそこにいた。
あれだけの連戦にも関わらず、疲れを感じさせないその姿にはただ感服するばかりだ。
「よく来てくれた」
大尉は戦士のそれではなく、優しく包容力に溢れた声で私を出迎えてくれた。
胸がきゅんとする。
間違いない。この感覚は、この感情は明らかに尊敬の念から来るものなどではない。
認めたくは無いが、これは……多分恋だ。
今、私は同性に恋してる。
「頼み事の件だ、わかるな」
そう言いながら、二人の距離はまた胸が触れ合う程まで縮められた。
私を魅了してやまない瞳、
「大尉……」
言葉が出てこない。
ドキドキがとまらない。
「これから、私の事を『お姉さま』と呼んでくれないか」
「え?」
意外な申し出にキョトンとしてしまう。
今まで『お姉ちゃん』と呼ばれることはあれど、私が誰かに対してそんな表現を使う事など考えられなかった。
おねえさま……お姉さま、か。なるほどしっくり来る。強さ、優しさ、威厳、包容力……理想の姉がいるとするならばルーデル大尉を置いてほかにありえないと思われた。
多少動転しながらもお姉さまという響きについて思考を傾けていると、返事の無い私に不安を感じたのか大尉が口を開いた。
「唐突過ぎた様だな。嫌ならいいのだ。忘れてくれ」
ああ、まずい! そんな悲しそうに目を伏せないで下さい大尉! いえ、お姉さまっ!
「めめめ滅相も無い! ししししかし私の様な者が、あの、大尉に……その様な呼びかけを行っても、その、良いのかどうか……」
思い切り声が上擦り、どもってしまう。しかもそんな情けない私の台詞は、お姉さまの唇によって中断された。
空戦中の醜態を思い出し、この月の光に相応しい雰囲気を少しでも作り出そうと判断した私はお姉さまだけを強く感じられる様に瞳を閉じた。
相変わらず心臓は早鐘のように高鳴っていたが、心にあった焦りや緊張は、この長く優しいキスを交わす間に嘘のように消えていった。
唇が離れる。
「トゥルーデ、君がいいのだ。君にそう呼んで欲しい」
優しく囁く声が最後の一押しになって、私も優しく、確かめるようにその言葉を紡いだ。
「お姉さま」