Slowly, Growin'


もどかしいくらい、たぶんおくびょうなこの人とわたしはゆっくりすすむから、
きっとわたしはどこへでもいけるのだろう。
ふたりでいっしょに、どこまでもいくのだろう。


まるで真っ白いミルクを心に注ぎ込んだように幸福な夢がうっすらとぼやけていって、ゆるゆると私は
覚醒した。
高く上った太陽が、カーテン越しに私を柔らかく包み込んでいる。寝乱れたシーツの上で体を起こして
ひとつ大きなあくびをして、「エイラ。」おそらく傍らにいるであろうひとに話しかけようとして。

「…えいら?」

出来なかった。

どこへ出掛けているのだろうか、本来この部屋の住人であるところのエイラ・イルマタル・ユーティライネン
少尉はそこには居らず、つまり私は一人で使うにはやや広いベッドの上で、部屋の中で、独りぼっちで
いたのだ。寂しさを紛らわそうとして手を伸ばしても、気に入りのぬいぐるみはこの部屋の隣、私の部屋に
ある。しかたなしに枕を抱きしめたけれど、やっぱり心は埋まらない。

いくらこの部屋がエイラの温かさと、エイラの香りとでいっぱいになっていたのだとしても──エイラが、
いなくちゃ。そうじゃなくちゃ、それらは全く意味を成さない。バニラエッセンスがその甘い香りに反して
とても苦いものであるように、甘い甘い砂糖菓子のようなあのひとがいなければ、この部屋だって
ただの入れ物に過ぎない。

いまだ残る眠気のせいで、感情が上手くコントロール出来ない。気付けば鼻の頭がつんとして、目頭が
熱くなるのだった。
…こんな弱い私を見たらエイラは一体どんな顔をするんだろう。ふと、思う。たぶん誰よりもおろおろと
して、だいじょうぶ?だいじょうぶ?と繰り返して、どうしたらいい、なんでもしてあげるよ、なんてわたわた
とするに決まっている。彼女は目の前の弱い人間に対してめっぽう弱いからだ。ちっぽけな存在を
見過ごしておくことが出来ない性分なのだ。

けれど、たぶん、でも。
きっと、私の一番に望むことは結局してくれないのだと分かっている。それは優しく私を抱き締めたり
だとか、手を握ってくれたりだとか、頬にキスをしてくれたりだとか、例えばそんなことだ。そうして触れ合って
私はここにいるよ、って教えてくれれば私は何よりも安心するのに、極度に恥ずかしがりのところがある
あのひとは意識してそういった行為をするのをひどく苦手とする。普段私に世話を焼いているときは平気
なのかと言うと彼女の中でははっきり違うようで、こと私に対してはまるで花咲く直前のつぼみのように
頑なで、慎重なのだった。

ぐるりと視線をめぐらしても、当然のごとくエイラの姿があるはずも無く。
ベッドの端を見ると、見事なまでに折り目正しく畳まれた私の衣服がそこにあった。傍らにある不自然な
空白はそこにエイラ自身の衣服があったことを表していて、恐らく私が今朝夜間哨戒から帰ってきたとき
脱ぎ捨てた衣服をエイラが拾い上げて自分の物と並べて丁寧に畳みこんでくれたのだということは明白
だった。面倒くさがりやのくせにこういうところばかりはひどく几帳面なひとなのだ。

(いないんだ)

ぽつんと残された自分の衣服を見やって、ぽつりと思う。訓練か、出撃か、それとも。
とにかくエイラがきちんとした制服を着て出掛けている以上、恐らくしばらく彼女が帰ってくることはないの
だろう。私を置いて、起こしてもくれないで、エイラは行ってしまった。…それは恐らく、夜間哨戒を終えて
疲れ果てて、ぐっすりと眠っていただろう私に対して精一杯気を遣った結果なのだと思うけれども、でも、
やっぱり、さみしい。



もっともっと、いっぱい、一緒にいられたらいいのに。
そんなことを考えるのは、私たちの立場からすれば不謹慎なことなのかもしれない。エイラはスオムスの
トップエースとして、私は広範囲の索敵という特殊能力を買われて、偶然ここに集められたに過ぎないの
だから。

ねえ、じゃあ、もしも。

例えば私たちがウィッチでもなんでもなくて普通にばったり街中で出会ったとしたならばこんな風に思うこと
もなかったんだろうか──そんなことを言うと、きっと、エイラは冷静に『そんなことはない』と首を振るの
だろうと思った。もしもなんてないよ、あるのは一本につながった過去と今と、未来だけだと。
ほんの少しだけ、未来を見ることの出来るエイラはこういった問題に対してひどくシビアだ。

「エイラ、」

もう一度名前を呼ぶ。言葉はエイラの部屋にがらんどうに響くばかりで私の望みの音は返って来ない。
それはとても虚しくて悲しいことだ、と思った。

探しに行こうか。でもどこに?

思いながら衣服を手に取る。恐ろしいくらいに綺麗に畳まれたそれらは私には一種の芸術にさえ思えて、
いつもそれを崩すのをためらってしまう。私のピアノを、歌声を、エイラはいつも幸福そうに聴いて、彼女なり
の最大級の褒め言葉を持って評価してくれる。けれども私はエイラの、こういったささやかな気遣いが出来る
ところこそとても、とても、素晴らしいと思うのだ。

(なんか、わたし、だめだなあ)

シャツに手を通して、ネクタイを締めて、そうして衣服を着替えながらため息をついた。
さっきから、恥ずかしいくらいにエイラのことしか考えていない、考えられない。そして考えれば考えるほどに、
傍に行きたくて仕方がない。恥ずかしそうに笑んで頭を撫でて欲しいし、ぎゅうと抱き付いてうろたえさせても
みたい。

そして言いたい。抱きついたその耳元で、いくらだって叫びたい言葉があるのだ。
会いたかったよ、大好きだよ、だから黙っていなくなったりしないで、ずっと一緒にいたいよ。
だけどきっと、私は言わない。絶対に、言えない。なぜなのかなんていちいち問うていたらきりがない。

…それは、ある種の情を持って私に触れるのをエイラが恐れるのと同じように、私もまたその気持ちには
ひどく臆病だから。
もしかしたらベクトルは同じ方向に向かっているのかもしれない。そう思っても恥ずかしくて、怖くて、上手く
言葉にすることが出来ない。だからいつまで立っても前に進めない。扉を開く一歩手前で足踏みをして、
戸惑っているのだ。ノックする勇気さえ私たちにはまだないから。

ああ、でも、今すぐ会いたいな。会いに行きたいな。
気持なんて何ひとつ伝えられなくてもいい。ただ今は一緒にいたい。それだけでもかまわない。

ベッドの上で、猫のように。
伸びをしてさあ下りようとしたその瞬間、不意にコンコン、という高い音が部屋に響いて飛び上がった。
誰だろう?恐怖にも似たその気持ちは、次の瞬間にこの上ない喜びに変わる。

サーニャ、おきてる?

それは、私の、待ち望んだ声だったからだ。粉砂糖のように柔らかい言葉がドアの向こうから私の耳に届く。
自分の部屋だというのにいちいちノックをしてくるところが、なんともエイラらしい。
扉に駆け寄っていく。そして開く。何も言わずにぎゅうと、エイラに抱きついてみる。ウワァ!と声を上げて
うろたえるエイラ。



「…寝ぼけてるの?…私はぬいぐるみじゃないゾ?」
手に持った何かを支えながらそんなことを言っていう。いまだに私が夜間紹介のあとにこの部屋に来る
ことを『部屋を間違えているだけ』と思っていたり、こんな発言を重ねているところを見ていると、この人は
相当鈍感なのではないかと思ってしまう。自分に寄せられる好意に対してひどく鈍いのだ。
間違えてなんかないよ、エイラを間違えるわけないじゃない。それが伝わらないのはきっと、何よりも私が
それを言葉にしないからなんだろう。

「おなかすいたロ?朝ごはん持ってきタから食べヨ。」

そしてほら、やっぱり鈍感なエイラはさっきまで私がどんな想いでこの部屋にいたかなんて何も知らないで
楽しそうにしているのだ。持ってきた皿のものをフォークで刺して、私に差し出してきてくれる。茶色くて丸い
それを、そう言えば私は前も見たことがあった。何かと理由をつけて料理当番を受け持つのをひどく嫌がる
エイラの手料理だ。

──こんなのスオムスじゃ誰でも作れるよ。他人に出すような料理じゃナイ。
   でも私には、これぐらいしか作れないカラ。

私が絶賛をしたらそう言ってそっぽを向いてしまった、そのときのそれによく似ている。
ぱくり、と口にすると温かくて、少し酸味のある柔らかいお肉の味が口いっぱいに広がった。おいしい?
恐る恐る尋ねてくるエイラに、もう一度口を開いて答える。ねえ、もっと。身を乗り出して、えさをねだる
小鳥のように。

一緒に彩りよく添えられていたらしい野菜や、マッシュポテトまでもすっかり食べ終えて、満足に私はまた
エイラに擦り寄った。私の口の周りを拭きながら「しょうがないなあ」などとぼやいている辺りエイラはまだ
私が寝ぼけていると思っているらしい。私がきちんと覚醒していて、意識を持ってこんなことをしているの
だと知れたらエイラはそれこそ裸足で逃げ出すだろう。エイラはそんな人だ。

ゴメンネ。
そんな言葉がふってくる。心も、体も、満足で満たされている今の私にとってそれはまるで美味しく焼けた
パンケーキに更にたっぷりとかけるメイプルシロップみたいだ。
「…追いてっちゃっテ。朝ごはん、私の当番だったんダ」
膝の上にいる私の前髪をかきあげて額を撫でながら、申し訳なさそうにエイラは呟く。いいよ、もう。答える
代わりに服のすそを掴む。伝わるかどうかはわからない。でもきっとその気持ちをエイラは理解してくれる
ような気がした。

その代わりに、今日はもう、離さないから。
そんな気持ちがこもっていたことには、たぶんさすがに気付かなかったろうけれど。

言葉にしないから、私の気持ちは膨らんでいくばかりだ。いつまで経っても不確かで宙ぶらりんで、たまに
不安になって仕方がなくなる。それもこれも、私が、エイラが、おくびょうすぎるせい。

でも。
(Тише едешь, дальше будешь.)
そんなときは心の中で、この言葉をくりかえす。ゆっくり歩けば、遠くまでいける。
なら、もどかしいくらいでも、この人と一緒なら私はどこまでも行けるだろう。

「サーニャ、私そろそろ片付けに…」
「行きたいんだケド」と困ったように口にされた言葉なんて、とりあえず無視することにした。同じところで
ずっと淀んでいてもいい。だって幸福だもの。だから前に進むのなんてまだまだ先でいい。
だってきっと、私たちはずっと、遠くまで遠くまで、一緒に行くのだから。


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