Schokolade Kuß
何だかんだで結局三人一緒が一番!!という結論に達してから、
ウォーロック事変をもってしてウィッチーズが解散するまでの短い間、
私達の間には全くと言っていい程色気のあるエピソードは発生しなかった。
……と、エーリカとミーナは思っていることだろう。
だが、実は一度だけあったのだ。
私とあいつだけが知っている、一夜限りの甘い過ちが────
────────
その夜私は、上層部に呼ばれて顔を出しに行ったミーナとエーリカを見送った後、
何をするでもなく部屋でぼーっとしていたのだった。
風呂には入ったし、歯も磨いたし、後は寝るだけ。
ただ、寝るには少し早い時間なのだ。
まあ、ゆっくりできる日に思い切り堕落してみるのも悪くないかもしれない。
そう思ってベッドの上で目を瞑ると、睡魔というのは案外あっさり襲ってくるのだった。
静かな夜だった。
鳥や虫の声さえしない。木々の穏やかなざわめきだけが、
私を夢の中へと導いて…………
『ドンガラガッシャーン!!』
『うわあ!?』
…………。
何だ今のは。
『ガシャーン!!』
『ぎゃあー!!』
最悪な勢いで目が醒めた。今の声はイェーガーだろう。一体何をやってるんだ。
放っておくのもまずいと思ったので、部屋まで様子を見に行くことにした。
────────
「おい、何をしている、リベリアン。」
開けっ放しのドアから中を覗くと、下着姿のイェーガーが自分の足を抱えてベッドの上を転げ回っていた。
床には何かの工具やら部品やらが散乱している。
「工具箱が……足に……っ痛ぅー……」
「…………あー」
どうやらベッドに腰掛けたまま機械いじりをしていて、
何かの拍子に持っていたものを取り落としたらしい。
さしずめ、一度目の悲鳴は部品、二度目は工具箱といったところだろう。
「まったく……これだからリベリオンの人間はガサツだなんて言われるんだ。」
「うるさいなあ……あててて」
「怪我したのか?」
見ると、イェーガーの左足指が擦り剥けて血が滲んでいた。
過去の経験を思い出して思わず同情する。
痛いんだよな、あそこ。
「うえっ、ちくしょー。やっちまったかー。」
「待ってろ、今救急箱持ってきてやる。」
そう言って部屋を出ようとすると、何故か「は?」という顔をされた。
「あんた、熱でもあるのか?」
「……どういう意味だ?」
「いや、あんたのことだから、『それくらいどうってことない』とか言われるもんだと思ったんだけどな。
意外や意外、流石は神経質なカールスラント人。」
「……いるのかいらないのかはっきりしろ。」
「おいおい、意地悪はナシだろー?」
まったく、こいつは私を何だと思っているのやら。
何だかこいつの為に医務室まで往復するのがばかばかしくなったが、
言った以上行かないわけにもいかないのでとっとと用を済ませて自分の部屋に戻るとしよう。
────────
持ち出し用の小さな救急箱を持ってイェーガーの部屋に戻ると、
イェーガーはベッドの上で片足を天井に向けてピンと伸ばすという理解不能な姿勢をとっていた。
「リベリオン流の民間療法か?」
「持ち上げたら血が止まるかと思ってね。」
よっこらせ、と元の姿勢の戻ったのを見届けてから部屋の中に踏み込む。
瞬間、ジャリ、という音がして足元が動いた。
「おい、モノを壊さないでくれよ。」
「少しは片付けろ!!」
「しょーがないだろ、置き場がないんだよ。それに、どれもよく使うやつなんだ。」
仕方ないのでそろそろと床を踏みわけて歩く。ええい、面倒臭い。
「ほら、とっとと終わらせるぞ。足を出せ。」
「うん?」
プラプラさせていた左足を手に取って消毒液を箱から出そうとすると、またしてもぽかんとした顔をされた。
「今度は何だ。」
「バルクホルンがやってくれるのかい?あたし自分で出来るよ?」
「…………。」
言われてみれば、救急箱だけポイと渡せば私は用ナシなのだった。
「……じゃあ、はい、これ」
「何だよ、せっかくだから最後までやってくれよ。」
「お前は私をおちょくりたいだけなのか?」
「まさか。ちょっと話をしたいと思ってさ。」
まったく、何でこいつの前にいる時に限って事がスマートに進まないのか。
「いいだろ?」
「好きにしろ。」
イェーガーは私に足を預けたまま、後ろにバフンと倒れ込んだ。
────────
「あたしはね、案外驚いてたりするんだよ。」
「何の話だ?」
ひとしきり間があった後、イェーガーは独り言のように語り始めた。
「君たちがあたしと同類のばかやろうだったってことさ。
ぶっちゃけるとあたしもさ、女の子が好きなんだよね。」
「……。」
「もちろん最初は自分が嫌いでしょうがなかったさ。
でもそういうこと考えるの、すぐに面倒臭くなってやめちったんだ。
逆境を乗り越えてこそ恋愛だ!!と思ったからね。
それでまあ、君たちが何だかんだと揉めているところを先行者としてニヤニヤ観察させてもらったわけだけど。」
「先行者?」
「ああ。あたし今、ルッキーニと付き合ってるんだ。」
持っていた薬の瓶を取り落としそうになった。
ちょ、ちょっと待て、どういうことだ。
今さりげなく重大発表しなかったか?
「まあ、知らなかったと思ったから言ったんだけど。」
「し、知ってるわけないだろ!!いつの間にそんな……」
「かなり前からさ。てか確かにわざわざ発表したりはしてないけど、
うちの連中で知らなかったの、多分あんただけだよ?」
「…………。」
どうやらまた一つ、私の鈍感伝説が増えてしまったらしい。
何てことだ。
「その鈍感振りに敬意を表して付け加えるなら、エイラとサーニャ、
それにリーネと宮藤もかなーり怪しいんだけどねー。気付いてた?」
「……。」
最早語るまい。
「まあいいや。それでえーと、そうそう、とにかく君たちがうまく両想いで収まって良かったよ。
いや、"両"想いとは言わないのかもしれないけど。とにかく、おめでとう。」
「……どうも。」
「あんたが『どうも』だって。うひひっ。」
「あのな……。」
「冗談。ま、同類同志仲良くしようじゃないの。」
「お前のような女と同類にするなよ……。」
「寂しいこと言うなよ。親友だろ?」
「そういうことを言ってるんじゃない。」
まったく、どうしてこの女はこういう態度しかとれないのか。
ただ、こういう風に思い切り軽口をぶつけ合える関係というのも案外心地良かったりするわけで。
だが、流石に次の一言には私も参った。
「ところでさ、ちゅーしない?」
────────
衝撃のあまり指にかけていた包帯を思い切り引っ張ってしまった。
「いだい!!引っ張り過ぎ!!」
「あ、ああ、すまない。お前今何て言った?」
「だからさ、ちゅーだよ、ちゅー。キス。」
「あのな……。」
妙な単語を連発するんじゃない、まったく。こっちが恥ずかしい。
「いかなる思考もしくは外的干渉をもってその結論に達したのか理解できん。」
「そんな大袈裟なもんじゃないよ。」
「なら尚更わからん。お前は大袈裟な理由もなしに他人にキスをねだるのか。」
「言い方が悪かった。理由は、そうだな……。
一つは好奇心、もう一つは興味かな。」
「同じじゃないか。」
「違うんだ。えーと、その……。」
いや、みなまで言うな。これ以上この話を続けると包帯がうまく縛れん。
「ルッキーニ以外の女の子も、同じ味がするのかと思ってさ。
あと、他の人はどんな風にするのかなー、とか。
ほら、えっちなんてそうホイホイするもんじゃないし、何か新しい発見があるかも?」
「ホイホイするもんじゃないなら私に振るな!!」
「だって他に相談できるヤツもいないし。このタイミングで言うのもなんだけど、
あたしはあんたのこと嫌いじゃないっていうか、信用できるヤツだと思ってるんだ。
だからさ、……ちゅーしよ♪」
おいおい……。
栄えあるブリタニア海軍第501統合戦闘航空団はいつからリリーガールの巣窟になったんだ。
これはとっとと逃げた方が良さそうだな。
「断る。」
「えー、何で?」
「軽々しく他人とキスなどできるか!!」
包帯の結び目を確認してから救急箱をバタンと閉める。
「あっそ。じゃあ勝手にしようかな。」
イェーガーの科白を聞き流して立ち上がり、さあ部屋を出るぞとドアの方へ振り向く。
……いや、振り向こうとした。
────────
一瞬何が起きたのかわからなかった。
突然袖が引っ張られたかと思うと、何かに視界を遮られ……躓いた。
「んっ……」
唇に生暖かい感触。このシチュエーションには覚えがある。
確かそう……エーリカに風呂で押し倒された時もこんな風だった。
何てことだ。
「んく……ちゅ、ちゅ……」
「……っ!!」
私は一瞬でイェーガーに組み伏せられたのだった。両手は押さえられ、体重をかけられて動けない。
そして両足は膝から先がベッドの縁で宙ぶらりんになり、力の入れようがない。
完全にしてやられた。
「んむ、ぐ……っ、んんっ」
「ん……ふ、ちゅ」
抵抗する間もなく、口の中を思い切り蹂躙される。
およそ十数分に渡って猛攻撃を受け続けた私は、漸く唇が離れた時にはぐったりしてしまっていた。
「はあ、はあ……バルクホルンのキスって、甘いんだな。」
「…………。」
精一杯顔を動かして怪訝な視線を送ってやると、イェーガーはニヤリとして自慢げに言った。
「ルッキーニのキスはどっちかっていうと甘酸っぱくて、ストロベリーかチェリーみたいなんだ。
バルクホルンはもっと濃厚な……そう、ピーチかな。」
「あのな……。」
私は一体あと何回心の中で"まったく"と言えばいいんだ、まったく。
ただ強いて言うなら、ミーナはピア、エーリカはグレイプ、こいつは……?
……いや、私は何を考えているんだ。ペースに呑まれてどうする。
「もういい。何でもいいから、早く部屋に帰らせてくれ。」
「んー、でもなあ……」
「何だ。」
「ずっとキスしてたらムラムラしてきちゃったんだけど。」
勘弁してくれ。
「な、いいだろー?」
「いいわけあるか!!さっさと私から降りろ!!」
「まあまあ、減るもんじゃないし。」
「そういう問題じゃない!!貴様それでも ────~~!!」
問答無用で唇が塞がれる。
ああ、一体何なんだ。
何で抵抗できないんだ。
何でこいつのキスはこんなに甘いんだ。
ストロベリーでもチェリーでもピアでもグレイプでもない、
こいつは…………そう、例えるならチョコレートだ。
それも、ミルクでもビターでもなく、ホワイト・チョコレート。
とびきり甘くて、とろけるようで、異国の香りがして、
それからほんの少しだけ──苦い。
それは多分、罪の味なのだろう。
「んむ……」
「んん……」
イェーガーは私の上着の釦を外しながらも、私にその甘い唾液を流し込むことをやめない。
逃げなくてはいけないのに、私はその甘い誘惑を振り切ることができない。
私はどうなってしまったというのだ。
気付けば背中に腕を回していた。
気付けば自分からその蜜を欲していた。
夢中になって、その背徳的な味を求めていた。
思考はまばらになり、身体はコントロールを失い、
最後に私は────意識を手放した。
────────
聞き慣れない目覚ましの音に驚いて目を醒ますと、私は自分がイェーガーの腕の中にいることに気が付いた。
「んん……ふぁ」
同時に起きたらしいイェーガーが頭上の音源をパシンと叩くと、
けたたましいベルが止み、外から小鳥の囀りが聞こえてきた。
カーテンの隙間から眩しい光が差し込んでくる。
私はぼんやりした頭で、何故こいつの部屋に自分がいるのか考え……後悔した。
何てことだ。
「ああ、まったく……」
「うん?」
「お前のせいで図らずも浮気してしまったじゃないか。
どうしてくれる。」
イェーガーは私を抱き締めたまま大きく欠伸をし、こともなげに言った。
「責任取れって言うならそれでも構わないさ。
なあ、トゥルーデ。あたしはこう見えて結構惚れっぽいんだよ。」
「あのな……。」
飄々としたその笑顔に何故かドキリとする。というか仇名は反則だ。
改めて近くで見ると、実に魅力的な女性だ。
だが私は、その甘い誘惑を、自分の意志で断ち切らなければならないのだ。
「悪い冗談はよせ。お前とはこれっきりだ。」
「あらら、振られちゃったか。あたしは割と本気なんだけどな。」
ああ、わかっているとも。お前はそういうやつだ。
一生を左右する一言だったというのに、まるで軽い食事でも断られただけのような顔を見せる。
そしてその何気ない表情に一瞬、ほんの一瞬だけ、もう一つの選択肢を夢想する。
こいつと一緒に────
それはもしかしたら、3人という中途半端な現実よりよっぽど幸せな未来かもしれない。
「だとしてもだ。」
「?」
「私には、守らねばならん約束がある。
それはお前も同じはずだがな。」
そして私は、私にできる精一杯の妥協を、最後に付け加えた。
「そうだろう、……シャーリー」
「ああ。そうだな。そうだったよ。」
シャーリーは足元をまさぐって私の服を引っ張り出すと、
それを私に押し付けてからまたもや大きな欠伸をした。
「隊長たち、昼には帰ってくるんだろ?今の内にシャワーくらい浴びてこいよ。」
「ああ。」
「ふぁ……あたしはもう一眠りしようかな。」
「何言ってるんだ。今日の朝食当番、お前だぞ。」
「うえ、忘れてたー。」
────────
あいつとはもうそれっきりで、ついさっきの別れの挨拶も短い簡単なものだった。
「じゃ、またな。」
「ああ。また。」
まあ、却ってそれくらいの方が、後腐れがなくていいのかもしれない。
その数分後にはもう、用意された軍用車に乗り込んで、
カールスラントへ向けて出発したのだった。
初めは色々とお喋りしていた車内も今はすっかり静かだ。
バックミラーに視線を遣ると、ミーナとエーリカが互いに寄りかかって寝息を立てているのが目に入る。
私はこれから、この二人を幸せにしてやらねばならない。
その前にやらなければいけないことも山積みだが、
今はただこの穏やかな時間を大切にしよう。
そして時折ふと、あの夜のことを思い出してもいい。
私と、私の一番の親友の、ほんの些細な思い出として。
それくらいの権利は、あってもいいだろう。
そういう話だ。
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