学園ウィッチーズ 第9話「守れなかったもの」
日曜日の朝の食堂は、土曜の朝同様、閑散としていた。
エイラ、サーニャ、ペリーヌ、リーネの四名はそれぞれ向かい合って、パンをちぎって口に運び、合間にスープを飲み、サラダを食べ、を繰り返していた。
エイラは、手を止めて、昨夜の食事時を思い出し、つぶやいた。
「なあ、昨夜遅れて戻ってきた奴ら、なにか様子がおかしくなかったか?」
エイラ以外の三人はそれぞれ視線を交わらせ、困惑の表情を浮かべる。一足先に食べ終わったペリーヌがテーブルに手を置いた。
「確かに妙な雰囲気は感じましたわね」
「バルクホルン先輩が、その……いつも以上に沈んでいるように見えました」と、リーネが付け加える。
「ミーナ先輩も」
サーニャもぽつりとつぶやいて、エイラに視線を移す。エイラはしばらくサーニャの視線を受け止めて、リーネとペリーヌに向き直る。
「バルクホルン先輩っていつからああなの? 正直、笑顔とか…見たことないけど」
「先輩はここに来る前は軍に所属していらして、なおかつ戦闘も少なからず経験しておられますから、私がここに来たときから、その……むやみに感情を出さないというか。常日頃からああいう感じでしたわ」
「あのね……。本人から聞いたことはないけど、先輩には妹さんがいて、戦争中に大怪我をして今も入院しているんだって…」
「リーネさん、それは噂でしょう」
「うん。だけど…」
エイラは椅子の背もたれにもたれながら、初めて会った時のゲルトルートのそっけない態度を思い出す。
決してエイラに悪感情を持っているわけではなく、彼女は彼女なりに色々抱えていた故の態度だったのかもしれないと。
「エイラ、心配なの?」と、サーニャが覗き込む。
「え、いや、そんなんじゃ……」
エイラ以外の三人が彼女をじっと見つめ返す。エイラは椅子の上で後ずさりをして、染まった頬を指でかく。
「な、仲間なんだから……当たり前だろ……」
ミーナは、起床後、服を着替え、ゲルトルートの部屋へ向かい、ドアの前に立ち、ノックをしようと拳を握る。
「バルクホルンはもう外出したようだぞ」
と、坂本が刀を片手にミーナに歩み寄った。
ミーナの瞳が動揺に震えるのを見て取った坂本は、ちらりと、窓の外の中庭を一瞥する。
中庭の木々は、日差しでまぶしいぐらいに輝いていた。
「いい天気だ。少し、歩こうか」
ルッキーニはカーテンの隙間から差し込む日差しで覚醒し、体を起こし、服を着たままで眠ったため、わずかにこわばった体を伸ばし、部屋を見回した。
が、ベッドの主はすでにいなかった。
枕もとの紙には、「昨夜はありがとうな 昨日の事があるから今日も格納庫にいるよ シャーリー」と走り書きされている。
ルッキーニは、にひ、と声を上げ、紙切れに軽く口付けし、ベッドに丸まった。
坂本とミーナは、日が射す中庭を、並んで歩いていた。
しばらく歩いた後、坂本が立ち止まる。
「昨日、学園で何があった」
ミーナは、無表情に振り向くが、じっと見つめる坂本の視線に耐え切れずといった様子で、息を吐いた。
「トゥルーデと訓練飛行をしていて、彼女が墜落したの」
坂本はわずかに眉を吊り上げながら、
「ストライカーの故障だろう?」
「いいえ。シャーリーさんいわく、ストライカーに問題は無いわ。これはあの子の…」
言いかけて、ミーナは、唇を噛み締める。詰まった言葉を放った途端、疑念が事実に成り変りそうで恐ろしかったからだ。
坂本の眉が今度は下がり、悲痛の表情を空へ向けた。
「……あいつは自分を責めすぎだ」
「そうね…」
「ミーナ。バルクホルンは、お前が学園を選んだ理由を知っているのか?」
「……今のあの子にはかえって重荷になりそうで」
「これ以上あいつを傷つけたくないという気持ちは分かるが、今のあいつの殻を破れるのはお前だけだぞ」
ミーナは、考え込むようにあごを引くが、坂本が頬に触れ、じっと見つめた。
「時間は無限ではない。後はお前がいつ動くかだ。あいつは……たぶん学園に向かった」
坂本は、ミーナに触れていた手を外し、背を向けると、彼女の前から立ち去った。
シャーリーはひと仕事終えたといわんばかりのやれやれとした表情で額を拭い、格納庫の重たい扉の隙間から、格納庫へすべり込む。
並んで整備スタッフの仕事を見学していたビューリングとウルスラが振り返った。
「バルクホルンは寮に戻ったか?」
「いやぁ、それが……。どうしても作業が終わり次第結果を、とか言ってテコでも動こうとしないから、ハルトマンに協力してもらって生徒会室に押し込んだ……」
「いっそ、話してしまってはどうだ? 魔力を失ってもここにはいられる。あいつはセンスもいいし、飛べなかったとしても特別教官にはなれるぐらいの才能が…」
シャーリーが口を開きかけるがすかさずウルスラが切り込んだ。
「あの子の性格上、それはありえない。事実を知ったら、その場でここからいなくなる」
「それもあるし。ほら、あいつの場合は、精神的な問題での魔力減退かもしんないから、結果を出すのはまだ早いだろ、先生?」
二人のバルクホルンへの強い気遣いに、ビューリングは一本取られたというような顔をして、珍しく頬を緩ませた。
「バルクホルンは幸せ者だな」
「誰が幸せ物だって?」
ビューリングは聞き覚えのある声に驚愕して振り返った。
声の主は北欧系の長い金髪がさらりと流し、紺碧の瞳をきりりと光らせ、鼻に横に走った傷をそっと指で撫でる。
ビューリングは背筋を伸ばし、まっすぐに向き合った。
「お久しぶりです、ルーデル中佐」
「つい先日大佐になられた」と、すかさず、ルーデルの背後にいた、副官と思しき女が付け加える。
「大佐、訪問されるとは聞いておりませんでしたが…」
「後輩にちょっとした用があってな。お気遣い無く、すぐ帰るよ」
「……後輩ですか」ビューリングはすぐさまゲルトルートの顔を思い浮かべる。
「それにしても日曜だというのに整備とは随分忙しいな。なにか問題でもあったか」
ルーデルはすでに何かを掴んでいるかのように話しながら、ストライカーに近づき、そばにある報告書にちらちらと目を通す。
シャーリーは止めようとするが、ビューリングが制止した。
ルーデルはお目当ての報告書を見つけたのか、それにじっくり目を通すと、すうっとビューリングたちに視線を送り、格納庫の扉へ向かった。
「ビューリング。ゲルトルート・バルクホルンはどこにいる」
「高等部校舎、生徒会室です」
ルーデルは副官を伴って、格納庫を出て行く。それを確認した途端、シャーリーが噛み付く。
「おい! どういうつもりだよ」
「落ち着け。あの様子だともう大佐は状況を把握している。あとはバルクホルン次第だ」
シャーリーとエーリカに生徒会室に押し込められたゲルトルートは、機嫌を損ないながらも、仕方が無いという感じで、書類仕事を始める。いつもはミーナやゲルトルートに仕事を任せきりのエーリカも、今回ばかりは付き合っていた。
機械のように次々書類仕事を片付けるゲルトルートを眺め、エーリカは手を止めて、机に肘を突いた。
「トゥルーデ」
「なんだ」
「最後に笑ったのいつ?」
ゲルトルートははじかれたように顔を上げるが、そのまま徐々に頭を垂れ、作業に戻る。
「答えてよ」
「忘れてしまったよ。そんなこと」
エーリカの視線に冷たいものが混じり、ゲルトルートに差し向けられた。
「クリスのことはトゥルーデのせいじゃない」
「……よせ」
「今のトゥルーデ見たら、クリスはきっと…」
ゲルトルートは立ち上がり、今にも怒鳴り返しそうな表情でエーリカを見据えた。
エーリカの脳裏に、もう一人の同郷の赤毛の魔女の顔が浮かび、殴られてもかまわないといった覚悟をした様子でまた口を開いた。
「鈍感」
「なんだと?」
「自分の殻に閉じこもって、感情とかも全部閉じ込めて。私はクリスを守れなかったから笑う資格すらないってこと? それで贖罪のつもり? トゥルーデを選んで、そばにいることを選んだやつの身にもなってあげなよ。もっと周りを…」
重い軍靴が廊下を進む音が聞こえ、二人はドアに顔を向けた。
ドアを開けたルーデルがどこか不敵に微笑んだ。
「お取り込み中だったかな?」
サーニャは、寮の談話室の一角に据えられたグランドピアノを開くと、楽譜を立て、ゆっくりと音をなぞるように弾き始める。
遅れてやってきたエイラが、グランドピアノの向こうからひょっこり顔を出すと、サーニャは手を止め、微笑んだ。
エイラは、サーニャの隣に座ると、楽譜に手を伸ばし、ぱらぱらとめくる。
「見たこと無いやつだな。買ったの?」
「ううん。ミーナ先輩がくれたの」
「へえ、先輩も弾くんだ」
「どちらかというと、声楽志望だったみたい」
「そっか。ん? それならなんでこの学園に。音楽に強い学校じゃないよな…」
「守りたいもの…」
「え?」
「守りたいものがあるのかも。私も、そうだから」
サーニャがどこか遠くを見つめるかのような瞳で、つぶやいた。
エイラはサーニャの知らない一面をさらに引き出すため、言葉を探すが、サーニャはエイラの手を取ると、鍵盤に乗せた。
「一緒に弾こう」
「い、いいけど。すんごいへたくそだぞ…」
「それでもいいの」
二人の、お世辞にもうまいとは言い難い連弾が、寮に響く。その後、耐えかねたペリーヌが怒鳴り込んできたのは言うまでも無い。
第9話 終わり