学園ウィッチーズ 第10話「ある魔女の選択」
生徒会室へやってきたルーデルと副官を見、ゲルトルートとエーリカは、軍に在籍していた頃の敬礼で二人を迎えた。
ゲルトルートは敬礼を解くと、姿勢よく立った。
「お久しぶりです。ルーデル中佐」
「今は大佐だ」と副官が付け加える。
「失礼しました、大佐」
「何の用ですか?」
エーリカがどことなくぶしつけにつぶやいた。
ゲルトルートと副官は唖然とするが、ルーデルは大きく笑う。
「相変わらずだな、ハルトマン。妹は元気か」
「大佐、さきほど格納庫にいたのが…」とまた付け加える副官。エーリカは"格納庫"という言葉にわずかに反応を示す。
「ああ。そういえば、そうだったな。彼女の研究の一部はさきの戦争で食い荒された大地の復興にも非常に役に立っているよ」
「ありがとうございます」
妹への賛辞については素直に御礼をしつつも、エーリカの態度はさきほどの、どこか憮然さをにおわすものと変わらなかった。
ルーデルはエーリカの心中を知ってか知らずか、余裕を込めた笑みを保ったまま、ゲルトルートに向き直る。
「さて、本題に入ろうか。中将から伝言を預かってきててね…」
言いかけて、ルーデルは何かを察知したように、ドアを指差し、副官に向け、軽くあごを突き上げる。
「アーデルハイド、開けてくれ」
アーデルハイドは、生徒会室のドアを開けると、廊下の向こうで誰かが走る音に気づく。
しばらく待っていると、ミーナが現れ、アーデルハイドの姿を確認し、一瞬驚きながらも、速度を緩め、歩きながら、生徒会室にやって来て、ルーデルの姿を確認すると、表情が険しくなる。
ルーデルは机に腰をかけ、腕を組んだ。
「こうして揃うと、昔を思い出すな」
いらつきを表情に浮かばせたゲルトルートが、ルーデルの前に立った。
「大佐、話の続きを」
「こいつらを外させなくていいのかな?」
ゲルトルートは、エーリカを見やり、ミーナを見つめ、しばらく考え込んだ後、もう一度ルーデルへ視線を移す。
「かまいません。もう秘密を作る必要はないですから」
「ほぅ。だがな、バルクホルン。中将はお前の要望は受け入れることはできない、とおっしゃっていたよ」
ゲルトルートの眉間にしわが寄り、ルーデルに詰め寄った。
ルーデルは机から降り、部屋を歩き回り、ゲルトルートから数メートル離れると、黒板の前に立ち、チョークを弄る。
「中将は、見越しておられた上で今回の返事を寄越したのかは定かではないが、さきほど格納庫に寄らせてもらって、私の中では納得したよ」
ルーデルの体が青白く光り、持ち上げられたチョークに魔力が込められ、ゲルトルートに向かって投げつけられる。
魔力を込められたチョークは、ゲルトルートが無意識に張ったシールドをいともたやすく突き破ると、彼女の顔の数センチ横をかすめ、壁にぶつかり、壁に小さな穴だけ残して、粉もろくに残さずに消滅する。
「バルクホルン、今のお前が要人警護など到底無理だ。シールドの展開もままならない魔女などを投入したらカールスラントの名誉に関わる。死に急ぐようなやつはなおさらだ」
「そんな気は!」
「話は終わりだ。帰るぞ、アーデルハイド」
ルーデルは払いのけるように言い放つと、茫然自失状態のゲルトルートの横を通り過ぎ、ミーナの前で立ち止まる。
ミーナは、ゲルトルートに向けていた視線をルーデルに戻す。
ルーデルは、厳しい表情から一転、また余裕のこもった笑みに戻り、アーデルハイドとともに生徒会室を後にした。
廊下にて、アーデルハイドは珍しく自分から口を開いた。
「バルクホルンの魔力は戻るでしょうか?」
「ああいうやつこそ、誰かが背を押せばあっさり打開できるんだよ。抜け出せなければそれまでの奴だということだけさ。それより腹が空いたな。食事に行くぞ、アーデルハイド」
「承知しました」
二人の規則正しい足音が、廊下の向こうに消えていく。
「あーあ、これどうすんだろ」
と、エーリカはルーデルがあけた壁の穴を見つめながら、両手を頭の後ろで組み、振り向く。
手前にいるミーナとその奥にいるゲルトルートは、エーリカに付き合う余裕もうせてしまっているのか、お互いにぴくりともせず、佇んだままだ。
エーリカは二人の背に、呆れたような、そんな笑顔を向け、「お腹空いちゃったなあ~」とわざとらしい口調で言うと、部屋を出て行った。
エーリカが出て行って、足音が遠くなるのを確認してから、ミーナは、顔を上げ、ゲルトルートの背中に、咎めのない、どこか気をつけたような口調で話しかける。
「要人警護なんて、いつから考えてたの?」
「……覚えていないが、ただ漠然と。だが、断られてしまったな」と、ゲルトルートは自嘲する。
「中将も大佐も賢明な判断だったわ。私にも、あなたが死に急いでいるようにしか見えない」
ゲルトルートは、きっとした視線をミーナに向けた。
「私はウィッチだ! 誰かを守ることに、命を懸けて当然だろう? 仮に死んだとしても、悲しむ奴なんていない」
ミーナの赤い瞳がかっと見開かれ、一歩ゲルトルートに歩み寄ったかと思うと、彼女の頬にを手のひらで打つ。
ゲルトルートはよろけるが、持ちこたえ、怒りよりも、驚きをいっぱいにした表情でミーナを見た。
「クリスはまだ生きているのよ! 明日にでも目を覚ます可能性だってある。それなのに、あなたがいなかったら……。そう考えたことは無いの?」
ゲルトルートは痛む頬を押さえ、冷静さを取り戻したかのように、椅子にかける。
ミーナは、いったん部屋を出て、すぐ目の前に据えつけられている蛇口でハンカチを冷水に浸し、絞ると、また生徒会室に入る。
ゲルトルートは、落ち着きを取り戻したのか、ミーナを目で追いながら、わずかに穏やかさを込めて、口を開いた。
「ミーナ……、なぜ、音楽を捨てた」
「捨てたつもりはないわ」と言いながら、ミーナはゲルトルートの前に立ち、頬に置かれた彼女の手を取って、じっと見つめ返すと、頬に濡らしたハンカチを当てた。
「けど、今はあなたといることを選んだの」
ゲルトルートの瞳が動揺で震えた。
「……馬鹿だ、お前は」
「後悔はしていないわ」
ミーナの眼差しに、射抜かれ、思考を停止させられるかのような錯覚を覚えながらも、ゲルトルートはなんとか言葉を搾り出す。
「すまない。一人に、してくれないか…」
ゲルトルートの言葉が震えているのに気づいたミーナは、彼女の懇願に素直に従い、部屋を後にした。
ミーナが出て行った事を確認したゲルトルートは、やり場の無い感情を持て余したかのように、前髪をかきむしり、歯を食いしばると床を強く踏んだ。
生徒会室から出たミーナは階段を下りようとして、踊り場のエーリカに気づく。
エーリカは、屈託ない笑顔でミーナに駆け寄った。
ミーナは、ほっとしたのか、ようやく、強張らせていた表情を緩め、エーリカの前に立ち、姉が妹にするように、自然に手を握る。
「トゥルーデに、がつーんと言ってやったの?」
「こっちの気持ちが十分に届いたかは分からないけど」
「鈍感だからね~」
「そうね」
二人は、気難しい同郷の友人をそれぞれに想いながら、寮へと戻っていった。
その日の夜、ゲルトルートのいない食堂はやはりどこかぎこちなく、各々が居づらさのようなものを感じながら、夕食で空腹を満たしていた。一人、また一人と、自室や入浴に向かい、ミーナは、紅茶を片手に、空っぽになっていく食堂を眺める。
芳佳は余ったご飯を握り始めたので、ミーナはカップから口を離す。
「宮藤さん、それトゥルーデの?」
「はい。バルクホルンさん、今日なにも食べてない気がするんで」
「……そうね」
遠くを見据えるような面持ちのミーナに、芳佳はあっけらかんと提案した。
「握ってみますか?」
ミーナは、突然の事に驚きながらも、芳佳の無邪気な笑顔に吸い寄せられるように、カップを置いて、静かに立ち上がると、上着の袖をまくり、彼女の隣に立った。
ゲルトルートは、夜風に吹かれ、寮にたどり着く。すぐでも自室にこもりたいという気持ちはあったが、精神的にも身体的にもすっかりくたくたで、今にも倒れそうな自分に気づき、重い足取りで、食堂に向かう。
食堂から漏れるうっすらとした明かりに躊躇しながらも、ゲルトルートは前進し、芳佳の声を聞く。
「もうちょっと軽く、ふんわりとさせる感じで……そうそう」
聞こえてくる芳佳の言葉の状況が量りかね、訝りながらも、食堂に入り、芳佳と、その隣のミーナを見、わずかに体を緊張させるが、後にも引けず、彼女たちに近づいた。
「バルクホルンさん、おかえりなさい」
「おかえりなさい、トゥルーデ」
「ああ」
ゲルトルートは、細くなった自分の声に唖然としながらも、ようやく岸にたどり着いた泳者のように椅子にへたり込む。
芳佳が、ミーナと握ったおにぎりを彼女の前に差し出す。
料理上手の芳佳、なんでもそつなくこなすミーナが作ったというだけあって、どのおにぎりも綺麗な形で握られている。
「たくさん食べてください。ミーナさんと二人で握ったんです」
ゲルトルートは、芳佳に、ほんの少しだけ自分の妹を重ねている自分に気づいて、目をそむけそうになるが、なんとか踏みとどまり、皿を受け取り、おにぎりのひとつを鷲づかむと、小さく口を動かして、飲み込む。
「どうですか?」
「悪くないな。ただ、少し、しょっぱい…」
芳佳は、ミーナに顔を向け、ミーナは肩をすくめる。芳佳は、ミーナとゲルトルートを交互に見つめ、少し考え込んだ後、割烹着を脱ぎ始めた。
「じゃあ、私、リーネちゃんと約束してるんで、お部屋に戻りますね」
ゲルトルートは、思わず動きを止めてしまうが、芳佳をとどめる理由があるはずもないため、食堂を後にする彼女の背中を目で追いかけた。そして、またおにぎりを食べ始める。
ミーナは、空いたカップに水を注ぎ、ゲルトルートの正面の席について、水を差し出すと、肩肘をついて、彼女を見つめた。
ゲルトルートはおにぎりを食べつくし、グラスの水で唇を湿し、ミーナを見つめ返す。
かけるべき言葉はたくさん浮かぶが、どれもこれも己の鈍感さゆえに傷ついたであろうミーナを癒すには足りない気がして、ゲルトルートの喉は行き場をなくしたように、小さく上下する。
ミーナは、立ち上がり、ゲルトルートの肩に手を置いた。
「もう、焦らなくてもいいわ。私は、いつまでも待ってるから」
ゲルトルートの肩からするりとミーナの手が降りて、彼女は食堂を出て行った。
誰に届くでもなく、ゲルトルートの痩せた声が響く。
「……すまない」
エイラは自室のベッドで落ち着きなく、右へ左へと、寝返りを打つ。
昼間、連弾したときに時折触れたサーニャの手の感触が、エイラの後頭部をじんわりと熱くする。
サーニャが少し眠そうに見えたので、つい、押し込むようにして部屋に返してしまったことを今更になって、エイラは後悔する。
一分でも一秒でも、同じ時間を共有したい。
そんな考えにたどり着いた途端、エイラは跳ね起きる。
「ダメだ、なんかそれじゃ、お互い息苦しくなる…」
一人言に返すものはもちろん誰もおらず、すっかり目のさえてしまったエイラは、水色のパーカーを引っかぶると夜の散策に繰り出す。
真っ暗な廊下を抜け、エイラはテラスに向かう。
テラスに据えられたベンチには先客がいたため、エイラは立ち止まったが、目を凝らし、相手を認識したのか、静かにベンチに近づいていった。
気配に気づき、先客――ゲルトルートがエイラを見上げた。
「どうした、こんな時間に」
「いや、眠れなくて……」
真ん中に座っていたゲルトルートは、そのまま横にスライドして、スペースを空ける。エイラは、軽く頭を下げ、隣に座り、夜空を見上げた。
ゲルトルートは、比較的新しい寮生にあたるエイラに、頭からつま先まで、視線を投げた。
「そういえば、きちんと話したことは無かったな、ユーティライネン」
「エイラでいいよ」
「わかった。そう呼ばせてもらう」
沈黙。
エイラは、少しばかり迷った後、頭に浮かんだ疑問をそのままぶつけた。
「あの……、なんか、最近元気なさそうな感じだけど……」
ゲルトルートは、つい、強張った表情をエイラに向けてしまう。
エイラは「まずったか?」と思いながらも、不思議と恐怖は感じず、ゲルトルートの琥珀色の瞳を見つめ返した。
「わ、私なんかじゃ、役に立てるかわからないかもしんないけど、せっかく……、せっかくこうして一緒に暮らすことなったんだから、力になれることがあれば、言ってくれよな……」
生来の不器用さなのか、緊張ゆえなのか、たどたどしい言葉遣いに、まだエイラをよく知らないゲルトルートには、彼女の気持ちを完全に汲み取ることはできなかった。
しかしながら、少なくとも、彼女が自分を心配してくれてはいるということはなんとなく読み取れ、胸の奥が熱くなる。
「……仲間とは良いものだよな。エイラ」
「え? あ、うん。そうだな」
思わぬ反応にどぎまぎするエイラに、次第に、ゲルトルートは、身も心もほぐれ始め、さきほどミーナが手を置いた辺りに自分の手を重ねる。
ふと、気配に気づいたゲルトルートは親指で背後を指す。
「お迎えだぞ」
エイラが、指さされたほうを見て、勢いよく立ち上がった。
「サーニャ! そんな格好で外でたら風邪引くって…」
「だって、眠れなかったから、エイラの部屋にいなかったんだもん」
「わかったよ。悪かったよ…」
エイラは頬を膨らませたサーニャをなだめつつ、ゲルトルートに振り返るが、ゲルトルートは早く戻れと手で合図する。
テラスに静けさが戻る。
ふっと強い風が吹き、ゲルトルートは反射的に閉じた目を静かに開けた。
ベンチの前に、彼女の使い魔であるジャーマンポインターが現れる。
ゲルトルートはベンチから立ち上がり、膝を折り、使い魔と目線を合わせた。
「私にまだ資格があるのであれば、力を貸してくれ」
ゲルトルートは、使い魔の背中を撫でる。
使い魔は何も言わず、そっとゲルトルートに近づき、彼女の体に溶け込むかのようにして、また闇に消える。
ゲルトルートは感じるままに、湧き上がる魔力を開放して、胸に手を置いた。
「ありがとう…」
第10話 終わり