学園ウィッチーズ 第12話「凶兆」


 エイラは、短い悲鳴をあげ、目を覚ました。額の汗が前髪をぺったり濡らしている。おそらく悪夢を見ていたのだろうが、幸いというべきなのか、内容はまったく覚えていない。
 昨日の夕方から降りしきる雨はいまだに窓を叩いていて、止む様子は無かった。
 エイラは朝の冷気に晒された額を拭って、毛布の下にもぐりこんだ。

 ルーデルとアーデルハイドはまだ朝日も昇らない、暗い、そして雨が降りしきる空をストライカーで駆ける。
「大佐、なぜこんな時間に? 早く軍に戻らないと」
「いや、車でこちらに来たときに気がかかることがあったんでね。それに軍に戻っても今は書類仕事ばかりでつまらないからな」
 アーデルハイドはため息をつきながらも、ルーデルの発言を否定するでもなく、飛び続ける。
 ルーデルは、スピードを緩め、その場にホバリングしながら、眼下に広がる、家々を見て、その向こうに位置する山に目を移した。
 生活に使うためだろうか、一部分の木々がごっそりと切られている。
 ルーデルは空を見上げた。
「アーデルハイド、どうやらもうひとつ用事ができた」

 自室のベッドで目覚めたゲルトルートは、カーテンの隙間から覗く窓の景色を見つける。
 雨はようやくやんだようだが、空は灰色だ。
「今日こそ飛べるといいんだが」
 と一人ごち、起き上がって、服を着込むと、チェストの上で伏せられていた写真立てを起こす。
 写真の中のクリスと別の写真に映る幼いミーナに交互に視線を送ると、表情を引き締め、部屋を後にした。

 食堂に一番乗りしたシャーリーは、用意された食事を口に運び、昨日の帰り道の出来事を思い出す。
 ルッキーニと相合傘をして、降りしきる雨に負けないように、つないだ手を揺らしながら、二人で調子はずれの歌を歌ったが、寮へ向けて歩を進めるごとに、シャーリーの歌声は小さくなり、ルッキーニの無邪気な歌声だけが響いた。
 シャーリーたちの数十メートル先で、ゲルトルートとミーナはきつく抱き合っていたかと思うと、落ちた傘を拾い上げ、手をつなぎ、寮へと歩き始めていく。
 ルッキーニは、シャーリーがきつく手を握るものだから、とうとう歌うことをやめてしまった。
 シャーリーは、ただぽつりと、ああ、悪い悪い、とだけ返すのが精一杯だった。
 どんな顔をしていたのかは定かではないが、ルッキーニの向ける表情から察するに相当おかしなことになっていたのだろう。
 シャーリーはごくりと噛み砕いたパンを飲み込む。
「おはよう、シャーリーさん」
 食堂に響いた声にシャーリーは顔を跳ね上げた。気がつけば、ミーナがトレイを持って、すでに彼女の前に座ろうとしているところだった。シャーリーは、なぜだかびくつく心臓を必死で抑えようとして、こっそり深く息を吸い込む。
「おはようございます」
 ミーナは、紅茶を一口飲むと、そっとカップを置いた。
「シャーリーさん、今回は本当にありがとう。一時的に、スタッフに口止めをしてもらったり、嫌なことまでさせてしまって…」
「たいしたことじゃないですよ。あいつに魔力が戻ったのは、あんたのおかげだろうし」
 少しばかり吐き捨てるような口調になり、シャーリーは唇を噛む。
 なんだよ、この態度。
 すべてがいい方向にいってるはずなのに。
 シャーリーは雰囲気を変えるためにも、努めて明るい口調で、強引に話し出す。
「そういえば、放課後の飛行訓練だけどさ。同行者、やってあげてくんないかな?」
「……けど、トゥルーデはあなたを指名したんでしょう?」
「きっと心変わりしてるって、今はあんたと飛びたいはずさ」
 なぜだか声が震え、シャーリーは頭痛さえ覚え始めた。
 吐き気がする。
 自分自身に。
 シャーリーは立ち上がると、ぱっと笑顔を見せた。
「ごめん。用事思い出したからもう行くよ。同行者の件、よろしくな」
 ミーナがどことなく異変を察知し、呼び止めようとするも、シャーリーは持ち前の早さで食堂から去っていった。
 ミーナの手が空を漂う。

 廊下を進むシャーリーは、目の前に現れた人物に、身構えた。
 ちょうど部屋から出てきたゲルトルートは、彼女に気づくと、また部屋に戻り、出てくると、シャーリーに傘を差し出した。
「返すよ。おかげで濡れずにすんだ」
 嘘つけよ。傘ほっぽり出して抱きしめあって、二人してずぶ濡れだったじゃないか。
 シャーリーは頭に浮かぶ悪態に、抗うように、笑顔を絶やさない。
 ゲルトルートはシャーリーの中に渦巻く感情の嵐に気づくはずもなく、じっと彼女を見つめ、ささやいた。
「それと、ミーナに聞いた。色々気を遣わせたらしいな。すまなかった……」
 ミーナに聞いた、か。
 ふいにミーナとゲルトルートが話し合う光景が浮かび、シャーリーの目がどことなく遠くなる。
 いつにないシャーリーの様子に、ゲルトルートは手を伸ばした。
「おい、顔色が…」
「触んないで!」
 びりりと廊下の壁がきしむほどの大声。
 ゲルトルートは、動揺するでもなく、命令に従うように、じっと、無表情に、手を下ろした。
 シャーリーはいてもたってもいられなくなり、ゲルトルートに背を向けると、寮の外へ駆け出した。

 朝の鍛錬を終え、寮に入ろうとした坂本は、やわらかいものに押されて、吹っ飛びそうになりながらもこらえて、腰に手を置いた。
「おい、シャーリー、気をつけろ」
 肩で息をするシャーリーは、今にも泣き出しそうな顔で、坂本は彼女の腕を力まかせにつかむと、中庭の隅にあるシャーリーが勝手に作った簡易ガレージに引っ張り込んだ。
 坂本は、ガレージにおいてある木箱にシャーリーを座らせると、壁にもたれ、向かい合う。
「……なにかあったのか?」
 シャーリーは、拗ねた子供のような瞳を坂本に差し向ける。
 さきほどよりは深刻さが薄れたその表情に安心し、坂本は苦笑する。
「そんな目で見るな」
 シャーリーは、膝を立てると、自分の頬を乗せ、坂本に視線を戻した。
「ねえ、横恋慕ってどう思う?」
 坂本は、ぽかんとした表情でシャーリーを見据える。
「ねえってば…」
「……お前が恋の相談をしてくるとはな」
「じゃ、やめる…」
「まあ待て。そうだな……横恋慕。経験は無いが、好ましいことではないな。あくまでも私の意見だが」
 シャーリーは、立てていた足をまた下ろして、天井を見上げた。
「そうだよな、やっぱ。良くないことだよな。わかってるんだ。でも、気づいちゃったから……。止められなくて、怖くなってきて…」
「そう思うのなら、間違いはしでかさないだろう。お前は、自由闊達に見えて、締めるところは締めるからな」
「買いかぶりすぎさ」
「おいおい。珍しく褒めたのだからもっと喜んでくれ」
 遠くでルッキーニの声がこだまする。
 どうやらシャーリーを探しているらしい。
 坂本は体を起こすと、ガレージの入り口に手を置いた。
「シャーリー」
「なに?」
「好きな人が多すぎる事は問題だろうか?」
「さあね。私も今考えてるとこ。なんか気づいたらまた声かけるよ」
 すっかりいつもの調子に戻ったシャーリーの口調に、坂本はふっと笑うと、「そうしてくれ」と、言い残してガレージを後にした。

 放課後、エイラはペリーヌとリーネにはさまれながら、格納庫に向かう。
 一応学生とはいえ、ウィッチたちは、今でも戦闘以外の用途でストライカーを使用する事もあるため、常にベストな状態で機動できるよう、定期的に飛行をしなければならないためだ。
 エイラは、ちらりと窓の外を見やった。
「また、雨降りそうダナ」
「悪天候のほうが訓練になりますわ」
「そういえば、今日はバルクホルン先輩とミーナ先輩も飛ぶって」
「へー、ちょっとした小隊だな」

 一足先に格納庫に着いたゲルトルートは、ブーツを脱ぎ、隣のミーナに視線を向ける。
 ミーナは視線は厳しくも口元では笑みを浮かべ、二人は、特に合図をするでもなく、ほぼ同時にストライカーに飛び込み、魔力を開放した。
 ミーナは、肌に感じる、ゲルトルートの確かな魔力に胸をなでおろす。
 これならいける。
 また二人で空を飛べる。
 ゲルトルートも同じ心境なのか、湧き出す感激を抑えられない様子でミーナを見つめた。
 二人は、そっと互いの手をさしのばすが、格納庫の向こうからやってくる、エイラ、ペリーヌ、リーネの三人の気配に気づき、慌てて手を引っ込める。

「久しぶりだなあ」と、マイペースに言うエイラは徐々に魔力を開放し、ストライカーを暖気する。
「戦時中はエースだったんだろう、エイラ?」
 隣のゲルトルートが珍しく話しかけてくるものだから、エイラは驚きながらも、照れくさそうにする。
「ちょ、ちょっとしか出撃しなかったけどナ…」
 先頭のミーナが振り返る。
「みんな、準備は出来た?」
 一同が一斉に返事をすると、ミーナは、インカムをセットし、叫ぶ。
「発進します!」
 ミーナ、ゲルトルート、エイラ、ペリーヌ、リーネの5人は、曇天の空へ向け、飛び立つ。

 一同は、適度な高度を保ったまま、誰も遅れを出すことがなく、順調に飛行を続けた。
 眼下の緑が途切れ、家々が見え始め、そのさらに向こうの山々が視界に入ったところで、ミーナが異常に気づき、一同に制止するようジェスチャーする。
 ホバリングし、空中に留まったミーナ以外の四人は、山を沿って作られた道路にあるトンネルに気がついた。
 トンネルの一方には、大きな岩が転がり、玉突き事故でも起こしたのか、もう一方には、横転した車が数台ある。
 ミーナは他の4人の顔を見つめる。他の4人は、ミーナが言わんとしていることをすでにわかっているのか、それぞれうなづいて、意思を示した。
 ミーナはインカムを使い、学園のハッキネン主任教官につなぐ。
「こちら、カールスラント1」
『こちら"雪女"。状況をどうぞ』
「現在、地点G-3飛行中。トンネル内にて数台の小規模な車両同士の事故を確認。救助支援の許可を」
 しばし、インカム内で紙がこすれあう音が聞こえた後、ハッキネンの静かな声が響いた。
『許可します。ビューリング教官を寄越しますので、その間、あなたが指揮を代行して下さい』
「了解」
 ミーナは表情を引き締めて、指示を出す。
「救助支援の許可が出たわ。行きましょう」
「了解!」

 地上に降りたウィッチたちは、すばやく、的確に、怪我人を車から出していく。
 トンネルの外で横転していた車の主たちに重傷者はおらず、多少の出血はあるものの、皆意識ははっきりしていた。
 初老の男がミーナに語りかける。
「山から落石があってそれのせいで…」

 トンネル内に入ったゲルトルート、エイラ、ペリーヌ、リーネは、横転したスクールバスを見つける。
 割れた窓から、子供たちが運転手に助けられながら、這い出してくる。
 運転手は、現れたゲルトルートたちを見て、安堵の表情を向けた。
「ああ、なんてついているんだ」
 運転手は安心して気が抜けたのか、頭の怪我のせいなのか、その場にへたり込んで気を失ってしまう。
 ゲルトルートは、ひとまず運転手を抱え上げ、先にトンネルの外へ向かう。
 残ったリーネ、ペリーヌ、エイラの三人は子供たちを二人ずつ抱えて、次々とトンネルの外へ連れ出した。
 気がつけば、あたりは降り始めた雨で濡れていた。
 トンネルの外に出たゲルトルートは運転手に語りかける。
「残りはあなたのバスの乗客だけだ。全部で何人だ?」
「……子供たちは……全部で15人だ」
「よし」
 再びストライカーでトンネルに向かいかけたゲルトルートの肩をミーナが掴んだ。
「トゥルーデ。あとは私に任せてあなたは休んで、長時間のストライカーの稼動は…」
 ゲルトルートはミーナの手を握り返す。
「大丈夫だ。どちらかというと、魔力が湧いてきて持て余しているぐらいだ。ここで待って、みんなを指揮してくれ」
 ゲルトルートはそっとミーナの手を肩から外すと、ストライカーの出力を上げ、トンネルに吸い込まれていく。
 ちょうど、12人目と13人目を担いだエイラとすれ違う。
「先輩、残り2人だ」
「了解した」
 トンネルの外に出たエイラは、担いでいた子供たちを下ろし、頭を撫でる。
 と、その瞬間、嫌な予感を感じ、叫んだ。「みんな離れろ!」

 エイラ、ペリーヌ、リーネ、ミーナは、その場に残っていた数人を、それぞれ担ぎ上げ、その場を飛び立つ。
 エイラの悪い予感どおり、いくつかの大きな岩が落ち、土砂が崩れ、エイラたちがいた場所を飲み込み、トンネルの両側を塞いだ。

第12話 終わり



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