ハルトマン中尉とルッキーニちゃん、あとペリーヌさんのズボンが無くなってしまってから、二日三日後だったでしょうか。
ある日の、そう、お日様が沈む時の事だったと思います。
その日は、夜から夜間飛行の訓練の予定が入っていた為に長いお昼寝をしていたのですが、
目を擦りながら窓から見た空は、虹の七つの色の色相が上手く混じりあい、調和し、
それでいて、神様がその手元に携えた矛で空をかき混ぜたかのような混沌で、
一つとして同じ形の無い雲の、そのそれぞれに反射した赤やオレンジの光が、
その一方で、この、奥底の知れない空が見せる青や紫の暗みも、またそこにはあったのです。
この霊妙な空のパノラマに私は心を奪われて、暫しの間食い入るように見つめていましたが、
やがて、微かに残っていた太陽の光芒も彼方へ消え去り、
後には、後に残ったのは、目を背けたくなるような昏黒のその後の地平線だったのです。
私は、スミレの花の奥底の暗紺を連想させる不吉な予感を覚えましたが、
ふと夜間訓練の予定の事を思い出したので、そんな事はすっかり頭に無かったのでした。
(参考画像:薄明の空――ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org16233.jpg)
「まさかリーネと二人きりで飛ぶ事になるんてなー。」
「そ、そうですね……。サーニャさん、大丈夫でしょうか……。」
「日頃の疲れが溜まっていただけさ。仕様が無い。」
この暗闇にいるのは、私とエイラさんのたった二人きり。
本当ならサーニャさんも一緒に空を飛ぶはずだったのですが、
今朝、夜間哨戒から帰ってきた頃から顔色が悪かったそうで、念のため今日の夜間哨戒任務はお休みになったのです。
いつも冷静なエイラさんは顔には出さないけれど、サーニャさんの事が誰よりも心配なはずです。
だってサーニャさんとはいつも一緒なんだもの。本当ならずっと側に居てあげたいはず。
でも、軍人としてそこは割り切っているのでしょうか、こうやってまるで他人事のような口ぶりです。
「冷えてきたな。」
「ええ。」
そう言ってエイラさんは、ほんの僅かだけど、顔を背けたように見えました。きっと頭の中ではサーニャさんの事を考えているはず。
ここ数日は雨のお天気が続いて、気温が下がっていました。きっとサーニャさんはそれで体を壊したのでしょう。
普段ならルッキーニちゃんと同じぐらいに悪戯好きで、人をからかってばかりいるエイラさんだけど、
今日はまるで、森も湖も海ですらも凍えきったスオムスの冬のように、仄暗く、冷たい。
私自身はスオムスには行った事は無いけれども、以前スオムスに住んでいたと言う父から、
季節によって姿を変えるスオムスの風景の美しさと神秘さを、度々聞かされたものでした。
ただ、どうしようもない事情があるとは言え、このまま会話も交わさず、漆黒の空の海面に映る二つの影になるだけでは、互いに気が滅入ってしまいます。
ましてやエイラさんの事です。もしかしたらサーニャさんの調子の変化に気付かなかった事で、自分を責めてすらいるのかもしれない。
このまま、心労でエイラさんまで倒れてしまったらこの基地は大変な事になります。慰める事は出来なくても、気を紛らわすぐらいだったら、私にだって出来るはず。
「あ、あの、エイラさん。」
「何だ?」
「エイラさんの出身はスオムスでしたよね。スオムスの挨拶って、何ていうですか。」
特におかしな事は言ってないはず。他愛も無い日常会話だと思って話して見たのですが、
エイラさんは呆れるように、両手を広げて首を横に振りました。
「あのなあ・・・。」
そう言って、ため息を吐く真似をするエイラさん。な、何かまずい事を言ってしまったんでしょうか・・・。
「心配してくれてありがとな。大丈夫、大丈夫、サーニャはきっとすぐ治るよ。
未来予知の魔法が使える私が言うんだ、間違いないぞ!」
エイラさんは、まるで坂本少佐のように大声で笑い始めました。
きっとその言葉は、私では無くエイラさん自身に向けたものだったのでしょうが、
決して、無理をして言い聞かせている感じでは無かったような気がします。エイラさんの中で、きっと何かが片付いたのでしょう。
普段は見る事の出来ないようなその大きな笑い声に、つられて私も笑ってしまいました。
「そうですね、きっとサーニャさんは明日には良くなってますよ!」
「明日って・・・。随分と気が早いなー。」
エイラさんは私をからかう様に言いました。普段の調子が戻ってきたようです。
「そうそう、スオムスでの挨拶だったか?」
「ええ、そうです。」
「そうだな・・・。」
曲げた人差し指を軽く顎に押し当て、考えるそぶりを見せると、
エイラさんはすぐに口を開きました。エイラさんは頭の回転が速いのだと思います。
「"Good day"に当たるのが"Hyvaa paivaa"だけど、うちの基地の中だったら、"Moi!"でいいな。」
「モイ、ですか。」
「そうそう。"Hei!"と同じだな。」
「そうなんですかー。」
そう私が頷いた時、暖かい微笑みを見せるエイラさんの眼の奥に、妖しい光が揺らめくのを私は確かに見たのです。
(参考画像:ルッキーニちゃんの眼の奥の妖しい光―ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org16215.jpg)
その瞬間私の脳裏には、今日の薄明の空の後に広がった薄黒い空の光景が浮かびました。
この人は危ない―――そう思いつつも、自分から話を切り出した以上、エイラさんの側から離れるわけにはいきませんでした。
「ブリタニア語で"Hei,hei!"なんていう時は手を横に振るけどな、スオムスではちょっと違うんだなこれが。」
心臓の鼓動が高鳴るのを感じました。夜の大気に冷やされた額の汗が、嫌に冷たく感じます。
「こうなー、右手を顔ぐらいの高さに上げてなー、」
エイラさんの口元が、笑いを堪え切れなくなったように歪みました。
「4本の指を曲げて、こうやるんだよ。……リーネ、"Moi,moi!!"」
その瞬間、彼女の白い両手が、私の胸に
(省略されました。 続きを読むには"Moi,moi!!"と書き込んで画面の前でスオムス式に手を振ってください。)