無題
ああきっと多分きみは、世界で一番おひめさまだ。
「おいで、ガッティーノ」
ようやく見つけ出した子猫は、木の上で眠りこけていた。お気に入りの毛布をその枝にかけて、器用に、
どこか優雅に寝息を立てている。その姿はさながら、彼女の使い魔である黒ヒョウそのもの。
「ん…ニャ?シャーリー?」
「そうだよ」
あたしの呼びかけに子猫は子猫は目を覚ます。目をこすってあくびをして伸びをして、まだまだ彼女は
寝ぼけ眼。それはこの子がまだ幼いからだろうか、それともパスタとシエスタをこよなく愛す、彼女の
国民性からだろうか。
「お昼の時間だよ、フランチェスカ。早く行かないと鬼ゲルトが怒る」
囁くように呼び名を変える。そう言えばいつのまにか部隊内での彼女の呼び名がファーストネームでなく
セカンドネームに落ち着いてしまったのはどうしてだろうか?恐らくはそのほうが語呂が良かったとか、
そんな適当な理由なのだろうと思うけれど。ルッキーニ。この気まぐれで幼い子猫に、何だかぴったりの
名前じゃないか。
うう、と唸るルッキーニ。体は起こしたもののすぐに幹に寄りかかってしまう。動く気力がないのだろうか。
元気に走り回るときは捕まえようとしてもどうにもならないほどひょこひょこと動き回るくせに、一度休むと
決め込むとあんな高いところに行ってじっとして動かない。まったく困った猫ちゃんだ、と思う。
「フラン、フランカ。おいで、ほら」
腕を広げて待ち構える。首をかしげるルッキーニ。
「連れて行ってあげるから降りておいで。受け止めてあげる」
「…はあい」
ふわぁ、ともう一度大きなあくびをついて、ルッキーニは彼女の国の国旗の柄をした毛布をようやっと
取り上げた。どんなときでもそれを手放さない彼女は、いつだったか「これがないと眠れないの」と恥ず
かしそうにもらしたことがある。そんな彼女をあたしはなんて可愛らしいんだろう、とぎゅうと抱きしめた
のだ。ルッキーニはと言うと子ども扱いされたようで納得いかなかったのだろうか、ちょっとだけ憮然と
した顔をしていたけれど、すぐにあたしの胸に頭を押し付けてご満悦だった。
「いくよぉ、しゃーりぃ」
ばさり、と先に毛布を落とされて、あたしはそれを汚さないようにキャッチした。腕の上に広げて「ほら、」と
呼びかけると、まだ眠そうに枝に座り込んだルッキーニがあたしに呼びかけてくる。いいよ。あたしは返す。
ぴょん。
野生の勘と言うやつだろうか。あんなに眠そうな顔をしていたのに、ルッキーニはひょいと身軽にあたしの
腕の中に飛び込んできた。そして私の両腕に自分の体を横たえるようにして、あたしの首に腕を回してくる。
そしてまた、大きな大きなあくび。飛び込んできた時点ですでに半目だった瞳は、しょぼしょぼとしぼめられて、
しきりにこすられて、けれどもすぐに閉じられてしまう。あたしはその様をを肩をすくめてみやっている。
「いくぞー」
「うん」
私の胸に顔を押し付けて、満足そうに。ルッキーニは身を寄せてきた。それは彼女が幼いが故の本能
だろうか。それとも、私だからなのだろうか。たぶん前者だと思うけれど。
「ねえ、しゃーりぃ。」
目を瞑ったままのルッキーニが不意に、目を見開いて私を見た。どうしたんだ、ルッキーニ。口を開くと、
なんだか面白いくらいに柔らかい言葉が出る。あの堅物じゃあるまいし、こんなに可愛い子が腕の中にいて、
冷たい口調が出てくるわけがないけれど。
「あたしね、知ってるよ」
「何を?」
「これ、『お姫様抱っこ』って言うんだよ」
ああ、そう言えば、気がつけば。
意識なんてしてなかったから気付かなかったけれど、確かに傍から見ればこれはそう呼ばれる格好だ。
「そうなのか。ルッキーニ姫は可愛くて、賢いな」
「うん、でしょう?」
寝ぼけているせいかいつもよりもずっとずっと幼い声で、ご機嫌にルッキーニはころころと笑う。それだけで
私の胸の奥に何だか温かい感情が流れ込んでくる。母性本能にも似た、でもちょっと違うかもしれない、
この気持ちは何だろう。
私がとっさに導き出せなかったその答えを、賢い賢いあたしのお姫様は即座に導き出してくれた。
「そうしたら、シャーリーは王子様だね。あたしの王子様」
ああ、もう、どうしてこんなに。
この子猫はこんなにも愛くるしいくせに、こんなにも賢いんだろう!
「そうだな、あたしは、王子様だなあ」
ルッキーニの、ルッキーニだけの。
何だかひどく嬉しくなって、顔がにやけてきてしまう。自分でもどう答えを出していいのか分からなかった
難しい難しい問題の解答が、いとも簡単に与えられたのだ。これを喜ばなくてどうすればいいだろう。
通路の奥のほうから、騒がしい声が聞こえてくる。カールスラント組がジャガイモの取り合いでもしている
んだろうか、それともペリーヌがまた宮藤に怒ってるんだろうか。エイラがリーネにいたずらしているの
かもしれない。
…もうすぐ食堂についてしまう。それまでに、腕の中で寝ぼけ眼のままの眠り姫を起こさなければ。
その瞬間、妙案を思いついて私は立ち止まった。どうしたの、と尋ねるルッキーニの額に自分の額を
引っ付けて、きざっぽく囁く。
「お目覚めのキスはいかがですか、お姫様」