ドロップ裏
「あ、あのさあ」
おやすみを言って数分。私はすっかり目をとじて眠りにおちる準備は万端だった。なのにシャーロットが、にぎった
手をくいとひくのだ。気だるく瞼をもちあげると、くらいなかに、すねた顔を見つける。
「……なんだよ」
「そんなあっさりねないでよ、なんか、こう……だってさあ」
あたしばっかり、ねつけないわけ? おもしろくなさそうな声。それがひびくと同時に、へそのあたりになにかがはう。
思わず息をのんで、それがシャーロットの指先だと認識すると、反射的に額をてのひらではたいていた。
「いたい、ばか」
「うるさい、へんなことするな」
「へんなことじゃない」
シャーロットがすこしひくい声をだす。ぎくりとした、本気の声。背筋が粟立つ。じつのところを言ってしまうと、眠り
におちる準備ができてるなんて大嘘だった。私だって、ねつけそうにない。冗談で、からかうつもりではだか同士で
ベッドにもぐったけれど、じかにつたわる体温が、こんなに私のおちつきをさらっていくなんてしらなかった。本当は、
シャーロットがこんなちょっかいをだしてくれたことにほっとしていたくらい。だって、自分からなんていけそうにない
んだ、私はいつからこんな根性なしになったのだろう。ため息のでるような思考におちていると、また指が私の腹を
なでていく。ちくしょう、このばか。声にださずに悪態をついて、その二の腕をつかんでぐっとシーツにおしつけて、
自分はからだをうかせてのしかかる。
「あら、めずらし……」
へらず口が言いおわるまえに唇をふさぐ。一瞬だけふれてすぐにはなれると、もうやつは口をひらかない。見おろして
見かえされ、今度こそもっとふかくした。自然に自由なほうの腕が首にまわされそうになったけれど、それを阻止すべく
そちらの二の腕もつかんでそのままシーツにぬいつける。シャーロットは意外そうにまばたきをして、なに、とつぶやく
が無視して何度も唇にキスをおとした。目下の人物はしばらくはその拘束をとこうと戯れ程度の抵抗をしていて、
だけどすぐにあきらめて私からの接触を甘受する。
「なんだ、あんたもしたかったんだ」
「うるさい」
「ん…ねえ、キスすきだね」
唇だけじゃあきたらなくて、ほほにもまぶたにもすべらせて、するとおかしそうな声がする。意識したことなんて
なかったけど、まるで図星をさされた気分になって顔をはなすとシャーロットがふふと笑う。
「なんだよ、はずかしがらないでよ。あたしもすき」
催促するように、シャーロットのてのひらが私の腕にからまる。両の二の腕をおさえられているから制限つきの
動きだったのに、いちいちこいつのさわりかたはくすぐったくて、だけどはらうこともできない。結局私は、やつの
思うとおりに動くしかないのだ。
「……おまえはおしゃべりがすぎるな」
「じゃあ、だまらせればいいよ」
どうやったらこいつの意表をつけるのだろう、もう数えきれないくらいにふれたやわらかな唇に、私はまた口づける。
感触をたのしむためにやわく歯をたてて、するとシャーロットのてのひらがすこしふるえる。それについ心臓がなって、
ゆっくりと舌をいれた。なかはびっくりするほどあつくて、ぐらぐらと頭の芯がゆれるかと思うほど。私がどうにか舌に
舌をはわせると、それも私の動きにあわせてからみついてくる。何度してもなれない、多分一生だ、いつだってこの
行為は私を昂らせた。
「ん、ふ、……ん」
自然と声がもれて、お互いてのひらに力がこもる。今度こそ本気でじれたシャーロットが拘束をほどこうとしたけれど、
私も必死にそれをふせぐ。なにを意地になってるんだろうと思うのにやめられなくて、私は多分、きょうはそんな気分
なのだ。そろそろ息苦しくなってきたころ、シャーロットがさきにすこしだけ首をふる。もう解放しろの合図。思わず顔を
はなすけど、名残惜しくてつい音をたててはなれてしまった。
「あ…も、あんた、しつこい……」
わずかにはやい息をつきながら、シャーロットが勘弁してよと目をとじた。自分だってあらい息をして、それでも肩を
すくめてみせる。
「だらしないな」
「うっさいな、言っとくけどね、あんたのキスはしつこすぎる。どんだけあたしの口がすきなわけ」
口だって。べつにそこが個別ですきなわけじゃない。不服に思ったがそれを口にだすこともできないで、私はつぎに
首筋に顔をうずめる。あとをつけてしまおうか、と思いついてすぐに実行した。あまく歯をたててからすいあげる。ん、と
シャーロットが鼻にかかる声をあげ、すぐにいたいと唇をとがらせた。
「あと、のこった?」
「のこした」
「もう、なにやってんだよ……」
よくそんな文句が言えたものだ。私だってまえにからだじゅうにつけられたことがある。そのときは全然しらなくて、つぎ
の日風呂場にいくまえに気づけてよかったといまでも思う。上手に衣服にかくれるところだけで濃く色づいたそれらは、
幾度と私にそのときを思いださせた。しかも首筋につけられたひとつは襟にかくれるかかくれないかの位置で、絶対に
こいつはわざとやったんだ。だれかに見つけられやしないかと気が気じゃなかった私を、あのときシャーロットは性格の
わるそうな笑顔でながめていた。
「じゃあ、あたしもつける。いっぱい」
「だめだ」
「なんで」
「……きょうはちょっと、おとなしくしてろ」
言いつけると同時に、シャーロットのおおきなふくらみに手をかける。するとやつの腕も解放されて、咄嗟にそれは私の
手首をつかんだ。でもそれよりさきに、指先が真ん中の突起にふれる、途端にシャーロットは表情をかえて、手首にふれる
てのひらも、つかむというよりはすがるようにくっついている。両手をかたほうずつにはわせて、丁寧にマッサージした。
そのたびにすぐそばの表情はゆがんでいき、色をおびていく。きれいだと思った。こんなきれいなものがあるなんて、いま
までしらなかったと、本気で思ってしまうほどに。
「んっ、あ、は、…ねえ、んっ、きょうは、せっきょくてき、じゃない」
あまい息をおりまぜて、シャーロットがからかう口調をつくる。いつのまにかその両手は私のほほにそえられて、でも
それだけ。シャーロットは、言いつけどおりにおとなしく私にもてあそばれている。いつもそうだ、どんなに私がめちゃくちゃ
にしてやろうと思っても、こいつはこんなふうにうえから見おろしてどこかに余裕をかくしてるんだ。ごくとつばをのんで、
いつのまにかさっきよりあかくなったそれを口にふくむ。あ、とみじかく、きょうのうちでいちばん高い声がなる。
「あ、あっ。きゅうに」
「かたくなってる……」
「言わなくて、い、から…っあ」
しゃぶりつく私の頭を、シャーロットが両手でつつむ。そして必死に刺激して、そのたびにゆっくりと、てのひらが私の髪を
なでた。まるで上手だとほめられている気がして、こんなふたつも年下のやつにえらそうにほめられたって癪にさわるだけ
なのに、そのはずなのに私は胸の奥からわいてくるよろこびに動揺した。うれしかった、自分がシャーロットを気持ちよく
できているのが、こんなにうれしい。
「ん…きもちいい?」
「あ、ん、…あ」
「ねえ……」
こちらがせめているはずなのに、あまえた声がでてしまう。ばかみたいだ、まるで、母親にあまえるこどもみたい。しかも
まだ乳離れもできていないときている。はずかしくて、だけどやっぱり髪をなでる指がそれ以上に心地よかった。きもちいいよ。
さとすようにささやかれて、私はもうだめだった。
「は…っ」
前ぶれもなく、シャーロットの下腹部までてのひらをすべらせる。さすがのやつも息をのんで、思わずといったふうに私を
だきよせる。唇は片方をふくんだまま、もう片方も指でつまみながら、唐突な動きで侵入させる。
「い…、っあ」
やさしくする余裕も持てず、乱暴に動かす。シャーロットはむしろそれがいいのか身をよじり、私の頭をかかえる腕に力を
こめる。はじめてのときとまるで逆だ、あのときすがるしかなかった私を、いまはシャーロットが必死にはなすまいとしている。
そう思いついて、すると大事なことも思いだす。ふと口をはなし、だきよせられる顔をなんとかずらしてシャーロットの瞳を見た。
「…っ、おい」
「ん、な、なに」
「私のこと、…どう思ってるか言え」
「は、あん、な、にきゅうに」
だって、さっき自分で言ってただろう。あんなタイミングじゃなきゃ言えないんだろ、だったら、このタイミングは絶妙じゃ
ないか。指をふやして、奥までおしこんでかきまわす。そのたびに耳をふさぎたくなるような音がして、それなのにそれに
聞き惚れる。
「いや、やだ、あっ、そんなの」
「言え、言わないと……、ねえ、いって、いってよ」
「こ、こんなの、ん、あ、あっ、ずる、ずるいっ……」
シャーロットが、なきそうな声をあげる。ちがう、ないてる。そまりきったほほに、幾筋ものあとがつたう。指はやすめない
まま、反対の手をぬぐうようにはわせた。するとそれにやつのてのひらもかさなって、まるで必死にはなさないようにと、
指のあいだに爪のさきがくいこんでくる。
「あ…シャーロット、シャーロット……」
キスがしたいのに、そんなことをしてはききたいことばがきけないから我慢して、かわりになまえをよんでほほに何度も
口づけた。ぬれたそれはしょっぱくてあまくて、私を酔わせる効果があるかと思うほどだった。かわいい。うわ言みたいに
ことばがもれる。本当だ、ベッドにはいるまえは全然言えなかったのに、こんなときだったら勝手に、臆面もなくことばが
でてくる。
「かわいい、なくな、なくなよ、なんで…」
「だ、って、そん、なの、そんなのっ」
首にまわされた片腕が緊張して、声が切羽詰まっていく。高くみじかくのぼりつめて、私だって限界だった。さわられても
いないのに、もういきそうなんだ。いっしょにがいい、いっしょに、いっしょに……。
「あ…す、…すき、あたし、もお、…すき、だいすき……っ」
「……っ」
ききたかったことば、きっとシャーロットだって、言いたかったことば。完璧な合図だった。私たちはおそらく同時に、
からだをこわばらせて、はてた。
「あのさ」
耳元に息がかかった。余韻ののこるあまったるい発音で、シャーロットが自分のほほのうえでかさねられたままの
てのひらにやんわり力をいれてつぶやく。自分で言わせといて、そんなにてれないでよ。
「……だまれ」
「あはは、耳まで真っ赤だ」
私はといえば、シャーロットにおおいかぶさったまま、やつの顔のとなりのシーツに顔をうずめてごまかすのに必死
だった。それなのにやつの指摘どおりに耳までこんなにあついんだから、全然かくせていないらしい。しかたないから
からだをもちあげて、一生懸命冷静な顔をつくって見おろしてみる。
「かわいい。すき、バルクホルン。あいしてる」
「おまえ、は、はずかしげもなく……」
なのに、急にひらきなおってしまったシャーロットは、そんなはずかしいことを平気な顔で言ってのけるのだ。結局色
をこくするしかない私の羞恥心はもっとほほあつくして、シャーロットはそれを指先でなでてからうなじに両のてのひら
をはわせる。やわらかいふれ方に緊張して、そうしているうちに案の定ひきよせられる。自分のからだをささえていた
両腕はあっさりとその仕事を放棄して、やつの望んだとおりにひじをおった。てのひらは背中をはい、吐息は耳たぶ
ちかくの髪をゆらした。私は、それらをただ感じることばかりに没頭する。
「しかし、あんたになかされる日がこようとはね」
「しるか、そんなの」
「なんだよ、よかったって言ってるのに。あんなこと言わされて、なんかね、もう、なにこれってくらい」
「……もうだまって、たのむから」
からかわれている気分になって、それから先程までの行為を思いだして、シャーロットの首筋にうめた顔をあげたく
なくなる。声とか感触とか、そういうことはいやになるくらい鮮明で、なのに自分がどんなことをしていたかはまるで
あいまいなのだ。なんて必死だったんだろうと思う。でもだって、と自分に言いわけをするしかない、シャーロットが
あんまりかわいいのが悪いんだ。声にだして言えばきっとこいつのことだってちょっとは動揺させられるんだろうけど、
もう二度と言えそうにない根性なしに呆れる。
「ねえ、なに考えてるの」
「なんでもない」
「なんだよ、そっけないなさっきから」
うるさいな、関係ないだろう。そう言いかえそうとして、だけどさきにからだに加わる力にぎょっとした。気づいたら
形勢は逆転、ベッドに背をおしつけられて、器用に私たちの位置はいれかえられていた。
「じゃああたしも、口わらせてあげるよ」
言うがはやいか、シャーロットは私の胸元に唇をおとす。あたたかいそれが心臓のそばの皮膚におしつけられる。
何度もくっついたりはなれたりをくりかえし、その都度音をならす。シャーロットのキスのしかたはいつもそうだ。はずかしく
なるようなやり方で、まるで的確な位置をつく。おかしい、こいつは絶対におかしい。なんでこんなに手慣れているのか。
「あ、やめ…」
「いいの、やめても」
上目遣いで表情を観察される。おもしろそうな、それなのにさも真剣な目が私を見ていて、いつものように私はなにも
言えなくなる。普段からすこしだけねむそうなまぶたが、こういうときは不思議なくらいにおとなびて見えた。いちいち
しらない表情で、私を翻弄したくてしょうがないと訴えてくる。そんなのまっぴらごめんで、なのに、私はこれには絶対
にさからえない。
「あ、……」
やわらかくてあついものがはっていく。丁寧に、舌がすべっていく。なにものがさないようにとゆっくりと、シャーロット
こそ、しつこいんだ。予想のつかない動き方に徐々においつめられる気分にひたっていると、ふと、シャーロットは口
をはなす。それでも今度は手が動いて、わき腹のほうから一気になであげられて息をのむ。
「ねえ、なにしてほしいか言って」
「は、なん、で」
てのひらの終着点は両方のふくらみだった。それをやわやわと五本の指になでられ、私はいつのまにかシャーロット
の首に手をまわしていた。わずかにおちつきなくまばたきの回数がふえた瞳に見つめられて、ゆっくりと体温があがって
いくのを感じる。
「いや、いやだ」
「ちゃんと言って、そうしないとわかんない」
「うそだ……」
じらす動きで刺激がやんわりとつよくなっていく。あんたのしてほしいことがしたい。あまえるような響きでシャーロット
に口説かれる。あまやかされているのは私のはずなのに、まるでこっちこそ言うことをきいてやらないといけない
ような気になってしまって焦った。
「しるか、そんなのしらない」
なんとかそれだけ言うと、シャーロットがすこしだけ唇をとがらせて、そして顔をよせてきて額に額をすりつける。
うそだ。それから先程の、思わずでてしまった私のつぶやきを真似られて、かっとはずかしくなる。今度はほほに
ほほがふれる。ゆるやかな摩擦が心地よくて、もうこれだけで満足できるかと思うほど。だけどシャーロットにそんな
気は絶対にないだろうから、私は覚悟をきめて首にまわした腕に力をこめる。
「……あ」
「うん?」
「……、き、キスして、ほしい」
消えいるような声とはこういうことかと思うような、なさけない声がでてしまう。はずかしくてしかたがなくて、だけど
シャーロットは左のほほ同士をこすりあわせたまま、私の耳のすぐそばで満足そうな息をつく。それからふいと
はなれていき、至近距離から目を見つめられる。
「残念、それはだめだ」
「な」
自分で言わせたくせに。まさかの返答に、怒りと羞恥が同時にわいて、顔が赤くなるのがわかった。相乗効果でも
あったのか意味がわからないと言いかえす余裕がないほどに動揺して、私はぱくぱくと唇を開閉するほかない。
「だって、あんたにも言ってもらわなきゃなんないんだ」
だから、唇にはしてあげない。かわりに、とでも言うように、首筋にキスがおちてくる。雨みたいに絶え間なく、あまい
刺激がふってくる。言ってもらうって、なにをだろうか。先程すでにはずかしすぎることを言わされたのに。
「……ねえ、わすれたような顔しないでよ。あたしばっかりじゃずるいじゃないか」
「だから、なにを」
「いやだな、あんたがさっきあたしに言ってってたのんできたこと」
たのんだ? なにをだ。とでも、とぼけられればよかった。だけどもおどろくほど嬉しかったあのことばを、わすれた
ふりなんてできるわけない。私はまたきっと顔を赤くして、なんていそがしい顔色なんだろうと思う。だからせめて、
すなおになんて言ってはやらない。
「いやだ、絶対」
「なんでだよ。言ってくれたらキスしてあげる」
「う…うるさい」
まるで弱みでもにぎったような顔で言われて、なんて生意気なやつだと思っていると、つぎにはぽんと名案を思い
ついた目でにやと笑われる。
「じゃ、勝負しよう。あたしが勝ったら言ってもらう」
「勝負?」
「うん、……あんたは、声だしたら負け」
簡素すぎるルール説明を終えた途端、シャーロットはじつはずっとおきっぱなしだった両手で胸をにぎりつぶす。
急すぎる刺激に私は息をのみ、だけど幸運にもまぬけな声だけはでなかった。
「急に、そんなこと」
「しゃべったら負けちゃうよ」
たのしげな声に、思わず口をつぐみ手でおおう。それを満足げにながめながら、シャーロットは指先の動きを複雑に
していく。親指とひとさし指でつまむように、徐々に中心へと刺激の重点を移動させて、私はといえば、思わずやつの
思惑どおりに動いてしまったことを後悔していた。いまさらそんなのはおかしいなんて言いだせない、こうやって我慢
しているっていうことは、その勝負にのったということにちがいないのだ。
「…っ」
「ん…、我慢して。がんばって我慢したら、すごく気持ちいいから」
そんなの、しっているに決まっている。こんなはしたない声なんてすきこのんでだしたいわけがなくて、いつだって
こらえている。その度に逃げ場のない妙な感覚がからだのなかでうずまいてたまらなくなるのだ。だけど、きょう
ばっかりは覚悟がちがう。絶対に声をあげるわけにはいかない、そうだ、これは勝負なんだ。きゅ、と口元を
ひきしめて目をとじる。そうすると突然、シャーロットの気配がぱっとはなれていき、ぎくりとしているうちにからだを
持ちあげられてベッドのはしにすわらせられる。なんだ、と思っていると、やつは今度はベッドをおりて私の足元に
ひざまずく。
「目とじちゃ、つまんないよ」
それから私のひざをぽんぽんとたたいて、つまりこれはこれを開けということだ。そんなことをされては逆にひらかない
ようにと緊張してしまって、シャーロットはわかっていたような顔でひざに唇をよせる。すいついたりなめあげたり、歯を
たてたりと、そうしながらもずっと私の目を見ていた。視界をとざすのはいけないようなことを言われたけど、従う必要
なんてべつになくて、それなのに私はその目を見かえしてしまう。シャーロットの手はさらには私の足をとって指の一本
いっぽんまで輪郭をなぞるように指をすべらせている。丁寧にまるで安心させたいような動きで、不本意ながらそれは
本当に私をほっとさせ、思わずこわばっていた足から力がぬけていく。だけどそれだけ。自分からさらすなんてできそう
にない、無理やりにこじ開けられたほうがよっぽどましだ。
「……んっ」
ぎ、と、すこしつよめに歯がたてられる。血はでないにしてもそれなりの痛みがはしる。眉をよせながら、私はふと
思いだす。やつの肩。あのとき、本気でかみついてしまったところ。見てみれば、もう跡形もなく消えている。最初の
ころ、痛々しいそれをシャーロットはかくそうともしないで、むしろ見せつけるように私の部屋のなかにいた。
気づいたらその肩にふれていた。きえてしまったそれをなぞるように、するとシャーロットはまばたきをして顔を
あげる。なに、そう言いたげな顔をして、だけどすぐに合点したようにうなずく。
「きえちゃったね。べつにずっとのこっててもよかった」
「……」
妙なことを言う。他人にずっとのこるきずをつけてしまうなんてごめんだ。そんなことを考えているとどうやら私は
なかなか訝しげな顔をしていたらしくてシャーロットが笑う。まあいっか、さっきこれをつけてくれたから。やつは首筋
をなで、そこにある赤いあとを示す。私がつけたあとだった。ついはずかしくなる。半分くらいいやがらせでつけた
のに、なんでそんなにうれしそうなんだよ。肩から手をはなしてうつむくと、今度こそシャーロットがひざを割る。前触れ
のない行動にあわてて、思わずひざをとじようとするけどもうおそい。やつは顔をすべりこませて、私をみあげている。
「あたしは、ここにつけちゃおうか」
そして内股をなであげられた。その刺激にぞくりとするが、そんなことよりもききずてならない台詞をきいた。
「ば、ばか。冗談じゃない」
「し、だからしゃべっちゃだめだって」
唇のまえでひとさし指をたてて、シャーロットはたのしげだ。もちろんさっきのことばも冗談だと思いたい。いちいち
ふざけているシャーロットにあせっていると、やつはそんなことはそっちのけで指も顔もじわじわとすすめてきて、私
はやっと羞恥心をとりもどす。
「ね、ちゃんとあたしの目、見てて」
「……っ」
そんなところでしゃべらないでほしい。かすかな吐息にすら反応してしまって、私は一生懸命歯をくいしばって声の
出口を手でふさぐ。だけど必死の抵抗もむなしく、シャーロットがそこに唇でふれた途端にそんなものはくずれて
しまうんだ。
「あっ、ん」
しまった、と思うのに、シャーロットはまるで気にしないで何度もそこにキスをする。さらには舌をだしてなめあげて、
私はもうどうしようもなかった。口元をおさえていたはずのてのひらはいまはもうベッドのうえのシーツをにぎって
なんとか自分のからだをささえようとしている。ひざはすっかりおおきくひらかれて、片方の足はシャーロットの肩に
のせられてもう片方もベッドにおさえつけられていた。
「ん、あっ、…いや、だっ」
「ほんとに? ぬれてるよ、すごく。さっきから、あたしにしてくれてたときも感じてた?」
感じていたどころか、ふれられてもいないのにいったくらいだ。本当のことなんて言えないで、私は息も絶え絶えに
首をふる。そのあいだも舌は侵入をつづけて、指がそこをひらいていく。それぞれ自由な動きをするものに翻弄された。
つぼをおさえきった順で刺激があたえられて、なによりもこんなところにシャーロットの顔があるなんて、もうそれだけ
で気をやってしまいそうだった。それでも言いつけどおりにやつの目からは視線をそらせずにいる。ばかだと思う。
ひょっとしたら、こうやって他人に従わされるのがすきなんだろうか、私は。
「ん…、ねえ、何回してもなれないね、口でされるの」
「あ、んっ、うるさ、い」
「こうされるのだいすきなのにこんなに緊張して…、はずかしい? それとも気持ちよすぎるのかな」
挑発するように、シャーロットがふふと笑う。心底おかしそうに、すこしだけばかにされたような気がしてかっと感情が
昂ぶる。それがなんというなまえのものかは判断できなくて、ただ、思わずそこにくっついているシャーロットの頭を
つかんでひきはがしてしまうほどには激しいものだった。
「へ、へんなことばっかり、言うな…っ」
上擦った、なきだしそうな間抜けな声で、私は一生懸命反論する。なんてかっこうわるいのか。自分のなさけなさに
呆れながら、それでも必死にシャーロットをにらむと、今度はシャーロットが間抜けな声でごめんと言う。
「ご、ごめん。そんなにいやだなんて」
なくほど、いやだったなんて。あせりきった表情で、かがんでいたシャーロットがベッドのしたでひざをたてて私の顔
に顔をよせる。
「……ないてなんかない」
「うそだよ、ないてるよ……」
困りきった声で、シャーロットがほほをなでる。なんとなくしめっぽい感触にあれと思う。もしかして本当に私はないて
いるのか。涙の理由がわからなくて、私は自分のてのこうで目尻をぬぐった。するとシャーロットは、もうしわけなさそう
にほほにふれた手をはなしてしまう。
「だって、そういうこと言われるの、とか、いじめられるのとか、すきなのかと思ってたんだ」
「…なんだよそれ」
まるで言いわけのようなシャーロットの供述に、私は密かにどきとした。自分はひとに従うのがすきなんじゃないか
という先程の自問を思いだし、図星をさされたような気になる。だけど認めてしまうとあともどりできないような気がして
ごまかした。
「だから、あたしだって一生懸命」
「なにがだ、あんなにたのしそうな顔をして」
「いや、それは……」
あいかわらずの涙声でせめてみても決まるはずもなく、それでもシャーロットは見事に反省したふうに肩をおとして
いる。急にしおらしくなって、なんだか私がいじめてるみたいじゃないか。不本意なシャーロットのようすにすこしだけ
あせって、ぎこちなく明るい色の髪をなでる。するとぎくりとしたようにやつは顔をあげ、それから唇をかむ。
「……あんたのしてほしいことをしたいのはほんとなんだ、うそじゃないよ。それっくらい、あんたのこと、す、すきなんだ」
先程までの生意気な表情は跡形もなく消えうせ、うぶな少女のようにほほを染めてシャーロットがはずかしげに
まばたきをする。その目はこころなしか潤んでいて、私の心臓がおおきく鳴って、ついさっきの軽口のようなあいしてる
がまるでかすんでいく。じつはすこしだけうれしかったのに、どうしたことか。これには、全然かなわないんだ。
「わ、私だって」
思わすつぶやいていた。緊張してシャーロットの髪にふれるてのひらに力をこめてしまいそうでぱっとはなして、
それからこくとつばをのむ。
「私だって、おまえが…すき、だから、なにされたって……」
声がふるえて、我慢できないでうつむく。言いきれそうにない、もういやだ。なんでもないと、顔をそむけてしまおう。
そう思ったのに、それよりもさきにぎゅっと手がにぎられる。
「なんだよ、なんだよそれ、そんな急に、すなおに……」
それから、いまの私の声よりふるえる声がしてぎょっとして、シャーロットはうれしいのかかなしいのかもわからない
くらいに表情をくしゃくしゃにして、私の胸にとびこんでくる。あんまり急だったから支えようもなく、私たちはベッドに
たおれこんだ。
「どうしよう、しらなかった。ちゃんと言ってもらえるのが、こんなにうれしいなんて」
きょうは、うれしいことばっかりでしんじゃいそうだ。浮かれた声。私だって、いつもどこかかっこうつけているような
やつのこんな姿を何度も見せつけられて、気が狂うんじゃないかと思うほど、どきどきしていた。しかもこいつをこんな
ふうにしているのは自分自身で、きっとこれは私だけが見られるもので、それは、とてもとても。
「キスしよう、いっぱいいっぱい、キスしよう」
シャーロットの唇が私にふれる。ただふれるだけ、なぞるだけでたまらなくなる。あますところがないようにと、顔中を
なでて、そしてそれにひたっていた私は、きっとあまりに間抜けな、しあわせそうな顔をしているにちがいない。こんなの
を見せるのだって、私だって、おまえだけなんだ。
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「なんでおきないんだよばか!」
「私のせいにするのかいい度胸だ、そもそもきのうあんなにおまえが調子にのるのがわるいんじゃないか」
「あんたがあたしにならなにされたってうれしいっていうからだろ」
「だれがそんなこと言った、勝手に誇張するな!」
翌朝。あのあともなんだかんだでしつこくシャーロットにからまれたせいで、私たちはすっかりと寝坊をした。なんて
ことだろう、この私が寝坊だって、みんなにはいったいどう言いわけしたらいい。必死に理由を考えながらシャーロット
とばかでかい声で言いあいをしながら廊下をあるく。まったく、きのうのかわいらしさはどこにいった、もうすっかりと
生意気でえらそうな普段どおりのシャーロットだ。
にらみあってとなりあい、ふと視界のはしになにかがうつる。視線をまえにむけると、だれかの部屋のまえにすわり
こむ人物。確かあそこは。
「……げ」
「エイラ」
朝食の時間にはいつもいないエイラが、自室のまえでドアによしかかりひざにほおづえをついてわれわれをながめて
いた。
「なにをしている、こんなところで」
「おいバルクホルン、いいじゃないかそんなの、いこうぜ」
妙に焦った声で、シャーロットが私の服のすそをひく。なんだよと思っていると、エイラがすわりこんだまま口をひらく。
「夢で、きょうはここにいればおもしろいものが見られるって」
「はあ?」
「や、ただのひとり言。しかし、昨夜はおたのしみだったのか?」
「うわあ!」
急にシャーロットが大声をだす。おい、なんなんだよさっきから。わきを小突くと、シャーロットはへらりと笑って首
をふる。なんでもないと、そんなわけがないような主張をする。
「なんだよ、あんなの見せつけてくれた仲じゃないか。教えてくれたって」
「エイラ、ちょっとだまれ、おねがい」
「おい、なんの話だよ」
「いやいや、なんでもないんだよ」
「だからわたしは、寝坊のうえに同伴出勤っていうのはどうかと」
「おい! エイラ、いまサーニャがおまえ部屋でひとりなんだろ、さっさともどったらどうだ」
「な、なん、さ、サーニャはべつにわたしの部屋になんていないぞ!」
サーニャの名がでた途端、先程までにやけ顔だったエイラが顔色をかえる。さらにはすわりこんだままだったのが、
急にたちあがってこぶしをにぎって、するとシャーロットのほうも、わたわたしていたようすを一変して、今度はこちらが
にやりと笑った。
「いまさら。みんなしってるよ。なあ、あの日、えらく興奮してたみたいじゃないか、ええ? 部屋にもどってサーニャに
どうにかしてもらったのか?」
「は、な、サーニャはそんなことしない!」
「のわりに顔真っ赤じゃないか。思いだしちゃった?」
「ちがう! そんなことないったらないんだ!」
シャーロットの言うとおり、エイラの顔は全体が赤くなっていて、私だけがわけのわからない状態におちいっている
うちにエイラがくるりとからだのむきをかえてドアをあける。うししとシャーロットは笑っていて、だけどドアをしめる瞬間、
エイラはわれわれを真っ赤な顔のままにらむのだ。
「つまり、大尉がふたりしていちゃいちゃしてたせいで寝坊なんて、したのわたしらに示しがつかないって言ってんだよ、
色ボケども!」
言いきると同時に、ばたんとおおきな音をたてて木製のドアがしまる。まさかの捨て台詞に、ぱかと口があいて
しまった。なんだと、エイラはいまなんて言った、いちゃいちゃ、色ボケ? なんで、なんで。
「な、なん」
なんでエイラがしっているんだ、当然すぎる疑問にとなりを見ると、シャーロットは不自然に姿勢を正しまえをむいて
いる。そういえば先程からあきらかにようすがおかしかった。
「……シャーロット」
こいつがなにかしっているのは明白だ、ひくい声がでて、するとシャーロットは汗をたらしながらあははとうすらわらい
を浮かべる。
「なんていうか…いちばん最初のときに、あんたを部屋におくる途中でエイラとばったり遭遇しちゃったっていうか?
そんでちょっと、へんなところを見られちゃった、みたいな?」
いやはやまいったもんだね。ぽりぽりと頭をかきながら、シャーロットはやはりごまかすように笑っていて、先程から
の意味不明な展開に忘れていた羞恥心が、やっと思いだされてしまった。
「み、見られたってなにをだよ」
「だからそりゃあ、あんたのあられもない姿とか…」
「は、な、なん」
「だ、だいたいさー。あのときあんたが寝ぼけてあんなことしたせいで、あたしえらい恥かいちゃったんだぞ」
「あ、あんなことってなんだ、なんだよ」
「……言いたくない」
シャーロットがはずかしげに目をふせる。いったい、いったい私はなにをしたんだ。ぐらぐらと頭の中心がゆれるよう
な錯覚に見まわれるほど動揺して、するとつぎは急激な怒りがわいてくる。
「なにが、言いたくない、だ、そもそもなあ、おまえがあんなところであんな気をおこすのがすべての元凶じゃないか、
あれがなければ、いまだってこんな……」
「な、なんだよ、あたしともどうにもなってなかったって? そりゃあんまりなんじゃないの、あんたにとってその程度の
わけ、きのうあんな顔しといて、とんだ性悪だな」
「だれがそんなこと言った! 時と場所をちゃんと考えろと言っているんだ!」
「だって、あんた急にあんなやさしい素振りするんだもん、ちょっといけそうかなって思っちゃうじゃないか。ふうん、
あんたにはさっぱりそんな気はなかったわけだ、性悪のうえに誘い上手なんて油断ならないな!」
「な、なんだと! なんでおまえはいちいちそんなぱっぱとひとを侮辱することばが思いうかぶんだ、おまえこそ最悪
の性格をしているじゃないか」
「な、もっぺん言ってみろ!」
「ああ言ってやるさ! いくらでも!」
「あのー」
急に、ドアのむこうから声がしてぎょっとする。ふたりそろってがばりとそちらを見ると、エイラの声が扉はとざした
ままにつづけた。
「ひとの部屋のまえでそんな大声で痴話げんかされちゃサーニャがおきちゃうので、やめてください」
冷静な、いつもどおりの抑揚のない声がとんでもないことを言ってくれる。思わず私たちは息ぴったりにいっしょに
ぴきとかたまり、それから顔を赤くする。
「痴話げんかなもんか!!」
おまけにしっかりとユニゾンまできめてしまい、一寸の狂いもなくそろいまくったそれは食堂のほうまで見事に響いて
届いていた、などということは私は絶対信じない、断じて、信じてなどやらないのだ。
おわり