いちばん
早朝に、ノックの音。それから間をおかずにドアがひらく。トゥルーデだと思った。まだねむいよ。おこしにきたのだろう
訪問者の先手をとるけど、いつも朝からありえないほど声のおおきいトゥルーデが、きょうはなにも言わない。だんまりを
きめこんで、わたしが顔をあげるのをまっているみたい。へんなの、とぼんやり不思議に思って、それでもねるすき間も
ないくらいちらかったベッドのとなりの床でまるまったまま、目はあけない。トゥルーデにたたきおこされないとね、それこそ
朝のあいさつみたいなものだもん。
「話にはきいてたけど、ひどいもんだねえ」
そうやってのんきにかまえていると、急に声がした。聞き覚えのある声で、ただしいま聞こえるのはありえないはずの。
自分でもびっくりするほどいきおいよくうつぶせていたからだをおこすと、やっぱりそこにいたのは予想外にもほどがある
人物。
「あたしも片付けはきらいだけど、おまえにはかないそうにないな」
くっくとおかしそうに笑う、シャーリーがそこにいた。ドアのわきの壁によりかかり、腕をくんでわたしをながめている。
「え……なに」
「おこしにきたんだけどね。言われたよりはあっさりした起床だこと」
ゆっくりと、寝ぼけきった思考が冷静になってゆく。おこしにきたんだって。言われたんだって。なんで、と思う。おかしいよ、
なんでシャーリーがきて、トゥルーデはこないの。唐突にしずかな怒りがわいてきて、わたしはドアのほうからからだを
そむけて、わけがわからなくなっているベッドのうえにのっかってるものの一部を床におとして、かわりに自分のからだをのせる。
「わたしはいまシャーリーがとてもきらいなので、近づくのは危険です」
「おいおい、近づくのも、のまちがいだろ」
離れてても危ないよ、おまえは。たのしげに聞こえる声をシーツにくるまりながら無視する。でてってくんないかな。ぼそり
とひとり言をつぶやいて、それがあっちに届いていればいいと思った、だけどわたしは、絶対にむこうには聞こえない声量
しかつかわない。
「こら、二度寝は禁止だ」
「しらないよ、そんなの」
「しらないじゃない、ちゃんとおこさないとあたしがあとであいつにどやされちゃうじゃないか」
やれやれ、といったふうにシャーリーがぼやいて、なにげないそれは見事にわたしの逆鱗にふれた。もうふれまくったね。
気づかぬうちに、手元にあったなにかをつかんで投げていた。方向も速度も良好。ばふ、とまぬけな音がして、そのつぎには
ぱさと床におちる。よけようともしなかったシャーリーは、ぱちぱちとまばたいてから自分の鼻筋に命中した、いまは足元に
よこたわる枕を見おろした。
「……いやはや。枕でよかった。時計とかだったらいまごろ顔面が血まみれに」
「よく言うなあ。もしそうならあっさりよけてたくせに」
邪気にまみれた返答に、シャーリーがわずかにおもしろくなさそうな顔をする。それからやわらかい枕をひろいあげ、
ひょいとわたしになげてわたす。だけどそれは、受けとる気のないわたしの膝のうえで一度はねてから、また床におちる
だけ。かわいそうなやつ、どれもこれもシャーリーのせいなんだよ、あとでなでたげるから許してね。
「……あいつなんて、なれなれしい呼び方するなよ」
「なれなれしくはないだろ、べつにふつうだ」
「きらい、シャーリーなんて」
枕を見つめたまま会話した。まだ完全にはすっきりしていない頭にまかせて、失礼なことを言う。でも本音。だって、
だってシャーリーは。
「あのさ」
あっさりした声。同い年なのにずっとおとなびた声。逆にわたしは態度からなにからただのこども。見た目だって年より
おさなくみられてばかりだ。べつにどうでもいいことなのに、シャーリーのせいでそんなくだらない違いがいたいくらいに気
になる。
「べつにここにきたのはあいつ、……バルクホルンにたのまれたからとかじゃないぞ、言っとくけど」
わざわざ呼び名を言いなおして、シャーリーがわたしに近づいてくる。きょうはあたしがおこしたいって言ったんだ、
すごくへんな顔されちゃった。ばさばさと音をたて、さっきのわたしを真似てシャーリーがベッドのうえにスペースをつくり、
腰かける。わたしのとなり。そのあいだもわたしは枕ばっかりをながめていた。それはもう穴があいちゃうんじゃないかと
思うほど。だけどそんなことはないし、いつかは顔をあげなきゃならない。
「最初は、それは私の仕事だってね、きいてくれなかったけど。そんなにハルトマンをおこすのがすきなのかって言ったら、
そんなわけないだろうってさ。すなおじゃないんだ、そのうえ意地っ張りだから、あたしはまんまとやつの仕事をよこどり
できたわけ」
「なんでそんなことすんの?」
「そりゃあおまえ」
なんて不要な質問をする、とでも言いたげに、シャーリーが肩をすくめる。おまえに言いたいことがあるからさ、と、さも
迷惑そうな顔が言うのだ。
「こわいんだよおまえ。殺気とばすくらいならかまわないけど、最近は物理的な攻撃までしかけてくるじゃないか。ひとの
背中めがけて紙くずとか……小石とかな。そういうの投げつけるくらいなら、百歩ゆずってよしとするさ、だけどな、鉢植え
はさすがに危険だ、あんなの頭上からおとされてもしあたることがあったら、しぬぞ。あたしだって人間なんだぞ」
「だってシャーリーむかつく」
どんなにせつせつと語られても、かえすことばはそれだけ。実際それだけなのだ。ほかに言いわけなんて存在しないし、
したって言いたくない。シャーリーは泥棒だから、それっくらいされて当然なのだ。
「むかつくからひとをころしていいのか、いいわけないだろ」
「うえー。説教しにきたわけ? そんなのトゥルーデでたりてるんでけっこうです。そもそもあたらないようにやってるから
だいじょうぶだよ」
背をむけて、せまいベッドにまたもぐりこみながら言ったら、シャーリーがため息をつく。おまえはなにが不服なんだよ。
わかりきった質問が聞こえる。無視だ無視、もうこたえてなんてやるもんか。おやすみ、とだるそうな声をつくってでていく
ようにうながした。
「あたしばっかりがバルクホルンとセックスしてるのが気にくわないって?」
「…ふっ…結局自慢しにきたわけね」
それだというのに、やっぱり挑発にはのってしまう。頭までかぶせたシーツから目の位置までをはみださせて、にらんだ
さきではシャーリーがあきれた目で見おろしている。
「自慢なんかになるかね」
「じゃあなんだってのさ」
「おまえはさ、あいつとそういうことしたいわけ?」
「ノーコメント」
「……」
ふむ、とシャーリーがわざとらしい思案顔をつくる。それから急な動きでシーツをはがされて、ぎょっとしているうちに顔
の両側に手をつかれた。部屋の窓からは朝のひかりがさしこんで、それをさえぎるようにシャーリーの髪がゆれている。
仮定の話をしてみようか。にわかな展開にまばたきをするけど、シャーリーはよくわからない解説をはじめるだけ。
「壮大なね、もしもの話だ。絶対にありえないけど、もしそうだったらってこと。……おまえらが、ハルトマンとバルクホルン
が、両想いだったとしたらの話」
どきとした。にらむようにつめたくながめられて、それをなんとか見返してわたしはつぎのことばをまつことにする。ばさばさ、
と音がした。ベッドのうえからまたなにかがおちたみたい。ああ、またちらかった。片づけがたいへんだ、わたしがじゃないよ、
トゥルーデがさ。
「……もしそうだったとして、いまとなにがちがうんだろうね」
ひどくもったいぶったことば。まちくたびれて、それなのに全然腑におちない。
「どういう意味?」
「バルクホルンは、そう仮定したって絶対おまえに手をだす気はないってこと」
「な……」
「根拠の有無なんてレベルの話じゃない、あいつを見てればわかる」
言いかえすまえにつづけられる。すこしこわいと思った。なんでシャーリーが怒ってるんだろう。なんで、悪いはずの
シャーリーがこんなにこわくて、かわいそうなはずのわたしがこんなにおびえているんだろう。
「ハルトマン、おまえだってそうだよ。あたしとあいつがどうにかなりそうだってわかってて、おまえはただ指をくわえてた
だけ。あたしのことにらむひまがあったら、無理やりにでもおしたおしとけばよかった話だろ」
「なんだよ……なんだよそれ」
「それってプライド? 自分からいくのはいやだったって? それとも……意外だな、乙女心ってやつかい?」
にやといやらしい笑いをうかべられて、かっと頭に血がのぼる。咄嗟に手がのびて、その胸倉をつかんでよこに投げる
ようにふった。シャーリーは不意打ちの反撃に対処もできないで、そのままベッドからころげおちた。ばたん、という音と、
いでっ、というまぬけな声がひびく。
「……いたいよ、ハルトマン」
「シャーリーって、じつは性格悪かったんだ」
「おまえに言われるとちょっと否定したくなるな……」
「ねえ、そんなこと、言われなくてもわかってたよ」
もう見おろすやつはいないから、わたしは顔を両腕でおおった。
「トゥルーデは、わたしのこと絶対にそういうふうには見ないんだ」
「大事なんだよ、おまえが」
「……へんなこと言わないで」
「ほんとのことさ。なんだよ、しらなかった?」
ひょこ、とシャーリーの頭がベッドのしたからとびでてくる。打ったらしい後頭部をなでながら、きまりの悪そうな笑い方を
している。
「ごめんな、やつあたりしちゃった。バルクホルンってば、おまえのことばっかりなんだ。ハルトマンがハルトマンがってね。
そんな話しかしないくらい」
「……うそだよ、そんなの」
「まさか」
あたしは自分が得する嘘以外つかないよ。床にあぐらをかいて、シャーリーがやってられないと肩をすくめる。
「あんまり大事だからさ。そういうふうに見ようなんて、思いつきもしないんだ」
さとすように言いきかせるように、シャーリーはまるでルッキーニにするように、きっとわたしをながめている。だけど
わたしは、話をしているひとの顔を見れそうになかった。なんだよ、急に今度はやさしい声をだしちゃって。そんなの、
全然うれしくない、言ってることだって、全然、信じてなんかやらないんだ。シャーリーはわたしからトゥルーデをとった
悪者だから、絶対に。
「……うわあん」
「へ、は、ハルトマン」
なのに、なんでこんなに涙がでてくるんだろう。いままでトゥルーデに相手にされなくて悲しかったことなんて山ほど
あっても、ないたことなんてなかったのに。何回だっておしたおしたよ、それでどうにかしてやろうって思うのに、わたし
がなにをしようとしてるのかもわかってない顔するんだ、わたしと、そういうふうになるなんて、トゥルーデは想像も
できないんだ。それは本当に、わたしのことがどうでもいいからだって思っていた。それでどうして、こんなやつにわたし
のほしかった答えをもらわなくちゃならないんだよ。そうだよ、こんなの、なかずにいられるわけない。
「シャーリーなんてきらい。わたしにトゥルーデかえしてよ」
「ばか、話聞いてなかったのかよ」
「聞いてたよ、そういうふうに見てもらえたシャーリーの勝ちなんでしょ」
「ほらね聞いてない、だからさ、結局あいつのいちばんはおまえだって話をしてんじゃないか」
かえすもなにも、ずっとおまえんとこにいるよ、おまえの親愛なるトゥルーデはな。シャーリーが、言いにくそうな、
言いたくなさそうな顔で口をへの字にして、そしてぽかんとしてしまった私のみじかい毛先を爪でくすぐって、きっと
ぐちゃぐちゃになっている目じりを親指のはらでなでる。
「かわいい顔しちゃってさ。……みじかい間だけど、ちゃんと見てたよ。バルクホルンは、あたしのことなんかより
おまえのほうが、ずっと大事なんだ。いつかあたしのことをほうりだすことがあったって、おまえのことは絶対必死に、
はなさないよ」
「……なんで、そんなことないよ」
「ふ、なんだよ急に。なぐさめてくれるんだ?」
なぐさめているのはそっちじゃないか。本気みたいな顔をして、わたしのほしいことばをつくってるんでしょ、そう
じゃないと、困るんだ。だってトゥルーデは、わたしのことなんてどうでもいいはずなんだもの。シャーリーがふと身を
のりだして、寝そべるわたしにかぶさる。
「あいつは、ハルトマンのなまえをよぶときにね、目がすごく、おだやかになるんだ。たまにそれに気づいたら、
……たまらなく妬けるよ」
台詞とは裏腹に、シャーリーこそ不思議なくらいおだやかにわたしを見おろして、それはやっぱり同い年のもの
とは思えない。すごいと思った。シャーリーは、根っこから全部がやさしくて、一瞬だけ、トゥルーデにはもったいない
んじゃないかと感じてしまうほど。そう思いついてしまった自分が急にくすぐったくて、手をのばして目のまえのほほを
つねった。
「いで、なに」
「ねえ、トゥルーデは、シャーリーのことなんて呼んでるの?」
「は、なんだよ急に」
「だって気になる。わたしのまえでは、文句ばっかり言ってるよ、リベリアンのやつはありえない、信じられないって、
いっつもいらいらした顔してる」
「ああ…、そう。そうなの」
力のない笑顔をうかべて、ははとかわいた声で笑う。でもたまに、ちょっとたのしそうに、まったくしょうがないやつ
だって顔で愚痴を言うから、それはちょっとおもしろくないんだ。だから、それは秘密にしておこう。わたしはシャーリー
みたいに太っ腹じゃないから、言わなくていいことまで言わないの。
「ふたりのときもリベリアンなわけ、そんなことないよね」
「あー…、べつにどうでもいいじゃん」
勘弁してくれ、とシャーリーがお手上げのポーズをしてわたしからはなれてあぐらをかきなおす。わたしも身をおこして、
それからベッドのしたのすこしだけ照れた顔をした悪党を見おろす。あんまりおもしろい表情をしているからじっとながめて
いると、観念したらしいシャーリーが視線をおよがせてほほをかいた。
「えっと、まあ、しゃ、シャーロット? とか?」
目をあいかわらずそらしながらへらりとなんでもないような薄ら笑いで言って、だけどほほはピンクに染まっているのが
もうしわけないけどおかしくてしょうがなくて、あははって声あげて笑っちゃった。そしたらシャーリーは苦い顔でだまりこんで、
それでもやっぱり顔の色はおちないままだから笑いもとまらない。
「シャーロットだって。あっははは。想像しちゃった。トゥルーデがシャーロットって」
「おま、ひとが恥をしのんで教えてやったってのに」
信じられん、と顔を赤くするシャーリーを無視して、腹をかかえて足をばたばたさせて浮かれて、やっとおさまってきたころ
にもうひとつ質問。
「シャーリーはなんて呼んでるの?」
「べつに、ふつうにバルクホルンって」
「えー。トゥルーデってその呼び方あんまりすきじゃないのに」
「え…、そ、そうなの? でもみんなそう呼んでるじゃないか」
「そりゃあただの同僚からとか仕事中とかならそうだろうけど。わたしだってほんとはそう呼べっていつも怒られてるんだ、
無視するけどね」
「なんだよ、あいつそんなこと全然……あれ、もしかしてまえになんかぶつぶつ言ってたのって……」
なにやら思いあたることがあったのか、シャーリーが必死に記憶をたどろうと口元に手をやって考えこむ。それを見ながら、
わたしはどんどんたのしくなってきた。なんてことだろう、いままで自分勝手にいらいらしてて気づかなかったけど、トゥルーデ
のことをすきなシャーリーって、なんておもしろいのかしら。
「トゥルーデって呼べばいいじゃん。意外と気にいってるみたいよ、この愛称」
「え、いやそれは、ちょっとなあ」
「なんだよー。なにが気にいらないわけ?」
「気にいらないっていうか……」
一瞬だまりこんで、それからぽそとつぶやく。あたしが呼んでるのに、あたし以外のこと思いだされたらいやじゃないか。
そしてすぐに、失言したって顔で口もとをてのひらでおおう。
「はあ?」
「だ、だからあ。それっておまえや中佐の専売特許だろってこと」
なに言わせんだよ。シャーリーがうらめしげにわたしを見る。……えっとつまり、その呼び名はわたしやミーナしか
つかわないから、そう呼ばれたらわたしたちのことが思いうかぶんじゃないかって、そう言いたいのか。
「あは、なになに。シャーリーなにかわいいこと言ってんの。おもしれー」
「うっさいなあ。あたしはもとからかわいいの」
「あ、ごめんその冗談は笑えない」
気づいたら、普段どおりの軽口をたたきあっていた。最近はちょっとぎくしゃくしてたけど、本当は、わたしたちはけっこう
なかよしなのだ。だから、ちょっとずつ調子がもどってきてほっとした。それはきっとシャーリーもいっしょのはずだった。
だって、ちょっとふてくされてる表情のはしっこに、すこしだけ、うれしそうな色が見えるんだもの。
「さて、もういくぞ。朝食の時間もうすぎてる」
「えー、まだねむい」
「おいおい……」
シャーリーがたちあがり、それから思いついたように床にちらばったあれやこれをひろいあげる。
「あー。べつにいいよ」
「でもこのへんはあたしがベッドからおとしちゃったやつだし」
「いいってば。ここのそうじは、トゥルーデの仕事なの」
ふふん、と挑戦的に笑ってみせると、シャーリーはおや、という顔をする。それから肩をすくめて手にもったものをぽい
とすてた。だけど枕だけはこちらにひょいと投げかけて、わたしは今度こそそれをキャッチする。
「あーっそ」
それからつんとした表情をつくってひとりでわたしの部屋の出口へむかう。ドアをあけ、一歩ふみだしてから、シャーリー
はああそうだとふりかえった。
「きょうね、夜に、あたしの部屋にくるようにって約束してるんだ」
だれと、だなんて言わずもがな。なんだよ、いまさらそんなふうに挑発したって、全然きかない。そりゃあ、返事なんて
したくないくらいにはおもしろくなかったけどね。むっと口をとざしていると、シャーリーはなぜかまだつづける。
「……しかし、おまえのこの部屋はやっぱりきたなすぎるよ。今夜にでも、バルクホルンにてつだってもらってそうじしたら?」
「……」
は、と、シカトをするつもりだったのに声がでてしまった。なんだよ、いまさっき、きょうの夜はトゥルーデと約束してるって
言ったじゃないか。理解できないでいると、ふっとシャーリーがほほえむ。
「じゃ、さきいってるから」
さらには密かに華麗にウィンクまでされて、わたしは余計に混乱した。ひらりと手をふって、シャーリーがドアをしめる。
のこされて、わたしはやっぱり、首をかしげた。
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ノックの音。そのつぎにはハルトマン、と、本当は朝のいちばんに聞くはずだった声。ぎくりとしていると、ドアは勝手
にひらいてしまう。
「なんだ、おきてるじゃないか」
「……トゥルーデだ」
シャーリーがでていってからほぼ間をおかずに、今度は本命が登場した。あんまりおそいからむかえにきたんだ、
そしたらすぐそこでリベリアンと会って、自分じゃ手におえないからとまかされたんだが。聞いてもいないのに説明を
して、それからトゥルーでは腕をくむ。
「おきているならはやくこい。もうそろってないのはおまえだけだぞ」
「……」
なぜか頭がはたらかなくて、いつのまにかそばまできていたトゥルーデをぼんやり見あげ、するとくいと腕をとられる。
だけどわたしはたとうとしないで、かわりにわたしも腕をつかんでいた。
「エーリカ?」
トゥルーデが、思わずというふうにわたしのなまえを呼ぶ。それから怪訝そうにまばたきをしていて、だけれどやっぱり
わたしはなにも言えそうにない。しばらく見つめあってだまりあって、それがすこし気まずい。
「……フラウ?」
ふと、ベッドにすわりこむわたしの視線にあわせるようにトゥルーデがかがんで、そしてつかみあった腕をゆする。
どうしたんだって、いつものぶっきらぼうじゃない動きでたずねられて、わたしはそれからやっと涙のあとがのこって
いやしないかと不安になって目もとをぬぐった。うれしなきだったんだぞ、へんな誤解をされたら困るじゃないか。
「……なんでもない」
「そうか」
あんまりあっさりと、トゥルーデは顔をはなれさせる。まって。思わずつぶやくと、じゃあはやくたてとそっけなく言われる。
そういうことじゃないよばか。ちょっとむかついて、さっさと背中をむけてあるきだしてしまったトゥルーデに体当たりをする。
「っわ」
思いっきりぶつかったのに、トゥルーデはたおれない。それが無性にうれしくてそのままだきついて、すると首を
まわして、肩ごしにやれやれって顔をされた。
「……。トゥルーデー」
「なんだよ」
「わたしの部屋、きたないでしょ」
「…、ああ」
なにをいまさら。そう言いたげなつぶやきをききながら、わたしはこくとつばをのむ。シャーリーの言うとおりに
してやるんだ。
「……だからね、きょうの夜に、そうじするのてつだって」
一生懸命いつもどおりの声をつくって、なんでもなく甘えてみせる。そしたらトゥルーデはだまっちゃって、わたしは
すっかり不安になって、……。
「なんだ、どうした。頭でも打ったか」
だけどつぎにはだきついていたからだをがばりとはなされて、肩をゆすられてぎょっとする。このフラウが自分から
そうじの話をもちだすなんて。この世のおわりでも見てる顔が目前にあって、思わずほほをふくらませる。
「なんだよそれー」
「いやだって……いやいや。なんでもない。そうか、そうじ。やっとその気になったか。わかったてつだおうじゃないか、
だがな、いいか、私はあくまでてつだいだ。メインはおまえだ、わかったか、おまえが、ちゃんとそうじをするんだ」
うれしそうに言いきかせ、だけどつぎの瞬間にははっとしたようにかたまる。今夜。ぼそりとつぶやいて、わたしも
シャーリーのことばを思いだす。約束。トゥルーデはめったなことじゃ約束はやぶらないんだ。
「……用事あるの?」
想像できるトゥルーデの答えがまちきれなくてたずねて、それなのにおどろくことに、トゥルーデは首をよこにふった。
「いやなにも。すこぶるひまだ。仮に用事があったとして、どうせくだらないことだ」
「……」
なに言ってんだろうと思った。くだらないって、なんだよ、トゥルーデにとってはシャーリーはくだらないのか。そしてわたし
のそうじのてつだいは、約束をやぶってしまえるほどにめったなことなんだ。大事なんだよ、おまえが。ふと、シャーリーの
台詞がフラッシュバックする。やさしいシャーリーの気づかいのはずのそのことばが、いま現実になって目のまえにあった。
シャーリーはほうりだしたってわたしのことははなさないって、これもきっと、本当なんだ。
「……えへへ」
ちょっとだけなきそうになった。そうかわかった、わたしはうれしかったらないちゃうんだ。だからわたしはいますっごくうれしくて、
しあわせなんだ。だから一生懸命笑う。そしたら、トゥルーデだってぽんと頭をなでてくれる。
「ねえ、手つなぎたい」
「はあ?」
返事のまえに手をとって、指に指をからめてやっと部屋をでた。ドアをしめててのひらに力をこめて、するとトゥルーデがため息
をつく。
「なんだ、きょうは露骨に甘えたがりだな」
「きょうはって、いつもはかくれて甘えたがりみたいな言い方」
「ちがうのか」
すこし困った顔で、そっとにぎりかえされてどきどきした。トゥルーデはずるいんだ、わたしのことをただ大事に思ってるってだけで、
わたしをこんなふうにできる。かわいそうなシャーリー。ごめんね、トゥルーデのいちばんをゆずってあげられなくて。
「……おい」
「なあに?」
「そろそろ、食堂につくんだが」
「だから?」
「だからって、あのなあ……」
はなせ、と言わんばかりに手をゆすられたけど、わたしは無視して、むしろ逆に腕にからみついた。こら、ハルトマン。トゥルーデが、
しかる調子でささやいた。あのねトゥルーデ。わたしは、フラウって言われるのもエーリカって言われるのも、ハルトマンって呼ばれる
のも。トゥルーデの声ならうれしいんだ。だからそんな怒った顔で言ったって、全然無駄なんだぞ。
「見せつけてやろうぜい」
「なにをだ……」
ぎゅっと、腕にくっつく力をつよくする。もちろんみんなにさ。だけど主には、トゥルーデに今夜の約束をドタキャンされるかわいそう
なひとに。どんな顔するかな、怒るかな、わたしにいらないことを教えたって後悔するかな。そしたら、ひと言くらいはごめんねって
言ってあげよう。だってわたしがいる限り、シャーリーはトゥルーデのいちばんにはなれないんだもの。
おわり