学園ウィッチーズ 第16話「うそつき」
学園の教官用化粧室にて、ジュゼッピーナ・チュインニは、鏡を前にして、髪を弄ったり、かぶっている帽子の位置を決めたりと身を整える。
「よし」
と、意気込んで目を輝かせる彼女の背後で個室のドアが開き、縦巻きロールの金髪を揺らしながらアホネンが隣に立って手を洗う。
「随分気合が入ってるのね、チュインニ教官。まだあのリベリオンの生徒にご執心なのかしら」
アホネンの目が怪しく光る。チュインニは動じず、幼い顔つきには似合わない妖艶な眼差しでふふと笑う。
アホネンは彼女の心のうちを読み取ったのか、はたまた、にじみ出る何かに気がついたのか、水を止めて髪をかき上げた。
「同業者として忠告いたしますけど、無理強いはいけなくてよ」
「"いもうと"中隊率いていた人には言われたくないですねぇ」
「あら、心外ね。すべて合意の上よ」
二人はお互いににじり寄り、不敵な笑みを向け合わせる。
次の瞬間、きぃと背後の個室のドアがきしみ、隙間から、メガネが光る。
二人は、振り返って、背筋を伸ばした。
個室から、ハッキネン主任教官が、颯爽と出てきて、彼女たちの間を通って、手を洗い始める。
チュインニとアホネンは視線と表情をくるくる変えて、言葉を発さずに掛け合う。
水が止まり、二人は恐る恐る、振り返る。
ハッキネンが、かつっとかかとを鳴らして、くるりと振り返り、メガネを持ち上げた。
「生徒との……、過度のスキンシップはご法度ですよ」
メガネの奥の冷たい視線射抜かれて、チュインニとアホネンはなぜか敬礼までしてしまう。
「しょ、承知いたしました!」
格納庫にて、シャーリーは整備のために外装を外し、むき出し状態になった自身のストライカーを前に、膝をついたまま、手が止まる。
いつもなら目をつぶってでも整備できるのに。
シャーリーは、唇を噛み、手にある工具を強く握り締めた。
「シャーリー!」
と、明るい声がして、振り向くと、ルッキーニがひょいひょいと飛び跳ねながら、近づいてくる。
シャーリーは、何とか笑顔を向けようと努めてみたが、糊でも貼り付けられたかのように、表情は固いままだった。
ルッキーニは、シャーリーの隣にしゃがみこむと、八重歯を見せ、笑う。
「お昼休み、眠れた?」
「え?」
「朝、寝不足だって言ってたじゃん」
シャーリーは、朝に咄嗟についた嘘を思い出し、そしてまた嘘を重ねた。
「あ、ああ。眠れたよ…」
「良かったぁ。ちゃんと眠らなきゃ大きくなれないぞー」と、ルッキーニは冗談ぽく言い、シャーリーの髪をくしゃくしゃと撫でる。
シャーリーは、些細であるとはいえ、自分の嘘をあっさり受け入れるルッキーニに、申し訳なさを感じ始め、今度は、嘘にならないよう言葉を選び、慎重に伝えた。
「なあ、ルッキーニ。今日は、その……、気合入れて整備したいから、一人にさせてくれないか?」
ルッキーニの、わずかに釣り上がった目が、じっとシャーリーを見つめ返す。
シャーリーは、見透かされないよう、顔を背け、工具箱に手を突っ込み、がちゃがちゃと気を紛らわすように、工具を選ぶふりをした。
ルッキーニは、立ち上がって、何か言いたげに自分の手と手を握り合わせて、ちらとシャーリーを見た。
「ねえ、バルクホルンとミーナ先輩がどうかしたの?」
シャーリーの固まっていた表情が驚愕の装いを見せて、ルッキーニに向けられた。
しまった、とシャーリーが思ったときには、ルッキーニは口を開いてた。
「シャーリーは……、あの二人が仲良いのが面白くないの?」
「違う!」
立ち上がると同時に放たれた突然の大声に空気がびりりと揺れ、ルッキーニは、初めて見るシャーリーの様子に、たじろぐ。
シャーリーは、大きく息を吐いて、前髪をぎゅっと握る。
ルッキーニは、つばを飲み込み、恐る恐る、わずかに声を震わせながら、手を伸ばした。
「ねえ、シャーリー、つらいことがあるなら全部話してよ。嘘は……、嫌だよ」
私だって嫌だよ、とシャーリーは言おうとするが、喉が詰まったかのようになって、言葉を失う。
ルッキーニの手が、シャーリーの服のすそをぎゅっと握った。
「シャーリー…」
「……子供に話してもしょうがない」と、シャーリーは自分でも驚くほど低い声で突き放すようにつぶやいた。
「子供じゃないもん」
「子供だろ! わかりっこない……、今の私の気持ちなんて」
ルッキーニは今にも泣き出しそうな様子のシャーリーに気づき、怒りを鎮めて、握った服の裾を引き寄せるが、シャーリーは、つい、その手を振り払う。
ルッキーニは、しりもちをついて、シャーリーをおびえた表情で見上げる。
「何をしてるの!」
シャーリーが顔を上げると、ちょうど格納庫にやって来たチュインニが驚いた表情で、二人を見つめていた。
シャーリーは、視線を落とし、ルッキーニの表情で我に返ったが、後ずさって、逃げるように格納庫から出て行くと、格納庫のすぐ横に置いていたバイクに飛び乗り、学園の敷地を後にした。
化学室にて、窓際にもたれたビューリングは無意識に、タバコを咥え、マッチを探す。
そばでフラスコ内の液体を見つめていたウルスラが、実験器具越しにビューリングに顔を向けた。
「ここ、禁煙」
「……そうだったな」
ビューリングは咥えていたタバコをポケットに押し込む。
ウルスラはまたフラスコに視線を戻し、レポートを手早くまとめていく。
ビューリングは、彼女の一挙手一投足を仔細に眺めながら、どう話を切り出すべきかと悩み始める。
――ウルスラが相談なんてありえないから、わかんないねー
陽気な同僚の声が頭をかすめ、ビューリングは思い切って聞いてみた。
「最近、研究に没頭してばかりだが……。なにか嫌なことでもあったか?」
「ない。研究は私のライフワーク。没頭してるわけじゃない」
「それならいいんだが、せめて自分の部屋のベッドでゆっくり眠るべきだ。体に障る」
「自分の事は自分がよく分かってる。問題ない」
ウルスラの言葉に反応を示したのか、ビューリングは窓から離れ、彼女に近づき、腰を折って、顔を覗きこんだ。
ウルスラは、しばらく見つめられるままになって、耐え切れなくなったのか、ぷいとそっぽを向く。
ビューリングは体を引き起こした。
「うっすら、クマができてるぞ」
「たいしたことじゃない」
「本当に頑固だな……、お前は」
「自分こそ」
「これでもだいぶやわらかくなったつもりだ。お前の姉ほどではないが」
と、ビューリングはわずかに冗談めかして言ってみる。
ウルスラは、わずかに反応を示したかのように、肩をピクリと動かし、また、実験器具に手を伸ばし、レポートを続きを書き始める。
やはり姉がらみか、とビューリングは確信して、レポートの上に手を置いた。
「……なぜ、エーリカを避ける?」
生徒会室にて、エーリカは、山積みになったサイン済み書類を見てにんまりと、誇らしげに腕を組んだ。
「よし、終わった。たまにはミーナやトゥルーデの役にたたなきゃね~」
鼻歌交じりに処理を終えた書類をまとめ、時計を見上げると、エーリカはどうしようかなといった顔つきで迷いを見せた末、生徒会室から出て行き、鍵を閉めた。
バスから降りたミーナは、さっそく目の前にある病院へと入り、ゲルトルートの病室へ向かった。
ドアをノックし、返事を待つが、なかなか返ってこないので、静かにドアを開け、部屋の様子を見ると、足音を立てないように慎重に部屋に入る。
ゲルトルートは、直立不動のまま、仰向けでベッドに体を預け、寝入っていた。
幼い頃から、彼女の寝相のよさを知っているミーナは、いまだに変わっていないその寝姿にこみあげる笑いを抑える。
ふいに、愛おしさを感じ、髪でも撫でようと手を伸ばしかけるが、まったく崩れそうにない寝顔を壊してしまうのも気が引けて、
代わりに花瓶に挿された花に触れ、しおれていることに気づくと、いったん病室から出て行った。
ウルスラは、ビューリングがレポートの上に置いた手に自分の手を重ね、どかせようとする。
ビューリングは手に力をいれ、させまいとし、言葉を浴びせた。
「エーリカが嫌いなのか」
ウルスラはほんの少し、眉間にしわを寄せただけで、答えない。
「……じゃあ、好きなんだな?」
「違う!」言い聞かせるように、ウルスラはいつもより声を張る。
自分の声の大きさに驚いて、ウルスラはビューリングをじっと見つめた。
その頬はわずかに染まっている。
ウルスラの声に驚いたエーリカが、ドアを開けた瞬間、ウルスラは、いつもの平静な表情を取り戻し、エーリカに一瞬だけ視線を移した後、ビューリングを見上げた。
「私が……、好きなのはあなた」
こういった告白に慣れていないビューリングは、ほんの少し、頬を熱くするが、ドアを開けて、固まったままのエーリカにすぐに顔を向けた。
「おい、エーリカ、誤解するな、これは…」
「あは、ごめん。お邪魔だったかな」
「茶化すな。誤解するなと今言ったばかりだろう」と、弁解するビューリングの腰の手を回し、ウルスラは少しぎこちなく、体を寄せる。
エーリカは、口元に何とか笑顔を保ったまま、じゃあねとだけ言い残し、ドアを閉めた。
ウルスラはビューリングの体に寄せた顔をずらしてその様子を見届け、また彼女の体に顔を埋める。
ビューリングは、突き飛ばすわけにも行かず、ウルスラの片方の肩に手を置いて、精一杯の抵抗を示した。
「おい、どういうつもりだ」
「私のこと、嫌い?」と、ウルスラは顎を引き上げる。
「嫌いなわけないだろう。かといって……その……」
「好きでもない?」
「いや……、興味深い奴だとは思う。だが、こんなのは…」
しどろもどろになるビューリングに、ウルスラは珍しく笑い出しそうになるが、表情をなんとか守りきり、さきほどまでエーリカがいたところをちらりと見やると、ビューリングにも聞こえないほどの、小さな声で、つぶやいた。
「……これで、いいの」
格納庫で、ふさぎこんで顔を上げようとしないルッキーニに、チュインニはため息をついて、頭をかいた。
「ほぉら、ちょっとケンカしたぐらいで落ち込まないの」
「落ち込んでないもん」
と、ルッキーニは顔を伏せたまま、言い返す。チュインニはつっこみたい気持ちを抑え、同じ国の出身であるだけに、そうたやすく無下にするのも憚られる後輩の頭に手を載せ、慣れない手つきで撫でる。
ルッキーニは、がばっとチュインニに抱きついた。
「シャーリーの傷、広げちゃった。最低だよね…」
「……傷の詳細はわかんないけど、悪いと思ってるなら、きちんと向き合って、助けるとこは助けなきゃ」
チュインニはまんざらでもないといった表情で、猫の背を撫でるように、ルッキーニの体をさするが、次の瞬間、彼女の手が、チュインニの胸に重ねられた。
「……物足りない」
チュインニは、その一言に青筋を立て、ルッキーニの頭にゲンコツを振り下ろす。
うにゃあ、という悲鳴ともつかないルッキーニの声が格納庫に響いた。
シャーリーはバイクを駆りながら、ぎっと歯を食いしばる。
不可抗力であったとはいえ、ルッキーニまで巻き込んでしまった。
ルッキーニにまで見破られていた、ゲルトルートに芽生えた――芽生えてしまった想い。
さきほどのおびえたルッキーニの表情が焼きついて、離れない。
これ以上、嘘はつきたくない。
行き場を失った思いが、体を、頭を駆け巡り、シャーリーのバイクは、気がつけば、病院へとたどり着いていた。
シャーリーはヘルメットを取り、髪を整えると、すっかり険しくなっていた表情を緩めるために、自分の手を頬にぱしんと当て、ゲルトルートのいる病室に向かった。
学園ウィッチーズシリーズ 第16話 終