in my eyes. in her eyes.
自分がいなくなっても誰も憶えていてくれないことを寂しいと思うのは私だけだろうか
誰かに憶えていてもらうにはどうすればいいかなんてこと、私は知らないけれど
あなたは、どう?
『in my eyes. in her eyes.』
ずっと一人だった。物心ついた時には、私はコヴェントリーの小さな孤児院にいて
そこにやっと馴染めそうだった頃には、ウィッチの適性を見込まれて軍へと呼ばれることになっていた。
右も左もわからないまま、軍学校出身のエリートウィッチに囲まれて、
私はそこに居場所を見つける事だって、まるで出来なかった。
ため息ばかりの毎日。
多分、そんな時だった。私があなたと逢ったのは。
ファラウェイランド出身の変り種。人と関わろうとさえしなくて、誰がどう見ても一人浮いていた。
だからかな? 私はちょっと声を掛けてみたい気になったのも。
幾度かの会話を挟んで、私たちは少しだけ気を許しあえるようになった。
口の悪い人は、あの子と一緒にいるなんて変わってるね、とも言ったけど。
それも気にならないくらい、私たちは不思議と気が合った。少なくとも私はそう、思ってたよ?
門限を破って、揃って始末書を書かされたり、営倉に入れられたりするのもしばしばだった。
それもまだ、平和だった毎日のこと。その毎日に、後から考えれば戻ることのない変化が訪れたのは、
ブリタニアにようやく熱い夏の日差しが見え隠れするようになった頃。
私たちの部隊は中欧、オストマルクへの派遣を告げられた。
ほんの半年の持ち回りのはずだった。
そんなこと思いもしなかったから、ネウロイが突如侵攻を始めた時、私たちの誰もが動揺を隠せなかった。
でも、これは機会だ。誰が一番優秀なウィッチであるか、それを証明するための。
どうすれば、それを証明できる? 簡単なことだ。ネウロイを最も多く落とせばいい。
あなたは言った。私が一番優秀だ、と。
私は言い返した。私があなたより多く落としてみせる、と。
私は、他に自分を示す方法なんて知らなかった。
もし、私があなたより多く落としたとしたら、あなたは私を憶えていてくれる?
あなたが2機落とせば、私は3機。私が3機落とせば、あなたは4機。
私たちは必死だった。作戦行動から外れて、隊長に叱責されることもあったけど、
それ以前に作戦自体がほとんど機能してはいなかった。
ネウロイは巣から溢れ出す蜂のように無数に現れて、抗しきれなくなった私たちは敗走に敗走を重ねた。
オストマルク防衛の生命線であるブダペストとプレスブルグのリンクはあっさり断ち切られ
支えを失った私たちはウィーンまで後退せざるをえなかった。
ウィーンを失えば、カールスラント国境に近いリンツまで下がらなければならない。
それはオストマルクがネウロイの手に落ちることを意味している。
でも、ウィーンを守りきる事が出来ないのはもう誰の目にも明らかだった。
オストマルク軍はすでに体をなしてはおらず、私たち国際ネウロイ監視航空団もそれは同じだった。
ブリタニアから一緒に来たウィッチもその数は半分になっていた。
ウィーンでも私たちは必死に抵抗したけど、結局10日の後、上層部はウィーンからの撤退を決めた。
人々がカールスラントへの避難を終えるまでの3日間、ウィーンを死守すること。
それが私たちへのオストマルクでの最後の命令となった。
少女たちはその命令を泣きそうな表情で聞いていた。そんなこと、出来るわけがなかった。
命令が下った昼から、私たちには半日の休暇が与えられた。
それを楽しむ余裕なんてありはしなかったけど、私はそれでも街に出ることにした。
別にいい、と素っ気無く断るあなたの手を無理矢理引っ張って。
街には内陸のオストマルク特有の少し冷たい秋風。避難がすでに始まった街はいつもより静かな風に思えた。
私が向かったのは街の外れの小さなホール。
ウィーンに集う才能豊かな音楽家の卵たちがその才能の一端を覗かせる、そんな場所。
彼らも明日にはウィーンから避難することになるだろう。その紡ぐ音もどこか寂しげに聞こえた。
中でも一際若い、というより幼い少女が目に留まった。あなたと同じ銀の髪。
私はあんな小さい子もいるんだね、と言ったところで、あなたのその瞳が興味を惹かれたように
その少女を追っているのに気づいて、私は少しくやしい気分になった。
私にはそんな瞳、見せてくれたことなんてなかったのに。
弾かれているヨハン・シュトラウスが、
華やかなはずのウィンナワルツが冷たいほど透明で、私たちはもうなにも言えなくなっていた。
夕暮れの街を二人並んで歩いた。自分よりだいぶ高いあなたの横顔を私は見上げるように見つめていた。
綺麗な長い銀髪が風に揺れて、含んだ匂いが私の心を狂わせる。
横を沿って流れるドナウ川はやっぱり青かった。美しく青きドナウ。
この青が少女たちの血でまた染められることを知ったら、ヨハン・シュトラウスはどう思うだろうか。
あなたは何も言わなかった。私は何かを言おうとしたけど、やっぱり上手くいかなかった。
言いたいことは一杯あったはずなのに。
夕暮れの赤が、少しずつ漆黒に飲み込まれていく。私は最後の手段を、とそう決心する。
それは手段とは言えないかもしれない。むしろ、禁じ手だ。
沈む夕日を背に追いやって、私はあなたの正面に回りこんだ。ヘッド・オンでエメラルドの瞳を捉える。
ジャケットに隠されてほんとはずっと華奢なその肩を両手で抑えて。あなたの瞳に私のそれが映り込んだ。
視線が絡んで、ほどけるまでの僅かな間。触れるように口唇に口唇を重ねる。波の音だけがざわめいていた。
それはほんの一瞬だった。
離すと急に恥ずかしくなって、私は照れを隠すように反対を向いた。
私は、あなたのこと―――― そう、言いかけて、最後まで言えなかった。
二人の間を割るように急を告げるサイレンが、街に鳴り響いた。
夜を迎えたウィーンの空に銃声がこだまする。
編隊の連携はネウロイの数に任せた攻勢で、あっという間に引き裂かれた。
どこに味方のウィッチがいるのかさえ確認できなくなり、目の前の1機を振り落とすので精一杯になる。
3機まで片付けたところでやっと開けた視界に映ったものは、思わずそのまま目を背けたくなる惨状だった。
多くのネウロイに絡みつかれ、ぼろ布のように墜ちてゆく少女たち。
ヘッドセットに隊長の焦った声が降ってくる。残ってる人は集まって、このままだとっ。
私はそれに短くはい、とだけ返して、確認しようとあなたに呼びかけたけど、でも返事はまるでなかった。
あわててあたりを見回して、そして少し離れた位置にあなたがもう諦めたように銃口を下ろすのが見えた。
私は弾かれたように飛び出していた。魔力を受け止めきれないハリケーンが悲鳴を上げる。
もしかしたらそれは私自身の悲鳴だったかもしれない。
ぎりぎりで射線に割り込んだ次の瞬間、魔力シールドが打ち込まれる弾丸で木の葉のように削られていく。
集中が維持できなくなって綻んだシールドの隙間から弾が次々と喰い込み、痛みはすぐに灼熱に変わった。
反撃しようとして、構えた銃をにぎる右手の指が弾かれ、私はそれを取り落とした。
もう気力も魔力も残ってはいなかった。シールドがあっという間に吹き飛ばされる。
背後で叫ぶ声が聞こえた気がして、私はぎゅっと目を閉じた。
最後に見るあなたが泣いているかもしれないなんて、そんなこと考えたくなかった。
ねえ、確かめておいて。私、あなたより1機多く落としてるんだよ?
ふらふらと身体と意識が墜ちてゆく。もうあなたの声も聞こえなかった。
――――もしも、もしもあなたに一つだけ願えるのなら。きっと最後まで連れて行ってね。
私の記憶を、あなたの未来に――――。
fin.