ぐるぐる書かれた赤い丸


「お誕生日おめでとう、サーニャ」
「おめでとね、サーニャちゃん」
 小さな私の前にかがみ込み、お祝いの言葉をいっていく人達。親戚の人やお父様のお友達など、たくさんの大人の人達。
 みんなが声をかけてくれるのが恥ずかしくなって、私はお父様の後ろに隠れる。
「──ちゃんとお礼言いなさい」
 私の頭を撫でながら、お父様はやさしく私を横に立たせた。私はお父様と並んでお辞儀をしながら、小さな声でお礼を言った。

 私がまだオラーシャにいた頃、私の誕生日には、お父様とお母様が、お友達を招いてパーティを開いてくれていた。
 いつも使っているリビングは、色とりどりの紙と電灯で飾られ、戸棚の上に小振りのバラの花束とラッピングされたプレゼント。テーブルの上にはケーキとピロークのお皿。
 お父様のお友達は音楽が好きな人たちばかりだったから、部屋にはずっと、誰かの奏でる音楽が流れていて。部屋の隅には、もちろんピアノが置かれていて。お父様と私が連弾を始めると、みんながわっと声を上げた。

 手拍子と歌声。揺れるろうそくの火。じゃれ合うような二つの旋律。

 平和だった時代。私のとても大事な思い出。


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「サーニャの誕生日って、いつダ?」
 それは入隊してしばらく経った頃。私のベッドの上でタロットをいじりながら、エイラが聞いた。
「え……?」
「あー。待ってちょっと待っテ」
 同じくベッドに寝転んだ私が答えようとすると、手を前に出して、私を止める。
「占ってみるカラ」
 そう言って、エイラはぶ厚いタロットの一組を取り出し、それをベッドの上に広げ始める。切ったカードを並べて、やがて二枚のカードを取り上げた。
「……4月のはじめ。ソウダロ?」
「違う。8月18日」
「エー?」
 取り上げたカードを見直して、エイラはちょっと残念そうな顔。
「そっかー。まだ先ダナー」
 ベッドの上に転がり、寝ころんだまま首を私の方に向ける。
「お祝いしようナー。一緒に」
「……どうして?」
 私が聞き返すと、エイラは不思議そうな顔をした。
「どうしてって……そういうもんじゃナイカー……?」
「そうかな……」
 私はお気に入りのぬいぐるみを抱きよせる。

 私の生まれた町がネウロイに占領されてから、もうずいぶん経つ。
 故郷に戻れなくなった私はそれから、養成学校で短い訓練を受けて、オラーシャの陸軍に入った。
 そこにいた人たち。その人達はみんな、故郷を離れてそこに来ていた。
 思い出の残る街を、もう見ることはないかも知れない。そんな思いを抱えて戦っていた。みんななんだか、とても必死だったし、その気持ちは、私にもとてもよく分かった。

 同じ年代のウィッチがいなかったこともある。私の魔法が夜間の偵察にとても向いていて、一人で作戦に出る事が多かったこともある。
 でも、そこにいた人はみんな難しい顔をしていて。難しいことを話していて。

「……みんな、戦っていたもの」

 私が余計な事を言って祝ってもらうわけには行かない。毎年、そう思っていた。

「そっかー……」

 私の言葉を聞いて、エイラはベッドの上に座り直す。口を尖らせて横を向きながら、何かを考えている。
 多分、私の短い言葉から、私の言いたかったことを、一生懸命汲み取ろうとしてくれているんだろう。エイラはいつも、そうする人だ。

 そんなエイラの顔を見るといつも、私の言いたいことがどれだけ伝わったかどうか、不安になる。
 でも同時に、余計な事を言うべきじゃなかったかな、という後悔も一瞬、胸をかすめる。
 エイラがそんな事を気にする人じゃないのは分かっているけれど、もし私が言おうとした事を笑われるんじゃないか、ついそう考えてしまう。
 伝わらないのは悲しいけれど、伝わってしまうのも怖い。そんな私の臆病な癖。
「んー……」
 でもエイラは、そんな私の気持ちに構わず、口を尖らせて何かを考えている。
 そして、手を伸ばして、怒ったようにも泣きそうにも見える顔のまま、乱暴に私の頭を撫でた。

「──バカ。そういう時こそナー、楽しい事を優先した方がいいんダゾ?」
「そうかな……」
「そうだって。お祝い事はたくさんあった方が、祝う方も楽しいんダ」
「……」
 思わず、そうかな、と繰り返しそうになって私はためらう。
 多分、エイラがそう言うのは、彼女が祝ったり祝われたりが、当たり前だったから。一瞬でもそう思ってしまう事がいやになる。
 エイラは何も悪くない。うらやましいと思ってしまう自分が悪い。そして私は何も言えなくなる。いつもそうだ。

 そんな私を見て途端に不安になったのか、エイラはおずおずと私に尋ねた。
「……サーニャは、誕生日祝われるのイヤカ?」
「──」
 私はあわてて首を振る。そんなひと、いる訳がない。
「……だったらいいじゃナイカ。そんな日ぐらいは、わがままになっていいんダ」
「……」
 私はぬいぐるみに顔を埋める。いつもと同じ、柔らかい手触りとにおいを感じ取る。
 私だって、誕生日は好きだった。一年に一度、おめでとうと、みんなが自分のために言ってくれる、その日がとても楽しみだった。そのことを言いたかった。
 でも、それを言い出せなかったのは、多分私のせいで。
 でも、祝って欲しくないなんて事、あるわけがなくて。
「サーニャ……?」
 何も言わなくなった私を見て、エイラが不安そうに聞く。
 あの、と前置きをして、エイラは話し出す。
「……サーニャのことが好きな人なら……お祝いしたいって、みんなそう思うんだよ」
 だからいいダロ……?、とうかがうようなエイラの声。
「…………うん……」
「ヨシ」
 ためらった末に顔を上げて、私が返事をすると、エイラはぱっとうれしそうな顔をした。


「──そだ。書くもの、アルカ?」
「? なに?」
 私が赤いペンを渡すと、エイラはカレンダーをめくり、何事かを書き込んだ。
「……ヨシ」
 めくり上げられたカレンダーを覗き込むと、8月18日の所に、これでもかと言わんばかりに、ぐるぐると書き込まれた赤い丸。
 その側に、多分スオムスの言葉で、何か書かれている。
「──どういう意味なの?」
「ん? ”サーニャの誕生日”。そのまま」
 これで私も忘れないダロ? と、エイラは、悪戯っぽく笑う。
「……」
 真新しいカレンダーの上、そこだけ乱暴に、ぐるぐる書かれた赤い丸。私の誕生日の上に、付けられた印。

「……なんで……」
「あ……。ひょっとして、嫌ダッタカ?」
「そうじゃない……」
 ……。
 ……私が嫌がってるんじゃないかって、心のどこかでまだ、勝手に怖がってるくせに。
 なんでこの人は、私がためらっている事をあっさり越えてしまうんだろう。私の言いたいことを、すくい取ってしまえるんだろう。

「…………サーニャが、生まれてきた日だカラナ……」
 カレンダーを見つめていると、私のすぐ横でエイラの声がした。
 顔を向けた私と目が合うと、エイラはぷいっとそっぽを向けてしまう。胡座をかいて座り、指先でシーツをいじって、エイラは何かを言おうとしている。
「……この日があったから……」
 その手元を見ていた私の耳に、とても小さな声。エイラはシーツをぎゅっと握りしめた。
「……この日があったから……私はココデ、サーニャと一緒にいられるんダゾ……」
 最後の方はとても小さな声で。それでも私に聞こえるように、エイラが言う言葉。
 優しくて照れ屋で、時々ひどく臆病なエイラの言葉。
「……」
 そんなエイラを見るのが恥ずかしくなって、ぬいぐるみを抱いたまま、エイラと背中合わせになるようにして座る。
「さ、サーニャ?」
 背中をちょんとくっつけると、エイラがぴくりと震えた。逃げたくなりながら、私は口を開く。
「………………。
 ……ありがと」
 蚊の鳴くような小さな声で、それでも、伝わるように。強く思いながら私は言う。
 あなたがそう言ってくれたこと。そのことがとてもうれしい。少しでもその気持ちが伝わるように、私はエイラに背中を寄せる。

 背中だけをくっつけたままで、私達の間に長い沈黙。
 やがてエイラの、……ん、という返事が、私の耳に届いた。


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 夜間哨戒を終えて、眠い目をこすりながら、部屋に帰ってきた。今日はちゃんと、自分の部屋に。
 服を脱いで、ベッドの上に上がる。縁のパイプごしに手を伸ばし、「7」と書かれたカレンダーを、一枚めくった。
 その下から現れる8月のカレンダー。その上に、見落とし様の無い赤い丸。添えられた言葉は、エイラがその後、読み方を教えてくれた。

 ぬいぐるみを抱きながらベッドに寝ころび、カレンダーを見あげる。
 真新しいカレンダーの上に、乱暴で不格好な、ぐるぐる書かれた赤い丸。
 ぶっきらぼうでひどく照れ屋で、すごく優しいあの人が、私のために付けてくれた印。

 私の誕生日を、喜んでくれる人がいたこと。それを私が忘れないように。
 伝えたい私の気持ちを、考えてくれる人がいること。それを私が信じられるように。

 眠りに落ちていく中で、私の誕生日を祝ってくれた、優しい人達を思い出す。その意味を教えてくれた、エイラのことを思い出す。


 8月のカレンダー。ぐるぐる書かれた赤い丸。私がこの世に生まれた日。

 エイラが祝ってくれると言った、きっととても大切な日。


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