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基地に空襲警報が鳴り響いた。独特の長いサイレンと数発の花火が、交戦前の緊張を高める。
「監視所から報告が入ったわ。敵一体、グリッド東117地区に侵入。高度はいつもよりも低いわ」
地図を指し示しながら一同に話をするミーナ。
「前回の襲撃からまだ日が浅いわ。今度はどんなネウロイが来るか分かりません。各自十分に注意して」
「よし、今回はバルクホルン、ハルトマンが前衛。シャーリーとルッキーニは後衛で行く」
美緒が先発隊の名を読み上げる。
「残りの人は、私と基地で待機です。良いですね」
「了解!」
いつも通りのブリーフィング。いつもと違うのは、ネウロイに関する報告と情報だ。
普段なら、大体ある一定の期間を置いて来襲していたのだが、ここ最近は出現サイクルがでたらめで
いつ迎撃に上がるか分からない、嫌な緊迫感が有った。
病み上がりの隊員も容赦なく戦闘に駆り出され、疲労は蓄積していった。
訓練の合間を見計らって椅子に腰掛け居眠りしたり、食事の時間なのに肝心の食事そっちのけで
寝転けてみたりと、誰が見ても「隊」としての疲労は限界に近付いていた。
この日もエーリカは大きなあくびをしながら、会敵ポイント目指して緊張感の無い飛行をしていた。
「ハルトマン、たるみすぎだ」
「だって眠いんだもん」
「これから戦闘だと言うのに、あくびをしている場合か?」
「まあ、まだ基地から出たばかりだし」
「油断し過ぎだ、リベリアン。基地から一歩でも空に出れば、そこはもう戦場だ」
「これだからカールスラントの堅物は。そんなんだから寝惚けてんだよ」
「何?」
「服のボタン、ずれてるぞ」
トゥルーデの真下に回り込んでつんつんとつつくシャーリー。
「あ、ホントだ」
ルッキーニも気付いて近寄る。
「な! ボタンの掛け違い位たまには有るだろ! 茶化すな!」
「ありゃ、気付いたか」
両腕を頭の後ろに回しぼそっと呟くエーリカ。
「……と言う事はハルトマン、お前はいつから気付いていた?」
「朝食の前に廊下で会ってから~」
「ならもっと早く言わんか!」
銃を背負ってあたふたとボタンを留め直す。
「かっこわるー」
「たるんでるぞ、大尉殿?」
「貴様ら……」
ルッキーニとシャーリーに相次いでからかわれ、怒り心頭のトゥルーデ。
「さて、そろそろネウロイが見えてくるかもよ?」
エーリカは辺りを気にし始めた。
「よし、頼んだぞ大尉殿」
トゥルーデの肩をぽんぽんと叩いてにやけるシャーリー。
「まったく、これだから……」
トゥルーデとエーリカは先行し、シュバルムを形成してネウロイに備える。
「敵発見!」
いち早く気付くトゥルーデ。
「確かに高度低いね。しかも小さい」
「二機居ないか? 報告では敵は一体の筈だが」
「まあ、でも楽勝だね」
「以前有った様に陽動かも知れん、十分気をつ、……ん?」
「なにあれ?」
全員が目を疑った。
ネウロイが、突然分裂したのだ。
二体が同時に分裂して、つまり四体に増えたのだ。
「ま、待てよ。話が違うぞ」
「中佐、敵が分裂した! 現在四体確認している」
『えっ? 監視所からの報告では一体の筈だけだと……』
「確かに四体いるよ~」
「中佐、指示を」
『これからすぐに増援を送ります。まずは数を半分に減らす事だけを考えて。決して無理はしないで』
「了解!」
「よし、行くぞハルトマン」
「了解」
「二人も一体は必ず仕留めてくれ。いいな」
「了ぉ解ぃ」
のんびりとした返事を聞いたトゥルーデは、内心苛立ちと焦りを感じつつも攻撃体勢に入った。
トゥルーデとエーリカは交差しながら急降下し、ネウロイを射程に収める。
「単純に増えるだけで楽勝だね」
言った瞬間、ネウロイから何かが発射された。人の丈程の長さで、それ自体が襲ってくると言う、
ある種の「自律飛行する子爆弾」だった。トゥルーデの付近に近付くと、激しく爆発した。
シールドで辛うじて爆風から守られるも、その威力は単純なビームとは桁違いだった。
「な、なんだこれは!」
慌てて急上昇する。
「直撃しなくても爆発するのか!?」
「まるで、海軍で使ってる機雷が空飛んでるみたいだよ」
口笛を鳴らして余裕を取り繕うエーリカ。
「あいつらは?」
シャーリーとルッキーニの方を見る。向こうも同じ目に遭っているらしく、手をこまねいている。
合図して通信を試みる。
「このままでは敵を倒すどころじゃないな」
「まったくだ。あの空飛ぶ爆弾は何よ? どうする?」
「ヘタに距離を取ればあの爆弾ネウロイに撃たれる。一撃離脱で行け。出来るならルッキーニの魔力を使って一撃でやれ」
「了解」
「よし、我々も同じく一撃離脱で確実に仕留めるぞ」
「了解っ」
いつになく表情が硬くなるエーリカ。急降下に入る。
一発、また一発と飛行する爆弾ネウロイが放出された。かなりの速度で近付く。
トゥルーデとエーリカは爆弾ネウロイ向けて短く銃撃を仕掛けた。やはり大爆発を起こす。まさに爆弾そのものだ。
その爆炎の中から、また飛んでくる。
紙一重のところで避ける。至近距離で爆発が起きる。
鉄壁の防御シールドが二人をガードするも、そう何度も持ち堪えられるものではなさそうだ。
ネウロイ本体に接近する。ビーム攻撃は相変わらずだ。難なくいなすと、手持ちのMG42のトリガーを引いた。
“カールスラントの電動のこぎり”が盛大に火を吹いた。
二人の攻撃は見事にネウロイ本体からコアを露出させ、砕き、屠った。
ネウロイはどん、と激しい爆発を起こし、飛行が乱れ、海中に没する寸前に爆散した。
「まずは一匹」
二人は急降下のスピードを活かして上昇に転じた。ネウロイは、あと三体……。
少し離れたところでネウロイがまた一体爆発し、灰燼に帰した。
シャーリーとルッキーニが魔法を使ってやっつけたらしい。
これであと二体。
しかし、ネウロイは彼女達をあざ笑うかの様に、再び分裂を繰り返した。また四体。
「なんだと!」
「振り出しに戻っちゃったね」
「これじゃあキリがないぞ?」
「素早く倒すしかない。でないと倍々に増えていく」
「たった数分で増えるなんて……一時間もしたら」
「ブリタニアの空がこのネウロイで埋め尽くされる……」
考えただけでもぞっとする。
「急げ! コアの位置は中央やや前よりの、ツノの前辺りだ」
「了解」
「シャーリーは接近してコアを露出させろ。ルッキーニは背後からコアを狙撃」
「了ぅ解!」
シャーリー達に指示を出しながら、エーリカを引き連れて急降下に移るトゥルーデ。
コアの位置は分かっている。敵の攻撃方法も分かった。
いける。
至近距離で爆発する爆弾ネウロイをかわしながら、短い連射を繰り返す。
銃弾は狙い済ました位置に吸い込まれていく。
コアが露出し、砕け散る。
また一体撃墜。
シャーリーとルッキーニも見事に仕事をこなしている。うまくコアを露出させている。
そこに遠距離からの一発が突き刺さる。またも一体撃ち落とした。
「しまった!」
突然シャーリーの焦り声が飛び込んでくる。
「どうした?」
「あたしのBARがジャムった!」
「何?」
「こんな時に……ルッキーニの銃撃だけでは火力不足だ」
シャーリーの無念さが伝わってくる。
「ごめ~ん、あたしももう弾無いよ~」
ルッキーニも泣きついてきた。
「仕方ない、二人は先に帰投して銃の交換と弾薬の補給だ」
「了解」
「それまで私達が何とかする。それに増援ももうすぐ来るだろうからな」
「すまない、あとは頼む」
「任せろ」
悔しそうに基地へ帰還する二人。
トゥルーデは前を見据えた。
「良いの? ミーナに許可取らずに先帰しちゃって」
「現場の判断だ。それに、攻撃手段が無い以上二人を無用な危険に晒す訳にもいかないだろう」
「確かにね」
「何とかするしかない、我々だけで」
自分に言い聞かせる様に、トゥルーデは言った。
想像以上の難敵、あと二体。増えるのも時間の問題だ。
トゥルーデとエーリカはパターンを掴み、一撃離脱戦法に徹した。
これが今現在ふたりがとれる最良の攻撃方法かつ防御策だった。
上昇し、ネウロイへのアプローチ位置を見定める。
眼下にネウロイが迫る。
トゥルーデはMG42を構えた。
だが、トゥルーデは焦り過ぎていたのか、一発の爆弾ネウロイを見逃していた。
突入して銃撃を始めあと少しと言う時、背中に重い爆風を背負った。
意味が分からず、とりあえずMG42を撃ちっ放しにしてネウロイのコアを仕留める。
あと、一体。
再度上昇に転じようとするが、エーリカは一人ふらふらと海中に突っ込んでいく。
「ハルトマン? どうした?」
トゥルーデは慌てて“相棒”の肩を掴み、上昇した。
エーリカを見て、驚愕した。
エーリカのこめかみが切れ、血が吹き出ている。
先程の爆発は、それが原因か。後方からの斉射も、妙に勢いが無いと感じたのもそれだ。
余りの血飛沫に、トゥルーデは一瞬我を忘れ……いや、戦闘そのものを放棄し、エーリカの身体を抱いた。
「大丈夫か? ハルトマン、しっかりしろ!」
「うう……なんかきっついの貰っちゃったよ」
「怪我は大したことない。大丈夫だ」
残ったネウロイから距離を取りつつ、とりあえずMG42を背負うと、服の端を破ってエーリカの頭にあてがう。
みるみる血に染まり、切れ端から血が滴り落ちる。
自分のハンカチを始めあらゆる布地を総動員して即席の包帯を作り、ぎゅっと縛る。
「痛いよ、トゥルーデ」
「我慢しろ」
何故か分からないが、自分の方が血の気が引いている。
手を見る。エーリカの鮮血が、指の先までべっとりとついていた。
「ああ……なんてことだ」
エーリカの挙動が乱れた。意識が混濁しているらしい。トゥルーデはひとまずMG42二丁を束ね、エーリカを背負う。
ネウロイは旋回し、退路を塞いだ格好で二人を付け狙った。あと一人と言う余裕か、ビーム攻撃も爆弾ネウロイもでたらめだ。
どうする? 強引に基地への帰還を試みるか、それとも……。
息の荒いエーリカ。手にこびりついた真っ赤な血。残るネウロイはあと一体。いけるか。
トゥルーデは決めた。
エーリカの意識を保たせる為に喋り掛ける。
「以前、誰かに聞いた事がある。余興の席での事だが」
前を見据えて言葉を続ける。
「顔に血等で着色(ペイント)する事で、戦意を高める古代からの部族が居ると。また、色とする血はその生き物の闘志を受け継ぐと」
エーリカに振り向いて言った。
「分かるか、この意味?」
「……」
意識が朦朧としている様だ。エーリカからの返事は無い。トゥルーデは一人、口にした。
「お前の分まで戦い抜いて、ネウロイを仕留めてみせる」
エーリカの血に染まった左の親指を、ぐい、と頬から顎にかけて押し当てた。血の痕がそのままトゥルーデの顔にこびりつく。
きざみつけた、決意の、しるし。
「そして生きて、エーリカ、お前と共に戻る!」
“ハルトマン”ではなくエーリカと呼んだトゥルーデ。
激しい雄叫びをあげると、トゥルーデはエーリカを背負ったまま攻撃を開始した。
手負いとは思えぬ、その動き。
二人分の重量を活かした、急転直下の一撃必殺。エーリカのMG42も軽々と操り可能な限り連射し、ありったけの銃弾を浴びせる。
瞬く間にネウロイのコアが露出する。
そのまま海面すれすれまで下降し、そのまま反転し急上昇。僅かなスリップでビームを避けきると、最小限の動き、最高の速度で、
ネウロイを下方から攻撃した。
ネウロイも慌てたのか、爆弾ネウロイを続けて射出する。
ネウロイ本体とすれ違いざま、身体をターンさせてくるりと回転し、上昇しつつコアを目掛けて狙い撃つ。
コアを破壊されたネウロイは大きな爆音を立てて姿勢を乱し、破壊し、塵となった。
「よし! これであとは」
そこで唐突にトゥルーデの記憶が途切れた。
トゥルーデは目を開いた。身体中が錆び付いた様に、言う事を聞かない。
「ここは……」
「あ、起きた? 医務室だよ。見てわかんない?」
「あ、ああ……」
包帯でぐるぐる巻きにされて、ベッドに寝かしつけられている自分を見、動揺する。
横では肘をついてトゥルーデを見つめるエーリカが居た。
辺りを見る。陽はとうに暮れ、ほのかなランプの明かりだけが二人を照らし出す。
「ハルトマン、これは一体」
「覚えてないの?」
エーリカの額に巻かれた包帯を見て、思い出した。
そうだ! あの時ハルトマンは負傷した。直後にネウロイ本体を仕留めたが、そのあとは、どうなったんだ……。
「大変だったんだから。トゥルーデ、本体に気を取られ過ぎて真っ正面から攻撃受けたって話しよ?」
「な、なに?」
「増援組が出ようとしたら、そこにふらふらの私達が帰って来て、基地中大騒ぎだったって」
「そ、そうか。基地に戻る事は出来たんだな」
何だかよく分からないが、自分が無意識にしたであろう……約束を守った事に安堵し、溜め息を付く。
「ミーナはかんかんになって監視所連絡部に飛んでったよ。もっと監視体制をしっかりしろ、いい加減な報告をするな、
私達を殺す気か、ってね」
「ミーナにも済まない事をしたな」
「でも、なんで」
上目遣いでじっとエーリカに見つめられる。
この表情、どうにかならないか。苦手なんだ、とトゥルーデは内心呟いた。
「あんな無茶したのよ」
「無茶?」
「あたしも確かにちょっとは焦ってたけど……なんで本体ばかり」
「それは……」
「トゥルーデ、気負い過ぎだよ」
「それは……確かに、私の責任だ。すまない」
無言でじっとエーリカに見つめられ、目のやり場に困る。ふと、エーリカの頭に巻かれた包帯に再度目がいく。
「エーリカは大丈夫なのか?」
オフの時の呼び方に変わった。エーリカはそれを聞いて表情を少し和らげた。
「私はちょっと爆発の破片がかすっただけ。それでごく軽~い脳震盪を起こしただけだってお医者さんに言われたよ」
「そうか、大した事無かったんだな。良かった」
安堵するトゥルーデ。
「こんなの怪我のうちにはいんないよ」
ふっとハナで笑うエーリカ。そして言葉を続ける。
「私よりもトゥルーデの方がダメージ大きいんだから。分かってる?」
「それは……」
「私をかばって真正面から受けたんでしょ?」
その辺りの意識が無い。と言う事は、多分そうなんだろう。
「私が居たら……しっかりしてれば……こんな事にはならなかったんだけど」
僚機を絶対に失わない、エーリカのプライドが見え隠れする。
「すまない」
「どうして無茶したのよ」
繰り返される質問。謝る他無かった。エーリカは少し寂しげな表情で、ふと横を見た。
いたたまれなくなり、うつむくトゥルーデ。
医務室が静寂に包まれる。ランプの灯、時計の動く音だけが微かに聞こえる。
やがて、エーリカはぽつりと呟いた。
「ま、いいけどね」
諦めにも似た科白。何と言葉を掛けて良いか戸惑う。
「今夜は、罰として私に付き合って貰うから」
急にエーリカの声色が変わった事にトゥルーデは身体がぞわっとした。よくない事の前兆か。それとも……。
「トゥルーデ、自分の身体見てわかんない?」
「? ……ぅわ!? なんだこれは!」
「包帯余ってたから縛ってみました~」
全く気付かなかった。両腕が交差するかたちできつく縛られている。
「『みました~』じゃないだろ! 解け! 早く!」
「かた~く適当に結んだから、解けないかもね~」
「こ、こんなの、私の力さえあれば」
「忘れた? トゥルーデ魔力使い果たして、まだ回復してないんだけどね~」
「ううっ……」
「今のトゥルーデは、私のやりたい放題~」
「うわ、やめろ!」
身動きの取れないトゥルーデに馬乗りになるエーリカ。
「こう言うプレイも何かこう、くるよね?」
「プレイって何だ? エーリカ、頼むからやめっ……んんっ」
無理矢理に唇を塞がれる。長いキスの後、エーリカはトゥルーデにしだれかかり、耳元で囁く。
「包帯姿の私達だよ?」
トゥルーデの顔をそっと両手で触り、歳不相応の妖艶な笑みを浮かべるエーリカ。
何故だか分からないが、どきっとして、同時にぞくっとするトゥルーデ。
「トゥルーデ、早く治ると良いね」
「本当にそう思ってるのか?」
「これはこれで、遊び甲斐が有るからいいかもね」
「かもねじゃないだろう」
「ねえ、トゥルーデ……」
顔を持たれたまま、再びの口吻。目を閉じるエーリカに、トゥルーデも思わず合わせる。
舌を絡ませ、濃く深くなる。
そのままつつ、と雫が垂れる。
エーリカは指先でそれを絡め取ると、トゥルーデの頬、そして自分の頬にぴーっと一直線に塗る仕草をしてみせた。
「な、なにを……」
「トゥルーデ、言ってたよね。フェイスペインティングがどうのって」
「な! 聞いてたのか!」
「トゥルーデの言う事は何でも聞こえるよ」
小悪魔的な笑みを浮かべ、またしてもトゥルーデの唇を奪う。
唇が離れる。お互いの熱い吐息が、頬を撫でる。
思わずはあっとつく息、恍惚の表情を見たエーリカは舌をちろっと舐めると、獲物をいただく獣よろしく、
本格的にトゥルーデを貪り始めた。
気付くと、いつしか腕の縛りも解けていて、エーリカをしっかりと抱き留めていた。
ああ、だから私はこいつに……だから“黒い悪魔”なんだ。
薄れる意識の中、トゥルーデはぼんやりとエーリカの顔を眺めていた。