ウェアラバウツ
第一次ネウロイ大戦が終結し、数ヶ月がたった、ある日のブリタニア。
「待って、ウィルマお姉ちゃん」
あたり一面の草原が風に吹かれて奏でる音に混じって、幼い少女の声が響く。
ウィルマお姉ちゃんと呼ばれた少女は風で乱された、長い、栗色の髪を押さえ、振り返る。
「早くしてよリーネ、間に合わない」
気の強さを感じる、それでいて不機嫌な声に、リーネは肩をびくつかせながらも、小さな体を揺らしながら、ウィルマを追いかけたが、転び、すりむいた膝の痛さに耐えかね、泣き出してしまう。
ウィルマが駆け寄って、しゃがみ、ハンカチで傷をおさえる。
「ほら、たいした傷じゃないわ」
先ほどとは打って変わって、穏やかな口調になり、ウィルマはひょいとリーネをおぶると、岬へ向け駆け出し、そこから見える海を、空を眺めた。ウィルマの足を、豊かな草花がくすぐる。
その光景に、リーネも泣く事を忘れ、目を輝かせた。
塗装も施されていない、不恰好な鉄製のブーツのようなものを装着した少女は、晴れた空の中を時にターンをしながら、華麗に舞う。
眼帯でふさがれていない方の目で、空と海をくるりと一望し、口の端に笑みを浮かべ、誰もいない空中で呼びかけた。
「宮藤博士」
『なんだい、坂本少尉』と、彼女の耳に差し込まれたインカムから、男性が応答する。
「これなら、万一、"やつら"が再来しても十分な戦績を得られそうだ」
『願わくばそうはならないことを祈るがね』
坂本少尉と呼ばれた少女は、何かに気づいたかと思うと、インカムを切り、眼下に広がる草原の中で手を振る二人の少女に手を振り返した。
「子供が戦場に出なくて済む世界を作りたい。いや、作らねばな、この新しい"魔法の箒"で……」
ウィルマとリーネは、空飛ぶ少女がいなくなった後も、彼女が残した飛行機雲を見上げ続ける。
ウィルマに背負われたリーネが、興奮した様子でウィルマに首に抱きついた。
「すごかったね! あれが新しい魔法の箒なんだね」
「そうよ。私もあんたも、ママの子なんだから、きっとウィッチになれる。だから、いつかはああやって飛ぶわよ」
ウィルマは、振り返り、おぶったリーネにウィンクする。
ウィルマとリーネが初めて"魔法の箒"を見てから、さらに数ヶ月たった、ブリタニアの、とある飛行学校では、坂本少尉がつけていたものと同じものを装備した少女たちが、滑走路から飛び立っていた。
空を舞う少女たちに目もくれず、銀髪の少女は不機嫌そうな顔つきで、格納庫の壁に背をついて、取り出したタバコをくわえ、マッチを探すが、横から伸びた手にタバコを取られる。
銀髪の少女がきっと睨むと、タバコを取り上げた少女はふっと笑った。
「タバコは体に毒ですよ。エリザベス・ビューリング軍曹」と、少女はわざと上品めいた口調を使う。
「ウィッチだからという理由だけでこんなところに押し込められてるんだ。大目に見ろ」
「だーめ。こっちにまでにおい移っちゃう。それに、今日の模擬戦は私の勝ちだったんだから言うこと聞いてもらうわよ」
「あんなもの、まぐれだ。明日こそは……、明日以降はずっと私が勝つ」
と、ビューリングは熱心にそう言うと、少女は、ふっと真顔になって、話し始めた。
「扶桑に、ネウロイが現れたらしいわ。けど、扶桑のウィッチ達が、新しいストライカーで追い返したって」
「ミヤフジという博士、ついに完成させたんだな、ストライカーユニットを」
「ええ。来週には、ここにも新型機が続々届くみたいよ。そして、ひととおり慣らしたら、国際ネウロイ監視航空団へ配属ですって」
少女の声のトーンが落ちていることに気づいて、ビューリングはわずかに頭を傾け、
「浮かない顔だな。恐いのか?」
と、嫌味を込めるでもなく、ごくごく普通に疑問をぶつける。
少女は、はっとして首を振り、少しだけ声を荒げた。
「恐くなんてないわ。私には、死んでも悲しむ人はいないから」
ビューリングは、ぽりぽりと頭をかいて、ぷいと背を向け、小さくつぶやいた。
「ここにいる」
「なに?」
「なんでもない。マッチ、あるか?」
「だからタバコはやめてって」
ブリタニア国内にある館の荘厳な部屋の一室は、男たちが葉巻や煙草、はてはパイプから撒き散らかされる紫煙で曇っていた。
彼らが囲む長いテーブルには、おびただしい量のファイルが置かれている。
男たちは、ばらばらと言葉を交し合う。
「ようやく新型のストライカーユニット量産にこぎつけたものの、それを使用すべきウィッチが少ないのは実に困る」
「先日の扶桑での戦いは、あくまでもネウロイの"威力偵察"だったという見方もあります。我々ブリタニアもいつでも万全の状態でいなければ」
「ブリタニアの防衛も第一なのだが……、ファラウェイランドにもウィッチが欲しいとせっつかれていてね」
「魔力や能力がさほどでもないものを優先的に配属すればよいだろう。まずは、ブリタニアの兵力をだな…」
「しかし、あまりにもあからさまに能力が低いものを出すのも…」
「だがなぁ……。近く、国際ネウロイ監視航空団にも配属せねばならないウィッチがいるし。ブリタニアの防衛が手薄になるのはやはり避けねば」
「昨晩、ひととおりファイルを見てみましたが、何人か、ファラウェイランド空軍に送ってもブリタニアに支障が出なさそうな子がいましたよ。たとえばこの少女。先日自ら志願してきていたみたいです」
「ウィルマ・ビショップ。ほう、母親もウィッチでしかも戦闘したことがあるのか……。だが、よくも悪くも普通だな」
「しかしながら、決して弱いとは言いがたいそれなりのウィッチだと思いますよ」
「ふむ…」
男は、吸っていた葉巻を灰皿に押し付け、火を消した。
ウィルマ・ビショップは、ブリタニアの飛行学校の長である男の部屋で、青い瞳をめいっぱい広げて、直立不動のまま、呆然とする。
革張りの椅子に座った男は、申し訳なさを感じながらも、威厳を忘れぬよう、こほんと咳をして、机に肘をついた。
「君には、ファラウェイランドの飛行学校に行ってもらう。もろもろの費用はもちろんこちらでもつ。来週には、他のファラウェイランド行きのウィッチも集まるので、それまではこの学校に来るように」
ウィルマの肩が震え始め、拳が握られる。
男は、暴れだすのではないかとわずかに警戒するが、目の前のウィルマはどこで習ったのかというぐらい、それは立派な敬礼を見せた。
部屋から出たウィルマは、顔を伏せ、周りのものをなぎ倒さんとするぐらいにの勢いで建物から出ると、建物を囲う森の中を駆け抜け、ある程度まで分け入ると、ざっしと音を立てて体を制止し、叫んだ。
「っざけんじゃないわよ! なんで私がファラウェイランド行きなのよ! この日のためにどれだけの努力をしたと思ってるわけ! こんなじゃ…」
と、急にトーンが落ちて、ウィルマはぺたんとその場にへたり込んだ。
「ママに合わせる顔がない…」
ウィルマの視界が、涙でぼやけはじめたその瞬間、茂みの向こうに気配を感じると、ウィルマはこぼれそうになっていた涙を拭い、身構えた。
昼寝でもしていたのか、だるそうに出てきたビューリングが、ウィルマを睨みつける。
気の立っていたウィルマは、つい、ビューリングと同じように、目つきが鋭くなった。
ビューリングは、じいっとウィルマを見つめた。
「見ない顔だな、新人か?」
ファラウェイランド行きのね、とウィルマは心の中で自嘲しながらも、ぐっと抑えて、年上と思われる目の前の少女に、いつもの口調で言い返した。
「そう。明日から通うの。よろしくね」
ビューリングは、居丈高なウィルマに、少しだけむっとしながら、髪をかき上げた。
「お前は、志願してきたのか」
「ええ」
「もの好きだな。もしくはピカデリーの女優でも目指しているのか」
ビューリングの言葉に、ウィルマは一瞬で頭に血が上らせた。
「そんなミーハーな理由じゃないわよ! 持って生まれたこの力で、空を飛んで、みんなを守りたいの! あんたはそうじゃないわけ?」
「私は、強制的にここにつれられてきただけだ。好きでウィッチになったわけじゃない。せいぜい可能な範囲で好き勝手やって、俸給でのんびりやらせてもらう、それだけだ」
と、言いながら、ビューリングはウィルマの頭越しに見える人影に気がついて、ウィルマの横を通り過ぎた。
「せいぜい、"ファラウェイランド"で頑張るんだな」
「あんた、聞いて…」
と、ウィルマは振り返り、口を開きかけるが、あらためて、他人にファラウェイランド行きという事実を言葉にされて、肩を落とした。
ビューリングは、やって来た少女と連れ立って建物へと戻っていった。
その日の夜、ウィルマは明かりを消した自室で、天井を眺める。
明日から飛行学校へ泊り込みで通って、そして、新大陸へ。
本国の学校へ入り、てっきり家から通えるものだと思っていたウィルマは、大きく息を吐き、ドアの脇に置いた小ぶりのスーツケースにちらりと目を向ける。
新大陸。
聞こえはいい。
けど、どう考えても、腑に落ちない。
ブリタニアばかりに回すのも問題だから、ファラウェイランドにも……、というお偉いさんの会議でもあったんじゃないの。
そりゃ、まだぺーぺーだけど……。
と考えながら、ウィルマはころりとベッドの上で寝返って姿勢を変える。
髪から石鹸の匂いが漂い、夕食後からまとわりつく倦怠感をさらに濃くする。
しかし、彼女の心境とは裏腹に、ウィルマの両親は、もともとの性格も相まってか、抱きしめて、激励してくれた。
上の兄や弟たちもすげえじゃんと簡単な言葉ながらも、どんと肩を叩いてくれた。
妹たちも、ウィルマの周りを飛び跳ね、お土産まで所望するというはしゃぎぷりであった。
一人を除いて――
「……お、お姉ちゃん」というか細い声と、ノックの音が、ウィルマの耳に届く。
ウィルマは、ベッドに体を沈めたまま、口を開いた。
「入って」
ドアが開くと、廊下からの逆光により、小さな体が浮かぶ。
ウィルマはすぐに誰であるか認識して、体を起こし、ベッドの上で胡坐をかいた。
「リーネ。具合悪くて部屋で寝てるんじゃなかったの?」
「……そっち、行っていい?」
ウィルマは答えずに、じっと待つ。
リーネは、しばらく迷った後、てとてとと、床を裸足で進んで、ウィルマの隣に座る。
ウィルマは、リーネの髪を撫でて、頬に触れ、べたついていることに気がつく。
「リーネ、あんた、泣いてたの?」
リーネは、小さな体をさらに縮まらせる。
「だって……、お姉ちゃんと会えなくなるから」
「縁起でもないこと言わないでよ。ちょっとお隣の……って言っても大西洋越えるけど……。と、とにかくお隣の大陸に行ってみっちり訓練してくるだけよ。いずれはブリタニアに戻って、扶桑みたいにネウロイが来たら叩き返す。そんだけよ」
「けど、ファラウェイランドにもネウロイが来たら…」
ネガティブモードに入っているリーネに気がついて、ウィルマは、長年の経験上から、彼女を後ろから抱きしめ、一緒にベッドに倒れこむ。
リーネは、ウィルマの胸に顔を寄せる。
ウィルマは、リーネの髪を手ぐしですき、小さな背中を撫でた。
「大丈夫。こんなかわいい妹置いて死にゃしないから」
「絶対、絶対だよ…」
「はいはい。わかってるって」
その程度と思われているなら、逆に見返してやればいい。
是非ブリタニアを守ってくれと言われるぐらいに。
ウィルマは、小さなリーネの体をさすりながら、次第に、表情を引き締めていく。
翌朝、ビューリングはタバコ片手に飛行学校の敷地内を散歩する。
しばらくすると、一台のロールスロイスが敷地のすぐ外に現れ、出てきた初老の運転手がトランクからスーツケースを取り出す。
すると、遅れて出てきた少女が、運転手からスーツケースを取り返した。
「一人で持てるってば!」
「申し訳ございません、ウィルマ様。長年の癖が出てしまいました」と、運転手はほっこり笑う。
ウィルマはすっかり子供扱いされた気がして、照れながら、ぷいと顔を背けた。
「か、体に気をつけるのよ。あんたも年なんだから」
「ウィルマ様の凱旋を心よりお待ち申し上げます」
運転手は、一礼をすると、車に乗り込み、発進する。
寂しげに見守るウィルマに、ビューリングは背後から近づいた。
「じゃじゃ馬かと思えば、お嬢様だったんだな。一応」
振り返ったウィルマはいかにも嫌そうな顔を正直に押し出す。
ビューリングはさすがにちょっとだけ悲しさを覚えて、気を取り直すようにタバコに火をつける。
しかし、ウィルマが、彼女の咥えたタバコを取り上げて、ぽいっと彼方へ投げ飛ばし、ずんずんと建物へ向かう。
「まったく。あんたみたいな素行不良少女が本国のウィッチになれて、なんで私が大西洋の向こうまで行かなきゃなんないのよ!」
「昨日も言っただろう。別に入りたくて入ったわけではない。まあ、貴様の実力の問題だろう」
ウィルマの頭の中でぶっちんと音が鳴り、ぎりぎりと首を振り向けた。
「……あんた、今、鼻で笑ったわね」
「さてね」
どんと、ウィルマの持っていたスーツケースが地面に落ち、ウィルマが今まさにビューリングに飛び掛ろうと、足を踏ん張ったその時、少女の声が響いた。
「もうすっかり仲良しなのね」
我に返ったウィルマが振り返ると、昨日、ビューリングと並んで森を出て行った少女が立っていた。
ビューリングはウィルマを無視して少女に歩み寄った。
「たまたま出くわしただけだ。それより、さっそく新型のストライカーで模擬戦だ」
「ごめん。お誘いは嬉しいけど、今日は用事ができちゃって」
なぜ、といった顔で眉を寄せるビューリング。
少女はウィルマに歩み寄り、彼女の手を握った。
「彼女の処女飛行のお手伝い」
ウィルマは痛いぐらいに高鳴る心臓を抑えようと、とんとんと胸の上を手のひらで叩き、息を吐いた。
彼女は、複座式ストライカーユニットの前のユニットに足を入れており、同行者である少女は、後ろのユニットに足を入れ、出力を上げ始める。密着状態のため、ウィルマの鼓動に気がついた少女がふふっと笑う。
「最初はみんな緊張するみたいだけど、あなたみたいのは初めて」
「もう、馬鹿にしないでよ。生身で空を飛ぶんだから緊張するに決まってるでしょ!」
「ごめんごめん。じゃ、そろそろ行く?」
「え。ま……、心の準備が……」
と、ウィルマが制止する間もなく、少女は、さらに出力を上げて、滑走路を駆け始め、二人はふわりと空へと向かい、飛び立った。
最初こそ、いやあ、とか、きゃあ、とか言っていたウィルマではあったが、次第に慣れ始め、広がる景色に感嘆の声を漏らし始めた。
少女は、ウィルマに、初めて飛んだ頃の自分を重ねて、目を細める。
あのころは純粋に飛ぶのが好きだったっけ。
そう思いながら、ある程度高度を保ったところで、少女は提案する。
「そろそろ、あなたの魔力を主力に切り替えない?」
「い、いいけど……。もし、魔力供給が不安定になったら…」
「そのときはすぐに私がバックアップするから。ね」
ビューリングとは裏腹に、やさしさを込めて言う少女に、ほぐされたように、ウィルマは首を縦に振り、魔力を集中させ始める。
ユニットに流れ込む魔力に、少女は驚き、慌てて自分の魔力の出力を一気に抑え、オーバーフローを防ぐ。
この子、すごい魔力……。
こんな逸材を新大陸行きにしちゃうなんて、上の目は節穴だったのかもね。
少女は、期待の新人を目の前にして、口元を緩めた。
そんな少女の考えに気づくはずもなく、ウィルマは、おどおどと顔を少女へ振り向けた。
「ど、どう? まだ足りない?」
「大丈夫よ。あとは私が補助するから、そのままでお願い」
二人は、ただ飛ぶだけではなく、ターンなど、ひととおりの、そして明らかに戦闘では使わないであろうトリッキーすぎる機動を試したりして、飛行時間を消化していく。
少女が時計を見、飛行学校へ方角を戻した。
「これで明日からは一人で飛べそうね」
「ちょっと待ってよ。さすがにそれは…」
「大丈夫よ。ここのナンバー1の私が言うんだから」
ぽかんとするウィルマに、少女はまばたきを増やす。
「どうしたの?」
「すっごい自信ね」
「そりゃ、自分の自信を信頼できなきゃ、とてもじゃないけどあいつには勝てないからね」
「あいつ?」
「ビューリングよ。ほら、あの銀髪の」
「きっと、強いのね……、あの子も、悔しいけど…」
「さっそく明日からやってみる? 模擬戦」
「悪いけど、さすがにここでは死ねないから」
苦笑いでそう返すウィルマに、少女は、大きく笑ったかと思うと、近づく飛行学校の滑走路に佇むビューリングを見つけ、ぎゅっとウィルマを抱きしめた。
「私とビューリングは、オストマルク行っちゃうけど、いつか、また飛べるといいわね」
「そうね。あいつに言われっぱなしじゃむかつくし。模擬戦も……、さすがに明日すぐは無理だけど、いつかはしてみたいし」
「負けないけどね」
「前言撤回……って、言ってないけど。あんたたちやっぱ似てるわね。好戦的なところとか。あなたはビューリングと違ってやさしい子なのかなって思ったけど」
「今頃気づいたの? まだまだ青いわねえ」
「もう、茶化さないでよ」
頬を膨らませるウィルマに巻きつけていた腕を次第に緩め、少女は遠くを見る。
「あの子はどう思ってるか知らないけど、私は、ウィッチになれてよかった。もしかしたら、ううん、きっと近いうちにまた戦争が始まるんだろうけど、そのときはあの子と私の二人で一掃してやるわ」
「けど、ママがよく言ってたわ。個人での格闘戦ばかりだといつか痛い目見るって。敵だって、どんな攻め方してくるか分からない。それに闘っているのは他のウィッチたちも…」
「そうね。とても危険なことしてるってわかってる。性分なのかな……。それか独占欲…」
と、言いかけて、少女は口をつぐむ。
ウィルマは言葉を聞き漏らすまいと少女へ顔を向けようとする。
しかしながら、着陸態勢に入ったため、彼女が何を言おうとしていたのかは聞けず、その日の、ウィルマにとっての生まれて初めての飛行は静かに終わりを告げた。
翌日、ウィルマは、滑走路上空で繰り広げられる、ビューリングと少女の模擬戦を、ぽかんと口を開けたまま、見上げる。
少女とビューリングは、模擬戦闘用の銃は背負ったまま、磨きあげたグルカナイフ一本で、互いに真正面から突っ込んで行っては、寸でのところで機動を変え、かわし合い、小さな火花を散らせた。
上空での熱い戦いとは裏腹に、一足先に降りてきたウィッチたちは、半ば呆れた表情で二人を見上げている。
その中の一人が嘆息した。
「飛行訓練だって言うのに、いつまでも勝手されちゃ、困るのよね」
ウィルマは、その言葉を耳に入れ、口を引き結び、もう一度空を見上げた。
その日の夜、決して広いとは言いがたい宿舎の個室の片隅に置かれたベッドでつまらなそうに、新聞に目を通すビューリングのもとに来訪者がやって来る。
叩かれるドアのノックに、ビューリングは、返事もせず、きっとドアを睨みつける。
静かに開けられるドアの向こうの顔を見て、ビューリングはまた新聞に顔を戻した。
「お前がここをたずねてくるとはな」
と、そっけないビューリングに、来訪者――ウィルマは、ドアを大きく開け、そのまま部屋に入る。
なにやら不機嫌そうな様子のウィルマに気がついて、ビューリングは読んでいた新聞をたたむと、ベッドの上で、膝をつき、その膝に顎を乗せ、じいとウィルマを見つめ返した。
めずらしいものでも見るように。
なかなか言いだせずにいるウィルマにビューリングは助け舟を出してみた。
「どうした、ビショップ」
「今日の訓練」
「ああ、今日は私が勝った。明日も勝つがな」
「そうじゃなくて、飛行訓練でしょ。模擬戦を勝手にやっちゃいけないわ」
ビューリングは、大きく息を吐いて、ぼっふと音を立ててベッドに倒れこみ、片肘をついた状態でウィルマを見つめた。
「……何かと思えば、説教か」
「そうじゃないけど……、あんたたち、いろんな国の人と肩並べてオストマルクに行くんでしょ」
「あんなもの、ルーチンワークだ。半年間、監視任務を遂行しつつ、夜にはのんびり酒でもやる。それだけだ。万一、奴らが現れても徹底的に叩き潰す。そして、撃墜数でもあいつに勝つ。独りよがりのルールじゃない、あいつと私の間でのルールだ」
「けど、飛んでいるのはあなたたちだけじゃないのよ?」
「敵を倒せば、それだけ味方が被弾する可能性も減るだろう」
「可能性って……、実際の戦場はそんな生易しくないわ」
「お前だって、戦場に行ったことはないだろう。大好きな"ママ"の受け売りか?」
はん、と笑うビューリングに、ビショップは、母親を侮辱されたような気がして、気がついたときには、ベッドに横になっていた彼女の胸倉を掴んで、引き起こしていた。
ビューリングは、抵抗こそしなかったものの、歯を食いしばって、ウィルマを睨み返した。
木でできた廊下がきしむ音がして、二人が顔を向けると、少女が立っていた。
「ウィルマ、手を離して」
少女の諭すような口調に、ウィルマは、するりと手を離し、ビューリングにも少女にも背を向けた。
「私は、あんたたちに死んで欲しくないだけ」
少女は、その言葉に驚き、反射的に、ウィルマの肩に手を置こうとするが、その指先が触れるか触れないかのところで、ウィルマは、部屋を出て行った。
ビューリングは乱れた服を直した。
「心配性な奴だ」
「……そうね」
それから数日間、ウィルマは飛行訓練や、自分と同じくファラウェイランドへ向かう隊員たちとの合同訓練に忙殺され、少女やビューリングと接触する機会を失った。もちろん、その気になれば、食事時や、夜にでも訪ねれば話ぐらいはできたかもしれない。しかしながら、ウィルマはウィルマで、今後の事について、不安や緊張が重なり始め、2人にまで気を回す余裕がなくなっていたのである。
気がつけば、少女とビューリング、そしてその他数名の魔女たちは、飛行船に装備を積み込み、オストマルクへ向け移動を開始しようとしていた。
ウィルマは、飛行学校に残るウィッチたちと肩を並べ、その様子を眺めていた。
視線の先のビューリングは、マイペースにタバコをふかし、しばらくして、少女に取り上げられて、なにやら言い合いをしている。
ウィルマは、その様子に、つい、相好を崩した。
ビューリングと言い合っていた少女は、ウィルマに気がつくと、彼女に歩み寄って、手を差し出した。
「ファラウェイランドに行っても、頑張ってね。あなたなら、きっと隊を引っ張れるぐらいのウィッチになれるわ…」
ウィルマは、少女が言うであろう台詞を察知して、声をかぶせる。
「「私には負けるけど」」
二人は、そのシンクロ具合に、額をこつんとぶつけて笑い合い、ウィルマは表情を引き締めた。
「必ず、また会うわよ」
その真剣な目つきに、少女は、つい言葉を探してしまうが、きゅっと目をつぶり、開くと、顔いっぱいに笑顔を浮かべた。
「ええ」
ビューリングたちがオストマルクへ到着し数週間がたった頃、恐れていたことに、ネウロイが再度出現し、彼女たちは連日、その相手をしつつ、じわじわと、押されつつあった。
簡易テント内のブリーフィングルームで、国際ネウロイ監視航空団に所属しているウィッチたちが集まり、黒板に広げられた地図をもとに、鋭い紺碧の瞳を持ったウィッチが、淡々と、作戦を告げている。奪われた町を、再び取り戻す。ごくごく簡単なようでいて、いまだ完遂できていない作戦。
黒板の脇には、彼女の副官と思しき、凍らせた薔薇のような美貌を持つウィッチが微動だにせず立ち、その瞳で、じいっと隊員たちを監視するように見据えていた。
鋭い紺碧の瞳のウィッチはひととおり説明を終えると、ブリーフィングルームの隅で作戦を聞いていた、ビューリングと少女を見て、付け加えた。
「お前たちは残れ。他のものは、準備を。アーデルハイド、お前も先に行け」と、凍らせた薔薇のような美貌を持つウィッチにも視線を送る。
ビューリングと少女は、組んでいた腕を下ろし、直立する。
鋭い紺碧の瞳を持ったウィッチは二人の前まで進むと、ところどころに包帯を巻いている二人を見据えた。
「出撃するなと言いたい所だが、あいにく、人手が足りていなくてな。だが、今日以降は、昨日までのような勝手は一切看過できない。ここは、お前たちの遊び場ではない。戦場だ。敵が、いつまでもお前たちのゲームの的になってくれると思うなよ」
その言葉に、少女はつい口答えをする。
「お言葉ですが、ルーデル中尉。それは、我々が弱いということですか?」
「弱いとは思わない。ただ、お前らの戦い方では、我々の命が危うい。貴様は自分の命を軽視しているようだが、私や、私の部下は違う」
きっぱりと言い放つルーデルに、少女は、なぜだかウィルマを思い出し、そして隣のビューリングをちらりと見て、あらためてルーデルを見つめ返した。
「そんなことはありません」
「説得力に欠けるな。今はもう迷っている場合ではない。生き抜きたいのであれば、今、この場で改めろ。ビューリング、お前もだ」
「私は、死ぬ気はさらさらありません」
「それならばいいが、くれぐれも独断で編隊は崩すな。5分後には出発だ」
ルーデルは、ブリーフィングルームを出て、準備に向かう。
ビューリングも、準備のため、ブリーフィングルームを出ようとするが、少女が背後でつぶやいた。
「ごめんなさい」
謝罪の意味が、掴みきれず、ビューリングは眉間にしわを寄せた。
少女は、わずかに悲哀をにじませながらも、笑顔を向けた。
「ゲームは、もう終わらせましょう」
「ゲームなんかじゃない。お前と競い合うことで、より多くの敵を撃墜をすればそれだけ勝利に近づく。一石二鳥だ。ゲームといわれればそれまでだが、私にとっては、お前との競争も……、ウィッチとして飛び続けられる動機のひとつなんだ」
「私は、生きてブリタニアに帰りたいの。あなたと。ウィルマとも約束したから」
その言葉に、ビューリングは普段は硬くなっている表情をそっと緩め、微笑のようなものを浮かべた。
ビューリングの、珍しい顔つきに、少女はなぜだか頬を熱くする。
「……なんで、そんな顔するの」
「嬉しいからだ。多分」
と、ビューリングも感応したように照れて、踵を返した。
「行くぞ」
「ええ」
新大陸ファラウェイランドは、新大陸と呼ばれるだけあって、まだまだ自然が十二分に残っている場所であった。
ウィルマは、本国から届いた新型のストライカーユニットを操り、青い空を縦横無尽に舞い上がる。
この地にたどり着いて、数週間ではあるが、彼女は着実に力をつけ始めていた。
ぐるりと体をひねって欧州のほうへ、目を向ける。
オストマルクにネウロイが出現したという。
ビューリングたちは、勝っているのだろうか。
今のところ、戦況が悪化しているとは聞こえてこない。
しかし、ウィルマは、つい、眉尻を下げる。
「隊長、待ってください」
ウィルマより年下の隊員たちが、すっかり魔力を使い切ったのか、ぜいぜいと肩で息をして、彼女のもとにたどり着く。
ウィルマは、腰に手を当てた。
「あんたたち、飛ぶだけで息切らしてたら、戦闘なんて10年は無理よ」
隊員たちは、その言葉にしゅんとするが、次の瞬間、ウィルマが、がっしりと隊員たちを抱きしめた。
「けど、私とあんたたちで猛訓練すれば、明日にでもみんなを守れるウィッチになれる。だから、頑張るわよ!」
ウィルマと周りの隊員たちは、きらきらと輝いた笑顔を向き合わせる。
ビューリングと少女は、制空権を取るために編成された中隊で、ルーデルの忠告どおり、個人行動には走らず、発見次第、長機の指示に従い、敵機を着実に撃墜していく。
ルーデルが率いる、別の中隊は、はるか上空の中隊に背中を任せ、目標の町へと近づいていく。
ルーデルのそばを飛んでいたアーデルハイドが、首をひねり、ビューリングたちの戦いぶりを眺めた。
「彼女たちは、あんな戦いもできるのですね」
「優秀であることにはかわりはないからな。ただ、青すぎるんだ」
「同感です」
と、返答し、アーデルハイドは、表情を引き締める。
眼下に、奪われ、破壊され、瓦礫まみれになったオストマルクの街が広がった。
瓦礫の作り出す影がうごめき、対空砲を背負った地上型ネウロイが続々と這い出し、目なのか、センサーなのか、体の中から、赤い光を覗かせた。
対空砲を撃たせる前に叩く。
ルーデルの、爆弾を抱いた腕に力が入る。
「諸君、編隊を維持したまま降下しろ」
護衛のため、上空にて敵機と戦っていたビューリングたちは、ルーデルたちの降下の様子を眺めた。
上空の敵はあらかた殲滅され、残り数機となっていた。
それぞれ指示のもと、散開し、複数で、攻撃し、つぶしていく。
長機が合図し、一同は再び編隊を組む。
ビューリングは、物足りなさを感じながらも、地上のルーデルたちに目を向けるが、視線のようなものに気づき、顔を向ける。
撃ち損じていたのか、一機のネウロイが、赤い閃光を向けて、数百メートル先に浮いていた。
ビューリング以外の全員は、地上の様子を眺めている。少女もだ。
私一人が抜けても――
ビューリングは唇を噛み、再び、ネウロイのほうへ目を向ける。
ネウロイの体からにじみ出る赤い光。
一機、たった一機だ。私だけでも――
ビューリングは、少女の横顔をじっと見つめ、中隊から離脱した。
ルーデルたちは、街への爆撃を開始した。
無駄のない洗練された機動で高度をぎりぎりまで落とし、次々と爆弾が投下される。
爆弾が街へ吸い込まれて、地上のネウロイを吹き飛ばしていく。
ルーデルたちは、再び編隊を組む。
アーデルハイドが、すかさず戦果報告をしようとするが、すっと顔色が変わるのを見て取って、ルーデルは舌打ちし、街に目を向けた。
街の瓦礫が持ち上がり、大工場の煙突のような対空砲と、その対空砲を背負った、ビルのような、いや、ビル自体をそのまま乗っ取ったような外観のネウロイが現れ、間髪いれず、対空砲を放った。
「散開しろ!」
対空砲の発射音で引きちぎられる大気に混じり、ルーデルの怒声が隊員たちのインカムに届く。
ビューリングは、中隊から離れると一気にスピードを上げ、ネウロイに狙いをつけ、発射する。
規則的な射撃音と共に、ネウロイの装甲に弾丸がぶち当たり、火を噴いて、堕ちていく。
あっさりとしすぎているものの、ひとまず、出現した敵をつぶしきったと安心したビューリングはふうと息をつき、残弾を確認する。
「あと数秒持ちこたえられていたらまずかったな…」
と、言いかけた彼女の頭上を複数の影が通り過ぎた。
まさか――
ビューリングは、上空より降下してくるネウロイの編隊に、空をさえぎられた。
ルーデルの中隊は、対空砲をかわしながら、上空の中隊の隊長に連絡をする。
「巨大な敵が現れた……。ひとまず…」
『中尉、ビューリングが…』
「撃墜されたのか?」
『いえ、行方が……、ちょっとあなた待ちなさい!』
「何があった」
『別の隊員が勝手に』
ルーデルは、ビューリングと少女の顔を思い出し、ぎりりと音がするぐらい奥歯を噛み締め、なんとか怒りを抑えると、隊員たちに告げた。
「対空砲を回避しつつ、上昇する」
ルーデルたちは、対空砲射程範囲外までなんとか上昇をする。
とたん、地上のネウロイは、攻撃をやめた。
目的は達したということか?
なめられたものだ……。
ルーデルは、きっと地上を一瞥し、空へ目を向け、待っていた中隊の背後から近づく、ネウロイの編隊に気づいた。
「後ろだ!」
ルーデルは、腰につけたハンドガンをケースから引き抜いて、スピードを上げた。
少女は、ようやく、ビューリングを見つけ出し、ストライカーに魔力を込め、出力を上げた。
銃を持つ手に力が入る。
「絶対に、生きて一緒に帰るわよ……」
ビューリングは、巧みな機動で、追いかけてくる複数のネウロイからの攻撃をかわしていくが、次第に、服を、肌を、銃弾がかすめていく。シールドを張るための魔力はほとんどをストライカーに回している。
次第に、ネウロイとビューリングの距離が縮まり、遥か遠くに、ようやく、自分がいた中隊を見つけるが、このままでは共倒れになりかねない。ビューリングは、意を決したように体を翻し、グルカナイフを抜いた。
「これ以上仲間に迷惑をかけるわけにはいかないな」
ビューリングはすっかり乾いた唇を舐め、向かってくるネウロイを待ち構える。
ルーデルと彼女の中隊の隊員たちは、ハンドガン片手に、新たに現れた敵編隊の一機にマガジン内のすべての弾を食らわせた。
奇襲を受けずに済んだ中隊も、冷静に攻撃を再開し、一機ずつ沈めていく。
ルーデルは、戦いながら、あたりを見回し、少女と思しき影、そしてそこからもう少し向こうにいるビューリングも見つけると、マガジンを取り替えて、近づいた敵にすべて撃ち込み、また、ビューリングたちを目で追った。
「中尉、避けてください!」
アーデルハイドの生の声がルーデルの耳に届き、ルーデルは強引に突っ込んできた敵を、なんとかかわしたが、左翼の先端が彼女の肋骨にめり込み、すれ違いざまに放たれた銃弾が、シールドを破り、彼女の顔をえぐった。
アーデルハイドは、ルーデルを撃った敵機を鮮やかに沈めると、ふらつく彼女を空中で受け止めた。
ルーデルの顔とわき腹から流れる血が、アーデルハイドとルーデルの白い軍服を染めていく。
アーデルハイドは、周囲を見回し、敵機を一掃したことを確認する。
「中尉、あなたは先に戻ってください。あとは我々が…」
「……気にするな、急所は外れている」と、ルーデルは、顔から流れ出る血を、革手袋で拭う。
「しかし…」
「行くぞ」
ビューリングは、向かってくるネウロイにぞくりと体を震わせながらも、持ったグルカナイフを握り締め、姿勢を変えたその瞬間、彼女の前に、少女が割って入った。
ビューリングとネウロイの間に入った少女は、ネウロイの機銃から容赦なく放たれる銃弾をシールドで跳ね返した。
「早く、逃げなさい!」と、少女は、シールドを張りながら、ビューリングに向かって叫ぶ。
「馬鹿を言うな、お前こそ逃げろ! これは私の引き起こしたことだ!」
「わ、私たちはチーム…」
と、少女が言いかけたとき、猛烈な銃撃に耐え切れなくなったシールドが破れ、少女の体に次々と弾丸が当たっていく。
それでも、少女はビューリングの目の前から離れようとしない。
ビューリングは、服をぼろぼろにした少女の後姿に言葉を失い、墜落していく彼女に手を差し伸べることもできず、その場に釘付けになり、呆然と、銀色の瞳に、少女を撃墜したネウロイたちを映すしかできない状態になっていた。
「退け! シルバーフォックス!」
ルーデルの怒声と共に、追いついた他の隊員たちがビューリングの横を次々通り過ぎ、ネウロイたちを追い散らしていき、空は静まりかえった。
ファラウェイランドにて、ウィルマは振り返る。
「ねえ、今なんか言った?」
「いいえ、言ってませんよ。隊長、疲れてるんですか?」と、隊員は大きな目をしばたたかせる。
「まさかあ。夕方からも訓練してもいいぐらい」
「そ、それは…」
逃げるように去っていく隊員をやれやれと眺めながら、ウィルマは不安げに空を見上げた。
ウィッチの力ゆえだろうか、墜落した少女は、あの高さから落ちたにも関わらず、銃弾以外の怪我は見当たらなかった。
ビューリングは、ストライカーを脱ぎ、少女に近づき、膝をついて、手袋を脱ぎ捨てて、頬に、首筋に手を触れるが、頬は冷たく、首筋から返ってくるであろう規則正しい音は感じられなかった。
ぼろぼろの衣服からのぞく体をさらし者にせまいと、ビューリングは着ていた軍服の上着を脱ぎ、彼女の体に乗せた。
悲惨な体の状態には似合わず、少女の顔は何かをやり遂げたような、穏やかな表情を見せている。
その表情とは裏腹な、頬の冷たさが、ビューリングの指先にまとわりつくように残り、ビューリングは膝をついたまま、その場に静止する。
ビューリングと共に降り立った隊員は、顔を見合わせ、携えた遺体袋にストライカーごと少女を包むと、上昇を始めた。
「先に戻ります。陽が落ちる前には必ず戻れと、中尉がおっしゃっていました」
隊員と共に、少女は基地へと戻っていく。
ビューリングは、タバコを咥え、火をつけ、煙を吐いた。
タバコを取り上げるものは、誰もいなかった。
基地に戻ったビューリングに、待機していた隊員や、先ほどまで戦っていた隊員が、訝しげに、彼女を見つめる。
ビューリングは、その視線を強く感じながらも、基地に隣接された簡易病院へ向かうと、受付に確認をし、目的の個室へと向かう。
小さく、慎重にノックをすると、アーデルハイドが出てきて、眉間にしわを寄せ、体を部屋の外に乗り出した。
「なんの用だ」
「中尉は?」
「鎮痛剤を打ったばかりだ。後にしろ」と、いつもは眉ひとつ動かさないアーデルハイドは乱暴に言い捨てる。
ビューリングは、ドアの隙間から、顔に包帯を巻いたルーデルを見つめた。
「私の……、せいだな」
「誰もそのようなことは言っていない」
ビューリングは、アーデルハイドに背を向けると、その場を離れる。
アーデルハイドは、ドアを閉め、ベッドの脇に座った。
ルーデルが、そっと目を開いた。
「アーデルハイド、状況の報告を」
アーデルハイドは、なにもこんなときにという顔をしながらも、背筋を伸ばし、現状の報告をする。
ルーデルは目を瞑り、それらを聞き入れ、殉職の報告に移ると、きゅっと唇を引き結んだ。
報告を終えたアーデルハイドは、上官の表情を見て、無意識に、彼女の手の上に自分の手を重ねた。
それからしばらくして、兵力の不足したオストマルクは電撃的なネウロイの侵攻に、反抗するすべもなく、陥落した。
飛行船にて、ウィルマはぶっすぅと頬を膨らませる。
隣に座った隊員がなだめた。
「隊長、せっかくの帰郷なんですからもっとこう笑顔で…」
「何言ってるのよ! オストマルクがおちて、カールスラントでさえ大変なことになってんのよ! それなのに、欧州遠征かと思えば休暇って……、他のウィッチに申し訳なさ過ぎったらないわよ! 第一、ファラウェイランドだって確かに侵攻らしきものはなかったかもしんないけど、もしこの休暇中に…なんてことになったら。あああ、もう」
と、ウィルマは栗色の髪をぐしゃぐしゃと握る。
「大丈夫ですよ。隊長が鍛え上げた子たちですよ? きっと、万一の事があっても持ちこたえてくれますって」
隊員は、ポジティブに、明るい笑顔を見せる。
ウィルマは、その笑顔にほだされたのか、ひとまず、気を鎮めて、シートに背を押し付けた。
「まあ、久々に家族と会えるのは嬉しいけどね」
「そういえば、たくさんご家族いるんですよね。隊長のほかにもウィッチはいるんですか?」
「それっぽい魔力を感じるのはいるんだけど、泣き虫なのよね…」
「へえ、隊長とは正反対ですね」
「悪かったわね」
と、ひと睨みするウィルマに隊員はひっと声を漏らした。
一台のロールスロイスが、緑に囲まれた田舎道を進んでいく。
初老の運転手が、ちらりとミラーを見て、後部座席の少女に声をかけた。
「緊張されているのですか、リーネお嬢様」
「だって。こんなに早く会えるって思ってなかったから、心の準備が」
運転手は、顔を赤らめるリーネに目を細め、空の黒点に気がついた。
「あれは……、飛行船ですかね?」
リーネは、前に身を乗り出して、目を輝かせた。
「うん」
運転手はよく見えるなと感心しながら、少しだけスピードを上げた。
長旅に、首をごきごき言わせながら、ウィルマはブリタニアの地へ降り立つ。
「隊長、親父くさいです……」と、隊員が苦笑いする。
「乗り物乗るの久々なんだから仕方ないでしょ」
隊員に、そこはつっこまないでよという顔をしたウィルマから少し離れたところに、ロールスロイスが止まった。
「お姉ちゃん!」
さっそく降り立ったリーネが、ウィルマがファラウェイランドに旅立つ前より明らかに成長した胸を揺らして、駆け寄り、抱きしめた。
ウィルマは、久々の再会に、リーネを抱きあげ、ぐるりと一回転して、すとんと彼女をおろした。
「大きくなったわね、リーネ」
「そうかな。この間身長測ったけど、そこまで変わってなかったよ」
「いや、背じゃなくて…」
そう言いかけて、ウィルマはちらりと自分の胸に視線を落とす。
チョコレートブラウンの革ジャケットに包まれていている、決して大きいとはいえない自分の胸と、すでに自分の胸のそれとは、差をつけ始めているリーネの胸を比べてため息をついた。
そんな彼女たちに気を遣ってか、こっそりその場を去ろうとした隊員に気づいて、ウィルマは追いかけた。
「ねえ、街まで送ろうか?」
「いいえ。バスでのんびり帰って久々のブリタニアの風景を愉しんで帰ります。それより」
隊員はにやーっと笑い、ウィルマはその不気味さにずいっと一歩後じさる。
「さすがの隊長も、妹さんには甘いんですね」
「そ、そんなことないわよ。さっきのは久々に会ったから。鬼軍曹ウィルマ・ビショップは家族とはいえ容赦は…」
「はいはい、そういうことにしておきます」
「隊長をからかうんじゃないの。しゅ、集合時間に遅れないようにするのよ」と、ウィルマは、頬を染めながら、ぷいとそっぽを向いた。隊員はウィルマの秘密のようなものを握って満足をしたのか、朗らかな笑顔を向けた。
「隊長も、ご家族とのひと時楽しんでくださいね!」
ウィルマとリーネはそのまま自家用車で街へと向かい、リーネがウィルマの手を引いて、街を練り歩く。
若さゆえなのか、久々の姉とのお出かけゆえなのか、リーネはまぶしいぐらいの笑顔を常に絶やさなかった。
しかし、長旅からそのまま街へ繰り出すという状況に、さすがのウィルマもへばり始め、二人は公園へと向かい、ベンチに腰掛けた。
戦時中とはいえ、他の欧州諸国に比べ被害が少ないブリタニアには、まだかろうじて平和だった頃と同じ風景が広がっている。
ウィルマはそのことにほっとすると同時に、いつかは破壊されてしまうのだろうかという不安をよぎらせた。
リーネは、そんなウィルマに気づかないまま、ぼんやりと話し始めた。
「お姉ちゃん、この間ね。うちに軍の人が来て、私にウィッチにならないかって…」
ウィルマは、目を見開き、ぐりっとリーネに顔を向けた。
ひと昔前ならまだしも、今の状況では、ウィッチになることは戦場行きを意味している。
妹が戦場に――
ウィルマは、髪をかき上げ、言葉を探し、視線を泳がせあたりを見回し、ある光景を目にし、立ち上がった。
「……ウィルマお姉ちゃん?」
ビューリングは、公園の草むらに寝転がり、かたわらに使い魔をはべらせ、すっきりしない曇り空を見上げ、懐から取り出したウィスキーフラスコを傾けて、飲む。
朝から何も入れていない胃に、アルコールが沁みる。
ふと、目をつぶり、さっと自分の顔に影が落ちたことに気がついて、ビューリングは少し大げさに起き上がった。
目の前には、見知った顔の少女が仁王立ちしている。
怒りのせいなのか、ウィルマの頬が引きつる。
「……あんた、こんなところで何してるわけ?」
「お前こそ、ファラウェイランドにいるはずだろう」
「私は休暇よ! あんたはこんなところで何してるの? ブリタニア空軍にいるんじゃなかったの?」と、ウィルマは両膝をついて、ビューリングに視線を合わせた。
ビューリングは、そのまっすぐな視線から逃れるようにして、脇にいる使い魔の頭を撫でた。
「今日は……、非番だ」
「その割にはもう出来あがってるみたいだけど」と、言いながら、ウィルマは辺りを見回す。
「ねえ、あの子は?」
ビューリングは、じっと草むらに視線を落としたままになり、ようやく口を開いた。
「オストマルクで死んだ」
「嘘……。だって新聞にはそんなこと…」
「新聞が常に真実を書くとは限らない」
草むらに座ったビューリングの膝の間で、ウィルマは地面に手をついて、体を震わせる。
ビューリングは、顔を上げて、ウィルマの後ろに立つリーネに、遠い目を差し向けた。
「お前は……?」
「妹です…」
「……似てないな」と、言いながら、ビューリングは起き上がり、ウィルマとリーネを置いて、その場を去った。
翌日、久々に実家の自分の部屋の広いベッドで目覚めたウィルマは、億劫そうに、起き上がる。
あの子が死んだ。
信じたくない。
けど、あいつが嘘をつくわけない……。
ウィルマは、大きく、長く、ため息をついた。
ウィルマは、数日とはいえ、世話になった飛行学校へたどり着くと、学校長の部屋をたずねた。
学校長は、葉巻を咥えたまま、椅子の背に体を預け、満足そうにウィルマを見つめた。
「いい顔になったな、ウィルマ・ビショップ軍曹」
「ありがとうございます」
ウィルマと学校長はじっと互いから視線を外さない。
しばらくして、ウィルマが口を開いた。
「オストマルクで、ウィッチが殉職したというのは事実でしょうか?」
学校長は思わず葉巻を噛み切りそうになって、灰皿に置く。
その動揺ぶりにウィルマは言葉を続けた。
「状況を、教えていただけますか? 口外するつもりは一切ありません。ただ、友人がなぜ戦死したかを知りたいだけです」
学校長は、額に浮かんだ汗をぬぐい、机に身を乗り出すようにして、指先で机を叩いた。
「死んだウィッチがいた部隊は護衛のため、上空の敵を殲滅中だった。途中、ビューリングが隊を離れ、独断で動いたため、彼女はそれをかばった。すまないが、私が言えるのはこれだけだ。ウィルマ軍曹?」
視線が定まっていないウィルマは、学校長の声に顔を上げた。
「申し訳ございません。それで、彼女の遺体は…」
学校長は、後ろの窓から見える岬に視線を向けた。
飛行学校裏の岬には草が生い茂っていた。
その緑の中に白い墓標が佇んでいる。
ウィルマはしゃがんで、墓石に刻まれた文字を撫でる。
学校長は、墓石の向こうの海を眺めた。
「彼女は孤児で身寄りがなくてね。だから、墓はビューリングが手配したが、結局、ここには一度も来ていない。無理もないかもしれないが…」
ウィルマは何も言わず、しばらくの間、墓石を眺め続けて、立ち上がった。
ドアが壊れるのではないかというぐらいの激しさで叩かれるドアに、ビューリングは目を覚ます。
視線を漂わせ、すっかり見飽きた基地内の、小さな個室のベッドに斜めに体を預けている事を把握した。
服は、昨日着ていたもののまま、汗臭さこそないが、パブやプールバーでもらってきたタバコやアルコールが混ざり合った臭気が鼻につく。
ビューリングは、のっそりと起き上がり、ドアを小さく開ける。
まだ10歳になったばかりだろうか、幼い少女がおびえながら、ビューリングを見上げた。
「た、大佐がお呼びです」
「……わかった」と、ドアを閉めようとするビューリングだが、少女は、ドアの間に足を入れた。
「おい…」
「た、大佐は…い、今すぐ来いと…おっしゃって…おられます」
今にも泣き出しそうな少女に呆れつつも、このままマイペースに動いて彼女の立場を危うくするのも忍びなく、ビューリングは、そのまま部屋を出た。
「まったく、理解しがたい…」と、大佐は執務机に書類を放り、噛み癖でもあるのか、すっかりでこぼこになったマウスピースのついた安物のパイプにタバコを詰め、マッチに火をつけた。
ドアがノックされ、幼い少女が押し開け、その背後からいかにもだるそうにビューリングが顔を出し、入ってくる。
大佐はしばらく煙をくゆらせ、すっかり冷めたコーヒーを、忌々しげに口に運び、ビューリングをちらりと見やる。
「酷い顔だな、ビューリング少尉。またパブ通いか?」
「いいえ、プールバーにも。しかし、昨日は非番でしたし、門限前には部屋に入りました」
「ほう。お前にしては珍しいなあ」と、言葉とは裏腹に、大佐はパイプのマウスピースに歯を立てる。
大佐のいらつきなど気づかないか、気づいていても、意に介さないビューリングは、ポケットを探って、すっかりつぶれたソフトパッケージから、曲がりに曲がった紙巻タバコを取り出し、指先で、整えながら、机においてあるマッチ入れを勝手に開け、置かれた書類と、その書類に書かれた自分の名前を見つけ出す。
中尉任官。
ビューリングは、目を狭め、マッチを取り出すと、火をつけた。
大佐は、ビューリングが目にした書類を指で拾い上げる。
「よかったな、ビューリング。空軍省は、お前を認めてくれているらしい」と、嫌味たっぷりに言う大佐。
ビューリングは、めいっぱい肺に煙を入れ、吐き出し、小さく息を吸った。
「差し支えなければ、大佐から断っておいていただけますか?」
「な、に?」
と、大佐がパイプを落としそうになった瞬間、ドアが大きく叩かれ、兵士が入ってきた。
「大佐、営門で騒ぎが!」
空軍基地の営門にて、ウィルマは、衛兵の少女とにらみ合いになる。
「だーかーら、何回も言ってるでしょ! 知り合いに会いに来たって」
「面会については事前に…」
「来週には帰るからそんな時間ないわよ!」
「お引き取りください」
すでに5回以上は同じやり取りが続いており、騒ぎに、門の向こうは、基地から出てきた人であふれ始めた。
衛兵は、まずい、という顔になり、小銃に手を置く。
これでウィルマがひくと踏んだのだが、ウィルマは逆に一歩踏み出す。
「そんなもんで私がひくと思ってるの? ウィッチなんだからそれぐらい簡単にはじけるのよ」
たぶん、とウィルマは心の中でつけ加え、少しだけ額に汗をかく。
「銃を下ろせ」という声に、ウィルマと衛兵は声がしたほうに顔を向けた。
門を抜けてきたビューリングがタバコ片手に、不機嫌そうに近づき、ぐいとウィルマの腕を引いて、基地から遠ざかるように進んでいった。
「おい、ビューリング少尉! シフトを無視するな!」と、走ってやって来た大佐が肩で息をしながら、叫ぶ。
「勤務開始までにはまだ時間があります」
ビューリングは顔だけ向いてそう言って、ある程度門から遠ざかるとウィルマを開放する。ウィルマは、つんのめりそうになりながら、きっとビューリングを見る。
「乱暴にしないでよ」
ビューリングは腕組みをして、口元を引き結び、冷たい視線で、ウィルマを見つめ返す。
「何しに来た?」
「……あ、あんたに会いに来たのよ」
ビューリングは眉間にしわを寄せ、わからない、といった顔になる。
「あの子のお墓参りしてないんでしょ?」
「必要ない」
「あの子が寂しがるわ」
「あいつは、私のせいで死んだ。償うまではあそこには行けない」
「償うって……?」
「あいつのストライカーで、奴らと戦って死ぬ。あいつと同じように。そして無様な亡骸をあいつのそばにでも埋めてもらう」
言い切った瞬間、ウィルマの拳が、ビューリングの頬に食い込み、ビューリングはよろけ、ゆっくりとウィルマに顔を向けた。
ウィルマは怒りと悲しみが一緒くたになった顔で、目を潤ませている。
「あんたが死に急いだって、あの子が戻るわけじゃないのよ」
ビューリングは、殴られた頬から手を下ろす。「私が、そうしたいんだ」
「うるさい! あの子は私の友人でもあったんだ! あんたが……、命を粗末にしたら許さない! 殴るだけじゃ済まさないからね!」
ウィルマは、言うだけ言うと、ビューリングに背を向け、その場から駆け出していく。
ビューリングは、ウィルマが見えなくなるまで、その姿を目で追った。
様子を見ていた衛兵が、駆けつける。
「大丈夫ですか? っていうか、やっぱり危険人物じゃない…あの子…」
ビューリングは、頬をもごもごさせて、血と一緒に歯を吐き出す。
衛兵は驚いて、顔を上げたが、ビューリングは、気にするでもなく、基地に戻っていく。
「……親知らずだ。歯医者に行く手間が省けた」
それから数日後、スオムスへの転属について、大佐から、ビューリングへと言い渡され、彼女は、スオムス行きをあっさりとのんだ。
リーネは、ウィルマの部屋の前でうろうろしてはドアノブに手を置いて、また離すことを繰り返す。
帰郷し、飛行学校へ行った日以降、どこかに元気をそっくり置き忘れてきたかのように、覇気の失われたウィルマを初めて見るリーネは、ため息をついて、庭へと出て行く。
遊びつかれた妹たちも昼寝を始めたためか、屋敷も敷地も静まり返っていた。
ふと、リーネの耳に、聞きなれていない音が入る。
バイクのエンジン音?
リーネは、首をかしげながらも、音がするほうへと歩み寄っていく。
門の格子の間から顔を出し、あ、と声を漏らす。
大型のオートバイ。
乗り手は、数日前にウィルマが話しかけていた銀髪の少女だった。
リーネは、記憶をたどって、呼びかける。
「ビューリング……さん?」
エンジンが切られ、乗り手はゴーグルを外し、髪の色と同じ、銀色の鋭い瞳をリーネに見せる。
「あいつは、いるか?」
「いますけど……、部屋から出てこなくて」
しょげかえるリーネを見、ビューリングはわずかに顔を伏せる。
「呼んでみますか?」
「いや、必要ない」
「けど…」
ビューリングは、何も言わず、少しだけ、眉毛を吊り上げた。
リーネはびくりとし、口をつぐむ。
ちりちりと、さえずりながら、そばにある木から鳥が飛び立つ。
リーネは、格子を握り締めた。
「ビューリングさんは、どうしてウィッチに?」
「お前には魔力があるといわれて、気がついたら訓練を受けていた」
「なりたくて、なったわけじゃない……ってことですか?」
「……そうなるな」
「やめようとは思わなかったんですか?」
「それは…」
言いかけて、今度はビューリングが口をつぐむ。
ふと、死んだ少女との日々が頭に浮かんで、消える。
ぐっと胸を圧迫されるような気がして、ビューリングは、顔を上げた。
「……居心地のいい場所を、見つけてしまったんだ。つい、のめりこみすぎた。だが、失った。私自身が招いたミスで」
目をぱちくりさせるリーネに、ビューリングは、ふっと眉尻を下げて、笑う。
「すまない。つまらない話をしてしまったな」
「いいえ、そんなこと……、ただ、私もウィッチにならないかって言われてて……」
「迷っているのか?」
「……少し」
「怖いのか?」
「それもありますけど、本当に、戦えるのか……、みんなを守れるのか、自信がなくて」
「姉はなんて言ってる?」
「まだ、ちゃんと意見を聞けてないんです」
「この状況で、妹がウィッチになるなんて嫌だと思うに決まってる。だが、あいつは、反対はしないと思う。最終的な判断は、お前がしなければならない。戦うのは、お前だからな。自信がない? 最初は誰だってそうさ。いや……、例外もいるがな」
と、ビューリングはリーネを見て、ウィルマと、少女を重ねた。
「私みたいなどうしようもないやつでもなれたんだ。真面目そうなお前なら、もっと上を狙えるさ」
ビューリングは、再びエンジンをかけた。
「あの、本当にお姉ちゃんに会わなくてもいいんですか?」
「ああ。それと今日ここに来たことは言わないでくれ」
「ビューリングさん」
「なんだ?」
「また、遊びに来てくださいね」
ビューリングは、ゴーグルをつけ、スタンドを蹴り上げた。
「……約束は出来ない」
リーネは、残念そうな顔をして、走り去るビューリングの背中を見送った。
家に戻ったリーネは、キッチンからの物音に、駆け出す。
見ると、ウィルマは探し物でもしているのか、棚という棚を開けて、覗き込んでいた。
ネグリジェ姿で。
リーネは、あられもない姿でキッチンをかき回すウィルマにわずかに顔を赤らめながらも、背後からウィルマに近づいて、ぎゅっと抱きつく。
ウィルマは、驚きながらも、甘えるとか、そういった感じではない、リーネの抱きしめ方に気がついて、腰に回っている彼女の腕をさすった。
「どうしたの? なにかあった?」
リーネは、ウィルマの背に顔をつけたまま、首を横に振った。
ウィルマは、リーネの手を外して、彼女に向き合い、口を開いたが、派手にお腹が鳴ったため、リーネがくすくすと笑い出す。
「お茶入れるね」
ウィルマは、リーネの部屋を見回す。
自分が家を出る前とは違って、カーテンの色が落ち着いたものになり、ぬいぐるみも減って、その代わりに、植物が置かれていた。
クローゼットの前にかけられている制服にも視線を移し、カップに紅茶を注いでいるリーネを眺めた。
「明日には、学校に戻るの?」
「うん」
「ごめんね。せっかく休みまで取ってこっち戻ってきてたのに、あまり、相手してあげられなくて」
「いいよ。会えただけで嬉しいもん」
と言いながら、リーネはカップを手渡し、向かいに座って、カップに口をつけた。
家の外も、中も、静まり返り、二人がカップを皿に置く音だけが響く。
ウィルマは、スコーンを食べながら、じっとリーネを見つめる。
リーネは、テーブルに視線を向けたまま、片方の手の指先をテーブルに置いて、唇をきゅっと閉じていたが、意を決したかのように、ウィルマを見つめ返した。
ウィルマにとっては、初めて見るリーネの表情。
「私も……ウィッチになる。どこまでできるかわからないし、空を飛べるほどの魔力があるかなんて分からないけど、困ってる人たちの力になりたい」
ウィルマは、カップの紅茶を飲み、きっと、リーネに、厳しい表情を向けながら、がちゃりとカップを戻す。
リーネは、つばを飲み込み、思わず、目をつぶった。
次の瞬間、リーネの頬を、ウィルマの髪の毛がくすぐり、リーネはウィルマに後ろから抱きしめられていることに気がついた。
ウィルマは、大きく息を吸って、いつもの元気な口調で言った。
「空で待ってるわよ」
スオムスへと向かうため、飛行船に乗り込んだビューリングはさっそくシートに乗り込んで、タバコをくわえる。
「禁煙ですよ、ビューリング少尉」と、同乗者の少女がたしなめる。
ビューリングは、舌打ちしそうになりながらもこらえ、窓の外の隣の飛行船に目を向けた。
少女がすかさず付け加える。
「ファラウェイランド行きみたいですよ」
ビューリングはぴくりと反応を示すが、振り切るかのようにして、窓から視線を外し、シートに寝転がる。
「お行儀がよくないですよ」
「タバコも吸えないんだ。好きに眠らせてくれ」
飛行船の前で仁王立ちしていたウィルマに、隊員が息を切らして駆け寄ってくる。
「す、すみません。遅れました!」
「ああ、もうぎりっぎりじゃない! 早く乗り込むわよ」
と、ウィルマは、有り余った力を発散でもさせたいのか、隊員のスーツケースを引っつかむと、飛行船から伸びている階段を駆け上がった。
息を切らしながら、シートに倒れこんだ隊員は、窓の外の隣の飛行船を眺めた。
「あっちもファラウェイランド行きですか?」
「ううん。さっき操縦士のおじさんっぽい人に聞いたけど、スオムス行きですって」
「へえ、スオムスといえばスキーですよねぇ」
と、表情を緩める隊員にウィルマは呆れ顔を向けた。
隊員は慌ててごまかした。
「冗談ですよ、冗談。それより、休暇はどうでした?」
隊員の質問に、ウィルマは、ふっと真面目な表情になり、隊員も、笑顔を引き締めた。
「いいことも悪いこともあった、かな。けど、あいつなら立ち直るって信じてる」
「あいつ? も、もしかして、コレ……ですか?」と、隊員は親指を立てる。
「違うわよ! 女の知り合い! 今の私は恋人より空! わかる?」
顔を真っ赤にして怒鳴るウィルマに隊員は耳を塞ぐ。
隊員は耳に指を突っ込みながら、苦笑いをした。
「そういえば、妹さんとは楽しく過ごせましたか? 見たかったなあ、妹さんに甘々な隊長」
「だ、だから前のアレは久々に会ったからで…」
「姉バカな人ってみんなそう言い訳するんですよねえ」
「あんた、落とすわよ」と、青筋立てたウィルマは隊員の胸倉を掴む。
そんな二人のにぎやかなやり取りを背にしながら、飛行船の操縦士は腕時計を見て、冷静につぶやいた。
「そろそろ行くとするか…」
1941年、ブリタニアにあるサフォークのマートルシャムヒース基地に、ブリタニア連邦王立ファラウェイランド空軍416飛行中隊が降り立った。
基地の司令官が、降り立ったウィッチ達の前に立つ。
416飛行中隊の隊長と思しき少女が一歩前に出て、敬礼をする。
「ウィルマ・ビショップ軍曹以下、ブリタニア連邦王立ファラウェイランド空軍416飛行中隊、ただいま着任いたしました」
その言葉を合図に、ウィルマの背後にいるウィッチたちも敬礼をする。
司令も、敬礼をし。うなづく。
「すでに欧州の大部分が落ち、残すはこのブリタニアのみと言っても過言ではない。実戦経験のない貴官らを、ブリタニア防空隊として空に送るのは、非常に心苦しいことではあるが、健闘を祈る」
「何年もこの日を待っておりました。ブリタニアの空は、我々が守ります」
ウィルマは、満ち満ちた瞳で司令に凛々しい表情を向けた。
その瞬間、基地にサイレンの音が鳴り響く。
大慌てで副官が駆けてくる。
「ドーバー海峡上にネウロイが出現しました。ガリア地方の巣からの出撃と見て間違いないです」
「うむ。ビショップ軍曹」と、司令が振り返ると、すでにウィルマたちは、インカムを耳に差込み、離陸体制に入っていた。
「司令、出撃許可を」
ウィルマは、持っていた軽機関銃の安全装置をはずす。
司令は、目を丸くしながらも、にっと微笑んだ。
「いってこい」
その言葉を合図に、ウィルマは叫んだ。
「みんな、いくわよ」
マートルシャムヒース基地とは別の、ブリタニア空軍の基地がどよめいていた。
「ドーバー海峡上にネウロイが」
「また偵察じゃないか?」
「これは……、偵察は偵察でも強行偵察だ」
「マートルシャムヒースより入電。ブリタニア連邦王立ファラウェイランド空軍416飛行中隊が出撃するそうだ」
「初めて聞くな…」
「例のブリタニア防空隊だろ」
と言う通信兵たちの後ろで、銀髪の少女は、持っていたカップを満たすコーヒーをすすると、それを操作盤の上に置いて、その場を後にする。
飛び立ったウィルマたちは、ものの数分もしないうちに、前方にネウロイを発見する。
ネウロイは、大型のものが一機。
「いい、焦らないでね。訓練どおりやればすぐに終わるわ」
「「了解」」
隊員たちは、フォーメーションを崩さないまま、大型機のほうへ向かう。
先頭のウィルマが、スピードを上げ、さっそく、引き金を引いた。
すれ違いざまに放たれた銃弾は、ネウロイの装甲にすべて命中するが、表面が剥がれ落ちるだけに終わる。
「かたいわね」
ウィルマの僚機も同じように装甲を撃つが、ほとんどが一番上の装甲に傷をつける程度のダメージとなっている。
しかし、ウィルマが撃った箇所に、さらに他の隊員が撃ち込んだことにより、装甲に一点の穴が開いたことを、ウィルマは見逃さなかった。上昇しながら、インカムで指示を出す。
「敵の装甲、相当かためだけど、皆で同じところを狙えば何とかなりそうだわ」
『できますかねえ…』
「じゃなくて、やるのよ!」
と、ウィルマは、縦方向にロールして、急降下する。
隊員たちも、顔を見合わせ、ウィルマに続いた。
上空に向け、弾をばらまくネウロイ。
ウィルマとその後に続く隊員たちは、くるくるとドリルのように回転しながら、それらをかわし、しっかりと狙いをつける。
ウィルマは、ネウロイとの距離をぎりぎりまでひきつけて、引き金を引いた。
僚機たちもウィルマ同様、距離を詰めて、同じところに狙いをつけて撃ち込む。
すっかりスピードのついたウィルマは、海面すれすれで体を引き起こし、また上昇して、宙返りしながら、とどめといわんばかりに、隊員たちが破ってくれた装甲から覗くコアを見つけると、狙いをつけて引き金を引いた。
「うそ?」
引き金がむなしくかちかちと音を立てる。
詰まった。
ウィルマは考える時間も惜しいと言わんばかりに、軽機関銃を放り、腰につけたハンドガンを抜いた。
ネウロイの放った銃弾に軽機関銃は一瞬で金属のかけらに変わる。
ウィルマは、その様子に臆するでもなく、コアに向け、一心に弾丸を与え続けた。
「隊長!」
隊員たちが、ネウロイにそのまま突っ込むウィルマを見て叫ぶ。
次の瞬間、ネウロイが悲鳴のような金属のきしりあう音を立てて、四散する。
シールドを全開にしたウィルマは、海面に大きな波紋を作り、海面すれすれに背を向けながら、飛行し、大きく息を吐いた。
「なかなか訓練どおりにはいかないものねえ…」
一人ごちるウィルマのもとに隊員たちが集まってきて、手を差し伸べた。
「初の撃墜ですよ、隊長」
と、隊員は嬉しさによるものなのか、目に涙をためて報告し、笑顔を向けた。ウィルマは、つられたように笑い、隊員の手を取った。
翌日、ウィルマはいきなり休暇を言い渡されたものだから、さっそく司令に噛み付きそうになる。
「いいか、軍曹。ネウロイの奴らは基本は週1ペースでやってくるんだ。2日連続で来るということはまずありえない」
「けど!」と言いかけて、ウィルマは言い直す。「し、しかしながら、戦場なのですからイレギュラーな事態になりうることは大いに」
「防空隊は君たちだけではない。常に万全にという、君の言いたいこともよくわかる。だからこそ、出撃日の翌日は非番なんだよ。英気を養うという意味でもね。ストライカーも、休ませねばな」
熱くなっているウィルマとは裏腹に、司令は穏やかに返すので、ウィルマはおとなしく休暇を受け入れることにした。
ウィルマは、滑走路を歩きながら、遠出用に、と司令から渡されたバイクのキーをひょいひょい飛ばしては受け止めながら、考え込み、きゅっと眉毛を吊り上げた。
ビューリングは、草むらに座り、空と、空を流れる雲、そして広がる海を、ただじっと眺めていた。
「ガソリンのチェックぐらいしとけっての…」
基地で借りたバイクは、ほぼガス欠に近く、数キロ走っただけで、エンジンが止まった。
ウィルマは、バイクを蹴り上げてやりたい衝動をおさえ、そのバイクを道の脇の木に立てかけた。
「帰りにガソリン買ってくるから、盗まれるんじゃないわよ」
ウィルマが、目的地につくころには、あたりはすっかり暁に染まっていた。
生徒もすでに寮に引っ込んだのだろうか、目の前に広がる滑走路には誰もいない。
ウィルマは、滑走路を横切り、校舎を囲う森へと入り、さらに進んでいった。
森を抜け、岬へたどり着く。
夕日を受けた墓石が、黒い影になって、ウィルマの視界に入る。
「なかなか来れなくてごめんね。私、ようやく初の撃墜したわよ」
ウィルマは墓石に近づき、しゃがみ、はっとして頭を伏せた。
「ごめん……。花、持ってこなかった」
「花なら、ここにある」
その声にウィルマは顔を上げ、辺りを見回すが、誰もいない。
しばらくして、墓石の後ろから黒い影が伸びたものだから、ウィルマはひっくり返った。
「ビューリング!? まさかあんた本当に死んだんじゃ…」
ビューリングは、素っ頓狂なことを言うウィルマに、はぁと息を吐いた。
「そんなわけないだろう。ほら」
ビューリングはウィルマに手を伸ばす。ウィルマは、恐る恐る、その手を取る。
あったかい。
ウィルマは、ほっとして、そのままビューリングに引き上げられ、立ち上がった。
二人は、じっと、見つめあうが、ビューリングは、ついっと視線をそらして、しゃがみ、つんできた花を一本一本墓石の前に並べた。
ウィルマは、その背中を眺めた。
「2年間、どうしてた?」
「お前に殴られて、何日かしてからスオムス行きを言い渡された。今も、基本は向こうにいるが、たまにこちらにも呼ばれてな。魔力も落ち始めているから、あまり戦闘には出てないが、たまに教官のようなこともやらされている」
「あ、あんたが教官……」
「トモコと同じような事を言うな」と、少しばかりむっとしたようなビューリングの声。
「誰、トモコって」
「スオムスの上官さ」
「そう。その人、よっぽどすごい人なのね。死に場所を求めていたはずのあなたが、今こうしてここにいるんだもの」
ビューリングの手が止まり、「……そうかもしれないな。トモコや他の奴らがいたから……」と、言いながら、ビューリングは、また立ち上がり、ウィルマを見つめた。
「だが、心の奥底には、こいつとお前がいた」
ウィルマは、なぜだか頬が熱くなってくるのを感じる。
「前者は分かるけど、私は……、別にあんたには何も……。せいぜいぶん殴ったぐらい……じゃない……」
「あのころ……オストマルクから帰ってそのままブリタニア空軍へ直行した当時は、恨み言を背で受ける毎日だった。実際、仲間を危険に晒したし、死にも追いやったから、当然の報いだと受け入れていた。なによりもつらかったのは、あいつを失ったことだったからな。そんな時にお前と再会した。驚いた。それと同時に、嬉しいとさえ感じている自分がいた」
「私はあの子の代わりには…」
「当たり前だろう。身の程を知れ」とビューリングはさっくり切り捨てる。
「な、何ですって!」
「あいつはあいつ、お前はお前だよ」
ウィルマは、額に手を置いて、状況の整理を始める。が、ビューリングの思惑が見えてこず、勢い任せに口を開いた。
「そもそも、あんたなんでここに? 親友のお墓なんだから来るのは当たり前といえばそうなるんだろうけど…」
ビューリングは、ぽりっと頬をかいて、銀色の髪を揺らし、背を向けた。
「お前なら、ここに来て、戦果報告でもしに来るんじゃないかって思ってな」
「それって……つまり……」
会いたかったってことなのだろうか、とウィルマは心の中で結論付ける。
今、ビューリングはどんな顔をしてるんだろう。
こういう時に、どういう顔をする子なんだろう。
ウィルマは、ビューリングの背中をじっと見つめるが、答えは出てこない。
「そんなの、まだわかるわけないじゃない」
突然のウィルマの言葉に、ビューリングは振り返って、首をかしげたが、ウィルマがぐいと腕を引いた。
「長居したら迷惑だから、帰るわよ。ところで、あんた、バイクで来た?」
「ああ」
「良かった。実はガス欠で置いてきちゃったのよね、バイク」
「だが、私のバイクにももうあまり残ってないぞ。街までは行けるが」
「ちょっと、それじゃあ明日の朝にならないと帰れないじゃない!」
「知るか、乗る前に燃料の確認をしなかったお前が悪いんだろう。まあ、初撃墜したみたいだし、せっかくなんだから街で飲むか」
と、ビューリングはバイクに跨って、ウィルマに予備のゴーグルを投げ渡す。
ウィルマはゴーグルをかけながら、ビューリングの後ろに乗りこんだ。
「どうしてもって言うなら、祝えば」
「なんだそれは」と、ビューリングは笑いをこらえたような声で言う。
ウィルマは、ビューリングの背中に体を預けた。
「悪かったわね、こういう言い方しか出来なくて」
「お前は本当に面白い奴だな、ウィルマ」
なんとなく馬鹿にされたような呆れられたような、そんな言い方ではあったが、ビューリングに初めて呼ばれる自分の名前になぜだか心地のよさを感じたウィルマは、ビューリングの腰に回した手に力を入れた。
「早く出してよ。お店が閉まっちゃう」
ビューリングは、バイクのエンジンをかけ、街へ向けてバイクを走らせた。
終