そして毎朝味噌汁を


独りぼっちの彼女の姿を見かけるのはひどく珍しくて、申し訳ないことに私はいつもその人と一緒にいる
あの子がもしかしてかすんで消えてしまったのではないかと思ってきょろきょろと辺りを見回してしまった。
テラスで一人、ぼんやりと空を見上げている様相の彼女の周りにはどんなに目を凝らしても他の人間
なんていなくて、だから私は吸い寄せられるようにそこにふらふらと歩いていってしまった。

どうしたんですか、エイラさん。

そう、尋ねる前にエイラさんは振り返った。ああ、リーネか。なんて小さく笑って、どうした?なんて聞いて
くる。きっとそうして自分に対する問いをすべて打ち落としてしまう算段なのだろうと思った。けれどもそんな
ものに屈するほどもう私は臆病じゃない。

「ひとりなんですか」

…我ながらひどい言葉だ、と思った。口をついて出た言葉は当初口にしようと思っていたものよりずっと
ずっと残酷だった。ひとり、だなんて見れば分かるのに。実際のところ私の心が欲していたのはイエス・ノー
のその先の、Whyの部分だった。どうしてあなたがこんなところに一人きりでいるんですか。あなたが
付きっ切りで離さない、大切な大切なあの子の世話はどうしたんですか。もしもほっぽり出してきたの
だったら少し怒ってやろうと思っていたからだ。エイラさんはサーニャちゃんと一緒にいればいい。そうして
幸せに笑っていればいいんだから。

ああ、ウン。
エイラさんは曖昧に笑んだ。皮肉なくらいに綺麗な顔立ち。きらきらと、黄味がかった銀髪が太陽の光に
輝いてさらさらとゆれる。落ち着いた蒼い色の瞳が私を捉える。でもきっと、私を移しているわけじゃない。

「ごめんナ、」

呟いたのは、たった一言だけだった。イエスでも、ノーでもなく、私の求めていた答えのひとつも与えること
なく、彼女はただ謝罪の言葉を述べた。何かばつの悪いとき、この人はすぐそうやって安易に逃げて話題を
逸らそうとする節がある。
私は少し口を尖らせた。なんですか、どういう意味の「ごめん」なんですか。ちゃんと言ってくれないと
分からないんですよ、そう言うことは。思うけれどもいつも口にして言わないから、多分この人は知らない。
多分彼女が思うのは「何だか知らないけどリーネが怒ってる。面倒だから関わらないようにしよう」なんて
ことだ。決まってる。

「…ゴメン」

もう一度、エイラさんが言う。だから、一体何に対する謝罪なんですか。私の口はますます尖る。そうやって
謝ってばっかりで、踏み入れさせても、共有させてもくれないで。あなたはひどい。本当にひどい。

エイラさんから目を逸らして、その向こう側にある空を見た。淡いシアンの色をしたエイラさんの衣服が空の
青と同化して、まるで彼女が空の一部になってしまったかのようだ。こんな人物画があったとしたら、私は
何も含まずにはあ、と感嘆の息をついて「綺麗」と感想を述べるのだろうと思った。もう嫉妬する気持ちさえ
浮かばないくらいに、この人と来たら絵になる人なのだ。…それなのに本人は着飾るとか、かわいこぶる
とか、そう言ったことにとんと無頓着なのだからうらめしい。むしろそういったことを気恥ずかしがるという
特異な気風の持ち主だったりするのだ。

ふと、その空を何かが2つ、掠めた。あの動きはストライカーだ。編隊飛行の訓練でもしているのだろうか。
自由にくるくると、楽しげに飛び回っている。あれは…

「芳佳ちゃんと、サーニャちゃん…?」

見間違えるはずがない。あれは紛れもなく芳佳ちゃんとサーニャちゃんの二人だ。
…でも、なんで?どうして?
ぐるぐると、頭に疑問符ばかりが浮かんでいく。あまりにも物珍しい組み合わせすぎて、どうして二人が
一緒にいるのかがわからないのだ。…だって、ああいった訓練のときは芳佳ちゃんとロッテを組むのは私の
ことが多いし、サーニャちゃんはエイラさんに引っ付いているばかりだ。それはまあ、そればかりじゃ実戦
じゃ何も役に立たないから別の人と組むこともあるけれど…そうだ、そもそもサーニャちゃんをこんな明るい
ときに見かけるのが、珍しいのだ。

ごめんな、と。本日三回目のつぶやきが聞こえた。そろそろ耳にたこが出来ちゃいますよ、エイラさん。
でも今度は、今度ばかりは、彼女の言いたかったことがなんとなく分かる気がした。だから何も言わないで
いてあげることにした。視線を落として彼女をまっすぐに見やって、次の言葉を促す。

「ホントは私が宮藤と一緒だったんだけど、サーニャと変わったんダ」

言いながらくるりと前に向き直って、私に背を向けてしまう。見つめる先にはやっぱり、芳佳ちゃんと
サーニャちゃん。何を話しているのだろうか、近づいて離れては、肩を震わせて微笑みあっているような。
私たちが見ていることも知らないではしゃぐその様を、私は見ていられなくてエイラさんの傍らに行くことに
した。そうして突っ伏して、彼女の服の青を見ていることにした。
エイラさんは身じろぐことなく、やっぱり空を眺めている。…悲しくないの?寂しくないの?自分と仲良しだと
思っていた子が、目の前で別のこと楽しげにしているのに?彼女の横顔を見ながら、届くようにと心の中
から語りかけた。もちろんのこと伝わるはずなんてないから、エイラさんはじっと空を見つめたまま。…その
瞳に涙が浮かんでいないことが、せめてもの救いだった。エイラさんの考えていることは分からない。だって
それを如実に示すはずの口調がいつだって平坦で、感情が入り混じる隙がないんだもの。例えば怒鳴る
とか、どもるとか、そう言う風にひどく変化しない限り、彼女の口調からその感情を汲み取ることなんて
出来ない。少なくとも、私には。

リーネ、あのさ。
ぽつりと尋ねられたから、私もようやっと口を開くことが出来た。なんですか、エイラさん。
「ゴメ」「もういいですよ。謝るのは」
この期に及んでまた謝罪の言葉を述べようとするから、私は強い口調でそれをさえぎることにした。何で
あなたが謝るんですか。どうして私に謝るんですか。そんな必要、全然ないのに。

「…サーニャは、宮藤が、好きダヨ」
「サーニャちゃんがそういったんですか?」
「…違うけど、分かル」

分かるんだよ、もう。付け足す言葉が少し震えているような気がしたのは、多分気のせいなんだろう。どうか
気のせいであってほしい。
ああ、それで、この人は気を回してあげたわけだ。そこでようやく私の頭の中ですべてが繋がった気がした。
何度も何度もこの人が私に謝った理由も。エイラさんは意外に他人に対して気を回す人なのだ。いつも少し
離れたところからみんなを眺めていて、実は隊のみんなの抱いている、いろんな内情を存外に知っている。
だから──だから、エイラさんは私に謝った。私と芳佳ちゃんが仲良しだって、エイラさんはちゃんと知って
いたから。それなのに芳佳ちゃんとサーニャちゃんの仲を取り持つようなことをして、だからごめん、と言う
意味だったのだろう。

…それなら最初からそう言えばいいのに。むしろそんなこと、最初から言わなくてもいいのに。
誰が誰を好きになろうと勝手だ。人の心は誰に求められない。それがわからないほど私も子供じゃない。
誰かが誰かを好きになったとして、純粋な厚意でその仲を取り持とうとした人に恨み言を吐くほど、人間が
出来ていないわけでもないのに。



「幸せになって欲しいんダ。サーニャには、いちばん。…ホラ、サーニャがこんな昼間の訓練に自分から
出ようとするって、すごいことだと思わないカ?ミヤフジだからだヨ。ミヤフジが一緒だからダ。」
目を細めて、エイラさんは二人の様子を眺めている。…それが涙をこらえてのものなのか、それとも仲睦
まじい二人を見て幸福な気持ちでいるからなのかは、知らない。

でも、私は。

「…いいんですか」
「ナニガ?」
「エイラさんはそれで、いいんですか?」

どちらにしても、とてもとても悲しいことだ、と思った。
当たり前だろ、とエイラさんが私のほうを見て笑う。なんで笑えるんですか、エイラさん。だって大好き
なんでしょう?だからあんなに大事に大事にしてきたんでしょう?なんとも思ってなかったら、あんなふうに
大切にしたりしないでしょう?

「…あのサ、リーネ。誰かのことを好きダ、大切ダ、って思う気持ちと、だから欲しい、自分のものにシタイ、
って気持ちは、違うと思うヨ。違うんだヨ」
その二つは繋がったものじゃないから、だから、自分のものにならなくたっていい。そんな『大切』もある。
…だから、自分は、それでいい。サーニャが幸せに笑ってくれるなら、それで。

思わず私はエイラさんの服の袖をつかんだ。顔がゆがむ。視界がにじむ。目頭が熱くなって、鼻がつん、
と痛くなる。
だってこの人と来たらひどく綺麗な笑顔でそんなことを平然と言ってのけるのだ。あんなに一杯の愛情を
注がれておいて、気付いてもくれないあの子の幸せを平然と祈ることが出来る。それが返って来るのが
自分でなくてもいいという。なんで、なんでそんな風にいえるの?そんなのおかしいよ。

「お、オイ、なんで泣くんだよ、リーネ」

うろたえた声がする。どもっているから、うろたえているのだと分かる。仕方ないじゃないですか。だって
すごくすごく悲しいんです。あの子はなんて幸せで、それでいてわがままなんだろう。本当にあの子は、
さながらのお姫様なのだ。ぽかぽか温かい温室にいるのが普通だから、その快適さを保つために躍起に
なっている人がいることなんて知りもしない。

ねえ、私じゃだめですか、エイラさん。あなたを幸せにするのは、私じゃだめですか。
今の気持ちの高ぶりのままなら、私は彼女にそう告げられるようなきがした。私がこの人にある特別な
感情を抱いてからずっと胸に温めてきた、けれどこの人にはもっともっと大切にする人がいると知っていた
からいえなかった、その言葉を。
けど、いえるはずがない。言ったとしてもたぶん、この人はそれを自分に対する慰めの言葉と受け取るだろ。
ああ、どうもありがとな、嬉しいよ。なんて言って、本心だと思いもしないですり抜ける。先読みなんてしなく
たってこの人はもともと状況判断能力にひどく優れているのだ。


「エイラさん。私さっきシフト表見たんですけど」
「…ゴメン」
「いいですよ。エイラさんがサーニャちゃんのこと大好きなのは良く知ってますから」
好きすぎて、大切すぎて、束縛さえ出来ないんだ、って。その子が自分のことを好いてくれなくたってその
恋を平然と応援してしまうくらい、大事に想っているんだって。幸せになって欲しいと思っているんだって。
それはこの人の悪いところで、たぶん、私の惹かれているところでもある。なんでもないようなひょうひょうと
した顔をして、その実ひどく思い悩んでいたりするから。



今月のシフト表が書き換えられて、なぜかサーニャちゃんと芳佳ちゃんが同じ日に休暇をとることになって
いた。恐らくエイラさんが自分と芳佳ちゃんのものを書き換えたのだろう、私とエイラさんが同じ日になって
いて。
そう言えば私はそれが不思議で、ミーナ中佐を探していたところだったのだった。

「今週末ですけど…どう過ごすつもりなんですか?」
「アー…そうだったのカ…ドウシヨ」

基地には居づらいしなあ、と情けない顔でぼやいて、私と同じように手すりに突っ伏す。…なんだ、やっぱり
結構気にしてるんじゃないですか。ほっとしたような、寂しいような、複雑な気持ちがわいた。人間だもの、
欲があるもの。やっぱり好きなものは、独り占めしたいんだ。…でも、優しさが邪魔をするから苦しいんだ。

「せっかくだから一緒に出かけます?ご飯食べに行ったり」
「…ブリタニアの料理ってあんまり美味くないんだヨ。それなら私はリーネの料理食べタイ」
「…そう、ですか?」
「うん、リーネの料理は美味いヨ。私好きダ。」

にこ、と子供みたいな無邪気な笑顔と、最上級の殺し文句。
…サーニャちゃんは正直すごいと思う。こんな顔をされてなんとも思わないなんて、私には無理だ。だって
一生懸命気にしないようにしてもどきどきしてしまう。これで何の含みもないというんだから恐ろしい。無傷の
撃墜王の通り名は別の意味もあるんじゃないかと思うくらい。
そこでぴん、と思いつく。ここからすぐ行けて、おいしい料理を出すことが出来て、きっと他の場所に比べたら
くつろげる、うってつけの場所がある。

…問題はそれを、私がうまく伝えられるかだ。

「あ、それなら私の家にきましぇ…私の家に、きませんかっ!」
ああだめだ。途中でかんでしまった舌がひりひり痛い。涙目になりながらエイラさんの返事を待つと、突然
あはははは、と笑われた。リーネって、やっぱりドジだよなあ。そんなところで普通噛むかあ??どこが
ツボに入ったのだろうか。おなかを抱えて、涙が出るまで笑われる。なんだか釈然としなくて口を尖らすと、
ごめんごめん、と頭を撫でられる。…サーニャちゃんにするそれで慣れているのだろう。悲しいくらいに、
優しい動き。

「イイナ、それ。うまいもん食べられるカ?」
「もちろん。腕によりをかけちゃいますよ」
「じゃあ、そうスル!なんか悪いナ」
「いいですよ。誰かさんが暇な休暇にしてくださったおかげですから」
「…う、だから悪かっタって…」

あなたのためなら、毎朝スープを作ってあげてもいいんですよ。あなたがそれで幸せそうに笑うなら。
その言葉を伝えるのはまだ早い。せめて今度、おいしいスープをエイラさんに振舞ってからだ。


続編:0454
続続編:1188

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