Hulluus Ajaksi Te
君があんまり素敵な笑顔で笑うから、私はきっとおかしくなってしまったんだ。
ねえエイラ、と名前を呼んだ君はふわりと寄りかかってきたから、
私はただその肩を肩で受けて、あたまにあたまを乗せて、
ひざを寄せてぴったりと寄り添うことにしたんだ。
「ひとを好きになるってすてきなことだね。」
頬を熟れたリンゴみたいに紅くして呟く言葉は、
心の中にするりと入り込んで幸せに変わっていく。
そうやってあんまり無邪気に笑いかけるから、
だからきっと私は────
サーニャと宮藤が付き合い始めたことを聞いたのは、
翌日の夕方のことだった。
────────
「よぉ、エイラ。ナイト・ウィッチを廃業したらしいじゃないか。」
夕食当番に遅れてやってきたシャーリーのやつが、
開口一番そんなことを抜かした。
「……何のことだよ。」
「何って決まってんだろ。サーニャのことさ。」
「サーニャがどうかしたのか?」
「とぼけんなよ。それともまだ聞いてないのか?」
「…………。」
「さっき宮藤が嬉しそうに話してたんだ。
私、サーニャちゃんと付き合うことにしたんです、ってな。」
「……はあ?」
「……ホントに聞いてないのか?」
「冗談だろ?」
「あたしがそんな意地悪なやつに見えるかい?全部マジだよ。」
「……っ!」
「あたしはてっきりお前が……おい、待て、エイラ!
このナベどうすんだよ!?」
宮藤がサーニャと付き合うだって?
そんなはずはない。
だってサーニャは今までずっと私と一緒に過ごしてきたんだ。
こんないきなり、私に何も言わずにいなくなるなんて、
そんなことがあっていいはずないじゃないか。
これは嘘だ。
あの暢気なリベリアンが考えた悪い冗談だ。
でなきゃドッキリでも聞き間違いでもなんでもいい。
サーニャは私だけのものだ。
誰にだって渡してたまるもんか!
「サーニャ!!」
ノックもなしにサーニャの部屋のドアをバタンと開けた。
一瞬血が上るあまり出てしまった自分の無神経さを呪ったけど、
中を見渡しても誰もいなかった。
すぐ隣の自分の部屋も同じだった。
ここにいないとなると……。
私はすぐに最悪の解答を導いた。
アイツの部屋だ。
陽が落ちてすっかり暗くなった廊下をただ走った。
一刻も早く本当のことを知りたかった。
でないと気が狂いそうだった。
「きゃっ!」
「わっごめん。急いでるんだ。」
最後の角を曲がる時、リーネにぶつかりそうになった。
リーネは私の顔を見るなりはっと息を呑んで、
それから悲哀だか同情だかに満ちた気まずい視線を送ってきた。
何だよその目は。
何だって言うんだよ。
やめてくれよ。
ちくしょう。
────────
ドアの前に立つと、中から楽しそうな笑い声が漏れてきた。
片方は宮藤で、もう片方は……サーニャ。
乱れた呼吸を無理やり整えて、深呼吸。
確かめてやる。
私とサーニャの絆がホンモノだって教えてやる。
大丈夫だ。今までずっとそうだったんだ。
「はい、どうぞ?」
適当にノックすると宮藤の気の抜けた返事が返ってくる。
私はもう一度だけ深呼吸して、それからノブに手を掛けた。
「ああ、エイラさん。こんばんは。」
宮藤の部屋は私の部屋には似てなかったけど、
私と同じくモノが少なくてかなり綺麗に片付けられている。
その入り口から対角線の向こうに備え付けのベッドが置いてあって、
宮藤とサーニャはその上で一緒に寝転がっていた。
「何やってんだよ、サーニャ……」
自分でもぞっとするほど冷たい声が出た。
二人の表情がみるみる曇っていく。
私が一歩近付く度に、驚きが疑問に、疑問が恐怖に変わっていくのが見てとれた。
きっと私はひどい顔をしてるんだろうな。
「何でサーニャが宮藤と一緒にいるんだよ……!?」
「それはわたしが芳佳ちゃんに───」
「宮藤ッ!!」
「えっ?…っわ!?」
ベッドに飛び乗って宮藤の襟首に掴みかかった。
身体が勝手に動いた。サーニャが宮藤のことを名前で呼んだ瞬間、
私の中で何かが切れる音がして感情が言うことを聞かなくなったのだ。
「シャーリーから聞いたぞ。オマエがサーニャに手出したって。」
「……それは」
「何でそんなコトすんだよ!?
オマエ自分が何したのかわかってんのかよ!?
私の目の前で、よくも、こんな──!!」
許せなかった。
あたまの中でぐるぐると渦巻く醜い色をした何かが、
私の背中を行ってはいけない方向にドンと突き飛ばしたようだった。
宮藤が憎い。
サーニャを奪おうとしたこの女が憎い。
全身に刻み込んでやる。
サーニャは私のものだ。
オマエなんかに渡すもんか!
「ふざけんな!!」
「エ、エイラさん──」
「絶対許さないからな!許すもんか!!」
「ちょっと……」
「サーニャは私のものだ!!
今まで私とサーニャはずっと二人でやってきたんだ!!
サーニャの隣に居ていいのは私だけだ!!
オマエみたいなヤツに、私のサーニャをとられてたまるかよ!!
わかったらもう二度とサーニャに手ぇ出すな!!
いいな!?」
宮藤は怯え切った様子でガクガクと震えている。
掴んでいた服を離してキッと睨むと、
宮藤は短く息を呑んで惨めな声を上げた。
ざまあみろだ。もうこんなヤツに用はない。
フンと冷笑を投げかけてから、私はやっと柔らかい顔を作った。
「ほら、サーニャ。こんなヤツほっといて一緒に───」
ぱんっ!
「…………?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
乾いた音がして、世界が90度回った。
おかしいな。私は今……。
「エイラのばかっ!!!!」
ぱんっ!
もう一度同じ音がした。
脳みそがグラグラ揺れて視界が歪む。
ほっぺたもひりひりする。
痛いよ。
何でだよ。
何でサーニャが私をぶつんだよ。
何で宮藤をかばうようなことしてるんだよ。
何で泣いてんだよ。
「わたしが芳佳ちゃんと一緒にいたいって言ったの!!
芳佳ちゃんにひどいこと言うエイラなんて、だいっきらい!!」
やめろよ。
やめてくれよ。
私はオマエがそんな顔になるのが嫌だったから、
こうして助けに来たんじゃないか。
何でそんなコト言うんだよ。
泣いたりなんかしないでくれよ。
いつもみたいに笑いかけてくれよ。
「出て行って。」
「サーニャ──」
「出て行って!!」
なんなんだよ。
わかんねーよ。
やめてくれよ。
ちくしょう。
────────
自分が夕食当番だったことを思い出したのは、
中途半端に欠けた上弦の月が天頂を通り過ぎた後だった。
空腹なんて感じないけど、
代わりに気持ち悪いドロドロしたものが
胃の底に溜まっているみたいだ。
自分の部屋に戻れる気分じゃないから、
ハンガーの隅っこに小さく座り込んで、
真っ暗な空を雲が行き来するのを見ていた。
冷たい風がゆっくりと私の体温を奪っていく。
このまま凍ってしまえばいい。
氷柱のように冷たく鋭い心を持てば、
きっとこんなに苦しい思いなんてしないんだ。
あるいは本当に───いっそ本当に氷になってしまおうか。
生きる意味を失った私はもう、この世にいても仕方がないんだ。
だったら……。
「ここにいたんですか」
突然、今二番目に聞きたくない声が降ってきた。
私が顔を上げて睨みつけると、ソイツは少しだけ躊躇うように視線を逸らし、
しかしすぐに向き直って睨み返してきた。
「探しましたよ、エイラさん。」
「宮藤……。」
このまま立ち上がって掴みかかって
殴り飛ばして踏み潰して突き刺して
叩き潰して打ち壊して噛み砕いて
切り裂いて引き擦り出して
ただの肉片にしてやろうと思った。
「エイラさんに確認したいことがあって来ました。」
「……何だよ。」
「サーニャちゃんのこと、好きだったんですか?」
宮藤の小さな身体はハンガーの反対側までいとも簡単に吹き飛んだ。
シールドを張る気もなかったのかコイツは。何がしたいんだ。
宮藤は殴られた脇腹の辺りを右手で抱えてよろよろと立ち上がり、
今度はさっきよりずっときつい目で私を睨み抜いた。
「今、全力で殴りましたね。」
「ああ。殺す気で殴ったさ。
オマエさえいなければサーニャは私と一緒になるはずだったんだ。
オマエが私のサーニャを奪ったんだ!!」
「……本気で言ってるんですか。」
「それが私の全てだったんだぞ!!本気に決まってるだろ!!」
「だったら──
だったらどうしてサーニャちゃんにも本気でぶつかってあげなかったんですか!?」
……なんだと?
「サーニャちゃんが本当に好きだったのは、エイラさんなんです!!」
「──何を」
「サーニャちゃんは今まで何度もエイラさんに何度もアプローチしてきました。
それはもちろんエイラさんのことが好きだったからです。
でもエイラさんはそれをただ受け入れるだけで、
自分からは全然なにもしてあげなかった!
同僚として世話を焼くことはあっても、
恋人として接してあげることなんてなかった!
全部サーニャちゃんから聞きました!」
「違う!!私はただサーニャがそうするから、
サーニャが幸せそうに笑っていたからそれでいいと思って──」
「そんなのは言い訳です!!
エイラさんは今までただの一度でも、
サーニャちゃんに"好きだ"って言ってあげたんですか!?」
「──それは、……」
「最初に私に相談してきた時、サーニャちゃんは本当に辛そうでした。
わたしがいくらエイラのために尽くしても、
エイラは全然応えてくれないって、そう言いました。
どうして応えてあげなかったんですか?
たった一言"好きだ"って、どうして言ってやれなかったんですか?
サーニャちゃんはエイラさんがそう言ってくれるのを、
ずっと、ずっと待っていたのに!!」
見えないバットで頭をぶん殴られた気分だった。
────────
「なんだよそれ……。」
だって、私たちは通じ合っていたんだ。
言葉なんて交わさなくても、分かり合えていたんだ。
ぎゅっと手を繋いで、見つめ合って、
それだけで幸せだったんだ。
私だけだったって言うのかよ。
「そんなわけ……」
「エイラさんには失望しました。
あなたのような人に、サーニャちゃんは渡せません。
もうこれ以上、サーニャちゃんが傷つくところは見たくないんです。」
「……っ」
「だから私はサーニャちゃんに想いを伝えたんです。
私はあなたのような卑怯者ではありませんから、
言わなきゃいけないことは全部きちんと言いました。
本当はあなたとサーニャちゃんの仲を応援するつもりで
ずっと隠していようと思っていたんですけど……。
それは無意味になったのでやめました。
エイラさんには、サーニャちゃんを幸せにする資格がありません。
私がそう判断しました。」
「私は───」
私はサーニャが幸せならそれで良かったんだ。
それだけだったのに、私にはできなかった。
どうして?
決まってる。
私はサーニャのことを、何も知ろうとしなかった。
触れてはいけないところに触れてしまうのが怖くて、
本当に触れて欲しかったところにも気付かなかった。
自分の手で壊してしまうのが怖くて、
まるで箱の中の冷たい宝石にするみたいに接していた。
でもそれは違ったんだ。
サーニャはいつだって私に触りたがったし、
"好き"も"ありがとう"も全部私に伝えてきたんだ。
それなのに私はくだらない羞恥心と勝手な思い込みで、
「一緒にいるだけで幸せ」だなんて身勝手を決め付けて、
笑顔の裏にある本当の気持ちから目を逸らしていたんだ。
私がばかだったんだ。サーニャの言う通りだ。
いくら一番に想っていても、それだけでじゃダメだったんだ。
想いは伝えなきゃ意味がないんだ。
伝え合って、確かめ合って、
それから初めて通じ合えるんだ。
最初のステップを飛ばして心を交わした気になっても、
それで繋がり合えるわけなかったんだ。
「私が───裏切ったのか。
サーニャの気持ちを。」
「そうです。あなたは卑怯者の裏切り者なんです。
あなたにサーニャちゃんを幸せにする資格なんてありません。
だからもう、サーニャちゃんのことは諦めてください。」
私はとんだくずやろうだった。
────────
何日か経って、宮藤とサーニャが一緒にいる光景は普通になった。
いつも手を繋いでいた。ハンガーでキスしてるところもたまたま見つけた。
私のベッドにサーニャが転がり込んでくることもなくなったし、
夜間哨戒に宮藤が一緒に出ることも多くなった。
私は全くと言っていいほど、怒りを感じなかった。
憎くてたまらなかったはずの宮藤がサーニャに何をしても、
今やなんの憤りも抱かなくなってしまった。
だって、サーニャは笑っているんだ。
私といた時よりずっと楽しそうに、
幸せで仕方がないんだとでも言いたげに笑うんだ。
怒ったりなんてできるわけないじゃないか。
私の生き甲斐だったその笑顔はもう、
私を必要としていなかった。
「隣、いいですか?」
滑走路の端に座ってぼーっと海を眺めていたら、
どういうわけかリーネが話しかけてきた。
「……好きにしろよ。」
「私、芳佳ちゃんのことが好きだったんです。」
「……。」
「でも、振られちゃいました。というか、付き合ってると思っていたのは私だけでした。
ばかみたいですよね。いつも一緒にいれば、それだけで充分だと思っていたんです。
付き合っているのが当たり前過ぎて、一度も想いを確かめ合ったりしませんでした。」
「……。」
「今でも後悔しています。どうしてもっと早く、気持ちを伝えなかったのかって。
でも、過去を変えることなんてできません。
芳佳ちゃんはサーニャさんと結ばれてしまったんです。
でも、だったら私は、新しい恋を探します。
芳佳ちゃんに、笑って『おめでとう』って言えるように、
私の幸せを見つけようって、そう思うんです。」
「……。」
「勝手に話しててごめんなさい。
でもエイラさんにだけは話しておきたかったんです。
エイラさんもきっと、同じ想いを抱えた仲間だから……。」
「わかってるさ。」
私はもう大丈夫だよ。
だってこんなに穏やかな気持ちなんだ。
全部これで良かったんだ。
私のしたことだって、間違ったことばかりじゃなかったんだ。
私の一番大切な人は、
大好きな人の隣で今もきっと幸せそうに笑っているんだ。
それだけでいい。
それだけで、さ。
「……エイラさんって、優しいんですね。」
「そんなんじゃねーよ、ばか。」
endif;
結局のところ、サーニャの一件で一番落ち込んだのが私なら、
一番あっさり終わりにしたのも私なのだった。
特にミーナ隊長なんかは私に何度となく休暇を勧めてくれて、
それでも普通に出撃して今まで通りの戦闘をこなすと、口ではホッとしたようなことを言いつつ、未だに心配そうな顔をする。
でも、
私は大丈夫。
もう、大丈夫なんだ。
────────
滑走路でリーネのやつになんだかくすぐったいことを言われた日、私はサーニャの部屋に行った。
どうしても一言謝っておきたかったからだ。
月並みな言い訳と陳腐な謝罪の言葉を、サーニャは黙って聞いてくれた。
「私の中での折り合いはもうついてるの。」
それが返事だった。
「全部終わったから、もういいの。
そんなことでエイラとぎくしゃくするのは、もっとイヤ。
だから今まで通りで、いい。」
その言い回しは私の知っているサーニャにはまるで似ていなくて、しかもコイツときたら部屋のそこここに宮藤の私物を置いてるんだ。
一気に全部どうでもよくなってしまった。もうコイツに私は必要ないんだ。
お互いにあんまり変わってしまったのがおかしくて、つい無意味な笑いが込み上げてきた。
よりによってあのサーニャに、私は一本取られたんだ。
「今まで通りでいい」、だって。
私にとって恋人同士の触れ合いだと思っていた関係は、
サーニャにとってはただの友達同士のそれだったってわけだ。
まったく笑える話じゃないか。笑わずにいられるほうがどうかしてる。
「なかなかヒドいこと言えるようになったじゃないかー。」
「ふふふ、芳佳ちゃんのおかげだよ。今更後悔してももう遅いんだから。」
「後悔なんてないさ。サーニャは今、シアワセか?」
「うん。とっても。」
「ならいいんだ。サーニャがシアワセなら、今はそれでいいんだ。私はさ。」
後ろめたさなんて残っちゃいない。
サーニャの屈託のない笑顔を見てやっと確信を持てた。
だからごめんの他にもう一つ、言えたら言おうと思っていた科白を、
私は自然に口にしていた。
「サーニャ、おめでとな。」
「……ありがとう。」
同じ日の少し後で宮藤にも謝ろうとしたら、「サーニャちゃんがいいなら私もいい」みたいなことを言われた。
判断は上に任せる、ってか。なんとも扶桑人らしい答えだ。
コイツはコイツで相変わらずなので、妙に安心してしまった。私も現金なもんだな。
────────
まあそんなわけで、私とサーニャはいわば親友同士になったってわけだ。
あまりの後腐れのなさに正直自分でも驚いてはいる。こういうってなんか、気まずくなったりするもんじゃないか。
だから私はたぶん幸せ者なんだ。私の恋は叶わなかったけど、
こうしてサーニャの隣で一番に「おめでとう」を言える。
二人の幸福を一番近くで祝福できるんだ。
そんな関係だって、悪くない。
もし二人が結婚したら、式は私が仲介役をしよう。
子供ができたら、名付け親になってもいい。とびきり素敵な名前をつけてやるんだ。
それで二人が忙しいときは家にお邪魔してその子の世話を焼いたりして。
そんな未来だって、悪くないじゃないか。
私はヒドいヤツだったけど、今はもう大丈夫なんだ。
だって私は、気持ちを伝える喜びを知っている。
本当に分かり合えることの素晴らしさを、こんなにも知ってしまったんだ。
だからさ、なあサーニャ。
こんな私でも、今ならもう一度、誰かを好きになれる気がするよ。
一緒にいられることが嬉しくてたまらない、そんな誰かを見つけられそうな気がするんだ。
そしてそのとき私は絶対、真っ先に言ってやるんだ。
「好きだ」の一言を、必ず伝えてやるんだ。
だからサーニャ。そのときは、
オマエが一番にお祝いしてくれよな。
約束だかんな。
break;