無題
沈丁花 いまだは咲かぬ 葉がくれの
くれなゐ蕾(つぼみ) 匂ひこぼるる
ねえ、ずっとずっと、伝えたいことがあるんです。
まるで春の穏やかな昼のような、柔らかな色をした背中の水色を見やりながら、私はいつも思うのです。
伝わればいいのにと、願うのです。
私はたぶん臆病で、つぼみのようにきゅっと心を瞑って押し隠しているからあなたはきっと気付いていない
でしょう。でもきちんと見ているんです。あなたの優しさが私を照らして、あなたの言葉が私を潤す。そうして
私は大きくなって、花開く日を今か今かと待ちわびているのです。
ねえ気付いていませんか。あまりにも思いが募るから、私のつぼみは紅く色づいてしまう。伝えたい、
けれど言い表せない気持ちばかりが募って、固く結んだつぼみからも甘い香りが溢れてこぼれてしまう
んです。それでも気のせいだ、なんてあなたがいうからほら、みんなが後ろで笑っている。肩をすくめて
私に手を振る。がんばってね、健闘を祈る、なんて。
昼間の日差しはぽかぽか、穏やか。待機しているブリーフィングルームは、窓際に座るととても温かい
日差しが心地よく差し込んでくるのでした。お昼寝好きのあのロマーニャの猫さんも、よく好き好んで机の
上で丸くなっています。明るい日差しにめっぽう弱い私だけれど、陽だまりでこうして眼を閉じて眠りに
就くのはとてもとても好きなのです。真っ最中に眠ってもらっては困るからと、朝礼の時あなたは決して
そこに私を座らせてくれないけれど。
くてん、と傍らのあなたに体を預けたら、ウワ、と小さな呟きが聞こえました。…先読みの魔法が使える
はずのあなたなのに、それを差し引いても他人の行動を先読みするのが得意で、普段はうろたえることの
少ないあなたなのに、なんで、どうして、こうして私がひとつ行動を起こすたびにいちいち反応するの
でしょう。たぶんきっと、この人の頭の中にあるマニュアルに、私のことは一切記載されていないのに
違いありません。そもそも項目さえなくて、これから増えることもなくて。…このひとは、私が自分に対して
何かをするはずがないと勝手に思い込んでいるのです。良いことも、悪いことも、何ひとつしないだろうと。
要するに自分のことなど何も思っていないだろうと。
ねえ、それはちがうよ。ちがうんだよ。
ほら、こうしてさりげなく手を伸ばして、触れて、きゅっと握って。
そう伝えようとするのに握り返されることなんてなくて。あなたの口から漏れるのは「さーにゃ、」なんていう、
情けない呼びかけだけ。どうしたんだよ、おかしいよ。そういわんばかりの言い分。
ねえあなた、届いていませんか。つぼみのままでもこぼれてしまっている、甘い甘い香りに気付いていませんか。
あなたの優しさが温かすぎるから、あなたの言葉が柔らかすぎるから、つぼみの私は色づいて真っ赤に
なってしまっているのに、あなたは気付いてくれませんか。ほらまたすぐそうやって「しょうがないな」なんて
言って、私の行動すべてをなんでもないことにしようとする。意味がないわけないじゃない。それが伝え
たくて一生懸命になっているのに、あなたはいつもそっぽを向いてしまう。その耳が真っ赤に染まっている
のを見てしまうから、それでも期待してもいいかしらと思うのです。ねえもしかしたら、ベクトルは向かい
合ってはいませんか、って。
まるで一方通行だな、とリベリオンのあの人が、私たちを評してそう言っているのを聞いた。あの時も私は
この人の隣でうとうととしていて、膝の上で心地よく、眠った振りを決め込んでいたのだっけ。
なにしてるんだ、とあなたが尋ねられたから、あなたは「寝ちゃったんだ」と答えて。
「愛されてるねえ」と言われてあなたは「眠かったんだろ」と答えた。だから仕方ないんだ、と。
ねえひどいでしょう?本当にもう、一方通行ばかりなんです。そうとばかり思い込んでいるんです、この人と
来たら。まあせいぜいがんばれよ、と言うその人の残した言葉にあなたは一人きょとんとしていたけれど、
それはきっとたぶん私に向けられたものだったのです。
ねえ、
ねえ、
あのね、
だいすきなんです、ほんとうに。
花開いたら気付いてくれますか。花開くまで気付いてくれませんか。
まだ少し冷たく吹く風におびえて、つぼみのまま想いを縮こませている私。ようやく咲かせたその花を見て、
あなたが笑んでくれるかわからないから綻ばせるのをためらっているんです。
だけど本当は気付いて欲しい。もうすぐ咲きますよ。あなたが懸命に守って、育ててくれたからですよ。
そう伝えたいから頬を染めて、甘い香りをこぼしているのにやっぱりあなたはきづかない。目を薄く開くと、
空色をしたあなたの服がみえる。深く、深く、遠く蒼くてつかみ所のないところはあなたの心にどこか似てる。
どこまでも広がっているようなのに確かに私を包み込んでくれる、優しいところまでもそっくりで。
だいすきだよ。とってもすき。伝えたくて伝えたくて仕方がない。そのくらいすき。
心の中で唱えるだけで、とてもとても幸福な気持ちになれるのはどうしてかしら。けれども同じくらい切ない
気持ちにもなる。伝えられなくてごめんなさい。もうちょっとだけ待ってください。それまでどうか私を温めて
いてください。
伝えきれない気持ちを言葉にして乗せてみる。たくさんたくさん考えたのに、こぼれた言葉は一つだけ。
「えいら」
あなたの名前。愛しい響き。ねえ今この音の響きにも、私は甘い香りを乗せたのです。
けれどあなたは気付かない。あれ、寝ているはずじゃなかったのか?不思議そうに首をかしげて私の顔を
覗き込むだけ。しばらくの沈黙の後、あなたの口がひとつの答えを紡ぐ。
「さーにゃ」
何の変哲もない私の名前が、いとしい響きとなって鼓膜を振るわせていく。やっぱりあなたはとてもひどい人。
私の気持ちなんてぜんぜん気付いてくれないくせに、どうして私の心ばかりを惑わすの。
だから私は仕返しとばかりに、もう一度甘い香りをこぼすのです。あなたの名前に乗せて、今度こそ届き
ますように、と。…結局のところ、あなたが気付いてくれないことなんて分かりきっているのですけれど。
えいら、
さーにゃ、
えいら、
さーにゃ、
えいら…
飽くこともなく何度も、繰り返し、繰り返し。お互いの名前をひたすら呼び合います。伝わらない想いばかりを
乗せて、愛しくて甘い響きだけを抱いて。
起きてるんじゃないか、といまさらのように笑うあなたの声。なんだか少し嬉しそうなのは、勘違いなんか
じゃないと信じてもいいのでしょうか。ねえお願い、信じさせて。もう咲いていいんだよ、待っているんだよ、
っていって欲しいんです。そうしたらきっと、春はすぐにやってくる気がするから。
つぼみは紅に色づきました。甘い香りはすっかりこぼれてしまっています。
ほら、あとは春を待つだけなのです。
了