無題
あれから――私はリーネと一緒にいることが多くなった。
同じ失恋をした身として、傷を舐めあって互いを癒しているのだろうか。
あるいは一人でいる寂しさを拭うために求めているのか。
どちらにせよそれでサーニャのことを忘れられるかと言ったら勿論そんなことはなく、ただ虚しさが募るばかりだった。
自由時間は苦痛以外のなにものでもない。
サーニャと過ごした楽しい日々を否が応にも思い出させるから。
任務に没頭していれば何も考えないで済む。
任務といえばサーニャとロッテを組むことはなくなった。
中佐が気遣ってくれているのがすごくわかって、逆にそれが辛い。
いつもはからかってくるシャーリー達も、この頃は何も言わずに慰みの目で私を見てくる。
ほっといてくれればいいのに。
同情も叱責もいらないから、ほっといてくれと思う。
一度、リーネが私を押し倒したことがあった。
そのときのリーネはとても蠱惑的な笑みを浮かべていて、いつもはおとなしい彼女があそこまで艶かしくなれるのが不思議だった。
私の手をとって自分の胸に押し当て、首や頬に何度もキスを落とした。
リーネが遂に唇にキスをしようとしたところで、私は冷めた声で「リーネ」とだけ言った。
彼女の表情が一瞬で凍り付いた。
目の前の相手に焦点があい、醒めたのだろう。
いや、もしかしたら最初から私とわかっていながら手を出してきたのかもしれない。同じ境遇の私なら受け入れてくれると思って。
間違っている。
私が受け入れると考えたことではなく、私を求めたことが。
いくら私を貪っても、リーネが満たされることはない。
満たされぬことからくる失望とさらなる欲望に身を締め付けられるだけだ。
リーネは一言「ごめんなさい」と告げて部屋を後にした。
もしあのときリーネを受け入れていたなら、今はもう届かないサーニャを思って疼くこの体くらいは鎮められたかもしれない。
自らの手で慰めることもできるが、私にはそれすら許されてない気がした。
そんな私を癒してくれるものはただ一つ、サーニャの笑顔だ。
隣にいるのが私ではなくても、その笑顔は私の幸せだ。
同時に、かつてのあの熱い思いが消え失せていることを感じる。
少し前なら、サーニャに他の人が触れるだけでひどく憎らしかったのに。
この虚無感が何より辛かった。
もうサーニャもあの日々もあの思いも戻ってこない。
けど叶うなら、もう一度ラジオを聞きながらサーニャと夜空を飛びたい。
ガリア地方のネウロイ掃討から三日、昨日はちょっとしたパーティーがあった。
というのも、正式に501解散とあってみんなでお別れ会をしようということになったのだ。
ルッキーニやハルトマンの一発芸は面白かったし、少佐の剣舞や中佐の歌への感動も一入だった。
それでも何か物足りないのは、やっぱりサーニャが隣にいないからだろうか。
もうサーニャのことは好きじゃない――それは自覚できてるし、狂おしいほどの嫉妬心がないのが何よりの証拠だ。
じゃあどうしてこんなに寂しいのか。
もしかしたらサーニャへの気持ちがわずかに残っているのかもしれない。
しこりのように残るこのわだかまりが鬱陶しいと思う反面、いつまでも縋っていたいと考える自分がいるのも事実だ。
だって私がサーニャのことを好きだったと証明できる唯一のものだから。
この愛がなければ今の私はいないから。
中佐から聞いた話では、サーニャはオラーシャに戻って家族を探すらしい。
最初は私と一緒にスオムス戦線に異動する予定だったが、サーニャたっての希望ということで受け入れざるを得なかったとか。
確かにサーニャは両親を溺愛していたし、家族探しを優先するのも無理はない。
けど私にはサーニャが私といることを拒んだようにしか思えなかった。
別に、どうでもいい――そう言いたいところだけどやっぱり悲しかった。
憐憫の表情を浮かべる中佐の手前ポーカーフェイスを気取っていたが、うまく隠し通せたか自信がない。
「こんなところにいたんですね、エイラさん」
背後から呼びかけられだけど振り返らない。
もう誰だかわかっているから。
サーニャを失ってから、私はよく基地で一番高いこの場所で空を見上げるようになった。
そんなときリーネは必ずやってくるのだ――私がそれを望んでいようがいまいが。
「もうそろそろ出発ですよ」
声はまたも少し遠くから聞こえてきて、どうやらまだ入り口に立っているらしい。
いつもはすぐ隣に駆け寄ってくるのに、どうしたんだろう。
怪訝に思い振り向くと、リーネはあのときの中佐と同じような――それ以上に傷ましい表情をしていた。
それで合点がいった。
たぶん、サーニャの転属云々の話を聞いたのだろう。
リーネは優しい、優しいから私の体験をまるで自分のことのように考えてしまう。
ときには感極まって涙してしまうほど。
だからリーネには今回のサーニャの件を知ってほしくなかったのだ。
私以上にこのことを悲しむのが目に見えていたから。
そう、今のように。
「誰から聞いたんだ?」
「芳佳ちゃんが……『サーニャちゃんね、家族を見つけたら扶桑に来てくれるんだ』って」
あの二人はもう将来の約束までしているのか。
私はずっと立ち止まってるのに。
けどサーニャが笑うのならそれが一番いいんだ、きっと。
それよりも私はリーネのことが心配だった。
よりによってミヤフジからこのことを聞くなんて。
ミヤフジがリーネの気持ちに気付いてたか知らないが、どちらにせよなんて残酷なことだろうか。
表情から私の考えていることを汲み取ったのか、顔の前で手を振りながらリーネは言う。
「私は大丈夫ですよ。前にも言ったじゃないですか、新しい恋を探すって」
じゃああの間違いは――そう思ったけど黙っておくことにした。
口ではそう言っても私と同じで完全には諦めきれていないのだろう。
視線を空に戻すとリーネが問いかけてきた。
「エイラさんは、いいんですか?」
「いいも悪いもないサ。私が決めることでもないしナ」
嘘は言ってない。
でも心中を全部晒したわけでもない。
どうしようもないのは事実だし、私はそれについてなにも異をはさむ気はないけど、胸が少し痛いのもまた確かなことだ。
「ならいいですけど……エイラさんはこれからどうするんですか?」
全然納得してないようだが、この話を避けたいという私の雰囲気を感じ取ってくれたみたいだ。
「私はスオムスに戻って今までどおりネウロイと闘うだけだヨ」
とっくに知っているはずなのになんでそんなことを聞いてくるのか。
不思議に感じているとリーネが近づいてくる音がして、寄り添うように私の隣に立った。
見つめられているのは気付いてたけど、あえて横を向かなかった。
今リーネの顔を見たら、たぶん折れちゃうから。
「エイラさん、これ」
いつまでも見つめているわけにはいかないと思ったのか、リーネが私に何か手渡す。
彼女の顔を見ないまま手探りのみで受け取ると、それは小さい紙だった。
真ん中に丁寧な字で住所と思しきものが書いてある。
疑問に思う前にリーネが説明する。
「それ、私の連絡先です」
なんで連絡先なんか、なんて野暮な質問はしない。
連絡先を教える理由はただ一つで、それをわからないほど私は馬鹿じゃない。
だから疑問に思ったのはそこじゃなかった。
「なんで私に?」
生真面目なリーネのことだから、案外みんなに配って回ってるのかもしれない。
だとしたら私はただの自意識過剰ということになるが、そうではなかったようだ。
「いつになってもいいので、手紙ください……私、待ってますから」
リーネはまた間違いを犯そうとしているらしい。
この期に及んでまだ私に対する感情が錯覚と自覚していないのか。
それを諭そうとしたとき、リーネが胸に飛び込んできた。
「間違いなんかじゃ、ないです……」
心でも読まれたのかな。
先手をとられた私はとりあえずリーネの背中に手をまわした。
一度嗚咽のような声を漏らしたかと思うと、離れたときには既に華やかな笑顔だった。
「じゃあ私先に行きますね」
そう言ってリーネは階段を降りていき、すぐ見えなくなった。
リーネを抱きしめていた時間は時間にすればたぶん十秒に満たない。
けど渇ききった私の心は、サーニャを失って以来初めての充足を感じていた。
編集註:この続きは
0455の分岐を前提としています。
もううんざりだった。
私の不甲斐なさに誰かが傷つくのも、あらぬ期待を抱いて自分が傷つくのも。
結局失うのなら、最初から持たなければいい。
だから、これからは人と必要以上に親しくするのはやめようって、そう決めたんだ。
それなのに――
「エイラさん」
それなのにリーネが隣にいるだけで、どうしようもなく嬉しいんだ。
かたく閉ざしたはずの私の心奥を、リーネはいともたやすく開けてしまった。
ダメだダメだと自分に言い聞かせても、リーネへの思いはとめどなく溢れてくる。
あの日、別れの際に見たリーネの笑顔を思い出さない日はない。
ニパに言われるまで自覚してなかったけど、リーネからの手紙を待ち遠しいと思わない日はない。
リーネの存在に触れるたびに、凍てついた心が解けていくのを感じる。
なんで私なんかにここまでしてくれるのか。
最初はたぶん、ただぽっかりと空いた穴を埋めるためだった。
お互い失ったものが大きすぎて、あのまま一人でいたら壊れてしまっただろう。
だから私達は孤独を紛らすために自然と寄り添った。
けどあのときはまだ今のような感情は抱いてなかったように思う。
じゃあいつから私は、私はリーネに――
「エイラさん、聞いてますか?」
「ああ、悪い。ナンダッテ?」
「だから、そろそろ寝ませんかって」
そういえばリーネはさっきから何度も欠伸を噛み殺している。
いつもはもっと遅くまで起きてるんだけど、リーネは長旅で疲れてるし今日はもう寝るとするか。
リーネが来るなんて聞いてなかったから、もちろん部屋など用意されていない。
なのでニパには、リーネが滞在している間は別のところで寝てもらうことにした。
「ニパさん、でしたっけ……本当によかったんですか?出ていってもらって」
「いいっていいって。今度飯でも奢ってそれでチャラダヨ」
それよりも去り際のいやらしい笑顔の方が気にかかる。
私は自分のベッドで、リーネは床に敷いた布団で。
ニパのベッドを使うよう勧めたのに、申し訳ないから床で寝ると言って聞かなかったのだ。
灯りを消して床につくも、リーネがすぐ近くにいるというだけで気分が高揚して、寝れそうにない。
暇を持て余しかけていると震えた声でリーネが話しかけてきた。
「エイラさん……聞いてはいたけどスオムスの夜ってこんなに冷えるんですね」
ネグリジェ一枚で寒いと感じない方が不思議だ。
「もうちょっと厚い服はないのカヨ」
「寝巻きは薄いのしか持ってきてなくて……」
スオムスを舐めてるとしか思えない。
来たときはモコモコした、見るからに暖かそうな服を着てたのに、なんで寝巻きは薄着しか持ってきてないんだ。
まあドジなとこも、501入隊当初から全く変わっていなくてリーネらしいけど。
「エイラさん、そっちに行ったらだめですか……?」
なんか今、凄い台詞を聞いた気がするけど、聞き間違いだろうか。
「……なんだって?」
「だから……さ、寒いから一緒に寝てほしいんですけど……だ、だめですか?」
聞き間違いじゃなかったようだ。
しかし年頃の女子が二人、同じベッドで寝るなんて、そんなはしたないことしていいのかな。
実際はそんなことを考えてたのは一瞬で、リーネが本当に寒そうにしている姿を見た瞬間、口が勝手に動いていた。
「ったくぅ……今日ダケダカンナー」
暗くてよく見えなかったけど、リーネの顔がパアッと輝いたような気がした。
「それじゃあおじゃましまーす……」
そろそろとリーネが私のベッドにもぐりこんできて、それに伴って私の鼓動が速くなる。
リーネの顔が下からもぞもぞと出てきて至近距離で見つめあう。
なんでかリーネは楽しそうに微笑んでいる――と思ったら突然私の、そこまで大きくない胸に顔をうずめてきた。
「オ、オイ、何すんダヨ」
「エイラさん暖かくて、優しくて、落ち着きます……」
それは違う。
優しいのは私じゃなくてリーネの方だし、あれから何度リーネに助けられたかわからない。
もしあのときリーネから連絡先をもらってなければ、私は今頃生き甲斐もやる気もないまま、無為に毎日を過ごしていたと思う。
リーネには本当に感謝してる。
それこそどれだけ言葉をつくしても語りつくせないほど。
だからここで少しでも「ありがとう」って言っておこうと思ったんだけど、
「なあリーネ、あり――」
穏やかな寝息が聞こえてきて途中で言いとどまる。
もう寝てしまったようだ。
一人息巻いてた自分がバカみたいで、私も寝ようと寝返りをうとうしたら、リーネに服をつかまれていることに気付く。
強く握られたそれは離せそうにない。
「しょうがねえナァ……」
リーネの寝息を子守唄に、私もやがて深い眠りについた。