midnight assassin
結果的に二人で遁走した先日の酒宴。
どうなったかは知らないが、後で聞くに負傷者だの風呂場の設備破損だの、色々と良くない事が起きていたから、
あの場は逃げて正解だったナ、とエイラは胸をなで下ろしていた。
サーニャに何か有ったら大変だ。
それにしても。
エイラはサーニャが眠るベッドの横で、本のページをめくりながら思う。
「あの扶桑の酒……」
皆悪酔いしたナ……と。
エイラの予想通り、温かい風呂の中で熱い酒をあんだけしこたま飲めば……それも普段飲み慣れない酒であれば……
悪酔いするのは当たり前とも言えた。
ちびちびと少ししか口にしていなかったサーニャですら、あの後酔いが回ってぐたーと寝込んでしまい、
風邪の治りが遅れる原因になった。そしてまだ、ベッドの上で静かに寝息を立てている。
医務室での治療はもういいでしょうとサーニャは自室のベッドに移されたが
エイラは気が気でなく、最低限必要な用事以外は、サーニャにつきっきりだった。
んん、とサーニャが小さく呻いたのをエイラが聞き漏らす筈もなく、
「サーニャ、大丈夫カ?」
手を握り、顔色を窺う。
別に少佐の酒豪っぷりとか扶桑の酒とか、そう言う事を責めているのではない。
ただサーニャにもう少し気遣ってあげられれば……、とエイラは悔やんでいた。
サーニャはふと目を覚ました。喉が渇いたのだ。
上体を少し起こして周りの様子を見る。
エイラが居る。本を横に置き、うつらうつらと首を傾げている。
起こさないよう、そっと横のコップを取ると、入れてあった水を口にする。
ふう、と息を付く。
早く治さなきゃと思って空回りする自分の身体が許せない。
でも。
横にエイラが居てくれる。
他の皆が一生懸命戦っているのにこんな事を言うのもどうかと思うが、二人の時間をもっとゆっくりと、
たゆたう雲の流れの様に、過ごしてみるのも悪くない……かも。
「ぅわ、サーニャ、起きてたのカ? 具合ドウダ?」
気付いて慌ててサーニャの元に寄り、額に手を当て熱は無いか、お腹空いたか、喉乾いてないか、
と必死に看病してくれるエイラをぼおっと見ている。
エイラはそんなサーニャの気持ちを知ってか知らずか、あたふたとサーニャの身の回りの世話をする。
「汗かいてるナ。少しサッパリシヨウ、濡れタオル持ってきてやるカラナ」
エイラは席を立った。
「ちょっと待ってロヨ」
それだけ言い残して、とたとたと部屋から出ていく。
扉から出る間際、エイラの嬉しそうで、それでいて凄く必死な顔を見ているうちに、
サーニャは自分の中にあるひとつの打算的感情に気付く。
あんなに頑張ってくれて、必死だと言う事は……
誰よりも自分のことを大事に考え、そして大切に思ってくれている。
サーニャはぼおっとする頭で、その感情を反芻した。
うつむく。
涙がこぼれ落ちた。
笑顔で濡れタオルを数本持ってきたエイラ。
「サーニャおまたせ。冷たいからヒヤッとして気持ちいイゾ、……!?」
サーニャの異変にいち早く気付く。テーブルにタオルを投げ出すと、サーニャの元へ走った。
「どうしたサーニャ!? どっか悪いのカ? しっかりシロ!」
肩を掴み、顔を覗き込むエイラ。
「何でも……ない」
「何でもないならどうして泣くんダヨ? 私の居ない間に何が有っタカ? 誰かに何か言われたカ?」
「違う。……違うの」
そう言ってサーニャはエイラの手を取ると、肩から下ろした。
エイラはサーニャが何故泣いたか分からず、おろおろした。
「大丈夫だから」
「サーニャ」
「大丈夫、だから」
繰り返すのがやっと。でも、涙が止まらない。エイラは持っていたハンカチを出すと、サーニャの目元を
そっと拭いた。
その優しさが、また鋭い棘となり、サーニャの心をかき乱す。
「な、何でずっと泣いてるんだヨ? 私カ? 私のせいなのカ?」
手で顔を覆って、すすり泣くサーニャ。答えはない。
「サーニャ……」
エイラは呆然とした。
私のせい、なのか。私がおせっかいなばっかりに……サーニャを傷付けたのか?
エイラはサーニャを見た。
涙は止まらない。顔で手を覆っているからどんな顔をしているか分からないが、
サーニャが悲しんでいる事ははっきりと分かる。
それが自分のせいなら……もうここに居てはいけない。
そう思ったエイラは、読みかけの本を手にして、サーニャに声をかけた。
「サーニャ、落ち着いたら、そこにタオルが有るから、使えヨ」
返事がないのは承知だ。エイラはベッドの傍らで、サーニャに告げた。
「私……お節介だったナ。ゴメン。部屋に戻るカラ、後は……」
手を握られる。その手はとても温かく……エイラをベッドのすぐ傍に引き寄せた。
「違うの、エイラ」
「?」
「私ね……、エイラ」
サーニャは震える声で精一杯大事なひとの名前を呼んだ。
手を取り、エイラを自分のもっと傍に寄せて、震える手でエイラを抱きしめた。
エイラも本をどさりと落とし、サーニャの傍らに座ると、彼女の身体を抱いた。
「私……エイラの事考えてた」
「そうカ。私って酷い奴ダロ?」
「そんな事ない」
「じゃあ何で泣くんだヨ」
「それは……」
涙の痕が残る顔で、エイラを見た。寂しさと心配が混じった複雑な表情をしている。
「貴方を見ているうちに……私」
エイラを抱く手に、力が入る。服に皺が出来た。
「私の中の気持ちが……許せなくなって、それで、悲しくなって」
告白がさっきの感情を揺り戻す。ひとすじ、また雫がこぼれる。
「サーニャ……」
エイラはサーニャをそっと抱き寄せると、サーニャの顔を胸に埋めさせた。
「サーニャが何を思ったかは知らナイ。でも、良いンダ。サーニャが幸せであってくれれば」
「その優しさが……」
サーニャの言葉は途切れた。むせび泣きに変わり、エイラの胸の中で、ただひたすらに泣いた。
エイラの服がみるみる涙で染まっていく。
でもエイラはそれで良かった。
『泣く事で感情が穏やかになると聞いた事がある』と、以前トゥルーデが真面目な顔をして
言っていた事を思い出した。
科学的根拠有るのカヨ、とその場では突っ込んで笑ったが……サーニャを見ていると、
科学的とか生理学的にとか、そう言う範疇を超えて、涙は人にとって大切なものなんだと思えてくる。
エイラはサーニャを優しく抱き、時が過ぎるのを待った。時が来れば、サーニャもきっと泣き止む。
涙が枯れたら、その時にまた考えればいい。今はサーニャの好きな様にさせたい。
どれくらい時が過ぎただろうか。
サーニャは伏し目がちに、ぽつりぽつりと言葉を口にした。
「私ね、エイラ。貴方の優しい所をみているうちに、なんかエイラに甘えきって、利用してるみたいな気がして……」
「……」
「それがとっても許せなくて、私……」
「ソッカ」
「最低ね。私って」
「サーニャはそんな事を考えていたノカ」
こくりと頷く。
「なら、私も最低の人間ダゾ? サーニャの事ばかり考えてル」
「エイラは、私のどんな事を考えてるの?」
「そ、それは……一番、大事な、世界で一番、大切なひとだから……その」
「……」
「と、とにかくダ。サーニャは、私の事で悩んだりクヨクヨする必要なんて無いンダゾ?」
「エイラ」
「サーニャは……見たければの話しだけど……私を見てくれていれば、それでイイ」
「それって、エイラ……」
「そ、そうダヨ。私だけを見ていればイインダ。……って、なんかキザだし、勝手過ぎるヨナ。ゴメン」
「ううん。私、いつでも貴方を見てた。今も見てる。これからも」
顔を上げるサーニャ。涙はいつしか消えていた。エイラの服に、痕跡が残るだけ。
見つめあう二人。
瞳に見えるのは、お互いの顔。それだけ二人の距離は接近していた。
やがて、接触する。
二人の気持ちを確かめる為の、唇を通したコミュニケーション。
「エイラ、好き」
「私もダ、サーニャ」
ゆっくりと二人の身体が傾き、ベッドに横になる。抱きしめるお互いの力が増す。
離さない。誰が来ても。いつまで経っても。
「愛してる、って事なのかな」
「きっとそうだゾ」
乱れた呼吸と高鳴る胸の鼓動を余所に、お互いの頭はとてもクリアで、冷静だった。
それだけ、お互いをよく知り、もっと気持ちを通じ合わせたいと言う願いか。
今はただ、目の前で自分を愛してくれるひと、それだけを見て、聞いて、感じていたい。
ふたりの共通した想い。
想いは行動となり、夜が明けるまで想いは途切れず、ただひたすらに激しく、くるおしく。
愛しい人の為に。
end