スオムス1946 ピアノのある喫茶店の風景 虹の奏でとFOX2


「雨ダナ~」
 
 窓際のテーブルに頬杖を付いて、ぼーっと外を見ている。
 夕べから降り出した雨は勢いこそ無いけれど止む気配は無く、ただしとしととカレリアの風景を灰色に染める。
 目の前には自分の為に濃い目に入れたコーヒー。
 お客さんはいない。
 こんな雨の日は、ただでさえ舗装の悪い街道を走りたがる人なんていない。
 ハンターたちもお休みだろうし、近所の人たちだってわざわざこないよなぁ。 
 喫茶ハカリスティ、ただ今開店休業ダ。

「よく降るね」

 ウェイトレス姿のサーニャもカウンターを出て窓際に近づいてくる。
 翠の瞳に淡い灰の景色を写して、雨音が歌を想起する。
 サーニャが瞳を閉じて、雨に霞む世界から優しい響きの欠片を集めるのを感じた。
 それは多分、ずっとサーニャを見てるわたしだから感じられる予兆で、わたし以外にこれに気付けるのはきっとお父様とかお母様とかだけなんだろうな、って思う。
 集められた私たちを包む優しいものたちが、サーニャの胸の奥でメロディにかわるまでの沈黙と程よい緊張感。
 コーヒーが熱を失うに任せて、わたしはそんな無言の空気を味わう。
 今、世界はサーニャのもので、勿論世界の登場人物の一つに過ぎないわたしもサーニャのものなんだって思えることがたまらなく幸せ。
 窓の外に向かって大きく手を広げて、自分の中から新しい世界を作り出そうとするサーニャの横顔を見つめるうちに、なんだかわたしは気恥ずかしくなってサーニャの瞳に映るのと同じ静かな灰色を、私の瞳にも映すようにした。

 ん……。

 ハミングが響こうとしたその時、いいところで邪魔が入った。
 雨音を貫いて、エンジンの響きが届いてくる。
 ちぇ、イイトコロダッタノニナ~。

「この音だと、バイクかな? 結構でかい奴」
「こんな雨の中、珍しいね」
「無粋な奴ダヨなぁ。すごくいい雨音だったのに」
「エイラ……嬉しい」

 嬉しそうなサーニャの声が背中から降ってきて、椅子に座るわたしを背中から優しく抱きしめてくる。
 エッ!? ナンダヨこの展開はっ!?
 わ、わたしそんなサーニャを喜ばせるような事言ったのか?
 喜んでくれるのは嬉しいけど、不意打ちは……そ、その、幸せすぎて困る。

「サッ、ササササーニャ!?」
「雨音。ううん。それだけじゃなくて、エイラの故郷の風景って、素敵だよね」
「ウ、ウン」
「わたしね、お互いが同じものを見て素敵だって感じられたのが、凄く嬉しくて」

 耳元で優しく響く、嬉しそうな声。
 そんなちょっとした、傍から見たらみたらナンテコトナイ感情の共有が、たまらなく嬉しいんだって伝えてくれるサーニャ。
 わたしにとってはそういう感情を見せてくれることもとっても嬉しいんだけど、さっきまでの恥ずかしさと相まって、サーニャの方を振り返れないままでいる。

「はじめはユウウツだったけど……なんだか、こんな雨ならアリダヨナって思ったんだ」

 サーニャがいるからアリなんだ。

「うん」

 柔らかく頷いてくれるサーニャ。
 お客さんきてくれないと困るけど、ホント、こんな雨もいいな。

 と、わたしたちがそんないい空気でいる間にも、さっきの無粋なバイクの音は近づいてきて、止まった。

「あ、目の前で止まったって事は……」
「お客さん、かな?」
 
 本当に無粋な奴ダナァ。……って、お客さんにこんな事思っちゃいけないな。
 外を見ると、荷物を積んだ大きなバイク……ブリタニアのブラフシューペリアから革ツナギのライダースーツの女性が降りたった。
 大して強い降りではないけど、ずっとこの雨の中を走ってきたらしい女性もバイクもずぶぬれ。
 地面がぬかるんでるから、はねた泥でバイクも本人も大分汚れてるみたい。

「エイラ」
「うん、ワカッテル」

 カウンター裏からタオルと雑巾をとりだして、タオルをサーニャに渡す。
 わたしはそのまま表へ出て、女性に向かって呼びかけた。

「お客さん、立派なバイクが雨ざらしじゃ何ダロ。こっちにイレナヨ」

 言ってから裏手のシュトルヒを格納してある納屋を指差す。
 女性の方はゴーグルの向こうから表情の無い、というかつまらなそうな感じの視線でこっちを見てから軽く頷くとバイクを押し始めた。
 私のほうはといえば傘をさしてないんで濡れるに任せてるけど、たいした距離でもないから気にせず進む。
 大き目の納屋の扉を開くと、自家用のシュトルヒとその整備機材とか色々なものが入ってる。

「こっちダヨ」
「ほう」

 女性が軽く感嘆の声を上げる。うんうん、自家用でシュトルヒなんてあんまりいないだろうしなぁ。
 その後は無言のまま手早くバイクを納屋に入れて店に移動。
 入る前に「失礼」とだけ言ってからかがみこんで、足元の目立つ泥だけ雑巾で拭いてやる。

「サービスのいい店だな」

 流暢なクイーンズブリタニッシュ。でもなんだかつまらなそうな口調。

「店内の掃除の手間を省く為ダヨ、キョウダケダカンナ」
「フン」

 鼻を鳴らして応える女性。なんか感じ悪い奴だなぁ。
 店に入ると同時にヘルメットとゴーグルを外すと、わたしやサーニャとはまた雰囲気の違う見事なロングの銀髪が姿を現した。
 なんとなく、見覚えがある気がするな、と思っていると、そこに店内で待っていたサーニャがにこやかに「いらっしゃいませ、どうぞ」とタオルを差し出す。
「ああ」とだけ短く応えて、身体を拭いてから席に着くより前に懐からタバコを取り出した。

「わ、ちょっとたんま。タバコなら向こうの席で頼む」
「なんだ、自由に吸えんのか?」
「アレ見て気にシロヨー」

 と、相変わらず愛想のない客に解らせるよう店内の一角に置かれたグランドピアノを指差した。
 ゆっくりと指先に視線を移す銀髪の客。グランドピアノを見た後に、今度はそのまま店内を見渡す。
 視線はカウンター奥に飾ってあるマンネルハイム十字章とオラーシャ英雄勲章で一瞬止まる。
 ちょっとそれを見つめた後、改めて店内を見渡してから、「フム、確かにな」と納得したように頷いて、喫煙者用の席に座る。
 席に着いたところで、わたしはカウンターに入ってサーニャは水を持ってオーダーを取りに向かう。

「あの、ブリタニアからの旅行者ですよね。私も暫くブリタニアにいたことがあって……だから紅茶でしたらセイロンもアッサムも、それなりにこだわったものを……」
「コーヒーを頼む。濃い奴を」

 ちょっ!!! サーニャが折角気を利かせて聞いたってのにっ!
 感じ悪過ぎるゾっ! あの偏屈メッ! 客じゃなかったら今頃フリーガーハマーで木っ端微塵ダゾ!
 しかもなんだよ。遮って言うこともないじゃないか。サーニャの可愛らしい声を最後まで聞けっ!
 と、心の中でヒートアップしていると、悲しそうな表情のサーニャがカウンターに戻ってくる。

「サーニャ……」
「コーヒーは、エイラのお仕事だね」
「ウン」
「銘柄指定無しで、濃い目のコーヒーだって。マスターの腕の見せ所だから、おねがいね」
「ウン」

 一瞬で表情を切り替えて、笑顔で私に仕事をタッチするサーニャ。
 人間が出来すぎてるヨ。
 わたしだったらとてもそんな笑顔でいられない。
 きっとムカムカが収まらなくてお客さんにもひどい態度をしてしまっただろう。
 でも客商売ダモンナ。
 このくらいの事は我慢できるようにしないとナ。
 ……デモ、少しくらいは悪戯しちゃうぞ。
 思いっきりコーヒーを濃く出してヤルカラナ~、もちろんカス見たいなブレンドでダゾ~、フヒヒヒヒ。

 で、その首尾はといえば。
 一口飲んでから、「ふぅ……」と吐息を一つ、そしてちょっとだけ幸せそうな表情になる銀髪。
 オイオイ、予想してたのと反応が違うゾ……。
 濃すぎて「苦っ」とかいいながら表情を歪めるかと思いきや……な、なんでそんな優しそうな表情してるんだよ。
 正直ドキッとするくらい絵になる美人なんだって、今更気付いた。
 窓の外の雨に霞むカレリアの風景を、味覚なんてぶち壊しのはずの泥水みたいなコーヒーの入ったカップを傾けながら眺める、銀の長髪、灰色の瞳。

「エイラ、すごいね。なんだか気難しそうだったのに、あんなにいい顔になってる。どんな魔法を使ったの?」
「ソ、ソンナンジャネーヨ」

 カウンターのこちら側で、小声でそんなやり取り。
 こっちも何でそうなってるかなんて全くわかんないし、むしろ凄いのはあそこで自制できた大人なサーニャのほうだと思うんだ。
 暫くそうして風景に溶け込むような銀髪を見ていると、サーニャがピアノへと移動した。
 そして静かに、お父様のくれたサーニャの歌を奏で始める。
 ピアノは途中から、ハミング交じりの聞いた事の無い曲に変わる。
 さっき創奏されかかって、中断されていた曲なんだなって、すぐにわかった。
 静かな雨音を伴奏にして、サーニャのピアノが静かな喜びを孕んだ声で、歌う。
 そんな優しい音に満ちた静かな時間は、雨上がりと共にクライマックスを迎えて、微かな虹の到来と共に、終わりを告げた。

「虹だよサーニャ!」

 なんかピアノだけでかなり感動してたわたしは、雨の終わりと虹の到来に不覚にもウルッと来てしまった。
 そんな顔をサーニャだけでなくあの銀髪の客にも見られたくなかったから、はしゃいでいるのを装って表に飛び出してみた。
 イヤ、実際はしゃいでたんだよな、ワタシ。
 だってさ、サーニャの曲が雨上がりの虹を歌ってたんだ。
 そしたらホントに虹が出たんだよ。
 サーニャが虹を呼んだんだ。こんな素敵な事無いだろう?

「おい、マスター。客をほっぽるな」

 銀髪が文句を言いながら、やっぱり虹に惹かれたのか表に出てくる。
 ま、気持ちは解らないでもないし、それに偏屈そうなこいつにも人並みに雨上がりの空を愛でる感性があるんだって事に気付けただけで、なんだかおおらかな気分になった。

「お前のコーヒー、オストマルクで親友と飲んだ、コーヒーとも呼べない泥水の味がしたよ。絶望の中で競い合って、高めあって、そして喪った友が、そこにいるような気になれた。最高の気分に浸れたよ」

 ナンダッテ?
 なんかオマエ、すがすがしい顔でさらっと深刻な事を交えつつ褒めている様でいてかなりひどい事言わなかったか?

「ただ、一応忠告してやるが、あれは私以外の客には出さん方がいい。折角いいピアノを聞かせる店なのにあのコーヒーが原因で潰れ兼ねん」
「よ、余計なお世話ダヨッ」

 あ~、なんか物憂げな表情に見とれたワタシの綺麗な感情を返せって感じだよ、モウ。
 心の中で文句たれながら納屋を開いて、バイクを用意してやる。

「ホラヨ」
「客に対する態度じゃあないな」
「フンッ」

 そのまま発車の為の準備を始める銀髪。

「ふ……全く、エルマから聞いていた通りだな、エイラ・イルマタル・ユーティライネン」
「え? 何でそこでエル姉の名前が出て来るんダヨ!?」
「くそったれな国だが、友人の故郷でもあるんだ……ブリタニアを護ってくれてありがとうな、スオムスのトップエース」
「え、おいっ」
「オラーシャの英雄にもよろしく伝えてくれ」

 それだけ言うと、呼び止めるのを無視してブラフシューペリアがエンジン音を轟かす。

「おいっオマエ待てよっ」
「エリザベート・ビューリング。今度来た時はエルマの言っていた美味いコーヒーを飲ませてくれ」

 それだけ言うと銀髪、ビューリングは走り出した。
 思い出した。
 ブリタニア出身でスオムスを護った独立義勇飛行中隊の初代メンバーじゃないか!

「アンタこそ、わたしたちのスオムスを護ってくれて、アリガトウナッ!」

 慌てて背中に叫ぶ。
 声が届いたのか、片腕を上げるとビューリングはそのまま去っていった。
 なんか、いいように弄ばれたナ。ま、そんなに悪い気はしないからいいか。
 店内に戻ると上機嫌のサーニャ。
 そんなサーニャを見てるだけで胸の奥があったかくなって幸せになれるわたしは、本当に単純だなぁ。

「今日の曲、その……凄くよかったよ、サーニャ」
「エイラが一緒にいてくれたから、優しい曲になったんだよ」
「エ? いや、わたしは別に何もシテナイッテ」
「ちょっと怖い感じだったビューリングさんが、あんなに優しい表情になったからあの曲が降りて来たの。だから今日の演奏はエイラのお陰」
「そ、そんなこといわれると、照れるジャナイカ……わたしが何もしなくたって、きっとサーニャは素敵なピアノを弾けるさ」
「ううん、そんな事無い。今日のステキな時間は、エイラのかけた魔法のお陰」

 きらきらした笑顔で、うれしいことを言ってくれるサーニャ。
 そんなサーニャに気の聞いた返事を返せないわたし。
 なんでわたしには詩人の才能が無いんだろうな。サーニャの事ただひたすら素敵だって褒める事しかできないのが恨めしい。
 色んな言葉で飾れるなら、サーニャの為に詩を捧げるのに。

「そうだ、優しい気持ちになれるエイラの魔法のコーヒー、わたしも飲みたいな」
「ゑっ!?」
「ね、淹れて、エイラ」
「だ、ダメダメダメダメダメッ! アレはダメっ!」
「どうして?」

 お客さんには飲ませてあげるのに、私にはどうしてダメなの?と表情を曇らせるサーニャ。
 ヤバイ、完全に誤解してる!
 普通に美味しいコーヒーを淹れて出すとか、そんな嘘を付くような真似をわたしがサーニャにできるはずない!
 でもでもあんな泥水を飲ませるわけにも行かない!
 だからといって種明かしをしたら、折角サーニャの中に生まれた『優しい気持ちにさせる魔法のコーヒー』っていうステキな幻想が崩れちゃうダロ!
 ど、どうしたらいいんだ!? 考えろ、エイラ・イルマタル・ユーティライネン!

「ねぇエイラ、魔法のコーヒー、淹れて」

 すそを掴んで引っ張られ、上目使いで懇願される。
 このお互いのポジションとかは最高なんだけど、状況自体は大ピンチだ! わたし!!

「エイラ……」
 
 ド、ド、ド、ドウスリャイインダ~~~~!?



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