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負傷者数名、風呂場の破損と言う惨憺たる結果に終わった先日の酒宴。
美緒も酒宴の発案者として責任をとるべく、酒宴翌日の夜に上官ミーナの部屋を訪れたが
部屋から出てきたのは翌朝も随分と遅くになってからだった。
隊員は何も言わなかった。
そんな中、酒宴の時から妙にぎくしゃくしている隊員がいた。
隊の誇るウルトラエースの一人、ゲルトルート・バルクホルンその人である。
日頃の行いには特に変化が無い様には思えたのだが、何かしら違和感が有る。
訓練をしても、微妙に“のれてない”。
今日もエーリカとロッテ(二機編隊)を組んで飛んでいるが、どうにもいまひとつだ。
地上でその様子を眺めていた美緒とミーナは首を傾げた。
「どうしたんだ、あの動きは。いつものバルクホルンらしくないな」
「最近どこかヘンなのよ」
「うーむ。宮藤がここへ来た時も少し様子がヘンになった事はあったが……今度は何だ?」
「恐らくは……」
「……ああ」
ミーナは下を向いて少し頬を赤く染め、美緒は上を向いて苦笑いした。
美緒はミーナに言った。
「酒の席の事など、忘れるもんだぞ。酒のせいだ、気にするな」
「私の事はともかく……あの子はたまに周りが見えなくなったり、ひきずるタイプだから。心配よ」
「そうか。ならば上官としては、隊員の心のケアも大切だな。よし、もう一回酒でも……」
ミーナの突き刺さる視線に負けて美緒は肩をすくめた。
「冗談だ冗談。傷口を広げてどうする」
豪快に笑う。ミーナもそんな美緒に負けたのか、苦笑した。
「今回の事は、当事者が何とか克服するしかないわ。それは時間が解決するものなのか、
そうでないかは分からないけど」
「うむ。余りプライベートな事に介入するのも良くないな。暫くそっとしておくか」
再びエースの飛行に目をやるふたり。暫く無言が続いたあと、不意に美緒がミーナの脇をつついた。
「ところでミーナ、扶桑の酒はこの前全て飲んでしまったが、蒸留酒なら有るぞ? 試してみないか?」
「蒸留酒?」
「『焼酎』と言うんだがな。ウイスキーに近い飲み方をする。どうだ?」
「……それは何処で誰が誰と試すのかしら、坂本少佐?」
「言ったじゃないか。まずは私とミーナで試してみようと」
「今夜私の部屋で待ってます」
訓練を一通り終えて、一足早くハンガーに戻りストライカーを脱ぎ捨てるトゥルーデ。
普段よりもぞんざいな扱いだ。
整備員に「低速時の挙動がいつもよりナーバスだ」と伝え、シャワールームへと向かう。
シャワーを浴び、ふうと息を付く。
いつもと同じ筈だ。私は何も変わっていない。
トゥルーデは自分に言い聞かせた。シャワールームの壁に両手を付き、下を向く。
シャワーの飛沫が容赦なくトゥルーデの全身を覆い、包み隠す。
しかし、頭の端にこびりつく微かな記憶がトゥルーデの心を揺さぶり、苦しめる。
風呂場で扶桑の酒を飲み、リベリアンと歌って笑ってた事までは覚えている。
だが、その後の事が……。
シャワーの温度を全開で冷たくする。急激に冷水が身体に容赦なく降りかかるが、
全く気にせず、むしろそれで気分が晴れればと願う。
だが、たかが水を浴びたくらいで起きた事と言えば身体が少し震えただけ。
予想以上のダメージを心の内に秘めたまま、訓練の報告を手短に済ませ、自室にこもった。
コツコツとドアがノックされる。
何も答えずにいると、ドアを最小限に開けてするりと忍び込む影がひとつ。
後ろ手にドアを閉めた。
トゥルーデには誰が来たか分かっていた。
そしてこういう動作をする時には何か“よくない”事を思い付いている証拠だ。
そうだろう? エーリカ・ハルトマン。
トゥルーデは心の中でそう呟きつつ、平静を装い
「何の用だ?」
と声を掛けた。
「食事にも来ないで、どうしたのかと思ってさ」
「ちょっと、具合が悪くてな。問題ない、すぐに治る」
「それ、ホント?」
「嘘をついてどうする……」
ため息混じりに答える。
「じゃあ手元のグラスとワインのボトルは何?」
「……気晴らしだ」
トゥルーデの手元には、前にエーリカの部屋から持ち出したカールスラント産のワイン、
半分程飲み掛けたグラスが置かれていた。
「気晴らしねえ。こんな真っ暗な部屋の中で?」
エーリカの指摘通り、部屋の中は灯りもつけずに外の闇と同化している。
ほのかな月明かりに照らされるトゥルーデとエーリカ。
何も答えないで顔をそむけたままのトゥルーデに、エーリカは言った。
「酒の事を忘れる為に酒を飲む、か。どっかの詩人だか文学の人が言ってたよね」
「悪いか?」
「別に~。ってこれ私のワインじゃん」
「前にお前から貰ったやつだ」
「このワインもう殆ど無いんだよ? 飲むなら私にも声かけてよ」
「お前の部屋はゴミ置き場同然だが、たまに掘り出し物も有るからな」
「答えになってないよ、トゥルーデ」
エーリカが近付いた。
「どうしたのよ、トゥルーデ。水臭いなあ、ほら」
貸してと言うとトゥルーデの手からワイングラスをひったくり、残りをぐいとあけた。
「やっぱりワインはカールスラントのに限るね。ガリアのは名前ばっかりでイマイチだよ」
「ああ」
エーリカはボトルを手にすると、無節操にグラスに注ぎ、一気に煽った。
「おい、それ私のだぞ! 勝手に飲むな!」
「もとはといえば私のだもん」
「私のグラスだぞ」
「なら私の分は?」
「棚の上」
「暗くてわかんないから、回し飲みでいいよ」
ぐい、とまた一杯煽る。
「ほら、飲んで飲んで」
エーリカに勧められるまま、トゥルーデもぐい、と一杯あける。
ふたりで交互に飲み、ボトルが半分程空いたところで、トゥルーデはベッドの端に寄りかかった。
「あれ? まだ半分も飲んでないよ? もうダウン?」
「違う。今日は違うんだ」
「今日も、じゃなくて?」
「どういうことだ」
「ここ数日、おかしいよ」
「私はいつも普通だ。平然だ。いつもと変わらず、規律正し……」
「ホントかな~?」
顔を数ミリの所まで近付けるエーリカ。
「な、何だいきなり!」
あとずさるトゥルーデをそのまま追うエーリカ。
いつの間にかベッドの端に“追いやられる”。
「今日の訓練、低速飛行が随分ナーバスだったね」
整備士に言った事をそのまま返される。さすがエーリカ、僚機の飛行をよく見ている。
「具合が、いまひとつ、だからな」
苦し紛れの答えを聞いて、追及の手を緩めないエーリカ。
「トゥルーデって機動に気持ちがすぐに出るんだよね~」
「……っ!」
「トゥルーデの事は全部お見通し」
じりじりと追い詰められる。もう後がない。
「何故、寄る」
「じゃあどうしてトゥルーデは私から逃げるのよ」
「それは、お前の顔が近過ぎるからだ」
「近過ぎて何か問題でもある?」
答えに詰まる。
「元気無いよ、トゥルーデ」
「そんな事はない」
「あれ~。さっきは具合が悪いって自分から言っておいて」
咄嗟に言葉が出てこない。口ごもるトゥルーデ。エーリカは言葉を続けた。
「なんかあの日からさ……トゥルーデ、私の事避けてる気がして」
「あの日?」
トゥルーデにはわかってる。“あの日”の意味が。
「私もちょっと自爆気味のところは有ったよ。酒のせい? でも、やった事を忘れた訳じゃないよ」
エーリカはトゥルーデをぎゅっと抱きしめる。
「後悔はしてないよ。もちろん、反省もしてない」
「エーリカ……」
「いつもと同じ、一見すると確かにかわんないよね、トゥルーデ」
エーリカはトゥルーデを抱いたまま、呟いた。
「でも、あの日から、ヘンだよ」
見抜かれている。ぎくりとする。
「シャーリーと肩組んで笑ってたよね~。楽しかったんだ」
「エーリカだって酒に飲まれてやさぐれてただろ」
トゥルーデは、エーリカを咎め立てする立場にない事は承知だった。
だが、言わないと、間が持たないし、エーリカに何をされるか……。
「そんなに私が嫌い?」
「そんな事あるか! 大事な仲間だし、家族だし、その……」
言葉に詰まり、うつむくトゥルーデ。
「なによ。続き言ってよ」
「私は、ただ」
「笑ってよ、トゥルーデ」
あの時と同じ言葉。どきりとする。
「笑えって、この状況でどうやって……」
「私のお姉ちゃんになりなよ」
エーリカの言葉が、予想以上のダメージとなる。三半規管が悲鳴を上げ、トゥルーデの足元がふらつく。
心臓を鷲掴みにされた気分になる。額に滲む、汗。
「ねえ、トゥルーデ」
名を呼びながら、そのままベッドへ雪崩れ込んだ。
「お前、悪酔いしてるんじゃないか?」
「酔ってないよ。酔ってるとしたら、トゥルーデに酔ってるのかな」
「随分とキザな物言いだな、エーリカ」
余裕を取り繕うトゥルーデだが、エーリカは全てお見通しとばかりに、力を込めた。
トゥルーデの肩を掴み、動けなくする。
そのまま顔を近付け、口吻をかわす。軽いもので、すぐに唇を離す。
「やっぱりいつもと違うよ、トゥルーデ」
「どうして」
「少し、震えてるもん」
「お前だって」
しばしの沈黙。やがて自嘲するかの様に、エーリカは呟いた。
「トゥルーデと同じなのかもね、私。いつもと同じ筈なのに。トゥルーデの気持ち考えずにさ」
「私は、その」
答えが出せないトゥルーデを前に、力が緩む。
「そっか。どうせ、私なんて……」
横を向くエーリカ。
すねているのか。それとも。
「やっぱりトゥルーデは誰か他に居るの? ミーナ? ミヤフジ?」
「ちっ違う! お前だ! お前だけだ!」
勢いで言ってから、はっとするトゥルーデ。
頬に雫が垂れる。ひとつ、ふたつ。エーリカの涙。
「何故泣く?」
「トゥルーデの、ばかぁ」
エーリカから力が抜け、トゥルーデの身体にしだれかかる。
迷わず受け止める。抱きしめる。
「力、強いよ、トゥルーデ」
「すまん。つい」
「じゃあ、キスしてよ」
ごく間近で見るエーリカ。とろんとした瞳には、涙の痕が微かに残るだけ。
愛おしさは、変わらない。そっと、唇を重ねる。
試す様な目をして、エーリカは問いかけた。
「次、何して欲しいか、トゥルーデなら分かるよね?」
「……ああ。でも、良いのか?」
「私もトゥルーデと一緒。お互い、身体に聞いて……身体に覚えこませて……刻み込まないと、わかんない、のかも」
「そうかもな」
どちらからともなく、お互いを奪い合う様に、激しく交わる。
名を呼び合い、、まずは聴覚で確かめる。
「エーリカ、私には、お前だけなんだ」
「嬉しいよ。愛してる、トゥルーデ」
「私もだ。愛してる」
熱い吐息が二人の間で交わり、お互いの頬を撫でる。
舌を首筋に這わせ、首筋に口吻の痕を付ける。
指先を舐め、髪の結びを解く。
柔らかなトゥルーデの髪がベッドの上に広がる。
さらっと指に通し、匂いを確かめるエーリカ。
「単に、お互いのキモチ、確かめるだけの事なのにね」
「エーリカの言う通りさ。五感で確かめないと、わかんないんだろ。私達は」
「性格は違うのにね」
「それとこれは別問題だ」
「でも、私達、相性いいのかもね。戦いでも、日々の生活でも」
「こうしてお互いを知る事でもな」
「キザだね、トゥルーデ」
「お前が言うか?」
艶のある笑みを返して、エーリカは囁いた。
「私は、トゥルーデにだけだよ?」
そのままトゥルーデの耳に舌を這わせ、甘く唇で噛み、そのまま唇へともっていく。
エーリカの髪に指を絡め、さらっと流れる様を見、エーリカとのキスを深く濃くする。
つつと滴る雫もそのまま、ふたりは息を荒く弾ませ、お互いの「学習」を続けた。
声も弾み、身体が踊り、心はひとつに。
夜明け前。
二人はベッドの上でお互いの肩を抱きながら、グラスに残りのワインを注ぐ。
「トゥルーデ」
エーリカが差し出すグラスに口をつける。ゆっくりと、ワインを喉に流す。
「エーリカ」
手を添え、グラスのワインを口に含み、そのままトゥルーデの唇を奪う。
少しずつ流れ込む、エーリカのワイン。飲みきれない僅かなワインが一筋、唇から零れ落ちる。
トゥルーデはそれを指でなぞると、舌に絡ませて余韻を味わう。
「ワイン、もう無いよ」
「また探せば出てくるだろ」
「じゃあ、今度片付けついでによろしく」
「相変わらずだな」
「トゥルーデと同じ。相変わらずよ」
微笑みを見せるトゥルーデ。エーリカもそれを見、ゆったりとした笑顔を見せた。
ふたりに見えるのは、愛しいひとだけ。
end