中学生日記
「リトヴャク少尉……だと?」
繰り返す。
「リトヴャク少尉……だと?」
「うう……」
……なんて、素晴らしい、響き。
新しい航空団全記録、広報部からさっき届いたばかりの冊子を、私は胸に抱きしめた。
昼食時も過ぎて、食堂に今いるのは私一人。幸せをかみ締めるのには絶好のシチュエーションだ。
しばらく浸った後、もういちどそのページを開ける。私が占いをしている写真。その隣に付けられたキャプションをもう一度読む。
『明かりを閉ざした部屋で、リトヴャク少尉は占いを行った。』
「……リトヴャク、少尉……」
リトヴャク少尉……
リトヴャク少尉……
リトヴャク少尉────!!
にへら。と顔が緩んだ。何度聞いてもすばらしい。
訳もなくうれしくて、どうしようか顔が緩んで仕方がない。これじゃまるで、私がサーニャの嫁みたいじゃないか! っていうかこれは嫁に行けって事じゃないか!?
GJだ書いた人! ありがとう校正の人! お前らのおかげで私は嫁に行きます!
「……しかし、これはまずいゾ」
ひとしきり脳内で祭りを繰り広げてから、私は冷静さを取り戻した。
……こんな素晴らしい、いやけしからんものを、公然と食堂に置いといていいんだろうか?
OK。私は嫁だ。それはいい。でも落ち着いて考えよう。
本来ならこの冊子は、みんなが見るものだ。そして読めば誰でも「リトヴャク少尉」に気づくだろう。私が嫁になってることがばれてしまう。
私も恥ずかしいし、サーニャもからかわれるかもしれない。そんなことになったら……。
……でも例えばこれを、私の部屋に隔離したらどうだろうか。
食堂でみんな見る → サーニャ恥ずかしい。私恥ずかしい。
私の部屋に隠す → サーニャ恥ずかしくない。私超うれしい。
「部屋に持って帰ればいいことだらけじゃナイカ!」
早々に確保、いや隔離しないと!
記録集を小脇に抱えて私は食堂を飛び出す。
部屋に向かって全力で走る。今はサーニャもいないし、これから私のゴールデンタイムだ!
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「イイナー、コレ……」
部屋に帰った私はベッドでごろごろしながら、記録集の写真を見ていた。中にはサーニャが一杯だ。あんなサーニャやこんなサーニャ。
やっぱり持ち帰ってきて良かった。隊の連中に、こんなサーニャはまだ早い。
というか、ほんとにいつの間に撮ったんだよ。
カメラマンの首を締めてやりたくなる様な写真もある。でも、許す。サーニャは写真で見ても可愛いし綺麗だし、なんといっても、
「リトヴャク少尉だもんなぁ……」
言うたびに、ほわんと幸せな気分に包まれる。
……サーニャの所に嫁に行ったら、どんな感じだろうな……。
「……………………………………。
……はっ」
いけない。
「大分長い事トリップしていたみたいダナ……」
新婚生活と嫁姑戦争を経て第一子誕生までいっちゃったよ……。
窓の外を見ると既に夕方。いつのまにか流れ出ていた鼻血を拭う。
幸せだー!! と叫びたい気持ちでいっぱいのまま「リトヴャク少尉」の文字を見る。
「フフ……」
リトヴャク少尉……その文字を見つめながら、ニヤニヤしてるだけじゃなんか足りない! という気になってきた。
もっと喜びたい! 後になって、この記憶を反芻できるように、この喜びを表現したい!もっとはっきりした形で! なんかないか、なんか!
「……」
ふと思いついて、私は赤いペンを取る。鼻歌を歌いながらキャップを外して、
「フフン」
ページの上に、線をゆっくりと引いていく。
「……ヨシ」
「リトヴャク少尉」の下にまごうことなき下線。私は小さくガッツポーズ。
後は夕食までこれを見て妄想するんだナー。──そう思って寝転がろうとしたとき、私の予知が働いた。
──今すぐそれを隠して逃げろ。
「誰ダ? 誰か来るのカ?」
人の幸せ邪魔スンナヨー、と部屋を見回して、窓の方を見る。
そこに何か、人影のようなものがある。
「…………?」
誰かが、そこに、取り付いている。
「ニン」
取り付いたそいつが、歯を見せて笑う。
「……ウワァァァアア! ナンダオマエ!!」
「シャーリー! エイラが持ってたよー!」
心臓をばくばくさせてうろたえる私に構わず、ルッキーニが窓を開けて入ってきて、私から記録集を奪い取った。
「な、ナンダ……何でソコニイルンダ? イツカラ見テタンダヨ!?」
「シャーリー!! 見つけたよー!」
「あー! お、オイ! 返セヨー!」
「おー、あったかールッキーニ!」
そしてシャーリーがノックもせずに入ってきて、ルッキーニから記録集を受け取った。ルッキーニがうれしそうにシャーリーに抱きつく。
「早く見よ! シャーリー!」
「オ、オイ! 待テッテ!!」
「……ったく。部屋に持っていくなよなー。私とルッキーニも載ってるんだから」
……もう持ってっていいか?、と頭をかきながらシャーリーが諭すように言う。言うことはもっともだけど、良くわかるんだけど。
「……だ、駄目ダッテ! 返せっテバー!!」
「おいおい」
なんだよそんなムキになって……、とシャーリーは開いたままのページを見て、「ん?」と不思議そうな顔をした。
「何だこれ……?」
……私の顔から、血の気が引いていく。
そしてさらに悪いことに、廊下の向こうから声が聞こえる。
「何だー、エイラが持ってたのかよー……」
「共有の刊行物は食堂で見るのが原則だぞ。全く」
「そうね、みんなもまだ見てないんだから」
「はっはっは! 気持ちは分かるが慌てるな! 記録集は逃げはせん!」
「海の写真たくさんあるといいねー、リーネちゃん」
「……だから私の家にも、ローズマリーが目にいいなんて伝わってないんですよ……」
「見れば分かりますわ。白黒はっきりつけますわよ?」
「おおおおおい! ナナナナ何ダオマエラ!!」
隊のほとんど全員が、どやどやと部屋になだれ込んで来る。
「? ……どうした、シャーリー」
部屋に入ってきたみんなは、固まったままのシャーリーと私を見て足を止めた。
戸口に立ち止まったみんなと、私のちょうど中間に立つシャーリー。そのシャーリーが、肩を震わせていた。
「ふふ……ふふふふ……」
記録集のページを見ながら、シャーリーが肩を震わせてる。その震え──笑いはだんだんと大きくなり、そして爆発した。
「ぶははははは! 見ろこれー!!」
シャーリーが記録集を全員に見せる。
「うう……っ」
全員の視線がそのページに集まる。
「リトヴャク、少尉?」
「……でもこれ、エイラだよね……」
「赤線引いてるよ……?」
「リトヴャク……」
「うわ……」
「……エイラ……?」
「エイラさん……? あなたまさか……」
ひそひそささやく声。そして一斉に私に向けられる視線。
「……ソ、ソンナメデミンナー!!」
私はシーツをひっかぶって叫んだ。
「ぶはははは! エイラおまえ、ほんっとかわいーことするな!!」
「シャーリー、見せて見せてー、にゃははははははは!」
「な、何やってますのエイラさん! ほんとに、ほんとに何やってますの!」
「エイラさん……寂しかったのかな……」
「しっ。リーネちゃん駄目だよ、聞こえちゃう」
「……? ただの誤植に何を騒いでいる」
「誤植の訂正は今からじゃ間にあわんぞ! 細かいことを気にするな! はっはっは!」
「いや二人とも、エイラにとってはただの誤植じゃないんだってばー」
「……坂本中佐……坂本中佐……坂本中佐の誤植はないの……!!」
がやがやと騒ぎ続けるみんな。シーツをかぶっても聞こえてくる声。
あの、みなさん、声が耳に痛いです。心に響きます。嫌な感じにこたえます。
それと出来れば、出てってください。せめて静かにしてください。隣の部屋で寝てる人がいるんです。
「……エイラ? どうしたの?」
「う…………」
そして恐れていた人の声が聞こえて、私はゆっくりと顔を上げる。
「さ、サーニャ……」
「何してるのエイラ? シーツかぶって」
「うぅっ……」
「変なの」
サーニャが微笑む。
そんな無垢な目で見ないで……と、泳いだ私の視線の先、いつの間にかミーナ中佐の手に渡っていた記録集を、サーニャが見つけた。
「あ、届いてたんだ……」
でもどうしたの? と、みんなが集まってることも不思議に思ったのか、サーニャが首を傾げる。
「あ、サーニャ……それ駄目……っ!!」
シーツの中から飛び出して手を伸ばす。
何とかサーニャに知られるのだけは! お願い私の魔法! 何とか見られずにすむ方法を!
「えっとねー、エイラがねー」
「ルッキーニィィィィィィィ!!」
現実は無情。サーニャがあのページをまじまじと見てる。
「……」
記録集から顔を上げて、眠たげな視線を私に向けるサーニャ。
私を指さしながら、その視線をルッキーニに移す。
ニヒン、と得意そうに笑うルッキーニ。──お前はこれから全食塩漬けニシンの刑だ。
そしてもう一度、サーニャが私を見る。
「……サ、サーニャ……違うんダッテ……」
「……」
サーニャは無言で部屋を出て行った。
ばたんと隣の部屋のドアが閉じる音。頭を抱えて私は叫ぶ。
「あ゙ーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
神様、頼みます。なんとかしてください。急にネウロイが襲ってくるとかそう言うのでもいいです。
「……サイレン……鳴ラナイカナ……」
あとは海が大増水して島ごと水没しちゃうとか!
謎のウィッチが現れて固有魔法できれいに記録集の赤線を消してくれるとか!
そんな未来はないっすか、といくら予知を働かせても、「外は綺麗な夕焼けだよー」というのんきな未来しか見えなくて、私は頭を抱え続けた。
うう……っ」
どれだけシーツをかぶっていただろう。私の肩を、優しく叩く人がいた。
「ナンダヨ……」
私は顔を上げる。
「ほら」
涙にぬれた私の顔を見下ろしながら、シャーリーが優しく微笑んで、ハンカチを差し出した。
「……エイラ……その……なんていうかな……」
シャーリーは私の前にかがんで、しょうがないなこいつは、っていいたそうな顔をしてる。
「うう……シャーリー……慰めてくれんのか?」
優しいなオマエ……。涙を拭きながら、私の胸に熱いものがこみ上げてくる。
「……こういうのは……なんていうか……」
涙を拭きながら、シャーリーの言葉を待つ。シャーリーは私を落ち着かせる様に肩を軽く叩いて、
「…………諦めろ……ドンマイ!」
サムアップしながら、私に止めを刺した。
「オ前ラミンナ出テケーー!!!!」
──スオムスのお父様お母様、エイラはここにいます。マジ帰りたいです。