やっペリ犬が好き


 宮藤さんとサーニャさんの誕生日をお祝いしてささやかなパーティーが催された。
 ハーブで香り付けされた七面鳥、ボウルにたっぷり盛られた海鮮サラダ、バルクホルン大尉いちおしのジャーマンポテト、そして豆狸謹製の納豆。さまざまな料理が食卓を彩り、ジュースとお酒でみなさんがそれぞれに楽しんでいるようだった。
 にぎやかな時間は終わり、わたくしたちは一人、また一人と自分たちの部屋へ帰っていく。
 ネウロイの襲撃も数日の間はないだろうとの予報がなされている。しかし、いざというときは体に鞭打ってでも出撃しなければならない。いくらお酒を飲んだとしても意識が飛んでしまうまで酔っぱらうような浅はかなウィッチはいなかった。
 そんな面々のなかでも比較的(意外なことに)酔いがまわっていたあるお方を部屋までお送りすることになった。わたくしの敬愛する上官こと、坂本少佐である。
「すまないな、ペリーヌ」
「そんな、少佐のためでしたらこれくらい朝飯前ですわ」
「すでに晩飯を終えた時分に朝飯前とは、これいかに」
「えっと……日をまたげば晩は朝の前にございます」
「はっはっはっは、愉快だな、じつに愉快だなペリーヌ」
 普段から朗らかな少佐はお酒の勢いもあっていつも以上に上機嫌でいらっしゃった。わたくしはワインを嗜む程度に口にしただけなのでほとんど酔っていない。前後に体をふらつかせる少佐に肩を貸しながら、ようやく目的地にたどりついた。

 少佐の私室は装飾に乏しく、きわめて実務的な部屋だった。
 執務机に一人掛けのソファ、戦術やネウロイ、ストライカーについてまとめられた資料を収めた本棚。壁紙もカーテンも空室のころと変わらず、色気の欠片もないオフホワイトで部屋を殺風景に感じさせる原因となっていた。
 ベッドのそばまで行くと少佐は倒れこむように横になられた。清潔な真白いシーツにうつ伏せとなる。目を閉じられた少佐の横顔はとても心地よさそうだった。麗しいお顔に頬を寄せたい気持ちが芽生え、はしたない自分を胸の内でたしなめた。
「ではごゆっくり、おやすみなさいまし」
 務めは果たした。わたくしも自室に戻って体を休めなければならない。
 いくら祝賀会の翌日とはいえ、明日もまたウィッチとしての一日を過ごさなければならないのだから睡眠不足は禁物だ。少佐の寝顔を拝見していられるチャンスに後ろ髪を引かれる思いではあったが、わたくしは自分の寝床に戻ることにした。
 そのとき、ふと上着の裾にかすかな抵抗をおぼえた。見れば少佐の指先が青の生地をちょこんと摘まんでおり、わたくしの歩みを妨害していた。
「あの、少佐? わたくしもそろそろ眠くなって参りましたので……」
 放してほしいと訴えかけても薄目を開けて今にも寝てしまいそうな少佐には声が届いていないようだ。その恰好はまるで幼い子どもが眠りに落ちるまで親にそばにいてほしいと懇願しているようにも見える。失礼ながら可愛らしいと思ってしまった。
「少佐、名残惜しいのはわたくしも同じですが、明日がありますのでどうかお手を――――」
 と、言いかけたところで思わぬ力が加わった。手首を掴まれてぐい、と引き寄せられ、そのまま横になっている少佐に引きずり倒されてしまった。

「あ、え、し、しょうさ……?」
 首と背中にまわされた腕にぎゅっと抱きしめられ、片脚に少佐のすべすべした足が絡みつく。脚と脚が噛みあうことで密着してしまい、わたくしの思考回路にあったものが片っ端から吹っ飛んでしまった。
 目と鼻の先、その言葉通りの位置にあこがれの少佐のお顔があった。
 エキゾチックな雰囲気を感じさせる艶やかな黒髪、きめ細かい肌。そして揺るぎない大地に背中を預けているような、確かな安らぎをおぼえる優しいにおい。
 いま、わたくしは少佐に抱きしめられて少佐の腕のなかに収まり、少佐のにおいに包まれて少佐とわたくしの二人だけの空間に閉じ込められている。
 この一瞬において、わたくしは世界でもっとも幸せであることを確信した。重なりあった肌から伝わってくる体温にわたくしの胸はどこまでも高鳴っていく。
「あ、あの、少佐……」
「ペリーヌ……、おまえは本当にかわいいな」
 ガンッ、と頭を殴られた気がした。
 "おまえは"おまえとはわたくしのこと、ペリーヌ・クロステルマンのこと。
 "本当に"まさにまさしく、嘘、偽りなく。
 "かわいいな"可憐で愛らしい、と。
 頭のなかで何度も何度も少佐の声が反芻される。ペリーヌおまえはかわいいな、本当にかわいいペリーヌ、かわいい、かわいい。
 思いもよらない事態に冷静に対処しなければならないと分かっていながら、見つめ合った状態で紡がれる甘い言葉がそれこそアルコールのようにわたくしの理性を酔わせてしまう。ふわふわした心地は上等のワインを飲んだときに似ている。
 だからこんな言葉も平気で口をついて出てしまった。

「あ、あの、つまり少佐はわたくしを、その……マ・プティット・ピエレッテ・ア・クロケーと、おっしゃるのですね……?」
「ああ、とにかくお前がかわいくて仕方ないんだ」
「はぅぁ……」
 少佐はわたくしのことを"食べちゃいたいくらいかわいい"と認めてくださった。頭のなかのどこかが蕩けてしまった気分だ。全身から力が抜けてしまう。
 普段なら戯言としか取られないような問いかけにも、いまはわたくしの望むままに答えが返ってくる。
 わたくしは夢でも見ているのではないか、と疑ってすぐに夢なら夢でわざわざ否定する必要もないと割り切ることにした。こんなに都合のいい夢も、たまに見るくらいなら罰は当たらないだろう。
 なんならここで一晩を明かしてしまうのもいいかもしれない。
 日頃のわたくしなら考えられない破廉恥な思考にも今はなんの疑問も抱かず、また潤んだ瞳でいとおしそうに見つめてくる少佐なら受け止めてくださるのではないか、とそんなことさえ考えてしまう自分に自分で驚いてしまう。
 浅ましい思考はやめるべきだと唱える冷静さがこんなにも疎ましく思えるのは初めてだった。
 たとえすべてが夢で幻だとしても、服を通して伝わってくる温もりを今この時だけでも感じていたい。そう思う気持ちが平常心を上回り、わたくしの心身を一色に染め上げるのにたいして時間は掛からなかった。

「あの、少佐はわたくしのこと、す、好いておられますの……?」
 こんな質問ができてしまう自分に、
「当たり前じゃないか。好きだ、大好きだ。かわいいおまえを愛さずして何を愛せばよいと言うのだ」
 こんな返事をしてくださった。
 胸がきゅうぅ、と締めつけられるような感じがする。痛いのではない。幸せなのだ。ただただ嬉しくてわたくしの心の容器から喜びがあふれそうになっている。
 好きという気持ちが膨れあがり、胸がはじけそうな気分になってわたくしは少佐の背中に手をまわした。
 愛されるだけでは物足りない。わたくしからも愛したい。愛していると伝えたい。一秒でも長く笑顔でいてほしい。一秒でも多く支えてあげたい。一秒でも早く苦痛を取り除いてあげたい。一秒でも、永遠に変わらないわたくしの気持ちを感じてほしい。
 腕に力をこめる。少佐のお体はほっそりしているにもかかわらず引き締まっていた。少佐の腕にも力がこもる。わたくしの体を抱き寄せ、離れたくても放さないと言わんばかりに。

 優しく、あたたかい感覚に幼かったころの記憶が思い出される。
 眠れない夜はいつもお母様に抱きしめてもらっていた。お母様の腕のなかで、わたくしもいつか誰かに安らぎを与えられる女性になりたいと願った。その相手を見つけられた幸運を大事にしたいと思う。
 大切な人が傷ついたり、怯えているときには抱きしめて痛みも不安も軽くしてあげたい。好きな人が安心して"帰れる場所"でありたい。
 いつの間にか目を閉じられた少佐の首筋に顔をうずめる。安らかなにおい。未熟なわたくしは少佐に寄りかかってばかりだ。いずれ少佐が安心して寄りかかれるほど強くなれたら、きっとそのころにはガリアの復興も果たせるだろう。
 静かな寝息が聞こえはじめた。わたくしは穏やかな寝顔にそれを近づけ、寸前で思いとどまった。こんなやり方ではなく正々堂々と、少佐から求められたときに凜として答えられるように、いまはおあずけだ。
「少佐」
 わたくしは最愛の人の頬に手を添えて、
「大好き……ですわ」
 深い眠りに落ちていった。

 目を覚ますと少佐のお姿はどこにもなかった。おそらく早朝の訓練をされているのだろう。わたくしは寝ぼけた頭で髪と衣服の乱れを正し、食堂に向かった。
 食堂にはすでにみなさんが集まっており、どうやらわたくし一人だけが遅刻してしまったようだ。
「遅いぞ~、ペリーヌ。飯が冷えちゃうじゃんか」
「寝ぼすけペリーヌ~」
「あなたに言われたくありませんわ! この居眠り猫!」
「それではみなさんそろったことですし、朝食にしましょう」
 中佐のひと声で静まり、合図とともに食事となった。
 わたくしはこんがり焼けたトーストにストロベリージャムを塗り、小さくかじった。向かいの列に座っておられる少佐はマーガリンをつけていらっしゃった。
 ふと目が合う。ただそれだけのことなのに、わたくしと少佐のあいだで何か大事なものが通じあった気がした。
 少佐がわざとらしく咳払いなさって視線を外された。何人かの方が不思議そうな顔で少佐を見やる。その咳払いの意味を正確に理解しているのはきっとわたくしだけだった。
 かるい優越感に浸りながら気分よく紅茶をすすっていると、
「ペリーヌ、おまえ昨日とおんなじ服着てナイカ……?」
 隣のエイラさんが不躾なことをおっしゃるので紅茶を噴き出しそうになった。必死で飲み下して落ち着きを取り戻すと、少佐がトーストを喉に詰まらせてむせているのに気付いた。みなさんの視線がわたくしと少佐のあいだを行ったり来たりしている。
「ペリーヌさん、あとでちょっとお訊きしたいことがあるのだけど……よろしいわよね?」
 中佐がにっこりと笑顔でそうおっしゃった。これはお願いされているのではない。命令されている。なぜかその笑顔には妙な迫力があった。きっと恐ろしいことが待っている。居眠り猫が本能的にガクガク震えているのがなによりの証拠だった。
「けほ……まあ待て、ミーナ中佐。ペリーヌは何も悪くない」
「美緒、そういうのは……」
 おそらく中佐にあとでこってり絞られるだろう。しかし、わたくしは嬉しくてたまらなかった。少佐がかばってくれているということは、つまり昨夜のことが嘘ではなかったということだ。
「いったい何がどうなってんダヨ。なあ、教えろヨォ」
 隣からちくちくフォークで刺してくるエイラさんを軽くあしらい、わたくしは心が満たされていくのを感じながら優雅な手付きでティーカップを口に運んだ。
 今朝の紅茶は格別おいしかった。



 おしまい


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