ききみみ。


「あふぅ。 そろそろ寝ますかしら……。」
ロビーでのちょっとした歓談を終え、自室に向かう道すがら。 私は何気なくその足を止める。
別に何か理由があったわけではない。 今夜は、わけもなくアンニュイなだけだ。

(あぁ……こんな夜は坂本少佐が傍にいてくださったら……。)
くねくねと身をよじり、しばし想像に耽る。 いやね。 あの人を思うだけで、憂鬱も吹き飛んでしまうなんて。
恋わずらいとは言うけれど。 これが病気だとすれば、私は本当に重症ですわ。
くすり、と一人笑って、再び歩み出す私。 その時。

「あ……ん。」
!? はっきりと耳に飛び込んできたその声は、間違いなく、愛しのあの人のものだった。 いや、あの人のものだと思う。
断言できないその理由は。 それが私が知らない、想像すらしなかった程の、艶かしい声だったから。

「どどど、どういう事ですの!? い、一体どこから……。」
慌てふためいて辺りを見回す。 この辺りの部屋と言えば……。 その部屋が目に止まり、瞬時に血圧が上がったのが分かる。
宮藤芳佳。 そ、そんな、まさか。 嘘ですわよね? 騒ぐ心臓を抑えつつ、宮藤さんの部屋のドアに耳を当てる私。

「うふふ。 坂本さん、かわいい。 この裏っかわの所が気持ちいいんですよね?」
「こ、こら宮藤、調子に乗るな! ……んっ……そ、そんな所まで器用に引っ掻きおって……。」
さぁーっと顔が青ざめていくのが分かる。 えっ? そんな。 嘘よね。 何かの間違いよね。
あの至高にして完璧な坂本少佐と。 田舎者丸出しの、扶桑の山出し豆狸が。 頭がガンガン鳴って、うまく物事が考えられない。

そうですわきっとこれは空耳ですわ! 宮藤さんなんかじゃ、どう考えてもあの方と釣り合っていませんもの!
ふ。 ま、参りましたわね。 私ともあろうものが、事もあろうに空耳ですなんて。 早く部屋に帰って休みましょう……。

「まだまだ序の口ですからねー。 今度はこんな奥の方まで……こすっちゃったりして。」
「あっ! ばっ、ばか、宮藤。 そこは……ふっ、深すぎる……。 んっ!」
なななな何をしてらっしゃいますのぉ!!! 猛スピードでビタリとドアに張り付く。 空耳じゃないですわ! 空耳じゃないですわ!
極限まで集中してドアの中の物音を聞き取る。 な、何か呼吸音が荒くありませんこと? なぜですの!? なぜですの!!?

「ペリーヌさん、何してるんですか?」
「ひゃわぅあぅっふぃ!!??」
突然声をかけてきたのはリーネさん。 そ、そう言えばこの方、隣の部屋でしたわね。
私は急に、穴があったら入りたい気分になった。

恥を知りなさい、ペリーヌ・クロステルマン。 あなたは人の秘密に聞き耳を立てたのよ。
リーネさんが来てくださらなかったら、きっと今でも声を聞き続けていたでしょう。
たとえいかなる理由があったとしても。 それは淑女として、ガリア貴族として、恥ずべき行為に相違ないではないの。

「あん……坂本さん……。」
「!? よ、よ、芳佳ちゃん!!? ななななな何ですか今の!!!!」
ばびゅん! 私が悩んだり立ち直ったりしている目前で、視認できない程のスピードでドアに張り付くリーネさん。
…………。

「……あ、あの、リーネさん。 盗み聞きは、人として恥ずかしい行為ではありませんかしら……。」
「はぁぁ!? 恥ずかしい!? 何言ってるんですかペリーヌさん? そんな事よりもっと大事な事があ・る・で・しょ・うっ!!」「え、いや、その? そ、そうですわね……。」
物凄い剣幕で押し切られてしまった。 なんだか釈然としない気持ちを抱きつつ、リーネさんに倣って再び耳を押し付ける。

「み、宮藤。 私は恥ずかしながら、こういう事は、その……初めて、なのだ。 うまくできなかったら……すまん。」
「いいんです……来てください、坂本さん……。」
「いっ。 入れるぞ、宮藤……。」

「いっ、いっ? いー!? い、入れるって何をですかぁー!? 芳佳ちゃんのどこに入る気なんですかぁぁーー!!??」
「ちょちょっと! もっと静かにしてくださいまし! 気付かれてしまいますわ!」

「っ……! 痛……っ……。」
「! す、すまん宮藤! ち! 血がっ!」
「へ、平気です、坂本さん……。 私は大丈夫ですから、坂本さんの動きたいように……動いてください……。」
「宮藤……。」
血!? 血ですって!? 血が出るような事って何ですの!!? う、う、動くって何がですのーーー!!!???

「……ぬ……。」
「え? 何かおっしゃいましたリーネさん?」
「……芳佳ちゃんを…して私も…ぬ…………。」
「きゃあああ!!? い、一体何をおっしゃって……ちょ、ちょっと! ペンシルを腰だめに構えないでくださいまし!!」
うつろな表情のリーネさんを何とか押しとどめる。 私の方が体格で劣るぶん、気を抜くと一気に振り切られそうだ。

「離してくださいペリーヌさん! なんでですか? なんで止めるんですか? ペリーヌさんだって泣いてるじゃないですか!」
「えっ……?」
泣いてる? 私は泣いているのか。 私はリーネさんに言われて初めて、自分の頬を涙がつたっている事に気付いた。

そうだ。 私は、泣いているのだ。 だって。
あれほど大好きだった人が、今、私でない誰かと睦み合っているのだ。
それが悲しくないはずがない。 それが憎くないはずがない。 それが絶望でないはずがないのだ。 でも。

「離しませんわ!」
悲しくないはずがない。 憎くないはずがない。 だから、離せるはずがない。 だって。
好きなんだもの。 あの人の幸せを尊重したいんだもの。
例え、隣がいるのが私じゃなくたって。 あの人に幸せでいてほしいんだもの!

「あなたたち、何を廊下で騒いでいるの?」
「!! ちゅ、中佐……。」
私とリーネさんが揉み合っていると、ミーナ中佐が現れた。 涙を見られた気まずさ、言い訳のしづらい状況。
私もリーネさんも何も言えず、間の悪い静寂が廊下を満たした。

「坂本さん……すごく、良かったです……。 お礼に、今度は、また私がしてあげますね。」
「ば、ばか。 私は最初にもしてもらったじゃないか。」
「なーに言ってるんですか、坂本さん。 心配ご無用です! だって……もう一つの方の穴がまだ、残ってるじゃないですか。」
ばびゅばびゅん!! 視認できない程のスピードでドアに張り付くリーネさんと私。
もっ、もっ、もっ!? もう一つのって何ですの!!? もう一つのって何ですのーーー!!!!????

「どっせーーーーーい!!!!!!」
バギャッ!!! ミーナ中佐が躊躇いなくドアを蹴破った。 すごっ!!!!
魔法を使っているわけでもないのにこの威力はなんですの!!? あ、いえ。 そういう問題ではなく!

「……あ、あの、中佐。 人の幸せは尊重するべきではありませんかしら……。」
「はぁぁ!? 人の幸せを尊重!? 何言ってるのかしらペリーヌさん? そんな事よりもっと大事な事があ・る・で・しょ・うっ!!」
またしても押し切られてしまった。 世の中って、私が思ってるよりもずっと厳しいものなのかもしれませんわ……。

されど悲しいかな、私がどんなに悩もうともドアに寄りかかっていた以上、物理法則のもたらす結果からは逃れられないわけで。
もつれ込むように部屋に雪崩れ込んでしまった私たち。
屹然と、あるいは恐る恐ると、三者三様に顔を上げた、そこには。

耳かきをしている宮藤さんと坂本少佐が、ぽかんとした顔でこちらを見ていたのだった。

「わっはっはっ! いや、恥ずかしい所を見られてしまったな。 扶桑の撫子たるもの、耳かきくらいは嗜んでおこうと思ってな!」
「水臭いじゃない。 言ってくれれば、私だって練習台くらいにはなってあげられたわよ。」
「そうですよ。 私、大家族ですし、そういうの得意ですよ。 言ってくれたら教えましたのに。」
「あのー、それはともかく、いまだに私の部屋のドアが蹴破られた理由が分からないんですけど……。」
リーネさんの部屋に場所を移して歓談する私たち。 なんて恥ずかしい思い込みで行動していたのかしら。
生来の神経質に酷い拍車がかかって、今にも顔から火が出そうで、私はまだまともに坂本少佐の顔が見られなかった。
何事もなかったかのように談笑できるリーネさんと中佐が心底羨ましい。

「もちろん宮藤を選んだのにはワケがある! けだし、宮藤なら失敗しても治癒魔法が使えるからな! わっはっはっ!」
「えぇぇーー!! そ、そんな理由だったんですかぁーーー!!!」
「はは! いや、まぁ、勿論それだけではないぞ。 宮藤は同じ海軍であるし、同郷の身でもある。
 性格も朗らかで頼みやすかった。 それより何より……宮藤は小柄だからな。」
「? 小柄だから、ですか?」
「うむ。 実際に私が耳かきをする状況を考えてみるとだな、それは、その……母となった時ではないかと、思う。
 だからだな、その……小柄な宮藤は、想定訓練にうってつけだったのだ。」
坂本少佐の常ならぬ歯切れの悪さに、思わず笑みがこぼれる私たち。 さすが少佐……その発想までもが敬慕すべきものですわ!
少佐ならきっと良妻賢母になります。 母親として子供に耳かきする少佐……あぁ、想像するだけで素敵ですわ……。

「だが、するとされるではやはり違うものでな。 宮藤に実演してもらっても、結局正解がどんなものか今一つ掴めなかったのだ。
 ……そうだな、リーネ。 すまんが、私の目の前で、宮藤の耳かきをやってみせてもらえないか?」
「え? よ、芳佳ちゃんにですか?」
「うむ。 客観的に見ながら真似すれば、私にも極意が掴めるかもしれん。 というわけで、すまんがペリーヌ。
 私には、お前の耳かきをさせてはもらえんか? お前なら、体格も宮藤と同じくらいだしな。」
「えっ!?」
「な、何ですって!!!???」
なぜ中佐が私以上に驚いているのだろう。 それはともかく。 私が、坂本少佐に耳かきをしていただく? この私が?

「なんだなんだ。 そんなに怖がられるとさしもの私でも傷つくぞ、わっはっはっ! ペリーヌ。 どうしても嫌か?」
「い、いえ! 願ってもございませんわ! 是非ともお願い致します!!!」
ぽんぽんと自分の膝を叩いて私をお誘いになる少佐。 こ、これは! ひっ……膝枕をして頂けるという事ではありませんの!?
……失礼します。 蚊の泣くような声で呟いて、そっと少佐のおみ足に頭をもたせかける私。
天国のような感触に包まれて、私の心臓はとくんとくんと高鳴っている。 こんな。 私なんかがこんな真似をしてよいのだろうか。

キュッ。 ? 一体何の音かしら。 あえて形容するなら、ゴリラが怒りに任せて大臀筋を思いっきり引き締めたような……。
でも、こんな所にゴリラがいるはずありませんわよね。 空耳ですわ。

ぼうっとしていた私の髪に、少佐の指が手櫛を入れる。
夢見心地で見上げると、これまでで一番眩しい微笑みを浮かべて、少佐はおっしゃった。

「そう硬くなるな、と言っても無理かもしれんが。 お前に笑ってもらえれば、私はそれが一番嬉しい。 信じろ、ペリーヌ。」


たぶん、少佐にとっては何気ない一言だったのだけど。 私も、それが分からないほどお馬鹿なつもりはないのだけれど。
なぜだろう。 その言葉を聞いた時、私は、今日かいた恥も涙も。 これまで抱え込んできた何もかも。
その全てが報われた気がしたのだった。

何か返事を返したい。 少佐の事を心から信じていると態度で示したい。
それで、とても返事ができるような余裕はなかったから。 私は、子供のように単純に、コクンと少佐に頷き返した。

「こうこう……こんな感じですね。 どうですか?」
「ふむふむなるほど……こういう手の動きだったのか。 うむ。 今なら私にもできそうだ。 いいか、ペリーヌ?」
「は、はひっ! いつでもいらしてください!」
思わず声が裏返る。 キュッキュッキュッ。 のぼせすぎているのか、空耳は酷くなる一方だ。
でも構わない。 この幸せな時が続くなら空耳くらい幾らでも平気。 いつまでもいつまでも、この時間が続けばいいのに……。

ぷす。

「あ。」
…………………………。



「きゃあああああ! ぺ、ペリーヌさんの耳から、ち、血が噴水みたいにぃー!!」
「はわわわわ! ま、魔法! 早く魔法を使わないと!!!」
「すまんペリーヌ!!! やはり私には無理だった!!! 必ずこの責任は取る!!! 安心して眠ってくれ!!!!!」

激痛に苛まれながらも、責任は取るという言葉だけはハッキリ聞こえたり、愚かにもその響きに喜んでしまっていたりして。
あぁ、恋わずらいとは言うけれど。
私はこの病気にかかって、なんだかんだでけっこう幸せなのだった。

                                            おしまい


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