drifter
またいつものあの声が、私を呼ぶ。
「ねえ、トゥルーデ」
甘い声。
声に背を向けているのは、ちょっとしつこいと言うか……、今少し、間を置かせて欲しい。
そんな自分の逃げだ。
ああ、分かっている。勝手な理屈だ。
でも構わず、その“悪魔”は私の背中をつつーっとなぞり、抱きしめた。
その抱きしめ方……力が入ってない様でいて、しっかりと私を捕らえて離さない。
空戦で真後ろにぴたりとくっつかれた感じ。でも、空戦の時に感じる焦燥感や敗北感とは無縁。
肌が、胸が背中と密着する。心の鼓動を感じるよ。嫌と言う程。
「ねえ、トゥルーデってばぁ」
今度は胸に手が来る。私はあのリベリアンやリーネと違ってそんなに大きくない。
でも気に入ってると言われて、なんだかほっとしている私が居る。
そして肌を寄せて唇を耳に這わせてくるお前の胸をもっといやらしくしたいと思ってしまう
どうしようもない私が頭の中に居るのも事実。
……やめてくれ、そこはちょっと弱いんだ。
「エーリカ、ちょっと、待て」
思わず名前を口にし、強い目で諭す。
名を呼ぶのも、本当は少しだけ、恥ずかしかったりするんだ。
昔はそんな事なんて全然無かったのに。不思議だ。
「なんでよ~トゥルーデ、つれないなあ。まだ二時前だよ?」
「こんな深夜までいちゃついてて良いのか? また遅れたら、ミーナに何て言われるか」
「その時はその時だよ」
「昨日も確かそう言ってたよな? 結果、私達はどうなった?」
「掃除当番半日分追加~」
「しっかりペナルティ食らってるだろ。ミーナはああ見えて怒ってるんだぞ?」
「そうかな? 本気で怒ってるんだったらもっと酷い事になってると思うけど?」
「その底抜けに楽観的なとこ、リベリアンに負けてないな」
「誉め言葉だよね? ありがと」
「だから胸をもむな! エーリカ、やり過ぎっ……」
いとも簡単にベッドに転がされてしまう。魔力を使えばエーリカの一人や二人何て事ないんだが
そんな乱暴な事が出来る筈も無い。
覆い被さってくる。身動きが取れない。
「トゥルーデ、愛してるって言ってよ」
私をじっとみつめるエーリカの目が潤んでいる。その眼差し、やめてくれないか。苦手なんだ。
どうして苦手かと言うと……エーリカの瞳の奥には何かが棲んでいる。それは渾名の通り
“黒い悪魔”か、もしくはぼやけて映る私自身……か。
そう言えばカールスラントの哲学者に「深淵を見るときは注意せよ」と警告していた人がいた。
深淵を見つめるとき、深淵も貴方を見つめているのだ、と。
つまりだ。エーリカの瞳の奥の深淵を私が見ていると言う事は、私も深淵に見つめられていると言う事か。
それは彼女のこころか、私のこころか。
こんがらがってきた所で、エーリカはその距離を更に縮めてきた。数センチ。数ミリ。
じわじわと迫り来る。
「トゥルーデ」
言葉の発音ひとつひとつが小刻みな息となり、私の顔をそっと撫でる。
それが、私の弱点のひとつ、なのかも知れない。
「愛してる、エーリカ」
根負けだ。また私はエーリカにやられてしまった。エーリカの前で理性を保つのは、正直難しい。
普段の時は普通にしてて当たり前だ。でも、時々思う。
人目もはばからずに、エーリカを抱きしめたい、キスしたい、肌を重ねたい。
エーリカも同じ様な事をよく口にする。でも、実際に出来る訳もない。ここは戦場の最前線で……、
公園や恋人の家じゃないんだ。そんな事は分かってる。だけど……
「やっと言ってくれた。私も愛してるよ、トゥルーデ」
エーリカに唇を塞がれた。反応してしまう私が憎らしい。でも、目の前で夢中に口吻を交わし
舌を絡め、肌を合わせ、一緒にめちゃくちゃになりかけてるエーリカを見ると……
だめなんだ。
名前を何度呼んだか判らない。でも、それだけ愛しいんだ、エーリカ。
時計を見る。朝の四時半。少佐はそろそろ起きて早い自主訓練に出掛ける時間だ。
まどろみから覚めきらない私達は、ひどく朦朧とした状態で、お互いをゆるりと抱き合うのが精一杯。
「もうすぐ朝だぞ」
「うん……もうちょっとだけ」
「ああ」
小さく寝息を立てるエーリカ。腕枕して欲しいのか? 好きにしろ、お前のものだ。
エーリカを出来るだけ優しく抱き寄せて、美しい髪をすくってみせる。
さらさらと流れ落ちる。指輪と絡めると、何とも言えない気分になる。
「トゥルーデ……」
寝言か、私を呼んでいるのか。
「エーリカ?」
返事は無い。きっと浅い眠りの中で、私ではない「わたし」と何かをしているのだろうか。
……気になる。
私はふと気付いた。夢の中の自分にまで嫉妬しているのかと言う事に。
そもそも、と鈍い頭で考えを巡らせる。
私はいつからこいつの事が好きになったのだろう。愛し合う様になったのだろう。
遡ってみるが、答えは出ない。エーリカなら初のキスがいつかとか、覚えているかも知れないが
今の私にはどうでもいいこと。目の前に居てくれれば、それで良い。
でも、そんな事をエーリカを目の前にして考えていると言う事は……
私のこころは、流されているのか。何処かを彷徨っているのか。
けど彷徨っているとしたら、自分の心の中か、もしくはエーリカの中でだろう。
そう、私は放浪し、漂流しているのだ。エーリカを巡って激しく、虚しく。
しかし後悔なんてしていない。エーリカがここに居るし、何処までも一緒だ。
たまに私達はどうなってしまうんだろうと心配になるときもあるけど、そんな時、私は自分の左手を見る。
薬指で控えめに輝くその指輪。エーリカとお揃いの同じ光を見る事で、私の心は癒され、励まされる。
そして思い知らされる。エーリカの事が本当に大切で、かけがえのない存在だと言う事を。
エーリカと一緒に腕を組んで、指輪を眺めっこして、微笑みあって……。私にはそれで十分だ。
寝顔も可愛い。そっと額を撫で、頬に触れる。
う~ん、と小さく唸る様子はまるで子犬みたいで、
気が付くと、私は無意識のうちに唇を重ねていた。
「トゥルーデ……寝かせてよぉ」
いや、寝かさないぞ、エーリカ。
私の理性は、とうの昔に流されていた。もう一度、いや、何度でも、エーリカを愛したい。
だから。
「エーリカ、愛してる」
抱きしめる力を少し込めて、私はエーリカの唇を奪い、首筋に舌を這わせ、耳の後ろを軽く舐る。
小さな喘ぎ声が聞こえてきた。エーリカの弱点は知っている。
お前が私の事をすべて知っているのと同じだ。
その喘ぎ声がやがて私の名前を呼ぶ。ぞくっとする。その声が、またたまらなく愛しい。
私もエーリカの名を呼び、眠たげな瞳同士、見つめあう。
深淵と言うより澱みに近かったが、そんなのお構いなし。
エーリカ、お前だけなんだ。
だからもう少しだけ、付き合ってくれ。
夢から覚める、その前に。
end