学園ウィッチーズ 第17話「終わりと始まり」
ゲルトルートは目を覚まし、天井を見つめる。水を飲もうにも、寝返りを打たなかったためか、すっかり体が言う事をきかなくなっていた。しびれた体に感覚が戻るまで、目だけを動かして、部屋を見回す。
花瓶が消えている。
ミーナだろうか。
今朝出会ったばかりだというのに、また来てくれるなんて。
ゲルトルートの心が躍る。
どんどんという威勢にいいノック音に、ゲルトルートは、表情を引き締めた。少し、強いぐらいに。
ドアが開き、ひょいと顔を覗かせたシャーリーは、思わず不服を漏らした。
「なんだよ、そんな顔して」
「何を言う。私はいつもこんなだろう」
そうだけどさ、と漏らしながら、シャーリーは、壁に立てかけてあった折りたたみのスツールをベッドのそばに引き出して、座り、腿の上に置いたヘルメットに両肘を突いて、前かがみになる。
ゲルトルートは視線だけでその様子を追う。
そんな彼女の状態を、じっと青い瞳に映し、シャーリーはつぶやいた。
「まだ本調子じゃないの」
「いや、体がしびれているだけだ」
ぷふ、っと吹き出し、かかかと腹で笑うシャーリーに、ゲルトルートは、むっとしてそっぽを向いた。
「怒らないでよ」
「怒ってない」
「ほら、これでチャラにしてよ」と、シャーリーは、水差しからグラスに水を注ぎ、喉が乾いているであろうゲルトルートに手渡した。ふいに指先が触れて、シャーリーはグラスを手放しかけるが、そうなる前に、ゲルトルートが受け取り、なんとか体を傾けて、一口飲み干した。
シャーリーは、枕を重ねて、ゲルトルートが背中を預けやすくなるよう、配慮する。
不可解そうなゲルトルートの目つき。
「なにかあったのか、シャーリー」
いつもと違う呼ばれ方に、どきりとしながらも、シャーリーは、座る振りをして顔を伏せ、その視線から逃れ、座ったときにはいつもの笑顔を作り上げる。
「嬉しいねえ。あんたも、他人に気を遣うなんて」
「それは……、助けてもらったんだし、仲間なんだ。当たり前だろう。それで、どうかしたのか……?」
いつもの、無表情でいて、片目は眼帯で塞がれているというのに、視線は常に力強いゲルトルートに、シャーリーまで、感化されたかのように、表情を引き締めた。
まるでにらめっこだ。
シャーリーはごく冷静にそう思いながら、次の言葉を探しあてるが、踏み出せず、唇を固く結び、沈黙が苦痛にならない程度の間で、別の候補の言葉をつぶやいた。
「あんたのストライカー、来週には新しいの届くってさ。で、その調整やらなんやらでかったりーなーって」
「そうか。すまないな…」
申し訳なさそうなゲルトルートの表情に、シャーリーはそんな顔をするなと言いかけるが、ゲルトルートがさきほどとは打って変わって、やわらかい顔つきを見せた。
「そういえば……、ミーナが話してくれたんだが、現場ではあいつを鼓舞してくれたそうだな」
「そんな大げさなもんじゃないよ」
「謙遜だ」
「そんなこと…」
「本当に、感謝している。ありがとう。本来は、ミーナが言うべきなのかもしれないが…」と、ミーナの顔でも思い浮かべているのか、ゲルトルートの口元が緩む。
こんな表情も、するんだな。
シャーリーは、少なからず、疎外感を覚えて、まぶたを半分ほど落とし、口を滑らせた。
「あんた、ミーナ先輩が本当に好きなんだね」
「ああ」
と、シャーリーの漂わす独特な雰囲気に流されるように、ゲルトルートは答え、大げさに、顔を振り向けた。
ゲルトルートの顔が、ほんのりと赤くなる。
だが、ゲルトルートの予想に反し、シャーリーは、からかうなり囃し立てるなどはせず、優しいような、寂しいような、掴みあぐねるような顔を向け、微笑を見せている。
ゲルトルートは、その表情に、どう出ていいか、すっかりわからなくなって、手元のブランケットを握り締めた。
「い、言うなよ。ミーナに」
「さぁてね…」
精一杯、くだけた口調で言い切って、シャーリーは天井を見上げ、目からあふれ出そうになっているものを引き止めた。
わずかな静寂の後、廊下から、静かに足音が響き、ドアがゆっくりと開いた。
花瓶を持ったミーナが、挿した花の陰からそっと顔を覗かせ、シャーリーに気づき、笑顔を向け、二人に背を向ける形で、花瓶を置いた。
「二人で何を話していたのかしら」
ミーナは、特に探るでもなく、間を持たせるように、穏やかに言うが、ゲルトルートは必要以上に動揺をし、シャーリーを一瞥する。
シャーリーは、片方の口角をくっと持ち上げるように笑い、立ち上がった。
「内緒だよ、内緒。じゃ、おふたりの邪魔しちゃ悪いから帰るよ」
「そんな、まだ来たばかりでしょう?」と、ミーナが振り返る。
「ちょいと通りかかったから寄っただけさ。じゃあね」
とげとげしい言葉にならないよう、最大限の努力をし、シャーリーは廊下に滑り出て、後ろ手にドアを閉め、目をつぶり、顎を持ち上げる。しばらくして、息を吐いて、視線を床に落とすと、長いオレンジの髪をひらりと翻して、その場を後にした。
腰に回されたウルスラの手が緩むと、ビューリングは、すぐさま体を離し、窓へ向かった。
校庭を見て、走り去っていくエーリカを見つける。窓を開けようとしたが、そのまま手を離し、背後で、レポートの続きを書くウルスラにもう一度、体を向けた。
「さっきの……、お前の言葉は本当か?」
ウルスラは、手を止めて、顔を上げ、こくりと、無表情にうなづいた。
ビューリングは、しばらくの間、ウルスラの心の中でも見透かそうとするぐらいの強い眼差しで彼女を眺めた。
ウルスラは、またレポートを書き始める。
かりかりと、鉛筆が、紙の上を踊る音が響く。
ビューリングは、ポケットに手を突っ込んで、取り出したタバコの箱を握りつぶすと、ゴミ箱に放った。
首を傾げるウルスラの横を通り過ぎて、ビューリングはドアに手をかけた。
「それじゃあ、付き合ってみるか……」
ウルスラが振り返る前に、ビューリングは、廊下へと出て行った。
ウルスラは、ため息をついて、準備室へ行き、据え付けられている鏡の前でメガネを外した。
鏡に映る、エーリカと瓜二つの顔をじっと見つめ、そして、鏡に映る顔に向けて、口を開いた。
「私が好きなのは、あなたじゃない」
エーリカは、息が続く限り、ひたすら走り続けていた。
気がつけば、寮を超えていて、次第に息も切れ、速度が落ち始め、あてもなく、道を歩き始める。
ひどく思考が乱れていることに動揺する。
誰よりも近いところにいたつもりだったのに、誰よりもウルスラを知っていると、自負していたつもりだったのに。
いつの間に、誰よりも、何よりも、遠くて、不可解な存在になってしまったのだろう。
戦争で一時的に離れたから?
生徒と教官という間柄になったから?
なにより、なぜ、ここまで、妹の行動にショックを受けているのだろう。
私は――
エーリカは、その場に立ち止まり、上着の胸の辺りをぎゅっと握り締める。
少しして、排気音を轟かせて、近づいてくるバイクの音に気づき、顔を上げると、数メートル前に、見慣れたバイクが停まり、乗り手がヘルメットを脱ぎ、乱れたオレンジ色の髪をなでつけた。
「ハルトマンか?」
エーリカは、立ち上がり、バイクに近づいた。
「なにやってんのシャーリー、こんなとこで」
「ちょっとな……。病院、行くのか?」
エーリカは、ミーナとゲルトルートを思い浮かべるが、ため息をついて、髪を左右に揺らした。
いつもの余裕の笑みが見受けられないエーリカを見て、シャーリーはハンドルにもたれて、顔を覗きこんだ。
「なんて顔してるんだよ」
「自分だって」
こいつも、悩むことってあるんだな。
シャーリーは、うっすらと考え、ちらりと、いつもはルッキーニが乗っているサイドカーを見やり、口を開いた。
「ねえ、どっか行こっか?」
主任教官室で、ハッキネンは、書類に目を通し、机に置くと、流れる手さばきでサインをし、万年筆を置いた。
「それでは、明日からよろしくお願いします。坂本特別教官」
「はい」
坂本は、歯切れよく、返事をした。ハッキネンは、白く長い指で片頬を支え、坂本を見つめた。坂本はそのしぐさにまばたきをする。
「なにか?」
「いいえ。返事までに間があったのが気になっただけです。あなたなら、即答だと思ったので」
坂本とハッキネンは、しばし見つめあい、坂本は、小さく、笑った。
「別の――別の位置から、物事を見つめてみるべきか、否か。少し、迷いが生じていまして」
ハッキネンは、特に表情を崩すでもなく、メガネを持ち上げた。
「意外ですね。あなたでも迷うことがあるなんて」
「私を買いかぶりすぎですよ、主任教官。それでは」
坂本は、軽く、頭を下げ、踵を返すと、部屋を出て行く。
廊下の窓際にもたれかかり、外の風景を眺めていた醇子は、部屋から出てきた坂本に、柔和な笑顔を向ける。
坂本も、ほんの少し、目を細め、ふと微笑んで、その笑顔を受け止めると、彼女に並んで歩き出す。
「ひかないの?」
珍しく早く寮に戻り、ピアノを前にして、ぽんやりと座ったままのサーニャに、エイラが声をかけた。
スリッパをはいた足をひきずるようにしてサーニャに近づいて、隣に座り、顔を見つめる。
どことなく、憂いを秘めたサーニャの瞳。
取り繕うように、小さく引き上げられたサーニャの口角に、疑いを覚えるが、小さく開いた口から言葉が出てきそうになく、ひとさし指で、静かに、鍵盤を押した。
かよわい音が、部屋に響いて、消える。まるでエイラの心中をあらわすように。
エイラは、臆し始めている自分を吹っ切るように、たずねてみた。
「いつから――サーニャはいつからピアノ弾いてたんだ?」
サーニャは、悲しげな瞳はそのままに、エイラを見つめ返した。
「物心ついた時には、お父様の膝の上に座って、鍵盤に触ってた」
「そっか。サーニャのお父さんも、ピアノ弾いてたんだ」
「うん。家族揃ってオストマルクで暮らしてたから」
初めて聞いたサーニャの過去に、エイラは、つい目を輝かせるが、さきの戦争で、真っ先にオストマルクが戦禍を被った事を思い出し、
また、言葉を見失う。
黙りこくるエイラを眺め、サーニャは立ち上がると、窓の桟に手をかけて、わずかに曇り始めた空を見上げ、鼻歌を歌う。
もの悲しく感じるものの、美しいメロディーに聞き入る。
もしかして、気遣われてしまったのだろうか。
エイラは、少し勢いをつけて立ち上がり、サーニャの横に並んで、空を見上げた。
一滴、また一滴と雨粒が窓に当たり、伝い落ちる。
「また雨か」
まるで、エイラの言葉を合図にしたかのように、サーニャの歌が止んで、エイラは少しだけ身を強張らせる。
「この歌、雨の日にお父様が作ってくれたんだ」
幼い子供が自慢話をするような無邪気さで、サーニャが、急に声を弾ませたものだから、固くなっていたエイラは、鮮やかに心を奪われて、胸を熱くし、サーニャに同調するように、声を浮き立たせた。
「とても……いい曲だな。タイトルは?」
サーニャは、考え事をするように、視線を横に向けた。
エイラは、わずかに腰を曲げ、顔を覗きこんだ。
「もしかして、無題?」
サーニャは小さくうなづく。エイラは天井を仰いで、眉間にしわを寄せ、腕を組んだ。
「よし」と、エイラは腕を解いて、朗らかな笑顔を見せた。「その曲のタイトルは、"サーニャのうた"だ」
一瞬の間があって、サーニャがぷっと吹き出し、くすくすと控えめに、笑う。
「わ、笑うなよ。シンプルなのが一番だろ?」
エイラは、唇を尖らせてそう言いながら、ようやく見れたサーニャの笑顔を前に、ほっと胸をなでおろした。
学園ウィッチーズシリーズ 第17話 終