前略、とても遠くて近いあなたに
「ウルスラ曹長、お手紙ですよ。」
明かりがさえぎられ、目元が暗くなった。目の前に誰かが立ったのだ。それは同じ部隊のエルマ・レイヴォネン
中尉のものだった。
ただ話し掛けられただけなら私は彼女なんて放っておいて、いつもどおりの無反応に徹したろう。そうしたら彼女は
「…そうですよね…私なんて…」なんてぶつぶつと落ち込んだあと、「…いけないいけない、前向き前向き!」
なんて叫んで勝手に自己完結して、いつのまにかその用事なんて忘れてしまっているのだろうから。『出撃』
以外の彼女の用事なんて大したことであったためしがないから我関せずに徹するのが一番手っ取り早い。
けれど、『おてがみ』。その単語を聞いた瞬間、私は顔を上げざるを得なかった。ぱたり、と本を閉じて彼女を
見上げる。にこ、と微笑を浮かべる、私のいつものロッテの相手。「エルマ中尉は本当にいい人ねー」とリベリオン
出身の同僚が呆れ混じりに述べるとおり、彼女のお人好しぶりは相当のものだ。
「毎週必ず、送られてきますね。…恋人さんですか?」
興味津々といった様子で尋ねてくるけれど、今度こそ無反応を返した。
ああ、そう言えば一番最初の顔合わせのとき、恋人の有無がどうとか聞いていた気がする。…気になるのか。
気になるのだろう。半ば左遷も同然にスオムスくんだりまで飛ばされてきた私たちに、届く手紙なんてほとんど
無い。それに加えて普段から人付き合いの悪いどころか、無い私だ。そんな私にそこまで懸想する相手が
何者であるのか、気になる気持ちは分からなくも無い。分かりたいとは思わないけれど。
「…」
何も言わずに手を伸ばす。彼女の手にある、白い封筒。
…カールスラントの消印、『親愛なるウルスラ・ハルトマン様』の文字。
少し右上がりの文字の癖は、私のそれとよく似ている。
私がもとより返答する気など無いのを眼前の気弱な上官は理解したらしい。小さくため息をつくと「はい、」と
手を離して渡した。手を引いて裏を見やる。墨に小さく相手方の署名がある。名前だけ、姓は無い。…必要ない
と思ったのだろう。だってどうせ同じなんだから、面倒だよ。多分彼女はそう言って朗らかに笑うのだ。
返事をしなければいけない手紙がまた、一通増えたことに私はひとつため息をついた。
*
それは私の部屋の木箱をひとつ、すっかりと占領してしまっているのだった。何度も何度も読み返すから、
どれもよれよれになってしまっている。月ごとにまとめて、恐ろしいくらいに整理してあるそれを見やるたびに
自分は一体何をしているのだろう、と思う。恐らく手紙の送り主が見たら、「几帳面だなあ」なんて呆れたように
笑うのだと思った。そう言うあちらは恐ろしい散らかし魔で、私が何度整理整頓してもすぐにめちゃくちゃに
しては嵐のように去っていくような人間で。
(手紙、送るからね)
別れ際に彼女が言った、その一言が本気だったなんて私は思いもしなかった。だって彼女と来たらいつだって
ひょうひょうと笑っていて、何を考えているのか全然わからないのだ。…いいや、実際のところ何も考えていない
のかもしれないけれど。その言葉だってたぶんそのときに思いついて、名案だと思ったから口にしたに違いない
のだった。なによりも驚くべきことはずぼらな彼女がそれを毎週欠かさず書き綴って、そして送ってくることだ。
封筒の裏の彼女の名前、その下に書かれる日付はいつもきっかり一つ前の手紙の一週間後。毎週水曜日は、
どうやら彼女にとって私に手紙を送る日らしい。
なぜそんなに書くことがあるのかと思うくらい、彼女の手紙はいつも長い。けれどはじまりの一文は、いつも同じ
であることを私は知っている。
"こんにちは、おげんきですか。私はあいかわらずです。"
相変わらず。たったその一言になぜかほっとしてしまうのはどうしてだろう。私の知っている彼女のままなのだと、
心に温かい何かが流れ込む。
…対ネウロイの激戦区、カールスラント戦線に送られた双子の姉の活躍は、ここ遠いスオムスまでも次々と
舞い込んで来る。『黒い悪魔』と名づけられ、次々にあの異形の怪物たちを撃墜していく優秀なカールスラント
軍人、エーリカ・ハルトマンの名声は恐らく世界中にも知れ渡っていることだろう。
黒い悪魔、なんて。誰がそんな風に呼び始めたのだろう。いつだって朗らかに笑んでいて人の円の中心にいて、
誰からも愛されていたあの姉に、そんな恐ろしい通り名をつけたのは一体誰なのだろう。…それは本当に自分の
姉なのだろうか、と思う。双子で見分けがつけられないからと、私と姉は飛行学校でもそのあとに配属された
部隊でも、別々だった。だから私は姉の戦いぶりをよく知らない。あのずぼらでやる気なしで、ズボンをはいて
いなくても平気で家を走り回っていた姉。私はその姿を見てため息をついて、仕方ないなとばかりに本を閉じて
彼女の後始末をするのが常だった。悪いねえ、ウーシュ。戻ってくるとエーリカはそう笑った。大好きだよ、
ウーシュ。そしてそう続けた。どうしてそこからその言葉に繋がるのか私には全く分からなかったけれど、
彼女が深いことを考えているわけが無かったのでただ黙って頷いていた。
もちろんその恐ろしい通り名を持ったカールスラント軍人が私の姉に違いないことは、実は私が一番よく知っている
ことなのだった。…だって、姉から届く手紙にはいつも、自分が一体どんなネウロイをどれだけ倒したかということが
事細かに書かれていたからだ。公式記録と全く比例しているから、きっと彼女はそれらを何ひとつ書き漏らしては
いない。そもそも彼女は私に嘘なんかつかない。ねえウーシュ、すごいでしょ?はしゃぐように付け足される言葉で、
私は自分の姉が悪魔であることを知る。姉の飛ぶところなんてほとんど見たことが無いくせに、たぶん誰よりも一番、
彼女の活躍を知っている。
ねえ、エーリカ。あなたは本当に「あいかわらず」なんですか。
手紙が届くたびに、私はそう彼女に尋ねたい衝動に駆られるのだった。…けれど尋ねたことは無い。そんなこと
聞いてあちらから「実は、」なんて返って来たら、立ち直れる自信が無いのだ。だからいつも安心する。『相変わ
らず』だと一番最初に書かれていることに、胸を撫で下ろしている。もちろん、あちらがそんな深いことを考えて
そんなことを書いているわけが無いのだけれど。
手紙を書いているのか、と。不意に尋ねられてぎくりとした。
ちらりを横目で見やると、無人のはずだったミーティングルームには長髪長身の同僚がいた。こちらを見ている
わけではなく、どうでもいい、と言った様相で使い魔のダックスフントと戯れている。…そう言えば、姉の使い魔も
ダックスフントであったな、と彼女の相棒を見ながらいつも思っていることを、伝えたことなど無いから相手が
知っているわけが無い。人懐っこいくせにどこか不恰好なその使い魔はなるほど姉そのものだと思っていたもの
だけど、この同僚を見るに使い魔とウィッチは必ずしも似るわけではないらしい。
べつに、と言う気持ちを込めて、私は無言に徹することにした。ああ、これではまた、集中できない。
「ずいぶんと長いこと、かけているみたいだが」
「…」
普段と変わらない、面倒くさそうなその口調なのに少し楽しそうな、からかうような口調に感じるのはどうして
だろうか。聞く私に疚しい気持ちがあるからだろうか。そんなことない、と、ようやく音にして私は答える。どう
しても否定したかったからだ。
「どのくらい返事を書いていないんだ?」
こちらを一切見ていないくせに、彼女と来たらそうやって痛いところばかりを付いてくる。どちらかというと寡黙な
ほうで、やいのやいのとうるさい他の隊員を面倒そうに遠くから眺めている節のある彼女なのにこういうところ
ではひどく鋭い。
「…はんとし。」
仕方なしに答えると、ふ、と笑われた気がした。…からわかれている、確実に。小さく小さく口を尖らせる。
…週に一度、必ず届く手紙。半年経っても出せない返事。それが相手に失礼なことであると、私が一番理解
している。わざわざ指摘されなくても、一番身に染みている。
"こんにちは。わたしはとてもげんきです。"
便箋に書かれているのは今のところ、たったそれだけ、一行だけ。だって何を書けば良いのかわからないのだ。
どうしよう、どうしよう、と悩んで、後でいいかと読書や研究に逃げているうちにそれを責めるように次の手紙が
届く。そして私はまた悩んで、逃げて。その繰り返し。
「あて先は…姉か?」
「そう」
「書くのがいやなのか?」
「違う」
姉が嫌いか、優秀な姉と比べられるのは嫌か。そんな無駄な気を遣われているのを感じて、私は強く否定の意を
返した。私だって、姉に尋ねたいことがたくさんあるのだ。言いたいことだって、多分きっと、たくさんある。ただ
それがうまく、言葉にならないから戸惑っているだけで。
他人が思っている私の姉と、私が思っているエーリカ・ハルトマン。
その差異にいつも悲しくなる。…ネウロイの撃墜数だとか、軍人としての評価がどうなのか、なんて聞きたくない
のだ。そんなことを聞いても悲しくなるだけだ。姉はそんな人ではないと、否定したくて出来なくて、いつも唇を
かみ締める。私の姉は生粋の軍人ではない。私の姉は悪魔ではない。私の姉は、一人のずぼらだけれど
優しい、ただの女の子なのであると言いたいのだ。離れた妹を心配して、毎週毎週手紙をつづって送ってくる
ような、返事を返さなくてもかけらも怒らず何食わぬ顔で、次の手紙を送ってくるような、そんなおかしな人なのだと。
…悔しいのは姉と比べられることなんかじゃない。そんなことはどうでもいい。だって最初から似ているのは見た目
だけで、性格も好きなことも何もかも違っていた。
本当に嫌なのは姉が戦争兵器呼ばわりされることだと、私は言わないから誰も知らない。きっとエーリカだってそう
気付いていないのに違いない。でも本当はいつだって思っている。かわいそう。エーリカは、かわいそう。
「何を書けばいいのか分からない」
「思ったことを書けばいいだろう」
それが出来たら苦労しないと、主張したいけれども面倒だからやめておく。こちらを見やる彩度の低い蒼の瞳の
奥に、楽しげな輝きを見て取ったからだ。
…この部隊に配属されてもう、4ヶ月ほどになる。つまりこちらに来てから私は一度も、姉に返事を送っていない。
あれから私の周りはずいぶんと変わった。…もしかしたら私もずいぶんと変わったのかもしれない。自覚は
無いけれど、エーリカが見たらそう言うのかもしれなかった。
…最近、エーリカからの手紙によく出てくる名前があった。真面目でお堅い、カールスラント軍人そのものだと
自分のことは棚に上げて彼女のことを評していた。恐らく今は彼女が姉の面倒を見ているのだろう。楽しげに
書き綴られる日常風景には私もかすかに胃が痛むのだから、迷惑を被っているその「トゥルーデ」とかいう
相手はそろそろ胃に穴が空いているのではないだろうか。やりすぎちゃだめだよ、何事もほどほどにね。読む
たびにそんな感想を抱いているのだけれど残念ながら伝えたことはまだ、ない。
ちらり、と紙面から目を離してもう一度、今はタバコを吸いながら宙を眺めている同僚を見やる。苦いブラック
コーヒーに、部屋を煙らせる臭いタバコ。理解出来ない領域ばかりの、不思議なブリタニアの不良児。この
部隊ときたら自分も含めて、そんな一癖も二癖もある隊員ばかりだ。…彼女たちのことをつづってみたら、
案外話題には困らないかもしれない。…私の話をエーリカは、喜んで読んでくれるだろうか。私の手紙は
彼女を楽しませることが出来るだろうか。それができる自信が無くて、今まで返事を出せずにいた。
「"姉として生まれたからには、妹や弟が大事なのなんて当然"」
不意に似合わないことを言うものだから、思わず見やってしまう。どこか遠い目で、けれどもなんとなく懐かし
そうな顔で、彼女は続けた。
「…昔、同僚が言っていた。下に7人妹と弟がいるんだそうだ。
まあ、私にはわからないし、双子でそれが通用するのかなど興味もないが」
お前の姉はどうなんだろうな。試すような目線がこちらを射抜く。返答はしない。代わりに紙とペンとを取り
上げて立ち上がった。
「集中できない。部屋に行く。」
去り際にそう口にしたら、ふっ、と明らかに笑われた。今度こそ明らかに口を尖らせてしまったけれど、死角
だったからきっと気付いていないだろう。そう言うことにしておこう。
こんにちは。わたしはとてもげんきです。返事が遅れてごめんなさい。
今日は、私の仲間の話をしようと思います。
まずはそれだけを書き込んで、らしくない言葉遣いだと思った。なぜか口元が緩んでしまう。だってエーリカの
手紙だって、なんだかひどく堅苦しいのだ。やっぱり私は、彼女の妹なんだと思う。
こんな顔は他の隊員には見せられない。笑われたり驚かれたり頭をくしゃくしゃにかき回されたりするのは、
ごめんだ。
次にあなたの手紙が届くまでに、書き上げることができるだろうか。
今度の返事は、何だかとても長いものになりそうです。