Mobius loop
その日の午後、トゥルーデは哨戒任務後の報告書を書いていた。
報告書の作成は随分昔習った学校の勉強にも似て、型にはまった面倒でかったるいものだった。
勿論、戦いの当事者として報告書はとても重要なものだが、こうも多くのネウロイが出てくるとなると、
そして任務が多いと、書類を作る方も大変だ。読む方も大変だろうけど。
九割方出来上がったところで、眠気とだるさがトゥルーデを襲う。
カールスラント製の万年筆を手にしたまま、思わず机に突っ伏す。目を伏せ、ひとつ息を付く。
この戦いはいつまで続くのだろう。この後、私達はどうなってしまうんだろう。
戦いの疲労か、報告書作成のだるさか、トゥルーデは混沌とする意識の中、ぼおっと浮かんでは消える思考を巡らせる。
瞼が重くなる。指輪に目が行く。外の光を反射した輝きはほのかに眩しく、トゥルーデは焼付けて目を閉じた。
ひとつ深呼吸する。
突然、頬に暖かく柔らかな接触を受ける。この感じ……。
目が覚める。
「……エーリカか」
「起きちゃった?」
トゥルーデのすぐ目の前にある、エーリカの顔。悪戯っぽい目で、いつもと変わらない笑みを浮かべている。
「いつ部屋に?」
「トゥルーデ、机で寝てるんだもん。私が入って来たの気付かないなんて、らしくないよ」
「すまん」
「いつもだったら『カールスラント軍人たるもの、規律正しく油断を怠るな~』ってよく言うじゃん」
エーリカがトゥルーデを真似た口調で茶化しながら指摘する。
「他の誰かが入って来たらどうするのよ、トゥルーデ」
「お前みたいに忍んで来ないから大丈夫だろう」
「なにそれ~」
トゥルーデはエーリカの顔を見て微笑むと、身を起こし、報告書の紙をとんとんと纏め、机の脇に置いた。
改めてエーリカの方を向く。頬に手をやる。
「どうした?」
「トゥルーデ、私も報告書書くから、ちょっと机貸して」
椅子から退こうとしたら、エーリカにどんと上から座られた。
「退けないじゃないか」
「トゥルーデ椅子~」
「お前なあ」
「トゥルーデの太腿って、ちょっと筋肉質だよね。さすが鍛えてるって感じ」
「少佐程じゃないさ」
「まあまあ。すぐ終わるからさ」
自分の上に座るエーリカを、真後ろから見る。戦いの時に見せる精悍さ、鬼神の如き迫力は何処にもなく、
年相応の、少しボーイッシュで子供っぽく、それでいて可憐で悪戯好きな少女そのものだ。
身体が少し小さいせいか、体重も軽い。トゥルーデと足して割ると、ちょうど良いかも知れない。
背丈の違いか、ちょうどエーリカの頭が自分の目線とほぼ同じ高さになる。
エーリカはふふ~んと鼻歌混じりに、さらさらと報告書を書いていく。
いつの間にか、トゥルーデの万年筆を使っている。トゥルーデの手からささっと取られたか。
ふう、と息を付く。私のものは何でもエーリカのものなってしまうな。万年筆もそう。私自身もか。
エーリカがたまに首をひねる。何て書こうか考えているのだろう。そのちょっとした癖が、
エーリカの美しい髪をさらりさらりと揺らし、エーリカの香りを微かに振りまく。
トゥルーデの顔のすぐ前でそれを何度もやられるのだから彼女はたまらない。心掻き乱されるとはこの事。
「トゥルーデ、私の髪に何かついてる?」
「いや? どうして」
「私の髪、触ってるから」
「いや。エーリカの匂いがするなって思った」
「そう。いいよ、好きなだけ触って」
「気が散るだろ」
「トゥルーデだもん。トゥルーデは私のもの、私のものはトゥルーデの……ってね」
「なんだそれは」
苦笑するトゥルーデに、エーリカが振り返って言った。
「二人一緒って事。さ、出来たよ」
「随分早いな。どれ、見せてみろ」
「だーめ。トゥルーデ、絶対『ここは書き直しだ』とか言うに決まってるもん」
「そんな事は無い」
「トゥルーデ、戦いの事となると真面目だから」
「それは当たり前だろう。仮にも軍人だぞ?」
トゥルーデはエーリカの目の前に散らばった報告書を取り上げると、つらつらと目を通す。
「これは……書き直しだぞ」
「ええ? ほら、やっぱり言った」
「こんなでたらめな報告書が有るか? これじゃミーナも少佐も怒るぞ。流石の私もフォローしきれん」
「せっかく急いで書いたのに。フォローしてよ」
「何故急ぐ必要がある?」
「わかんない? トゥルーデ」
トゥルーデの太腿の上で、エーリカがぐるっと回転した。目の前に向けられた、エーリカの顔。
エーリカはトゥルーデをそっと抱きしめた。トゥルーデの上に跨り、じっと見つめる。
二人の息が自然と絡まる。
エーリカの瞳はいつしか潤んでいた。別に泣いている訳ではない。理由は分かっていた。
「トゥルーデ、目、潤んでるよ」
私もか、と自分を見つめるエーリカに指摘されてようやく自覚する。
こうして間近に……椅子の上でふたり密着して顔を近付けると、
いつもは頭の何処か奥にしまい込んでる筈のスイッチが途端に入ってしまう。
そのスイッチとは……そう、エーリカを愛している、もっと愛したい、証。
「エーリカ」
名を呼ぶ。エーリカもトゥルーデの名を呼ぶ。その口の動き、言葉に合わせて吐き出される息に心惑わされる。
いつもの事なのに、いつまで経っても……、いや、いつもそうだ。
愛おしい、と言う証拠。
ふたりそっと近付き、距離をゼロにし、唇を触れ合わせる。
最初は柔らかく、軽く、挨拶程度に。
息を付く。
二回目は、もっと深く、お互いの気持ちを確かめる為に。
吐息が絡む。灼ける様な熱さが、お互いの頬をかすめ、絡み付く。
三回目は、もっと長く、お互いの気持ちをぶつけて、そして知る。お互いを想う強さ、気持ちの強さを。
呼吸が激しくなる。お互いの鼓動を感じる。服を通して呼吸の荒さ、肌の温かさを感じるが、
本当はこんな上着など脱ぎ捨てて、直接触れ合いたい。
服にさえ、邪魔して欲しくない。
偽らざる、ふたりの気持ち。
椅子の上で繰り広げられる、二人の行為。
「なんか、思い出すよ」
「何を?」
「ネウロイ追い掛けて、超高々度まで、無理して揚がった時の事。……息が薄くて、呼吸がこんなに、なってさ」
「空気、薄いからな」
「今は空気、薄くないよ? でも何でだろ、何か」
「それは私も、一緒だ」
「どうして?」
「息付く暇も、無いからな」
「その僅かの間も、惜しいって?」
「よく。分かってるな、エーリカ」
「トゥルーデの事なら、分かるよ。何でも」
「私も、エーリカの事なら……」
唇を塞がれる。エーリカは何も言わせないとばかりに唇を吸い、舌を絡ませ、お構いなしにトゥルーデを貪った。
短く息を付きながら、エーリカの猛攻を真正面から受けとめるトゥルーデ。
二人の唾液が絡み合い、つつと糸を引く。服に付くのもそのまま、二人は濃く熱い口吻を続けた。
やがて唇が離れ、お互いの頬、首筋、耳と、ゆっくりとだが着実に、舐り、味を確かめる。
同時に、ふたりの気持ちも確かめていく。
きゅっと首筋に吸い口をつけるエーリカ。トゥルーデも同じように、キスマークを付ける。
「ねえ、トゥルーデ……」
「エーリカ……」
二人がこの後何を望んでいるか。以心伝心と言うべきか、全て分かっていた。
トゥルーデはエーリカをそっと抱き、ベッドに移ると、エーリカと共に寝転がった。
服を脱ぎながらキスを何度も交わしていく。ズボンも全て脱ぎ捨て、二人は生まれた姿のまま、
抱き合い、もっともっと激しく、行為に浸った。
何度でも、いつまでも。
愛しの人。
日も暮れかけ、部屋は茜色に染まっていた。二人はけだるく、ベッドの上でゆるゆると抱き合っていた。
「もう、こんな時間だよ。報告書どうしよう」
「仕方ないな。後で一緒に出しに行こう」
時計を見て、微笑む。
「だって、こんな時間になったの、トゥルーデのせいだよ。続きもっと~って引っ張ったの」
「エーリカが最初の切欠を作ったからだ」
「理由になってないよ」
「十分立派な理由だ……それだけお前を愛してるって事さ、エーリカ」
「さらっと言うね」
「ダメか?」
「いや、トゥルーデ変わったなと思って。嬉しいけど」
「私を変えたのは、エーリカ、お前だぞ?」
「分かってるよ」
「エーリカ……」
「トゥルーデには変わって欲しかったんだよ。ずっと前からね」
「……」
「でも、今は十分くらい。愛してる、トゥルーデ」
「エーリカ、私もお前を愛してる。但し」
「?」
「もっと変われと言われたら、……私はどうなってしまうか」
「どうなるの?」
「私にも分からない。でも、お前を思う気持ちに変わりはない」
「嬉しいよ、トゥルーデ」
二人はまた、口吻を交わした。
繰り返される、いつもの光景。
でもそれはいつも新鮮で、どきどきして。そしてまた帰って来たと言う安堵も混ざって。
二人の結びつきは、強くなる。心も、身体も。
end