学園ウィッチーズ 第18話「悔悟と懺悔と告白と」
拝啓
先日の申し入れについての返事を本日拝受いたしました。
当校への入学について、貴殿へのご迷惑は重々ご推察申し上げますが、今一度、ご賢察をいただければ――
病室での会話の途中、先日、オストマルクから届いたとある手紙の一文を思い浮かべ、ふっと、考え込むように、視線を遠くするミーナに、ゲルトルートは気づき、呼びかけた。
ミーナは、弾かれたように顔を上げ、困ったように眉を寄せた。
「なんの、話だったかしら…」
珍しいミーナの様子に、ゲルトルートはわずかに目を丸くする。
窓を、降り始めた雨が濡らし始めた。
ゲルトルートは、掛け時計に目をやり、つぶやいた。
「そろそろ、寮に戻ったほうがいいんじゃないか」
「……そうね」
ミーナは、無意識に、眉尻を下げながら、ベッドに手をかけ、立ち上がる。
ゲルトルートは、ミーナの表情に気づき、咄嗟に、彼女の手の甲に、指先で触れた。
中腰になっていたミーナは、バランスを保つため、もう一方の手もベッドにおいて、じっと、ゲルトルートに顔を近づける形となる。
二人は、互いに、顔を赤らめ、息を止める。
しかし、さきほど、シャーリーの前で、自分の本音を口にしたせいもあってか、動揺したゲルトルートは、近づいたミーナの顔を、過剰に意識して、慌てて手を引っ込め、視線をそらした。
「さ……、さっさと帰れとか、そういうわけではないからな。お前は、曲がりなりにも寮長なのだから、私にばかりかまってしまうのは問題だろう」
ゲルトルートは、ちらりと、ミーナへ視線を戻すと、ミーナは、いつものあたたかな表情を向け、うなづいた。
「また来るわね」
「ああ、待ってる」
部屋を出て行くミーナの背中を見送り、ゲルトルートは溜め込んでいた息を吐き出して、肩を沈め、この病院で目覚め、ミーナがそっと口づけた額に手をやる。
部屋を出たミーナは、廊下を歩きながら、ふと、ゲルトルートの額に口づけた事を思い出す。
何気ない行為だったが、今思い返せば、ひどく大胆に思え、二人は、疎通したかのように、頬を染めた。
そばにいると、言った。
そばにいると、言われた。
けれども、お互いをどう思っているかは、伝えていないし、伝えていいのかもわからない――
ゲルトルートとミーナは、そう考えながら、曇天の空を窓から見上げた。
雨の中、小高い丘に鎮座する巨大な岩へ向け、エーリカは必死で駆け、シャーリーも、重たいバイクを引きながら、それを追いかける。
一足先に岩のくぼみに滑り込んだハルトマンは濡れた革ジャケットから水を払った。
遅れて、シャーリーもたどり着き、バイクのスタンドを立て、肩で息をする。
「あのなあ、ちょっとは手伝えよハルトマン」
「あはは、ごめんごめん」と、言いながら、エーリカは、乱れた髪を手ぐしで整えた。「すぐにはやみそうにないね」
「そうだな」
低い声でそう言って、シャーリーは、サイドカーに忍ばせていたシートを取り出して地面に広げ、座ると、寒さ避けに、魔力を高め、耳と尻尾を体から伸ばす。
エーリカも、同じように、魔力を高め、シャーリーの膝と膝の間に体をいれ、彼女に背を預けるように座った。
「おじゃましまーす」
エーリカの濡れた頭が、シャーリーの首筋に触れる。
「おい、髪びちょびちょなんだからあまりくっつくなって」
「シャーリーだって濡れてるよ。ほら」と、エーリカは顔のすぐ横のシャーリーの髪を軽く握って水気を取る。
声だけ聞くと、いつもの調子に戻っているエーリカに、シャーリーは安心したように、頭を撫でた。
「あーもう、髪ぐちゃぐちゃなっちゃっうじゃん」
「悪い悪い。なんか癖でな」
「あんまりルッキーニ甘やかすなよな~」
その言葉に、ぷつりと糸が切れたように、シャーリーの表情がどこか遠くに飛ばされたような様相を見せたものだから、エーリカは、シャーリーの膝に手を置いて、ぐるりと、体を回し、シャーリーに向かい合う。
急に、幼い顔から、年相応の表情を見せるエーリカに、シャーリーは、胸を衝かれた。
エーリカは、疑うような目つきで首を傾げた。
「ルッキーニとなんかあったの?」
ああともうんとも言えず、シャーリーの頭が徐々に下がり始める。
エーリカは、手をついて、体を低くして、覗き込む。
観念したシャーリーは、エーリカの両腕を掴んで持ち上げて、さきほどの姿勢に戻し、彼女の肩に顎を置いた。
「ちょっと言い争って、つきとばしちゃったんだ」
「ルッキーニ相手にそんなことしちゃうなんて、珍しいね。ていうか、ありえない」
かわいらしい声ながらも、エーリカが辛辣に放つ言葉は、シャーリーをえぐるように、突き刺さる。
シャーリーは心なしか頭から伸びた使い魔の耳を下げて、苦そうに笑った。
「そうだよな。ありえないよな。嘘ついて、ルッキーニに手を上げて……」
エーリカは、首だけシャーリーに振り向け、思索でもしているのか、きょろりと青い目を上に向け、また、シャーリーを見つめた。
「なにが、原因なの?」
シャーリーは、エーリカの視線から逃げ、前髪をかき上げる。
「トゥルーデがらみ?」
普段は眠たそうな顔してるくせに、よく見てるな……。
シャーリーは、返事も出来ず、ただ、ほんの一瞬だけ、目元を引きつらせた。
エーリカの表情が、なぁんだ、とでも言いたげなものに様変わりして、さきほどよりも深く、シャーリーの胸に後頭部を押し付けた。
「……いつから、好きだったの?」
「わ、割と最近…」と、シャーリーは、普段の彼女からは想像も出来ないほど、口をもたつかせながら、答える。
エーリカは、考え込むように首をひねって、わずかに呆れたような表情を作った。
「その"最近"が、トゥルーデの墜落あたりからと仮定すると、ほんとに最近だなぁ……」
「止められるものなら、止めたさ……。けど、抑えれば抑えるほど、どうしようもなくなって…」
「……分かる気がする」
「え?」
「いや、こっちの話……。で、どうしたいの?」
「どうしたいもこうしたいも、もう終わったよ」
「へ?」
「もう病院行って、あいつの気持ち確認してきた」
と、少しだけ顔を赤らめて投げやりに言うシャーリーに、エーリカは感心をする。
「そういうところも、速いんだ。なんて告白したの?」
「それが、こっちが何か言う前に……って言うか、言い出せなかったんだけど、無理やり普通の会話に戻して、ミーナ先輩が好きなのってそれとなく質問したら、ああ、だって」と、シャーリーは、ゲルトルートの真似をしながら、畳み掛ける。
そのシャーリーのモノマネに、エーリカは思わず吹き出してしまい、シャーリーが、両手で髪をぐちゃぐちゃにする。
「うあ~、髪がぁ~、やめてよシャーリー」
「うっせぇ~」
二人は、さきほどの湿っぽい雰囲気を一転させ、降りしきる雨の中、じゃれあい、そして、笑いあう。
ひとしきり笑って、すっきりしたのか、シャーリーは、ようやく、いつもの穏やかさと余裕を兼ね備えた面持ちになり、エーリカも笑顔を向けた。
「良かった。いつものシャーリーに戻った」
「まだ完全には戻っちゃいないよ。こう見えて、一応傷心してるんだよ。どっちみち、叶うとも、思ってなかったけどさ…」
「シャーリーの前で言っちゃうのも悪いけど、たぶん両想いだからね、あの二人」
「なに、たぶんって」
「あの二人さ、気持ちは同じなんだろうけど、もう一歩が踏み出せない、みたいな…」
「ふーん。バルクホルンの性格ならわからないでもないけど、ミーナ先輩も?」
「いざとなったら、私がキューピッドになるけどさ」
そう言いながら、エーリカは立ち上がり、髪を整えて、頭の後ろで手を組み、雨の中の風景を眺めた。
上着の裾から伸びた使い魔の尻尾が、どことなく迷いがあるようにぶらぶらと揺れる。
シャーリーは、立ち上がると、両手を腰に置いて、エーリカの隣に並び、爽やかに言い切った。
「絆で結ばれた二人とそいつらをくっつけようとする元ウルトラエースのキューピッド。こりゃあ、完敗だな~。で、エーリカ・ハルトマン、次はお前の番だぞ」
と、シャーリーが、わずかに体を折り、エーリカに顔を近づける。
エーリカは、腕を後ろに組んだまま、ぽかんとした表情をただ差し向けた。
シャーリーは、ていっ、と言いながら、エーリカの白い鼻先を軽くつまみあげ、エーリカは顔を背けて振り払う。
「私の番って、なにが?」
「とぼけんなよ。私だって、きちんということ言ったんだから、お前も言えよ。聞き逃げする気か?」
「聞き逃げって……。私は…」
エーリカは、しかられた子供のように頬を膨らせ、斜め下に視線を向ける。
シャーリーは、逃すまいと、じいっと、見つめる。それこそ、叱った子供をきちんと正すために努力する母親のように。
エーリカは、根負けしたように、シャーリーに、顔を向けなおした。
「ウルスラは……、ビューリングが好きみたい」
「ああ。結構……というか、あの二人いつも一緒だからなあ。姉として、ヘビースモーカーなジョンブル教官との交際は認めませんってか~?」
「違う」
「じゃあ、姉より先に恋人見つけやがって~、ってこと?」
「違う」
徐々に声が低くなり、目が据わり始めたエーリカに、シャーリーは体を起こして、困ったなあと言わんばかりに腕を組んだ。
エーリカを見下ろすシャーリーと、シャーリーを見上げるエーリカ。
エーリカは唇を噛んで、ぐいとシャーリーの肩をつかんで、引き寄せ、耳元でささやいた。
「私、たぶん……いや、きっと、ウルスラが好きなんだ。妹とか、そういうの抜きで」
雨に全身を濡らされながら、教官宿舎に駆け込んだエルマは、手で水滴を払いながら、かばんの中の書類が濡れていないかを確認する。
まだ誰も帰っていないのか、廊下の灯りはついておらず、玄関から伸びた赤いカーペットの向こう側は、闇に融けている。
いつもは見慣れた風景なのに、ひと気がないのと、物静かさで、エルマはつばを飲み込む。
玄関からすぐのところにある階段も、妙に影が濃く落ちているように思えて。
自分の心臓の音を意識し始めた途端、すぐそばにある食堂から、鍋やら何やらが落ち、地面に叩きつけられる音が響いて、エルマは、卒倒しそうになりながらも、振り切るように首を左右に降って、一歩ずつ、奥へと進んでいく。
泥棒?
それとも、幽霊さん――
頑張れエルマ、負けるなエルマ。
私はこの宿舎を預かる身なんだから。
ということを綺麗な金髪に包まれた小さな頭の中で駆け巡らせながら、えいっと、エルマは、食堂を覗き込む。
じっと目を凝らすと、薄暗闇の中で、見慣れた背中がしゃがみこんで、落ちたものを拾っている。
エルマは安堵して、目いっぱい空気を吐き出した。
「もう、帰ってるなら灯りつけておいてくださいよ、ビューリングさん」
明るく言うエルマとは裏腹に、ビューリングは酷く重たそうに立ち上がって、振り返った。
「エルマ…」
その眼光は鋭く、エルマは思わず、戦時中のビューリングを重ねかける。
ビューリングは、エルマに近づき、がっしと、片方の手で彼女の肩を掴んだ。「コーヒー豆は、どこだ?」
エルマは、目を点にしながら、「え、えっと……、今朝、オヘアさんに買出し頼みましたので、彼女が帰ってくれば飲めますよ!」と、ぱぁっと笑顔を向けた。
ビューリングは掴んだ手をするりと落とし、ようやく平静を取り戻したかのように、いつもの口調で腕を組んだ。
「そうか、キャサリンに頼んだか…」
噂をすればなんとやら。
二人の会話が終わった頃、玄関が開く音と共に、オへアの陽気な声が響いてきた。
ビューリングは一直線にオへアのもとへと向かい、口を開きかけたが、「いやぁ、助かったね~」というオへアの陰からひょっこりとウルスラが現れたものだから、廊下に足がくっついてしまったかのように、ぴったりと、静止する。
「おお、ビューリングがお出迎えなんて、明日は雪が降るかもしれないね~」と、へらへらとするオヘア。
ウルスラは、オヘアの陰に隠れながらも、メガネの下から、じいっと、ビューリングを見据える。
ビューリングは、心なしか、胸をぎくりとさせながらも、ふっきるように、前に進み出て、オへア抱えていた大きな紙袋を取ると、中を探る。
「おい、キャサリン……。コーヒー豆は…」
「Oh! I carelessly forgot! So sorry」
と、額を指で叩いて舌を出すオへアに、怒りよりも、力が抜け出て、ビューリングはひょいと紙袋をオへアの胸に押し付けると、重い足取りで階段を昇り、自室へと向かう。
ウルスラは、まばたきをしながら、その様子を見上げる。
部屋に戻るなり、ビューリングは、ベッドに倒れこみ、ブランケットを引っかぶる。
ドアが開く気配がして、来訪者を見ようと、体を起こしかけた瞬間、ブランケット越しに、腰の辺りに小さな手が置かれた。
ビューリングは、その手だけで、誰であるかを判別した。
「何か用か?」
「具合、悪いの?」
「知ってるだろう。コーヒーがないと生きていけない人間だと」
「あと、タバコ」
「それは、もうやめる」
「どうして? 私、エーリカとはもう…」
「前言撤回だ。あの時の言葉は忘れろ。私がやめたいから、やめるんだ」
「やめなくていい」
「悪いが、そう言われると余計に抗いたくなる性質でね」
「意地っ張り…」
「お前にだけは言われたくない」
ウルスラの手が、そっと、ビューリングの体から離れ、ウルスラはドアのほうへ歩み始める。
ばっと、ブランケットが舞う音がして、ウルスラの体がひょいと持ち上げられ、そのままビューリングに後ろから抱きかかえられる。
ウルスラは、足を少しだけばたつかせ、抵抗を示すが、あきらめたように、だらりと体から力を抜いた。
ビューリングは、ウルスラを下ろすと、腰を曲げて、彼女と向き合って、そっと頬に触れる。
くすぐったそうに、ウルスラは身をよじる。
その様子に、ビューリングは胸が躍り始めている事に気がついて、その感情に戸惑いながらも、冷静に、受け止めて、口を開いた。
「目をつぶれ」
少し、脅迫めいた口調で言うビューリングに、ウルスラは首を振った。
ビューリングは、要求を通すことは諦めたが、一気に顔を近づけ、ひと間おいて、ウルスラの片頬に唇を当てる。
暗闇で、互いに表情は読み取れないが、ビューリングは、指先で触れたウルスラの頬が発する熱に気づく。
ウルスラは、顔を下げて、ビューリングの指先から逃れ、廊下へ駆け出した。
ビューリングは、ウルスラに逃げられたほうの手で上着の胸の辺りを握り締めた。
「こんなはずではなかったのに…」
学園ウィッチーズシリーズ 第18話 終