魔法の歌
それは私、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンの被撃墜数が、記念すべき(?)二十回目になった日の事だった。
×××
「イッル!」
スオムス空軍第24戦闘機隊の基地。私は勢い良くバーン! と大きな音を立てながら、部屋のドアを開けた。
「教えてくれ、頼む!」
部屋の中は明るい。開けっ放しの窓からは気持ち良い風が吹き込み、カーテンがそよぐ。素晴らしいスオムスの夏の午後だ。
壁際のベッドの上には「無傷の撃墜王」、エイラ・イルマタル・ユーティライネンがいた。その格好は耳にイヤホン、下着姿でだらしなくうつ伏せに寝転がり、足をだらだら揺らしているという有り様。とてもじゃないが、スオムスのトップエースには見えない。
「何だニパか。ドアは壊すなヨ~」
エイラは私を一瞥すると、興味無しとでも言うように、手元の雑誌に目を落とす。
「おい、その態度はあんまりじゃないか? その前に、何だその格好は。はしたないぞ」
彼女は顔をしかめる。
「良いじゃないカ。私が私の部屋でどんな格好で居てモ。──っていうかニパ、何しに来たんだヨ」
そうだったそうだった。私はエイラに頼み事があって来たのだ。すっかり忘れていた。
「イッル、教えて欲しい事があるんだ」
「……何て言っタ? よく聞こえないゾ」
「ならそのイヤホン取れよ!」
彼女はハアと溜め息を吐いて、面倒臭そうにイヤホンを外した。手元の雑誌もパタンと閉じて、ベッドに座り直す。
「それで何ダ、ニパ。私は忙しいから、手短にナ」
嘘だ。本日のエイラは非番。だから一日暇なはず。まあ、それはさておき。
「教えてくれ、イッル。どうしたら撃墜されずに済む?」
そう、私は「ついていないカタヤイネン」。スオムスきっての撃墜王だ。──もちろん逆の意味で。
今朝もネウロイのビームで、危うく墜落しかけたばかり。決して私の腕が悪いのではない。運が悪いだけなのだ。でも、このままにしておいていい訳がない。
「やはり未来予知か? 未来予知なのか?」
私はエイラに詰め寄ってまくし立てた。すると不思議な事に、彼女は呆気に取られたような表情を浮かべた。
「アレ、ニパ。ソレ本気で言ってるのカ?」
「え?」
今度は私が面食らう番だ。
「イッル、それってどういう……」
エイラは意地悪くニヤリと笑う。
「まさかニパ、未来予知とかそういうの、本気で信じているのカ?」
「え? 違うのか?」
沈黙。エイラは手を叩きながら笑う。
「こりゃあ傑作だナ」
訳が分からない。一人混乱する私を尻目に、エイラは声を出して笑った。
「そんな能力、あるわけないダロ。あれは適当に言っただけダ。まさか信じているヤツがいるとはナー」
何……だと? エイラに予知能力がない……? 信じられなかった。今までの常識が崩れていく。そういえば、思い当たる節が無いわけではない。彼女のタロット占いが当たらないのは、そういう理由か。
未だに頭はこんがらがっているけど、取りあえず馬鹿にされているのは分かった。頭にサッと血が上る。
「な、ならイッル! イッルはどうして弾を避けられるんだ?」
「知りたいカ?」
エイラが悪戯っぽく目を輝かせてこっちを見る。私はゴクリと唾を呑み込んで、恐る恐る頷いた。
「知りたい」
私の答えに、エイラは満足げに笑う。
「ヨシ、それなら教えよう。私とニパの仲だしナ」
ニパは特別だ。そう言われたような気がして、ちょっと嬉しい。どんな魔法があるのだろうか。私の胸は期待に高まった。
「実はアレ、回避している訳じゃないんだよナ。どっちかっていうと弾の方が勝手に避けるっていうカ」
「そんな事って有り得るのか?」
弾が勝手に避けるだなんて。
「それがあるんだヨ。その秘密は魔法の歌にある」
誰にも言うなヨ、と言ってエイラはイヤホンとミュージックプレーヤーを取り出した。先ほどまで彼女が使っていたものだ。私は促されるままに、イヤホンを耳に装着した。程なくして、不思議なメロディーが流れ出す。
「この歌を聞いている間は、弾は絶対に当たらないし、こっちの攻撃は絶対に命中するんダ」
エイラの説明によると、これはスオムスより遥か南方の国の、女戦士にまつわる曲らしい。
私は彼の遠い異国の地に、そっと思いを馳せる。鬱蒼と繁るジャングル。飛び交う銃弾、硝煙の匂い。その中で女神のごとく燦然と輝き、舞うように闘う白き衣の戦乙女。
「良い歌ダロ」
「そうだな」
私はこの曲を気に入り初めていた。聞いていると、なんだか力が湧いてくる気がする。確かに、これなら撃墜される事はないだろう。
「ニパ。それ、しばらく貸してヤル。一つしかないから、壊すなヨ」
「いいのか? その間、イッルは無防備じゃないか」
するとエイラは、笑いながら言う。
「私の事は気にすんナ。こっちはこっちで何とかするサ」
なぜだか私にはその笑顔が、どことなく儚いものに見えた。これって俗に言う死亡フラグ? 出来るヤツがその秘訣を出来ないヤツに伝授し、次の戦闘で散っていく。そして私は叫ぶのだ。
「イッッルゥゥぅウウ! 何で……どうして!」
有り得る! 私には墜ちていくエイラがありありと想像出来た。そんな事はさせない。だから守ろう、彼女を。それが出来るのは、私しかいない。
私は決意を胸に、エイラに向き直った。
「済まない、イッル。これはありがたく借りていく。お前、良いやつだったんだな」
「ニパ、今頃気付いたのカ。私は前から良いやつだゾ? まあ、これからも困った事や教えて欲しい事があったら、遠慮なく私の所に来いヨ。私の方が先輩なんだからナ」
「ああ、喜んでそうさせてもらう。今日は本当にありがとうな、イッル。それじゃあ」
逸る気持ちを抑えきれずに、私は部屋を後にした。とても晴れやかな気分だ。エイラはガンバレヨー、と手を振る。いつ以来だろうか。私は、次の戦闘が待ち遠しかった。
×××
基地に警報が鳴る。いよいよその時が来たのだ。ネウロイの来襲。その数は一機という事で、エイラと私が迎撃する事になった。
「ニパ、今日は撃墜されんなヨ」
サイレンが鳴り響く中、エイラと私は格納庫へと急ぐ。
「大丈夫だ。今日の私は一味違う」
何故ならば! ポケットにはミュージックプレーヤー、耳にはイヤホン。──完璧だ。今日の私は百戦錬磨の戦乙女。墜ちる気がしない。
格納庫へ着くと、私たちは早速愛機を装着した。
「よいしょ」
魔力の解放。それと同時に、耳と尻尾が生える。
「準備はいいカ」
メルスに魔力を注ぎ込む。今日はエンジンの調子も、いつもより良いみたいだ。
「行くゾ、ニパ!」
「いえっさ!」
私たちは、大空へと舞い上がった。
×××
私たちは風を切って飛ぶ。眼下には広大な海。遮るものがないこのパノラマを見る事が出来るのは、ウィッチだけの特権。
前方を飛ぶエイラの長い髪が、風で翻る。その、金色と銀色が混じったような色を私は見る。
不思議な色だ。綺麗でありながら、それでいて捉え所のない、まるで彼女そのものを表しているかのような色。だからこんなにも惹かれるのだろうか。
「ニパ、ボーっとしてんなヨ」
エイラに声をかけられて、私は我に返った。
「なっ、そんな事は……」
「そろそろ来るゾ」
そうだった。私の役目は、エイラを守る事。それをしっかり確認して、気を引き締める。
「済まない。もう大丈夫だ」
「しっかりしろヨナ。──距離三千五百、三千」
──来る。
空気が緊迫する。私は無意識にポケットを弄り、ミュージックプレーヤーの再生ボタンを押した。二・三秒の空白後、魔法の歌が流れ出す。それを聴く事で心を落ち着かせ、自信をつける。
ついにネウロイが雲を割り、その姿を現した。
「イッル、下がってろ! ここは私が」
「あっ、オイ! ニパ!」
エンジンに魔力を注ぎ、私は前に飛び出した。機関銃の狙いをネウロイへ。その間にも敵の赤い光が膨れ上がっていく。
撃てるものなら撃つがいい。そのビームは、私には当たらない。そして私の攻撃は必ず命中するのだ。今の私には、魔法の歌があるから。
ところが引き金を引こうとしたその時、私の体を大きな衝撃が襲った。
「え──?」
赤い閃光が見えたのはほんの一瞬。気付いた時には、右足のストライカーがプスプスと煙を上げ、私は真っ逆さまに落下していた。
どうやらまた撃墜されたらしい。ビームで撃たれたのだ。ウィッチの本能で、自分でもよく分からない内にシールドを展開していたらしく、幸いにも外傷はないけど。
──あれ、魔法の歌は?
そして私は見た。エイラが軽やかにビームを避けているのを。そして鮮やかにネウロイを撃墜したのを。
──ああ、何だ。騙されていたのか。ハハハ……。
「イッルの、ウソつきぃぃィィい!」
落下しながら、にこやかに手を振るエイラに向かって私は叫んだ。衝撃で外れたイヤホンから漏れる魔法の歌(?)が、虚しく響いていた。
──ヤン○~ニ
──ヤン○~ニ
──ヤン○~ニ
──ヤ~イヤ……
終わり