Golden slumbers


1.

 ──トゥルーデが変になりました。何も覚えてないみたいです。


 目を覚ますと、トゥルーデが部屋の隅でぼんやりしていた。
「(……まだ早いのかな……)」
 いつもはドアを開けるなり「起床だ! 起きろハルトマン!」なんだけど、今日はどうしたんだろう。トゥルーデは
何をするでもなく、積み上げられた本の山に座って、ぼんやりと視線を泳がせている。
「(……まだ早いんだ)」
 窓から差し込む光の具合は、カーテンのせいでよくわからない。というか私が寝ている床の上からはベッドが邪魔で
窓が見えない。多分いつもより早いから、トゥルーデも仏心がわいたのかもしれない。部屋に来て、私を起すタイミング
を待っているというのは良くわかんないけど、目の前にある睡眠時間の前では、疑念など些細なことだ。
「(……まだいいんだねー)」
 トゥルーデがああしているなら、あと1時間、いや2時間は寝れるかも。おやすみトゥルーデ。
 心地よい眠りに落ちかけたところで、ばん、と部屋のドアが開いた。

「トゥルーデ、こんなところにいたのね」
「……?」
「どうしたの? 探したわよ。朝食にも出てなかったし部屋にも居ないし」
「……」
「朝食後に執務室に来てって昨日言ったじゃない」
「……ああ」
「……トゥルーデ?」
「……しーっ……」
「……どうしたのトゥルーデ?」
「……まだ寝てる」
「…………トゥルーデ? どうしたの?」
 寝ているすぐそばでしゃべり始めたミーナの声。声量こそ普通だが、良く通る声に、私は眠りから引き戻される。
「……うるっさいなー、もー」
 寝起きの不機嫌さのまま、顔を床から引っぺがして身体を起し、私は二人を半眼でにらんだ。
「二人ともなんだよー。こんな朝早くに人の部屋でさー」
「朝早く……?」
「私、まだ眠い」
「……そう」
 目をこすりながら抗議すると、ミーナはにっこりと微笑んだ。
「……もう11時よ。ハルトマン中尉?」
「……ほんとー?」
 部屋の中にずらりと並んだ時計を見回す。
「おぉー……」
 すべて……11時。
「ほんとだー」
「……ね?」
 笑いながらミーナが念を押す。
「……おそよう。ハルトマン中尉」
「おはよー。トゥルーデが起してくれなかったし、寝ててもいいのかなって思って」
「……いい加減一人で起きる様にしないと駄目よ」
「私が一人で起きても起きなくても、トゥルーデが起こしに来るのは変わんないじゃん」
「そういう問題じゃ……」
 ミーナが言いかけて、言葉をとめる。

 ……今は、11時?

「……今日、お休みだっけ?」
「……そうねぇ。そうだったら、私もうれしいんだけど」

 私たち二人は首をめぐらせて、トゥルーデの顔を見た。
「……?」
 私たちの視線を受けて、トゥルーデは困ったような笑みを浮かべる。
「(……おかしいよね)」
「(……おかしいわね)」
 私とミーナは視線で疑念を伝え合う。いつものトゥルーデなら、私をこんな時間まで放っておくわけが無い。
 「起床だ! 起きろハルトマン!」の一言に始まって、どれだけ時間がかかっても私が服を着る気力が出るまで威勢
よく怒鳴り散らしてくれるのに。

「トゥルーデ、あなたなんだかぼんやりしてない?」
「……おかしいよ。何で起こさなかったの?」
 私たちに詰め寄られて、トゥルーデは少しのけぞる。
「んー……いや、ちょっと待ってくれ」
 トゥルーデは額に人差し指を当てて何かを考えている。
「あー、ひょっとしてー、私の寝顔見てたとか……?」
「そんなわけないでしょ」
 いつもの調子でからかうと、トゥルーデの代わりにミーナが突っ込む。
「……どうしたのトゥルーデ。あなた本当に変よ?」
 ミーナが詰め寄ると、トゥルーデは私達の顔を見渡しながら、口を開いた。

「……すまないが、まずお前達が誰か、から説明してくれないか?」
「……何言ってんの? トゥルーデ」

 聞くと、トゥルーデは不思議そうな顔をした。


----


 床の上に散らばるものをかき分けて椅子を置くスペースを作り、トゥルーデを座らせる。
 ミーナがトゥルーデの前に立つ。私はトゥルーデの隣に立ち、トゥルーデの横顔を見る。
 ミーナはトゥルーデの目を覗き込み、ゆっくりと、だが有無を言わさぬ声で尋問が始めた。

「まずは所属と階級を言ってちょうだい」
「ここがどこか分かる?」
「あなたの出身地は?」
「私たちのこと、ほんとに分からない?」
「MG42って知ってる?」
「ストライカーユニット、って分かるかしら?」
「……そ、それじゃ私の婚約者の名前は?」
「……分からない? じゃあヒント。名前の最初の文字は『み』よ?」
「……最後の文字は『お』」
「……(チッ)……自分の名前も忘れてるのね?」

 ミーナの問い全てに対してトゥルーデは「すまない」と言うだけで。

「……ちょっと代わって。ミーナ」

 今度は私がトゥルーデの耳元に顔を寄せてささやきかける。

「……かわいい妹」
「……お姉ちゃんだーいすき」
「……大きくなったら、わたしお姉ちゃんとけっこんするのー」
「……大丈夫だよお姉ちゃん、私がついてるから」
「……入隊したての初々しい新人」
「……もー、お姉ちゃんったら、ほんと私がいないとだめなんだからー」
「……ジャガイモいっぱい」
「……お姉ちゃん、さみしいから今日は一緒に寝ていい?」

 ──全て、反応は無い。

「そ、そんな……」
 ……いつもなら微妙に鼻息が荒くなるはずなのに。
 ふらふらと後ずさり、ベッドに座り込む。
 不思議そうに私を見ているトゥルーデ。何も言わないトゥルーデがこんなに怖く見えたのは初めてだ。
「……こりゃ、本物、かもね……」
「困ったわねぇ……」
 顔を見合わせる私とミーナ。

 ありえないことだけど、信じがたいけど。

「記憶喪失……?」
「……フラウ、医務室の先生を呼んできて」

 落ち着いた声で、ミーナが言った。



2.

 その日の午後、私達はブリーフィングルームに顔を揃えていた。トゥルーデを除く隊の全員が席につき、前にはミーナと
部隊専属の医師の先生が立っている。
 トゥルーデの事は、あっという間に基地中に広まっていた。
 トゥルーデがいなくてこれからどうなるのか、みんな不安だったのかもしれない。みんなは一様に緊迫した表情を浮かべ
ている。ミーナが、トゥルーデが記憶を失ったと簡単に説明すると、全員が口々に原因や対策について話し始めた。
 騒然とする室内。誰でもいいから有効な手立てを知らないか、と私はみんなの意見に耳を傾ける。

「記憶喪失の時は確か……まず紙袋をかぶって呼吸するんじゃなかったでしたっけ……」
「違うよ芳佳ちゃん。確か重曹とお酢をしみこませた綿棒でこするといいんだよー」
「ちょっと二人とも、大尉になんて事をさせるおつもりですの?
 こう言う時は濡らしたタオルをかぶせるに限りますわ! あとマヨネーズをパックごと投げ付けるのも有効でしてよ?」
「まぁ待て三人とも。記憶喪失といえども神経系の変調に過ぎんだろう。
 ……確か葱を刻んで喉に巻くか、トマトかみかんの皮の黒焼きを飲めばよかったのではないか……?」
「え……?」
「何ですか、それ……」
「あの……少佐? 一体全体どういうお考えですの? それは……」
「……な、なんだ!? ひょっとして知らんのかお前達!?」

 ……お前ら真面目にやれよ。トゥルーデは火のついたフライ油かよ。

 激論が渦巻き収拾がつかなくなる室内。ミーナが眉間にしわを寄せ、ぱんぱん、と手を叩く。

「とにかく! まずはバルクホルン大尉がどうしてこうなったのかを確認しましょう。
 昨日の夜バルクホルン大尉に会った人は、大尉の様子を話してちょうだい」

 張りのあるミーナの声が、ざわついた部屋の空気を引き締める。静まり返る室内。みんなが互いに顔を見合わせる。

「じゃー、あたしから」

 シャーリーが手を挙げて、そして話し始めた。


──シャーリーは語る。

「──あいつ、昨日シャワーブースの柱に頭めり込ませて倒れてたんだよ。
 ……いや、助けたよ? 抱き起こして運ぼうとしたらすぐに気がついてさ。
 気になるからあたしも部屋まで付き添ったんだけど、途中から自分で歩いてたし、普通に話してたし。
 『頭打ったならちゃんと検査受けろよー?』
 『言われなくても受けるっ!』
 って言って別れたんだけど。
 ……なんで倒れてたかって? そこまでは言ってくれなかったなー。なんか恥ずかしかったんだろ。顔真っ赤にしてたし。
 あたしも照れてる堅物を見てニヤニヤ出来たからいいや、で済ませちゃったんだけど……。
 時間は……確か8時ごろじゃなかったか?」

──サーニャは語る。

「今朝、哨戒から帰ってくるときに、ハンガーで大尉と会いました。
 ついうとうとして、滑走しながらストライカーの台座に突っ込みそうになったところを、大尉が手で支えてくれたんです。
 『怪我はないか?』
 『あ……すみません』
 『そうか。よかった』
 大尉は優しく笑って私の肩を叩いてくれました。
 『すみません』
 と謝ると、大尉は『……いや、いいんだ』と言いながら去っていきました。
 普段の大尉だったら絶対怒られると思ったので、変だな、とは思ったんですが……。
 ……報告してなくて、すみません」


──ミーナは語る。

「……エイラさん……? どうしたのエイラさん? エイラさん!?」


──ペリーヌは語る。

「私、昨晩大尉とお会いしましたわ?
 『頭が痛む』といって食堂で鎮痛剤を探しておいででした。
 ずいぶん苦しそうで、『お医者様か宮藤さんを呼びますか?』とお勧めしたのですけれど……。
 薬を飲まれてお部屋でお休みになった頃には、大分落ちついてらした様でしたわ。
 ……な、何をおっしゃいますの宮藤さん! 困っている方に付き添ってさしあげるのは、当然の事ですわ!」


──坂本少佐は語る。

「そう言えば明け方に見かけたな。
 ……周りを見回しながら廊下を歩いていて、変だなとは思ったんだが
 声はかけたさ。だが私の顔を見て何も言わずに去っていったんだ。
 ……足取りはしっかりしていたな。異常は見られなかった」


──エイラは語る。

「……大尉がサーニャに……大尉がサーニャに……大尉がサーニャに……」


──ルッキーニは語る。

「エイラ! どしたエイラ! ……シャーリー、エイラの髪、なんか真っ白になってる……」


──501の専属医師は語る。


「精密検査を受けないとなんともいえませんが、身体に異常はないようです。
 ただし、ご存知の通り、記憶はかなり混乱しています。自分の全生活史を覚えていないというケースです。
 ──心因性のものとも考えられますが、大尉には記憶が戻る以前に近い生活をしてもらったほうがいいでしょうね。
 その上で、記憶が戻るのを時間をかけて待つしかありません」


──以上。証言終わり。

「……つまり、昨晩風呂場で頭を打ったバルクホルン大尉が、深夜に頭痛を発症。
 その夜のうちに記憶の混乱が進み、ついには記憶を失った、そういうことね」

 ミーナが手短に状況をまとめて、話を続ける。

「バルクホルン大尉は現在、ロンドンまで精密検査を受けに行っています。
 大尉の回復については時間を置いて待つしかありませんが、その間の代行を美緒とシャーリーさんに……」

 ──ミーナの声を聞きながら、トゥルーデのことを考える
 トゥルーデが記憶を失った、ということは、トゥルーデが戦えない、という非常に現実的な問題に結びつく。
 トゥルーデの記憶が戻らない限り、私たちは火力に優れた切り込み隊長と有能な副官なしで戦わなければいけない。

 そして、それはあくまで「現実的」な事に限った話だ。
 トゥルーデは、私達のことを忘れている。私達はおろか、クリスの事も。カールスラントのことも。
 それに。さっきのサーニャの話。
 記憶を失ったトゥルーデは、なんていうか……変だ。なんていうか、妙に優しい。今朝私を起こさなかったのみならず、
その後もやけに物静かで。
 そのくせ私が車まで付き添ったときは「ありがとう。なんていうか、思い出せなくてすまない」と気持ち悪い事を
言っていた。……いや、悪い気はしないんだけど。なんていうか、こんなのトゥルーデらしくない。

 物思いから醒めて、みんなの様子を見る。
 トゥルーデに何があったのかがわかったので、みんなはまた記憶喪失の治療法について、思い思いに話し合っている。
 特に熱心なのは、「私の実家は診療所」の宮藤と「ウィッチドクターの心得あります」のペリーヌだ。双方一歩も譲らぬ
構えで白熱した議論を戦わせ……

「──違います! コップに入れた水を、前かがみになって向こう側から飲めば治るはずなんです!」
「何をおっしゃいますの、この豆狸! 舌を引っ張ってもらう以外の方法、わたくしは認めませんわよ!」

 ……だからなんでしゃっくりの話になってんだよ。

 だめだこいつら。私達で何とかしないと。私は静かに席を立つ。
 やはり頼るべきは、医学・薬学に優れたカールスラント人。というか愛しき我が身内。
 頭を抱えてしまったミーナの傍に向かい、卓上にある電話器に手を伸ばす。

「借りるよー」
「……ちょっとフラウ? 何をするの?」

 受話器を上げて、かけた事はないけれど、いつの間にか覚えていた番号をダイアルする。
 しばらく経って呼び出し音が鳴り始めた。

『……こちら507統合戦闘航空団司令部』
「501統合戦闘航空団よりエーリカ=ハルトマン中尉です。緊急の事で架電申し訳ない。
 カールスラント空軍より派遣されているウルスラ=ハルトマン准尉に連絡が……」
『作戦行動の準備中です』
「本国司令部からの伝達事項です。優先してお願いしたい」
『……お待ちください』
「(……ちょ、ちょっとフラウ! 何やってんの!?)」
「(……こうするのが手っ取り早いでしょ? いつまでも待ってらんないしさー)」

 横から口を出すミーナの抗議を、電話口を塞いでブロックする。
 受話器に耳を押し当てたまま、あの子の声が聞こえてくるのを待った。

『はい…』
「もしもーし、私! ひっさしぶりー!!」
『…………。何?』

 5年ぶりに聞く、彼女の声がした。
 無愛想な口調を聞いて、電話口でこっそりと笑う。言葉は短くても、とても懐かしい声。ウーシュの声。
 ……それにしても相変わらず愛想ないなっていうか、いつもにまして不機嫌って言うか。元気ないというか。

「……どうしたの? 元気なくない? スオムス寒いでしょー。隊の人とはうまくやってる?」
『……』
「そういえばこの間表彰されてたね。新聞で見たよー」
『……用件はなに?』
「ん?」
『15分後に作戦が始まるから』
「ごめーん。でもそんな時間かかんないよ」
『……』
「あのね、今、トゥルーデが記憶喪失なんだけど、叩けば治るのかな?」
『記憶喪失?』
「そう。頭打って、何も思い出せないらしくってさー」
『……』
「あ、でも何もって言っても息の仕方は覚えてるし多分身体はちゃんとしてるんじゃないかな。
 あとしゃべってたから言葉も分かるみたい」
『……容態、悪いの?』
「いや、元気」
『……。』
「……ウーシュ、なんか知らない? 薬とか療法とか手術とか」
『知らない』
「……そうかー。ウーシュでも知らないか……」
『……調べてみる。切るね』
「ありがとー。あー、あと写真見たけど、ウーシュ背伸びたねー。私の記事は見てくれてた? 会いたくなったりした?
 私はなったよ? 心配してるんだから、たまには連絡してよね。えーとそれからそれから、愛……」
『(ガチャ)』

 ……切りやがった。私の言葉を遮って。無言で。さすがは我が妹、マイペースだ。
 さてと。音を立てて受話器を置き、ミーナに向って舌を出す。

「……自室禁固。それぐらいかな?」

 私用で緊急時の外線を使ったんだ。それぐらいは覚悟してる。
 でも多分、私とミーナが知ってる人のなかで、今一番頼れそうなのはウーシュだ。それに、自室禁固は何度食らっても
いいけど、記憶が戻らなければあのトゥルーデは二度と戻ってこない。
 ミーナもそれを分かってるみたいで、呆れ気味に笑っている。

「……全く、無茶ばかりするんだから。頼もしいけど、あなたの上官やるって大変なのよ?」
「えへへ」
「そうね。でも処分の執行はトゥルーデが元に戻ってからとします。
 その間、バルクホルン大尉の世話役を命じます。いいですね、ハルトマン中尉」
 ミーナは指を一本立ててウィンクする。

「……先生の話じゃないけど、出来るだけ記憶を失う前の環境にいた方が、きっとトゥルーデのためにはいいと思うの。
 だから、出来るだけトゥルーデについててあげてね。フラウが傍にいたほうが何かといいから」
「うん。任せて」

 私の返事を聴いて、ミーナは微笑んだ。



3.

 ──とは。言ったものの。我ながら我がままなもので。

「……なんか思い出したー?」
「……いや」

 任せて! とミーナに見栄を切ってから五日後。私はすっかりだらけきっていた。


「カールスラントの物事に多く触れたほうが記憶も戻りやすいかも、……というかあなたたまには片付けしなさい」
とミーナに言われて、トゥルーデを連れて来た私の部屋。片付けを始めていたはずの私たちは、ベッドに転がったまま、
見つかった雑誌を読み耽っていた。
 トゥルーデはベッドのヘッドボードに背中を預けて、古いカールスラントの雑誌を、私はトゥルーデの横に寝転がって、
この間手に入ったブリタニアの雑誌を読んでいる。
 私の頭のすぐ隣にはトゥルーデの腰がある。トゥルーデの片手が、私の頭に乗せられている。

「いいの? こんな事してて」
「ああ」

 やけに素直なトゥルーデの返事。
 えへへ。体を寄せて彼女の腰に頭をすり付ける。しなやかな筋肉の感触が気持ちいい。額の上に置かれたトゥルーデの
指が、私をあやすように小さく動いた。
「……くすぐったい」
 口を尖らせると、トゥルーデは黙って手をあげる、でもそのうちまた、私の髪の上にその手を置き、時々私の前髪をいじる。


 かつて私はこう言いました──こんなのトゥルーデらしくない。
 でも今は思うのです──これはこれで、ありです。


 ──我ながら我がままなもので。

 記憶を失ったトゥルーデは、妙に優しくなった。口数が少ないのは相変わらずだけど、私の私生活に対して突っ込み
三昧に繰り出していたダメ出しは鳴りを潜め、今は物静かに、私のする事を見ててくれている。
 それだけじゃない。トゥルーデは私のことを思いやってくれている様で、それを言葉で、あるいは行動で表してくれる。
 そういうのを見ると、トゥルーデらしくないなぁ、と思うと同時に、なんだかうれしくて。
 それに、二人で何にもせずにごろごろして過ごすなんて、トゥルーデはよっぽどのことがない限りさせてくれなかったわけで。
 トゥルーデが記憶失ってるのにそれどころじゃないだろー、と思いつつ、私はそれに甘えてしまうわけで。


 ──あの日、ロンドンから帰ってきたトゥルーデに、ミーナと私はトゥルーデの過去と今について話した。クリスや
部隊の事と同時に、私たちがどんな関係だったのかも。
 私は私が軍に入ってから、ミーナはカールスラントが落ちる頃から一緒だったこと。トゥルーデと私がカールスラントの
二大エースで、ずっと一緒にネウロイを倒してきたことも。
 それをどう思ったのか、あるいは傍に付き添っている私に情がわいたのか、理由は分からないけど。トゥルーデはずっと
私の傍から離れなかったし、気を許している様な様子さえ見せていた。
 そんなトゥルーデに、私は、何か違うよ、とも言えず。今私の髪に触れているトゥルーデの手を払う気にもなれなくて。

 つまりあれだ。私は、すっかりだらけきっていた。

「トゥルーデ、あれとってー」
「……ん?」

 チェストの上にある、リーネと宮藤がお見舞いに持って来てくれたスコーンのバスケットを私は指差す。
 トゥルーデが手を伸ばして私に手渡してくれたスコーンを、寝転がったまま一口かじる。歯ざわりの良い表面とふっくら
とした中身。上品な甘みが口の中に広がる。

「おー。おいしいー」
「……そうか?」

 私の手に残ったスコーンを、トゥルーデが興味深そうに見ている。

「リーネのお茶菓子は絶品なんだよ」
「へぇ……」

 トゥルーデがバスケットに手を伸ばそうとする。そのトゥルーデを私は呼び止めた。
「……トゥルーデ」
「なんだ?」
「口あけて?」
「ん? おい──」

 開いたトゥルーデの口に、スコーンの欠片を指先で押し込む。
 私の指からスコーンを取り、それをもくもくと咀嚼するトゥルーデ。彼女の顎と頬が動くのを、下から覗き込む。
「……」
 ごくん。とトゥルーデの喉が動いた。
「……おいしいでしょ?」
「あ、ああ……」
「ふふ。もぐもぐしてるトゥルーデ、なんかかわいい」
 寝転がったまま目を細めて笑うと、トゥルーデは顔を赤くする。
「……照れた?」
 私が言うと、トゥルーデは何も言わずに雑誌で顔を隠した。
 ……照れ屋な所は変わんないんだねー、とにやにやしながらそれを見上げる。
 トゥルーデがなんだか優しくて、二人だけで何もせずに過ごしていて──今だけはトゥルーデを独り占めできたような、
そんな気分は、あまりに不謹慎だけれど。
 記憶が戻るまでの間、こうやって過ごせるのなら、それはそれでありかな、と、私はそのときかすかに思う。


----


 しばらく雑誌を眺めて、次のにかかろうとしていた所で、トゥルーデが、ぽつんと呟いた。
「……少しだけ、覚えていることがある」
「ん? なに?」
 雑誌をどけてトゥルーデの顔を見上げる。
「私には、妹がいるって言ってたな」
「うん。クリスね」
「……覚えているのは、多分彼女の事だ」
 トゥルーデは雑誌を手元に置いて、ベッドの上に伸ばした自分の足に視線を落とした。
 思いをめぐらせるように黙ってから、彼女は口を開く。

「……小さな、女の子の記憶だ。多分、随分昔なんだろうな。
 その子にせがまれて白夜の中で遊びに出かけたり、その子が掛け違えた服のボタンを留めて、礼を言われたり。
 冬に二人で雪だるまを作っていたり……」
「……」
「……断片的にだけど、そんな光景を覚えている」
「……そっか」

 ──やっぱり、クリスの事かぁ。

 ……敵わないなぁ。笑いながら起き上がり、トゥルーデの肩に手を回す。
 まだ意識が戻らないクリスを、トゥルーデがどれだけ心配していたのかは、忘れていたわけじゃないけれど。
 それだけ強く思っていたから、クリスのことを今も覚えている。その事実は、とても悲しくて、とても寂しい。
 今のトゥルーデにそんな気持ちを持つことは、許されないほどに我侭で醜いことだと思うけれど。

「……良かったじゃん。少しずつ戻ってきてるのかもね、記憶」
 ……こりゃウーシュの出番ないかな、と肩を抱いて頬をつついた。トゥルーデはくすぐったそうに笑う。
「……といっても断片的な記憶だぞ。その他のことは全然……」
「大丈夫だって。ウーシュに知らないことなんてないんだからさ」
「……思い出せるよ。すぐに」
 くすぐったそうに笑うトゥルーデの笑顔を見ながら言う。
「そうか……そうだな」
 微笑みながら視線を落とすトゥルーデ。

 彼女に背を向けて、ベッドの上に寝転がった。
 トゥルーデの隣で手足を丸めたまま、窓の外を見る。いつの間にか暮れ始めた空。

 悲しいけど。そう感じてしまうのがいやだけど。──でも。
 カールスラントを解放して、クリスを祖国に帰してやりたいと必死だった、トゥルーデのことを思い出す。
 あれだけ必死だったんだから、早く記憶を戻してあげないとかわいそうだ。クリスも。トゥルーデも。
 それでいい。そうでなくちゃいけない。
 私がさっきまで浸っていた幸せは、もうちょっとこのままでもという願いは、あまりに罰当たりな想いだから。

「──ん?」

 外を見ていた私の視界を、横切って飛んでいく機体が見えた。
 着陸のコースを探しているように、基地の周りを旋回している、戦闘機にしては大きめの機体。
 跳ね起きてあたりを探し、双眼鏡を引っ張り出して窓の外に向ける。
 フロートを車輪に換装した水上機が、夕陽を浴びながら飛んでいる。鋼管布張りのレトロな機体。黄色く塗られた主翼。
緑とグレーのその胴体に、描かれたマークは青十字(ハカリスティ)。

「──スオムス…空軍機?」

 はるばるそんな所から飛んで来るような人は、一人しか思いつかない。

「……早かったね、ウーシュ」

 ──呟いた自分の言葉は、何かを惜しむように聞こえたのは、多分気のせいだ。




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