12月24日


 1944年の12月24日。
 その朝、その寝覚めの瞬間から、たしかにあたしはイラついていた。
 それは今日が12月24日だというのもあるし、他にもまあ、理由はある。
 そう、今日は12月24日なのだ。
 あたしにとってちょっと特別で、そんでちょっとフクザツな日。
 嫌いというのとは違う。
 そうじゃなくて、むしろ好きなのだ。
 好きなんだけれど、それを素直に認めたくならない気持ち。
 “好き”と、ほんのちょっとの“嫌い”を混ぜた、そんな気持ち。
 えっと、なんて言うんだっけ、こういうの。
 愛情?
 いや、違う。似ている気がするけど、これとは違う。
 ま、いーや。考えたってわかりそうにないし。
 ――とにかく、12月24日はあたしにとってそういう日だってわけ。

 そもそもあたしは、冬からしてそういう気持ちなのかもしれない。
 冬は寒いし、日は短いし、それに寒いし、好きじゃない。外で寝ることもできないし。
 それでも今日が、クリスマスイブという、年に一度のお祭りの日であれば、
 なんでもないいつものあたしなら、大手を振って喜んでいたはずだ。
 そんな気がちっとも起きてこないのは、やっぱりあたしがイラついていたからなんだろう。

 予報によれば、今日は一日、晴れ。暖かい日になるという。さむがりのあたしには有難いことだ。
 残念がる人もいるけど。雪が降ったらホワイトクリスマスなのに、って。
 ん? 雪が降ったら――
 このフレーズが、あたしのなかにひっかかってくる。なんだろう。このもやもやした気分は。
 えっと、雪が降ったらどうなるんだっけ?
 寝ぼけた頭でうーんと考え込んでいると、ふいに、流れてくるメロディ。
 どこかで聞いたメロディ。どこでだろう?
 頭のなかで再生しようとすると、懐かしい声をいっしょに連れてきて、ようやく本来のかたちになる。

『いーぬはよろこび 庭かけまわり』

 そうだ、これは歌だ。前に芳佳が歌っているのを、耳にしたことがある。
 リーネと並んで料理をしているときに、上機嫌だったのかな、芳佳はこんな歌を口ずさんでいた。
 芳佳ちゃん、その歌なあに? リーネは訊ねる。
 ああ、これ? 扶桑の歌なの。雪が降ったときの歌。芳佳は答える。
 ふふ、おかしな歌。リーネは笑う。
 気になったあたしは、あとで芳佳に訊いてみた。芳佳は親切に教えてくれた。
 そうそう、この歌はこう終わるんだった。

「ねーこはコタツで丸くなる~♪」

 あたしは口に出して歌ってみる。もう記憶も鮮明だ。記憶のなかの芳佳とハモる。
 ヘンテコな歌詞だ。でも、なんだか気に入ってたりする。
「コタツ」というのがどんなものなのか、あたしにはわかんない。
 芳佳によれば、ぬくぬくのぽかぽかなんだという。そんな説明でイメージできるわけない。

 ………………なんであたしは、こんなことを考えてしまうんだろ?
 ああ、ぜんぜん関係ない。
 もういいや。寝よう。そうして忘れよう。今日は一日、寝て過ごそう。
 今日のあたしはネコに過ごすとしよう。

 そう思ってあたしは、二度寝を決め込むことにした。
 今が何時かは知んない。朝にはもう遅いのはわかるけど。
 こんなに寝ていても一向に誰も起こしにこないのは、今日がお休みの日だからだ。
 これもすべて今日が12月24日なせい、いや、おかげだ。
 けど、もうすっかり目は冴えていて、寝ようと思っても眠れそうにない。
 ねぼすけのハルトマンなら、まだまだ眠れちゃうんだろうけど。
 それでバルクホルンが叩き起こすんだよね。
 ねぼすけといえばサーニャもだ。こっちは夜間哨戒のせいだけど。
 サーニャがいっつも部屋間違えてサー、私の部屋で寝るんダ。エイラがよく、嬉しそうに愚痴ってた。
 逆に坂本少佐は朝が早い(らしい)。無理矢理、朝の鍛錬に付き合わされたのは苦い思い出だ。
 怒ると怖かったなぁ。まあ、怒らせて一番怖いのはミーナ中佐なんだけどね。

 ……あー、なんでこんなことを考えてるんだ、あたしは。
 もういいや、寝よ。
 ブリタニアほどではないにせよ、やっぱりロマーニャだって冬の朝は寒い。
 掛け布団を手に取りぎゅっと引き寄せると、あたしは頭まですっぽりと覆いかぶさる。
 と、気づく。
 寝る前に布団を二枚重ねにしていたはずだ。なのに、今あるのは一枚だけ。
 毛布がない。お気に入りの、ロマーニャの国旗の入った毛布だ。
 寒い。それに、あれがないと眠ろうにも眠れない。ぶるっと体が身震いする。
 どこにいったんだろう? そういえばなんだか、シーツも乱れている。
 まったく、誰がやったんだ。あー、あたしか。あたししかいないよね。
 自慢じゃないが、あたしの寝相はよろしくないのだ。 
 布団をはねのけ、よたよたした手つきでベッドの上を探してみるけど、見つからない。
 もしかして落っこちたのかな?
 そう思ってぐるりとまわりを見回すと、あった。ようやく見つけた。
 けど、ちょっと遠くにあった。落っことしたというより、飛ばされたって感じ。
 寝ている間に、蹴飛ばすか投げ飛ばすかしてしまったのだろう。まったく、どんな寝相だ。
 わざわざ立つのも億劫だった。ベッドの淵ぎりぎりに膝をついて、思いっきり右手を伸ばす。
 ちょいちょいと、人差し指の先が毛布にひっかかって、でも掴めず空振り。
 思わず、うーん、とうなってしまう。
 もうちょっと、でもそのもうちょっとが、なかなか届かない。
 ベッドの淵を掴む左手に力を入れ、膝をもっと前に――
 あたしはさらに身を乗りだすと、ようやく指先にひっかかった。毛布のふわふわした感触。
 それと、ずるり、とすべる音。
 膝の皿の下、それを撫でるようにシーツが動く。
 いや、動いているのはシーツじゃなくて、あたしの方だ。
 スキーのジャンプを連想した。でも、そんな優雅なものじゃない。
 いっぱいいっぱいに伸ばしていた体は、緊張をとかれて、急に身軽になってゆく。
 結果はわかる。そのまま床にまっさかさま。抗おうにも重力には逆らえない。
 手をつく暇さえなかった。
 ごつん、という鈍い音がえらく近くで頭のなかに響きわたる。

 最初は、鼻の頭。
 それに唇が、床に軽くキスしてしまった。
 次は、顎。そして最後に、両膝も床に打ちつけられた。
 数秒固まって、ごろんと反転して仰向けになった。ひんやりした床の上で悶絶する。
 右手の指先は未だ、毛布をとらえていた。
 じんじん痛みが響いてくる鼻に、左手をやった。幸い、血は出ていないらしい。
 ようやくあたしが床から起き上がると、鏡が目に入った。壁に掛けられた、全身が映る大きな鏡だ。
 鼻のところが真っ赤になっていた。
 あたしは鏡をしばしの間、じぃーっと見つめた。
 映っているのは、髪の乱れた冴えないあたしの顔だ(当たり前だ)。
 鼻のところが赤くなっている以外は、昨日となんら変わらない。
 そりゃそう。一日二日で変わるわけがない。
 背は相変わらずだし、胸だってちっとも大きくはならない。
 これじゃ、あのぺったんこの言うことも、もっともだと認めたくなる。
 あなたにだけは言われたくありませんわ、って。
 ホント、ヤになる。
 なにもかもこれは、今日が12月24日なせいだ。そう思った。
 もう寝るのもこりごりだ。そんな気分でもなくなった。
 気分転換に外に出て、散歩でもしてこよう。
 あたしは右手に掴んだままの毛布を、ベッドの方に投げた。
 
 やっぱり寒いじゃんか。
 クリスマスの賑わいにあふれかえる故郷ロマーニャの街を、あたしは肩で風を切るように歩く。
 みんな楽しそう。すれ違う人たちの顔は、みんな笑顔だった。
 今日は12月24日。お祭り好きのロマーニャ人の血がうずくというものだ。
 うらはらに、あたしの気分は最悪だった。
 みんなは今、どんな時間を過ごしているだろう?
 楽しくしてるといいな。そう思う。
 でもそれだと、あたしだけおいてきぼりされた感じでちょっとヤだな。そんな風にも思ってしまう。
 隊が解散してからもう3ヶ月になる。あたしはロマーニャに帰ってきた。
 みんなとは、もう3ヶ月も会っていない。これは“もう”じゃなくて、“まだ”なのかもしれない。
 ロマーニャでの暮らしも楽しいけれど、みんなのことを忘れた日はない。
 ごはんを食べてるとき、歯を磨いてるとき、お風呂に入ってるとき、ごろごろしているとき、
 みんなの面影はふらりとあたしの頭のなかにやってくる。さっきだってそうだ。
 そして、ふと気づく。
 みんなは、もういない。
 そう気づかされると、ふらりとやってきた面影は、ふっと頭のなかから消えてゆく。
 生きている。きっとみんな、ちゃんとやっている。
 手紙でやりとりもしているし、風の噂を聞くことだってある。
 ――でも、思う。
 寂しい。みんながいなくて、寂しい。

 ホント、ヤになる。あたしはあの頃からちっとも変っちゃいない。
 乳離れのできてない、赤ん坊じゃないんだから。
 この気持ちを抑えつけようとしても、できない。どんどんどんどん、あふれ出して止まらなくなる。
 それがあたしが少尉であることとも、天才であることとも関係ない。
 みんなのなかで一番年下の、一番ちびっこ。それがあたし。
 これは埋められない、どうしようもない差だ。
 サンタクロースなんて信じちゃいない。もうそんな、子供じゃない。
 自分では、たしかにそう思っている。
 でもあたしが一向にこんな風なのは、やっぱりあたしが、まだぜんぜん子供だからなんだろうか。
 みんなと同じくらいの年齢になれば、こういう気持ちもどこかに消えてしまうのだろうか。
 そんなことを思って雑踏のなかを歩いていると、人通りの多い通りに出た。
 予報は半分はずれだ。ちっとも暖かくなんてない。冷たい風がびゅうびゅう吹いている。
 まわりの賑わいから、あたし一人だけぽつんと取り残されたような、そんな気持ちにさせられる。
 泣きたくなった。でも、涙は出なかった。

「ルッキーニ!」
 通りを少し歩いていると後ろから、よく知った声に呼び止められた。
 振り返らずともわかった。その声を聞き間違うはずがない。
「どうかしたの? シャーリー」
 泣いてなくてよかった。そんなことを思いつつ、あたしは振り返った。
「どうかしたの!? シャーリー!」
 あたしはシャーリーをじろり一瞥。
 そこにいたのは、たしかにシャーリーだった。
 トレードカラーである、真っ赤な服に身を包んでいる。あったかそうだ。
 それだけなら別に、びっくりしたりしない。
 でもその格好は、誰がどう見てもサンタクロースだった。

 隊を解散してからの3ヶ月、あたしとシャーリーはいっしょに暮らしていた。
 ロマーニャでの暮らしが楽しいものであったのも、シャーリーがいてくれたおかげだ。
 もしシャーリーまでいなかったら、あたしはグレるかしていたと思う。
 シャーリーは優しい。あたしがしょげたり、すさんだりしていたら、
 いつもあたしを楽しい気持ちにしようとしてくれる。あたしを嬉しくさせてくれる。
 でもあたしは、あたしが抱えていたもやもやのことを、シャーリーには秘密にしていた。
 こんなこと言えるはずがない。
 言ってしまえば、それはシャーリーを否定することになる。
 あたしにはシャーリーがいるから寂しくないよ。
 そう言い切ってしまえれば楽だった。でも、そんなことを嘘でも口には出せなかった。
 そんなシャーリーが、ここのところあたしに冷たい。冷たいというか、そっけない。
 おはようを言う間もなくどこかに出かけていって、夜遅くに帰ってくる。
 なにをしてるのかは知らない。わかるのはとにかく忙しそうってだけ。
 気になりはしたけど、訊けずにいた。というか、訊く暇がなかった。
 邪魔しちゃ悪いよね。がらにもなく、こんなことを思った。
 あたしなりに気を使ったつもりなのだった。
 でも心のなかでは、すねていた。
 朝からのどうしようもないイラつきも、その一つはシャーリーのせいなのだった。

 それはそうと、シャーリーのことだ。
 あたしは頭からつま先まで、シャーリーをじっと見据えた。
 やっぱりサンタクロースだ。
 帽子だってかぶってるし、白いふさふさのつけヒゲまでつけている。
「どうしたの!? シャーリー!」
 もう一度、あたしは訊いた。
 でも、返ってきたのは言葉ではなく、ぎゅっとあたしの手を握る手。
 ここまで走ってきたのか、はあはあと息があがっている。
 口から吐きだす息が見える。冷たい空気にふれるとたんに、白くなるから。
「あとで話す。急ぐぞ!」
 そう言うとシャーリーは、あたしの手を引き、走り出した。

 そうしてあたしたちが着いた先は、基地にある滑走路だった。
 目の前にはシルフィー・ソードフィッシュ雷撃機。
 背にはGLAMOROUS SHIRLEYのペイント。シャーリーの愛機だ。
「さ、乗って」
 サンタクロースに扮したシャーリーはそう言うと、そそくさと乗り込んでしまう。
 ゴーグルをするシャーリー。エンジンをかけると、プロペラがまわりはじめる。
 わけがわからない。あたしは茫然と、その場に立ち尽くしていた。
「はやく!」
 シャーリーが急かすので、言われるままにあたしは後部座席に乗りこもうとする。
 が、そこには白い布の袋(サンタクロースが背にかついでいるアレだ)で埋まっている。
 はじっこにどかして、ようやくあたしも座席に腰を下ろした。
 それを確認すると、シャーリーは操縦桿をぐいと動かす。
「ねえ、どこに行くの?」
 当然の質問をあたしはする。けど、返ってくるのは答えじゃなくて、
「今日はなんの日?」
 質問に質問。今日? 今日は、12月24日だから――
「……クリスマスイブ?」
「そう、そのとおり」
 しかも答えになっていない。
 そうしたやりとりをしている間にも、あたしたちを乗せた飛行機はぐんぐん速度を増してゆく。
 そうして、離陸。地面がどんどん遠くになる。
 いったいあたしは、どこに連れていかれるのだろう?

「時間がないからここで着替えて」
 そこに衣装があるから、そう言ったあと、シャーリーはそう続けた。
 あたしはあたりを探してみて、それらしいものを見つけた。顔の前で広げてみる。
 目があう。けど、それの目の焦点があっていないので、やっぱりあわない。
 トナカイだ。
 ようやくあたしも、事態が呑みこめてきた。
 シャーリーがサンタで、あたしがトナカイ。そして今日は12月24日――
 となれば、することは一つしかない。
 気持ちの整理はまだつかないけど、しょうがなくあたしはそれに着替えることにした。
 真っ赤なお鼻のトナカイさん。そういえば、今朝打った鼻はまだじんじん痛む。
 そのことにはたと気づいたのは、ようやく着替え終わったあとだった。
 あたしがトナカイなら、あたしの方が前じゃないの?
 後ろに乗せられたトナカイというのも、なんだかちょっと間抜けだ。
 けど今さら、座席や服をとっかえっこというわけにもいかない。
 飛び立ってからもう、結構な時間が経つ。日は暮れようとしているけれど、なかなか暮れない。
 ずいぶん長い夕焼けだった。
 あたしたちが夕日を追っかけているためだ。
 
 そうしてあたしたちはガリアまで来た。
 もうほとんど、日は暮れかけている。
 街は薄暗くって、でもほんのり、赤や黄色やオレンジや、そういう光で満ちていた。
 灯っているのは戦火ではなく、街灯だったり、家々の電気だったり、ケーキに指したロウソクだったり、
 きっとそういう光を少しずつ集めたものだ。
 ここがペリーヌの故郷――ロマーニャのお隣のガリア。あたしは来るのははじめてだった。
 現在、ペリーヌとそれにリーネは、この街の復興に従事しているという。
 ペリーヌはたまにあたしに、自分の故郷の話をしてくれた。
 えらく自慢げな話しぶりだった。誇らしそうに。それで、ちょっぴり寂しそうに。
 話半分に聞き流していたけど、ペリーヌがああいう風に話すのも、今ならなんとなくわかる。
 復興にはまだ時間はかかるようだけど、街が以前のようによみがえるのは、きっとそう遠くない。

 シャーリーは街のすぐはずれに飛行機を着陸させた。
 降り立つと、かして、とシャーリー。あたしの脇にある、袋のことだろう。
 あたしは袋を手渡すと、シャーリーはそれを肩にかついでみせた。
 あたしも降りた。地面が恋しかったのか、ちょっと足もとがふらつく。何時間ぶりの地面だろ。
 頭が重いせいでもある。トナカイの頭が長いのだ。
「じゃあ、いこ。ここからは歩きだけど」
 あたしはシャーリーのあとをついていった。
 こんな格好で目立たないかな、なんてことを思ったけど、
 街を歩く人の少なからずが仮装をしていたので、そんな心配はなさそうだった。
「ここ?」
 あたしは指さして訊く。あたしたちはある一軒家の前にやってきていた。
 表札にはペリーヌ・クロステルマン、リネット・ビショップとある。
「そう、ここ」
 と言うもののチャイムを鳴らすでもなく、シャーリーはあたりをじろじろと見て回る。
 これじゃどう見ても不審者だ。
「開いてるぞ! 窓ガラスを割らなくても済みそうだ」
 なんてことを言うんだと思いつつも、あたしもそれを見た。不用心にも窓は開きっぱなしになっていた。
 シャーリーは窓枠に手をかけると、よっ、と身を持ち上げ、中に入ってしまう。
「さ、ルッキーニも」
「入るの?」
「当たり前だろ」
 シャーリーは窓から手を出し、あたしの前に差し伸ばす。
 いいのかな? ま、いっか。
 あたしは差し伸ばされた手をとって、中に入った。

 部屋にはベッドが一つ。部屋の感じからして、リーネの部屋かな?
 机の上には料理や編み物の本が置いてあった。
 ベッドの枕もとには、赤い毛糸の靴下が吊るしてあった。
 シャーリーはかついでいた袋を下ろすと、もぞもぞとなかをさぐって、
 きれいに包装されたプレゼントらしき箱を取り出した。
「まずひとり、っと」
 そうしてそれを、靴下のなかにすっぽり入れた。
「あともうひとり――」
 そう言うとシャーリーは、薄い氷の上でも歩くようなつま先歩きでドアの方に近づいていく。
 ドアをちょっと開けて、向こう側の様子をうかがうシャーリー。あたしはごくり、と唾を呑みこむ。
「しめた。誰もいないみたいだ」
 シャーリーはドアを全開にする。
 開け放たれたドアの向こうは、どうやらリビングであるらしい。
 その向こう側にもドア。右側は廊下が伸びていて、その先が玄関であるらしい。
 幸いなことに、出かけているのか誰もいない。
「ん?」
 リビングに置いてあるそのあるものに、あたしは目をひいた。
 シャーリーはおかまいなしに、向こうの部屋に行ってしまうものの、
 あたしはその場に立ったまま、それを観察した。
 どうやらそれは、テーブルなようだ。真四角だった。
 でも、テーブルにしてはえらく足が短いし、テーブルクロスのかわりにお布団がかけてある。
 なんだこりゃ? あたしは布団をめくってみると、中は赤く光っていた。
 ぼわん、という熱気がする。
 どうやらこれは、暖房なようだ。
 冷えた体をあっためるのにもちょうどいい。
 そう思ってあたしは、頭から滑りこんだ。トナカイの頭が途中でちょっとひっかかる。
 中はぬくぬくのぽかぽかだった。
「ルッキーニ、なにやってるんだよ?」
 戻ってきたシャーリーは言った。
「だってぇ――」
 布団のすそをあげてあたしは甘えた声で答えようとしたけど、シャーリーはそれを遮った。
 人差し指を鼻の前にやって、しっ、と短く言う。
 あたしは思わず息を呑みこんだ。
 周囲は静まり、だから音はよりはっきり聞こえてくる。
 人の声。それが近づいてくる。玄関の方からだ。
 玄関のドアノブを回す音がした。

 帰ってきたんだと、あたしは察知した。
 シャーリーはこっち、と手招きする。
 はやく行かなきゃ、そう思ってこの中から出ようとするけど、頭のところが完全に引っ掛かっている。
 あれこれ体を動かして見るものの、うんともすんとも言わない。
 そうこうしている間にも、人の声はこっちの方へと近づいてくる。
 ひとり、ふたり……さんにん、よにん……? そしてそのどれも、懐かしい声だった。
 いや、今はこんなことを考えている場合じゃない。
 もう、逃げられない。
 そう悟った瞬間、あたしのなかにあるひらめきが走った。
 体をねじって外に出ていた足を布団のなかにいれ、あたしはすっぽり、その中に隠れてしまった。
 このままこの中に忍び込んで、やり過ごすことにしたのだ。

「すみません。まさかお風呂が壊れているなんて……」
 よく知った声。ペリーヌだ。
「気にするな、すぐ近くに風呂屋があったのだし」
 これもよく知った声。でもなんで? これは坂本少佐の声だ。
「うん、そうだよ。私もみんなといっしょに入れて楽しかったし」
 それにこれも、よく知った声。芳佳の声だ。
「なんだか基地にいた頃を思い出すね」
 それでこれが、リーネの声だ。
 どうして4人がいっしょにいるんだろう?
 ペリーヌとリーネはわかる。いっしょに暮らしてるんだし、表札にも出ていた。
 でも、芳佳と坂本少佐は、扶桑に帰ったんじゃなかったっけ?
 足音は止まり、声はあたしのすぐそばから聞こえる。
「寒かったでしょ。今からお茶淹れるから待ってて」とリーネの声。
「ううん。リーネちゃんから貰った手袋、あったかかったし」と芳佳の声。
「ペリーヌがくれたマフラーもあたたかかったぞ」と坂本少佐の声。
「そ、そんな言葉をいただけるなんて」と、嬉しそうなペリーヌの声。
「じゃあ、私、お湯沸かしてくるね」とリーネの声。
「あ、私も手伝う」と芳佳の声。
「いいよ、わざわざ扶桑から来てもらったお客さんなんだし」と、はにかむようなリーネの声。
 そういうと、足音がして遠ざかっていく。リーネのものだろう。
 どうやら、芳佳と坂本少佐は、ガリアに遊びに来ていたらしい。

「ところで――」とペリーヌの声。「これはなんですの?」
「ああ、これですか」と芳佳の声。「これはこたつです」
 コタツ? ああ、これがコタツなのか。猫も丸くなる例のコタツか。
 だからこんなに、ぬくぬくでぽかぽかなのか。
「だからその“コタツ”というのは――」とペリーヌの声。
「こうやって、足から入るんです。ぽかぽかのぬくぬくなんです」と芳佳の声。
 次の瞬間、あたしの腹にどすんと、なにかが当たった。
 うなり声をあげそうになったけど、なんとかそれを押し殺した。
 話の流れから察するに、芳佳がコタツに足を入れたんだろう。
 そして、中に隠れていたあたしを結果、蹴ってしまうことになったのだ。
「ん?」と芳佳の声。
「どうかしたのか?」と坂本少佐の声。
「足になにかぶつかったような……」と、いぶかしげる芳佳の声。
 あたしは息を殺して、状況を見守った。
 こんなところを見つかってしまっては、言い逃れできるはずない。
 芳佳が布団をあげたんだろう、布団がちょっと開いて、あたしにもうっすらと外の様子が見えた。
 このままだとまずい。そう思ってあたしは、芳佳の掴んだ布団を裏側から抑えつけた。
「あれ?」と、間の抜けた芳佳の声。
 芳佳はさらに、布団をめくろうとする手に力を加えてくる。負けるもんかと、あたしも力をこめた。
 うーんっ、と芳佳はうなる。あたしも声には出さなくとも、心のなかではうなっていた。
 そうしてしばしの格闘の末、ふいに芳佳は力を緩めた。
「ま、いいや」と芳佳の声。どうやら難は逃れたようだ。

「それでその“コタツ”というのは――」とペリーヌの声。
「ぽかぽかのぬくぬくなんです」と芳佳の声。
「だから、なんでこんなものが、こんなところにあるんですの?」とペリーヌの声。
「私たちからのクリスマスプレゼントにと思って、扶桑から持ってきました」と芳佳の声。
「わあ、芳佳ちゃん、ありがとう」と、いつの間にか戻っていたらしいリーネの声。
「ガリアの冬は冷え込むって聞いて、電気こたつにしたの」と芳佳の声。
「芳佳ちゃん……!」と、感激したリーネの声。きっと目をうるうるさせてるんだろうな。
「さ、入って入って」と芳佳の声。
「うんっ」とリーネの声。
 次の瞬間、あたしのお尻にどすんとした衝撃がきた。これはリーネの足なんだろう。
「ん?」とリーネの声。
「どうかしたの?」と芳佳の声。
「ううん、なんでも……」と言いつつも、なんだか不思議がるリーネの声。
「じゃあ私も入るとするか」と坂本少佐の声。
 次の瞬間、あたしの背中にどすんとした衝撃がきた。これは坂本少佐の足だ。
 芳佳の足と板挟みになって、あたしはもはや身動きがとれない。
 それでも、声を殺すことだけは守りとおした。
「ん?」と坂本少佐の声。
「どうかしましたの?」とペリーヌの声。
「いや、別に……」と言いつつも、いかにも不審がっている坂本少佐の声。
「扶桑の冬はこたつでみかんって決まってるの」と芳佳の声。
「へえ」とリーネの声。
「ここはガリアですわ」とペリーヌの声。
「ペリーヌさんは入らないんですか?」と芳佳の声。
 ちょ、ちょっと待って! これ以上入られると、あたしもうムリ!
 ――でももちろん、そんなこと言えるわけがない。
「入るわけないでしょ。そんな得体のしれないもの」とペリーヌの声。
 よかったぁ。とりあえず最悪の状況は脱したようだ。
「そんな……」と、落ちこんだ芳佳の声。
「さっきから見ていればなんなんですの? 中になにかいるんじゃありませんの?」とペリーヌの声。
 ぎくり。
「そんなことは……」と芳佳の声。
「ない……」と坂本少佐の声。
「ですよね……?」とリーネの声。
「なんなんですの? その歯切れの悪い返事は?」とペリーヌの声。
「とにかく中にはなんにもありません。ぬくぬくのぽかぽかなんです」と芳佳の声。
「だいたいなんで、せっかくのクリスマスに、その“コタツ”とやらですの?」とペリーヌの声。
「それは、リーネちゃんやペリーヌさんが喜ぶと思って……」と、悲しそうな芳佳の声。
「いや、悪いのは宮藤じゃなくて私の方だ」と坂本少佐の声。
「えっ?」と、困惑するペリーヌの声。
「そもそも私が提案したんだ。冬は寒いと聞かされて、だったらこたつにしようと」と坂本少佐の声。
「そ、それは、存じませんで……わたくしも是非入らせてください」とペリーヌの声。
 あ、いやちょっと待って! ムリだから! もう絶対、ムリなんだから!
 けれど次の瞬間、あたしの頭にどすんとした衝撃がきた。
 リーネの足と板挟みになって、四方を完全に抑え込まれた。もはやどうしようもない。
 あたしは体を丸めて丸めて、これじゃ、お腹のなかのあかちゃんだよ。
 あたしはだらだらと汗をかいていた。
 それは緊張のためだけでなく、入ったときはぬくぬくだったコタツも、ずっと身をひそめていたせいで、
 もはやそんなの通り越して、ぎんぎんに太陽が照りつける夏のように熱かったのだ。
 息苦しさが増していく。このままなら、酸欠を起してしまってもおかしくない。
 ああ、だんだん意識が遠くなる――
 四方から押し寄せる8本の足の圧迫感には、どうしたところで抗えなんてしない。
「たすけて……」
 とうとうあたしの口から、弱々しい悲鳴が漏れた。
「ん?」と、すっとんきょうなペリーヌの声。「やっぱりなにかいるんじゃありませんの?」

 ああ、終わった。あたしは思った。でもこれで、解放される……
 ペリーヌは中をのぞこうと、布団をめくろうとしている。
 外の光が隙間からちょっと見えて、まぶしかった。
 もういいや――あたしがそう完全に諦めきったところで、チャイムが鳴った。
「誰かしら?」と、布団をめくる手をとめたペリーヌの声。
 玄関に行ったのかな? ああ、あたしを置いていかないで。
 他の誰か――そう声を出しそうになったところで、遠くでぴーっという音がした。
「あ、お湯沸いたみたい」とリーネの声。
 台所に行ったんだろうな。
 でも、一時は8本あった足が半分まで減ったおかげで、あたしは少し楽になってきていた。
 どうすればいいんだろ――あたしがそう悩んでいたところで、ガシャンとガラスの割れる音がした。
「なんだ今のは?」と坂本少佐の声。
 音がしたのは、あたしたちが最初に入ってきた部屋の方からだった。そっちに見に行ったんだろう。
 そうしてあたしを抑えつける足は現在、2本だけ。
 芳佳の足だ。最初に入って、今までいる。抜け出さないのは、コタツというやつの引力なのか。
 ……ま、あたしの方がそれよりさらに長いんだけど。
 とにかく、もうずいぶんと楽にはなった。でも、安心している場合なんかじゃない。
 もう少ししたら、みんな帰ってきてしまうのだ。そしてまた、足をコタツに入れるのだ。
 今しかない……!
 あたしは思いたつと、芳佳の足をぐいと掴み、ひっぱってやった。
「はふぇ?」という、間の抜けた芳佳の声。
 あとに、ごつん、という鈍い音がして、そうしてそれもすぐ静まった。
 あたしがようやくコタツから抜け出すと、そこには床に寝そべって気絶した芳佳がいた。
 後頭部を床に打ちつけてしまったらしい。
 ごめんね、とあたしは心のなかで謝った。そもそもこれは、不可抗力ってやつだ。
 それに、さっきのおかえしでもあるし(あたしは感覚がどんどん麻痺してきていた)。

 向こうの部屋のドアが少し開いていて、シャーリーがいるのが見えた。
「まさか芳佳と坂本少佐がなあ――ついでだからいっしょに入れておこう」
 そう言ってシャーリーは、2人の荷物をごそごそと探り出した。
 2人の持ち物らしい赤い靴下を取り出して、それにプレゼントの箱を詰めこんだ。
「さて、次に行くか」
 シャーリーはそう言うと、わざとらしく袋を肩に担いでみせた。
「次?」 
「そう、次」

 あたしたちは再び飛行機に乗りこんだ。
 飛行機は飛び立つとすぐに、ガリアの街がどんどん小さくなっていった。
 また来たいな、ろくなことがなかったはずなのに、なぜかあたしはそんなことを思った。
 それまでにはガリアもきっと、もっとすてきな国に復興しているだろう。
 今度こそちゃんと、芳佳たちに会いたいなと思った(でも今日の一件は絶対秘密にしておく)。



 日はもうすでにすっかり暮れていて、空は星空だった。
 星がとってもきれいに見える。冬は空気が澄んでいるからだとシャーリーは教えてくれた。
 冬もなかなか捨てたもんじゃないな、あたしは思った。
 シャーリーは星座のことも教えてくれた。
 あたしはそれに耳を傾け、目で実際に点と点に線につないでみる。
 自分だけの星座もつくってみたりした。おっぱい座やおしり座やめがね座などだ。

 あたしたちが降り立ったのはカールスラントだった。
 ミーナ中佐とバルクホルンとハルトマンの故郷だ。ここも、あたしははじめて来る。
 行くぞ。シャーリーは言われるままついていくと、とあるアパートらしき建物の前についた。
 家の前には雪だるまが三つ並んでいた。……あ、いや、一つはちがうか。
 一つは、とにかく大きいの。シャーリーの背くらいある。
 一つは、ごく普通の。でもなんだか、顔がちょっと怒っているようにも見える。
 一つは、瓜を立てたような、なんかヘンなの。雪玉も一つだけ。でも、顔もちゃんとある。
 なんだこりゃ? あたしが首をかしげて、少しの間、それを見入った。
 ――と、その瓜の陰に隠れている、もう一つの雪だるまを見つけた。
 あたしの腰くらいまでしかない、小さいの。大きいの並べれば親子なんかに見えるだろう。

 あたしたちは階段を上っていって、そのアパートらしきところの屋上に着いた。
 シャーリーは袋からロープを取り出すと、柵にくくりつけた。
 よしっ、という声。そうしてロープをもう一方を、地面に垂らした。
「なにするの?」
 うすうすわかってはいながらも、あたしは訊ねた。
「ついてきて」
 シャーリーはそう言うとロープを掴み、よっ、よっ、てな調子で壁を蹴りながら降りていった。
 あたしはもう、なにがあっても驚かないまでになっていた。
 言われるままシャーリーの真似をして、あたしもついていった。
「ここだな」
 シャーリーは途中までいったところで止まると、そう言った。
 上からうかがうに、窓の向こう側を確認しているらしい。
 オーケー、誰もいない。シャーリーがそう言って袋から取り出したのは、ガムテープだった。
 口で器用にガムテープをちぎってゆき、右手でそれを窓ガラスにぺたぺたと張って、
 そうして次に袋から取り出したのは――ハンマー!
「ちょ、シャーリー!」
 あたしは制止しようと声を出した。嘘じゃない。あたしはなにも悪くない。
 でも振りかぶられたハンマーは、躊躇なく窓ガラスに叩きつけた。
 あたしは思わず耳をふさごうかと思ったけど、あいにく両手はロープでふさがっていた。
 ……音は、あんまりしなかった。
 だからと言って、割れたガラスがどうなるということでもないんだけど。
 なにがあったも驚かない。ほんのついさっきだったはずの前言は、早くも撤回された。

「いいの?」
 いいというのは、もちろん割った窓ガラスのことだ。
「いいのいいの。はじめてじゃないし」
 悪びれるでもなく、シャーリーはさらっと言ってしまう。
 というか、初めてじゃないって、それむしろタチが悪いじゃん。
 さすが自室禁固5回のワルだな――なんて、呑気に感心している場合じゃない。
 あたしはふいに、ある既視感に襲われた。
 それは、まだ数時間前。ガリアでのことだ。
 コタツに隠れていたあたしが、2人の、4本の足に足蹴にされるとき。
 あのとき坂本少佐は、ガラスの割れる音がしたのを聞いてコタツから出ていったんだった。
 まさか……?
 もちろんあたしは、シャーリーの味方だ。もうこの際だ、共犯者だと思っている。
 でも、心のどこかでは、シャーリーのことを信じていた。良心とかそういうものを。
 だから、一度浮かんだ疑心を拭おうとする。でもそれはそうそう拭えない。
 そういえばチャイムを鳴らしたのは誰だったんだろう?
 疑問が湧き出しては絶えない。でも、聞くのはやめにしておいた。

 ここは誰の部屋だろう? とりあえず、ハルトマンの部屋でないことだけはわかる。
 シャーリーはベッドの枕もとにぶらさがった、赤い靴下にプレゼントをつめこんでいた。
 その間あたしは、部屋を見まわしてなにかヒントがないか探した。
 ベッドの他には、机と椅子、あと小さな棚があるくらいなものだ。
 棚の上には、ぬいぐるみがいくつも並べられていた。
 ライオンやクマやオオカミや こんなにたくさん、なにに使うんだろう? 戦わせて遊ぶのかな?
 なんとなく、サーニャなんかが好きそうだなと思った。
 でもここはカールスラントだ。
 お客さんとして来ているならまだしも、まさかサーニャが住んでるはずはない。
 あっ、それだけじゃない。それに気づくと、ああやっぱり、サーニャの部屋じゃないな、と考えなおした。
 サーニャは黒とかブルーとか、そういう色が好きだったみたいだから。
 でもこの部屋は、たとえば布団や枕のカバー、シーツなんかはピンクだし、カーテンだって花柄だ。
 いわゆる少女趣味ってやつ。なんというか、乙女の部屋だ。
 バルクホルンの部屋ならなんとなくヤだな、なんてことを思った。

 棚のはしっこのぬいぐるみが倒れていた。
 開けっぱなしの窓からびゅうびゅう風が吹いてるから(閉めたところで、一部分が割れている)、
 きっとそのせいだな。入ってきたときに、一度強い風が吹いた。
 あたしはぬいぐるみを、たぶん元あったとおりに戻す。
 ――と、その横に写真立てらしきものが、ぱたんと、閉じでもするように倒れているのを見つけた。
 これも元に戻さなきゃ、あたしはそう思って、写真立てを掴む。
 その手が、ぴたっと止まる。
 でもこれは、もしかしてもともと倒してたのかもしれない。そんな考えがよぎった。
 でもでも、気になるし……。
 あー、これだと本当に共犯者みたいじゃん。
 今日のあたしは考えすぎだ。いーや、戻しちゃえ。
 そうして、そこに収められていた写真が目に入る。
 もう夜で、部屋に電気はついていない。窓から入る弱い光だけが頼りだ。
 写真には寄り添うように二人が写っていた。一人はバルクホルンだった。
 写真のなかのバルクホルンは笑っていた。
 こんな風に笑うんだな、なんてことをあたしは思った。
 バルクホルンが笑うところなんて、あたしは見たことがあったかな?
 えーと、もう一人は……
 考え込もうと、じっと写真に目を凝らす。暗がりで、顔をよく確認できない。
 あたしが写真立てをぐっと目の前に近づける、ちょうどそのとき―― 
 ドアのノブを回す音がした。
 それに反応してあたしの心臓が、ばっくん、と強い音をたてた。
 ぎぃ、と鈍い音をさせて、ゆっくりドアが開いていった。
 今度は隠れる暇さえなかった。
「誰ですか?」
 声の主は目を丸くしている。当然だ。どう見ても不審者なんだから。
 ――でも、とも思う。
 むしろそう訊きたいのは、あたしの方だった。

「あのう、誰ですか?」
 あたしたちが答えあぐねていると、静かな声でもう一度訊ねてくる。
 聞いたことのない声だ。
 誰かだって? そんなの、こっちのセリフだって思う。
 だってそれを言う当人は、あたしの知らぬ人だったんだから。
 扉の向こうは明るかった。暗いところに慣れていたあたしの目が、次第に中和されていく。
 その声の主は女の子だった。あたしより年上かもしれない。
 髪はブラウンがかった黒。それをショートカットにしている。
 全体的に、きゃしゃな印象がある。
 この子のことを、あたしは見たことがない。
 ――いや、違う。あたしは見たことがある。しかもついさっきだ。
 あたしは手にした写真立てへと視線を移した。
 バルクホルンの隣にいる女の子。それがこの子だ。
 あたしの眼球は写真と女の子のあいだを数往復させ、しっかり見比べてみた。
 間違いない、写真の人だ。バルクホルンの隣にいる人。肩に手をのせられている人。
 写真のなかの方がちょっと幼く見えるけど、それは成長した分だろう。いいな、成長。
 あたしはなにか言い訳を探した。でも、そんなの見つかりっこない。
 あたふたするばかりのあたしは、シャーリーへと目をやった。
 するとシャーリーは女の子の方へと歩いていって、そしてその子の手首をぎゅっと掴んだ。
 袖からあらわになった手首は細かった。そんなに強く握っちゃ、折れてしまいそう。
 女の子は声をあげるでも、抵抗するでもなかった。
 シャーリーはそのまま、ぐいっ、と引っ張って、部屋のなかに引きずりこんでしまった。
「あんたのことは知っている」
 シャーリーはそう、その子の口を手で覆って言った。
 その言葉からは、歴戦の凄みみたいなものがにじみ出ていた。
「クリス・バルクホルン。ここはあんたの部屋。どぉ?」
 その子はこくりとうなずく。
 クリス、バルクホルン……バルクホルン!?
 ふと、あたしは思い出した。そういえば聞いたことがある。
 バルクホルンには妹がひとりいて、長いこと入院してたということ。
 今はもう退院していて、バルクホルンとふたりでいっしょに暮らしているということ。
 そうかここは、バルクホルンはバルクホルンでも、妹の方の部屋だったんだ。

 姉妹というだけあってやっぱり、バルクホルンの面影が重なった。
 それになんだか、ちょっと芳佳にも似ている。
「あたしたちは別に、あやしいもんじゃない」
 そんなこと言っても、信じられるわけがない。そう言う人にかぎってあやしいものだ。
 シャーリーの手は已然、クリスの口を覆ったままだ。
「あたしたちが誰だかわかる?」
 シャーリーが問いかけると、クリスは答えるかわりにあたしを指さした。
 え、あたし?
 あ、いや、あたしじゃない。これは机の方を指さしてるんだ。
 机の上にはペンとメモ帳が置かれてある。これのことなんだろう。
 持ってきて。シャーリーは小声であたしに告げた。
 あたしがクリスの右手にペンを握らせると、クリスは差し出した紙に文字を書いた。
『信じます』
 そこにはこう書かれた。
「いいの!?」
 思わずあたしは、声をあげてしまった。
 思いのほか大きな声だったので、言い終わると口に手をやってしまった。もう遅いけど。
「そうか、ありがと」
 そうは言いつつもシャーリーは、口をふさぐ手も、ぎゅっと手首を掴む手も離さなかった。
「あたしたちが、誰だかわかる?」
 シャーリーは続けてそう訊ねると、クリスは紙にペンを走らせた。
『シャーロット・イエーガーさんと、フランチェスカ・ルッキーニさん』
 シャーリーの額にたまった汗が満ちて、だらりと伝った。
 歴戦のつわものといっても、やっぱりこんな場面は緊張するんだ。そんなことをあたしは思った。
 でもどうして、あたしたちのことを知ってるんだろう?
 バルクホルンからあたしたちの話でも聞いていたのかな。
「違う。いや、あってるんだけど、違う」
 シャーリーのその言葉にクリスは小首をかしげて、しばらくして再びペンを走らせた。
『サンタさんと、トナカイさん』
 シャーリーは書かれた言葉を見ると、満足そうにうなずいた。
「よし、正解」

「あたしたちはみんなにプレゼントを届けに来た。んで、ここにいるわけ。オーケー?」
 シャーリーの問いかけに、クリスはこくりとうなずいた。
「でも、そこをあんたに見られちゃった。今、すごくまずい状況。特にここでは」
 汗がもう一筋、シャーリーの頬を伝った。
 特に……? そうだ、ここはカールスラント。ミーナ中佐がいるんだった。
 なんだかあたしまで、身震いしてきた。

「どうかしたのか、クリス」
 と、突然に、扉の向こうから聞きなれた声。バルクホルンだ。姉の方の。
 どくん、という心臓の音が三つ、重なった。
 不思議なことにあたしたち3人のあいだに、なんだか連帯感みたいなものが芽生えていた。
「おーい、クリス」
 もう一度、心臓がどくん、とする。
 シャーリーはようやく、クリスの手を覆っていた手を離した。
 そして、キューと合図を出す。3、2、1、キューのキュー。
「ううん、なんでもない」
 それをくみ取ったクリスはそう言った。頭の回転がいいんだろう。
 とにかく、咄嗟の連係プレーが功を奏した――
「遅いじゃないか、クリス。なにかあったのか?」
 かに、思った。
 なのに、安心するのは早かった。
 靴が床を鳴らす音が、どんどん大きくなってくる。部屋まで来るつもりなんだ。
 なんでもないって言ったじゃん。こっちくんな、バカ。
「ううん、なんでもない。ちょっと探し物」
 ナイス、クリス! バルクホルン、さっさと返って!
「なかなか見つからないのか? じゃあ、私も手伝おう」
 なんでくんの、バカー! じゃあってなんだ、じゃあって。
 クリスは渋い顔を浮かべつつも、ふっと手をあげ、指さした。
 その先にあるのはクローゼット。そこに隠れて、ってことだろう。
 あたしとシャーリーは足音を立てないようにこっそり、でも素早く、そっちへと移動していく。
 そうしているあいだにも、刻々とバルクホルンの足音が近づいてくる。
 あたしはクローゼットを開け放った。
 幸いにも、ふたりくらいなら入れそうなスペースが空いていた。
 シャーリーは先に体を滑りこませる。
 あたしもそれに続こうとした、そのとき――
 背中の方から、ガチャリとドアノブを回す音。
 早いよ! まだあたし、隠れてないって!
 一刻を争うときだというのに、あたしは反射的に振り返ってしまった。
 でも、ドアが開けられることはなかった。
 クリスが中の側のドアノブを掴んで、開けないように抗おうとしてくれていた。
 あのか細い腕なら、とてもバルクホルンとの力勝負に勝てそうにない。数秒の時間稼ぎがせいぜい。
 でも、それを無駄にするわけにはいかない!
 さあ! 口の動きだけで、シャーリーはそう言った。
 あたしはシャーリーのいるクローゼットに向かって、ジャンプ!
 ストライカーなしの、一秒にも満たない飛行。
 怖くなんてなかった。あたしの背はクリスが守ってくれている。迎えられる場所もある。
 あたしの体は、広げられたシャーリーの腕のなかへと、吸い込まれていった。
 ふかふかとした感触が、あたしを包み込んだ。
 シャーリーは片腕で、あたしの首筋に手をまわし、ぎゅっとあたしを抱きしめる。
 そうしてもう一方の手で、クローゼットの扉をばたんと閉じた。

「どうしたんだ?」
 ぎい、とまた鈍い音をたてて部屋の扉は開き、バルクホルンは顔をのぞかせた。
「ううん、なんでもない。ドアの調子が悪かったのかな」
 あたしたちはもう隠れたというのに、クリスはバルクホルンからあたしたちが見えないように、
 体で壁まで作ってくれている。
「それで、探し物は?」
 ずけずけとその壁を押しのけ、バルクホルンは部屋に入ってくる。そして、部屋の明かりをつけた。
 ぶっ、とシャーリーは噴き出した。
 どうかしたの? 訊きたかったけど、声に出すわけにもいかない。
 あたしは身をよじらせて、くるっと半回転。隙間から様子をうかがうことにした。
 ぶっ、とあたしも噴き出した。
 不意打ちだった。まんまとやられてしまった。
 牛乳でも口に含んでいたら、盛大に噴き出していたところだ。
 バルクホルンは、サンタクロースの格好をしていた。
 もちろん帽子もかぶってるし、ひげだってつけてる。白いふさふさなやつだ。
「なにやってんだ、カールスラントの堅物が……」
 声を押し殺してシャーリーはそう言うけど、人のこと言えたもんじゃないなと思う。
 え、あたし? いや、あたしはトナカイだし。

「もう見つかったからいい。戻ろ、お姉ちゃん」
 クリスはそう言うと、バルクホルンの手を引いた。
「そうか……」
 残念そうにバルクホルンはつぶやく。そうして、引かれるまま、とぼとぼと歩き出した。
 笑いをずっとこらえていたあたしのお腹が、ひくひくする。あとでめいいっぱい笑ってやろっと。
 そうして2人がいなくなって、そこからじっくり30数えて、誰もいないと確認してから、
 あたしはクローゼットから外に出ようと、扉に手をかけた。
 そのとき、
「うっかり電気を消すのを忘れていた」
 バルクホルンが戻ってきた。
 さっさといけよ、バカー! あたしは口には出せずとも、心のなかでは泣き叫んでいた。
 クリスは已然として、バルクホルンの手を引こうとしてくれている。
 でも、力が違いすぎるんだろう。逆にバルクホルンに引きづられる格好だ。
 バルクホルンは、部屋の電気を消した。
「さ、もういこ」
「ああ」
 ふう。あたしはため息をついた。
「……いや、待て」
 バルクホルンは、再び部屋の電気をつけた。
 もうなんなのよ、バカー!
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「どうしたんだ!? 窓が割れてるじゃないか!」
 ごん、とハンマーで頭を殴られた気がした。
 あたしは見咎めるような視線をシャーリーに送った。シャーリーは苦虫を噛み潰した表情をしていた。
「こ、これはね……」
「とにかく片づけないと」
 バルクホルンはきびすを返すと、さっさと部屋を出ていってしまう。
 とにかく、部屋からバルクホルンはいなくなった。
 チャンスだ。出るなら今しかない。ああ、でも、またすぐ戻ってきそうだしな。
 迷ったときには…………やっぱりやめておこう。
 片付けおわったら、どうせいなくなるんだし。出るのはそのときでいいや。

 案の定すぐに、バルクホルンは帰ってきた。ほうきとちりとりを持ってくる。
 ついでに今度は、ミーナ中佐とハルトマンもいる。幸か不幸か、普通の格好をしてくれていた。
 ふたりがあんまり遅いから。ミーナ中佐は言った。
 そうそう、料理が冷めちゃうし。ハルトマンは言った。
 バルクホルンはほうきでてきぱきと、床に散らばるガラスの破片を集めていった。
 ミーナ中佐もそれを手伝う。ハルトマンは、なんにもしない。
 ふと、ミーナ中佐の手が止まる。
「待って――」
 そして、バルクホルンに制止をうながす。今度はなんだよ、もう。
「これは事件よ」
 事件……事件って……まあ事件なんだけど。
「事件だと? どういうことだ?」
 突飛な言葉に、バルクホルンは思わず訊き返した。
「ここは3階よ。ベランダもない」
「ああ、それがどうした?」
「じゃあどうして、割れたガラスの破片が部屋のなかにあるのかしら?」
「なんだと!?」
 バルクホルンの表情が、途端に険しいものに変わる。
 けど格好は、已然としてサンタのまま。ひげだってつけたまんま。
 緊張感とか、そういうのとはぜんぜん無縁だ。
 緊張してるのは、むしろあたしたちだっての。手に汗かきっぱなしなの。
「つまりこれは証拠品というわけか。片づけるわけにもいかないな……」
 床に散乱したガラス片に視線をやり、バルクホルンはつぶやく。
「しかも、これを見て」
 ミーナ中佐はガムテープの切れはしを指差し、さらに推理を披露しだす。結構ノリノリだ。
「これがどうかしたのか?」
「犯人は気づかれないように部屋に入ろうとしたってことよ。おそらく物盗りでしょうね」
 場の緊張感があたしたちを取り残して、どんどん高まっていく。
 あ、ハルトマンは別だ。今、大きなあくびをした。
「とにかく、なにか盗まれたものがないか確認しましょう。通帳とか印鑑とか」
「そうだな――クリス、そういえばさっきの探し物っていうのは……」
「もう見つかったって言ったでしょ。お姉ちゃん、早く行かなくていいの?」
 ミーナ中佐はもう、部屋からいなくなっていた。
「ああ。でも、物騒だし、お前もいっしょに――」
「私はいい」
 バルクホルンは、がつん、とハンマーで殴られたような反応をする。
「でも、お前を一人にしておくわけには……」
「じゃあ私がついてるよ」
 と、ずっと黙ったままだった見ていたハルトマンが、手をあげる。
「しかし……」
 バルクホルンはまだなにか言おうとする。どこまで未練がましいんだっての。
「はやく行かなくていいの」
 語調を強めて、クリスは言った。しぶしぶながら、バルクホルンはああ、とそれにうなずく。
「エーリカ、妹を頼んだぞ」
 そうしてようやく、バルクホルンも部屋から消えてくれた。

 さて、あとはハルトマンだけか――
 ああいつまでここにいるんだろう? あたしが息をひそめて見守っていると、
「私、もう戻るから。料理が冷めるし」
 くるっと扉の方に向き直って、そうしてさっさと行ってしまう。
 あれ?
 その足が、扉の前で止まる。
「用事すんだらきてね。ひとりじゃ退屈だから」
 ハルトマンは振り返って、クリスに言った。
 そのとき、ほんの一瞬だけど、なんだかあたしと目があった気がした。
 まさかね……。

 そして3人がいなくなり、ようやくあたしたちはクローゼットから出ることができた。
 狭い場所でシャーリーと身を寄せ合い、ぎゅっと密着しあった時間。
 それはとっても幸せな時間だったけど、あまりに心臓に悪いことも多かった。
 心臓はまだ、ばくばくと激しい音をたてている。
 このドキドキが、その幸せな時間によるものか、緊張感によるものか、どっちなのかわからない。
 ううん、きっと、どっちもだったんだろう。

「あんまり長居はしてられない。これを――」
 シャーリーはクリスに、袋から取り出したプレゼントを手渡していった。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……
「これをどうするんですか?」
「みんなの荷物に赤い靴下があるはずだから、それに入れといて。名前も書いてる」
「わかりました」
 クリスはこくんとうなずいた。
 ついさっきはじめてあったばかりなのに、もう友情が芽生えていた。
 少なくとも、あたしだけはそんなことを感じていた。
 クリスもそんな風に思っててくれたらいいな。そんなことを思った。
 とにかくあたしたちは、予期せぬ協力者のおかげで、なんとか難を逃れることができた。
「それに、これも」
 クリスの手のひらの上に、よっつめのプレゼントがのせられた。
「これは……?」
「クリスにクリスマスプレゼント。メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
 シャーリーの言葉に、あたしも続けた。
「ありがとう。サンタさん、トナカイさん」
「ううん、部屋のガラス割っちゃってごめんな」
「ごめんね」
 あたしはなにもしてないのに、とりあえず謝った。そういうノリだった。
 クリスはふるふると、かぶりを振った。 
「いいんです。どうせ片づけるのはお姉ちゃんだし」

 クリスに別れを告げると、あたしたちは再びロープを手に取った。
 あたしたちは、今度は地面へと降りていく。
「じゃあ、次いこっか」
 そうしている最中に、シャーリーは言った。
「うん、次いこ、次!」
 あたしはその言葉に、しっかりとうなずいた。

 あたしたちは再び飛行機に乗りこんだ。
 飛行機は飛び立つとすぐに、カールスラントの街がどんどん小さくなっていった。
 また来たいな、ここでもあたしはそんなことを思った。
 ミーナ中佐に、バルクホルンに、ハルトマンに、それにクリスに、
 また会いたいな、そういうことを思った。



 時計がなかったので時間はわからなかったけれど、もうずいぶん時間が経っているのがわかった。
 カールスラントではついつい長居をしてしまった。
 もしかしたらもう、日付は25日に変わっているのかもしれない。
 あたしの視界の片隅に入る月は、すっと下唇をなぞったかたちをしている。
 月が笑っている。なんだかそんな風に見えた。
 そうだこれは、笑顔のマーク。

 あたしたちが降り立ったのはスオムスだった。
 エイラの故郷。ヨーロッパの北のはじっこ。ここも、あたしは来るのははじめてだった。
 例のごとく、飛行機から降りたあとは歩きだ。
 ぬくぬくだったトナカイの衣装も、さすがにここまでくるともう寒い。
 雪は降っていなかったけど、地面にはびっしり、足がすっぽりつかるように雪がつもっていた。
 あたしはシャーリーの横に並ぶと、寄り添うように体をくっつけ、もたれかかった。
 シャーリーもあたしの方に体をあずけてくる。
 そうしてふたり並んだあたしたちが着いたのは、レンガ造りの一軒家だった。
 シャーリーは袋から再びロープを取り出すと、輪っかをつくった。
 カウボーイが投げるみたいな、あれだ。
「どうするの?」
「あそこに煙突があるだろ。あそこから入るんだ」
 えっ、と思わずあたしは訊き返した。
「だって、煙突がある」
 シャーリーは、素朴な響きの言葉をついだ。
 ……意味がわからない。
 窓から入ればいいじゃん、窓から。窓ガラス割って入ってさ。
 喉元まででかかったその言葉を、あたしはすんでのところでごくんとなんとか呑みこんだ。
 あたしまで完全におかしくなっていた。
「サンタといえば、煙突から登場って決まってるじゃないか」
 シャーリーはまだ言う。
 でもあたしは、それに賛同なんてできない。
 だって煙突なんて通ったら、絶対にすすだらけになる。
 それだけならまだいいけど、あんなところを通って、もし万が一引っかかったりしたら――
 コタツの件と、クローゼットの件。もう閉じ込められるのにはこりごりだった。
 しかも煙突だから、その下にあるのは暖炉なんだろう。
 そんなところに長時間ひっかかったままは辛いし、下に落ちでもしたら大やけどをしてしまう。
 煙突を通るなんてそんなことは、よいこは絶対真似しちゃいけないのだ。
 あたしがそんな想像をしているあいだにも、シャーリーはロープを完成させ、
 ぐるんぐるんとカウボーイのような手つきでそれを回転させ、そうして投げた。
 きれいに一回で、ロープの輪っかは煙突にすっぽり納まった。
 ぐいぐい、とひっかかっていることをたしかめると、シャーリーは言った。よしっ。
 ……ああ、本当にやる気なんだ。
「待って。これじゃ、サンタじゃなくて怪盗だよ」
 あたしは今にもさあ上ろうかというシャーリーを抱きついて、制止させようとした。
「怪盗?」
「そう。ファニートータスとか」
「懐かしいな、おい」
 怪盗、怪盗……シャーリーは口のなかでその言葉を何度もつぶやく。怪盗、怪盗……
「怪盗黒バラとかか?」
 シャーリーがなにを言ってるのか、残念ながらあたしにはわからなかった。

 なんとかシャーリーを止めることができ、あたしたちは家のまわりをぐるりと見て回った。
 けど、開いている窓はなかった。
 窓を割るのは忍びないと思いつつも、だからといって煙突もなぁ……
 あたしがその二択に迫られていると、シャーリーがこっちこっち、とあたしを呼んだ。
「開いてたの?」
 あたしは期待をこめて、シャーリーの元へとかけていった。

 ちょいちょい、とシャーリーは親指で窓の方を指していた。
 あたしはそれがなにを示しているのか理解した。
 カーテンがちゃんと閉まりきってなくて、少し開いているのだ。
 とりあえずここから、なかを確認してみようってことなんだろう。
 けど、窓のあるところは高くにあって、あたしどころかシャーリーの背でものぞけそうにはない。
「シャーリー」
 あたしはシャーリー名前を呼んだ。それだけで通じ合える、そんな気がした。
「オーケー、ルッキーニ」
 そうしてそれは、そのとおりになった。
 シャーリーは屈みこんであたしの股の間に頭を入れてくる。
 あたしはバランスをとるために、シャーリーの頭を掴んだ。
 シャーリーはゆっくりと膝を伸ばしていき、立ち上がった。
 あたしは隙間に目をやり、なかの様子をうかがうことにした。
 そこにはサーニャとエイラがいた。トランプをしている。ババ抜きなようだ。
 なにか会話している。
 窓ガラスが分厚いのか、どんなことを話しているのかは聞き取れなかった。
「サーニャとエイラはまだ起きてる。トランプしてる」
「まだ起きてるのか?」
「なに話してるのかは、聞こえない」
「わかった。いいものがある」
 シャーリーはあたしを一度地面に下ろすと、袋のなかをさぐってコップを取り出した。
 あたしはコップを手に取った。
 そしてシャーリーはもう一度、あたしを肩車する。
 あたしは窓にコップをぴたんとひっつけ、その底に耳をくっつけた。
 かすかだけど、耳をすませばたしかに聞き取れる。懐かしいふたりの声だった。
「なぁ、サーニャ」
「どうしたの、エイラ?」
「ふたりでババ抜きして、楽しいカ?」
「わたしはたのしい」
「そうカ。私もなんだか楽しい気がしてきたナ……」
 しみじみとそう言うと、エイラはサーニャの手札から一枚とった。
 それでエイラは、ウげぇ、って顔。
 反対にサーニャの口からは、笑みがこぼれる。
 あ、今、エイラ、ババひいた。

 ふはぁ。サーニャがあくびをした。
 ふはぁ。それにつられて、エイラもあくびをした。
 眠いなら寝ちゃえばいいのに、そう思ったけど、言えるわけがない。
 サーニャはとろんとまぶたが落ち込んだ目をこすっている。
 ――と、その定まらない焦点が、こちら側に向いた。
 その焦点は、あたしをむすんでいた。
 まずい。あたしは咄嗟に、死角であるだろう場所に身を隠そうとする。
 よたよたと、シャーリーが数歩歩きまわって、バランスをとってくれる。
 今、安易に、窓から顔をのぞかせるのはまずい。
 だからあたしはもう一度、今度は耳だけでさぐってみる。
 コップをまた窓にひっつけて、じっと耳に神経をそそいだ。
「トナカイがいた」
「トナカイ? どこにダヨ?」
「あっち」
「あの窓? 外からなら高いゾ。いないいない。飛んでたならまだしも」
「じゃあ飛んでたの」
「そんなわけないダロ」
 ふわぁ、とエイラは大きなあくびをした。
「トナカイなんていないって」
「なんで、わかるの」
「知ってるカ? スオムスではトナカイ食べるんダゾ。この辺の、全部食べタ」
 あたしの全身に、ぶるって寒気が走った。
 外の寒さのせいだけじゃない。あたしはそのまま、ぶるぶるがたがたと震え出した。
 そして結局バランスをくずして、シャーリーとふたり背中から、雪の上に寝そべった。

 あたしはシャーリーにまたまた肩車をしてもらい、なかの様子をうかがった。
 といっても、やっぱりコップで聞き耳をたてるだけだけど。
「トナカイを食べるなんて信じられない!」
「そ、そんなはずないダロ……さっきのは嘘ダって……」
「エイラ、わたしに嘘ついたの?」
「じゃなくて、冗談……」
「言っていい冗談と悪い冗談があるでしょ」
 どうやら千和ゲンカ……じゃない、痴話ゲンカをはじめてしまったようだ。
 といっても、一方的にエイラが圧されてるばっかりだけど。
 これはこれで微笑ましいけれど、そうも呑気なことをされている場合でもない。
 ああもう。寝てくれないんじゃ、プレゼント渡せないじゃんか。
 と、ふはぁとあくびをする声。つられるように、あくびをする声がもうひとつ。
「なぁ、サーニャ。そろそろ寝ないカ」
「でも、まだサンタさん来てないし……」
 ん、サンタさん? どういうことだろう?

「だってエイラが、サンタさんはいないって言うし」
「なぁ、サーニャ。もう一度訊くけどサ……本当にサンタがいるって信じてるのカ?」
「うん、サンタさんはいるよ」
 その声は、疑いの雲ひとつない、晴れ晴れとした快晴。
 そうか、サーニャはまだ、サンタさんがいるって信じてるのか。
「でも、去年はこなかったんダロ?」
「うん……」
「でも、今年は大丈夫ダ。きっとプレゼント貰えるよ」
「どうして?」
「サーニャのお父さんだって見つかったし、今隣の部屋にいるし」
「どうしてサンタさんとお父さまが関係あるの?」
 エイラは無言。サーニャも無言。あたしも言葉を失った。
 サーニャはホントにいい子だなぁ、そんなことをしみじみ思う。
「それにサンタさんに言わなきゃいけないし……去年の分のプレゼントくださいって」
 うーん、どうしよ……まああとで、シャーリーに相談してみよう。
「…………なぁ、サーニャ。どうして去年は、サンタが来なかったんダろうナ?」
「だって去年は、夜間哨戒で夜中は起きてたから」
「じゃあマズいんじゃないカ?」
「どうして?」
「このまま起きてちゃ、サンタさん来ないんじゃないカ?」
 サーニャは無言。エイラも無言。あたしは言いたいことがあったけど、言わない。
「そうだね。エイラ、寝よ」
 あたしはゆっくり10数えてから、カーテンの隙間に目をやった。
 サーニャはベッドに横たわっている。よほど眠かったのか、もう眠っているようだった。
 おずおずとした動きで、エイラもベッドに身を横たえた。
 サーニャと背中合わせになって、ぴたんと背中と背中をくっつけた。
 あたしは再びコップ越しに、耳をすませてみる。寝息は聞こえてなかった。
 まあでも、たぶん眠っている。とにかく今がチャンスだった。

「シャーリー、寝たよ」
「やっとか。それでどうする?」
 あたしは考えるまでもなかった。答えはきまっている。
「煙突から行くよ」
「どうしたんだ、その急な心変りはじゃないか」
「あのね、サーニャはサンタクロース信じてるって」
「そうか、じゃあ腕が鳴るってもんだ」
「でもね、エイラは信じてないって」
「そうか、じゃあ知らしめてやらなくちゃいけないな」
 腕が鳴る。知らしめてやらなくちゃ――シャーリーの言葉が、あたしを奮い立たせる。
 あたしもそれに同調していた。いや、違う。これはあたし自身の意志でもあった。
 あたしとシャーリーの心は、今ちょうど、ひとつに重なっていた。
 ようやくあたしは、シャーリーの“共犯者”になれたってわけだ。
 目標とするのは、サンタさんらしいサンタさん。エレガントにスマートなサンタさん。
 となれば、窓ガラスを割って入るなんて野暮な真似ができるはずはない。

 あたしはロープを手に取ると、先陣をきって上っていった。
 後ろから、シャーリーがつづく。
 そうしてあたしは、屋根のまでやってきた。
 傾いた傾斜と雪が積もった足場の悪さで、あたしはあやうくバランスを崩しそうになる。
 そこから先は手をついて上っていって、ようやく煙突にたどりついた。
 シャーリーもすぐに追いついてくる。あたしたちは煙突のなかをのぞきこんだ。
 今が夜なせいもあって、真っ暗でなにも見えない。でも、暖炉の火はついていないらしい。
 ロープをたぐり寄せると、今度はそれを煙突のなかへと投げ入れた。
 数秒のちに、乾いた音が響いて聞こえてきた。どうやらちゃんと床までいけそうだ。
 あたしはロープを手にとって、また先陣をきって、今度は下りていった。
 上るのに比べて、下りるのは楽だ。するするっと滑るように降り、あたしは床に。
 きちんと着地だって決めた。10点満点。
 ――けれど今度はいくら待っても、なかなかシャーリーはやってこなかった。
 あたしは仰ぎ見て、シャーリーの様子をうかがった。
 じたばたもがく、足が見えた。白鳥の、水のなかでの動きみたいだ。
 しかも困ったことに、一番真上のところでだ。
 ようやくあたしは事態に気づく。そもそもあたしとシャーリーとでは、体のサイズが違うのだ。 
 特にシャーリーの場合、胸がつっかえてしまって、通りたくても通れないんだろう。
 体がちっちゃくてよかった。生まれてたぶんはじめてくらいにそう思った。

「ルッキーニ、あたしはムリそうだー」
 上から降ってくるようなシャーリーの声。
「うーん」
 あたしはそれに答えた。うなるときのうーんじゃなくて、うんを伸ばしたのだ。
「だから、代わりにこれを頼むー」
 シャーリーはそう言うと、こちらもひっかかっている抱えた袋から、プレゼントを落としてきた。
 あたしはそれをキャッチ。ひとつ、ふたつ……
「ねー、シャーリー。もうひとついるんだけどー」
「もうひとつー?」
「ないー?」
「あるにはあるけどー、最後のだからなー」
「いいよー」
「ルッキーニーの分なんだー」
「うーん、それでいいよー」
 あたしの分もプレゼントがあったなんて――そのことが素直に嬉しかった。
 最後って言った。これをあげちゃえば、もうプレゼントなし。
 でも、ま、いい。
 今のあたしは、使命感に燃えていた。燃えたぎっていた。
 こんなこと、ネウロイと戦っているいるときだって思ったことはない。
 目標はエレガントにスマートなサンタさん。あ、いや、あたしはトナカイなんだけどね。

 こっそり忍び足で、あたしはふたりの眠るベッドまでやってきた。
 これじゃ泥棒みたい? いいや、違う。これはふたりの安眠をさまたげないようにするため……
 ふたりはぐっすり眠っていた。あたしの抜き足も差し足も完璧だ。
 あたしはサーニャのものらしい赤い靴下を見つけると、そこにプレゼントをつめこんだ。
 今回は楽な仕事になりそうだな(シャーリーは除いて)、そうあたしが安心しきっていると――
 むくっと、サーニャが起き上った。腹筋でもするような早さだった。
 えっ、うそ? 起きてたの?
 あたしは隠れようもなく、それでも無意味にしゃがみこんだ。これじゃ、頭すら隠せていない。
 あたしはそのままの姿勢でサーニャの様子をうかがった。
 体は起きている。それはたしかだ。でも意識は、起きているか寝ているかは定かではない。
 これが夢遊病ってやつなのかな?
 とろんとしたまぶたから、うっすら半目が見えた。
 とにかくたしかめなくちゃ。あたしはサーニャの目の前で、手を振って見せた。
 サーニャからの反応はなし。よかったぁ、寝ているみたい――
「サンタさんですか?」
 え、あたしなにも喋ってないよ?
 じゃあ誰……? ああ、サーニャか。そうだよね、サーニャの声だもん。
 早とちりした。サーニャは寝てない。夢遊病でもたぶんない。
「ううん、違うよ。あたしはトナカイ」
 間抜けにも、あたしは答えてしまった。
「じゃあトナカイさん、サンタさんに伝えてください」
「え、なにを?」
「去年の分の、プレゼントもくださいって」
 目はつむったり、半目になったりを繰り返している。焦点は已然としてあっていない。
 どうやら、トナカイがあたしだということは気づいていないようだ。
 サーニャは今、起きている。でも、寝ぼけている。あたしは状況を確認した。
 状況は逼迫している。けれど、最悪ってわけじゃない。まだまだ取り返すことはできる。
「あたし、サンタさんに相談してくるね」
 半分嘘ついちゃったけど、半分は本当のことを言った。
 そう言うと、あたしはそそくさとその場を立ち去った。もう忍び足なんてしてられない。

「シャーリー! 大変だよー!」
 あたしは再び、煙突の下まで舞い戻り、シャーリーに相談することにした。
 心なしかシャーリーは、さっきまでより下がって来ていた。
「んー? どうかしたのかー?」
「サーニャが起きてたー」
「なにーっ!?」
「でも、ねぼけてたーっ!」
「じゃーさー、ルッキーニー」
「うーん、なーにー?」
「首筋にしゅとーをこー」
 そう言うと、シャーリーはじたばたと体を動かす。
 しゅとー……? しゅとーって、まさか……?
 いいや、でも、そんなことしちゃさすがにダメだ。
 たしかにあたしは、ガラスも割った。ピンポンダッシュもした。
 あ、いや、これはあたしじゃない。シャーリーだった。
 たしかに今は苦境だけど、“手刀”を加えて眠らせるなんて、そんなことしちゃいけない。
 え、芳佳のこと? あれは不可抗力だったから。あたしはなにも悪くないし。

「シャーリー、他になんかないのー?」
「えー、他にー?」
 ちょっと考え込むとシャーリーは、ごそごそと袋をさぐりだした。
 ずるっ、とシャーリーの体が、ちょっと落ちてきた。でもまだ、ひっかかっている。
「うけとってー」
 シャーリーはなにかを落としたらしかった。金属が床に落ちたときの、そういう音がした。
 ハンマーでも渡されたらどうしようかと、ちょっと焦った。
 でもそれは、もっとずっと軽いものだとわかった。
 それははねるように床をころがると、ダンスを踊るように、ぐるぐる円を描いた。

 あたしはようやく動きを止めたそれを拾い上げた。
 どうやらそれは、コインのようだ。真ん中に穴があいている。
 どこの国のコインだろう? いったいいくらくらいなんだろう?
 けど、数字は書かれていなかった。かわりにそれには、カクカクした文字が書かれている。
 うすぼんやりとした記憶だけど、あたしはそれを見たことがあった。
 そうこれは、扶桑の文字だ。それで四文字が四方に分かれて書かれている。
 上の文字は宮藤の“宮”の字で、下の文字は坂本の“本”の字だ、たぶん。
 宮本△×? なんだか違う気がする。……ま、いいや。コインのことはどうだっていい。
 そして穴の間から、ひもがくくりつけられていた。
 あたしはそれを指先でつまむと、コインは振り子のように揺れた。
「これでどうするのー?」
「それで眠らせるんだー」
「えーっ、どうやってー?」
「呪文があるんだー」

 あたしは再び、サーニャたちの元へと向かった。
 右手の中にぎゅっと力が入る。握られているのは、宮本△×(?)のコイン。
「サンタさんですか?」
 まだ上半身を起こしたままのサーニャは、あたしに訊ねてくる。
 未だ寝ぼけたままなんだろう。まあそれでいい。
 そんなにサンタに会いたいのか。残念ながら、それはムリ!
 そんなにプレゼント(去年の)がほしいか。そっちなら、オッケー!
 あたしはひもの先っちょを摘むと、コインをだらんと垂らした。
 ふっ、と手を動かし、そのコインを揺らした。早すぎず、遅すぎずに。
「これを見て。揺れてるコイン。それを目で追って」
「うん」
 ゆっくりとだけどたしかに、サーニャはうなずいてくれた。
「いーい? あなたはだんだん眠くなーる、あなたはだんだん眠くなーる……」
 あたしはシャーリーに教えられた呪文を、何十回と唱え続けた。
 でもそんなにする必要もなく、効果はてきめんだった。
 十回くらいでサーニャの起こされた上半身はもう、再びベッドのもとに戻っていった。
 背中がベッドに吸いこまれて、やわらかい音をたてた。
 なんだかあたしまで眠くなってきちゃったよ。
 そういえば、朝遅かったとはいえ、もう夜も遅くだ。
 ずっと寝ていないし、重労働だった。
 あたしは一度、大きくあくびをした。
 いけないいけない。あたしまで眠っちゃえらいことだ。
 このあとシャーリーも助けなきゃいけないんだし。
 あたしは眠気を振り払うように、ぶんぶんと振った。
 重くて長いトナカイの頭もいっしょに、ぶんぶんと振れた。

 あたしはエイラの枕もとの赤い靴下に、プレゼントをつめた。
 これで知らしめてやることができたわけだ。
 そしてあと、もうひとつ。サーニャの去年の分。そうしてこれが、最後のひとつ――
「一年遅れちゃったけど、ごめんね」
 あたしが謝ることでもないんだけど、ついついそんなことを言ってしまう。
 すでにプレゼントがひとつ収められた靴下はぎゅうぎゅうで、入りそうになかったので、
 あたしはサーニャの手のなかに、プレゼントを握らせた。
 これってホントは、あたしのプレゼントなんだよね。そんな考えが頭をよぎった。
 でも、いいんだ。
 今日のあたしはトナカイだから。喜ぶ子供たちがいてくれることが嬉しい。
 それに、だって、ほら――あたし自身も楽しかったのだから。

 どすん、と重いものが落ちる音がした。
 音がしたのは暖炉の方から。まさかと思って、あたしは走り出した。
 そこにいたのは、いててぇ、とお尻をさすっているシャーリーだった。
 ようやく降りてきた(いや、落っこちてきた)のはいいけど、
 もう仕事は終わってるんだよ。あたしはそう、言ってやりたくなった。
 赤いはずのサンタ服がすすけて、真っ黒になっている。案の定だ。
 シャーリーが顔をあげると、その顔まで真っ黒になっていた。
 シャーリー、変な顔ぉ。あたしは言った。
 ルッキーニだって、変な顔だぞぉ。シャーリーは言い返してくる。
 えっ、そうなの。あたしはびっくりした声を出した。
 そうしてあたしたちは、すすけた顔を見合わせて、声を出して笑った。

「あたし、まだふたりの顔見てないし、見てきていい?」
 シャーリーがそう言うので、あたしもついていくことにした。
 ふたり列をつくって、忍び足でだ。抜き足と差し足も忘れない。
 ――そうしてその道中で、エイラを見つけた。
 出くわした、でなくてよかった。あたしたちが先に気づいて。
「なんの音ダ……?」
 エイラは眠そうな目をさせて、こっちの方へとやってくる。
 そうか、さっきのシャーリーが落っこちた音で目が覚めたのか。
 またさっきのやつで眠らせるか――あたしはその考えをすぐに否定した。
 サーニャのときのように、すんなりうまくいくとも思えない。
 それに、今度あれを使ったら、ホントにあたしまで寝ちゃいそうだったから。
 だからといって、手刀なんてもっての他だ。
 あたしはシャーリーの耳たぶを掴むと、ぐいっと引っぱった。
「逃げよう」
 そのまま、あたしは耳打ちした。
「でも、まだサーニャの顔見てないし……」
「いいじゃん、別に」
「だって……」
「そんなの、今でなくたって会えるよ」
 そう言い切ったとき、あたしのなかで、ぱんっとなにかがはじけた気がした。

 どうやって逃げよう?
 煙突をまた昇るか……いや、あたしはともかく、シャーリーはムリだ。
 じゃあ逃げるとなれば窓しかない。
 シャーリーも同じことを考えていたのか、もう窓の前にいた。
 ああ、でも……手に持っているのはハンマーだ。
「シャーリー!!」
 あたしはこらえきれず、大声で叫んでしまっていた。
 でも、シャーリーのては止まらない。
「内側からなら窓開けれるよ」
「えっ!?」
 あたしがそう言ったときには、もう遅かった。
 振りかぶられたハンマーは打ち下ろされ、ガシャンと派手な音がした。
 あたしたちはうつむいてしまう。床に散らばるガラス片が、イヤでも目に入る。
 割れた窓ガラスは、もうどうしようもない。もう、あとの祭りだった。

 まあ、最後の最後でやってしまったけど、とにかくあたしたちは一仕事終えたのだった。
 あたしたちは飛行機に乗りこみ、スオムスをあとにした。
 ただいまの空は墨を水で薄めたような、そんな風な色をしている。
 もうすぐ夜が明けようとしている。朝日が昇って、もうじきに朝になる。
 新しい朝、1944年の、12月25日の朝がやってくる。

「どうだった?」
 シャーリーはそう簡単な言葉で、この夜のことを訊ねてくる。
 あたしはこの夜のことをもう一度最初から、思いを巡らせてみる。
「疲れた」
 これが、正直な感想。
「ひどい目にあった」
 これも、正直な感想。
「迷惑かけて、ごめんね、みんな」
 これだって、正直な感想。
「すっごく楽しくて、おもしろかった!」
 そうしてこれが、あたしの今の一番正直な感想。
 最初は振り回されっぱなしだったけど、いつしかあたしは自分から楽しんでいた。
 こんなに長い一日になるなんて、朝起きたときには思いもしなかった。

「ねえ、シャーリー!」
 あたしはずっと秘密にしていた気持ちを、打ち明けることにした。
「あたしはシャーリーといっしょで、すっごく幸せだよ」
 あたしにはシャーリーがいるから寂しくないよ。
「毎日楽しいし、すっごくすっごく楽しい」
 けど、本当は、それだけじゃないの。
「でもね、やっぱり、みんなに会えないのは寂しい」
 けどそれは、シャーリーが嫌いってことじゃないよ。
「寂しくって、いつもみんなのこと考えちゃうの」
 あたしはシャーリーのことが、大好きだよ。
「ごめんね、シャーリー」
 こんなあたしに、いっしょにいてくれてありがとう。

「なんで謝るんだよ」
 あたしが最後まで言い終えると、シャーリーはそう言った。
「そんなの、当たり前だろ?」
「そうなの?」
「あたしだって、ルッキーニとおんなじだよ。みんなと会えないのは、やっぱり寂しい」
 そうなの、あたしは訊き返した。
 そりゃそうさ、シャーリーはそれを認めた。
「でもさ、ルッキーニ――」
 シャーリーは言葉を続ける。あたしはそれに、じっと耳を傾ける。
「会いたくなったら会いにいけばいいんだよ」
 あたしは心の底から、たしかにちゃんと、うん、とうなずいた。
 寂しいなんていうのは子供の感情だ。そう思っていた。
 でも、違うんだ。そうじゃない。
 別に寂しくたっていいんだ。それを消したり乗り越えたりしなくたっていい。
 寂しいって思えるのは、その人のことが好きだから。とっても大切に思ってるから。
 だからもう、寂しくないよなんて思わなくたっていいんだ。
 悩むようなことじゃない。それはすっごく、簡単なことだったんだ。
 寂しくなったら会いにいけばいい。ただそれだけのことなんだ。 
「会いたくなったら、いつでもあたしが連れてってあげる」

「ねぇ、シャーリー。次はどこに行くの?」
 あたしたちの乗せた飛行機は、どこまでも飛び続けている。
その行く先を、あたしは知らない。
「本当なら扶桑に行く予定だったんだけど、もうプレゼント渡しちゃったしなあ」
「じゃあ今、どこに向かって飛んでるの?」
「ロマーニャだけど……ルッキーニは、どこか行きたいところある?」
「行きたいとこか――」
 あたしはうーん、とうなって考えこんだ。
 浮かばないんじゃなくて、その逆。ありすぎて、なにを挙げていいのかわかんない。
 扶桑に行きたいし、オラーシャにも行きたいし、ブリタニアもまた行きたいな……
 あたしは、まだ行ったことない、いろんなとこ行きたい。
「もっといろんな、世界中!」
「そうか、じゃあさ――」
 シャーリーは間をおくとちょっと照れくさそうに、次の言葉を次いだ。
「あたしの故郷なんてどう?」
 あたしの故郷。その言葉をあたしは反芻する。
 あたしの故郷。シャーリーの故郷。リベリオン――
 なんだかそれは、とってもすてきな、魔法の呪文に思えた。
「うんっ! あたし、シャーリーの故郷行きたい!」

 空からきらきらとしたものが、揺れるように降ってくる。
 雨じゃない。でも雪と言うにはちっぽけな、手のひらに載るとすぐ消えてしまうもの。
 風花と言うんだ、とシャーリーは教えてくれた。
 地平線の向こうから、太陽がもう顔を出そうとしている。
 銀の薄片が昇る朝日の光を浴びて、きらきらきらきら、反射して見えた。
 あたしはなんだか、あの割ったガラスのことを思い浮かべた。

「ルッキーニ!」
 シャーリーがあたしの名前を呼ぶ。それだけで、嬉しくなってくる。
 なあに、シャーリー! 負けずにあたしも名前を呼び返す。
「もう一日遅れになっちゃったけど――」
 あたしはその言葉を、たしかに胸に刻み込む。

「誕生日おめでとう」


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