無題
珍しく買い物に行ったら、薔薇に侵食された花屋を発見した。
「どうかしたのか?」
左目の眼帯が目立つ軍服の女性――坂本美緒が驚き混じりに尋ねると、
花屋は半分泣きそうな目で此方を見つめてきた。
顔面の所々にある傷がまた哀れである。
「うちのこの、大馬鹿息子が……全く」
「はあ……」
「ああ、経緯を話すだけでも腹が立つ……ってうああ」
わっしゃわっしゃと薔薇に埋もれていきそうになる花屋をなんとか引っ張り出すと、もう限界と言わんばかりに、薔薇がどさどさ道に落ちていく。数秒してなだれが収まった頃には、花屋の回りは薔薇まみれになっていた。
「何を思ってこんなに薔薇を持って来たんだか。これじゃ花屋じゃなくて薔薇屋だ」
「くっ」
思わず吹きそうになる自分を一生懸命抑える美緒。
しかし花屋は特に気にしていないのか、美緒を見て小さく笑うだけだった。
「そうだ、あんたウィッチだろ。いつも頑張っているお礼に、どうだい?
ああ、押し付けじゃないんだ。ほんと。いらないならいらないでいいんだ。
ほんと、押し付けじゃない。ほんと」
薔薇を指差しそういう花屋(薔薇屋)からは、切羽詰るものを感じる。
しかし美緒自身、花が綺麗だと思ってもそれをどうすべきか、というものが分からないでいた。貰ってもいいが、せっかく貰った花を、部屋のどこかで無残に朽ち果てさせるのは惜しい。かといって、自分が薔薇を――というのもなんだかあれがそれな気がした。
じーっと見詰めてくる花屋(薔薇屋)の視線が、ちょっと苦しい。
だがしかし、足元にちらかる薔薇を見ていたとき、ふと思い浮かんだ事があった。
「ふむ、それじゃあ貰っていこうかな――渡そうと思う人が居るんだ」
「そうかそうか! じゃあでーんとすっごいのを作るよ!
あ、押し付けじゃないんだよ、ほんと」
何度も念を押す花屋(薔薇屋)からは、何か鬼気迫る押し付けを感じる美緒だった。
**
朝の訓練から姿を見せない美緒に疑問を持っていたのだが、
美緒の訓練を受けていた宮藤芳香から、買い物に行ったと聞かされ、少し驚いた。
――いや、まあ。美緒も買い物くらいするか……なんで驚いたのかしら。
自分に疑問を持ちたくなる。
ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケは、自嘲気味に少しだけ笑うと出された紅茶に口をつける。
しかしジャガイモに紅茶というコンボは、悪くはないかもしれないが、何か奇妙な違和感を感じたくなるというものだ。
食事の異文化交流も中々だが、些細な異文化交流も、結構面白い。
他の国では全く気にもしない事――例えばお茶を飲む時、音をたてるかたてないか――
などが、他の国ではとてもマナー違反になったりする。
統一された常識なんて、ないんだなとつくづく思い知らされる毎日だ。
――まあ、いちいち驚いたりしていたら、身が持たないんだけどね。
どこかでジャガイモ争奪戦が起きているのか、がやがやとにぎやかである。
そんな声をBGMに紅茶を飲んでいると、廊下から規則正しい足音が聞こえてくる。
魔法の力を発動していなくても、耳がずば抜けてよくなくても、みなその足音が分かったらしい。
ガチャリ、とドアを開けて入ってきたのは、みなの予想通り、朝食の初めにいなかった坂本美緒である。
だがみなが――ミーナ自身も――全く予想外だったのが、彼女が握り締めている一つの物体だった。
美緒はみなの視線など全く気にしていないらしい。
ミーナの事を発見すると「ああ、丁度良かった」と笑顔で、
あのみなが分かる規則正しい足音を立てながら、そっと近づいてきた。
「ミーナにあげようと思ってたんだ」
「え? え?」
「ほら」
ずいっと、みなの疑問の塊が、目の前に差し出される。
赤い――それはそれは見事な、赤い薔薇の花束。しかも巨大。
ミーナは驚きのあまり、完全に金魚になっていた。パクパクと。見事に。
それと同時に、どこかで「ガン!」と凄い音がした。
**
「しょ、少佐。その、それは……」
もはや完全に空気をパクパク吐き出すだけと化したミーナの変わりに口を
開いたのは、流石補佐役というべきか、ゲルトルート・バルクホルンであった。彼女の隣に座っていた、この部隊のエースの一人であるエーリカ・ハルトマンも、驚いて美緒を見ている。普段飄飄としている彼女らしくない。
「……花だが?」
「いや、その……あ、ここでは言いにくいのなら、何人か外に出させますが……?」
一体彼女が何に気を使っているのか、分からない。
ただ自分がもっているこの花束はどうにもおかしいらしく、
みながみな、どういうわけかそれを見詰めている。
唯一美緒と同じような顔をしているのは、同郷の宮藤ぐらいだった。
「いや、別に出さなくていい。遅れてきたのは私だからな」
確かに食事の席で、薔薇とはいえこういうものを出すべきではなかったかもしれない。
そこまで潔癖がいるとは思えないが、多少嫌に感じる事もあるだろう。
少し、タイミングが悪かっただろうか。
目の前で固まっているミーナを見下ろすと、どこからか「ヒュー」という音が聞こえる。
何かと思えば、部隊最速のウィッチ、シャーロット・E・イェーガーの口笛であった。
「しかし少佐、凄いですね」
「?」
「見ているこっちまで惹きつける情熱さというか。
花束おっきいというか。とにかく、それぐらいの感情がこもっているってことなんですか?」
「……花だが?」
確かに赤い薔薇は存在感に溢れている。
ジャガイモと紅茶しか乗ってないテーブルから視線をずらせば、惹きつける何かがあるかもしれない。
でも、別に美緒はジャガイモと張り合いたかったわけではない。
ましてやそんな情熱も持ち合わせていない。前世でジャガイモと一悶着あったのかもしれないが、それはそれだ。今これとは関係ないと思われる。
自分でもそこまで鋭い方ではないと思う美緒だが、ここでようやく、
みなと自分との温度差のようなものを感じてきた。
特にカールスラント出身者との温度差が激しすぎるように思う。目の前のミーナとか。ミーナとか。
他の隊員も温度差に気づいたのか、また微妙な空気が流れ始める。
だが微妙な空気の温度が丁度良かったのか、やっと氷解したミーナが、咳払いをしたあと、美緒を見上げた。
「少佐……どうしてそれを私に?」
「どうしてって……中佐の顔が真っ先に浮かんだからでは駄目なのか?」
言うと、ミーナの顔がぼっと赤くなったのが見える。さらに小さい声で「落ち着け落ち着け」と呪文まで聞こえる。
一体何がどうしたというのだ。
オロオロしたくなる気持ちをぐっと堪えて、ミーナの言葉を待った。
**
「あの、どういう経緯でそれを?」
やっと行動可能になったミーナの一言に、周りの隊員が息を呑むのが分かる。空気を読まずに聞こえてきた紅茶を飲む音は、宮藤のようだった。
「いや、買い物に出かけたら、薔薇に侵食された花屋を見つけてな。
話の流れで、これを貰う事になったんだ」
「つまり……意図して購入したとかではなくって?」
「別に押し付けるつもりじゃないんだ。ただ私が貰っても、部屋で朽ちさせてしまいそうだったから。
それに、私に薔薇というのも、なんだか違う気がするだろ?
そんな事を考えながら薔薇を見ていたら、ミーナの顔をも思い出したから、じゃあ、あげよう、と」
今にして思えば、彼女の髪の毛の色と薔薇の色を連想したのではないだろうか。
それだけじゃない、彼女の立ち振る舞いや容姿が、どうにも赤い薔薇を連想させるのだ。
彼女になら、似合う。
そういう確信を持って薔薇を貰い受けたのはいいが、これ見よがしに巨大な花束を作ってしまった店主に、少々困ったりもした。
その事をミーナに伝えると、彼女は――というか宮藤除く隊員が――脱力したように椅子にもたれかかっていた。
「な、なんだ……?」
ついにオロオロしてしまった美緒に、こめかみを押さえたミーナが、事の次第を説明するのだった。
**
カールスラントで赤い薔薇を渡すという事は、相当深い意味の愛情の表現に繋がる。
そうでなくても赤い薔薇というのは、愛情だのなんだのという意味が付きまとう。
告白などではよく登場するお約束の花なのである。
しかし宮藤を見る限り、まだ微妙に分かっていないようなので、もしかしたら扶桑では違うのだろうか。
それともこの二人がずば抜けて鈍感なだけなのか。それとも――。
変な思考の迷路に入る前に、びたっと停止させる。
先ほどから変に熱くて仕方がない顔面に、水をかけたくて仕方がなかった。
「なるほど、興味深いな」
ふむ、と頷く彼女からは、真相を知っても慌てふためく様子はない。
――なんだ、本当に軽い意味だったのね。
深読みして勘違いして、それでも嬉しくて期待してドキドキした自分が、馬鹿みたいである。
軽く落ち込みたくなったミーナに、相変らず笑顔を浮かべる美緒の声が届いた。
「私には詳しい事情はきっと、すぐには飲み込めん。だが――」
ずいっと、少し下がっていた花束を、もう一度持ち上げるようにして差し出してくる。
「愛の告白とやらじゃないと、これは受け取れないものなのか?」
「え?」
「親愛の情は持ち合わせているつもりだが」
何のこともないという美緒に、また顔面が火を噴きそうになる。
今、何て言ったのか。聴覚が機能していない。聴覚のよさは、一つの売りだというのに。
「親愛の情を籠めて渡すのなら問題ないんじゃないのか?」
どうも説明の仕方が悪かったのか、美緒は何の疑問も持たずそう言ってくる。
――ああ、だから親愛の情って言っても信頼とかそういう類ではなく!
説明したいのだが、また頭が空回って上手く口が動かない。
緊急時こそ落ち着いて行動しなければいけないのに、なんという体たらく。
情けなくて空を飛びたくなる。
ついに上手な文章が思い浮かばず俯いたミーナの腕を、誰かが突っついた。
誰かと思えば、バルクホルンであった。
**
「貰っておけ。拒否する理由がないんだろ?」
そう言って薄く微笑む彼女に色々言いたくなる。
でも――本当にその通りで言葉が出てこない。
「でーも、そんなに大きいんじゃ、並みの花瓶じゃ無理だよー。
あ、そうだ。午後二人で買いに行ったらどうかな」
「あ、あなたまで何言って……!」
ワザとらしい口調で提案してきたのは、ハルトマンである。
ニヤニヤと笑う二人の戦友からは「全部分かってます」のオーラが出ていて、色々と癪である。
だがよく見ると二人ではなく、周りの隊員全員が生暖かな顔で此方を見ていた。
全員の視線が、痛い。
唯一幸いな事は、扶桑の二人組が全く分かっていないことだろう。
「あーでも、ハルトマンの言う通り、すごいからな、これ。いらないなら」
急に自信がなくなったらしい美緒が、苦笑いをしながら手を引っ込めようとする。
押されたあと急に引かれると、ぐっとくるものが、きっとあるのだ。法則とかで。
思わず花束をを掴んだミーナに、一同が「おぉ」と歓声を上げていた。
「も、貰っておきます。一応。せっかくなので」
今絶対自分の顔は、この薔薇の花に負けないぐらい赤いに違いないのだ。
俯いてそう言ったミーナに心底安心したのか、美緒が朗らかな笑顔を見せる。
――これだから扶桑の魔女は!
意外にずっしりくる花束を持ちながら、ミーナはつくづくそう思うのだった。
これまでの流れをニヤニヤみていたエイラ・イルマタル・ユーティライネンだったが、
ふとある疑問に気づいて口を開いた。
「そういやツンツン眼鏡がやたら静かじゃないか? もっと何か言うと思ったけど」
ツンツン眼鏡とは、美緒の事を崇拝しているペリーヌ・クロステルマンの事である。
そういえば、と言うシャーロット。
まだ何かもにょもにょやっている左官二人を残してそちらをみると、なるほど納得な結果が見つかった。
「気絶してるな……」
優雅に伏して気絶している。
一体どの場面で気絶したのか、定かではない。
普通なら気づきそうなものだが、何しろあまりの超展開に、誰しもが判断力を見失っていたのだから仕方がない。
つんつんとハルトマンが頭を突くが、まるで反応がない。
こりゃ駄目だ、と一同が笑った瞬間、どこかから素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「あ、そっか! 愛の告白になっちゃうから、ミーナ中佐は固まっちゃったんだね!」
「おせーよ宮藤」
どうも今まで分かっていなかったらしい。
ツッコミを入れるエイラの隣で、シャーロットが苦笑いをしながら呟いた。
「これだから、扶桑の魔女は」
the end