saintly knight
聖なる夜。
皆が寝静まり、街も野も実に穏やか。上は雲一つ無い、真夜中の空。
半分に割れた月が生える。
そんな凍えた空気を裂いて飛ぶ、一陣の青き風。
501所属の若き中尉、ペリーヌだった。
「まったく……」
ペリーヌはぶつくさと呟いていた。
今日は特別な日。それなのに、隊の皆ときたら飲んだり歌ったり……あの乱痴気騒ぎと来たら!
そしてわたくしは年に一度の記念日と言うのに、よりによって夜間哨戒シフト(の前半)。
はあ、と溜め息のひとつも出る。
今夜は、これまでのネウロイの出現サイクルから推定すれば何もない筈で……、
こう言う特別な日や退屈な時に限って、より一層退屈で何も無い夜を過ごし、明かす事になる。
ふう、とまた溜め息が出る。
微かに見えるブリタニア各地の街の明かり。遠く眼下に眺めながら、思わずふわあとあくびが出る。
「何も有りませんわね」
小さく言葉に出す。
その時、無線に通信が入った。基地当直の女性無線通信士からだ。
『ブループルミエ、応答願います。こちら司令所レーダー観測室』
「こちらブループルミエ。どうぞ」
『貴官の哨戒エリア内に謎の飛行物体を確認。当該時間帯にエリア内を飛行予定の航空機は有りません。
飛行物体は当方からの無線の呼び掛けには応じず、高速で移動中。直ちに貴官による確認を願います』
「了解しましたわ。当該飛行物体の位置と進路を」
『現在の貴官の位置から方位0-3-1、当該機はそのまま方位2-1-1に向けて飛行中。
接近予定時間は推定四十秒後。行動を願います』
「了解。万一に備え、基地の隊員に待機連絡を。以上」
ペリーヌは銃を担ぎ直し、腰に構えたレイピアの鞘をぐいと引き締める。
「ちょっとした、暇潰しになれば良いのですけれど……しかしほぼ真北からとは、珍しいですわね」
思わず呟きが口に出る。
頭を一度軽く振り、気持ちを引き締めた。
(あと四十秒……随分早いですのね)
ペリーヌは軽くロールしながら、腕にはめた方位・高度計を見、謎の物体目掛けて進んだ。
その影は一瞬で現れ、そして見えた瞬間に消えた。
「!」
あっと言う間に脇を抜けられる。
「このスピード……音速を軽く超えている!」
慌てて反転するも、追い付けない。速過ぎて姿もよく分からない。
しかもその飛行物体は、超高速で移動し、あれよあれよと地表に降下して行った。
降下した先は、民家が建ち並ぶ何処かの街。
「なんと言う事! 街に被害が!」
だが言った側からまたその物体は超高速で浮上し、また降下する。
「な、なんですの? 爆撃?」
しかし街が爆発を受けた形跡は微塵も見当たらない。その物体はペリーヌのそばまで上昇し、また降下。
「このわたくしが追い付けないなんて」
超音速を軽く……どんなに少なく見積もっても音速の24倍以上は出しているのに、何の衝撃波も出ない。
「所属不明」どころか「不思議」、と言うより、もはや怪異だ。
「司令所、応答願います。司令所……」
しかも、困った事に無線がまるで通じない。
「まさか、以前サーニャさん達が出会ったネウロイ……」
ペリーヌは高速で移動する物体の動きを見極めようと必死に目を凝らした。
微かにだが、見える。
浮上、降下、加速、減速のタイミングがある程度読めてくる。
確かに超高速だが、タイミングさえ合わせれば、もう一度だけなら……このVG.39でも追い付ける。
ペリーヌはその機を逃すまいと、ストライカーにありったけの魔力を注ぎ込む。
「次こそ、追いついて見せます!」
ブレン軽機関銃を構えると、当たりを付けたポイント目指して一気に加速した。
予想通り、その謎の物体は浮上した。
ブレン軽機関銃を構え、大声で警告する。
「そこの飛行物体、応答なさい! 所属と目的を……」
ペリーヌは目を疑った。音が聞こえる。鈴の音。構えた先に連なるのは、北に生息する茶褐色の生物。
そして、その後ろでひとり手綱を引いているのは、赤と白の服を着た、人物。
「あ、貴方……」
目をぱちくりさせる。
「おや、撃たないでおくれ、お嬢ちゃん」
しわがれ声の老人……いや、老婆か? 性別はよく分からないが、言葉がペリーヌの心に直接響いてくる。
「この街にも、あの街にも、私を待っている可愛い子が沢山居るんだからね」
幼い頃、お祖母様やお母様に、絵本で聞かされた存在。しかし……有り得ない。
ここはブリタニア上空15000フィート。しかも速度目一杯で飛んでいるのに、もう引き離されそう。
人の心理につけこんだ、新手のネウロイ?
トリガーに掛かる指に、力が入る。
不意に、その怪異が速度を緩めた。
「お嬢ちゃんもこの一年、いい子にしていたね。さあ、これをあげよう」
ペリーヌ向かって小さな物体が投げられる。
爆弾? いや、箱だ。リボンで丁寧に結わえてある。
何かの罠かと疑ったが、余りの存在の軽さに、思わず銃を肩に担ぎ、両手でキャッチしてしまう。
「こ、これは……」
「お嬢ちゃんへのプレゼントだよ。受け取っておくれ」
「な、何でこんな事を! 貴方一体……」
その老人は、ペリーヌが箱を受け取った事を確認すると、親指をぐっと立てて見せた。
「えっ?」
その意味が咄嗟に分からず、箱を持ったまま並んで飛行するペリーヌ。
「お嬢ちゃん、このサインの意味、知ってるかい?」
「貴方、わたくしを馬鹿にしているの!? 『了解した』『OK』『良い』を示すサインですわ」
「これはね。古代ローマで、満足の出来る、納得の出来る行動をしたひとにだけ与えられる、栄誉のしぐさなのよ。
貴方も、これに、相応しい娘(こ)になりなさい」
突然の答えに、絶句するペリーヌ。
「貴方も家族と祖国を失い、辛く悲しいでしょう。でもそんな時こそ、皆の為に頑張りなさい。
祖国ももうすぐ、貴方達に戻るわ。そうしたら、貴方が旗手となって、復興を頑張りなさい。
それはとても素敵な事だと、思わないかい?」
飛行物体は、速度を上げた。
「ちょ、ちょっと、お待ちなさい! まだ話は……」
「貴方なら出来る、ペリーヌ」
言葉を残し、もう一度振り向いて、笑顔を見せ、サムズアップして見せた。
その柔らかな笑みは、幼い頃によく見た、あの人達にそっくりで……
「お祖母様! お母様!」
ペリーヌは叫んでいた。
その仕草を見せたまま遠ざかり、消えゆく光と音に向かって、ペリーヌは、親指を立てて、ぎこちなく笑みを作った。
視界が悪い。それが自分の涙のせいだと気付くのに少し時間が掛かった。
ポケットからハンカチを取り出し、眼鏡の隙間から流れ、空に消えて行く雫を、拭った。
「おお、意識が戻ったか」
聞き覚えのある声。はっとして目を覚ます。
医務室だ。傍らには美緒と、芳佳が居る。
「大丈夫か、ペリーヌ」
「し、少佐……わたくし」
夢……だったの? ペリーヌは内心おろおろした。
「お前から連絡を受けてすぐ、可能な限り人員を集めて待機していたんだが……無線とレーダーが通じなくなってな」
「ペリーヌさんが哨戒の交代時間きっかりになってひとりふらふらと戻って来た時、そりゃ大変だったんですから」
美緒と芳佳が状況を説明する。
「わたくし……」
状況が飲み込めない。“あの時”からの記憶がない。何処をどうして基地に戻ったのかも。
時計を見る。朝の七時だ。
「宮藤、ご苦労。お前も治癒魔法を続けて疲れただろう。今日は一日休んで良いぞ」
「はい、ありがとうございます。ペリーヌさん大丈夫ですか? もう少し治癒を……」
「わたくしはもうこの通り、大丈夫ですわ。ご心配なく。少しお手間を掛けさせてしまいましたわね」
芳佳の手前、少し見栄を張ってみる。曖昧な笑みを残して、芳佳はふらふらになりながら医務室から出ていった。
医務室のドアの先にはリーネが待っていて、よろける芳佳に肩を貸した。そのまま自室へと戻った様だ。
美緒とふたりっきりになった医務室。静寂が周囲を支配する。
美緒は尋ねた。
「ペリーヌ。昨晩、何があった?」
聞かれて言葉に詰まる。
まさか、かの人に出会ってプレゼントを貰い、励まされたなどとは口が裂けても言えない。あれは夢だと信じたい。
「ネウロイか?」
「ち、違います」
「司令所では、音速の何十倍もの速度で移動する物体がレーダーに一瞬見えたとの報告が有るが」
やはり昨夜の事は本当だったの……、と内心で愕然とするペリーヌ。
ふと、両手でしっかりと抱えている箱に目が行く。
「それは、お前が帰って来た時、そうしてずっと持っていたものだ。誰が取ろうとしても、絶対に離さなかったんだぞ?」
苦笑混じりに美緒は言う。
「その箱は何だ、ペリーヌ?」
美緒に聞かれ……ペリーヌは誰かに手を差し伸べられ導かれるかの様に、箱のリボンを紐解いた。
「これは……」
箱の中から出て来たのは、一本の手編みのマフラー。
美しいトリコロールの色で柔らかに編まれたそれは、とても温かく……心の中までほかほかにしてくれそうで。
昔、お祖母様やお母様が編んでくれたものにそっくりで。
ペリーヌはマフラーをぐっと握り、抱きしめ、無言で、涙した。
美緒はそんなペリーヌをそっと胸に寄せると、優しく肩を叩いた。
end